469 ーユージーランド』一艦長ジョン・ F ・ E ・グリーン大佐 ( ウィリア ム・ C ・バケナム少将の旗艦 ) 「インディフアティガプル』一艦長チャールズ・ F ・ソワビー大佐 「サウサンプトン』一艦長ウィリアム・ E ・グデナフ准将 「ノッティンガム』一艦長チャールズ・ B ・ミラー大佐 ミンガム』一艦長アーサー・ A ・ M ・ダフ大佐 「ダブリン』一艦長アルバート・ c ・スコット大佐 「ガラティア』一艦長工ドウイン・ S ・アレキサンダー - シンクレア准将 『インコンスタント』一艦長バートラム・ S ・セシガー大佐 『フェイトン』一艦長ジョン・ E ・キャメロン大佐 『コーデリア』一艦長タフトン・ P ・ H ・ビーミッシュ大佐 「ファルマス』一艦長ジョン・ D ・エドワーズ大佐 ( トレベリアン・ D ・ W ・ネイピア少将の旗艦 ) 「バーケンヘッド』一艦長ェドワード・リープ大佐 『グロスター』一艦長ウィリアム・ F ・プラント大佐 「ヤーマス』一艦長トーマス・ D ・プラット大佐 「バーラム』一艦長アーサー・ w ・クレイグ大佐 ( ヒュー ・エヴァン - トーマス少将の旗艦 ) 『ウォースパイト』一艦長工ドワード・ M ・フィルポツツ大佐 「バリアント』一艦長モーリス・ウールコム大佐 『マレーヤ』一艦長ジ・オン・アルジャノン・ D ・ E ・ H ・ポイル大佐 『チャンヒ。オン』一艦長ジェームズ・ U ・フェーリー大佐 ( 水雷戦隊 司令 ) 「ネスター』 271 「ニケーター』一艦長ジャック・ E ・ A ・モーカッタ大尉 「モーズビー』一艦長ロジャー・ V ・アリソン少佐 『オンズロー』一艦長ジョン・ C ・トービー少佐 『ニリッサ』一艦長モンタギュー・ C ・ B ・レグ少佐 『ペリカン』一艦長ケニス・ A ・ビーティ少佐 『ペタード』一艦長エヴリン・ C ・ O ・トムソン少佐 『オプデュレット』一艦長セシル・ H ・ H ・サムス少佐 『ナーポロー』一艦長ジェフリー・コーレット少佐 「ノーマッド』一艦長ポール・ホイットフィールド少佐 ー艦長ジ・オン・エドワード・ B ・ S ・ビンガム中佐 大佐 ( 水雷戦隊司令 ) 『アタック』一艦長チャールズ・ H ・ N ・ジェームズ少佐 『エアリアル』一艦長アーサー・ G ・テイベット少佐 『アケロン』一艦長チャールズ・ G ・ラムジー中佐 『フィアレス』一艦長チャールズ・ D ・
468 『マイケル』一艦長クロード・ L ・ヘート少佐 「マーン』一艦長ジョージ・ B ・ハートフォード少佐 「ミルカレック』一艦長チャールズ・ G ・ネイラー大尉 「マナーズ』一艦長ジェラルド・ c ・ハリソン少佐 『ムーン』一艦長ウィリアム・ D ・アービン中佐心得 『マウンジー』一艦長ラルフ・ V ・エア少佐 『モーニング・スター』一艦長ヒュー・ U ・フレッチャー少佐 『フォークナー』一艦長アンセラン・ J ・ B ・スターリング大佐 ( 水雷 戦隊司令 ) 「マークスマン』一艦長ノートン・ A ・サリバン中佐 『オビディアント』一艦長ジョージ・ W ・マック・ C ・キャンベル中佐 「マインドフル』一艦長ジョン・ J ・ c ・リドリー少佐 「マーカレ』一艦長レジナルド・ w ・グラップ少佐 「オンスロート』一艦長アーサー・ G ・オンズロー少佐 「メナード』一艦長ジョン・ P ・チャンピオン中佐 