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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集

現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集から 468件ヒットしました。

現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集


現 代 日 本 の 文 学 北 原 白 秋 斎 藤 茂 吉 集 釈 迢 空 川 井 伊 監 北 尾 奥 足 編 島 端 上 藤 修 崎 野 立 集 由 + 杜 秀 健 巻 委 紀 康 五 一 9 大 成 靖 整 順 大 樹 男 学 習 研 究 社

現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集


現 代 日 本 の 文 学 Ⅱ ー 3 全 10 巻 集 秋 吉 空 白 茂 迢 原 藤 北 斎 釈 昭 和 51 年 1 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 3 月 10 日 6 版 発 行 北 原 白 秋 著 者 斎 藤 茂 釈 迢 空 発 行 者 古 岡 滉 発 行 所 査 学 習 研 究 社 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 郵 便 番 号 145 振 替 東 京 8 ー 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 株 式 会 社 恒 陽 社 印 刷 所 株 式 会 社 美 術 版 画 社 信 毎 書 籍 印 刷 株 式 会 社 製 本 加 藤 製 本 株 式 会 社 本 文 用 紙 三 菱 製 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ り ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 720 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 ◎ 1976 Ryutaro Kitahara,Teruko Saito, Yutaka 本 書 内 容 の 無 Printed in Japan Orikuchi 断 複 写 を 禁 ず 164 673 ー 1002 ISBN4 ー 05 ー 050627 ー 0

現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集


彙 病 院 勤 務 当 時 の 茂 吉 処 女 歌 集 『 赤 光 』 。 大 正 ( 明 治 44 年 → 大 正 6 年 ) 2 年 10 月 東 雲 堂 書 店 刊 長 か 左 山 奇 ら 医 土 大 専 橋 正 教 青 九 授 村 年 時 、 七 代 島 月 の 木 茂 赤 長 吉 彦 崎 病 妻 臥 輝 中 子 、 右 物 吉 藤 査 ・ 物 を ・ 第 第 ま 紀 ー が 明 治 36 年 に 創 設 し た 青 山 脳 病 院 。 大 正 13 年 , 失 火 で 焼 失 第 大 正 10 年 10 月 , 文 部 省 在 外 研 究 員 と し て ド イ ツ に 留 学 。 写 真 は そ の 送 別 歌 会 。 前 列 左 よ り 森 田 恒 友 , 茂 吉 , 安 倍 能 成 , 今 井 大 正 13 年 , 帰 国 の 途 次 邦 子 , 中 村 憲 吉 , 折 ロ 信 夫 , 後 列 左 三 人 目 よ り 小 宮 豊 隆 , 平 福 ふ も と 百 穂 , 杉 浦 翠 子 , 岩 波 茂 雄 , 岡 麓 , 島 木 赤 彦 , 小 泉 千 樫 ロ ン ド ン で 。 左 妻 輝 子 ち か し

現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集


た ん ど く プ ラ ン ス 近 代 文 学 の 翻 訳 等 を ひ そ か に 耽 読 、 『 仏 蘭 西 革 命 物 語 』 に 感 激 す る 。 十 二 歳 明 治 三 十 年 ( 一 八 九 七 ) 四 年 制 の 高 等 小 学 校 を 一 一 年 で 修 了 し 、 四 月 、 県 立 中 学 伝 習 館 に 入 学 。 十 四 歳 明 治 三 十 ニ 年 ( 一 八 九 九 ) 三 月 、 席 次 二 番 で あ り な が ら 、 幾 何 一 科 の た め 落 第 。 新 し い 級 友 一 同 の 同 情 を 受 け 、 級 長 に 推 さ れ る 。 発 憤 し 、 文 学 に 志 を 立 て る 。 明 治 十 八 年 ( 一 八 八 五 ) 十 五 歳 明 治 三 十 三 年 ( 一 九 〇 〇 ) や ま と お き の は た し げ き 一 月 二 十 五 日 ( 戸 籍 上 は 一 一 月 一 一 十 五 日 ) 、 福 岡 県 山 門 郡 沖 端 村 ( 現 雑 誌 「 文 庫 」 を 知 り 、 一 「 三 の 新 派 和 歌 集 に 刺 戟 さ れ 、 作 歌 を 始 め 、 ゃ な が わ り ゅ う き ち ち ょ , た ろ う 在 ・ 柳 川 市 沖 端 町 ) に 出 生 。 