ローマ - みる会図書館


検索対象: あぶない一神教
21件見つかりました。

1. あぶない一神教

そもそもプロテスタントは、西方教会のローマ・カトリックから分かれた。プロテス タントの前にまず、カトリックを見ていく必要があります。 キリスト教はざっくりと一言うならば、西方教会 ( いわゆるローマ・カトリック ) と、 東方教会 ( ギリシャ正教 ) の、二つに大きく分けられます。 * 2 ローマ・カトリックによれば、初代の教皇は、イエスの弟子のリーダーだったペテロ です。ペテロは、イエスの「執り成し」の権限を代行し、しかもその地位を、代々のロ ーマ教皇に伝えているとされます。ローマ教会は、官僚制になっていて、教皇はその権 限を、下位の聖職者に分担させます。最後の審判で、救われるように「執り成し」ても らう権限を、ローマ教皇が独占しているのですから、世界中のキリスト教徒は、ローマ 教 ラ教皇に従、つべきだということになります。 ス イ る え 迷 章 第 * 1 カルヴァン派フランスの宗教改革者カルヴァンの考えを支持するプロテスタントの一派。 * 2 ペテロイエス・キリストに従った一二使徒のなかではリーダ】格。イエスに岩を意味する「ケ パ」と呼ばれた。

2. あぶない一神教

なせナショナリズムとそりが合わないのか 橋爪前章では、イスラムと国家について話しました。 では、キリスト教はどうでしよう。 カリフを唯一の正統な統治者と考え、イスラム共同体ウンマの建設を目指すイスラム 世界とは違って、キリスト教の場合は、王に服従する文化、国家に従属する文化を持っ それは、新約聖書の『ローマの信徒への手紙』に書いてあります。 佐藤『ローマの信徒への手紙』の一三章ですね。そのなかでパウロは「国家に従うべ きだ」と勧めています。国家は神によってつくられて神の行為を代行するから、と。 橋爪そうです。 キリスト教はローマ帝国に広まっていった。ローマ皇帝は、異教徒だった。ローマの 法律は、キリスト教と関係ない世俗法だった。そんななか、キリスト教徒がとった態度

3. あぶない一神教

佐藤ローマ・カトリック教会は「執り成し」の権限を商品化して、購入すると罪が軽 しよくゆ、つじよ、つ 減できる「贖宥状」、いわゆる「免罪符」を発行しました。しかしこれだと救われるか、 救われないか、という宗教においてもっとも大切なポイントが、金次第という話になっ てしまう。しかも聖書にも書いていないから、まじめなキリスト教徒は信仰としても正 当化できなかった。 橋爪この免罪符を、マルティン・ルターが批判して始まったのが、宗教改革です。 論争を進めていくうち、ルターは、ローマ教皇の権限やローマ・カトリック教会の存 在そのものを否定することになりました。そうして生まれたグループが、プロテスタン トです。ローマ・カトリック教会のキリスト教徒は、カトリックとプロテスタントに、 真っ二つに分かれてしまった。プロテスタントにも、ルターの教えに従うルター派のほ いくつもの流派がうまれ かに、カルヴァンの教えに従うカルヴァン派、再洗礼派など、 ます。 佐藤宗教改革とはプロテスタントの用語で、カトリック側は「信仰分裂ーと呼んでい ます。また、宗教改革によって生まれたプロテスタンティズムというと近代的な宗派だ

4. あぶない一神教

はよく知られています。 『マタイ福音書』でイエスは「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに、返しな さい」と語ったとされています。 カエサルとはローマ帝国の統治者です。「ローマ帝国に税金を納めるべきか否かーと 質問されたイエスは、コインに描かれている人物は誰か、カエサルであると述べ、右の ように答えたと、福音書に書いてあります。この言葉は実は、いろいろに解釈できるの ですが、ふつうは、政教分離の原則をのべたものだと理解されている。 これとパウロの教えを根拠に、キリスト教徒は、ローマの税金を払うし、ローマの法 律にも従った。教会は、ローマ皇帝の統治権を承認し、政治に関与しませんでした。関 教 ラ与したくても、初期のキリスト教会は、弱小な少数者のグループだったのです。 ス イ しかしやがて、キリスト教の信徒が増え、勢力が大きくなると、ローマ帝国の側にも る 迷利用価値が出てきた。ローマ帝国は混乱が深まっていた。そこで、社会秩序の維持にカ 章 第 * カエサルガイウス・ユリウス・カエサル。古代ローマの将軍、政治家。英語名はシーザ 1

5. あぶない一神教

ば、それは機能しない。でもローカルなゲルマン法は、役に立たない。そこで、古代の ローマ法が再発見されます。ローマ法は、商法などが整っており、ローカルルールとも 無関係なので、ちょうどよかった。 商法は、国際法です。ローマ法をベースにする商業活動のなかで、統治権力の及ばな いところで、市場メカニズムが作動するのを実感できる。そういったプロセスを通じて、 貨幣経済の自律性を、ヨーロッパの人びとは徐々に理解していったのではないか。 でもここまでなら、もともと国際的な商業活動に従事していた、イスラム教徒と同じ スタ 1 トラインに、やっと立てただけです。資本主義が生まれるには、もういくつかス テップを踏む必要があった。 まず労働力。農奴は、労働者になる自由がない。自由民となったものは労働して、生 活を支えなければならない。やがて貨幣とひきかえに、労働力を売る賃労働者が現れる。 賃労働者は身分と無関係。「労働者の労働力は雇い主が所有しているーという、契約の 観念が決定的に重要です。 生産組織も大切です。アダム・スミスは分業に注目した。同じ技術を使って同じ労働 * 2 226

