【参考資料】 Read more about us ・・ 『メインストリーム』編集部の刊行物、座談会の活字化など ・芸術誌系弾圧機構『メインストリーム 02 』 ( 2012 / 03 , 同上 ) 。 ・芸術誌系弾圧機構『メインストリーム 2.5 』 ( 2012 / 06 , 同上 ) 。 ・芸術誌系弾圧機構『メインストリーム ()l 』 ( 2011 / 09 , メインストリーム編集部 ) 。 ・『メインストリーム』のウエプサイト < http://mainstream.6.ql.bz/ > ・『 L'art pour l'art 』号外 02 ( 2012 / ()7 , 同上 ) 。 『 L'art pour l'art 』号外 ()l ( 2012 / 07 , 同上 ) 。 『メインストリーム』別冊『 L'art pour l'art 』 ( 2012 / 07 , 同上 ) 。 94 「搾取前衛」 d 「フクシマ以後の反表現主義的動向」 p. 130 。 ・中ザワヒデキ『現代美術史日本篇 1945-2014 』 ( 2014 / 11 , アートダイバー ) 8 章 的動向」における記載。 arthistoryjapan/8d. html 2016 / 02 / 22 閲覧 > での「フクシマ以後の反表現主義 arthistoryjapan/ 2() 1 6 / ()2 / 22 閲覧 > 内の、「 2() 1()-2014 」 < http://aloalo.co.jp/ ・中ザワヒデキ氏のウエプページ『現代美術史日本篇』 < http://aloalo.co.jp/ での、中ザワヒデキ氏の言及。 掲載 ) く http://10plus1.jp/monthIy/2013/01 /enq-2013. php 2016 / 02 / 22 閲覧 > ・『 10 十 1 ウエプサイト』「 2012-2013 年の都市・建築・言葉アンケート」 (2013/01 ・巴トメ夫『シカクの本 # OOI 』 ( 2013 / 04 , 自費出版物の店シカク ) p. IO -11 。 『メインストリーム』編集部への批評など kampa. html > をご覧のうえ全文購読をご検討ください。 ※ウエプ収録はいすれも冒頭のみにつき、こちら < http: 〃 www.warewaredan.com/ 座談会 < http://www.warewaredan.com/jinteki 1 1.html 2016 / 02 / 22 閲覧 > ・外山恒一活動報告誌『人民の敵』第 1 1 号 ( 2015 / 08 / OI 発行 ) 外山・東野・山本の < http://www.warewaredan.com/jinteki06.html 2016 / 02 / 22 閲覧 > ・外山恒一活動報告誌『人民の敵』第 6 号 ( 2015 / 03 / ()l 発行 ) 東野の音楽講座。 の座談会く http://www.warewaredan.com/jinteki03.html 2() 16 / 02 / 22 閲覧 > ・外山恒一活動報告誌『人民の敵』第 3 号 ( 2014 / 12 / ()1 発行 ) 外山・東野・山本
ところで、内戦のグローバル化、すなわち世界内戦が懸念されよう。 IOO 年前、第一次世界大戦がダダイズムを生んだ。ダダは既存の芸術の権威失墜や、アカデミ ズムに偏ったアート・シーンの破壊を謳ったのみならず、「アート」の概念そのものの解体を試み ることで、こんにちの「地域アート」の遠い祖先となりおおせた。「アート」の固有の存在理由が 見当たらない現代において「みんなを笑顔に」「街を元気に」「社会のためになる」といった、ディ ズニーランドやイオンモールやハーゲンダッツや猫動画がすでによほどうまくやっている事業に 参入し、それら大手による先行事業が救いきれない少数派の心をほっこりさせることこそが、自 らの不要性を直視できない「アーティスト」の自己欺瞞の最後の手段である。