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検索対象: 増補改訂版 写楽は歌麿である

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増補改訂版 写楽は歌麿である


第 八 章 梅 原 氏 の 写 楽 Ⅱ 豊 国 説 梅 原 氏 の 五 つ の 証 明 要 件 梅 原 氏 の 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 は 、 「 写 楽 が み つ か 0 た 4 」 の 第 二 章 以 下 と ほ ぼ 同 じ だ が 、 第 一 章 は 全 部 書 き か え ら れ た 、 と い う こ と は さ き に の べ た 。 そ の 新 し い 第 一 章 に は 、 「 写 楽 」 の た る 条 件 が 、 次 の 如 く 示 さ れ て い る 。 一 、 作 品 の 類 似 性 一 一 、 写 楽 絵 の 出 現 と 消 減 に 関 す る 謎 三 、 仮 名 の 謎 四 、 同 時 代 者 の 沈 黙 と 若 干 の 言 及 の 謎 五 、 写 楽 を 覆 い 隠 し て い た も の は 何 か こ の 説 明 は 、 多 岐 に 亘 り 、 煩 雑 で あ る 。 む し ろ 『 毎 日 新 聞 』 昭 和 五 十 九 年 三 月 十 九 日 、 二 十 日 の タ 刊 の = ッ セ ー 「 写 楽 が 豊 国 で あ る 理 由 、 国 」 の 方 が わ か り 易 い 。 そ れ で 、 こ れ を 紹 介 し 、 必 要 に 応 じ 、 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 を 参 照 、 考 察 す る こ と に し た 。 ま ず 、 そ の 田 で は 、 「 説 明 不 完 全 な 従 来 の 学 説 」 と 題 し て 、 従 来 の 研 究 の 成 果 の 不 備 を の べ て 、 次 の 五 要 件 を 説 く 。 「 多 少 の 自 信 が 私 に あ る の は 、 今 ま で の 試 み は 、 写 楽 が 誰 々 で あ る と い う こ と を 議 論 す る に 必 要 な 次 ー 64

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ら だ 』 と 言 う の で 、 歌 麿 は 『 い や 俺 の 絵 の お 蔭 だ 』 と 譲 ら ず 、 取 り 合 い に な 0 た と い う 。 こ れ で 察 す る に 、 歌 麿 は 極 め て 誇 り 高 い 人 物 と 思 わ れ る 」 こ れ は 文 化 元 年 ( 一 八 〇 四 ) の こ と で 、 そ の 直 後 に 歌 麿 は 思 い も か け ぬ 投 獄 の 屈 辱 を う け る こ と は 後 述 す る 。 蜀 山 人 の 『 浮 世 絵 類 考 』 屡 々 引 用 し た 、 蜀 山 人 の 写 楽 評 は 、 写 楽 の 真 髄 を 喝 破 し た 至 言 で あ る 。 そ れ は ど う し て 生 れ た の か 。 蜀 山 人 は 第 二 章 で 既 述 の 如 く 自 撰 の 文 に 笹 屋 邦 教 の 「 始 系 」 と 京 伝 の 「 追 考 」 を 添 加 し て 『 類 考 』 の 原 典 を つ く 0 た 。 蔦 屋 の 親 友 で 、 歌 麿 、 笹 屋 、 京 伝 と も 眤 懇 だ 0 た 蜀 山 人 な れ ば こ そ 、 写 楽 の 正 体 と 、 折 角 の 名 画 が 、 世 に 入 れ ら れ な か っ た 事 情 を 穿 ち 得 た 、 と 考 え ら れ る 。 笹 屋 邦 教 は 、 歌 麿 が 愛 妻 お り よ の 死 に 際 し 、 そ の 墓 地 を 世 話 し た 笹 屋 五 兵 衛 の 親 戚 と 思 わ れ 、 大 名 、 富 豪 、 芝 居 、 吉 原 等 に 出 入 す る 富 裕 な 家 紋 の 専 門 家 で 、 歌 麿 と は 狂 歌 の 友 だ 0 た 。 