検索 - みる会図書館

検索対象: 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代から 272件ヒットしました。

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


表 Ⅳ ー 3 酢 香 手 姫 皇 女 の 斎 宮 位 と 「 日 本 書 紀 』 の 編 年 西 暦 干 支 日 本 書 紀 の 編 年 ( B 列 ) A 列 古 事 記 法 興 年 号 聖 徳 太 子 酢 香 手 姫 皇 女 崩 年 干 支 〔 ( 女 ) 用 明 天 皇 〕 585 年 乙 巳 敏 達 14 年 雄 略 9 年 ( 用 明 即 位 年 ) 586 年 丙 午 587 年 丁 未 588 年 戊 申 589 年 己 酉 590 年 庚 戌 591 年 辛 亥 592 年 壬 子 593 年 癸 丑 法 興 3 年 摂 政 1 年 594 年 甲 寅 法 興 4 年 摂 政 2 年 法 興 5 年 摂 政 3 年 595 年 乙 卯 法 興 6 年 摂 政 4 年 596 年 丙 辰 597 年 法 興 7 年 摂 政 5 年 法 興 8 年 摂 政 6 年 598 年 戊 午 599 年 己 未 法 興 9 年 摂 政 7 年 法 興 10 年 摂 政 8 年 600 年 601 年 辛 酉 法 興 11 年 摂 政 9 年 602 年 壬 戌 法 興 12 年 摂 政 10 年 603 年 癸 亥 法 興 13 年 摂 政 11 年 604 年 法 興 14 年 摂 政 12 年 605 年 乙 丑 法 興 15 年 摂 政 13 年 606 年 丙 寅 法 興 16 年 摂 政 14 年 607 年 丁 卯 法 興 17 年 摂 政 15 年 608 年 戊 辰 法 興 18 年 摂 政 16 年 609 年 己 巳 法 興 19 年 摂 政 17 年 610 年 庚 午 法 興 20 年 摂 政 18 年 611 年 辛 未 法 興 21 年 摂 政 19 年 612 年 壬 申 法 興 22 年 摂 政 20 年 613 年 癸 酉 法 興 23 年 摂 政 21 年 614 年 甲 戌 法 興 24 年 摂 政 22 年 615 年 乙 亥 法 興 25 年 摂 政 23 年 616 年 丙 子 法 興 26 年 摂 政 24 年 617 年 丁 丑 法 興 27 年 摂 政 25 年 618 年 戊 寅 法 興 28 年 摂 政 26 年 619 年 己 卯 法 興 29 年 摂 政 27 年 620 年 庚 辰 法 興 30 年 摂 政 28 年 621 年 辛 巳 法 興 31 年 摂 政 29 年 丁 巳 庚 申 甲 子 用 明 元 年 用 明 2 年 崇 峻 元 年 崇 峻 2 年 崇 峻 3 年 崇 峻 4 年 崇 峻 5 年 推 古 元 年 推 古 2 年 推 古 3 年 推 古 4 年 推 古 5 年 推 古 6 年 推 古 7 年 推 古 8 年 推 古 9 年 推 古 10 年 推 古 11 年 推 古 12 年 推 古 13 年 推 古 14 年 推 古 15 年 推 古 16 年 推 古 17 年 推 古 18 年 推 古 19 年 推 古 20 年 推 古 21 年 推 古 22 年 推 古 23 年 推 古 24 年 推 古 25 年 推 古 26 年 推 古 27 年 推 古 28 年 推 古 29 年 雄 略 10 年 雄 略 11 年 雄 略 12 年 雄 略 13 年 雄 略 14 年 雄 略 15 年 雄 略 16 年 雄 略 17 年 雄 略 18 年 雄 略 19 年 雄 略 20 年 雄 略 21 年 雄 略 22 年 雄 略 23 年 清 寧 元 年 清 寧 2 年 清 寧 3 年 清 寧 4 年 清 寧 5 年 顕 宗 元 年 顕 宗 2 年 顕 宗 3 年 仁 賢 元 年 仁 賢 2 年 仁 賢 3 年 仁 賢 4 年 仁 賢 5 年 仁 賢 6 年 仁 賢 7 年 仁 賢 8 年 仁 賢 9 年 仁 賢 10 年 仁 賢 11 年 武 烈 元 年 武 烈 2 年 武 烈 3 年 用 明 崇 峻 法 興 元 年 法 興 2 年 斎 宮 位 1 年 斎 宮 位 37 年 斎 宮 位 36 年 斎 宮 位 35 年 斎 宮 位 34 年 斎 宮 位 33 年 斎 宮 位 32 年 斎 宮 位 31 年 斎 宮 位 30 年 斎 宮 位 29 年 斎 宮 位 28 年 斎 宮 位 27 年 斎 宮 位 26 年 斎 宮 位 25 年 斎 宮 位 24 年 斎 宮 位 23 年 斎 宮 位 22 年 斎 宮 位 21 年 斎 宮 位 20 年 斎 宮 位 19 年 斎 宮 位 18 年 斎 宮 位 17 年 斎 宮 位 16 年 斎 宮 位 15 年 斎 宮 位 14 年 斎 宮 位 13 年 斎 宮 位 12 年 斎 宮 位 11 年 斎 宮 位 10 年 斎 宮 位 9 年 斎 宮 位 8 年 斎 宮 位 7 年 斎 宮 位 6 年 斎 宮 位 5 年 斎 宮 位 4 年 斎 宮 位 3 年 斎 宮 位 2 年 ) は 、 当 年 称 元 法 に も と づ く 実 際 の 即 位 年

