に継承されていくと考えたので、教会が存在することができました。 しつほう、イスラム教にも、執り成しの考え方はありません。ムハンマドも「最後で 最大の預言者」ではあるけれど、預言者以上の存在ではないから、「執り成し」の働き はできない。その仕組みもないから、教会ができず、聖職者階級が存在しない。日本人 がイスラム教の聖職者 ( 僧侶 ) だと思っているのは、法学者です。 イスラム教に原罪はあるのか 佐藤キリスト教がイエス・キリストの「執り成し」を必要とするのは、人間に「原 罪」があると考えているからです。 橋爪先生はユダヤ教、キリスト教、イスラム教における「原罪」の概念はどのような ものとお考えですか ? 橋爪読者のためにも、「罪」と「原罪」の整理が必要ですね。 ます、罪を定義するなら、神に背くこと。具体的には、禁止された行為を行なう。命
第一章■ー神教の誕生 以降です。それまではみんな併存していました。 なぜ、争いが起こらなかったか。橋爪先生がお話ししたように自分と神様との存在に しか関心がないからです。だから、ほかの宗教の教義には関心を持たない。 カリフとは何者なのか 橋爪三つの一神教の基本を、順番におさらいしましよう。 ます、イスラム教。イスラム教は、「最後で最大の預一言者ームハンマドの啓示を信じ ます。 * 1 カルケドン派四五一年に行なわれたカルケドン公会議で採択された、キリストは神でもあり、 人でもあるという考えを信じる宗派。 * 2 正教ギリシャ正教。公式には「正統カトリック教会」。ギリシャ国民の九五 % 以上が属する。 * 3 コプト教会エジプトに古代からあるキリスト教会。 * 4 アルメニア教会アルメニア人の多くが所属する教会。 9 ( 0
橋爪その消費の仕方は、キリスト教徒ならではです。所有に対する罪悪感があるから、 所有した財産を手放さなければならないという、強迫観念がついて回るのです。 働くことは罰なのか 橋爪イスラム世界にも、カトリック文化圏や正教文化圏のような、消費への強迫観念 はあるのでしようか ? 佐藤いえ、ないですね。 大金持ちでも大金は出したがりません。クルアーンにはイスラムの「五行」のひとっ 義 本として、収入の一部を貧しい人に施す制度的な喜捨ーーザカートが定められています。 資 とあとはバクシーシという自由意志で行なう喜捨がありますが、貧しい人が近寄ってきて 神 も、金持ちは何もないからといって追い払っています。 橋爪ムスリムは、シャリーアさえ守っていれば、富の蓄積は悪いことではないと考え 第る。だから、イスラム世界では、大金持ちになっても責められる理由はない。そこは貯 217
第三章■キリスト教の限界 教会」はありえないと結論づけました。ちなみにここでの普遍的教会とは、神に代わっ てすべての人間の救済を担保できる人間がつくった組織、と考えるとわかりやすいかも しれません。 さて、では何がキリスト教信仰を守るのか ホッブズは国家という答えを導き出した。 彼自身は、キリスト教を信仰する場を確保して、人間の救済を担保するためには教会 という考えの持ち主です。それなら、国家が聖書の選定、 は存続させなければならない、 国民が信仰すべき教会を、指定すべきだと結論づけた。国家が教会の上位に立ち、国民 のキリスト教信仰を担保する必要がある、というわけです。 国家はいくつもあるわけなので、教会もいくつもあることになる。よって、普遍的な 教会は存在できない。逆に一言えば、普遍的な教会などというものがあれば、国家は存在 * フリードリヒ・シュライエルマッハー の神学者。 一七六八、・一八三四年。「近代神学の父」と評されたドイツ
部では「三一論」という術語を使う傾向があります。トリニティに「位」や「体」に相 当する一言葉は入っていません。だから素直に三一と訳す同志社の訳語の方が正確だと思 います。 話がそれましたが、 そもそもキリスト教は、一神教でありながら、ただ唯一の神を信 じるという形態をとりません。それが、神様はひとつであるが、父なる神、子なる神 つまりイエス・キリスト、聖霊なる神がいるという一二一論です。ひとつの神だけれ ど、三つある、一で三だ、と。父、子、聖霊という一二つであるが、ひとつの神であると いうわけですね。 この問題の神学的な処理の仕方は簡単です。わからないから、不合理だから、信じる しかない こう決着をつけています。 橋爪この考え方も、日本人にはなかなか理解できませんね。 佐藤そうなんです。イエス・キリストは、人間でありながらまことの神である。これ も、三一論で話し合われました。 そしてこれまた日本人には理解しにくいのですが、この考えの基本となっているのが 144