「詩は万人によって 書かれる」「ダダは認可を必要としない」「すべてがダダだ」というトリスタン・ツアラの言葉は、 そのような「現代アーティスト」のアリバイとして作用し、己の無意味性を直視すらできない自 称「現代アート」を、お遊戯会のお飾りやデパ地下スイーツやアイスクリームの中に甘んじて融 解せしめた。世界大戦の嫡子であり、 IOO 年かけて「反アート」をもはや「生活」の一部となし 界内戦が ( 中略 ) 新風を吹き込むことだろう。 イデオロギー闘争をもたらし、内戦に転化させるのみならず、内戦のグローバル化、すなわち世 このように「地域アート・トーナメント」は、膠着した日本の一そして世界のアートシーンに レ弋ー - ジョン 得たダダが次の世界内戦を生むのは、理の当然と言わねばなるまい。 93 希望に満ちた計画である。 少なくとも、中村氏の構想は国内の「アートプロジェクト」の足並みを揃えさせ、「成功度」を高めるための、 村による東京のプロジェクトへの協力が善意のもとに前提されていることの是非は、ここでは議論しない。 で目にする状況の再生産を呼ふか否か、および、東京都内の一地区ならいざ知らす、東京以外の地方市町 ような「縦の繋がり」であることの是非、および、この計画が各地域の一様化という現在あらゆるところ が「プロジェクトスクール」の事務方を務める一これらが、おおげさにいえばソ連共産党と各国共産党の のみならす、普遍的な「成功」のノウハウをビジネス界から招いた講師に学ふ。中村氏率いる「コマンド N 」 ロジェクトスクール」に参加し、それぞれの経験から得た知識を共有することにより「横の繋がり」を作る。 ラすぎる一の上に立てられたものであろう。中村政人氏の構想では、各地の「アートプロジェクト」は「プ 京文化資源区」構想は、「地域アート」に対する我々のそれと奇しくも一致した現状分析ー各地がパラバ い ) 2015 年 7 月 29 日、「アーツ千代田 33 引」で行なわれたシンポジウムにおいて中村政人氏が発表した「東
国で乱立するコミュニティアート、アートプロジェクト・・・。この不可解な現象を解明する ために、調査団 : ラール・プール・ラールにが派遣されました。調査プロジェクト汀 OTAL ARTTOKYO. は、その調査を元にした報告書を出版するためのプロローグです。アンケー トのお願い私たち調査団は、皆様にアンケートへのご協力をお願いいたします。お名前・ ご住所をご記入いただいたかたには、後日、この調査プロジェクトの詳細をまとめた報告 書を無料送付させていただきます。書店販売時の価格は IOOO 円程度を予定しております。 ご多用のところ恐縮ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます」 ( 7 ) このラジカセのアイデアは新左翼セクト・革マル派の集会が元ネタである。革マル派の 指導者・黒田寛ーは人前にほとんど姿を現さす、集会でも黒田の演説テープが流される のみ。演説の前に黒田の好きなコンチネンタル・タンゴが流された時期もあるそうだ。 使用楽曲は、ショスタコーヴィチ「ワルツ第 2 番」、ポーラ・ネグリ「夜のタンゴ」、スラッ プ・ハッピー「カサプランカ・ムーン」、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン「 Vorm Krieg ( 開戦前 ) 」 ( 8 ) TotaI Art T0kyo 2013 web-site < http://kandatatcommain.wix.com/tat2() 13 > いかにも何かの「公式サイト」然としているのに、何の公式かはわからない感じを狙った。 ( 写真 p. 44 ) 表示されているいくつかの再生ボタンはクリックすると ( 7 ) の音楽が再生される 1 1 月 9 日 前日の「敗北」を踏まえ、ニセ受付に妥協的修正案を加えた。