「乙女の秘密を知ったんや、ただじゃ済まさんで、 少女が一瞬沈み込む。次の瞬間、フライバンが猛烈な力で押し返してきた。 「来や、エルミイ ! 」 剣を押し戻され、細目の男は後じさった。 視界の右端に素早く移動する緑色の物体。 獣人の少女が迫ってくる。 今まで仕掛けてこなかったのは攻撃手段がなかったからに違いない 時間を稼がれた。次はいったい何をしてくる ? 剣を振ってルピニアをけん制し、細目の男は右側に目を向けた。 視界に飛び込んできた光景を理解するには、二呼吸ほどの時間が必要だった。 獣人の少女は急激に方向転換して壁へ走り、勢いを殺さずに石壁を二メートル以上駆け上っ 朝たのだ。 目 少女がさらに壁を蹴り、上方へ跳躍する。 日 細目の男の頭上から落下を開始した少女の手には、あの金属鍋があった。 とっさに剣を上に向けた瞬間。 視界の下端に、フライバンをフルスイングするエルフの少女が映った。 231 今度はエルフの少女に
【二日目】 165 丁寧に始末しろ エドワードがひらひらと手を振りながら歩み去る。ジャスパーはぼかんと口を空け、その背 中を眺めていた。 11 っ 0 講釈 「褒められとったな。よかったやんか」 「 : : : ピンとこない」 「正当な評価やと思うけどな。あんたもさっさとランタンを点けとき。焚き火に水かけられん やろ」 「あ、ああ」 ジャスパーは当惑しつつランタンに火を移した。 水袋の水を焚き木にかけると、細い白煙が上がっていった。しやがんで煙の行方を目で追い ながら、ルピニアは穏やかに切り出した。 とおり当てるんは難しか 「ウチは弓だけなら何年もやっとる。けど正直、あのバケモノに狙い。
【二日目】 179 ジャスパーは反論できず、小さくうめいた。 「 : : : アトリ、だけが」 「大事なことやからな。ちょっと多めに言うてみた。 ルピニアが眠るアトリに目をやる。 「さてどうする。ウチと一緒にアトリを叩き起こして、『オレたちが襲われるのはなぜだ』っ て聞くか 「いやだ」 ジャスパーは即答した。 なぜ断るのか自分でも理由が分からない。むしろルピニアの方が正しいとさえ思う。 それでも今はだめだ。彼女の提案を受け入れれば、何か大切な、越えてはならない一線を踏 み越えてしまう。きっとその後に残るのは後胼だけだ。 「聞くなら朝でもいいだろ。今は安全だ」 ルピニアはくすくすと笑いながら、抱えた両膝に顔をうずめた。 : ありがとな」 「あんたはそう言うと思っとった。 困惑するジャスパーをよそにくぐもった声が続く。 「なあ。 : もしウチが、こんな目に遭っとるんは全部アトリのせいかもしれん言うたら。あ んたどうする
【二日目】 139 が、止血の効果はほとんどなかった。血に濡れた手では鎧の留め具を外せなかったのだろう。 エルムが鎧の前側の装甲を剥がすと、少年はうめきを上げて身じろぎした。 「ゆっくり息をして。 我らが父は杯を満たし賜う」 聖句の詠唱とともに、エルムの手が淡い光を放った。少年の血まみれのシャツの下で傷がふ さがっていく。しかし全身の傷を完治させるには、術を数回かけなおす必要がありそうだった。 「ごめんね、先に他のひとたちを治してくるから。 「助かったよ。ありがとう」 やや生気が戻った少年が瞳を輝かせた。 「あーあ。また犠牲者を増やしとる ルピニアは小さくため息をついた。 少年の目は仲間の治療にあたるエルムの横顔を追い続けている。彼の目にエルムがどう映っ ているかは明らかだ。真実とは残酷なものだと思わざるを得なかった。
【二日目】 117 「そういやアトリは眼鏡をしとらんな。もう切り替えに慣れとるんか ? アトリは首を振った。 「わたしの一族は弓より魔法に頼ってきましたから、遠見をあまり使いません。切り替えは苦 手です。エルミイさん、たいまつを返しますね、 「 : : : ? うん、ありかとう」 エルムはたいまつを受け取りながら首をかしげた。 佃かが引っかかる。気づかなければ痛みを感じないささくれのような、些細な何か 「そろそろ動くぞ。エルミイ、悪いがあまり俺から離れるな。ここは普通の人間には暗いんだ からよ」 「はい、先輩 エルムは後列から前進し、前衛二人のすぐ後ろを歩くことにした。いわゆる中衛の位置だ。 「ファンガスはたいてい壁際に生える。よく探せ ちょっと見づらいなあ。 エルムは歩きながら困惑していた。