本 名 隆 吉 。 父 長 太 郎 、 母 シ ケ 。 父 の 先 「 福 岡 日 日 新 聞 」 歌 壇 に 投 書 す る 。 冬 、 詩 歌 雜 誌 「 明 星 」 を 知 る 。 よ う せ つ 妻 の 子 豊 太 郎 は 生 後 間 も な く 夭 折 し て い た か ら 、 隆 吉 は 事 実 上 の 長 明 治 三 十 四 年 ( 一 九 〇 一 ) 十 六 歳 男 と し て 育 て ら れ た 。 一 一 歳 上 に 異 母 姉 加 代 。 北 原 家 は 代 々 柳 河 藩 御 三 月 、 沖 端 の 大 火 に 類 焼 、 酒 倉 と 酒 六 千 余 石 を 焼 き 尽 く し 、 家 産 傾 ふ つ ど い 用 達 と し て 、 油 屋 ・ 古 問 屋 の 屋 号 で 九 州 に 知 ら れ た 海 産 物 問 屋 で あ く 。 五 月 、 妹 チ カ 死 去 、 享 年 十 一 一 歳 。 絵 文 字 を 独 創 す る 。 冬 、 友 人 く し か ざ え も ん っ た 。 父 は 祖 父 嘉 左 衛 門 の は じ め た 酒 造 を 本 業 と し た 。 母 は 熊 本 県 と 回 覧 誌 「 蓬 文 」 を 作 り 、 籖 で 引 き 当 て 、 白 秋 の 雅 号 を 定 め る 。 せ き は か め な ん か ん な り た か 明 治 三 十 五 年 ( 一 九 〇 一 l) 十 七 歳 玉 名 郡 関 外 目 村 ( 現 在 ・ 南 関 町 外 目 ) の 郷 士 石 井 業 隆 の 次 女 。 よ っ と り も と は る 明 治 ニ 十 年 ( 一 八 八 七 ) 一 一 歳 十 月 、 「 文 庫 」 に 投 じ た 短 歌 一 首 が 掲 載 さ れ 、 選 者 服 部 駘 に 知 ら 夏 、 チ フ ス に 肥 り 、 乳 母 シ カ が 伝 染 し て 死 ぬ 。 九 月 、 弟 鉄 雄 出 生 。 れ て 、 以 後 、 同 歌 壇 の 第 一 線 に 立 つ 。 父 よ り 文 学 書 の 閲 読 を 禁 止 さ ト 5 ・ 」 よ 5 ・ 明 治 ニ 十 四 年 ( 一 八 九 一 ) 六 歳 れ 、 書 物 を 砂 場 に 埋 め て 、 ひ そ か に 読 む 。 父 の 圧 迫 に 対 し 佯 狂 し 、 あ そ さ ん ろ く と ち の き や ど み じ ゅ く 神 経 衰 弱 と な り 、 休 学 し て 、 冬 を 阿 蘇 山 麓 の 栃 木 温 泉 で す ご す 。 四 月 、 矢 留 尋 常 小 学 校 に 入 学 。 姉 と 青 木 の ぶ の 書 道 塾 に 通 う 。 明 治 三 十 六 年 ( 一 九 〇 三 ) 十 八 歳 明 治 ニ 十 五 年 ( 一 八 九 一 l) 七 歳 け ん こ う こ よ り 学 『 竹 取 物 語 』 『 平 家 物 語 』 を 読 み 始 め る 。 夏 、 町 内 の 子 供 数 十 人 を 中 学 五 年 に 復 学 し 、 校 内 新 聞 「 硯 香 」 を 発 行 、 批 判 的 論 説 。 と き わ 指 揮 し 、 小 舟 数 艘 で 水 路 か ら 旧 藩 主 や 侍 様 に 投 石 、 石 合 戦 を む 。 校 当 局 の 忌 に 触 れ る 。 六 月 、 文 学 同 好 会 を 結 成 し 、 回 覧 誌 「 常 盤 八 歳 木 」 を 作 る 。 十 二 月 、 「 文 庫 」 歌 壇 に あ き た ら ず 、 同 詩 壇 に 移 る 。 譜 明 治 ニ 十 六 年 ( 一 八 九 一 一 l) 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) 十 九 歳 五 月 、 妹 家 子 出 生 。 雑 誌 「 小 国 民 」 「 少 年 世 界 」 「 太 陽 」 を 読 む 。 年 明 治 ニ 十 八 年 ( 一 八 九 五 ) 十 歳 日 露 開 戦 後 の 三 月 、 親 友 中 島 鎮 夫 自 殺 し 、 傷 心 す る 。 四 月 、 長 篇 詩 「 林 下 の 黙 想 」 に 対 し 、 選 者 河 井 酔 茗 か ら 「 文 庫 」 詩 壇 全 面 を 提 供 尋 常 小 学 を 首 席 で 卒 業 、 四 月 、 柳 河 高 等 小 学 校 入 学 。 木 下 塾 に 通 う 。 明 治 ニ 十 九 年 ( 一 八 九 六 ) 十 一 歳 さ れ る 。 中 学 を 卒 業 間 際 に 退 学 し て 上 京 、 早 稲 田 大 学 英 文 科 予 科 に ぼ く す い と き 娶 ん ま ろ 一 月 、 弟 義 雄 出 生 。 夏 休 み に 母 の 実 家 の 三 階 で 、 日 本 の 古 典 や 西 洋 入 学 。 同 級 に 若 山 牧 水 、 土 岐 善 麿 、 安 成 貞 雄 、 佐 藤 緑 葉 。 牧 水 と 牛 北 原 白 秋 年 譜 ほ う ぶ ん