「ナーウアル』一艦長へンリー・ V ・ハドソン少佐 『ネッソス』一艦長工リック・ Q ・カーター少佐 『ノープル』一艦長へンリー・ p ・ボクサー少佐 「オーパル』一チャールズ・ G ・ C ・サムナー中佐 「ノンサッチ』一艦長 ト・ I ・ N ・ライアン少佐 「メナス』一艦長チャールズ・ A ・ポイニャンド少佐 「マンスター』一艦長スペンサー・ F ・ラッセル少佐 「メアリー・ローズ』一艦長工ドウイン・ A ・ホーマン少佐 「ミスチーフ』一艦長ジ・オン・サイリル・ A ・ワード少佐 「オーク』一艦長ダグラス・ファーヴィル少佐 『アプディール』一艦長べリック・カーティス中佐 (b) サー・ディビッド・ビーティ中将麾下の諸艦 『ライオン』一艦長アルフレッド・ E ・ M. チャットフィールド大佐 ( サー ディビッド・ビーティ中将の旗艦 ) 、参謀長ルードルフ・ W ・ べンティンク大佐乗艦 『プリンセス・ロイヤル』一艦長ウォルター・ H ・カウアン大佐 ( オ ズモンド・デ・ B ・プロック少将の旗艦 ) 『タイガー』一艦長へンリー・ B ・ペリー大佐 『クイーン・メリー』一艦長セシル・ I ・プラウズ大佐 270
467 『インドミタブル』一艦長フランシス・ W ・ケネディ大佐 「インフレキシプル』一艦長工ドワード・ H ・ F ・ヒートン - 工リス大佐 『カライアヒ。』一艦長チャールズ・ E ・ル・メズリエ准将 「カロライン』一艦長 H ・ラルフ・クルック大佐 『コーマス』一艦長アラン・ G ・ホサム大佐 「コンスタンス』一艦長サイリル・ S ・タウンゼント大佐 ード大佐 「ロイアリスト』一艦長ジ・オン・ハーバート 「カンタベリー』一艦長パーシー・ M ・ R ・ロイズ大佐 『チェスター』一艦長ロバート・ N ・ローソン大佐 『アクテイプ』一艦長パーシー・ウイザーズ大佐 『カースター』一艦長ジェームズ・ R ・ P ・ホークスレー准将 ( 水雷戦 隊総指揮官 ) 「テイベラリ』一艦長チャールズ・ J ・ウインツアー ( 水雷戦隊司令 ) 『プローク』一艦長ウォルター・ L ・アレン中佐 「シャーク』一艦長ロフタス・ W ・ジョーンズ中佐 「アカスタ』一艦長ジョン・ O ・バロン少佐 「スヒ。ットファイア』一艦長クラレンス・ W ・ E ・トレロー ・ホプキンス少佐 「スパローホーク』一艦長シドニ ー少佐 「アケイテズ』一艦長レジナルド・ B ・ C ・ハッチンソン中佐 「アンノヾスケイド』一艦長ゴードン・ A ・コールズ少佐 『アーデント』一艦長アーサー・マースディン少佐 『フォーチュン』一艦長フランク・ G ・テリー少佐 『ポーパス』一艦長ヒュー・ D ・コルヴィル中佐 『ュニテイ』一艦長アーサー・ M ・レッキー少佐 『ガーランド』一艦長レジナルド・ S ・ゴフ少佐 「クリストファー』一艦長フェアファクス・ M ・カー少佐 『コンテスト』一艦長アーナルド・ G ・ H ・マスター少佐 「アウル』一艦長ロバート・ G ・ハモンド中佐 「ハーデイ』一艦長リチャード・ A ・ A ・プロードン中佐 『ミッジ」一艦長ジェームズ・ R ・ C ・キャベンディッシュ少佐 269 「マンデート』一艦長工ドワード・マック・ C ・ W ・ローリー少佐 「モンス』一艦長ロバート・マキン少佐 「ミスティック』一艦長クロード・ F ・オールサップ中佐 「ミニオン』一艦長へンリー・ C ・ローリングズ少佐 「マジック』一艦長ジェラルド・ C ・ウインター少佐 『マーシャル』一艦長ジュリアン・ハリソン少佐 「オソーリイ』一艦長ハロルド・ V ・ダンダス中佐 『ケンペンフェルト』一艦長ハロルド・ E ・サリバン中佐 『オフィーリア』一艦長ルイス・ G ・ E ・クラップ中佐
