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検索対象: 現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集から 490件ヒットしました。

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


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現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


現 代 日 本 の 文 学 26 全 60 巻 郎 吾 士 安 崎 ロ 尾 坂 集 昭 和 46 年 6 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 10 月 1 日 26 版 発 行 尾 崎 士 郎 著 者 ロ 安 ・ 五 坂 古 岡 滉 発 行 者 鑾 学 習 研 究 社 発 行 所 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振 替 東 京 8 ー 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 大 日 本 印 刷 株 式 会 社 暁 印 刷 株 式 会 社 製 本 株 式 会 社 若 林 製 本 工 場 本 文 用 紙 三 菱 製 紙 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ り ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 720 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 ◎ Kiyoko Ozaki,Michiyo Sakaguchi 1971 Printed in Japan 本 書 内 容 の 無 断 複 写 を 禁 す ISBN4 ー 05 ー 050236 ー 4 C0393

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


462 「 乍 品 』 に 、 四 月 、 「 蒼 茫 夢 」 を 「 作 品 』 に 発 表 。 五 月 、 「 枯 淡 の 風 格 に 、 三 月 、 「 木 々 の 精 、 谷 の 精 」 を 「 文 芸 』 に 、 四 月 、 「 茶 番 に 寄 せ を 排 す 」 を 『 作 品 』 に 発 表 。 こ の 評 論 が 因 で 尾 崎 士 郎 と 知 り 合 う 。 て 」 を 「 文 体 』 に 、 十 月 、 「 醍 醐 の 里 」 を 『 若 草 」 に 、 十 一 月 、 「 総 六 月 、 『 黒 谷 村 』 ( 竹 村 書 房 ) を 刊 行 。 七 月 、 「 金 銭 に か ら ま る 詩 的 理 大 臣 が 貰 っ た 手 紙 の 話 」 を 「 文 学 者 』 に 発 表 。 要 素 の 神 秘 性 に 就 て 」 「 日 本 人 に 就 て 」 を 「 作 品 』 に 発 表 。 命 を こ 昭 和 十 五 年 ( 一 九 四 〇 ) 三 十 四 歳 め た 作 品 を 書 く た め に 鹿 沢 温 泉 に 赴 く 。 八 月 、 「 逃 げ た い 心 」 を 「 文 三 好 達 治 の 誘 い に 応 じ て 小 田 原 早 川 際 亀 山 別 荘 に 移 り 住 み 、 切 支 丹 藝 春 秋 』 に 、 九 月 、 「 文 章 の 一 形 式 」 を 『 作 品 』 に 、 十 二 月 、 「 を み の 書 物 を 読 ん だ 。 四 月 、 「 篠 笹 の 蔭 の 顔 」 を 『 若 草 』 に 、 六 月 、 「 盗 な 」 を 「 作 品 』 に 発 表 。 絶 望 に 憑 か れ た 毎 日 を 送 っ た 。 ま れ た 手 紙 の 話 」 を 『 文 化 評 論 』 に 、 七 、 九 月 、 「 イ ノ チ ガ ケ 」 を 昭 和 十 一 年 ( 一 九 三 六 ) 三 十 歳 「 文 学 界 」 に 、 十 二 月 、 「 風 人 録 」 を 「 現 代 文 学 」 に 発 表 。 三 十 五 歳 一 月 、 「 狼 園 ー を 「 文 学 界 』 ( ~ 三 月 ) 、 に 連 載 。 