現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集


ま ん ご 十 二 月 、 東 帝 国 大 学 医 科 大 学 を 卒 業 。 漫 語 』 を 刊 行 。 十 一 月 、 妻 、 長 男 を 伴 い 、 長 崎 に 来 り 住 む 。 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 l) 一 一 十 九 歳 大 正 九 年 ( 一 九 一 一 〇 ) 三 十 入 歳 す が も 一 一 月 、 東 大 副 手 と な る 。 付 属 病 院 ( 東 只 府 巣 鴨 病 院 ) に 勤 務 し な が 一 月 、 流 行 性 感 冒 に か か る 。 六 月 、 喀 血 し て 入 院 。 七 月 以 後 各 地 に ら 精 神 病 学 を 専 攻 。 一 月 以 後 「 ア ラ ラ ギ 」 の 編 集 を 担 当 、 阿 部 次 郎 転 地 療 養 に つ と め た 。 十 一 月 、 勤 務 に 復 す 。 四 月 以 後 「 ア ラ ラ ギ 」 ・ 木 下 杢 太 郎 ら の 寄 稿 を 求 め 誌 面 の 刷 新 を は か っ た 。 に 「 短 歌 に 於 け る 写 生 の 説 」 を 連 載 。 明 治 四 十 五 年 ・ 大 正 元 年 ( 一 九 一 ll) 三 十 歳 大 正 十 年 ( 一 九 一 一 l) 三 十 九 歳 こ い す み ち か し か き の む ら び と あ か ひ こ 十 一 月 、 東 大 助 手 と な る 。 古 泉 千 樫 ・ 柿 乃 村 人 ( 島 木 赤 彦 ) ・ 中 村 一 月 、 歌 集 『 あ ら た ま 』 を 刊 行 。 三 月 、 長 崎 を 去 り 、 十 月 一 一 十 入 日 、 け ん き ち 憲 吉 ら と と も に 新 歌 風 の 模 索 に つ と め 、 左 千 夫 と 対 立 す る に 至 っ た 。 文 部 省 在 外 研 究 員 と し て 海 路 渡 欧 ( 十 一 一 月 一 一 十 日 、 ベ ル リ ン 着 ) 。 大 正 十 一 年 ( 一 九 一 一 一 l) 大 正 ニ 年 ( 一 九 一 lll) 三 十 一 歳 四 十 歳 き ゅ , せ い 一 月 、 ウ ィ 1 ン の 神 経 学 研 究 所 に 入 り 、 マ 1 ル プ ル ク の 指 導 を 仰 ぐ 。 五 月 一 一 十 三 日 、 郷 里 で 母 が 没 し た 。 七 月 、 伊 滕 左 千 夫 急 逝 。 九 月 、 四 十 一 歳 「 ア ラ ラ ギ 」 に 「 死 に た ま ふ 母 」 五 十 九 首 を 発 表 。 十 月 に 第 一 歌 集 大 正 十 一 一 年 ( 一 九 lllll) ー や く こ う ま ひ せ い ち ほ , し ゃ 『 赤 光 』 を 刊 行 し た 。 四 月 、 論 文 「 麻 痺 性 痴 呆 者 の 脳 カ ル テ 」 、 翌 月 「 重 量 感 覚 知 見 補 遺 」 大 正 三 年 ( 一 九 一 四 ) 三 十 二 歳 を 完 成 。 六 月 、 イ タ リ ア 旅 行 。 七 月 、 ミ = ン 〈 ン に 移 り シ = ピ 1 ル 四 月 、 斎 藤 紀 一 次 女 て る 子 ( 輝 子 ) と 結 婚 。 島 木 赤 彦 が 上 京 し た 。 マ イ ヤ 1 の 教 室 に 入 る 。 同 月 一 一 十 七 日 、 実 父 守 谷 伝 右 衛 門 死 去 。 九 大 正 四 年 ( 一 九 一 五 ) 三 十 三 歳 月 、 関 東 大 震 災 お こ り 家 族 ら の 無 事 を 知 る ま で 不 安 な 日 々 を 送 る 。 二 月 、 長 塚 節 没 。 「 ア ラ ラ ギ 」 編 集 発 行 人 は 赤 彦 と な る 。 三 、 四 月 大 正 十 三 年 ( 一 九 一 一 四 ) 四 十 二 歳 と つ づ い て 「 赤 光 批 評 号 」 を 発 行 。 十 一 月 、 郷 里 の 祖 母 ひ で が 没 し た 。 四 月 、 ド ナ ウ 源 流 へ の 旅 を 行 う 。 五 月 、 動 物 実 験 の 結 果 を ま と め る 。 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) 三 十 四 歳 七 月 、 ミ ュ ン ヘ ン を 去 り 、 パ リ で 妻 と 会 し た 。 以 後 夫 妻 で ヨ 1 ロ ッ し げ た し し よ う 三 月 、 長 男 茂 太 が 生 ま れ る 。 四 月 、 『 短 歌 私 鈔 』 を 刊 行 。 パ 各 地 を 歴 訪 。 十 二 月 三 十 日 、 東 支 那 海 航 行 中 の 船 上 で 自 宅 青 山 脳 大 正 六 年 ( 一 九 一 七 ) 三 十 五 歳 病 院 の 失 火 に よ る 全 焼 を 知 っ た 。 一 月 、 東 大 助 手 及 び 付 属 病 院 勤 務 を 退 く 。 四 月 、 『 続 短 歌 私 鈔 』 刊 。 大 正 十 四 年 ( 一 九 二 五 ) 四 十 三 歳 十 二 月 、 長 崎 医 学 専 門 学 校 教 授 と な り 赴 任 。 こ の 年 養 父 紀 一 が 衆 議 一 月 七 日 、 焼 跡 の 病 院 に 帰 る 。 二 月 、 長 女 百 子 出 生 。 四 月 、 自 選 歌 ほ た る ひ え い ざ ん 院 議 員 と な っ た 。 集 『 朝 の 螢 』 を 刊 行 。 七 月 、 比 叡 山 の ア ラ ラ ギ 安 居 会 に 出 席 し 、 つ 大 正 七 年 ( 一 九 一 八 ) 三 十 六 歳 い で 大 和 ・ 紀 伊 方 面 に 旅 し た 。 一 月 、 長 崎 市 金 屋 町 一 一 一 に 住 み 、 四 月 に 東 中 町 五 四 に 転 居 。 大 正 十 五 年 ・ 昭 和 元 年 ( 一 九 一 一 六 ) 四 十 四 歳 大 正 八 年 ( 一 九 一 九 ) 三 十 七 三 月 、 島 木 赤 彦 が 没 し た 。 四 月 、 府 下 松 原 村 ( 現 ・ 世 田 谷 区 松 原 ) あ く た が わ り ゅ う の す 強 ~ 、 ち か ん 五 月 、 長 崎 来 遊 の 芥 川 龍 之 介 菊 池 寛 に 会 う 。 八 月 、 歌 論 集 『 童 に 病 院 ( 本 院 ) の 再 建 が 成 っ た 。 前 年 か ら 諸 雜 誌 等 に さ か ん に 随 筆 あ ん ご

