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検索対象: 現代日本の文学 8 有島 武郎 野上 弥生子 集

現代日本の文学 8 有島 武郎 野上 弥生子 集から 474件ヒットしました。

現代日本の文学 8 有島 武郎 野上 弥生子 集


現 代 日 本 の 文 学 有 島 武 野 上 弥 生 子 集 〈 監 修 委 員 〉 伊 藤 整 井 上 靖 川 端 康 成 ネ 三 島 由 紀 夫 究 〈 編 集 委 員 〉 習 足 立 巻 一 奥 野 健 男 尾 崎 秀 樹 杜 夫 ( 五 十 音 順 )

現代日本の文学 8 有島 武郎 野上 弥生子 集


現 代 日 本 の 文 学 8 全 60 巻 有 島 武 郎 野 上 弥 生 子 集 昭 和 46 年 8 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 10 月 1 日 25 版 発 行 有 島 武 郎 著 者 野 上 弥 生 子 発 行 者 古 岡 滉 発 行 所 鑾 学 習 研 究 社 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振 替 東 京 8 ー 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 大 日 本 印 刷 株 式 会 社 暁 印 刷 株 式 会 社 製 本 株 式 会 社 若 林 製 本 工 場 本 文 用 紙 三 菱 製 紙 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ リ ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 7 加 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 OYaeko Nogami,GAKKEN 1971 本 書 内 容 の 無 断 複 写 を 禁 す Printed in Japan ISBN4 ー 05 ー 050218 ー 6 C0393

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有 島 武 郎 集

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野 上 弥 生 子 集

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有 島 武 郎 集 目 次 有 島 武 郎 文 学 紀 行 道 南 の 五 月 或 る 女 ( 前 編 ) カ イ ン の 末 裔 さ き 者 へ 宣 言 注 解 年 譜 有 島 武 郎 文 学 ア ル ・ ハ ム 評 伝 的 解 説 瀬 沼 茂 樹 一 七 安 川 定 男 四 四 九 紅 野 敏 郎 四 三 = 四 三 九 四 四 九

現代日本の文学 8 有島 武郎 野上 弥生子 集


野 上 弥 生 子 集 目 次 野 上 弥 生 子 文 学 紀 行 豊 後 路 ・ 歴 史 と 文 学 の 旅 真 知 子 ・ 注 解 野 上 弥 生 子 文 学 ア ル ・ ハ ム 評 伝 的 解 説 製 編 作 写 装 作 集 品 真 安 担 責 校 撮 川 当 任 正 影 幀 宮 桜 鴻 榎 大 男 下 田 本 本 川 実 時 泰 四 襄 満 夫 雄 央 瀬 沼 茂 樹 三 三 紅 野 敏 郎 当 六 四 奎 四 四 四