三 月 、 「 禅 僧 」 を 「 作 昭 和 十 六 年 ( 一 九 四 一 ) 品 』 に 発 表 。 二 十 四 日 の 牧 野 信 一 の 死 に 衝 撃 を 受 け た 。 五 月 、 「 雨 四 月 、 「 炉 辺 夜 話 集 」 ( ス タ イ ル 社 ) を 刊 行 。 五 月 、 「 死 と 鼻 歌 」 を 宮 紅 庵 」 「 牧 野 さ ん の 祭 典 に 寄 せ て 」 を 『 早 稲 田 文 学 』 に 、 「 牧 野 さ 『 現 代 文 学 』 に 、 「 作 家 論 に つ い て 」 を 『 現 代 文 学 』 に 発 表 。 夏 頃 、 ん の 死 」 を 『 作 品 』 に 発 表 。 長 編 小 説 の 構 想 を 立 て た 。 六 月 十 六 る 田 原 か ら 蒲 田 の 安 方 町 九 四 番 地 に 移 る 。 八 月 、 「 文 学 の ふ る さ と 」 日 、 五 年 間 の 恋 人 矢 田 津 世 子 に 絶 縁 を こ め た 手 紙 を 書 き 送 り 、 転 機 を 『 現 代 文 学 』 に 、 九 月 、 「 波 子 」 を 「 現 代 文 学 』 に 、 十 月 、 「 島 原 を 企 て る 。 九 月 、 「 母 を 殺 し た 少 年 」 ( 「 吹 雪 物 語 」 の 原 型 ) を 「 作 の 乱 雑 記 」 を 「 現 代 文 学 」 に 発 表 。 三 十 六 歳 品 』 に 、 十 月 、 「 老 嫗 面 」 を 『 文 芸 通 信 』 に 発 表 。 十 一 月 二 十 八 日 、 昭 和 十 七 年 ( 一 九 四 一 l) 「 吹 雪 物 語 」 の 執 筆 に か か る 。 一 月 、 「 古 都 」 を 「 現 代 文 学 」 に 、 一 一 月 、 「 た だ の 文 学 」 を 「 現 代 文 昭 和 十 ニ 年 ( 一 九 三 七 ) 三 十 一 歳 学 』 に 発 表 。 十 七 日 、 母 ア サ 死 去 。 三 月 、 「 日 本 文 化 私 観 」 を 「 現 一 一 月 、 東 京 で の 生 活 に 不 安 と 焦 躁 を 感 じ 、 宇 垣 内 閣 流 産 の さ な か を 代 文 学 』 に 、 六 月 、 「 真 珠 」 を 「 文 芸 』 に 、 九 月 、 「 居 酒 屋 の 聖 人 」 孤 独 を 求 め て 京 都 に 旅 立 つ 。 五 月 、 「 吹 雪 物 語 」 の 大 半 を 書 き 上 げ を 「 日 本 学 芸 新 聞 』 ( 九 月 一 日 ) に 、 十 一 月 、 「 青 春 論 」 を 「 文 学 た が 、 連 日 伏 見 の 下 宿 で 碁 を う ち 酒 を 飲 ん で 過 し た 。 界 』 ( ~ 十 一 一 月 ) に 発 表 。 自 己 の 文 学 観 、 思 想 を 決 定 し た ・ 昭 和 十 三 年 ( 一 九 三 八 ) 三 十 二 歳 昭 和 十 八 年 ( 一 九 四 三 ) 三 十 七 歳 一 月 、 「 女 占 師 の 前 に て 」 を 「 文 学 界 』 に 発 表 。 五 月 、 「 吹 雪 物 語 」 一 月 、 「 五 月 の 詩 」 を 「 現 代 文 学 』 に 、 三 月 、 「 講 談 先 生 」 を 『 現 代 を 脱 稿 。 上 京 し て 本 郷 の 菊 富 士 ホ テ ル に 滞 在 し た 。 七 月 、 『 吹 雪 物 文 学 』 に 発 表 。 八 月 、 新 潟 市 二 葉 町 一 に 滞 在 。 九 月 、 「 二 十 一 」 を 語 』 ( 竹 村 書 房 ) を 刊 行 。 十 月 、 竹 村 書 房 の 世 話 で 茨 城 県 取 手 の 取 『 現 代 文 学 』 に 、 十 月 、 「 諦 ら め ア ネ ゴ 」 を 『 現 代 文 学 』 に 発 表 。 手 病 院 に 起 居 し た 。 十 二 月 、 「 閑 山 」 を 『 文 体 』 に 発 表 。 『 真 珠 』 ( 大 観 堂 ) を 刊 行 し た が 、 時 局 に そ わ ぬ と い う 理 由 で 再 版 を 昭 和 十 四 年 ( 一 九 三 九 ) 三 十 三 歳 禁 じ ら れ た 。 十 二 月 、 「 日 本 文 化 私 観 』 ( 文 体 社 ) を 刊 行 。 三 十 八 歳 一 月 、 「 か げ ろ ふ 談 義 」 を 「 文 体 』 に 、 一 一 月 、 「 紫 大 納 言 」 を 『 文 体 』 昭 和 十 九 年 ( 一 九 四 四 )