現代日本の文学 Ⅱ― 3 北原 白秋 斎藤 茂吉 釈 迢空 集


葩 日 = ニ ロ な る 。 中 学 時 代 、 若 干 の 歌 を 作 り 、 ま た 歌 書 を 読 む こ と が あ っ た 。 明 治 三 十 五 年 ( 一 九 〇 一 l) 二 十 歳 ま さ お ホ し き 九 月 、 第 一 高 等 学 校 第 三 部 に 入 学 。 同 月 、 正 岡 子 規 が 没 し た 。 明 治 = 一 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) 二 十 二 歳 三 月 、 一 高 の 寄 宿 寮 を 出 、 神 田 和 泉 町 一 の 帝 国 脳 病 院 ( 紀 一 経 営 ) に し ば ら く 起 居 。 こ の 年 日 露 戦 争 が お こ り 、 兄 二 人 も 従 軍 し た 。 明 治 十 五 年 ( 一 八 八 一 l) 明 治 三 十 八 年 ( 一 九 〇 五 ) 一 一 十 三 歳 も り や か な か め か み の や ま 五 月 十 四 日 、 山 形 県 南 村 山 郡 金 瓶 村 七 三 ( 現 ・ 上 山 市 ) の 農 業 守 谷 前 年 末 か ら 一 月 は じ め に か け て の 頃 、 子 規 の 『 竹 の 里 歌 』 を 読 み 、 家 に 生 ま れ る 。 父 熊 次 郎 ( 後 襲 名 し て 伝 右 衛 門 ) 、 母 い く の 三 男 。 本 格 的 に 歌 を 作 り 始 め る 。 一 一 月 か ら 六 月 ま で 「 読 売 新 聞 」 に 投 稿 歌 長 兄 広 吉 、 次 兄 富 太 郎 の 他 、 後 に 弟 直 吉 ( 高 橋 四 郎 兵 衛 ) 、 妹 な を 十 七 首 が 入 七 月 、 斎 藤 家 に 入 籍 。 同 月 、 一 高 を 卒 業 し 、 九 月 に が 出 生 。 東 帝 国 大 学 医 科 大 学 ( 現 ・ 医 学 部 ) に 進 ん だ 。 明 治 ニ 十 一 年 ( 一 八 八 八 ) 六 歳 明 治 三 十 九 年 ( 一 九 〇 六 ) 一 一 十 四 歳 さ ち お 四 月 、 隣 家 の 菩 撼 寺 ( 宝 泉 寺 ) に 設 け ら れ て い た 金 瓶 小 学 校 に 入 学 。 二 月 、 伊 藤 左 千 夫 に よ っ て 「 馬 酔 木 」 ( 子 規 派 の 短 歌 雑 誌 ) に は じ な が つ た か し は ん ご , め て 歌 が 載 っ た 。 翌 月 左 千 夫 を 自 宅 に 訪 ね て 入 門 。 長 塚 節 を は じ め 翌 々 年 に は 隣 村 の 半 郷 小 学 校 に 移 っ た ( 学 校 合 併 の た め ) 。 根 岸 短 歌 会 の 歌 人 を 識 る 。 明 治 ニ 十 四 年 ( 一 八 九 一 ) 九 歳 さ わ ら り ゅ う お ) 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 一 一 十 五 歳 こ の 頃 宝 泉 寺 の 住 職 佐 原 窿 応 に 習 字 を な ら い 、 後 々 ま で そ の 人 格 か 九 月 、 赤 坂 区 青 山 南 町 五 ノ 八 一 、 青 山 脳 病 院 ( 紀 一 経 営 ) に 移 る 。 ら 大 き な 感 化 を 受 け た 。 明 治 四 十 一 年 ( 一 九 〇 八 ) 一 一 十 六 歳 明 治 ニ 十 五 年 ( 一 八 九 一 l) 十 歳 こ , し は ん ご う 四 月 、 半 郷 小 学 校 高 等 科 に 進 み 、 九 月 か ら 新 築 な っ た 上 山 尋 常 小 学 一 月 、 「 馬 酔 木 」 終 刊 、 翌 月 こ れ を 継 承 し て 三 井 甲 之 編 集 の 「 ア カ 校 高 等 科 に 転 校 。 ネ 」 、 十 月 に は 左 千 夫 を 中 心 に 「 阿 羅 々 木 ( ア ラ ラ ギ ) 」 が 創 刊 と な 明 治 ニ 十 九 年 ( 一 八 九 六 ) 十 四 歳 る 。 左 千 夫 の 動 向 に 従 い 、 「 ア カ ネ 」 を へ て 「 ア ラ ラ ギ 」 に 参 加 し 四 月 、 上 山 小 学 校 高 等 科 を 卒 業 。 八 月 、 父 に 連 れ ら れ て 上 京 、 親 戚 た 。 ぎ ぐ う み す じ ま ち 一 一 十 七 歳 の 医 師 斎 藤 。 「 の 業 す る 浅 草 区 東 = 一 筋 町 五 四 の 浅 草 医 院 に 寄 寓 す 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) お 5 ・ 物 ~ し よ さ り ひ ろ し る 。 翌 月 、 東 泉 府 既 尋 常 中 学 校 ( 現 ・ 私 立 開 成 高 校 ) に 編 入 学 。 一 月 、 森 鷦 外 宅 の 観 潮 楼 歌 会 に は じ め て 出 席 、 与 謝 野 霓 ・ 木 下 ろ , こ , だ ろ は ん 年 ま も な く 幸 田 露 伴 の 文 章 に 心 酔 す る よ う に な っ た 。 郎 ・ 北 原 白 秋 ・ 吉 井 勇 ら を 識 る 。 夏 、 熱 を 病 ん だ が 、 十 一 月 チ フ ス 十 九 歳 で 日 赤 病 院 に 入 院 。 卒 業 を 一 年 延 期 し た 。 岨 明 治 三 十 四 年 ( 一 九 〇 一 ) 三 月 、 開 成 中 学 を 卒 業 、 七 月 、 第 一 高 等 学 校 を 受 験 し た が 不 合 格 と 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 一 一 十 八 歳 斎 藤 茂 吉 年 譜