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


ろ 法 隆 寺 金 堂 『 釈 迦 一 一 一 尊 像 光 背 銘 文 』 偽 造 説 4 「 法 興 」 年 号 は 存 在 し て い た の か 法 興 一 一 一 十 一 年 の 問 題 ー ー 『 先 代 旧 事 本 紀 」 の 編 年 か ら 6 法 興 年 間 を 伝 承 す る 『 日 本 書 紀 』 7 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 と 穴 穂 部 間 人 皇 女 推 古 天 皇 の モ デ ル 第 四 章 「 多 利 思 比 孤 」 は 聖 徳 太 子 か ? 問 題 の 所 在 『 隋 書 倭 伝 』 「 天 以 兄 日 以 弟 , と 日 祭 祀 「 太 「 す と 「 多 利 思 比 孤 」 4 長 屋 王 家 木 簡 と 「 利 歌 彌 多 弗 利 」 5 海 外 史 料 の 多 利 思 比 孤 6 用 明 天 皇 の 即 位 7 斎 宮 と 倭 王 ー ー ・ 祭 祀 と 政 治 の 役 割 分 担 は あ っ た の か 8 真 実 の 飛 鳥 時 代 1 ラ 9 116 140 124 136 123 148 106 165

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 と 穴 穂 部 間 人 皇 女 は 同 一 人 物 説 こ こ に 、 『 旧 事 本 紀 』 に 云 う 聖 徳 太 子 に は 酢 香 手 姫 皇 女 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 の 人 物 像 が 重 ね ら れ て い る と い う 仮 説 を 提 起 し た い と 思 い ま す 。 こ の よ う な 仮 説 を 提 起 し う る 理 由 を ま と め ま す と 、 以 下 刻 銘 の よ う に な り ま す 。 背 光 像 尊 表 Ⅲ ー 5 に 示 さ れ る よ う に 、 『 書 紀 』 と 『 旧 事 本 紀 』 の 記 述 の み 、 「 推 古 二 十 九 年 」 は 聖 徳 太 迦 釈 子 の 薨 年 と な っ て い ま す 。 そ の 他 の 史 料 は 、 「 鬼 前 太 后 」 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 の 薨 年 と な っ て い ま す 。 『 書 紀 』 と 『 旧 事 本 紀 』 は 八 世 紀 以 降 の 成 立 で あ り 、 一 方 、 釈 迦 三 尊 像 光 背 銘 は 遅 説 造 く と も 飛 鳥 時 代 末 の 七 寺 1 小 - レ し ′ ィ ー こ ら れ た と 考 え ら れ ま す の で 、 本 来 二 十 九 年 ー は 偽 文 鬼 前 太 后 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 の 薨 年 と 考 え ら れ ま す 。 銘 二 、 『 書 紀 』 に は 、 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 の 薨 年 に つ い て の 記 述 は な い も の の 、 「 推 古 二 十 九 年 、 を 斎 光 宮 酢 香 手 姫 皇 女 が 引 退 も し く は 薨 じ た 年 代 と し て 認 識 で き る よ う に 編 年 し て い ま す 。 す な わ ち 、 味 『 書 紀 』 に お い て 聖 徳 太 子 の 薨 年 と 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 が 引 退 ・ 薨 じ た 年 代 と は 重 な っ て い ま す 。 師 三 、 『 旧 事 本 紀 』 は 、 物 部 氏 系 の 氏 族 に よ っ て 編 纂 も し く は 改 編 さ れ た 史 書 と 考 え ら れ ま す の で 、 章 物 部 氏 族 の 伝 承 を ま と め た 史 書 に ふ さ わ し く 、 三 七 年 間 、 斎 宮 位 に あ っ た 酢 香 手 姫 皇 女 を も っ 第 て 巻 末 の 文 章 と し て い る と 推 察 さ れ ま す 。 ま た 、 物 部 氏 系 ・ 神 道 系 の 『 旧 事 本 紀 』 が 、 仏 教 を 擁 護 し て 、 対 立 し て い た 厩 戸 皇 子 の 薨 去 を も っ て 巻 を 閉 じ て い る 理 由 は 、 厩 戸 皇 子 が 斎 宮 酢 香