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


0 を 軣 ー ・ 上 上 海 放 浪 時 代 。 右 よ り 西 村 二 郎 , 士 郎 , そ の 前 は 小 森 猛 ( 大 正 11 年 ) 左 四 国 講 演 旅 行 の 時 。 右 よ り 士 郎 , 中 村 武 羅 夫 , 川 端 康 成 ( 昭 和 4 年 頃 ) 私 が 尾 崎 士 郎 に つ い て の 評 伝 的 な 解 説 を 、 こ の よ う な 私 事 か ら 書 き お こ し た の は 、 吉 良 町 の 人 や そ の 暮 し の な か に 浸 透 し て い る 尾 崎 文 学 の 影 響 力 と で も い っ た こ と に つ い て 述 べ た か っ た か ら だ 。 私 は 晩 年 の 尾 崎 士 郎 に つ い て し か 知 ら な い 読 者 と し て も 、 「 人 生 劇 場 」 以 後 の 読 者 に す ぎ す 、 し た が っ て 個 人 的 な 思 い 出 は か ぎ ら れ て い る が 、 水 野 成 夫 を 介 し て 兄 が 交 渉 を 持 ち 、 ま た 尾 崎 士 郎 の お こ し た 雑 誌 「 文 芸 日 本 」 の 編 集 に タ ッ チ し た こ と も あ っ て 、 私 な り の 尾 崎 士 郎 像 と で も い っ た も の が で き あ が っ て い た こ と も 事 実 で あ る 。 そ れ を 私 は 吉 良 町 へ 行 っ て 、 洗 い な お す 思 い で あ っ た 。 尾 崎 士 郎 は 書 い て い る 。 「 ム は 小 説 と い う も の は 一 つ の 『 生 き 物 』 だ と 田 5 っ て い る 。 形 式 的 に 言 え ば 、 動 機 も 構 成 も 、 モ ラ ル も す べ 」 て 作 者 の も の で あ る に ち が い な い が 、 し か し 、 そ れ も 一 応 そ う い う 状 態 を 整 え て い る と い う だ け の こ と で 作 品 が 必 す し も 作 者 の 感 情 の 中 に 安 定 し て い る わ け で は な い 。 そ の 成 長 と 発 展 は 、 も ち ろ ん 作 者 の 責 任 で あ る と し て も 、 作 品 そ れ 自 体 は 勝 手 に 作 者 を は な れ 、 気 随 気 ま ま に 動 い て ゆ く 場 合 さ え あ る の で あ る 」 た し か に 小 説 は ひ と つ の 生 き も の だ 。 長 編 の 場 合 は と く に そ う で あ る 。 作 者 が あ ら か じ め 設 定 し た 構 成 や 展 開 を は な れ て 、 作 中 人 物 が 勝 手 に 動 き 出 す こ と が あ 467