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並 日 一 11 一 口 か っ し か ま ま 五 月 、 江 口 章 子 と 結 婚 、 千 葉 県 東 葛 飾 郡 真 間 の 日 蓮 宗 亀 井 院 に 寄 寓 一 月 、 斎 藤 茂 吉 と の 互 選 歌 集 を 刊 行 。 三 月 、 長 男 隆 太 郎 出 生 。 四 月 、 さ ん や し え ん す る 。 七 月 、 南 葛 飾 郡 小 岩 村 三 谷 に 移 り 、 「 紫 烟 草 舎 」 を 創 立 。 同 民 謡 集 『 日 本 の 笛 』 、 六 月 、 童 謡 集 『 祭 の 笛 』 、 八 月 、 長 歌 集 『 観 相 月 、 詩 集 『 雪 と 花 火 』 、 十 月 、 散 文 集 『 白 秋 小 品 』 を 刊 行 。 十 一 月 、 の 秋 』 、 十 月 、 童 謡 の お 話 『 羊 と む じ な 』 を 刊 行 。 九 月 、 山 田 耕 筰 す す め と 「 詩 と 音 楽 」 を 創 刊 、 通 巻 十 三 冊 、 民 衆 詩 派 と の 論 争 も 展 開 。 「 鱇 草 の 花 」 創 刊 、 通 巻 一 一 冊 。 雀 と 哀 歓 す る 清 貧 の 生 活 が つ づ く 。 三 十 八 歳 大 正 十 ニ 年 ( 一 九 二 三 ) 三 十 一 一 歳 大 正 六 年 ( 一 九 一 七 ) し よ し 六 月 、 上 京 、 動 坂 に 住 み 、 窮 乏 を 極 め る 。 七 月 、 弟 鉄 雄 、 出 版 書 肆 六 月 、 詩 集 『 水 墨 集 』 を 刊 行 。 こ の 年 、 信 州 大 屋 の 農 民 美 術 研 究 所 ア ル ス を 創 立 。 九 月 、 紫 烟 草 舎 を 解 散 。 門 下 を 解 放 、 詩 誌 「 詩 篇 」 開 所 式 後 、 妻 子 と 別 所 温 泉 、 碓 加 嶺 に 遊 び 、 前 田 夕 暮 ら の 知 友 と 三 ま ん だ ら み た け い ん ば ぬ ま と 歌 誌 「 曼 陀 羅 」 を 発 行 さ せ 、 顧 問 と な る 。 妹 家 子 、 山 本 鼎 と 結 婚 。 浦 三 崎 、 武 州 御 嶽 、 印 旛 沼 、 塩 原 に 旅 し 、 ロ 語 歌 も 試 作 。 七 月 、 童 大 正 七 年 ( 一 九 一 八 ) 三 十 三 歳 謡 集 『 花 咲 爺 さ ん 』 を 刊 行 。 九 月 、 震 災 で 山 荘 半 壊 、 竹 林 に 幽 居 。 よ な ( た 三 十 九 歳 二 月 、 小 田 原 十 字 お 花 燗 に 転 居 。 七 月 、 鈴 木 三 重 吉 の 「 赤 い 鳥 」 創 大 正 十 三 年 ( 一 九 二 四 ) ち ょ う ′ 、 , よ し う え し よ う り よ う 刊 に 協 力 、 童 謡 面 を 担 当 し 、 新 童 謡 運 動 を 起 こ す 。 秋 、 小 田 原 天 神 四 月 、 千 樫 、 夕 暮 、 善 麿 、 迢 空 、 吉 植 庄 亮 ら と 歌 誌 「 日 光 」 創 刊 。 で ん じ よ , し 山 の 浄 土 宗 樹 高 山 伝 肇 寺 に 寄 寓 。 「 雀 の 生 活 」 を 「 大 観 」 に 連 載 。 五 月 、 歌 謡 集 『 あ し の 葉 』 、 十 一 一 月 『 お 話 ・ 日 本 の 童 謡 』 を 刊 行 。 三 十 四 歳 大 正 八 年 ( 一 九 一 九 ) 四 十 歳 大 正 十 四 年 ( 一 九 二 五 ) ま ど 三 月 、 小 説 「 葛 飾 文 章 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 、 つ づ い て 小 説 「 金 五 月 、 随 筆 集 『 季 節 の 意 』 、 童 謡 集 『 子 供 の 村 』 を 刊 行 。 六 月 、 長 み み す く か ら ふ と 魚 経 」 を 「 雄 弁 」 に 連 載 、 窮 乏 を 脱 す る 。 夏 、 境 内 に 簡 素 な 「 木 兎 女 篁 子 出 生 。 八 月 、 庄 亮 と 樺 太 ・ 北 海 道 旅 行 。 帰 途 、 松 島 に 遊 ぶ 。 四 十 一 歳 の 家 」 と 竹 林 に 小 方 丈 を 建 立 。 七 月 、 「 東 京 日 日 新 聞 」 選 歌 集 『 木 馬 大 正 十 五 年 ・ 昭 和 元 年 ( 一 九 二 六 ) こ う た ふ た え に じ 集 』 、 九 月 『 白 秋 小 唄 集 』 、 十 月 、 処 女 童 謡 集 『 ト ン ボ の 眼 玉 』 刊 行 。 五 月 、 上 京 、 谷 中 天 王 寺 墓 畔 に 転 居 。 三 月 、 童 謡 集 『 二 重 虹 』 、 六 大 正 九 年 ( 一 九 二 〇 ) 三 十 五 歳 月 、 随 筆 集 『 風 景 は 動 く 』 、 童 謡 集 『 か ら た ち の 花 』 、 九 月 、 童 謡 集 こ ろ 一 月 、 一 一 月 、 小 説 「 哥 路 」 を 「 大 阪 朝 日 新 聞 」 に 連 載 。 一 一 月 、 散 文 『 象 の 子 』 刊 行 。 十 一 月 、 詩 誌 「 近 代 風 景 」 創 刊 、 通 巻 一 一 十 一 一 冊 。 四 十 一 一 歳 集 『 雀 の 生 活 』 を 刊 行 。 五 月 、 隣 接 地 に 赤 洋 館 を 新 築 、 地 鎮 祭 昭 和 一 一 年 ( 一 九 二 七 ) 後 、 事 情 あ っ て 章 子 と 離 婚 。 八 月 、 『 白 秋 詩 集 』 第 一 巻 を 刊 行 。 三 月 、 馬 込 緑 ヶ 丘 に 転 居 、 詩 論 集 『 芸 術 の 円 光 』 刊 行 。 八 月 、 「 東 京 三 十 六 歳 日 日 新 聞 」 の 依 嘱 で 木 曾 川 ・ 長 良 川 に 旅 行 。 秋 、 静 岡 で 民 謡 制 作 。 大 正 十 年 ( 一 九 二 一 ) の ふ る 四 十 三 歳 一 月 、 片 上 伸 、 山 本 鼎 ら と 「 芸 術 自 由 教 育 」 を 創 刊 、 通 巻 九 冊 、 童 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) , さ ぎ 二 月 、 樺 太 ・ 北 海 道 紀 行 集 『 フ レ ツ 。 フ ・ ト リ ツ 。 フ 』 を 刊 行 。 四 月 、 年 謡 論 も 発 表 。 四 月 、 佐 藤 菊 子 と 結 婚 。 五 月 、 童 謡 集 『 兎 の 電 報 』 、 六 月 、 散 文 集 『 童 心 』 、 七 月 、 詩 歌 論 集 『 洗 心 雑 話 』 、 八 月 、 第 三 歌 世 田 谷 若 林 に 転 居 。 七 月 、 「 大 阪 朝 日 新 聞 」 の 依 嘱 で 郷 土 と 瀬 戸 内 は な が し ぶ ん ご 集 『 雀 の 卵 』 、 十 二 月 、 翻 訳 童 謡 集 『 ま ざ あ ・ ぐ う す 』 を 刊 行 。 海 上 空 を 飛 行 後 、 妻 子 と 豊 後 に 遊 ぶ 。 十 月 、 白 選 歌 集 『 花 樫 』 刊 行 。 三 十 七 歳 大 正 十 一 年 ( 一 九 一 一 一 l) 四 十 四 歳 昭 和 四 年 ( 一 九 二 九 ) あ ? こ )

