結婚をサクラメントとするカトリックは原則として離婚を禁止しています。 それに対して、プロテスタント教会は結婚にサクラメントとしての地位を与えていま せん。そして離婚を奨励してはいませんが、禁止もしていない。それはプロテスタンテ イズムが、結婚を人間的な事柄と捉えているからです。 バルトはプロテスタント神学の立場から、結婚が人間的な事柄であると徹底的に掘り 下げました。同様に洗礼も人間が行なうことだから、とサクラメント性を否定した。裏 を返せば、洗礼を受けなくても人は救われるとバルトは解釈したんです。 橋爪カトリックでもプロテスタントでも、聖餐にはサクラメント性があるとしている 逆に言えば、聖餐を受けないと人は救われないという論理になりますね。 佐藤そうなりますね。バルトの場合、サクラメントをイエス・キリストのシンボルだ としました。そのシンポルは唯一聖餐だけだ、と考えたわけです。 橋爪新約聖書には、イエスはパンとブドウ酒をとって「私を思い出せーと弟子たちに 語ったと書かれています。イエスの一言葉が、聖餐にサクラメント性を与えているわけで すね。最初にイエス・キリストの存在があり、イエス・キリストが行なった行為から、 156
した。すると彼はこう言ったんです。「ホテルニューオータニだ」と。 橋爪ホテルニューオータニ、ですか ? 佐藤彼は説明をこう続けました。「まずは本館に入る。ロビー階は二階。渡り廊下を 歩いてガーデンラウンジを過ぎると、タワー館の六階につながっている。途中までは日 米安保条約だけど、途中から集団的自衛権になるーと。 こういう異常な論理だから普通の人には理解できません。アメリカにとって合意がす べてで日本の国内的な説明については関、いを持っていない。日本は東洋の得体の知れな い国だから、と。 橋爪日米の同盟関係が、日米安保条約に限定されないなら、日米安保条約で想定して いない事態が起きたら、どうなるのでしよう。自衛隊と米軍が連携して地球の裏側まで 行くことも、可能ではないですか ? 佐藤まさしく橋爪先生がおっしやったことを、いま行なおうとしているのです。 橋爪表から見れば日米安保条約。裏へ回ると、条約なしの日米同盟ということです
佐藤日本でいえば、一九四〇年代体制がまさにそうでした。 橋爪国は税金を取り、軍を持っています。それと資本主義経済が一体化したら、戦争 に突き進む危険性が一気に高まる。国家と資本主義は絶対に分離しないといけない。 佐藤私は安倍政権の問題は、そこだと思っているんです。 三者協議会をつくり、国家のなかに起業家や実業家を取り込もうとしている。また安 倍首相がよく語っている意味不明の「瑞穂の国の資本主義」なんて、経済の国家統制に つながる危険性をはらんでいる。 橋爪資本主義が暴走していると警鐘を鳴らす評論家は大勢いますが、経済は経済の論 理で動いて利益を追求し、ときに国家利益に反する。これはむしろ健全です。金持ちが 金を稼いだって、消費するだけで悪さはしない。格差は広がってしまうでしようが、経 済と国家が結びつけばさらに悪い方向に進むと、私は直観的に思う。 佐藤その直観は私も正しいと感じます。橋爪先生が一一一一口うように経済と国家が結びつく よりも資本主義が暴走する方がはるかにましです。 橋爪さて、イスラム世界に、このようなメカニズムをそなえた資本主義を営む、適性 236
橋爪その消費の仕方は、キリスト教徒ならではです。所有に対する罪悪感があるから、 所有した財産を手放さなければならないという、強迫観念がついて回るのです。 働くことは罰なのか 橋爪イスラム世界にも、カトリック文化圏や正教文化圏のような、消費への強迫観念 はあるのでしようか ? 佐藤いえ、ないですね。 大金持ちでも大金は出したがりません。クルアーンにはイスラムの「五行」のひとっ 義 本として、収入の一部を貧しい人に施す制度的な喜捨ーーザカートが定められています。 資 とあとはバクシーシという自由意志で行なう喜捨がありますが、貧しい人が近寄ってきて 神 も、金持ちは何もないからといって追い払っています。 橋爪ムスリムは、シャリーアさえ守っていれば、富の蓄積は悪いことではないと考え 第る。だから、イスラム世界では、大金持ちになっても責められる理由はない。そこは貯 217
建的な規制がないことも、市場経済が成り立っ条件です。 封建領主は、裁判権や価格決定権など、さまざまな権限を持っていました。そのもと では、市場メカニズムは機能しません。 佐藤封建社会のもとで、需要と供給のバランスがとれてマーケット・メカニズムが生 まれたとしても偶然や社会的な因習の要素が強い。仮に成立したとしても短期的でほそ ばそとしたものだったはずです。 橋爪そうですよね。 佐藤だから、押買いが成立するわけです。 橋爪押買い、ですか ? 佐藤押売りだけではなく、押買いもあった。 値段が国定価格、公定価格、あるいは社会的慣習で決まっている。需要と供給のバラ ンスは関係ないから、ある物を個人が大量に買い占めて、独占することも可能だったわ けです。 橋爪封建的な身分制度のタガがゆるんでくると、人びとはどこに向かったか。 224