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


452 石 の 思 、 勉 強 記 MIIII 私 の 父 坂 口 仁 一 郎 県 会 議 長 、 明 治 三 十 五 年 以 後 代 議 士 。 最 三 当 ラ : ジ ャ ・ ヨ ー ガ Räjayoga ラ ー ジ ャ は 「 五 」 、 ヨ ー ガ は 後 の 所 属 は 憲 政 会 。 党 務 委 員 長 、 総 務 な ど 歴 任 。 犬 養 毅 、 加 藤 超 自 然 力 を 得 る 修 行 法 。 高 明 に 近 く 、 市 島 春 城 を 通 じ て 大 隈 重 信 と も 親 交 が あ っ た 。 そ 三 四 三 カ グ ラ 、 サ イ ・ ハ ラ 神 楽 、 催 馬 楽 。 催 馬 楽 は 奈 良 時 代 の 民 謡 の 風 貌 は 石 川 淳 の 「 阪 ロ 五 峰 」 ( 『 諸 国 畸 人 伝 』 ) に も 見 え る 。 を 、 平 安 時 代 に い た っ て 雅 楽 の 中 に 入 れ て 歌 曲 と し た も の 。 ろ ら よ く 三 一 一 一 一 森 春 壽 ( 一 8 一 8 ~ 一 888 ) 漢 詩 人 。 名 は 魯 直 。 尾 張 の 人 。 東 京 三 当 サ ン ・ ハ ソ ウ 三 番 叟 。 能 楽 で 、 祝 言 の 式 三 番 に 、 第 一 に 「 千 か い な ん ま り ぎ ん で 茉 莉 吟 社 を 結 社 、 清 新 の 詩 風 を 唱 っ た 。 槐 南 は そ の 子 。 歳 」 が 舞 い 、 第 二 に 「 翁 」 が 舞 っ た 後 、 第 三 に 出 て 舞 う も の 。 三 一 三 北 越 詩 話 上 下 二 巻 、 合 計 一 一 千 頁 に も 及 ぶ 。 上 巻 は 大 正 七 年 異 色 の 老 人 の 面 を つ け 、 崩 と カ グ ラ と 鈴 と を 持 っ て 舞 う 。 ま た 十 一 月 に 刊 行 さ れ た 。 阪 ロ 五 峰 は 、 三 十 三 歳 で 新 潟 新 聞 の 社 長 能 か ら 歌 舞 伎 に 移 入 さ れ 、 幕 明 の 祝 儀 と し て 舞 う 舞 い 。 に な っ た が 、 そ の こ ろ 「 越 人 詩 話 」 「 七 松 居 詩 話 」 と 題 し て 新 三 風 来 山 人 ( 1728 ~ 1779 ) 平 賀 源 内 。 江 戸 中 期 の 本 草 学 者 、 聞 紙 上 に 連 載 し た も の 。 科 学 者 、 戯 作 者 。 儒 学 や 国 学 に も 通 じ た 。 初 め て エ レ キ テ ル 三 立 川 文 講 談 叢 書 。 明 治 四 十 四 年 か ら 大 正 十 四 年 ま で 刊 ( 摩 擦 起 電 機 ) を 発 明 し て 治 療 に 応 用 し た 。 安 永 八 年 、 狂 気 し じ よ 5 ・ 第 り 行 。 発 行 者 は 立 川 熊 次 郎 。 大 半 は 大 阪 の 講 釈 師 玉 田 玉 秀 斎 ( 二 て 門 弟 を 殺 し 獄 中 死 。 そ の 戯 文 と 浄 瑠 璃 は 、 当 時 ま だ 幼 稚 な 段 代 目 ) な ど の 集 団 制 作 に よ る 。 従 来 の 、 講 談 を 速 記 し た も の と 階 に あ っ た 江 戸 の 文 芸 に 新 風 を 吹 き こ み 、 上 方 の 文 芸 か ら 独 立 は 違 っ て 、 講 談 を 種 本 と し な が ら も 多 分 に 創 作 を 加 え た と こ ろ す る 気 連 を つ く り 出 し た 。 滑 稽 本 「 風 流 志 道 軒 』 は 有 名 。 に 特 色 が あ る 。 『 猿 飛 佐 助 』 や 『 霧 隠 才 蔵 』 な ど が 代 表 作 。 話 六 青 道 心 新 た に 僧 と な っ て 、 ま だ そ の 道 に う と い 人 。 三 一 一 三 市 島 春 城 ( 1860 ~ 1944 ) 随 筆 家 。 本 名 謙 吉 。 東 大 卒 業 を 前 三 噐 管 長 猊 下 神 道 ま た は 仏 教 で 一 宗 一 派 を 管 轜 す る 長 。 猊 下 は に し て 、 大 隈 重 信 の も と に 参 じ 、 そ の 側 近 と し て 高 田 早 苗 や 坪 高 僧 を 呼 ぶ 敬 語 。 内 逍 遙 ら と と も に 東 京 専 門 学 校 ( 早 大 ) 運 営 に あ た っ た 。 「 春 三 噐 臍 下 丹 田 臍 の 下 の 下 腹 部 に あ た る と こ ろ を い う 。 こ こ に カ 城 随 筆 』 「 春 城 閑 話 』 な ど が あ る 。 を 入 れ る こ と 。 健 康 と 勇 気 と を 得 る と い わ れ る 。 三 一 一 七 尾 崎 咢 堂 ( 1858 ~ 1954 ) 政 治 家 。 本 名 行 雄 。 初 期 以 来 の 衆 三 岩 温 顔 「 放 屁 」 へ の 「 私 」 の 親 炙 と 重 な る イ メ ー ジ の こ と ば 。 議 院 議 員 で 、 そ の 間 、 大 隈 内 閣 の 法 相 に な っ た 。 東 京 市 長 も 歴 「 私 」 が 先 生 に 「 人 間 と か 心 と か 、 そ う い う も の を 感 じ る 」 前 任 。 潔 癖 、 孤 高 の 政 治 家 と し て 特 異 な 存 在 で あ っ た 。 に 、 「 肉 体 」 と し て の 「 温 頻 」 を 感 じ て し ま う の は 、 「 肉 体 」 へ し ゅ う そ , 一 0 会 津 八 一 ( 】 88 】 ~ 1956 ) 美 術 史 家 ・ 歌 人 ・ 書 家 。 別 号 秋 艸 の 感 覚 的 描 写 と い う よ り も 、 「 私 」 の 「 人 間 」 に 対 す る 視 座 の 道 人 。 渾 斎 。 英 文 学 、 中 国 美 術 史 、 奈 良 文 化 史 担 当 の 早 大 教 授 正 当 性 に か か わ る こ と で あ ろ う 。 だ っ た 。 「 渾 斎 随 筆 』 や 歌 集 「 鹿 鳴 集 』 な ど が 名 高 い

