注文の多い料理店

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目次

ハトヴは一つの地名である。強て、その地点を求むるならばそれは、大小クラウスた ママたど ンタール》 ちの耕してゐた、野原や、少女アリスガ辿った鏡の国と同じ世界の中、テパ 漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考へられる。 0 0 0 0 0 実にこれは著者の心象中に、この様な状景をもって実在した ドリームランドとしての日本岩手県である。 ( この行改行赤刷り ) そこでは、あらゆる事が可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従へ あり 理て北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。 きょ 料 罪や、かなしみでさへそこでは聖くきれいにかゞゃいてゐる。 ママ 多 ーリング市迄 深い掬の森や、風や影、肉之草 ( 「月見草」の誤植か ) や、不思議な都会、べ の 0 0 0 0 文続々 ( 「く」の誤植か ) 電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。この童話 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終り頃から、アド レッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとってゐる。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 この見地からその特色を数へるならば次の諸点に帰する。 三これは正しいもの、種子を有し、その美しい発芽を待つものである。而も決して既成 の疲れた宗教や、道徳の残澤 ( 「滓」の誤植 ) を色あせた仮面によって純真な心意の あざむ 所有者たちに欺き与へんとするものではない。 ニこれらは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しゃうとはする。けれどもそれは全 336

して成ったのが、本書に収めたよく知られているテクストであって、その手入れの年月日は がた 全く不明であり、さらにその他の作品も、同様に、制作年代は定め難い。こだ、現存稿の用 紙の使用順等からほほ推定された『校本宮澤賢治全集』での配列順を参照して、本書でもお おむね旧から新へと作品が並んでいると考えていただけると思う。 本文テクストは、『新修宮沢賢治全集』を底本としているが、「土神ときつね」は、赤イン クによる最終手入れ二ヶ所のみ ) をはずすことにした結果、題名「土神ときつね」の「き きつね つね」を「狐」に直している赤インク手入れもはすれて、新修全集における題名「土神と て 狐」が変改を受けることとなった。 ( これはちくま文庫版『宮沢賢治全集』第 6 巻の措置に 9J 合わせたものである ) 作 ( ト注文の多い料理店宮沢賢治著』 ( 表紙 賢治の唯一の生前刊行童話集となったー 収 の背文字による ) は、一九二四 ( 大正十三 ) 年十二月一日、盛岡市の近森善一を発行者、発 行者と同住所の「杜陵出版部」と東京の「光原社」とを発売元として刊行された。近森善一 という人は、賢治と同じ盛岡高等農林出身のなかなかオリジナルな青年だったらしく、この くわた 1 ズを企て、愉快な広告ちらしや広告葉書 ( 賢治も文案を 童話集を皮切りに全十二巻のシリ かんは 書いた ) を作って宣伝したが、売れ行きは芳しからず、この一冊で終りとなった。その広告 しつびつ ちらしに撕載された次の文章は、まちがいなく賢治自身の執筆とみられ、重要な文献なので 全文を引いておく。 335

天沢退二郎 本書は、あらたに私が編むこととなった新潮文庫版宮沢賢治童話集三冊のうちの一冊であ ぜんべん って ( 他の二冊は『銀河鉄道の夜』『風の乂三郎』 ) 、童話集『注文の多い料理店』全篇と、 もっ 理その自筆広告文に示された「古風な童話としての形式と地方色とを以て類集した」という著 ローカルカラー のうみつ 料 者の編集意図の延長上に、同じく濃密な地方色のうちに普遍的主題を追求発展させている 多個性的な作品群を加えて、「ドリームランドとしての日本岩手県」の風や光、草や土や人や 文動物たちの生気のあふれる一巻をと意図したものである。 『注文の多い料理店』の諸篇は、初版本目次題名下に年月日が記されている ( 本書目次に再 現した ) が、不完全ながら残っている「山男の四月」「かしわばやしの夜」の各初期形の原 稿をみると、初版本テクストとの間に相当大きなちかいかあり、各作品がそれぞれの日付に とうてい 一挙に現在私たちが読む形に成立したとは到底思われない。したがって、これら目次題名下 の日付は、いわゆる制作年月日ではなく、おそらく第一稿の書かれた時点を示すものとみら いっそう確実に、そのようなものである ) 。 れている ( 多くの詩作品に付されている日付は、 ゆきわた また、「雪渡り」は後述のように雑誌発表されたが、作者が後日さらにその初出形に手入れ 又録をにロ叩について