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日 創 刊 。 九 月 、 「 民 間 伝 承 」 創 刊 。 十 一 月 、 大 阪 木 津 の 折 ロ 家 か ら 分 学 の 教 え 子 藤 井 春 洋 の 生 家 を 訪 う 。 七 月 、 民 俗 芸 術 の 会 発 足 。 四 十 一 歳 家 。 十 二 月 か ら 翌 年 一 月 に か け て 春 洋 を 伴 い 、 第 三 回 沖 繩 旅 昭 和 三 年 ( 一 九 一 一 八 ) 四 十 九 歳 イ ・ じ よ , そ 5 : ′ 四 月 、 慶 応 義 塾 大 学 文 学 部 教 授 と な る 。 十 月 、 長 兄 静 没 。 大 昭 和 十 一 年 ( 一 九 三 六 ) 五 〇 五 一 一 番 地 に 転 居 し 、 鈴 木 金 太 郎 と と も に 藤 井 春 洋 が 同 居 。 こ れ 二 月 一 一 十 六 日 、 一 一 ・ 一 一 六 事 件 起 こ り 、 東 騒 擾 。 草 莽 志 を 陳 べ る に よ し な く 、 憂 い 深 く 、 憤 り に 燃 え た 。 ま で 転 居 八 度 を 数 え た が 、 以 後 は 没 年 ま で こ の 借 家 に 居 住 す る 。 五 十 歳 昭 和 十 ニ 年 ( 一 九 三 七 ) 四 十 一 一 歳 昭 和 四 年 ( 一 九 二 九 ) 三 月 、 こ れ ま で 丸 刈 り に し て い た 頭 髪 を の ば し 、 白 髪 を 染 め た 。 八 四 月 、 『 古 代 研 究 』 民 俗 学 篇 ① ・ 同 国 文 学 篇 、 大 岡 山 書 店 刊 。 四 十 三 歳 月 、 那 須 に お い て 、 改 造 社 の 『 新 万 葉 集 』 の 選 を 始 め る 。 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) 五 十 一 歳 一 月 、 第 一 一 歌 集 『 春 の こ と ぶ れ 』 梓 晝 房 刊 。 四 月 、 「 東 足 日 日 新 聞 」 昭 和 十 三 年 ( 一 九 三 八 ) む ろ う さ い せ い ( 後 の 「 毎 日 新 聞 」 ) の 歌 壇 選 者 と な る 。 六 月 、 『 古 代 研 究 』 民 俗 学 七 、 八 月 、 室 生 犀 星 、 堀 辰 雄 の 尽 力 で 軽 井 沢 に 滞 在 。 十 一 一 月 、 箱 根 お そ れ ざ ん お が 篇 大 岡 山 書 店 刊 。 八 月 、 最 初 の 東 北 旅 行 、 遠 野 、 恐 山 、 男 鹿 な ど に こ も っ て 「 死 者 の 書 」 執 筆 。 五 十 二 歳 昭 和 十 四 年 ( 一 九 三 九 ) を 歩 く 。 一 月 、 「 婦 人 公 論 」 の 歌 壇 選 者 と な る 。 四 十 四 歳 一 月 、 「 日 本 評 論 」 に 「 死 者 の 書 」 を 連 載 。 四 月 、 仙 石 原 に 山 荘 を 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 一 月 、 藤 井 春 洋 入 営 。 「 週 刊 朝 日 」 文 芸 募 集 の 短 歌 欄 選 者 と な る ( 十 建 て 、 休 暇 の 多 く を こ こ で 過 ご す よ う に な る 。 よ さ の あ き こ 五 十 三 歳 昭 和 十 五 年 ( 一 九 四 〇 ) 一 一 月 、 与 謝 野 品 子 と 交 替 ) 。 年 末 、 春 洋 除 隊 。 四 十 五 歳 四 月 、 国 学 院 大 学 学 部 講 座 に 「 民 俗 学 」 開 設 。 昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 D 五 十 四 歳 三 月 、 文 学 博 士 と な る 。 四 月 、 『 日 本 文 学 の 発 生 』 岩 波 書 店 刊 。 十 昭 和 十 六 年 ( 一 九 四 一 ) 入 月 、 中 国 旅 行 、 山 海 関 、 南 京 、 杭 州 を 回 る 。 十 二 月 、 太 平 洋 戦 争 月 、 改 造 社 よ り 雑 誌 「 短 歌 研 究 」 創 刊 さ れ 、 選 者 の 一 人 と な る 。 四 十 六 歳 お こ り 、 春 洋 応 召 。 こ の 年 「 婦 人 日 本 」 の 短 歌 欄 選 者 と な る 。 昭 和 八 年 ( 一 九 三 一 一 l) せ ん ご く は ら 五 十 五 歳 昭 和 十 七 年 ( 一 九 四 三 ) 八 月 、 箱 根 仙 石 原 に 温 泉 分 譲 地 を 買 う 。 四 十 七 歳 四 月 、 春 洋 召 集 解 除 。 六 月 、 日 本 文 学 報 国 会 国 文 学 部 理 事 ・ 短 歌 部 昭 和 九 年 ( 一 九 三 四 ) 一 月 、 姉 あ ゐ 没 。 二 月 、 春 洋 膿 胸 を 病 み 、 臥 床 四 ヶ 月 に お よ ぶ 。 四 会 会 員 と な る 。 七 月 、 柳 田 国 男 、 穂 積 忠 と 伊 豆 に 遊 ぶ 。 八 月 、 叔 母 あ め っ ち の 月 、 鈴 木 金 太 郎 大 阪 に 転 勤 、 同 居 生 活 は 一 一 十 一 年 間 に わ た っ た 。 十 ゅ う 没 。 九 月 、 歌 集 『 天 地 に 宣 る 』 日 本 評 論 社 刊 。 五 十 六 歳 昭 和 十 八 年 ( 一 九 四 三 ) 一 一 月 、 日 本 民 俗 協 会 発 足 、 幹 事 と な る 。 年 四 十 八 歳 四 月 、 大 日 本 芸 能 学 会 創 設 、 会 長 と な る 。 会 誌 「 芸 能 」 発 刊 。 八 月 、 昭 和 十 年 ( 一 九 三 五 ) 七 月 、 信 州 小 谷 温 泉 〈 の 途 次 、 下 川 原 で 落 馬 、 以 後 腰 部 神 経 痛 の 原 『 死 者 の 書 』 青 磁 社 刊 。 九 月 、 春 洋 再 び 応 召 。 翌 年 六 月 ま で 加 藤 守 因 と な る 。 八 月 、 民 間 伝 承 の 会 発 足 。 日 本 民 俗 協 会 よ り 「 日 本 民 俗 」 雄 同 居 。 は る み