し か し 、 蔦 屋 や 歌 麿 の 意 向 を 熟 知 す る 蜀 山 人 が 、 数 多 の 随 筆 、 日 記 を 書 き な が ら 、 写 楽 の 正 体 に は 、 一 言 も ふ れ な か っ た の は 、 理 解 で き る 。 「 あ ま り に 真 を 画 ん と て あ ら ぬ さ ま に 書 き な せ し か ば 長 く 世 に 行 わ れ ず 一 両 年 に し て 止 む 」 ま さ に 、 「 写 楽 の 悲 劇 」 の 真 髄 を 喝 破 し て い る 。 こ の 名 言 と 関 連 し て 、 一 つ 不 可 解 な こ と が あ る 。 些 か 脱 線 す る が 、 大 事 な こ と な の で ふ れ て お き た い 。 梅 原 氏 の 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 は 、 そ の 内 容 と 書 名 が 一 致 し な い の で は な い か 、 と い う こ と で あ る 。 ー 」 ( 第 九 章 ) の 主 人 公 で あ り 、 蔦 屋 と 泉 市 の 「 板 氏 が 写 楽 で あ る と 説 く 豊 国 は 、 「 サ ク セ ス ・ ス ト ー リ キ リ シ ャ 劇 、 シ ェ ー ク 挟 み 」 ( 第 十 章 ) で 苦 し ん で も 、 少 し も 「 悲 劇 」 で は な い の で あ る 。 悲 劇 と は 、 ・ ス ビ ア 劇 、 近 松 物 に 共 通 な 如 く 「 幸 福 よ り 不 幸 に 移 る 変 化 」 ( ア リ ス ト テ レ ス ) で あ る 。 し か も そ れ が 242

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め に は 、 音 を 音 に し な く て は な ら な い が 、 そ の 音 と 音 の 貸 借 関 係 は Toyokuni を Tohokuni と す る こ と に よ っ て 解 消 さ れ る 」 ( 『 毎 日 』 の エ ッ セ ー 国 ) ま た 「 『 と う く に 』 は 『 と よ く に 』 を も じ っ た も の と み ら れ る 」 ( 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 第 十 章 ) 梅 原 説 批 判 大 判 全 身 図 で の 都 座 頭 取 篠 塚 浦 右 衛 門 の 「 こ れ か ら 一 一 番 目 新 版 似 顔 絵 を ご ら ん に 入 れ ま す 」 と の 口 上 は 、 そ の ま ま 素 直 に と る べ き で あ る 。 第 一 期 の 大 首 絵 か ら 、 第 二 期 の 大 判 二 人 全 身 図 、 細 判 一 人 全 身 図 へ の 転 換 を 宣 言 し た も の で 、 気 迫 に 満 ち 、 蔦 屋 と 写 楽 の 二 期 絵 へ の 自 信 を 示 し て い る 。 口 上 書 の 裏 返 し の 字 を 梅 原 説 の 如 く 、 こ じ つ け る の は 不 合 理 で あ る 。 こ の 梅 原 説 は 言 語 学 上 の 科 学 的 証 明 の 全 く 欠 け た 単 な る 語 呂 合 わ せ で あ る 。 江 戸 時 代 に 、 こ の よ う な 音 と 音 と の 貸 借 関 係 が 行 な わ れ た と い う の で あ れ ば 、 そ の 言 語 学 的 法 則 の 提 示 を お 願 い し た い 。 な お 、 東 洲 が 豊 国 を も じ っ た の で あ れ ば 、 写 楽 第 三 期 以 降 、 東 洲 斎 を 削 っ た の は 、 豊 国 の 自 己 否 定 と な る 。 写 楽 絵 と 豊 国 絵 の 類 似 性 梅 原 氏 が 、 写 楽 日 豊 国 説 の 証 明 の た め に 最 も 力 を 入 れ て い る の は 、 『 毎 日 』 の エ ッ セ ー の 1 の 要 件 、 す な わ ち 両 者 の 絵 の 類 似 性 で あ る 。 