470 『ハイドラ』一艦長フランシス・ G ・グロッソップ大尉 『バジャー』一艦長 G ・ A ・フリマントル中佐 「ゴスホーク』一艦長ダッシュウッド・ F ・モイア中佐 『ディフェンダー』一艦長ローレンス・ R ・パーマー少佐 『リザード』一艦長工ドワード・カレック少佐 「ラップウイング』一艦長アレキサンダー・ H ・ガイ少佐 「リディアード』一艦長マルコム・ L ・ゴールドスミス中佐 「リバテイ』一艦長フィリップ・ W ・ s ・キング少佐 「ランドレール』一艦長フランシス・ E ・ H ・ G ・ホーバート少佐 「ローレル』一艦長へンリー・ D ・ c ・スタニストリート大尉 「ムーアサム』一艦長ジョン・ C ・ホジソン中佐 「モーリス』一艦長工ドワード・ s ・グレアム少佐 『タービュレント』一艦長ダドリー・スチュアート少佐 『ターマジェント』一艦長カスパート・ p ・プレイク少佐 『エンガディン』一艦長チャールズ・ G ・ロビンソン少佐 4. 5 月 31 日 ( 水曜日 ) 正午過ぎ、第 1 、第 2 巡戦戦隊及び第 1 、第 2 、第 3 軽巡戦及び第 1 、第 9 、第 13 水雷戦隊の駆逐艦は 第 5 戦艦戦隊の支援の下、私の指示により戦艦艦隊の南方で偵察 を行っていた。これには第 3 巡戦戦隊、第 1 、第 2 巡洋戦隊、第 4 軽巡戦隊、第 4 、第 11 、第 12 水雷戦隊が随伴していた。 5. 敵発見後の戦艦艦隊と偵察隊の合流が遅れたのは、偵察隊が 敵巡洋艦と戦闘を始めてから南方に 1 時間航走したためである。 これは当然避けることができないもので、もし我が巡洋戦艦が敵 を南方に追跡しなければ、主力艦隊同士が接触することは決して 無かったであろう。 サー・ディビッド・ビーティの勇敢な統率とエヴァン - トーマス 少将指揮下の第 5 戦艦戦隊の賞賛に値する支援により、巡戦艦隊 は時折状況が不利になりながらも、我が海軍の最高の伝統を辱め ない奮戦をした。我が方の諸艦はドイツ戦艦艦隊が参戦するまで は砲カ及び隻数でかなり有利であったが、防御の点でイギリスと 272
479 優位を確立した。この期間に我が方の艦が受けた損害は『インビ ンシプル』の喪失を除けばわずかなものであった。私自身が見た ところと他の艦の報告から、敵は巡洋戦艦も戦艦も同様に甚大な 損害を受けたことが明らかであった。敵戦列の先頭部隊は壊滅し て味方の戦艦を我が方の多数の巡洋戦艦の攻撃に晒すままにした。 また第 5 戦艦戦隊も我々から離れる前に敵戦艦と交戦していた。 同戦隊司令のエヴァン - トーマス少将の報告は大きな戦果を上げた ことを示しており、彼の堂々たる戦隊が敵に大打撃を与えたこと は間違いない。 「 T ・ D ・ w ・ネイヒ。ア少将の報告によれば、第 3 軽巡戦隊は 我が右舷前方に占位し十分に敵の前方に出て、午後 6 時 25 分に 魚雷攻撃を行った。『ファルマス』及び『ャーマス』の両艦が敵巡 戦戦隊の嚮導艦に向けて魚雷を発射したところ、激しい水中爆発 が 1 回認められたので、魚雷 1 本が命中したと認められる。