前日はテープルに併 置した椅子に東野・山本の二人が着席し、本当に何かを受け付けているかのような体 裁だったが、この日からは席を外し無人化した。次に「ここは受付ではありません」 と書いた大きめの張り紙をし、一目瞭然化した。 ( 写真 p. 39 ) 相変わらずアンケート は設置し続け、専用の回収箱を追加した。来訪者の疑問に答えるため電話番号を記し た紙をテープルに置いた。席を外した 2 名は少し離れた某所で待機していた。トラブ ルがあれば直ぐ駆けつけるつもりだったが、最終日終了時間までトラブルは無かった。 1 1 月 10 日 最終日。前述した通りトラブルは無かった。イベント終了後、東野は TAT のではなく、 美學校の打ち上げに参加した ( 美學校も TAT 参加団体のひとつであり、出展もしてい た。ちなみに東野・山本が TAT で使用したテープルは美學校にお借りした。ラジカセ もだがそちらは壊してしまった ) 。山本は別件があったので神田から離れた。美學校 打ち上げにいた現代美術家の中ザワヒデキ氏 ( 氏は TAT に参加していないが、美學校 で授業を持っている ) が東野を TAT 中心人物の中村政人氏に引き合わすことを提案。 その場にいた 3 ・ 4 人で行くことになった。 38
レーションは本当の貧民街を表現していないにと主張する若い芸術家など約 1 0() 人が、 自分たちで ~ 本当の貧民街のミ小屋を建て、音楽やダンスを始めた」。このことから若者た ちは明確な批評意識を持って介入したのだとわかる。しかし、それは悪く言えば「作家」 と「批評家」の近代的主体同十のなれあいではないか。また、川俣カフェへの来客は暴力 的手法を使った「批評家」だったが、純粋な暴力行使者であればどうだったか。 純粋な暴力行使者、つまり単なる暴漢、芸術への造詣も興味も何も無い粗暴な人間たち が「アートだかなんだか知らんがお高くとまりやがって気にくわねえ」と叫びながらイン スタレーションを破壊し始める。このような、アーティストに都合の悪い暴力こそ「他者」 と呼ふにふさわしいのではないか。 このような暴力行為に、観客参加型だとか「関係性の美学」 ( ニコラ・プリオー、未邦訳 ) だとかほざくアーティストたちが怒り狂うだろうことは目に見えているが、多少冷静であ ればこの暴漢をも包摂しにかかるだろう。「アートはすばらしい。破壊もまた、すは、らしい。 破壊こそが真のアートなのです」と。 しかし、真正の他者の進撃はとどまることを知らない。「お前がアーティスト先生か ? 死 ね ! 」彼の振り上げたハンマーが文字通り鉄槌を下すのだ ・・。この場合、アーティスト ここまできたら天晴れというか、もう勝 ートに殉じたということになるのだろうか。 手にしてくれ。我々は関わりたくない。 ・・しつこいかもしれないがもう一度、川俣があと少し頭が良かった場合について考え てみたい。先程はスクワッターたちを包摂しにかかるタイプの「やり手」を想定してみた。 しかし、それとは異なるタイプの「やり手」も、いるはすではないか。「機動隊導入」を確 信犯的に肯定するタイプの「やり手」だ。「インスタレーションの社交場は民主的な合意に よって形成されたのではない。この場は私が独裁的に設けたのだ。そこでも人々の関係性 も私の作品だ。その完全性の破壊を目論む連中には容赦せん」・ ・・ここまで言えば、単な る開き直りと言えなくもないが、慌てふためいてなんとなく機動隊を導入しちゃう愚劣さ に比べれば、よほど誠実さを感じる。そしてこれは「関係性の美学」とかそれ系のアーティ ストだけの問題ではない。グローバリズムの現在、テロがいつどこで起こってもおかしく ない状況にある。そしてその対象は人間でなく、芸術作品に及ふことだってあり得る。全 ての芸術家、表現者が自己の作品と外部からの暴力との関係について考えなければならな いのではないか。 こうなったらついでに言いたい。 2011 年 3 月 11 日の東日本大震災と原発事故によって、日本社会や資本主義の腐敗が可 視化された、というのは確かにそうなのかもしれない。 