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 の 全 頁 の 中 で 、 半 分 近 く を こ れ に あ て 、 カ ラ ー 写 真 入 り の 説 明 を し て い る こ と で そ れ が 窺 え る 。 本 書 で は こ れ に あ ま り 多 く の 紙 幅 を 充 て る こ と は で き な い が 、 さ り と て 『 毎 日 』 の エ ッ セ ー だ け で は 、 証 明 の 結 論 を 知 る だ け で 、 そ の 理 由 に つ い て は よ く わ か ら な い 。 そ こ で 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 か ら も 梅 原 説 の 要 点 を 紹 介 し 、 そ の 後 で 卑 見 を の べ る こ と に す る 。 梅 原 説 梅 原 氏 は の べ る 。 ー 68

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① 研 究 版 元 蔦 屋 重 三 郎 阿 部 清 昭 和 浦 年 3 月 3 日 『 読 売 新 聞 』 秋 田 蘭 画 の 昭 和 田 年 小 説 近 松 昌 栄 高 橋 克 彦 絵 師 『 写 楽 殺 人 事 件 』 ( 講 談 社 ) 昭 和 田 年 劇 画 浮 世 絵 師 喜 多 川 歌 麿 石 森 章 太 郎 『 死 や ら く 生 』 ( 中 央 公 論 社 ) 昭 和 年 ① 研 究 戯 作 者 十 返 舎 一 九 宗 谷 真 爾 『 季 刊 浮 世 絵 』 ・ 号 ⑩ テ レ ビ 歌 舞 伎 役 者 中 村 此 蔵 池 田 満 寿 夫 昭 和 年 7 月 1 日 特 集 私 は 、 さ ら に こ の あ と に 次 の 六 点 を 追 加 し た い 。 昭 和 2 年 2 月 里 文 出 版 ⑨ 研 究 浮 世 絵 師 鳥 居 清 政 説 中 右 瑛 『 写 楽 は 十 八 歳 だ っ た ! 』 の 研 究 浮 世 絵 師 写 楽 は 写 楽 説 瀬 木 慎 一 昭 和 年 4 月 美 術 公 論 社 『 新 説 ・ 写 楽 実 像 』 昭 和 年 9 月 ~ 昭 和 8 年 川 月 の 研 究 浮 世 絵 師 歌 川 豊 国 説 梅 原 猛 『 芸 術 新 潮 』 「 写 楽 が み つ か っ た " こ @ 研 究 戯 作 者 山 東 京 伝 説 谷 峯 蔵 昭 和 年 川 月 毎 日 新 聞 社 『 写 楽 は や つ ば り 京 伝 だ 』 ① 研 究 浮 世 絵 師 歌 川 豊 国 説 梅 原 猛 昭 和 年 5 月 新 潮 社 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 ⑩ 研 究 狂 言 作 者 篠 田 金 治 説 渡 辺 保 昭 和 年 5 月 講 談 社 『 東 洲 斎 写 楽 』 工 9 第 一 章 写 楽 論 の 原 点

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三 、 絵 師 説 絵 師 説 に は 二 種 あ る 。 円 山 応 挙 、 谷 文 晁 、 酒 井 抱 一 の よ う な 本 格 派 と 、 一 筆 斎 文 調 、 司 馬 江 漢 と 栄 松 斎 長 喜 、 鳥 居 清 政 、 歌 舞 伎 堂 艶 鏡 、 葛 飾 北 斎 、 山 東 京 伝 、 喜 多 川 歌 麿 、 歌 川 豊 国 等 の 浮 世 絵 派 と で あ る 。 写 楽 は 写 楽 説 こ れ ら の ほ か に 、 写 楽 は 写 楽 と い う 仮 面 を か ぶ っ た 別 人 で は な く て 、 写 楽 と い う 人 物 が 実 在 し た 、 つ ま り 「 写 楽 は 写 楽 」 本 人 で あ る 、 と い う 説 が あ る 。 こ れ ら の 諸 説 の 中 で 、 ど の グ ル ー プ の ど の 人 物 が 最 も 適 切 か っ 妥 当 で あ ろ う か 。 こ れ を 判 断 す る 前 に 、 ま ず 、 あ る 人 物 , ー ー こ れ を 仮 に と 呼 ぶ こ と に す る ー ー が 写 楽 で あ る た め に は 、 ど ん な 要 件 が 満 足 さ れ ね ば な ら ぬ か を 、 あ ら か じ め 定 め て お く こ と が 必 要 で あ る 。 