中央アメリカをかける

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コスタリカ アメリカ グアテマラ 中米 パナマ コロンビア 自転車 メキシコ サンプラス サンチャゴ ニカラグア 南米 子どもたち ダリエン地峡 ホンジュラス チュウ サンホセ ヒメウミガメ グレートジャーニー トドスサントス タマゴ 先住民 国立公園 エルサルバドル 縦断 ジャングル アカプルコ 自然保護区 日本 リゴベルタ・メンチュウ 手続き スペイン人 出かせぎ 自分たち 鼠径ヘルニア ケツアール 出入国管理 国境 フーリオ 人たち ファン 観光客 中央アメリカ 警官 午前五時 オスティオナル アリアス大統領 しよう ゲリラ 一時間 太平洋 メートル 動物 村人 文化 ヤドクガエル 全霊 関野吉晴 カヤック 政府軍 入国 パナマ運河 アメリカ人 トラック 越え 諸島 こっき 南米大陸 熱帯雨林 カリブ海 日本文化 中南米 長谷川 警察署 ルシア トルティーヤ 自分 競馬 運河 手術 白根 道路 レセップス たくさん アテマラ 出発 時間 政府 暑さ ハナマ 雲霧林 ストロ

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◆グレートジャーニーとは グレートジャーニ 1 。大いなる旅。人類が地球上を移動していった旅路を、イギリスの考 古学者、プライアン・フェイガンは、こう名づけました。 たんじよう 人類は、約五百万年前に、東アフリカで誕生したといわれています。そして百数十万年前 たいりく にアフリカ大陸から、ヨーロッパやアジアを経て、南北アメリカ大陸へと広がっていきまし た。アフリカ大陸からもっとも遠い南アメリカ大陸最南端にたどりついたのは、一万数千年 前。その移動距離は五万キロにもおよびます。 ばくはいま、この人類の旅路、グレートジャーニ 1 を逆ルートで、徒歩、カヤック、自転 きやくりよくわんりよく 車という、自分の脚力と腕力だけでたどっています。 一九九三年一二月、チリのナヾ ノリーノ島を出発、一九九六年三月にようやく南アメリカ大 陸をでて、中央アメリカに入りました。 なんぶひょうしようじゅうだん なんかん 今回は、ビーグル水道、マゼラン海峡横断、パタゴニア南部氷床縦断につぐ難関、コロン と、つは ビアとパナマをむすぶダリエン地峡の踏破に成功し、南米を卒業したもよう、中央アメリカ でんとう しよとう を自転車で走破した旅、マヤ文明の伝統を残すサンプラス諸島、トドスサントスの村、ノー さまざま ベル平和賞を受賞したグアテマラのリゴベルタ・メンチュウさんのインタビュー な動物がいるコスタリカの旅を報告します。 きより かいきようおうだん さいなんたん いどう ぎやく

マヤ月ティカル アカプルコへ 59 りよ、つよう 手術とサンプラス諸島での療養 ぜんれいさい マ / O 3 全霊祭の村 7 ′ 0 ふたたび中米へ リゴベルタ・メンチュウさんに会、つ 71 っ / -5 メンチュウさんからのメッセージ フ / 8 全霊祭の村 サンチャゴ・ラメレスさんの家に泊まる 82 ききよう 8 ・ 6 長男ファンさんの帰郷 ないらんき 内乱期のトドスサントス ナ、ま 競碼がはじまった 92 お墓参り 9 / 川森の国コスタリカの動物たち フーリオさんの平和主義 さんらん ウミガメの産卵 ケツアールを見る ほうせき ジャングルの宝石たち 1 ー、ーっ 白いコウモリ あと・かき は しよと、つ 9 ・ 0 0 ′ 0 ′ 0 ′ 9 ・

目次 グレートジャーニーとは っ」し玉、つ 田ダリエン地峡を越えて きけん 危険なジャングルへ トウルポ出発 南米卒業 図自転車で中米を縦断 ふたたびカヤックで みつにゆうこく 密入国ルート しようとっ つ」 O イヌと衝突 鼠径ヘルニア 。ハナマ運河をわたる しやくねっ つ」 0 ′ 灼熱の路上 軍隊のない国コスタリカ CO ′ 0 ニカラグア入国 むつつりしながらも親切な人たち ホンジュラス入国 エルサルバドルの陽気な人々 、ナこえの文明 天文学とし ( , けいかん 警官にたかられる 2 4 5 5 6 じゅうだん 2 5 4 4 6 4 4 6