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


説 す な わ ち 、 今 日 に お い て も 天 照 大 神 は 伊 勢 神 宮 に お い て 祭 ら れ て い ま す が 、 天 照 大 神 は 倭 姫 命 に 導 か れ て 伊 勢 に 祭 ら れ た と さ れ て い ま す 。 ま た 、 景 行 四 十 年 十 月 条 に も 、 東 夷 が 叛 い た と す る 対 や ま と た け る の み こ と 報 を 受 け て 、 日 本 武 尊 が 東 夷 を 服 さ し め る た め に 再 出 動 を 余 儀 な く さ れ た 際 に 、 伊 勢 神 宮 を 遥 背 く さ な ぎ 像 拝 し て 斎 宮 の 倭 姫 命 よ り 草 薙 の 剣 を 賜 っ た と す る 記 述 が 所 見 さ れ ま す 。 尊 以 上 、 倭 姫 命 に つ き ま し て は 、 神 道 五 部 書 の 一 つ で あ る 『 倭 姫 命 世 記 』 に 詳 し く 記 述 さ れ て お 迦 釈 り ま す よ う に 、 「 倭 姫 命 」 と す る 呼 称 名 は 、 斎 宮 を 代 表 す る 御 名 と し て 捉 え る こ と が で き ま す 。 そ し て 、 「 倭 姫 命 」 と す る 御 名 は 、 七 世 紀 後 半 に お い て 再 び 歴 史 に そ の 名 を 刻 む こ と と な り ま す 。 説 造 こ れ が 第 三 十 八 代 天 智 天 皇 の 皇 后 で あ っ た 倭 姫 命 で す 。 天 智 天 皇 の 皇 后 は 、 斎 宮 で あ っ た 可 能 性 偽 さ く り つ が 極 め て 高 い の で す 。 す な わ ち 、 斎 宮 に 立 て ら れ た の ち に 皇 后 に 冊 立 さ れ る 場 合 が あ っ た 可 能 生 背 を 指 摘 す る こ と が で き ま す 。 光 像 来 師 斎 宮 を 母 と す る 厩 戸 皇 子 ( 聖 徳 太 子 ) 薬 以 上 の 六 点 か ら 、 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 と 穴 穂 部 間 人 皇 女 と を 同 一 人 物 と 見 做 す 想 定 は 、 あ な が ち 否 定 さ れ え な い と 考 え ら れ ま す 。 し た が っ て 、 皇 后 Ⅱ 斎 宮 、 す な わ ち 穴 穂 部 間 人 皇 女 Ⅱ 酢 香 手 姫 皇 女 三 と い う 想 定 が 成 り 立 ち ま す の で 、 厩 戸 皇 子 ( 聖 徳 太 子 ) と は 、 斎 宮 を 母 と す る 皇 子 で あ っ た と 理 解 さ れ る こ と と な る で し よ う 。 そ む