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


尾 崎 士 郎 集

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


学 。 岡 崎 市 内 に あ る 親 戚 の 家 に 寄 宿 。 数 学 と 体 操 の 点 数 が 悪 く 、 平 均 点 四 十 八 点 で 落 第 。 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 一 ) 十 三 歳 落 第 し た た め 美 甘 義 夫 ( 元 、 東 大 美 甘 内 科 部 長 ) 、 大 須 賀 健 治 ( 山 川 義 弟 ) ら と 同 級 生 に な っ た 。 大 正 三 年 ( 一 九 一 四 ) 十 六 歳 明 治 三 十 一 年 ( 一 八 九 八 ) 学 校 内 に お け る 学 生 暴 力 団 ( 竜 虎 隊 と 称 し て い た ) の 跳 梁 に 憤 激 、 二 月 五 日 、 愛 知 県 幡 豆 郡 横 須 賀 村 ( 現 、 吉 良 町 ) 宮 前 八 六 二 番 地 に 弁 論 大 会 で 「 現 代 学 生 論 」 と 題 し て 弾 劾 演 説 を 行 う 。 同 じ 頃 、 茅 原 父 嘉 三 郎 、 母 よ ね の 三 男 と し て 生 れ る 。 士 郎 と 命 名 さ れ る 。 尾 崎 家 華 山 の 主 宰 す る 雑 誌 「 第 三 帝 国 」 に 「 教 育 亡 国 論 」 を 発 表 。 校 内 で は 代 々 、 辰 巳 屋 を 号 し 、 煙 草 製 造 業 及 び マ ュ の 仲 買 い を 業 と し て 、 の 要 注 意 人 物 と さ れ た 。 近 在 に 聞 え た 旧 家 で あ っ た が 、 父 の 代 に 煙 草 製 造 が 官 営 に 移 っ て か 大 正 四 年 ( 一 九 一 六 ) 十 七 歳 ら は 農 業 を 営 む よ う に な り 、 さ ら に そ の か た わ ら 明 治 三 十 六 年 よ り 四 月 、 「 学 友 会 雑 誌 」 に 「 徳 川 家 康 公 論 」 を 書 い て 家 康 批 判 を 行 う 。 新 設 の 郵 便 局 局 長 を 兼 業 し た 。 六 月 、 「 世 界 之 日 本 」 の 懸 賞 論 文 に 応 募 し て 第 三 席 に 入 選 。 こ れ が 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) 六 歳 機 縁 と な っ て 選 名 の 早 大 教 授 永 井 柳 太 郎 と 文 通 し 、 早 稲 田 大 学 入 学 月 、 横 須 賀 尋 常 小 学 校 ( 翌 年 、 横 須 賀 第 三 小 学 校 と 改 名 ) に 入 学 。 を 決 意 。 八 月 、 横 浜 市 野 毛 町 の 母 方 の 伯 父 、 田 島 藤 一 郎 ( 耳 鼻 咽 喉 科 の 開 業 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) 十 八 歳 医 ) の 養 子 と な り 、 横 浜 市 石 川 小 学 校 に 転 校 す る 。 が 、 養 家 に な じ 三 月 、 第 二 中 学 校 を 卒 業 。 四 月 、 早 稲 田 大 学 高 等 予 科 政 治 科 に 入 ま ず 帰 郷 す る 。 学 。 同 級 に 横 光 利 一 が い た 。 十 月 、 父 三 郎 、 死 去 。 明 治 三 十 八 年 ( 一 九 〇 五 ) 七 歳 大 正 六 年 ( 一 九 一 七 ) 十 九 歳 四 月 、 ふ た た び 養 家 に 戻 り 、 新 た に 野 毛 山 小 学 校 に 転 校 。 半 年 後 、 四 月 、 校 内 雄 弁 大 会 に 政 治 科 を 代 表 し て 参 加 、 第 一 席 と な る 。 六 月 病 弱 と ホ ー ム シ ッ ク を 理 由 に 、 田 島 家 か ら 離 籍 、 生 家 に 戻 っ た 。 銅 像 問 題 を め ぐ る 学 校 騒 動 が お こ り 、 天 野 派 学 生 と し て 行 動 し た た 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 十 一 歳 め 停 学 処 分 を 受 け そ う に な っ た が 、 安 部 磯 雄 教 授 の 尽 力 で 事 な き を こ の 頃 、 ク ラ ス で は 首 席 を 争 う 事 も あ っ た 。 母 親 か ら 徳 富 蘆 花 の 『 思 得 た 。 九 月 、 本 科 政 治 経 済 科 に 入 学 。 一 一 十 歳 年 出 の 記 』 を 読 ん で も ら っ た こ と で 、 文 学 に 興 味 を 抱 き 、 長 兄 の 本 棚 大 正 七 年 ( 一 九 一 八 ) か ら 漱 石 な ど の 文 芸 書 を も ち だ し て 読 む 。 六 月 、 長 兄 重 郎 自 殺 、 一 家 没 落 す る 。 家 財 を 整 理 し て 、 次 兄 昇 も 上 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 十 二 歳 京 。 豊 多 摩 郡 戸 塚 大 字 源 兵 衛 五 一 番 地 ( 現 、 新 宿 区 戸 塚 ) に 転 籍 。 四 月 、 愛 知 県 立 第 一 一 中 学 校 ( 通 称 岡 崎 中 学 校 、 現 、 岡 崎 高 校 ) に 入 大 正 八 年 ( 一 九 一 九 ) ニ 十 一 歳 尾 崎 士 郎 年 譜