そ う し な い と 、 直 観 や 主 観 に 基 づ く 議 論 と な り 、 作 品 上 の 若 干 の 類 似 点 や 人 的 関 連 を あ げ て も 、 誰 に も 納 得 で き る 客 観 的 で 確 実 な 資 料 に よ る 証 明 を 欠 き が ち で 、 写 楽 の 謎 の 解 明 は 少 し も 前 進 し な い 危 険 に お ち い る か ら で あ る 。 写 楽 ⅱ >< 説 の 六 要 件 の 私 は 、 >< と い う 人 物 が 写 楽 で あ る た め に は 、 最 低 、 次 の 六 つ の 要 件 を 具 備 し な け れ ば な ら な い と 考 え る 。 後 述 す る よ う に 、 梅 原 猛 氏 は 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 で 五 つ の 要 件 を 説 い て い る 。 ま た 、 谷 峯 蔵 氏 は 冖 を み 『 写 楽 は や つ ば り 京 伝 だ 』 で 、 諏 訪 春 雄 学 習 院 大 学 教 授 の 説 く 七 項 目 の チ ェ ッ ク ポ イ ン ト を あ げ て い る 。 こ れ ら に つ い て は 、 後 に 第 八 、 第 九 、 第 十 の 各 章 で く わ し く 考 察 す る こ と と し 、 こ こ に は 私 の 六

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こ の 数 字 は 写 楽 の 十 カ 月 一 四 五 点 と 大 差 は な い 。 と こ ろ が も し 、 写 楽 Ⅱ 豊 国 で あ る な ら ば 、 豊 国 は 一 四 五 点 プ ラ ス 二 三 点 、 計 一 六 八 点 を 一 年 間 に 制 作 し た こ と に な る 。 と こ ろ で 、 豊 国 は 、 そ の 没 年 は 文 政 八 年 ( 一 八 二 五 ) な の で 「 役 者 舞 台 之 姿 絵 」 以 後 の 寛 政 九 年 ( 一 七 九 七 ) か ら の 二 十 九 年 間 の 作 品 数 は 概 ね 一 二 五 点 ( 175 ー 50 " 125 ) と な る 。 そ れ は 一 年 平 均 約 五 点 弱 と い う 寡 作 と な る 。 こ の よ う な 豊 国 が 、 写 楽 で あ っ て 、 た だ 寛 政 六 年 正 月 か ら 翌 七 年 正 月 ま で に 例 外 的 に 一 六 八 点 と い う 、 豊 国 の 全 生 涯 の 作 品 量 に 匹 敵 す る 量 を 描 い た と い う こ と は 辻 褄 が 合 わ な い 。 写 楽 は ・ ハ イ タ リ テ ィ に 富 ん だ 、 エ ネ ル ギ ッ シ ュ な 画 家 で あ る 。 こ の 要 件 に 照 ら し て も 、 豊 国 は 失 格 で あ る 。 以 上 、 芸 術 性 と 作 品 量 の 、 二 つ の 問 題 か ら 見 て も 、 写 楽 日 豊 国 説 は 無 理 な よ う で あ る 。 説 写 楽 は な ぜ 十 カ 月 で 消 え た の か 国 以 上 、 梅 原 氏 の の べ る 、 写 楽 ⅱ の >< で あ る た め の 五 つ の 要 件 の う ち 、 東 洲 斎 写 楽 の 名 の い わ れ 、 筝 写 楽 絵 と 豊 国 絵 の 類 似 性 、 写 楽 と 豊 国 の 同 一 人 性 と い う 三 つ の 「 証 明 」 を 紹 介 し た 上 で 、 私 は そ れ ぞ 氏 原 れ の 箇 所 に お い て 、 梅 原 説 に 対 す る 批 判 を 行 な っ た 。 章 こ の う ち 、 類 似 性 と 同 一 性 の 説 に 対 し て は 、 問 題 の 重 要 性 に 鑑 み 、 多 く の ス ペ ー ス を 割 い た 。 八 梅 原 説 さ て 、 こ こ で 、 四 つ 目 の 証 明 の 問 題 に 入 る が 、 そ れ は 次 の よ う な こ と で あ る 。 「 な ぜ 写 楽 第 と い う 仮 名 は 十 カ 月 で 消 え た の か 」 ( 『 毎 日 』 ェ ッ セ ー 田 ) と こ ろ で 、 『 毎 日 』 の エ ッ セ ー は 簡 単 す ぎ る の で 、 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 に よ っ て 検 討 す る こ と に し