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


書 紀 』 全 三 〇 巻 に お い て 、 「 日 神 」 と い う 用 語 は わ ず か 五 度 し か で て ま い り ま せ ん 。 そ の う ち 三 度 が 酢 香 手 姫 皇 女 に つ い て 記 し た 記 述 内 容 の う ち に 見 え 、 用 明 即 位 前 紀 と 用 明 元 年 条 に 集 中 し て い ま す ( 残 り の 一 つ は 巻 一 神 代 上 の 天 照 大 御 神 の 誕 生 に つ い て 記 し た 段 の 「 本 書 」 、 も う 一 つ は 、 顕 宗 二 年 四 月 条 に で て ま い り ま す ) 。 し た が っ て 、 『 隋 書 倭 伝 』 に 伝 わ る 「 日 」 の 祭 祀 を 担 当 し て い た 「 弟 」 と は 、 酢 香 手 姫 皇 女 の こ と で あ る と 考 え ら れ る の で す 。 換 言 す れ ば 、 仮 に 「 日 」 の 祭 祀 を 担 当 し て い た の が 男 子 の 「 弟 . で あ る の な ら ば 、 『 書 紀 』 に お い て こ の 「 弟 , に 該 当 す る 人 物 を 見 出 す こ と は で き ま せ 『 書 紀 に 記 さ れ る 、 こ の 時 期 の 統 治 の 枠 組 み 推 古 天 と 万 機 摂 政 厩 戸 皇 ( 聖 徳 太 子 ) で ? す の で 、 必 然 的 に 「 兄 、 に 対 し て ( 一 ラ に 位 置 す る の は 、 推 古 天 毖 ・ モ デ ル で あ る 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 子 女 で は な か っ た か 、 と 想 定 さ れ る こ と に な る の で す 。 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 の 執 り 行 な っ た 「 日 神 祀 」 こ そ 、 『 隋 書 倭 伝 』 に お い て 「 弟 」 た る 人 物 が 担 当 し た と 推 察 さ れ る 領 域 で あ り 、 史 実 と し て の 推 古 天 皇 の 時 代 は 、 斎 宮 と 「 倭 王 」 の 二 者 に よ る 統 治 形 態 が 採 ら れ て い た 時 代 と し て 理 解 す る こ と が 比 思 で き る か も し れ ま せ ん 。 多 以 上 の 論 考 を と お し て 、 『 隋 書 倭 伝 』 に 云 う 「 弟 、 と は 、 推 古 天 皇 を モ デ ル と し た 斎 宮 酢 香 手 姫 章 皇 女 で あ る と い う 結 論 を い ち お う 得 ら れ ま し た 。 す な わ ち 、 『 隋 書 倭 伝 』 に は 斎 宮 は き ち ん と で て 四 く る の で す 。 ま た 、 前 章 に お い て 酢 香 手 姫 皇 女 は 穴 穂 部 間 人 皇 女 と 同 一 人 物 で あ る と 述 べ て お り ま す の で 、 お と

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


ま す が 、 こ の よ う に 想 定 さ れ る 理 由 を 以 下 に 順 を 追 っ て 述 べ て ま い り た い と 思 い ま す 。 説 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 の 退 任 と 薨 年 文 ま ず 、 は じ め に 用 明 朝 か ら 推 古 朝 に か け て 皇 大 神 宮 ( 伊 勢 神 宮 ) に 奉 祭 さ れ て い た 酢 香 手 姫 皇 女 背 と い う 斎 宮 の 存 在 に 注 目 し て み た い と 思 い ま す 。 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 は 、 『 書 紀 』 巻 二 十 一 用 明 紀 に 像 お い て 登 場 し て き ま す 。 「 用 明 元 ( 五 八 六 ) 年 . 条 に は 、 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 を め ぐ っ て の 以 下 の 正 迦 釈 文 と 分 注 と が 所 見 さ れ ま す 。 説 以 = 酢 香 手 姫 皇 女 一 拝 = 伊 勢 神 宮 一 奉 = 日 神 祀 「 ( 酢 香 手 姫 皇 女 を 以 っ て 伊 勢 神 宮 を 拝 ま し め 、 日 神 文 の 祀 を 奉 ら せ た ) 〔 正 文 〕 銘 背 光 是 皇 女 自 = 此 天 皇 時 一 逮 = 于 炊 屋 姫 天 皇 之 世 「 奉 = 日 神 祀 「 自 退 = 葛 城 一 而 薨 。 見 = 炊 屋 姫 天 皇 紀 「 来 或 本 云 。 卅 七 年 間 奉 = 日 神 祀 一 自 退 而 薨 。 ( こ の 皇 女 は 、 明 天 皇 時 か 推 古 天 世 ま で 日 神 の 師 祀 を 奉 ら れ た 。 自 ら 葛 城 に 退 い て 薨 じ ら れ た 。 或 本 に 云 う 三 十 七 間 日 神 の 祀 を 奉 り 、 自 ら 退 い て 章 薨 じ ら れ た ) 〔 分 注 〕 第 酢 香 手 姫 皇 女 に 着 目 せ ね ば な ら な い 理 由 は 、 酢 香 手 姫 皇 女 が 斎 宮 で あ っ た 年 数 は 分 注 に 「 卅 七 年 す か て ひ め