6. あぶない一神教

第四章ー神教と資本主義 をしていても、労働者が工程を手分けして分業しただけで、生産性がアップする。製品 が安くつくれる。生産量が増大し、経済は拡大する。企業主は儲かる。資本蓄積ができ る。こうして、資本主義に火が点いた。 佐藤その過程はよくわかります。そう考えると、資本主義のエートスはキリスト教の なかに内在していたことになりますね。 橋爪まあ、そうなのですが、話はそう簡単ではない。 ウェ ーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で一一一口うように、プロ テスタントが資本主義を支えるエ 1 トスをつくったのはその通りです。しかし、それは 最後のステップで、その前にもさまざまな段階があったと思う。 * 1 ゲルマン法ゲルマンの各部族が従っていた固有の慣習法。部族や地域によって内容は異なる。 * 2 ローマ法古代ローマに通用していた法。一世紀から三世紀にはローマが征服した諸民族にも適 用された。 * 3 アダム・スミス一七二三 5 一七九〇年。イギリスの経済学者。『国富論』は一九世紀の世界各 国の経済政策に影響を与えた。 227

7. あぶない一神教

そんなあるとき、何かの拍子でイスラムの話題が出た。しかし話題が続かず、すぐ途 切れてしまった。よく観察していると、かすかに表情を歪めるひともいた。それが私に は、アメリカのキリスト教徒が平均的に持っている、イスラムに対する抵抗感のように 見えました。 佐藤身体反応として出てしまうわけですね。言葉には出さないでしようけど、違和感 は当然内在しているでしようからね。 橋爪それを偏見と呼んでいいのかはわかりませんが、アメリカでのキリスト教とイス ラムの関係を象徴しているように、私には思えました。 佐藤それは一般のキリスト教徒だけではすまない問題です。ローマ教皇を元首とする ヴァチカンも「対話路線を掲げるものの、イスラムとの併存、共存には否定的です。 二〇〇 , ハ年、前ローマ教皇ベネディクト一 , ハ世は九・一一から続くイスラムの聖戦を 批判しました。これは個人的な発言ではなく、ヴァチカンの戦略としてイスラムを抑え て、カトリックの巻き返しを図ろうという意図がありました。 橋爪けれども形だけとは言え、「対話路線」は掲げたわけですよね。ヴァチカンは、 132

8. あぶない一神教

これがバルトの『ローマ書講解』の書き出しです。こんな感じではじまります。 〈パウロは、その時代の子として、その時代の人たちに語りかけた。しかし、この事実 よりもはるかに重要なもう一つ別の事実は、かれが神の国の預一言者また人として、すべ ての時代のすべての人たちに語りかけていることである。昔と今、あちらとこちらの区 別には、注意しなければならない。しかしこのことに注意をするのは、この区別が事柄 の本質において何の意味も持たないと知るためでしかありえない〉 ( 平凡社刊、小川圭 治・岩波哲男訳 ) 橋爪確かに奇妙な文章ですね。 佐藤もうひとつ。これも同じ『ローマ書講解』です。 界 限 の 〈聖書の歴史批判的研究は、それなりに正当である。むしろ聖書の理解のために、欠く 教 ことのできない準備段階を示している。だから、もしわたしがこの方法と、古めかしい ス 制霊感説とのどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしは断然後者を取るだろう。 霊感説は、はるかに大きく、深く、重要な正当さを持っている。なぜなら、霊感説は、 章 第理解の仕事そのものを示しており、それなしでは、すべての装備は価値を失ってしまう 179

9. あぶない一神教

神の子みだとする考え方を確立したのもパウロです。 橋爪イエス・キリストは、ク ハウロは小アジア、いまのトルコ南部で生まれたユダヤ教徒で、熱心なパリサイ派で した。へプライ語もギリシャ語も堪能で、ローマの市民権も持っていた。最初はキリス ト教を迫害していましたが、復活したイエスと「会い」、キリスト教徒として活動をは じめます。いわゆる、パウロの「回心」です。新約聖書にはパウロが書いた『ローマの 信徒への手紙』『コリントの信徒への手紙』などが収められています。 佐藤ただしパウロはキリストの直弟子ではありません。彼は復活したイエスと出会っ てはいますが、生きているイエスとは会ったことがないからです。そんなパウロがイエ スの教えのあり方を根本的に変えました。 新約聖書の『マルコ福音書』を読むと一六章九節から二〇節までイエスの復活につい てカギ括弧付きで記述されています。 〈イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現され た。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である〉と。 当初『マルコ福音書』には復活の記述がなかった。つまり復活したイエスが人々の前

10. あぶない一神教

ダヤ教の教えに異を唱えます。そして罪人も神に救済されると訴えました。ユダヤ教か らすれば異端です。そのためにユダヤ教幹部たちに捕らえられて、ローマの総督によっ て十字架刑に処されます。 橋爪イエスの罪状は「神を冒濆した罪ーでした。彼に洗礼を授けた先輩格の洗礼者ョ ハネも、ヘロデ王を批判して処刑されています。イエスは捕らえられることを覚悟して、 教えを広める活動を続けていたはずです。 キリスト教の実際の開祖 佐藤キリスト教信仰の核心は、ナザレのイエスが人間にとっての救い主ー、ーメシアで あるということです。 ユダヤでは王様が戴冠するときに油を注ぐ習慣がありました。そもそも「キリスト」 とは「油を注がれた者ーという意味です。 橋爪当時は、大勢の人がイエスを預言者だと信じた。当時、ユダヤ民衆には、メシア