本願寺と蓮如上人

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いよん 念仏為本は法然上人の浄土宗、信心為本は親鸞聖人の浄土真宗と分 別するのは、間違っています。「念仏成仏是真宗」と開いてくださった のが、法然上人でありました。これが親鸞聖人のお領解でありましょ ところで、現在用いております浄土真宗という宗名は、江戸時代に おいて、浄土宗からの抗議がしばしば起って「宗名事件」にまでなり まして、本願寺側から幕府に宗名の公称許可を申請しているのです。一 それでも浄土宗側の反対が強く、幕府も困って、あげくの果、「一万日 の御預」という変な決裁が下ったと、伝えられております。結局、明 ゝ、一八七二年に、宗名の公称を許可されたと 治政府になってまもなし いう経緯があったのです。 次に「本願寺」を辞書で調べますと「京都東山の大谷に親鸞の遺骨

蓮如上人までの本願寺 一九九八 ( 平成十 ) 年は、浄土真宗本願寺第八代蓮如上人の五百回 遠忌法要の年であります。この本願寺という寺号は親鸞聖人は当然な がら用いておられません。浄土真宗という宗旨を開く意図も、もって おられませんでした。恩師法然上人を讃えるご和讃に 智慧光のちからより 本師源空あらはれて 浄土真宗をひらきつつ 送択本願のべたまふ 如来の智慧を身につけられた法然上人が、この世に現われて浄土真 宗を開いてくださいました、と詠まれました。

蓮如上人までの本願寺 : ・ ご再興の意味 : ・ 目次