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


間 」 と 記 さ れ て お り ま す よ う に 三 七 年 間 と な り 、 用 明 天 皇 の 即 位 に と も な っ て 酢 香 手 姫 皇 女 が 斎 宮 位 に 就 い た の で あ る の な ら ば 、 宮 位 し て の ( 二 一 の 古 一 一 . 仇 年 、 す な わ ち 、 興 三 十 一 と な る か ら で す 。 ゅ ね ん ー 2 に 示 し た よ う に 、 『 書 紀 』 は 、 踰 年 称 元 法 に お い て 編 年 さ れ て 詳 述 し ま す と 、 第 二 章 の 図 Ⅱ い ま す 。 し か し な が ら 、 先 述 し ま し た よ う に 例 外 が あ り 、 用 明 天 皇 も 例 外 の 一 人 で す 。 し た が っ て 、 用 明 天 皇 の 即 位 年 は 用 明 元 年 の 五 八 六 年 で は な く 、 敏 達 天 皇 の 崩 年 と な る 敏 達 十 四 年 の 五 八 五 年 と な り ま す 。 ま た 、 酢 香 手 姫 皇 女 が 斎 宮 位 に 就 い た 年 代 も 一 年 繰 り 上 が り 五 八 五 年 と な り ま す 。 こ の こ と か ら 、 五 八 五 ( 敏 達 十 四 ) 年 を 酢 香 手 姫 皇 女 の 斎 宮 と し て の 初 年 ( 一 年 目 ) と し て 位 置 づ け る こ と が で き ま す 。 す る と 、 三 七 年 目 は 六 二 一 年 と な り 、 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 が 斎 宮 を 退 い た 年 代 は 、 「 推 古 二 十 九 年 ( 法 興 三 十 一 年 ) ー に 位 置 し て く る 結 果 と な る の で す 。 こ の よ う に 、 法 興 三 十 一 年 が 、 酢 香 手 姫 皇 女 の 薨 年 、 も し く は 、 斎 宮 位 を 退 い た 年 代 と 一 致 す る こ と を 踏 ま え て 、 次 に 、 推 古 二 十 九 年 条 が 『 旧 事 本 紀 』 に お い て 末 年 と な っ て い る 理 由 を 推 論 し た い と 思 い ま す 。 表 Ⅲ ー 5 は 、 『 日 本 書 紀 』 『 釈 迦 三 尊 像 光 背 銘 文 』 『 先 代 旧 事 本 紀 』 、 お よ び 法 隆 寺 系 史 料 と 呼 称 さ れ る 法 隆 寺 伝 来 の 『 天 寿 国 曼 荼 羅 繍 帳 』 『 上 宮 聖 徳 法 王 帝 説 』 『 法 起 寺 塔 露 盤 銘 』 『 上 宮 聖 徳 太 子 伝 補 闕 記 』 な ど の 諸 史 料 に お い て 「 推 古 二 十 九 年 , が ど の よ う な 年 代 と し て 扱 わ れ て い る の か を 、 ま と め た 表 で す 。 び だ っ 102