次い で第 3 軽巡戦隊は敵の大型艦を勇敢に砲火で攻撃したが、自らに は損害がなく、そのことが敵の戦闘能力が大幅に損なわれたこと の証となった。ネイピア少将の断固として効果的な攻撃は大いな る賞賛に値する。「インドミタブル』の報告によれば同時刻頃に 『デアフリンガー』級の 1 隻が落伍したとのことである。 8. 一方、午後 6 時に『カンタベリー』 ( 艦長パーシー・ M ・ R ・ ロイズ大佐 ) は、駆逐艦『シャーク』 ( 艦長ロフタス・ W ・ジョー ンズ中佐 ) 、『アカスタ』 ( 艦長ジョン・ O ・バロン少佐 ) 、『クリス トファー』 ( 艦長フェアファクス・・カー少佐 ) に猛烈な砲火を 浴びせていた敵の軽巡洋艦数隻と交戦した。この戦闘の結果、 『シャーク』が撃沈された。 9. 私は午後 5 時 45 分に至って砲声を聞き、午後 5 時 55 分に 艦首から右舷正横の間に砲火の閃光が見えた。しかし霧のため艦 の姿ははっきりと見えず敵の戦艦艦隊の位置を判定できなかった。 前 6 項に記載の『アイアン。デューク』と「ライオン』の艦位推 測の相違は状況全般の不確実さを増した。 281
492 31 日の午後にサー・ディビッド・ビーティに非常に貴重な支援を なし、夕刻以後は戦艦艦隊の後尾で戦闘に従事し極めて適切に行 動した。 サー・ディビッド・ビーティは勇敢な統率力、確固たる決断力 及び的確な戦略的洞察力という優秀な資質を再び発揮した。彼は まず敵の軽巡洋艦の部隊を認めた時に、次いで敵の巡洋戦艦を認 めた時に、そして遂に敵の戦艦艦隊を認めた時に、即座に状況を 識した。彼は完勝を目指して艦隊を動かし、その指揮下の諸艦 い口 はそのために懸命に奮闘したが、夕刻の靄と日没によって完勝を 逃した時の彼の胸中には深く同情する。彼の勲功は今回だけでは なく、以前の 2 回の交戦においても非常に多大な功績があった。 サー・ディビッド・ビーティはヒュー・エヴァン - トーマス少将 の卓越した助力、ジ・オン・ホーレス・フッド少将が戦隊を率い て戦闘に参加した際の堂々たる行動、ウィリアム・ C ・バケナム少 将とオズモンド・デ・ B ・プロック少将による効果的な助カ及び トレベリアン・ D ・ W ・ネイピア少将、ウィリアム・ E ・グデナフ 准将及び工ドウイン・ S ・アレキサンダー - シンクレア准将指揮下 の各軽巡戦隊による功績を私に詳しく述べている。彼は全ての場 においてこれらの将校が司令官の意中を洞察し、各自の隊を常に 有効に行動させたと述べている。私は彼の具申を全て是認し、幕 僚の功績に関する彼の報告から一節を引用して以下に示す。 「私は、自身の憂慮と心労が惨憺たる時に参謀長のルードルフ・ W ・べンティンク大佐が私をよく補佐してくれたことを報告した い。彼の優れた見識は大きな助けであり、彼は頼りになる人物で あった。中佐参謀ジ・オン・レジナルド・ A ・ R ・プランケットは 我が砲火の効果を正確に観測し、それによって私は敵の混乱に乗 じることができた。副官のフランク・ T ・スヒ。ッカネルは出来事 が起きる度にこれを正確に記録し、私は戦況を常に明瞭に認識す ることができた。少佐参謀ラルフ・ F ・シーモアは通信装置が 294