しかし、それはあくまでより見えやすくなったというだけであり、問題は「 3 ・ 1 1 以前」 から累積されていた。日常のあらゆる領域にまで組み込まれ、洗練の極みに達しつつある 管理や抑圧に対して声をあげてこなかった「社会派」の意見に声に耳を傾ける価値などない。 もちろん、「 3 ・ 11 以降」系にも様々な人や立場があるはずで一緒くたには出来ないし、「 3 ・ 11 以前 / 以降」という浅薄な枠組みに収まりきらない活動もいると思うが、「 3 ・ 11 以降」 系には明らかにうさんくさいものが多いことも事実ではないだろうか。その中でも最も酷 い例として、日比野克彦教授の「ハートマークビューイング」をあげた。
ように「大量消費社会のスーパーマーケットで日常的に目にする光景」ではありえな い。もし「大量消費社会のスーパーマーケットで日常的に目にする光景」を描きたい のであれば、「 200 個のキャンベル・スープ缶」はどうでなければならなかったか。 言うまでもなく、在庫管理と商品陳列の工夫が必要であろう。桜子は「アメリカン・ ポップ・アート展」のパンフレットを切り刻み、 200 個のキャンベル・スープ缶を種 類別に分け、在庫管理に着手した。次いで、消費者が目当ての商品を探しやすいように、 それらを種類別に積み重ねて貼った。最初は白地の台紙を使用していたが、「品出し」 は客の少ない夜間に行うのが合理的と考え、黒い台紙に変更した ( 添付資料参照 ) 。 ついでに、ウォーホルの原作を切り刻むことなく目当てのスープ缶が見つかるよう 、「 200 個のキャンベル・スープ缶」において何が何段目の何列にあるか見やすく 示した別紙早見表を作成した ( 添付資料参照 ) 。 ( 1 ) キャンベルの公式サイト ( < http: 〃 www.campbellsoupcompany.com/about-campbel レ > 2015 / 09 / 18 閲覧 ) に当たれば、同社の由緒あるアイコン的商品はチキンヌードルとク リームマッシュルームとトマトであり、それ以外の新商品のうち最も売れたのはクリー ムプロッコリーであり、いずれも日本ではなじみの薄い商品である。アメリカでの商品 展開と日本での商品展開とは、そもそも別物であることがわかる。 ( 2 ) キャンベル社は 2004 年、従来の配色ではなくウォーホルの絵の配色に従った「ウォー ホル・ラベル」のキャンベル・スープ缶を発売した。もしウォーホルが「キャンベル・スー プ缶チョコバナナ味」とか思いついて描いてたらそれが 30 年、 40 年の月日を経てお調 子者の商品企画スタッフによって限定発売とかされて、言うまでもなくその商品は誰も 幸せにしなかったに違いない。どこまでの想像力が人を幸せにし、それ以上の想像力は 人を幸せにしないか。これを見極めることが、大量消費時代に商品としてのアートの制 作者を自負するものにとって必須なマーケティング能力であろう。 ところで、ウォーホルの作品に描かれているものは「既存の商品の反映」だろうか、 それとも「実在しない商品の創造」だろうか。これは極めて大きな違いである。両者とも リアリズムではある。しかし後者は「社会主義リアリズム」を指してポリス・グロイスが『全 体芸術様式スターリン』 ( 亀山郁夫訳、 20()0, 現代思潮社 ) で述べたような「こうある べき世界の提示」「現実に先行する ~ 現実 :J という形のそれであろう。 62 年当時未発売 のスープ缶が 200 個の中に紛れていないかどうか調べることは、この問題の検証に繋が る。それは、「 200 個のキャンベル・スープ缶」のみならすウォーホルの作品解釈全体に 影響を及ぼすことになろう。 「アメリカン・ポップ・アート展」と同時期に国立新美術館で開催されていた「アンド レアス・グルスキー展」 ( 2013 年 7 月 3 日 ~ 9 月 6 日 ) は、まさに「現実に先行する : 現実こ というリアリズムの提示であった。グルスキー ( 1955 年一 ) は、修正技術を駆使し「こ うあるべき世界」を写真という形で作り出すドイツの写真家である。彼の代表作である「 99 セント」 ( 1999 ) はスーパーの菓子売り場に「整然と」並んだ商品の写真であり、お隣 の「ポップ・アート展」の「 2()0 個のキャンベル・スープ缶」を彷彿とさせる。しかし、 どこかしらに修整をかけられた「どこにもない光景」の創出、という点では、あくまで 76