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444 上 豊 一 郎 と 結 婚 。 漱 石 山 房 に 出 入 り す る 豊 一 郎 か ら 山 房 内 の 詳 細 な 話 を 聞 き 、 . そ の 文 学 的 雰 囲 気 に 触 発 さ れ て 習 作 「 明 暗 」 を 書 く 。 二 十 二 歳 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 一 一 月 、 漱 石 の 紹 介 で 処 女 作 「 縁 」 を 、 六 月 「 七 夕 さ ま 」 を 「 ホ ト ト ギ ス 」 に 発 表 。 七 月 「 仏 の 座 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 一 一 十 三 歳 明 治 四 十 一 年 ( 一 九 〇 八 ) 明 治 十 八 年 ( 一 八 八 五 ) 五 月 六 日 、 大 分 県 北 海 部 郡 日 杵 町 五 一 一 番 地 に 父 小 手 川 角 三 郎 、 母 一 月 、 「 紫 苑 」 を 「 新 小 説 」 に 、 「 柿 羊 羹 」 を 「 ホ ト ト ギ ス 」 に 、 三 マ サ の 長 女 と し て 生 ま れ た 。 本 名 ャ エ 。 家 は 醸 造 家 ( 一 一 代 目 ) で あ 月 、 「 お 隣 」 を 「 ホ ト ト ギ ス 」 に 、 「 池 畔 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 十 月 、 っ た 。 父 は 自 由 党 ( の ち の 政 友 会 ) に も 関 係 し て い た 。 ャ ュ に は 異 「 病 人 」 を 「 ホ ト ト ギ ス 」 に 発 表 。 十 二 月 、 十 六 回 に わ た り 「 女 同 志 」 を 「 国 民 新 聞 」 に 連 載 。 豊 一 郎 、 大 学 を 終 え 、 国 民 新 聞 社 に 入 母 兄 次 郎 、 妹 ミ ッ 、 弟 武 馬 ( の ち に 金 次 郎 ) が い た 。 六 歳 る 。 市 外 巣 鴨 町 上 駒 込 三 三 四 に 転 居 し 一 家 を か ま え た 。 明 治 ニ 十 四 年 ( 一 八 九 一 ) 一 一 十 四 歳 四 月 、 日 杵 尋 常 小 学 校 に 入 学 。 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 明 治 ニ 十 八 年 ( 一 八 九 五 ) 十 歳 四 月 、 「 鳩 公 の 話 」 、 十 月 、 「 林 檎 」 、 十 二 月 、 「 墓 地 を 通 る 」 を 「 ホ 四 月 、 日 杵 尋 常 高 等 小 学 校 に 入 学 。 こ の こ ろ か ら 国 学 者 久 保 会 蔵 に ト ト ギ ス 」 に 発 表 。 九 月 、 豊 一 郎 、 法 政 大 学 の 講 師 に な る 。 二 十 五 歳 つ い て 「 古 今 和 歌 集 」 「 万 葉 集 」 「 源 氏 物 語 」 「 枕 草 子 」 お よ び 、 「 四 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 四 月 、 「 母 上 様 」 を 、 六 月 、 「 閑 居 」 を 、 十 月 、 「 飼 犬 」 を 「 ホ ト ト 書 」 の 講 読 を 受 け た 。 明 治 三 十 ニ 年 ( 一 八 九 九 ) 十 四 歳 ギ ス 」 に 、 十 二 月 、 「 人 形 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 一 月 二 十 九 日 、 三 月 、 日 杵 尋 常 高 等 小 学 校 卒 業 。 後 藤 熊 生 に つ い て 英 語 の 学 習 を 始 長 男 素 一 が 生 ま れ た 。 二 十 六 歳 め た 。 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 l) 明 治 三 十 三 年 ( 一 九 8 ) 十 五 歳 二 月 、 「 墓 地 を 通 る 」 (ll) を 、 八 月 、 「 父 親 と 三 人 の 娘 」 を 「 ホ ト 上 京 し て 、 本 郷 区 弥 生 町 の 叔 父 小 手 川 豊 次 郎 方 に 寄 寓 し た 。 豊 次 郎 ト ギ ス 」 に 発 表 。 九 月 、 平 塚 明 子 ( ら い て う ) ら の 「 青 鞜 」 が 創 刊 の 紹 介 し た 毎 日 新 聞 の 島 田 三 郎 を 経 て 木 下 尚 江 に 紹 介 さ れ 、 東 京 府 さ れ 社 員 に な っ た が 、 翌 月 退 社 し 以 後 寄 稿 す る こ と で 協 力 す る 。 一 一 十 七 歳 明 治 四 十 五 年 ・ 大 正 元 年 ( 一 九 一 ll) 北 豊 島 郡 巣 鴨 村 字 庚 申 塚 一 一 四 六 の 明 治 女 学 校 普 通 科 に 入 学 し た 。 明 治 三 十 六 年 ( 一 九 〇 三 ) 十 八 歳 一 月 、 「 巳 之 吉 の 或 日 」 を 「 東 京 日 日 新 聞 」 に 、 「 秋 の 一 日 」 を 「 ホ ト ト ギ ス 」 に 、 「 お 由 」 を 「 婦 女 界 」 に 、 三 月 、 「 朋 輩 」 を 「 淑 女 か が み 」 に 、 明 治 女 学 校 普 通 科 を 卒 業 、 高 等 科 に 入 学 。 明 治 三 十 九 年 ( 一 九 〇 六 ) 一 一 十 一 歳 五 月 、 「 或 日 の 朝 飯 前 」 を 「 ホ ト ト ギ ス 」 に 、 八 月 、 「 テ レ ジ ャ の 悲 し 三 月 、 明 治 女 学 校 高 等 科 卒 業 。 八 月 十 五 日 、 同 郷 の 東 京 大 学 学 生 野 み 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 九 月 、 「 京 之 助 の 居 眠 」 を 「 青 鞜 」 に 発 表 。 野 上 弥 生 子 年 譜