【一日目】 ・ : ん ? そんなら南の花を彫ってあるん 「まあ山向こうの里ならウチのとこより北やしな。 は、ますます珍しいんやないか」 「 : : : 遠くからの交易品だそうですが、もらい物なので由来がよく分からないんです。すみま せん」 アトリは申し訳なさそうに答えながら、櫛と手鏡を布袋に収めた。 ーーー第一の矢、ハズレ。 ルピニアは内心肩をすくめた。 丁寧に扱っていることからも分かる。あれはアトリにとって大切な品なのだろう。それでい て由来が分からないというのは奇妙な話だが、あまり詮索しても良い結果に繋がる気がしない 「ウチの里の連中は、髪も目も地味な色ばかりでな。アトリみたいに綺麗な金髪は見たことな いわ」 心に二本目の矢を番えつつ、ルピニアはべッドの反対側へ回り込んだ。 「アトリの里はどんな感じゃ ? 髪とか目とか、いろんな色のエルフがおるんか ? 」 「そう : : : ですね。金髪は多いです , 「里ごとに違うんやろか。赤とか茶色が多い里もあるんかな」 「どうなんでしよう : : : わたしも他の里のひとは初めてですから」 答えるアトリの表情は固い。
【二日目】 141 層だ。弱いのが押し出されて上層に来るんだが、ガーゴイルは二階へ追われるほど弱くねえ」 「誰かが下から連れてくる可能性はありますか 「ガーゴイルを引き連れて、四階から二階まで逃げてくるってか ? そいつも考えにくいな。 三階は階段から階段までが長え。その間に逃げ切るかやられるか、普通はどっちかだ」 「そうですか : : : 」 アトリはうなずいて通路の警戒に戻ったが、なおも黙考している様子だった。 今度は何を考えてやがるんだか。 エドワードは空恐ろしさすら覚えていた。アトリの観察眼と洞察力は経験不足を補って余り ある。あの明晰な頭がどんな結論を導き出すか見当がっかない。 「 : : : あの、俺たちこれからどうすれば」 皮鎧の少年が恐る恐るロを開いた。 「帰るついでだ。一階の広間までは送ってやる」 「でもケインさんは 「あいつはガーゴイル相手に死にやしねえ。 小っ倒すなり、逃げるなりしてるさ。お前らは二 階の集合地点なんて教わってねえんだろ ? なら一階へ逃げたと考えて追ってくるだろうよ、
【一日目】 「魔術師のアトリです。よろしくお願いします」 「うわあ : : : 。綺麗、お人形さんみたいだよ」 エルミイーーエルムが目を輝かせた。彼の追求する可愛らしさとは方向性が異なる、儚げで 繊細な美しさがアトリにはあった。 ジャスパーが鼻をひくひく動かし、ルピニアとアトリを交互に見やる。 ルピニアは顔をしかめた。 「なんや。乙女の匂いを嗅ぐなんてヘンタイか」 「いや、二人ともずいぶん違う感じがしたから」 「違うってどんなふうに ? ボクには分からないけど エルムが首をかしげた。彼とて人間族に比べれば嗅覚が鋭いが、犬の〈ルーツ〉を持っジャ ーには遠く及ばない 「アトリは花の匂いがする 「え : : : あの」 アトリが身を固くした。 「ルピニアはそうだな、なんか大きな木の幹 「ええ加減にしとき」
【三日目昼 ~ 夕方】 299 「心配してるのは間違いないと思うよ。なるべく早く、強くなってほしい理由があるのかもね。 それ以上は分からないなあ」 遠くから鐘の音が二度響いた。タの二の鐘。市場の露店や早じまいの店は片づけを始める時 間帯だ エルムが壁から身を離した。 「ルピニアちゃん、そろそろ果物を買わないとお店が閉まっちゃう 「おっと。そうやった 深鍋を両手で頭の上に載せ、エルムはくるりと一回転した。フリルのスカートが優雅に舞う。 「もう難しいことは忘れようよ。今夜は美味しい料理でお祝いだよ ) 」 突然元の調子に戻ったエルムに面食らい、ルピニアは再び首をひねった。 「 : : : やつばりあんたはよう分からん」
【二日目】 185 「オレにはできた ? 何がだよ」 「アトリを笑わせることや。悔しいけどウチにはできんかった。おヒゲさんとか肉の切り分け とか、打算のかけらもないやろ」 ルピニアは再びアトリに目をやった。 疑いが消えたわけではないが、先ほどよりもはるかに冷静に彼女を見ることができる。いっ たいどれほど激しい感情をぶつけようとしていたのかと思うと、自分が怖くなるほどだ。 「いい奴だな、お前」 「なんや突然」 「に。そう思っただけだ」 ルピニアはまじまじとジャスパーを見た。彼は彼でほっとしたような顔をしている。 唐突に分かった。彼はアトリとエルムだけでなく、この自分のことまで案じてくれていたの 「 : : : ほんま、あんたのお人よしにはかなわん」 ーティの要になる。そんな気負いがばかばかしく思えてくる。 後衛は自分が支える。 ルピニアはゆっくりと立ち上がった。 ふわ、とあくびが漏れる。気づかないうちに眠気が忍び寄っていた。 「寝るのも仕事のうちだったな