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昭 和 十 九 年 ( 一 九 四 四 ) 五 十 七 歳 二 月 、 『 日 本 文 学 啓 蒙 』 朝 日 新 聞 社 刊 。 十 月 一 一 十 四 日 か ら 十 日 間 、 料 三 月 、 『 日 本 芸 能 史 六 講 』 三 教 書 院 刊 。 四 月 、 慶 応 義 塾 大 学 語 学 研 柳 田 国 男 と と も に 伊 勢 、 大 和 、 大 阪 、 京 都 に 旅 行 す る 。 究 所 発 足 、 そ の 第 一 部 長 と な る 。 七 月 、 春 洋 硫 黄 島 に 着 任 。 同 二 十 昭 和 ニ 十 六 年 ( 一 九 五 一 ) 六 十 四 歳 一 日 、 春 洋 を 養 嗣 子 に 入 籍 。 八 月 、 叔 母 え い 没 。 二 月 、 こ の 月 、 腰 部 神 経 痛 の 痛 み 烈 し く 、 床 に 伏 す こ と が 多 い 。 八 、 昭 和 ニ 十 年 ( 一 九 四 五 ) 五 十 八 歳 九 月 、 箱 根 に す ご す 。 十 二 月 、 日 本 学 術 会 議 会 員 に 再 選 さ れ る 。 三 月 、 印 刷 中 の 詩 集 『 古 代 感 愛 集 』 を 戦 火 で 焼 失 。 同 月 三 十 一 日 、 昭 和 ニ 十 七 年 ( 一 九 五 一 l) 六 十 五 歳 硫 黄 島 全 員 玉 砕 ( 舂 洋 を 失 う ) 。 こ の 頃 、 信 州 へ の 疎 開 を す す め ら 五 月 、 『 古 代 感 愛 集 』 『 近 代 悲 傷 集 』 角 川 書 店 刊 。 夏 、 軽 井 沢 に 滞 在 。 れ た が 、 出 石 の 家 に と ど ま る 決 心 を す る 。 八 月 十 五 日 、 敗 戦 の 詔 勅 室 生 犀 星 、 堀 辰 雄 ら に 会 う 。 八 月 以 来 健 康 す ぐ れ ず 、 幻 視 を 覚 え る 。 を 聞 い て 、 四 十 日 間 、 箱 根 山 荘 に こ も る 。 九 月 二 十 日 、 軽 い 言 語 障 害 、 同 二 十 一 一 日 、 軽 微 な 脳 溢 血 の 如 き 発 作 。 昭 和 ニ 十 一 年 ( 一 九 四 六 ) 五 十 九 歳 十 二 月 に い た っ て 、 ほ と ん ど 快 癒 。 六 十 六 歳 三 月 、 国 学 院 大 学 理 事 と な る 。 四 月 、 三 兄 進 没 。 五 月 、 国 学 院 大 学 昭 和 ニ 十 八 年 ( 一 九 五 三 ) 一 一 月 、 『 か ぶ き 讃 』 創 元 社 刊 。 同 月 、 「 自 歌 自 註 」 の ロ 述 を 始 め る 。 に 「 神 道 概 論 」 開 講 。 戦 後 も っ と も 心 を 注 い だ 講 義 で あ る 。 昭 和 ニ 十 ニ 年 ( 一 九 四 七 ) 六 十 歳 ロ 訳 『 万 葉 集 』 以 来 、 終 生 に わ た っ て 口 述 が 多 か っ た 。 五 月 、 堀 辰 三 月 、 改 訂 版 『 古 代 感 愛 集 』 青 磁 社 刊 。 四 月 、 岡 野 弘 彦 同 居 、 没 年 雄 の 葬 儀 に 追 悼 詩 を 読 む 。 七 月 四 日 か ら 岡 野 弘 彦 を 伴 い 箱 根 山 荘 に 滞 在 。 八 月 、 衰 弱 は な は だ し く 、 錯 覚 と 幻 視 お こ る 。 二 十 九 日 、 帰 ま で つ づ く 。 七 月 、 柳 田 国 男 、 穂 積 忠 を 箱 根 山 荘 に 招 じ る 。 十 月 、 が ん 『 日 本 文 学 の 発 生 序 説 』 斎 藤 書 店 刊 。 京 。 三 十 一 日 、 慶 応 病 院 に 入 院 。 九 月 二 日 、 胃 癌 と 診 断 さ れ る 。 三 昭 和 ニ 十 三 年 ( 一 九 四 八 ) 六 十 一 歳 日 午 後 一 時 十 一 分 水 眠 。 六 日 、 自 宅 で 神 式 に よ り 葬 儀 。 十 二 月 十 三 と き 娶 ん ま ろ 一 月 、 歌 集 『 水 の 上 』 好 学 社 刊 。 一 一 月 、 土 岐 善 麿 と と も に 、 若 手 歌 日 、 能 登 一 の 宮 の 墓 所 に 、 養 嗣 子 春 洋 と と も に 遺 骨 を 埋 葬 。 ま た 、 人 と 談 合 す る 会 「 清 談 会 」 を 始 め る 。 三 月 、 歌 集 『 遠 や ま ひ こ 』 好 大 阪 木 津 願 泉 寺 内 の 折 ロ 家 墓 所 に も 分 骨 埋 葬 す る 。 学 社 刊 。 四 月 、 弟 親 夫 没 。 五 月 、 『 古 代 感 愛 集 』 に よ り 芸 術 院 賞 受 没 後 、 翌 年 一 一 月 、 折 ロ 博 士 記 念 会 ( 現 ・ 国 学 院 大 学 折 ロ 博 士 記 念 古 賞 。 十 二 月 、 第 一 回 日 本 学 術 会 議 会 員 に 選 ば れ る 。 昭 和 ニ 十 四 年 ( 一 九 四 九 ) 六 十 二 歳 代 研 究 所 ) 発 足 。 『 折 ロ 信 夫 全 集 』 全 三 十 一 巻 ( 二 十 九 年 十 月 か ら や ま と 四 月 、 日 本 民 俗 学 会 創 立 さ れ る 。 七 月 、 能 登 一 の 宮 に 「 父 子 墓 」 を 三 十 一 一 年 四 月 ) 、 歌 集 『 倭 を ぐ な 』 ( 三 十 年 六 月 ) 、 『 折 ロ 信 夫 全 集 ノ 1 ト 編 』 全 十 八 巻 ( 四 十 五 年 九 月 か ら 四 十 七 年 一 一 月 ) を い ず れ も 中 建 立 。 墓 碑 名 は 「 も っ と も 苦 し き た た か ひ に 最 苦 し み 死 に た る む か し の 陸 軍 中 尉 折 ロ 春 洋 な ら び に そ の 父 信 夫 の 墓 」 。 九 月 、 『 世 々 の 歌 央 公 論 社 よ り 刊 行 。 『 折 ロ 信 夫 全 集 』 に よ り 、 三 十 二 年 五 月 、 日 本 芸 術 院 恩 賜 賞 を 受 賞 し て い る 。 び と 』 鎌 倉 文 庫 刊 。 十 二 月 、 宮 中 御 歌 会 詠 進 歌 選 者 と な る 。 昭 和 ニ 十 五 年 ( 一 九 五 〇 ) 六 十 三 歳 岡 野 弘 彦 、 産 ノ ー ) . し

