ャーがこのような発言をしていたことに、改めて戦慄を覚えます。というのもまさに、 私が学校や家族だけてはない「何か」としての社会を渇望している時に、この世界には 学校や家族、企業しか存在していないのか ? という絶望に苛まれているような時に、学 校や家族だけが存在しており、それら組織を支えるための個人が存在しているだけなの だ、とサッチャーは宣言をしていたからてす。 しかしサッチャーが言うように、学校や家族的なものだけが、存在しているに過ぎな いと感じた時も確かにありました。あるべき社会、理想の社会などというものは、それ こそ夢想てしかなく、現実というのは、この学校のような、もしくは親が毎日苦しい顔 をして出向いていた会社のようなものなのだ、と。そう感じ取った時、私は非常に絶望 しました。 私にとって社会という概念は学校や会社といった単一のコミュニティを指しているも
「あまりにも多くの人たちが「もし問題があるなら、それを片付けるのが政府の仕事だ」 という理解をしてきたというのが今のこの時代だと思います。「俺には問題がある。だか ら給付金をもらう。」「俺はホームレスだ。だから政府に家をもらう。」皆が自分の問題 を社会に投げつけるのてす。しかし社会というものはありません。個人だけが、男と女だ けが、家族だけが存在するのてす。政府といってもそれは人々を通してしか何かをてきな いのてあり、その人々はまずは自分を頼りにするのが先決なのてす。自分自身の面倒、そ して隣人の面倒を見ることが義務なのてす。人々は責任を無視して権利ばかりたくさん主 張します。てすが最初に義務を果たさなければ権利などというものはないのてす。 (prime ministe 「 Ma 「 ga 「 e ( Thatcher, talking to Women's Own magazine, October 3 一 一 987 首相マーガレット・サッチャー『 Women - s Own 』 19 8 7 年 10 月 31 日号 ) 私が学校ても家族てもない「社会」を求めていた中学時代に、マーガレット・サッチ つ」
痛々しい ・考えてみればそれ 誰かを尊重し、チームを組み、同じ問題に向かって突き進む・ 自身がとてもゴージャスなことだと、私は自分の 10 代の頃を振り返ると感じます。 4 0 代にもなって今更 10 代の話 ? と思われるかもしれません。てもこの私の 10 代の 頃の経験というのは、今の時代ては 10 代に限定された話ては決してないように思えて ならないのてす。 私自身は 10 代の頃に不登校により高校を中退した経験がありますが、中退したこと そのものより、私が何より辛かったのは、自分が ( 今後自分が出向くだろうと思ってい た ) 属している組織ては役立たずて、自分がいるだけて他人には迷惑だろうと感じてい たことてした。そのくせ誰かと繋がりたかった・ それは学校や、家族てはない、 具体的てはない、何か漠然とした何かと繋がリたかったのてした。とにかく今思えば何 t—O 代
うな存在にフェミニストがなりたくないのだとしたら、それはどのような理由なのか、 それこそ対話をしたい・ 心からそ、つ思います。 あと、もう一つ、考えたいのは「制度」の問題てす。私たちは今、法律や制度を作っ たり変えたりすることが、一つの運動の目標となっている現実を生きています。そして、 先ほども話したように、私の運動の挫折経験の一つには、「第 3 号保険」という制度をめ ぐる対立 ( 対話にならない ) がありました。 に、法律や制度は大きい問題てす。しかし、私は香港に家事労働者のことについ て話を聞いた時、日本は労働組合も作りやすいし、最低賃金も昔から決まっている。労 働審判の制度もあるし、香港よリもずっといし とい、フことを甞々聞きました。しかし、 今の日本の労働状況はかんばしいとはとても言えません。 ともあれ、そのような法制度やルールを作るにはまさに、対話が、交渉が必要となる。 相手を尊重しながら、対話を重ねることは、むしろルール作りの土壌とも言えるのては