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


表 Ⅲ ー 4 「 法 興 」 年 号 と 西 暦 及 び 書 紀 編 年 と の 関 係 法 興 年 号 西 暦 干 支 書 紀 の 編 年 (B 列 ) 雄 略 15 年 法 興 元 年 591 年 辛 亥 崇 峻 4 年 法 興 2 年 雄 略 16 年 592 年 崇 峻 5 年 壬 子 雄 略 17 年 法 興 3 年 593 年 推 古 元 年 癸 丑 法 興 4 年 雄 略 18 年 594 年 推 古 2 年 甲 寅 法 興 5 年 雄 略 19 年 推 古 3 年 595 年 乙 卯 法 興 6 年 雄 略 20 年 596 年 推 古 4 年 丙 辰 法 興 7 年 雄 略 21 年 推 古 5 年 597 年 丁 巳 法 興 8 年 雄 略 22 年 推 古 6 年 戊 午 598 年 法 興 9 年 雄 略 23 年 推 古 7 年 599 年 己 未 法 興 10 年 清 寧 元 年 推 古 8 年 庚 申 600 年 法 興 11 年 清 寧 2 年 推 古 9 年 601 年 辛 酉 法 興 12 年 清 寧 3 年 推 古 10 年 602 年 壬 戌 法 興 13 年 清 寧 4 年 推 古 11 年 603 年 癸 亥 法 興 14 年 清 寧 5 年 推 古 12 年 604 年 甲 子 法 興 15 年 顕 宗 元 年 推 古 13 年 605 年 乙 丑 法 興 16 年 顕 宗 2 年 推 古 14 年 606 年 内 寅 法 興 17 年 顕 宗 3 年 推 古 15 年 607 年 丁 卯 法 興 18 年 仁 賢 元 年 推 古 16 年 608 年 戊 辰 法 興 19 年 推 古 17 年 仁 賢 2 年 609 年 己 巳 法 興 20 年 推 古 18 年 仁 賢 3 年 610 年 庚 午 法 興 21 年 仁 賢 4 年 推 古 19 年 611 年 辛 未 法 興 22 年 仁 賢 5 年 推 古 20 年 612 年 壬 申 法 興 23 年 仁 賢 6 年 推 古 21 年 613 年 癸 酉 法 興 24 年 仁 賢 7 年 推 古 22 年 614 年 甲 戌 法 興 25 年 仁 賢 8 年 推 古 23 年 615 年 乙 亥 法 興 26 年 推 古 24 年 仁 賢 9 年 616 年 丙 子 法 興 27 年 仁 賢 10 年 617 年 推 古 25 年 丁 丑 法 興 28 年 仁 賢 11 年 戊 寅 推 古 26 年 618 年 法 興 29 年 武 烈 元 年 619 年 推 古 27 年 己 卯 法 興 30 年 推 古 28 年 武 烈 2 年 620 年 庚 辰 法 興 31 年 武 烈 3 年 621 年 辛 巳 推 古 29 年 壬 午 推 古 30 年 武 烈 4 年 622 年 癸 未 推 古 31 年 武 烈 5 年 623 年 甲 申 武 烈 6 年 624 年 推 古 32 年 乙 酉 推 古 33 年 武 烈 7 年 625 年 丙 戌 推 古 34 年 武 烈 8 年 626 年 丁 亥 継 体 元 年 推 古 35 年 627 年 継 体 2 年 戊 子 推 古 36 年 628 年

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


姫 皇 女 の た め の 年 号 で あ っ た の な ら ば 、 法 興 元 年 も ま た 、 酢 香 手 姫 皇 女 と 関 連 し て い な け れ ば な ら 造 な い こ と と な る の で す 。 し か し な が ら 、 法 興 元 年 は 、 酢 香 手 姫 皇 女 が 斎 宮 位 を 継 承 し た 「 敏 達 十 四 年 ー の 五 八 五 年 で は な く 、 「 崇 峻 四 年 」 の 五 九 一 年 に 相 当 し ま す 。 そ こ で 、 法 興 元 年 に 相 当 す る 「 崇 峻 四 年 ー 条 を 見 て み ま す と 、 『 書 紀 』 の 「 崇 峻 四 年 」 条 は 、 以 背 下 の 文 章 に よ っ て 構 成 さ れ て い ま す 。 四 年 夏 四 月 壬 子 朔 甲 子 。 葬 = 訳 語 田 天 皇 於 磯 長 陵 「 是 其 妣 皇 后 所 」 葬 之 陵 也 。 〇 秋 八 月 庚 戌 朔 。 天 皇 詔 一 群 臣 一 日 。 朕 思 = 欲 建 = 任 那 「 卿 等 何 如 。 羣 臣 奏 言 。 可 」 建 = 任 那 官 家 「 皆 同 = 陛 下 所 。 詔 。 説 造 〇 冬 十 一 月 己 卯 朔 壬 午 。 差 = 紀 男 麻 呂 宿 禰 。 許 勢 臣 比 良 夫 。 狭 臣 。 大 伴 囓 連 。 葛 城 烏 奈 良 臣 「 偽 為 = 大 将 軍 一 率 = 氏 氏 臣 連 一 為 = 裨 将 部 隊 「 領 = 二 万 余 軍 → 出 居 = 筑 紫 「 遣 = 吉 士 金 於 新 羅 「 遣 = 吉 士 お さ だ 木 蓮 子 於 任 那 → 問 = 任 那 事 → ( 訳 語 田 天 皇 を 磯 長 陵 に 葬 っ た 。 こ れ は 母 の 皇 后 が 葬 ら れ た 陵 で あ る 光 〔 以 下 略 〕 ) 崇 峻 四 年 条 は 、 敏 達 ( 訳 語 田 ) 天 皇 を 母 后 ( 石 姫 皇 后 ) の 磯 長 陵 に 改 葬 し た と す る 記 述 と 任 那 問 し な が 題 を 記 す 記 述 の 二 つ の 内 容 に よ っ て 構 成 さ れ て い ま す 。 傍 線 に 示 さ れ る よ う に 、 磯 長 陵 と 見 え 三 る こ と は 、 法 興 元 年 の 問 題 と の 関 連 に お い て 意 味 を も っ て き ま す 。 『 書 紀 』 の 扱 う 歴 代 天 皇 四 〇 代 の う ち 、 墓 所 を め ぐ っ て 改 葬 さ れ た と い う 事 例 は 、 敏 達 天 皇 と 用