486 夜間の配置 20. 午後 9 時には敵が全く見えなくなり、急速に暗闇になって いく間に敵駆逐艦から攻撃される恐れがあったため、これを警戒 すると同時に翌朝の戦闘再開の準備をするため夜間の配備を行っ た。したがって私は敵とその根拠地の間に占位するように運動し、 また水雷戦隊を、敵駆逐艦の攻撃から艦隊を守ることができると 同時に敵の大型艦を攻撃するのに適した位置に配置した。 水雷戦隊による夜襲 21. この夜、我が方の大型艦は攻撃を受けなかったが、第 4 、 第 11 、第 12 水雷戦隊がホークスレー准将、ウインツアー大佐、 スターリング大佐の指揮の下、敵に対し数回にわたる攻撃を勇敢 かっ成功裏に行って敵に大損害を与えた。 22. この攻撃の間に第 4 水雷戦隊は多大の損失を出し、その中 には勇敢なる水雷戦隊指揮官ウインツアー大佐を乗せた『テイベ ラリ』の喪失も含まれた。彼は麾下の隊を完璧の域に導き、敵の 砲火によって多大の損害を受けながらも敵艦隊に大きな打撃を与 え、幾多の勇敢な戦闘をなした。 第 4 水雷戦隊の攻撃の結果として、少なくとも 2 本の魚雷が敵 艦に命中したことが認められた。 1 本は『スビットファイア』 ( 艦 ー少佐 ) から発射されたもの 長クラレンス・ W ・ E ・トレロー で、他は『アーデント』 ( 艦長アーサー・マースディン少佐 ) ある いは『アンバスケイド』 ( 艦長ゴードン・ A ・コールズ少佐 ) また は『ガーランド』 ( 艦長レジナルド・ S ・ゴフ少佐 ) のいずれかか ら発射されたものであった。 23. 第 12 水雷戦隊 ( 指揮官アンセラン・ J ・ B ・スターリング 大佐 ) によって実施された攻撃は見事であった。同戦隊は軽巡洋 艦数隻の他に『カイザー』級の艦を含む大型艦 6 隻から成る敵の 一隊を攻撃し、これはほぼ完全な奇襲となった。多数の魚雷が 288
335 十字勲章を授章される働きをしたが、残念なことにこの授章 も死後のことであった。 我が駆逐艦の攻撃が偉大な勇敢さと決意をもって実施され、 第 3 巡戦戦隊に対する敵の魚雷攻撃を挫折させた後、ロフタ ス。ジョーンズ中佐は我が巡洋戦艦の随伴位置に戻るために 配下の小隊を方向転換させた。このときドイツ艦 3 隻が霧を 抜けて現れて激しい砲火を浴びせた。『シャーク』の損害はさ らにひどくなり多数の死傷者を生じ、ロフタス・ジョーンズ 中佐も負傷した。『アカスタ』を指揮する J ・ O ・バロン少佐 が『シャーク』を救援するために接近したが、ロフタス・ジョー ンズ中佐は駆逐艦をもう 1 隻危険にさらすことを拒否し、離 れるように「アカスタ』に指示した。そして『シャーク』は ドイツの軽巡洋艦と駆逐艦の標的となった。唯一の無傷の砲 を作動させる手伝いをしていたロフタス・ジョーンズ中佐は 最後の魚雷を発射管に装填して発射するよう命じた。しかし その作業中に魚雷が被弾して爆発し、多数の犠牲者が出た。 なおも生き残った「シャーク』の勇敢な士卒は作動する唯一 の砲で戦い続け、最大限の勇敢さを示した。このとき艦長は 再び負傷し砲弾によって右足を失ったが、なおも砲撃の指揮 を続けた。彼は『シャーク』の状況とドイツの駆逐艦が接近 してくることから『シャーク』が敵の手に落ちると予想して 自沈の命令を出したが、残っている砲がまだ戦闘可能である と判るとすぐに命令を撤回した。その少し後に同艦は魚雷 2 発を受け、軍艦旗を掲げたまま沈没した。翌朝わずか 6 名の 生存者がデンマークの汽船に救助された。示された偉大な勇 敢さが認められ、生存者全員に殊勲章が授与された。彼らの 125