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第 十 一 章 写 楽 絵 の 命 運 写 楽 絵 へ の 注 目 と 忘 却 「 東 洲 斎 写 楽 」 の 仮 面 は 、 そ の 不 評 判 の 累 を 歌 麿 本 人 に ま で は 波 及 さ せ な い 、 と い う 防 護 措 置 と し て は 、 効 果 的 で あ っ た 。 蔦 屋 は 歌 麿 と 取 り 交 わ し た 固 い 約 東 を 守 り 、 店 の 者 達 、 彫 師 、 刷 師 等 に 箝 ロ 令 を 敷 い た 。 だ が 箝 ロ 令 の お よ ば ぬ 範 囲 が あ る 。 同 業 の 他 版 元 、 役 者 筋 、 歌 麿 の 盛 名 に 嫉 妬 、 反 感 を も っ 絵 師 達 、 さ ら に 目 ざ と く 地 獄 耳 を も ち 、 筆 が 立 ち ロ の う る さ い 馬 琴 、 一 九 、 三 馬 等 で あ る 。 こ れ ら の 人 々 は 、 写 楽 の 絵 に 、 ど の よ う な 反 応 を 示 し た の で あ ろ う か 。 写 楽 の 仮 面 を か ぶ っ た 歌 麿 と い う 正 体 に 全 然 気 づ か な か っ た の で あ ろ う か 。 こ の こ と は さ き の 検 討 で は 「 条 件 に は 当 ら ぬ 」 と し て 省 い た 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 の 五 要 件 の 四 「 同 時 代 の 沈 黙 と 若 干 の 言 及 の 謎 」 に も 、 つ な が る も の で あ る 。 以 下 年 代 順 に 考 察 し て み よ う 。 栄 松 斎 長 喜 の 「 高 島 お ひ さ ー 歌 麿 が 寛 政 初 年 に 、 寛 政 三 美 人 す な わ ち 水 茶 屋 の 女 の 高 島 お ひ さ 、 難 波 屋 お き た お よ び 富 本 節 の 名 手 富 本 豊 雛 を 描 い て 大 評 判 と な っ た こ と は 既 述 し た が 、 長 喜 も ま た 、 こ の 後 を 追 っ て 高 島 お ひ さ の 絵 を 描 い た こ と も 前 に ふ れ た 。 し か も そ れ が 写 楽 絵 の 団 扇 を 持 っ て い る の で 、 見 の が せ な い 。 そ の 写 楽 の 絵 は 、 寛 政 六 年 五 月 桐 座 上 演 の 「 敵 討 乗 合 話 」 の 、 四 世 松 本 幸 四 郎 扮 す る 山 谷 の 肴 屋 五 郎 兵 衛 の 大 判 絵 で 、 写 楽 第 一 期 二 八 点 239

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「 写 楽 は 続 い た 。 だ が そ の 力 量 の 差 は 覆 う べ く も な い 。 大 判 を 殆 ど 止 め て 細 判 に し 、 キ ラ を 止 め て 単 な る 黄 つ ぶ し に 変 え 、 安 く 大 量 に 出 版 し て み た が 、 や は り 売 れ な か っ た よ う で あ る 」 七 、 写 楽 の 意 味 は 「 楽 屋 を 写 す 」 で あ る 池 田 氏 は 、 写 楽 は シ ャ ラ ク で は な く シ ャ ガ ク と 読 む べ き だ と 、 次 の ご と く 主 張 す る 。 「 シ ャ ガ ク の 写 は う っ す 、 こ れ は た い て い の 人 が こ う 解 釈 し て い る 。 そ し て ガ ク は 楽 屋 の ″ 楽 〃 だ と 解 釈 し た い で す よ 、 僕 は 。 