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


。 ( 『 神 縁 年 録 』 ) 依 別 王 命 一 有 二 神 勅 一 於 ニ 同 郡 建 部 郷 一 或 一 作 = 武 部 一 創 = 建 宮 殿 一 斎 二 祭 之 一 辱 茂 人 皇 六 代 孝 安 天 皇 三 四 年 壬 戌 、 於 = 当 国 神 崎 郡 千 草 嶽 一 天 降 之 神 也 、 其 後 景 行 天 皇 四 十 六 年 丙 辰 年 四 月 庚 午 日 、 以 = 建 部 稲 依 別 王 命 一 於 = 同 郡 建 部 郷 一 創 = 建 宮 殿 一 依 而 ロ 神 又 建 部 。 ( 『 弓 座 記 録 』 ) 大 明 神 ト 奉 レ 号 也 、 『 神 縁 年 録 』 と 『 弓 座 記 録 』 は 、 日 本 武 尊 が 建 部 神 社 に 祭 ら れ る よ う に な っ た 縁 起 を 記 し て い る わ け で す が 、 傍 線 が 示 し ま す よ う に 、 日 本 武 尊 は 、 孝 安 三 十 四 年 に 降 臨 し た こ と に な っ て い ま す 。 書 紀 編 年 に お き ま し て 、 孝 安 三 十 四 年 は 紀 元 前 三 五 九 年 で す の で 、 日 本 武 尊 は 、 紀 元 前 三 五 九 年 か ら 景 行 年 間 の 一 世 紀 後 半 よ り 二 世 紀 前 半 ま で の 五 〇 〇 年 あ ま り を 生 き 続 け た こ と に な っ て し ま い ま す 。 実 際 に は 、 こ の よ う な 著 し い 長 寿 は あ り え ま せ ん の で 、 孝 安 天 皇 と 日 本 武 尊 と が 、 な ん ら か の 特 別 な 理 由 ( た と え ば 、 同 一 人 物 、 も し く は 親 子 ) に よ っ て 、 極 め て 密 接 な 関 連 に あ る こ と を 示 そ う と し た と 考 え ら れ ま す 。 す な わ ち 、 「 多 利 思 比 孤 」 と い う 訓 を そ の ま ま に 和 風 謚 号 に 含 む 孝 安 天 皇 、 景 行 天 皇 、 成 務 天 皇 の 三 帝 は 、 『 記 』 に 云 う 三 人 の 太 子 で あ る 日 本 武 尊 、 五 百 城 入 彦 皇 子 、 成 務 天 皇 と そ れ ぞ れ 相 関 関 係 が 設 定 さ れ る 結 果 と な る の で す 。 ( 「 タ リ シ ヒ コ 」 を 和 風 謚 号 の 訓 に 含 む 三 帝 ) 孝 安 天 皇 ( 『 古 事 記 』 の 三 太 子 ) ( 大 ・ 中 ・ 少 の 三 帝 ) Ⅱ 仲 哀 天 皇 ( 中 ) 日 本 武 尊 ( 太 子 ) 146