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


一 一 十 七 歳 一 月 、 月 謝 滞 納 と 長 期 欠 席 の た め 、 早 大 よ り 除 籍 さ れ た 。 六 月 、 茂 大 正 十 四 年 ( 一 九 二 五 ) 輛 木 久 平 と 共 著 『 西 洋 社 会 運 動 者 評 伝 』 を 売 文 社 よ り 刊 行 、 即 日 発 売 三 月 、 「 青 年 と 海 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 七 月 、 「 不 同 調 」 の 同 人 と な 禁 止 と な っ た 。 伏 、 削 除 さ れ て 南 星 堂 よ り 再 刊 行 。 茂 木 久 平 と 力 を る 。 八 月 、 「 窓 に う つ る 風 景 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 大 正 十 五 年 ・ 昭 和 元 年 ( 一 九 一 一 六 ) 一 一 十 八 歳 あ わ せ て 雑 誌 「 強 権 」 を 創 刊 し た が 、 三 号 で 廃 刊 と な る 。 二 十 二 歳 一 月 、 「 的 場 六 助 と 私 」 を 「 新 潮 」 に 、 一 一 月 、 「 『 苦 命 』 た ち 」 を 「 文 大 正 九 年 ( 一 九 二 〇 ) 十 一 月 、 尾 崎 洫 作 の ペ ン ネ ー ム で 「 時 事 新 報 」 の 懸 賞 小 説 に 応 募 、 藝 春 秋 」 に 、 十 二 月 、 「 運 命 に つ い て 」 を 「 文 芸 時 代 」 ( 翌 年 一 月 完 翌 年 一 月 、 第 二 席 で 入 選 ( 第 一 は 藤 村 〈 宇 野 〉 千 代 ) 。 十 一 一 月 、 結 ) に そ れ そ れ 発 表 。 こ の 年 、 小 川 未 明 宅 で 坪 田 譲 治 を 知 る 。 高 畠 の 勧 め で 『 近 世 社 会 主 義 発 達 史 論 』 を 三 田 書 房 よ り 刊 行 。 昭 和 ニ 年 ( 一 九 二 七 ) 一 一 十 九 歳 大 正 十 年 ( 一 九 一 一 l) 二 十 三 歳 九 月 、 「 『 鶺 鴒 の 巣 』 そ の 他 」 ( 「 河 鹿 」 ) を 「 新 潮 」 に 発 表 。 十 二 月 、 三 月 、 改 造 社 社 長 山 本 実 彦 に 嘱 望 さ れ 、 長 編 小 説 執 筆 の 依 頼 を 受 「 時 事 新 報 」 に 「 世 紀 の 夜 」 の 連 載 を は じ め る ( 三 年 六 月 完 結 ) 。 三 十 歳 け 、 「 獄 室 の 暗 影 」 を 書 く 。 さ ら に 十 一 一 月 、 長 編 小 説 『 逃 避 行 』 ( 「 低 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) 迷 期 の 人 々 」 第 一 部 ) を 脱 稿 、 改 造 社 よ り 刊 行 。 九 月 、 「 荏 原 郡 馬 込 村 」 を 「 新 潮 」 に 、 十 一 一 月 、 「 キ リ ス ト 教 文 献 全 大 正 十 一 年 ( 一 九 一 三 ) 二 十 四 歳 集 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に 発 表 。 秋 、 突 然 、 徳 田 秋 声 の 訪 問 を 受 け 、 以 三 月 、 「 獄 室 の 暗 影 ー ー ー あ る 死 刑 囚 よ り そ の 若 き 友 へ 」 を 「 改 後 「 二 日 会 」 に も 参 加 し て 、 秋 声 よ り 人 間 的 な 影 響 を 受 け る よ う に 造 」 に 発 表 。 同 月 、 山 本 社 長 の 勧 め で 、 百 日 近 く 、 上 海 、 蘇 州 の 旅 な っ た 。 翌 年 に か け て 、 ス ト リ ン ド ベ ル ヒ 全 集 を 読 破 す る 。 に 出 る 。 同 地 で 「 海 日 日 新 聞 」 の 客 員 と な る 。 五 月 、 『 懐 疑 者 の 昭 和 四 年 ( 一 九 二 九 ) 三 十 一 歳 群 』 ( 「 低 迷 期 の 人 々 」 第 二 部 ) を 十 一 月 改 造 社 よ り 刊 行 。 一 月 、 「 悲 劇 を 探 す 男 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 九 月 、 「 霧 と 銀 貨 」 を 大 正 十 ニ 年 ( 一 九 二 = l) 一 一 十 五 歳 「 祖 国 」 に そ れ そ れ 発 表 。 一 日 、 本 郷 菊 坂 の 菊 富 士 ホ テ ル な ど に 止 宿 。 三 月 、 「 短 銃 」 ( の ち 「 三 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) 三 十 二 歳 等 郵 便 局 」 と し て 改 作 し 、 大 正 十 五 年 「 新 潮 」 に 発 表 ) を 「 早 稲 田 文 四 月 、 「 伝 説 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 五 月 、 「 悲 劇 を 探 す 男 』 を 新 潮 社 学 」 に 発 表 。 五 月 、 宇 野 千 代 と 結 婚 。 九 月 、 荏 原 郡 馬 込 村 中 井 ( 現 、 よ り 刊 行 。 九 月 、 『 霧 と 銀 貨 」 を ア ト ラ ス 社 よ り 刊 行 。 十 一 月 、 「 忘 大 田 区 ) 一 五 七 八 に 転 居 。 十 月 、 「 凶 夢 」 を 「 我 観 」 創 刊 号 に 、 十 れ ら れ た 時 代 」 を 「 新 潮 」 に 、 「 鳴 沢 先 生 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に そ れ 一 月 、 「 賭 博 場 へ 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に 発 表 。 そ れ 発 表 。 ま た 、 『 世 紀 の 夜 』 を 近 代 生 活 社 よ り 刊 行 。 こ の 年 、 東 大 正 十 三 年 ( 一 九 二 四 ) 二 十 六 歳 禅 寺 裏 か ら 赤 坂 霊 南 坂 上 の 山 形 ホ テ ル へ 移 る 。 八 月 、 別 居 し て い た 一 月 、 「 骨 肉 」 を 「 我 観 」 に 発 表 。 一 一 月 、 「 痴 情 」 を 「 新 小 説 」 に 発 宇 野 千 代 と 正 式 に 離 婚 。 一 一 年 前 に 知 っ た 古 清 子 と 結 婚 。 表 。 九 月 、 短 編 集 『 獄 中 よ り 』 を 春 陽 堂 よ り 刊 行 。 同 月 、 「 夢 魔 」 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 三 十 三 歳 を 「 新 潮 」 に 、 十 一 一 月 、 「 平 介 と 矢 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に そ れ ぞ れ 発 表 。 三 月 、 「 徴 妙 な る 野 心 」 を 「 作 品 」 に 、 五 月 、 「 ミ イ ラ の 感 想 」 を