378 第 4 水雷戦隊の他の艦は、この戦闘後に南東方向に進行中、 夜の 12 時に敵の第 2 戦艦戦隊に接触し、敵の 1 艦 ( おそら く『ポンメルン』 ) が魚雷攻撃により沈没した。これは『アー デント』 ( マースディン少佐 ) か『アンバスケイド」 (G ・ A ・ コールズ少佐 ) 、または『ガーランド』 (R ・ S ・ゴフ少佐 ) の いずれかによるものである。敵は猛烈で正確な砲火を開き、 我が駆逐艦『フォーチュン』 (F ・ G ・テリー少佐 ) が撃沈さ れた。 同水雷戦隊はその少し後に敵の戦艦数隻と交戦し、『アーデ ント』が魚雷攻撃を行い魚雷 1 本を発射した。しかし敵の非 常に猛烈な砲火が『アーデント』に集中したので攻撃の効果 は確認できず、同艦は極めて勇敢な夜戦の後、軍艦旗を翻し たまま沈没した。悲しいことに生存者はマースディン少佐と 兵 1 名のみであった。彼らは水中に 5 時間いた後、 6 月 1 日 に駆逐艦に収容された。 第 12 水雷戦隊は日没後に第 1 戦艦戦隊の後方に位置した。 第 1 戦艦戦隊は終夜、艦隊の他の隊より若干後方にいたが、 これは『マールバラ』が 17 ノットに相当する回転数で航走し ているものの 17 ノットを維持できなかったためである。従っ て第 12 水雷戦隊も戦艦艦隊の主要部から 5 マイル以上後方 にいた。また午後 11 時 30 分、同水雷戦隊はその右舷にいた 別の水雷戦隊 ( その所属は不明確 ) の運動に妨げられて、少 しの間、南東方向に航行した。その結果、第 12 水雷戦隊は夜 中の 12 時に第 1 戦艦戦隊の北東方向約 10 マイルにいた。 180
493 再三被弾したにも係わらず、最も困難な状況下で確実な通信を維 持した。以上の幕僚は全員が敵の砲火に晒される指揮所にあって 冷静沈着にその任務を遂行した」 35. 私の参謀長サー・チャールズ・マッデン中将の素晴らしい 功績を記録せずにこの報告を終えることはできない。開戦以来 21 ヶ月にわたる彼の働きには計り知れない価値があった。私に とって彼の優れた判断力、艦隊における長期の経験、組織編制に 関する特別な才能及び際限なく仕事をこなす能力は、ことごとく この上ない助力であり、戦時の艦隊運用には付き物の懸念や苦心 を大いに軽減してくれた。艦隊戦闘に至るまでの段階で、そして 戦闘中及び戦闘後も彼は終始私を補佐し、その判断は決して誤る ことがなかった。彼から受けた助力は言葉では言い尽くせない。 また私は軍需部長のライオネル・ハルゼー准将の功績も特記し たい。彼は出動中の艦隊の活動について私を大いに補佐し、また 艦隊が根拠地に帰還して燃料及び弾薬の補給を迅速に行えたのは 主として彼の組織編制が良好であったためである。 中佐参謀のチャールズ・ M ・フォーブズ中佐と幕僚のロジャー ・べレアズ中佐は報告を受ける度に迅速正確に彼我の両艦隊の 運動を描画した。幕僚のジ・オン・マシュー・ R ・ベスト中佐は 戦闘中檣上観測員として功績があった。以上の諸官は戦闘中その 職務を能率的に遂行した。 アレキサンダー・ R ・ W ・ウッド中佐は他の信号係将校の助け を受けて敏速円滑に信号の受信発信を行い、また全ての艦が困難 な状況下でこれに善く応答した。また参謀のハーバー ト・フィッ ート少佐も戦闘を通じて私を大いに助ける働きをした。 295