じられたことを怠る。 イスラムなら、シャリーア ( 神に与えられた法 ) があるので、それに反することが罪 だと言えます。 要するに罪とは、行為なんです。特定の行為が罪とされる。罪の判定基準のポイント は、神の命令に背いたかどうか。あくまでも神が規準です。この点で、キリスト教、ユ ダヤ教、イスラム教はまったく同じで、罪の概念を共有している。 しかしキリスト教だけは、罪に加え、原罪という考え方を持っている。 では、原罪とは可か。 これは、罪を徹底したものです。人間とは、しよっちゅう罪を犯すしかない存在だ 生だから人間の存在そのものが間違っている、という考え方です。その考えに立っと、ま の だなんの行為もしていない赤ん坊にも、罪がある。原罪とは、行為に先立つ、神に背か 教 一ずにはいられない人間が生まれもった、本来の性質なのです。 佐藤原罪はキリスト教だけの意識でしようか 章 第 旧約聖書の『創世記』の冒頭には、こんな物語が描かれています。
第三章キリスト教の限界 けです。 橋爪その議論で、すべての人間が共通して納得できたのは、人間であるということで す。だからユニテリアンも、イエス・キリストを人間だと考えた。 、、キノれど、ま、 ーになってもし もちろん神だと信じている人がユニテリアンのメンバ の人にその考えを強制しない、 という約東がある。だからユニテリアン教会のメンバ には、キリスト教徒でない人もいる。 佐藤イエス・キリストは、まことの神でまことの人ですから、まことの人と考えてい しいか、ただしイエスは救い るのなら構わない。そして偉大な先生でも、ただの人でも、 主である、という態度ですね。 橋爪その通りなのですが、ユニテリアン教会では、ジーザスという名前はあまり耳に しません。ゴッドという一一「ロ葉もあまり聞かない。 < さんがゴッドを信仰して、さんが ブッダを、 0 さんが人智を超えた超越的な何かを信じて、さんが唯物論者だとしても、 いという考え方なのです。 互いが互いの信仰を尊重していればい それがひとつの宗教なのか、と疑問に思う人もいるでしよう。 149
第ニ章■迷えるイスラム教 「イスラム国ーの魅力はどんどん失われていきます。 橋爪扱いが難しいイスラム世界が内ゲバを起こせば、そのぶん自分たちのリスクが減 るという論理です。身勝手ですよね。それはいちおう理解できますが、イスラムの人び とのことを思うと、素直にうなすける話ではないですね。 佐藤橋爪先生の考えはとてもよくわかります。 しかし私はその点に関しては悲観的に見ているんですよ。 現実問題としてシャームーー広域シリア、あるいは歴史的シリアと呼ばれる地域での 殺し合いは続きます。 そこで、これから何が重要なポイントか。 もっとも考えなければならないのは、大量破壊兵器ーー核をどう封じ込めるかです。 しかし最近の世界情勢を見ていると、各国は「イスラム国」を掃討するというよりも、 * 、ンヤームアラビア衄でシリア、レ・ハノン、ヨルダン、イスラエル、。、 域シリア、歴史的シリアと呼ばれる。 ノレスチナなどを含む地域。広 123
貌した形態です。これは非常に現代的なかたちと言えます。 もうひとつの側面は、反動形成です。反動形成とは、メインストリームが自分たちを 抑圧することへの反動として、それに反対する行動をとろうとする心の動きです。イス ラム主義は、進歩、発展により失われるものが大きい、と捉えている。だから、原点回 帰をすれば、失うものは何もないという考えに至る。時代をさかのばって、ムハンマド の時代のリーダーシップを蘇らせようとしたり、過去の栄光の時代を目指そうとしたり するわけです。 これをイスラム復古主義、イスラム純粋主義と言えばいいのか。日本人には理解しに くいかもしれませんが、復古主義はムスリムに、強い説得力を持つのです。 ラ佐藤それは、イスラムの初期の時代の原則や精神を回復して改革しようとするサラフ ス イ ィー主義の考え方ですね。 る え 迷 章 第 * サラフィー主義イスラムの初期の時代を理想として、そこへの回帰を目指すイスラム教スンナ派の 思想。
アラブ連合がそうでした。「アラブナショナリズム」が盛り上がった一九五八年にアラ プ統一を目指してエジプトとシリアがアラブ連合を作りましたが、結局はまとまらなか った。 シリアやイラクに関しては、住民たちのなかにシリア国民、イラク国民という意識を 作り出せなかった。それが今日の混乱をもたらす一因となった。 橋爪中世なら、イスラム世界の制度も仕組みも、ヨーロッパとそんなに変わらなかっ た。しかし、イスラムの法学、神学のなかに、個別の国民国家、主権国家を築くことが 正しいという論理がないのです。聖典「クルアーン」には、パウロの手紙に書かれてい るような、「国家に従うべき」にあたる文言がみつからない。 つほうキリスト教には、それがあった。 これを明確に述べたのが、トマス・ホッブズです。 ホッブズは、主権国家を、社会契約というかたちで正当化した。これは、国家は、個 人個人の契約によって成立するという考えです。神との契約でなく、世俗の契約ではあ るけれど、神聖かっ絶対だ、という論理を打ち出した。ホッブズの登場によって、キリ