神学から導き出されるひとつのあり方です。 橋爪だとすれば、アメリカのプロテスタントは、ちょっとお利口になって歴史を勉強 すれば、キリスト教の他宗派だけでなく、イスラム教やユダヤ教と無関心な併存という 賢明な選択が可能なのではないですか ? 佐藤改めて言えば、無関心の併存、共存を考えるなら三つの一神教の聖地エルサレム に学ぶべきところは非常に大きい。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のさまざまな宗 派が集まっていたにもかかわらす、イスラエル建国までのエルサレムでは深刻な紛争は なかったわけですから。 橋爪しかし無関心からくる共存を世界的に保障する仕組みをつくることは、可能なの でしよ、つか ? 佐藤それは難しいでしよう。保障はできません。 橋爪世俗的な国家は、信教の自由というかたちで、無関心な共存を保障しているかの ように見える。しかし国家には境界がある。国家の外側までは保障できない 佐藤世界がひとつの国家になることはないわけですから、その通りです。 186
はしづめ・だいさぶろう 橋爪大三郎 1948 年神奈川県生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科 博士課程単位取得退学。東京工業大学名誉教授。著書に「はじめての 構造主義」 ( 講談社現代新書 ) 、共著に「ふしぎなキリスト教」 ( 同 ) など さと、つ・まさる 佐藤優 1960 年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大 学院神学研究科修了。著書に「国家の罠」 ( 新潮文庫 ) 、百壊する帝国」 ( 同 ) 、「神学の思考」 ( 平凡社 ) 、共著に「新・戦争論」 ( 文春新書 ) など。 7 円 体 本 価 小学館新書 ■小学館新書ー 241 「魔性の女」に美女はいない岩井志麻子 嫉妬をとめられない人 片田珠美 248 249 私たちの国に起きたこと海老名香葉子 スクールカーストの正体 250 キレイゴト抜きのいじめ対応 「日本の四季」がなくなる日 253 連鎖する異常気象 中村尚 256 あぶない一神教橋爪大三郎、佐藤優 000 あぶない一神教 橋爪大三郎 あぶない神教 9 ・テロから「イスラム国」誕生まで。キリスト教世界とイス ラム教世界の衝突が激しさを増している。だが、歴史を遡れば、 両宗教は同じ「神」を崇めていたはず。どこで袂を分かち、何が 異なり、なぜ憎しみ合うのか社会学者・橋爪大三郎氏と元 外務省主任分析官・佐藤優氏が「世界の混迷」を解き明かす。 - 佐藤優 堀裕嗣 橋爪大三郎 佐藤優 ■小 256
本から錯綜したシグナルが出ている、どう判断したらいいんだ、と。 いま国際社会は日本外交を論理で理解することはムリだと考えはじめています。 橋爪外交に必要なのは、他者理解です。 他者理解とは、相手の思考をトレースすること。他者理解さえできれば、自分たちだ けでなく、相手にとっても有利な条件を実現できるはすです。外交とは、そのわすかな 可能性を探っていくことですよねえ。 佐藤その通りです。 橋爪ということは、日本政府は、外交のイロハもわかっていない。 佐藤イロハ以前に自分のことがわかっていない。 人 本 安倍首相は、戦後レジームからの脱却と言いますが、どのような国にしたいのかまっ 日 る たくわからない。アメリカ的な価値観で行くのか、行かないのか。戦前の日本と連続性 す 立 孤があるのか、断絶しているのか。あっちで話していることと、こっちで言っていること が違うわけですから。 章 序橋爪きっと本人もわかっていないのです。相手の思考をトレースするどころか、国益
佐藤判決が予測できるとすれば、イスラムの最後の審判では切迫感や終末観は薄れて いきますね。 橋爪そうなんです。 しつほうキリスト教の最後の審判は、データファイルは必要としません。善行も悪行 も関係ない。神 ( あるいは、イエス・キリスト ) がすべてを知っているわけです。弁明 も許されないでしよう。だから、どのような判決が下されるかわからない。 佐藤極めて恣意的な裁判です。 橋爪裁く側の思いのままです。しかし本来、キリスト教はすべての人間は原罪を持っ ていると考えるから、全員有罪の判決以外はありえないんです。 義 本佐藤逆にイエスが磔にされたことですべての人の罪をあがなったと考えれば、全員無 資 と罪の判決しかない。 神 橋爪「信じる者は救われる、と信じている人も大勢います。聖書を隅から隅まで探さ ないと見つかりませんし、直接そう書いているわけではないんですが、みんなそう信じ 章 第ている。「信じる者は救われるーなら、敬虔なキリスト教徒は全員無罪です。けれど、 199
橋爪日本人もイスラムと無関係ではいられない、と思わされた出来事でした。 佐藤日本人にとって、理解不能なあぶない一神教からは、逃げられないんです。イス バルなテロリズムであると同時に隣人の問題です。隣国の中国も口 ラムの問題はグロー シアも、フィリピンだって国内にイスラム共同体を抱えています。決して遠い国の話で はありません。 橋爪今回のような事件が起こると日本人は、情報を集め、知識を増やそうとします。 でも情報や知識だけで、イスラム教や一神教を理解できません。 佐藤神学の世界には「総合知に対立する博識」という言葉があります。断片的な知識 をいくら持っていても、それは叡智、総合知にならなければ意味がないという格言です。 橋爪もちろん知識を積み重ねた方がいいのですが、知識が有機的に結びついて活用で きなければ意味がなし糸 、。吉びつけるハプのようなものがなければ、知識がバラバラにあ るだけです。そうなると、知識があるからと安心するぶん、かえって理解できなくなる 可能性もある。 佐藤いまの話を伺い、一九世紀のロシアの詩人であり、外交官でもあったチュッチェ