第 1 章 写楽失踪事件・もくじ 写楽が十カ月て消えた理由 , いまだ解决されない謎の数々 大衆にあきられた写楽 能役者の非番が終った 幕府が嫌った西洋画 あまりに真を描いて役者達に嫌われる 勝川派の敗退ど美意識の転換 写楽は素性を隠す必要があった ◎
第 2 章 第 3 章 女形達に嫌われた写楽大首絵 蔦屋重三郎の死 ◎ 写楽を追いつめる「 写楽の行方を追いつめる 霊巌島あたりの小料理屋 判型を変えて頑張る写楽 絵草子版元和泉屋市兵衛の店 ◎ 写楽の正体は斎藤十郎兵衛だった。 50 46 ろ 6
第 4 章 私ど写楽の出合い なぜ私は、写楽を斎藤十郎兵衛に絞ったのか ? ◎ 写木さっそ、つと一アビュー 低迷する寛政歌舞伎界 豊国登場ど蔦屋の事情 写楽、黒雲母摺大首絵をひっさげてデビュー ドラマツルギーを描いた写楽大首絵 舞台を徹底して写実する勝川派 写楽は、なぜクローズアップで役者の顔を描いたか ? 歌舞伎ど能 舞台証明ど光ど影 10 ろ 115 110 1 ろ 0
第 6 章 第 5 章 首絵誕生の秘密 蔦屋刊行物ど写楽の関係 北尾政美ど蘭学者達 北山寒巌は、すでに西洋肖像画を描いていた フランドル画家、ヴァン・ダイク ◎ 写楽失踪へのプロローグ 版型を細判、揃物にきり換える写楽 写楽不在の八月、九月の江戸歌舞伎 顔見世興行のハイライトシーンに挑む写楽 ◎ 142 1 う 5 168 160 169 1 う 0
第 7 章 関西演劇人が江戸歌舞伎に与えた影響 、冫戸粋美をアピールした豊国 「五十カ恋緘」の成功ど世話狂言の確立 写楽は近代絵画の礎となった ~ ヒボクラテス画像をめぐって 石川大浪 / 桂川甫賢 / 2 渡辺華山 / 川上冬崖 / 高橋由一 / あ と が き 2 0 5 ◎ 180 190 177 182
内田千鶴子 ( うちだ・ちずこ ) 昭和 18 年千葉市生まれ。昭和 41 年早稲田大学第一法学部卒業。 昭和 54 年、義父・内田吐夢の遺品のなかから見つけた写楽に関する 手紙がキッカケで写楽研究に没頭。「歴史と人物」 「歴史読本」「浮世絵芸術」等に写楽研究の論文を発表。 平成 5 年、三一書房より「写楽・考」を刊行。日本浮世絵協会会員。 写楽失踪事件 一九九五年一月五日初版発行 発行者ーー栗原幹夫 発行所ーーーベストセラーズ 東京都新宿区大京町一一二番地〒一六 0 電話一ー三三五三ーれ三一振替呂一八 0 ー六ー一 0 三 0 八三 印刷所ーーー新井印刷製本所ーーナショナル製本版下制作ーオノ・エーワン ISBN4 ー 584 ー 18197 ー 7 C0021 内田千鶴子 OChizuko Uchida