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


山 口 三 に 勧 め ら れ て 小 説 を 読 み は じ め 、 広 津 和 郎 の コ 一 人 の 不 幸 一 月 、 「 木 積 の 濟 倉 か ら 」 を 「 言 葉 」 二 号 に 発 表 し た が 、 雑 誌 は 二 者 」 、 続 い て 芥 川 龍 之 介 、 谷 崎 潤 一 郎 を 読 破 し た 。 谷 崎 潤 一 郎 の 「 或 号 で 廃 刊 し 、 五 月 、 後 継 誌 「 青 い 馬 」 を 創 刊 。 「 ふ る さ と に 寄 す る る 少 年 の 怯 れ 」 に は 特 に 感 動 し た 。 友 人 の 名 前 で ボ ク シ ン グ 小 説 讃 歌 」 「 ・ ヒ ェ ロ 伝 導 者 」 「 エ リ ッ ク ・ サ テ ィ 」 ( コ ク ト ー ) 他 を 発 表 。 「 人 心 収 攪 術 」 の 翻 訳 を 『 新 小 説 』 に 載 せ る 。 十 一 月 二 日 、 父 仁 一 六 月 、 「 風 博 士 」 を 「 青 い 馬 」 二 号 に 発 表 、 「 風 博 士 」 は 牧 野 信 一 が 「 文 藝 春 秋 」 七 月 号 の 「 別 冊 文 壇 ュ ウ モ ア 」 で 激 賞 、 「 風 博 士 」 な 郎 死 去 。 次 期 内 閣 の 導 が あ っ た が 、 多 く の 借 財 が 残 さ れ た 。 十 九 歳 る 一 文 を 草 し た 。 七 月 、 「 黒 谷 村 」 を 「 青 い 馬 」 三 号 に 、 八 月 、 「 帆 大 正 十 四 年 ( 一 九 ニ 五 ) 四 月 、 豊 山 中 学 校 を 卒 業 。 借 財 が 残 っ て い る の を 知 っ て 大 学 受 験 を 影 」 を 「 今 日 の 詩 』 に 、 九 月 、 「 海 の 霧 」 を 「 文 翡 春 秋 」 に 、 十 月 、 諦 め 、 荏 原 郡 第 一 尋 常 高 等 小 学 校 分 校 の 代 用 教 員 と な る 。 俸 給 は 四 「 霓 博 士 の 廃 頽 」 を 『 作 品 』 に 発 表 。 「 竹 藪 の 家 」 を 牧 野 信 一 編 集 の 十 五 円 。 教 師 生 活 の な か で 多 く の 文 学 書 に 親 し み 、 チ ェ 1 ホ フ の 「 文 科 』 ( 昭 和 七 年 三 月 、 四 号 で 廃 刊 ) に 連 載 。 昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 D 一 一 十 六 歳 「 退 屈 な 話 」 を 繰 り 返 し 熟 読 す る 。 二 十 歳 二 月 、 「 」 を 『 文 藝 春 秋 」 に 発 表 。 三 月 、 京 都 に 赴 き 、 大 岡 昇 平 の 大 正 十 五 年 ・ 昭 和 元 年 ( 一 九 一 一 六 ) 中 学 時 代 の 宗 教 へ の 憧 れ が 強 く な り 、 学 問 的 に 仏 教 を 勉 強 す る べ く 紹 介 で 加 藤 英 倫 を 知 っ た 。 加 藤 英 倫 と の 一 ヶ 月 半 余 の 共 同 生 活 は 以 後 の 生 活 の 転 機 と な る 。 「 FARCE に 就 て 」 を 「 青 い 馬 』 五 号 に ( 「 青 教 員 を 辞 め る 。 四 月 、 東 洋 大 学 印 度 哲 学 科 に 入 学 。 い 馬 』 は 五 号 で 廃 刊 ) 。 