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4 从 ー 女 学 生 時 代 の 弥 生 子 弥 カ 央 中 目 列 、 ら 時 の 業 卒 校 学 弥 生 子 は 明 治 十 八 年 ( 一 八 八 五 ) 五 月 六 日 、 大 分 県 う す き 瀧 北 海 部 郡 臼 杵 町 一 二 一 三 番 地 ( 現 臼 杵 市 大 字 臼 杵 五 〇 明 一 番 地 ) に 、 小 手 川 角 三 郎 の 長 女 と し て 生 ま れ た 。 戸 杵 子 籍 名 ャ エ 。 小 手 川 家 は ヤ 工 の 祖 父 、 初 代 角 三 郎 の 代 か 臼 生 ら 臼 杵 で 酒 造 業 を 営 み 、 父 の 二 代 目 角 一 二 郎 か ら 味 噌 、 の か ぎ り 他 に 見 い だ せ な い 。 さ す が は 彼 女 の 作 品 を 多 年 に わ た っ て 読 ん で 来 た 人 、 そ し て 彼 女 と 親 交 の あ る 人 の 、 作 家 と し て の 彼 女 に た い す る 深 い 理 解 に 立 っ た 知 己 の 言 で あ る と 思 わ れ る 。 作 家 、 野 上 弥 生 子 に つ い て い か に 千 万 言 を 費 や そ う と も 、 帰 す る と こ ろ は 要 す る に 、 そ の 語 の 包 括 し う る 最 大 限 の 意 味 で の 「 良 識 」 の 主 張 と 表 現 と い う 点 に こ そ 、 彼 女 の 文 学 の 最 大 の 特 質 が あ る と 同 時 に 、 そ の 限 界 も あ る と い う べ き で あ ろ 、 フ 。 「 限 界 」 と い 、 フ こ と ば は 安 易 に 使 、 つ へ き こ と ば で は な い け れ ど も 、 あ え て こ こ に 持 ち 出 し た の は 、 「 良 識 」 の 限 界 を 打 ち 破 ろ う と し て 悪 戦 苦 闘 の 末 に 挫 折 し た 有 島 武 郎 の 場 合 と っ き 合 わ せ た と き 、 そ の 点 が 問 題 と し て 浮 か び あ が ら ざ る を え な い か ら で あ る 。 以 下 そ の こ と を 念 頭 に お き な が ら 、 野 上 弥 生 子 の 経 歴 と 業 績 を た ど っ て み た い 。 き た あ ま べ

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右 憲 政 党 首 領 板 垣 退 助 が 弥 生 子 を を , 、 0 、 、 一 鵞 当 ー = 、 の 実 家 小 手 川 家 を 訪 れ た 際 の 記 念 写 真 。 中 央 退 助 の 右 、 弟 武 馬 、 人 お き 叔 父 豊 次 郎 、 そ の 左 後 ろ 兄 次 郎 。 退 助 の 左 、 父 角 三 郎 醤 油 の 製 造 も 始 め て 家 業 を 拡 大 、 臼 杵 の 「 御 三 家 」 の 一 つ に 数 え ら れ た 一 家 で あ る 。 ャ エ は 臼 杵 尋 常 小 学 校 四 年 、 同 高 等 小 学 校 四 年 を 経 て 明 治 三 十 三 年 、 勉 学 の た め 上 京 し た が 、 高 等 小 学 校 時 代 に は 通 学 の か た わ ら 小 中 村 清 矩 社 中 の 国 学 者 久 保 会 蔵 ( 千 尋 ) の 塾 に 通 い 「 四 書 」 の 壽 識 や 、 「 古 今 集 」 「 万 葉 集 」 「 源 氏 物 語 」 「 枕 草 子 」 な ど の 日 本 古 典 の 講 読 も 受 け て い た 。 ま た 後 藤 熊 生 と い う 人 に つ い て 英 語 の 手 ほ ど き も 受 け た 。 上 京 し た ヤ 工 は 叔 父 、 ト / 手 川 豊 次 郎 ー ー ア メ リ カ で 経 済 学 を 学 び 、 帰 国 後 、 経 済 学 者 、 評 論 家 と し て 活 躍 せ む し し て い た が 、 生 来 傴 僂 で あ っ た こ と も 手 伝 っ て 、 常 規 左 巣 鴨 庚 申 塚 の 明 治 女 学 校 を 逸 し た と こ ろ の あ る 奇 人 で あ っ た ー ー ー の 家 に 寄 寓 し 、 1 年 頃 の も の 右 校 長 巌 本 善 治 の 弟 捷 治 ( 右 ) 当 時 、 巣 謝 申 に あ 「 た 明 治 女 学 校 に 学 ん だ 。 か っ ・ ′ フ し ま ち い わ も と ゼ ん じ と そ の 家 族 。 右 手 洋 館 が 明 治 女 て は 麭 町 に あ っ て 、 巌 本 善 治 の 経 営 の も と に 北 村 透 谷 、 学 校 々 舎 磯 崎 嘉 治 氏 提 供 星 野 天 知 、 島 崎 藤 村 な ど を 教 授 陣 に 迎 え て 新 し い 女 子 教 育 を 実 現 し 、 名 声 天 下 に と ど ろ い た こ の 学 校 も 、 明 治 二 十 九 年 に 火 災 に あ っ て 巣 鴨 に 移 転 し て か ら は 、 次 第 に 往 時 の 精 彩 と 名 声 を 失 い 、 ヤ 工 が 卒 業 し た 明 治 三 十 九 年 に は 遂 に 廃 校 の 運 命 に ま で 陥 っ た 。 し か し そ う 、 し た 衰 退 期 の な か に あ 「 て も 、 ヤ は 普 通 科 、 高 等 科 合 わ せ て 六 年 間 に 、 巌 本 善 治 の 魅 力 に 富 ん だ 道 話 を 聞 き 、 課 外 に 内 村 鑑 三 、 徳 富 蘇 顰 な ど か ら 講 話 を き く な 4 ど し て 、 新 し い 自 由 な も の の 考 え 方 を 学 び と る こ と が ィ 朝 噎 な 、 第 イ 2