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並 日 445 年 直 二 郎 ら が い た 。 十 三 歳 明 治 三 十 三 年 ( 一 九 〇 〇 ) 夏 、 『 一 一 一 口 海 』 『 万 葉 集 略 解 』 を 精 読 。 大 和 へ 初 め て 一 泊 旅 行 。 祖 父 の あ す か に い ま す 出 身 な る 飛 鳥 坐 神 社 に 詣 る 。 十 五 歳 明 治 三 十 五 年 ( 一 九 〇 一 l) き ゅ う せ い 五 月 三 日 、 父 秀 太 郎 心 臓 麻 痺 で 急 逝 。 こ の 月 の 文 学 会 に 、 中 学 生 の 」 ) し ゃ ~ 、 惰 弱 を 戒 め て 「 変 生 男 子 」 の 論 題 で 演 説 。 学 業 成 績 著 し く 下 降 。 十 明 治 ニ 十 年 ( 一 八 八 七 ) 一 一 月 十 一 日 、 大 阪 府 西 成 郡 木 津 村 ( 現 ・ 大 阪 市 浪 速 区 町 ) に 生 ま 二 月 二 十 六 日 、 第 一 回 目 の 自 殺 未 遂 。 翌 年 に か け て 三 回 に お よ ん だ 。 き ぐ す り 十 七 歳 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) れ る 。 父 秀 太 郎 、 母 こ う の 五 男 。 生 家 は 生 薬 と 雑 貨 を 商 う 商 家 で 、 父 が 医 師 を 兼 ね た 。 幼 時 、 大 和 の 小 泉 村 ( 現 ・ 奈 良 県 大 和 郡 山 市 小 三 月 、 卒 業 試 験 の 英 語 会 話 作 文 、 幾 何 、 三 角 、 物 理 に 欠 点 を 取 り 落 第 。 一 方 、 大 和 へ の 旅 行 を し き り に す る 。 『 万 葉 集 古 義 』 を 読 む 。 泉 町 ) に 里 子 に 出 さ れ た と い う カ 糸 ー 日 十 八 歳 明 治 三 十 八 年 ( 一 九 〇 五 ) 五 歳 明 治 ニ 十 五 年 ( 一 八 九 一 l) 沐 津 尋 常 小 学 校 に 入 学 。 小 学 生 時 代 に 木 の 上 か ら 堕 ち て 、 切 株 で 三 月 、 天 王 寺 中 学 校 卒 業 。 九 月 七 日 、 医 科 ~ の 進 学 を 変 史 し て 、 国 丸 を 裂 い た 。 一 ヶ 月 程 で 癒 着 し た が 、 少 し 性 欲 に 異 常 の あ る こ と を 学 院 の 大 学 部 予 科 一 年 に 入 学 。 中 学 入 学 時 に 口 頭 試 問 を 受 け た 三 矢 重 松 が 国 学 院 講 師 に 転 じ て い て 、 以 後 そ の 恩 顧 を 受 け た 。 感 じ る の が 予 後 と し て 残 っ た 。 二 十 歳 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 七 歳 明 治 ニ 十 七 年 ( 一 八 九 四 ) は っ と り と も は る 一 一 月 、 曾 祖 母 と よ 死 去 。 双 生 児 の 弟 親 夫 、 和 夫 誕 生 。 叔 母 え い 、 東 夏 、 本 科 国 文 科 に 進 む 。 歌 人 服 部 躬 治 に 入 門 す る が 、 一 度 歌 の 批 評 京 遊 学 。 『 古 代 研 究 』 は こ の 叔 母 に 献 ぜ ら れ た 。 終 生 嫁 が ず に 終 0 を 受 け た の み で 止 む 。 金 沢 圧 三 郎 に 朝 鮮 語 、 外 国 語 学 校 の 夜 学 で 蒙 古 語 を 学 ぶ 。 た 人 で あ る 。 一 一 十 二 歳 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 九 歳 明 治 ニ 十 九 年 ( 一 八 九 六 ) さ ち お こ い ず ち か し ね ぎ し 十 月 九 日 、 初 め て 東 京 根 岸 短 歌 会 に 出 席 し 、 伊 藤 左 千 夫 、 古 泉 千 樫 、 大 阪 市 南 区 竹 屋 町 の 育 英 高 等 小 学 校 に 区 外 生 と し て 入 学 。 ぶ ん め い 十 一 歳 土 屋 文 明 ら を 知 る 。 明 治 三 十 一 年 ( 一 八 九 六 ) 一 一 十 三 歳 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) こ の 頃 、 高 山 彦 九 郎 の 伝 記 を 読 ん で 感 激 、 の 百 舌 鳥 耳 原 に 赴 き 、 ぬ か 土 の 上 に 額 づ い た 。 ま た 当 時 、 国 学 者 敷 田 年 治 に 入 門 し て い た 姉 あ 七 月 、 国 学 院 大 学 国 文 科 卒 業 。 卒 業 論 文 は 「 言 語 情 調 論 」 。 東 京 を 去 っ て 大 阪 に 帰 る 。 こ の 頃 か ら 釈 迢 空 の 筆 名 を 用 い る 。 ゐ の 影 響 を 多 く 受 け た 。 二 十 四 歳 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 一 ) 十 二 歳 明 治 三 十 一 一 年 ( 一 八 九 九 ) ゅ う き ち し よ く た く 四 月 、 天 王 寺 中 学 に 入 学 。 同 級 生 に 、 武 田 祐 吉 、 岩 橋 小 弥 太 、 西 田 十 月 、 大 阪 府 立 今 宮 中 学 校 の 嘱 託 教 員 と な る 。 国 語 、 漢 文 を 担 当 。 釈 迢 空 年 譜 0