実 際 に シ ャ ラ ク と 呼 ん だ か 、 シ ャ ガ ク と 呼 ん だ か は 今 と な っ て は 分 ら な い 。 だ け ど 少 な く と も 、 こ の ″ 楽 “ の 字 は 、 楽 屋 と い う 意 味 が 託 さ れ て い た と 思 う ね 。 ( 中 略 ) 一 つ に は 楽 屋 を 写 す と い う こ と 。 だ け ど そ れ 以 上 に 、 楽 屋 か ら 写 す 、 つ ま り そ れ ま で の よ う に 観 客 の 側 、 客 席 の 側 に い る 人 間 が 役 者 を 写 す の で は な く 、 正 に 同 じ 楽 屋 に い る 人 間 、 つ ま り 役 者 が 役 者 の 真 の 姿 を 有 り の ま ま に 写 す と い う の が 、 蔦 屋 の 本 当 の 狙 い だ っ た と 思 う 」 以 上 、 長 々 と 池 田 説 を 紹 介 し た の は 、 テ レ ビ を 見 た 方 も 多 い の で 、 そ の 印 象 を 想 起 し て 頂 く た め で あ る 。 こ の 池 田 説 は 正 し い か 。 そ う は い え な い 。 多 く の 問 題 点 を ふ く ん で い る 。 以 下 こ れ に 対 す る 、 梅 原 猛 、 谷 峯 蔵 の 両 氏 お よ び 私 の 批 判 を 掲 げ る 。 梅 原 猛 氏 に よ る 池 田 説 批 判 梅 原 猛 氏 は 『 芸 術 新 潮 』 昭 和 五 十 九 年 九 月 号 か ら 「 写 楽 が み つ か っ た ″ こ を 連 載 し は じ め た 。 そ の 第 一 回 が 池 田 説 批 判 で あ る 。 梅 原 氏 の 新 刊 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 は 、 こ の 第 一 回 分 に 当 る 第 一 章 を 全 面 的 に 書 き か え 、 旧 稿 の 池 田 説 批 判 を ほ と ん ど 省 い た 。 だ が 、 そ れ で は 批 判 の 具 体 的 迫 力 が な く な る の で 、 本 書 で は 「 写 楽 が み つ か っ た ″ こ の 見 解 を そ の ま ま 採 る こ と に し た 。

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正 義 や 善 美 の 減 亡 で あ る と き 、 い っ そ う 悲 劇 は 大 き い 。 超 一 流 の 大 肖 像 画 家 が 認 め ら れ ず 、 消 え た と い う 、 写 楽 の 悲 劇 も 、 ま さ に そ の 典 型 で あ る 。 こ の 悲 劇 の 主 人 公 が 、 「 世 に も て は や さ れ 」 ( 『 武 江 年 表 』 ) 、 「 流 俗 の 眼 を 悦 し む る に 妙 を 得 た り 」 ( 『 類 考 』 ) と 評 さ れ る 豊 国 で あ る と い う の は 、 不 似 合 で あ る 。 梅 原 氏 の 著 書 名 は 「 写 楽 が み つ か っ た ″ こ の 方 が ふ さ わ し い よ う に 思 わ れ る 。 豊 国 の 本 質 に つ い て 、 な お 納 得 さ れ ぬ 向 き も あ る か も し れ ぬ が 、 そ う い う 方 に 対 し て は 、 さ き の 野 ロ 、 岸 田 両 氏 の 評 言 に 加 え て 、 吉 田 暎 二 氏 著 『 東 洲 斎 写 楽 』 の 中 の 写 楽 論 の 末 尾 の 次 の 「 付 言 」 を 進 呈 し た い 。 「 彼 ( 豊 国 ) が 、 写 楽 の 影 響 を 強 く 受 け た こ と は 事 実 で 、 し か も 勝 川 派 を も ま ね 、 彼 一 流 の 役 者 絵 に 落 付 く ま で は 、 一 方 に 写 楽 の 形 骸 の み を と っ て 、 意 味 の な い 誇 張 に 、 又 一 方 で は 勝 川 派 に 典 型 さ れ た 美 化 描 法 を 用 い 、 実 に 雑 多 な 作 画 態 度 の 分 裂 を 見 せ た 作 品 を 数 多 く 出 し て い た 。 ( 中 略 ) 大 首 絵 に あ 0 て は 、 彼 を 凌 駕 す る と い わ れ た 彼 の 門 人 の 国 政 の 方 に 、 写 楽 の 精 神 的 方 面 の 影 響 を 受 け て 純 粋 な も の が 感 じ ら れ る 」 命 豊 国 は 何 と い う 俗 物 的 「 サ ク セ ス ・ ス ト ー リ ー 」 で あ ろ う か 。 の で は 、 歌 麿 は ど う か 。 楽 不 幸 な 出 生 の 秘 密 。 ひ た ぶ る な 画 道 へ の 精 進 。 清 長 を も 投 筆 さ せ た 最 高 峰 へ の 到 達 と 名 声 。 人 気 に 章 乗 っ た と は い え 些 か え げ つ な い 自 信 過 剰 の 言 辞 も 、 事 実 や 心 情 の 裏 付 け を 欠 い て は い な い 。 そ し て 、 後 に 見 る よ う な 権 力 者 に 仕 掛 け ら れ た 悲 劇 的 末 路 : ・ : ・ 。 歌 麿 の 芸 術 と 生 涯 は 、 正 に 堂 々 た る 真 実 追 求 、 真 実 描 写 の 、 実 力 の 戦 で あ り 、 悲 劇 の 大 肖 像 画 家 に 召 ふ さ わ し い を わ

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『 仮 名 の 喜 劇 』 で は な い か 。 こ れ に つ い て は 、 後 に 第 十 一 章 で 再 考 す る 。 写 楽 が 豊 国 だ と わ か ら な か っ た 理 由 梅 原 説 梅 原 氏 は 、 証 明 要 件 の 第 五 の 写 楽 ⅱ の >< が 豊 国 で あ る こ と が 、 今 ま で 何 故 わ か ら な か 0 た の か 。 >< が 豊 国 だ と す る と 、 江 戸 浮 世 絵 史 、 あ る い は 江 戸 文 化 史 の 見 方 は ど う 変 わ る か に つ い て 、 『 毎 日 』 ェ ッ セ ー で 、 次 の 如 く の べ る 。 、 落 款 の 違 い に 迷 う 「 人 間 は 名 前 に 迷 わ さ れ や す い 。 も し も 、 こ の 同 時 代 の 写 楽 絵 と 豊 国 絵 に 落 款 が な か 0 た ら 、 二 人 の 絵 を 同 一 の 作 者 と 考 え た に ち が い な い 。 し か し 、 落 款 は 二 人 の 絵 の 間 に 大 き な 距 離 を 置 く 。 な ぜ な ら 、 歌 川 豊 国 は 文 化 、 文 政 の 浮 世 絵 界 の 第 一 人 者 で あ り 、 そ の 後 の 浮 世 歉 界 を 歌 川 派 が 独 占 的 に 支 配 す る 基 礎 を つ く 0 た が 、 今 は 評 価 が 低 い 。 し か し 、 写 楽 は 、 か の ク ル ト に よ 0 て 世 界 の 一 一 一 大 肖 像 画 家 と し 説 て 高 い 評 価 を う け て い る 。 こ の 評 価 の 高 い 写 楽 と 、 評 価 の 低 い 豊 国 が 同 一 人 物 で あ る は ず は な い 。 そ う 思 0 て い る の で 、 こ の 二 人 の 関 係 は 今 ま で よ く わ か ら な か 0 た が 、 無 心 に 二 人 の 絵 を 見 れ ば 、 私 の の 説 は 決 し て 奇 説 で は な い こ と が わ か る で あ ろ う 。 氏 わ れ わ れ は 、 も う い い 加 減 に 外 人 に よ 「 て 見 ら れ た 日 本 美 術 史 の 評 価 を 克 服 し 、 自 ら の 眼 で 、 自 己 の 伝 統 を 見 る 眼 を 創 造 し な く て は な ら な い の で あ る 」 章 八 2 、 薩 長 政 府 は 後 期 江 戸 文 化 を 否 定 し た 第 梅 原 氏 は 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 の 最 終 第 十 一 章 で は 前 記 1 の 論 旨 の ほ か に 、 次 の 如 き 事 由 を も つ け 加 え る 。