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て く れ た が 、 汽 車 か ら は み え な か っ た 。 雨 の 降 る 中 で 、 今 日 が 最 後 と か い う o 型 蒸 気 機 関 車 を カ メ ラ に お さ め よ う と し て 待 ち か ま え て い る 人 た ち を 、 沿 線 に 多 く み た 。 今 日 は 倶 知 安 町 で 、 高 山 亮 二 、 武 井 静 夫 の 両 君 昔 の 狩 太 、 今 の ニ セ コ を 訪 ね る 。 今 日 も 雨 が 降 り 、 蝦 夷 富 士 と い わ れ る 後 方 羊 蹄 山 の 英 姿 は み ら れ そ 、 つ も な い 有 島 武 郎 が 明 治 三 十 四 年 七 月 二 十 四 日 倶 知 安 町 に 着 い た と き に 、 そ の 夜 、 一 泊 し た >< >< 旅 館 は 三 浦 屋 旅 館 で あ っ た と 、 武 井 君 は 考 証 す る 。 今 は 三 浦 屋 菓 子 舗 に 変 っ て い る 。 倶 知 安 か ら 尻 別 ー Ⅱ に 沿 う て 、 四 十 分 に し て ニ セ コ 町 に 入 り 、 昔 の 有 島 農 場 に 出 か け る 。 「 有 島 」 あ ざ な は 字 々 と な っ て 残 っ て い る 。 カ シ ュ ン べ ッ 川 を 渡 る と 、 み ず ば し よ う 広 大 な 農 場 へ の 入 口 を し め す 標 柱 が あ る 。 水 芭 ~ 焦 か 生 ゅ 、 、 い ( 2 い え 、 白 色 の 花 穂 が 出 て 、 雪 解 を 告 げ て い る 。 時 々 、 雨 雲 が 明 る く な り 遠 く に 山 々 が ほ ん や り と み え る 高 原 地 帯 と い う 気 が す る 。 『 カ イ ン の 末 裔 』 の 舞 台 で あ り 見 渡 す か ぎ り の 原 野 は よ く 開 拓 さ れ て い る か 、 ま だ 雄 大 な 蝦 夷 地 を 思 わ せ る 風 土 の 特 色 は 生 き て い る 。 、 や て る 小 高 い 丘 を 二 十 七 段 登 る と 、 弥 照 神 社 が あ る 。 有 島 武 が 建 て た 社 で 、 十 五 坪 ば か り あ っ て 、 炉 を 切 り の 集 会 所 に も ち い ら れ た 。 武 郎 が 、 大 正 十 一 年 七 月 十 八 日 、 小 作 人 を 集 め て 、 農 場 解 放 の 趣 旨 を 話 し た と こ し り べ っ ま っ え 、 町 を 」 を 一 第 蠧 、 , ー 狩 太 共 生 農 場 ( 旧 有 島 農 場 ) の 入 口 付 近