「 Piérre Philosophale 」 を 「 文 学 』 ( 厚 生 閣 昭 和 ニ 年 ( 一 九 二 七 ) 二 十 一 歳 入 学 以 来 、 悟 り を 拓 こ う と い う 修 業 を 続 け 、 一 日 睡 眠 四 時 間 半 の 生 書 店 ) に 、 四 月 、 「 群 集 の 人 」 を 「 若 草 』 に 、 六 月 、 「 母 」 を 「 東 洋 ・ 活 を 一 年 半 も 遂 行 し た 。 七 月 、 神 経 衰 弱 に 陥 り 、 芥 川 龍 之 介 の 死 に 文 科 」 に 発 表 。 加 藤 英 倫 の 紹 介 で 上 京 し て き た 矢 田 津 世 子 を 知 る 。 ′ 1 リ 語 を 勉 強 す る こ と に よ っ て 、 こ れ を 克 十 月 、 「 村 の ひ と 騒 ぎ 」 を 「 三 田 文 学 」 に 発 表 。 衝 撃 を 受 け た 。 梵 語 、 《 昭 和 八 年 ( 一 九 三 一 一 D 二 十 七 歳 服 し た 。 ま た 小 説 を 書 い て 「 改 造 」 の 懸 賞 小 説 に 応 募 、 落 選 し た 。 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) 二 十 二 歳 二 月 、 「 小 さ な 部 屋 」 を 「 文 藝 春 秋 』 に 、 五 月 、 「 麓 」 を 同 人 雑 誌 四 月 、 ア テ ネ ・ フ ラ ン セ に 入 学 、 「 賞 」 を 貰 う ほ ど 仏 語 の 勉 強 に 熱 「 桜 」 に 発 表 。 同 人 は 井 上 友 一 郎 、 矢 田 津 世 子 ら 。 六 月 、 同 人 を 脱 モ リ エ ー ル 、 ヴ ォ ル テ ー ル 、 退 。 十 一 月 、 「 ド ス ト エ フ ス キ ー と ・ ハ ル ザ ッ ク 」 を 「 行 動 」 に 発 表 。 渟 中 し た 。 長 嶋 卒 、 江 口 清 と 知 り 合 い 二 十 八 歳 昭 和 九 年 ( 一 九 三 四 ) ポ ン マ ル シ ェ の 作 品 を 愛 読 。 左 翼 文 学 に は 興 味 を 覚 え な か っ た 。 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) 二 十 四 歳 三 月 、 「 谷 丹 三 の 静 か な 小 説 」 を 「 三 田 文 学 」 に 、 四 月 、 「 文 章 そ の 年 一 一 一 月 、 東 洋 大 学 印 度 哲 学 科 を 卒 業 。 十 一 月 、 ア テ ネ ・ フ ラ ン セ の 友 他 」 を 「 鷭 」 に 、 五 月 、 「 姦 淫 に 寄 す 」 を 「 行 動 』 に 、 丸 月 、 戯 曲 人 達 と 同 人 雑 誌 『 言 葉 』 を 創 刊 、 9 ル ウ ス ト に 就 て の ク ロ ッ キ 」 「 麓 」 を 「 新 潮 』 に 発 表 。 文 学 的 転 機 に 深 く 悩 み 、 放 浪 を け た 。 く ず ま き よ し と し 一 一 十 九 歳 昭 和 十 年 ( 一 九 三 五 ) 矼 ( マ リ イ ・ シ ェ イ ケ ビ ッ チ ) を 発 表 。 巻 義 敏 ら が 同 人 。 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 一 一 十 五 歳 一 月 、 「 淫 者 山 へ 乗 り 込 む 」 を 「 作 品 」 に 、 三 月 、 「 悲 願 に 就 て 」 を

現代日本の文学 26 尾崎 士郎 坂口 安吾 集


尾 崎 士 郎 集 目 次 尾 崎 士 郎 文 学 紀 行 「 三 州 吉 良 港 」 へ の 旅 人 生 劇 場 ( 青 春 編 ) ・ 注 解 尾 崎 士 郎 文 学 ア ル ・ ハ ム 評 伝 的 解 説 紅 野 敏 郎 / 小 野 寺 凡 叫 哭 四 五 五 四 六 五 尾 崎 秀 樹 四 奎 1 浅 見 淵 宅 = 究