「新世界蜂起展」資料 世界蜂起の起因 松澤宥が 1970 年代の初頭に発信した「世界蜂起計画」は毎年開催され、 2000 年にパリのループ ル美術館にて最終章を迎える計画のはずであったが、第 3 回までの開催に終わり、それらの資料 はお蔵入りして消滅したかに思われていた。彼の 7 回忌を機に、計画されていたかのように突如「世 界蜂起計画」の全貌が顕われた。これを機に、 2 2 世紀に向う新たな「世界蜂起計画」を松澤宥 を研究・検証・継承していく活動をしている者達が、連携し、「世界蜂起計画」を発信するプロジェ クトを開始することにした。松澤宥の計画した「世界蜂起計画」を追体験するとともに、芸術の 枠を超えて、 2 2 世紀を思考する哲学者、科学者、教育者、医者、政治家など、あらゆる分野の 専門家達が思考する重要な思想を集積するとともに、それらを世界に向けてメッセージするべく、 美学校「思想の錬金術師養成教場」が実行委員会となり提供していくプロジェクトになります。 新世界蜂起展とは 「世界蜂起展」は松澤宥のプロジェクトを引き継ぐものです。メールアート ( 郵便によるもの ) は インターネットの時代になってから、その存在理由がなくなってしまったようなところがありま すが。しかし郵便で送った小さな紙片・メッセージ ( 絵や文章 ) がそのままアート作品になると いう考え方は、インターネットとも共存できるものだと思います。今回の展覧会は新しい「世界蜂 起」のプロローグのようなものです。その意図を汲んだ、「メールアート」「世界蜂起」をテーマ とした作品をお送りください。 新世界蜂起展 : 呼びかけ文 世界蜂起展松澤宥「最終美術思考工房」 2 2 世紀に向けた新世界蜂起計画のプロジェクト 「世界蜂起」とは 1 9 7 1 年、 7 2 年、 7 3 の 3 回にわたって行われた松澤宥が提唱したメールアー トのプロジェクトである。テーマは " 世界蜂起一 " 紀元二〇〇〇年にループルへ " とい うものであった。毎回、 9 9 人、或は 1 () 8 人の世界各国のアーティストに呼びかけて、メール ( 郵 便 ) によって作品を送ってもらうというもので、展示を前提としてはいるものの、メールアート とはそもそも送るという行為自体がアートであるのだから、別にループルなどはどうでもよかっ 「拝啓。貴下におかれてはますますご消滅の事とおよろこび申します。さてこの度この末世に同時 に生きることのきずなの最後の表現形式、心の共有のための最初の表現形式として、昨年末につ づいて「第二回世界蜂起」を実現すべく、貴下にご参加を勧誘する次第です。これは今后 2 4 9 年間、人類消滅の時まで起こりつづける無数の世界蜂起の中の第二号です。」これは 1 9 7 2 年の 「第二回世界蜂起」の呼びかけ文である。今回の「最終美術思考工房世界蜂起展」は、その無数 の世界蜂起のなかの第四号である。あと 2 0 8 年もあると言うべきか、あと 2 0 8 年しかないと 言うべきか ( , 尚、作品は返却せす、あと 208 年、美学校で保存しアーカイプ化します。そして、 紀元二 二年大英博物館へ。 この展覧会に賛同してくれて、作品を出してくれる参加者を募っています。 2014 年 3 月 1 6 日 会場 : 文房堂ギャラリー ( 神田神保町 ) 期間 : 2 () 1 4 年 3 月 3 1 日 ( 月 ) ~ 4 月 5 日 ( 上 ) までに、 30cm >< 30cm 以内の作品を用意してください。