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検索対象: ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号
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1. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

う。ならば、その時は次の一言葉を思い出せばよい我々は天使を目来る日々のために、我々は思い改めなければならない 指すであろう者である、と。神という遥か彼方の標識は、我々の目起点は若者たちだ。一一十世紀を過ぎてようやく、自由の虚構を脱 では見ることは適わない。一一千年前に一度、イエス・キリストがやっし、しかしながら次なる道を、回帰すべき実存認識への最初の一歩 てきたというのはキリスト教徒の合一一一一口葉であり、それを信ずることを見定められないでいる彼らが、トビアスの日々への起点となる ができない者はごまんといるだろう。そんな人々には、そんな人々彼らには聖書など不要だ素朴な疑問と素朴な信仰だけがあれば、 にこそ、天使を信じてもらいたい。天使といってもキリスト教的天着火点としては十分である。小さな灯を燃え上がらせるのが聖書と 使には限らない。天使はあらゆる世界に翼を広げる。天使とは、遥聖なる人々の役目だ。思うに、それは我々の世代の仕事ではない か彼方の標識と我々の間に突き刺さっている道標である。この道標我々は、ともかく着火をすべきなのだ。 ですら見出す者は稀である。しかしながら、見出し得る、と我々の我々は人間である。我々は神ではない。我々は天使を目指すであろ 先祖は語る。「暗黒の中世」において、神を観たものは少なかったが、う者である 天使を観たものはごまんといた。このような証一言は、現代においてこれが、来る日々への最初の合一一一一口葉となるだろう は、とりわけ科学合理主義においてはナンセンスな妄言に過ぎない だろう。ナンセンスで良い。このナンセンスは、科学合理主義は決 して与えてくれない一つの認識を、宗教的実存の認識を我々にもた らしてくれるのだから。すなわち、我々は人間であり、遥か彼方を 目指す旅人であり、我々には終着点を知る旅の輩が付いている、と いう宗教的真実を トビアスの日々はどこへ行ったのか、とリルケは問う。おそら く、トビアスの日々は失われてしまったか、過ぎ去りし日々の記憶 となってしまった。今はもう、記憶の断片だけが残されているに過 ぎない。私も問う。トビアスの日々は二度とやってこないのか、と 私は密かに確信する。ラファエルはまたやってくる、と。我々が人 間であること、神ではないこと、神を目指す旅人として天使という 輩を必要としていることを思い出したとき、ラファエルはまたこの 世界にやってきて、次なるトビアスの輩となるのだ。

2. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

不良詩人でもあったのである。まさにロックー この時代にまだエレキギターが生まれていないことが心底悔や 高瀬樹 ( 無職 ) まれる。非常識・アンチモラル上等な、千年ほど時代を先取りした ライフスタイルであっても後世に名が残るのだから、さすがと言う 酒を飲め、それこそ永遠の生命だ、 べきか。羨ましい限りである。 しるし また青春の唯一の効果だ。 そんなレオナルド・ダ・ヴィンチや平賀源内と同じジャンルに 花と酒、君も浮かれる春の季節に、 属する彼が、終生愛してやまなかった酒。何を隠そう、私も酒は大 ひととき たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だー 好きである。さらに言えば私の家族はみな酒が好きである。そして 酒で身を持ち崩しかけている。主に健康面で。 まか . な 人生の儚さを快楽主義的にうたったこの詩は、十一世紀セル 父は家に帰れば必ず晩酌に芋焼酎を飲み、母も週末にハイボー ジューク朝ベルシャの数学・天文学者であり詩人、オマル・ハイヤールやワインを飲むことを楽しみとしている。私が知る限り、そう酷 ムの詩集ルバイヤートの一篇である。 い飲み方をしているわけではないのだが、一一人とも病院に数年来お 彼は科学者として二項定理の発見や暦の改正など様々な功績を世話になっていて高血圧の薬が欠かせないし、口癖は「痩せなきや」 こんにち である。 残し、今日では特に詩人としてその名が知られている。 彼の作品には、幾度となく酒が登場する。イスラム法では一般きっと酒や食事のとり方をはじめとした生活習慣の改善が必要 によく知られているように、その成立当初から現代にいたるまで飲なのだろう。酒は私の両親に新たな出会いと交流の場を、さらに生 酒は厳禁とされてきた。そのため当時の神学者達から彼は飲酒や宗きる目標までも与えてくれているのだ。 教観に関して多くの批判を受けた。 弟も酒が好きだった。鹿児島で大学生をしていた弟は、今年の 彼は表向きには神学者たちの主張を容れながらも、神学者たち春にめでたく卒業となっている。しかし残念ながら卒業式には参加 の説く教えへの懐疑や批判をその詩の中に残している。彼の唯物論できなかった。 的な考え方は、正当なイスラム教の見解とは相反するものだった。 卒業式の数日前に救急車で運ばれ、緊急入院したのである。と セルジューク朝のスルタンに仕え、イスラム世界では高名な天書くと、なにやら不穏な感じがでて、この後弟は死んだ、とでも書 才学者として知らぬ者は無いこの知識人は、その実、真面目なイスきたくなってしまうが決してそうではない。私の気分で弟を殺して ラム神学者を何度プチギレさせても、全く反省の色もなく自作の詩はいけない。 すい でポロッカスにこきおろし、酒が無いと生きていけないとのたまう弟は急性膵炎で 3 週間の入院となった。この病気の原因は、ど だからは私は酒を飲むのだ

3. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

しかし、この学生運動を行っていた一人一人の心情に思いをめぐ ている物語」と「不安の構造」が異なっている。 らせてみると、現代人にも共感できる点があることに気づく。当時 まず「信じている物語」の違いとは、政治への期待と信頼度の違 運動に参加した小阪修平は、自らの経験を振り返り、「ぼくにとっ いである。当時は世界的にベトナム戦争反対の空気があった。また て全共闘運動とはなによりも、相手と向かい合った時の態度、自分若者の身近には、戦争の記憶を色濃く残していた年長者たちが存在 自身と向かい合う態度を意味していたのだ」一。と述べている。世界 した。さらに、敗戦直後から始まった平和教育も浸透していた。こ ( 「相手」 ) や自分自身に対して自己をどのように位置づけるのか、 うした環境のなか、戦争というもののイメージが持ちやすく、頑と その関係を模索していくあり方の表現として、学生運動というもの して避けるべきだという意識も今に増して高かった。また、大学全 があったのだ。 入時代の今と違い、年代当時は未だ大学生というだけで高学歴の また、トヒ / 貢英志は、運動について次のようにまとめている。 エリートだった。これからの日本を引っ張っていくのは自分たちな のだという意識も持ちやすかったのである。 いわば全共闘運動は、高度成長にたいする集団摩擦現象そのような政治への期待があったため、自己を表現する時に、 でもあったが、日本史上初めて「現代的不幸」に集団的政治や思想の言葉を使ったのだ。全共闘に参加した全ての学生が、 に直面した世代がくりひろげた大規模な〈自分探し〉運ト難しい哲学書や政治理論を理解したり、熱心に勉強していたりし 動であった、ともいえるだろう一「。 たわけではなかった。むしろそのような人間は指導層の一部に過ぎ なかった。しかしそれでも、自分たちの生活が権力によって左右さ 小阪や小熊の言うように全共闘運動とは、若者がアイデンティれるのだという「物語」を信じることができる空気があったのだ。 ティを模索する「自分探し」の軌跡でもあったのだ。加えて小熊のそれに対し現代では、政治への信頼が失墜している。このこと 研究からは、高度成長の社会変動期におかれた当時の若者が、なんは政治という「物語」が信じられなくなったと表現できる。では代 らかの新しい心理的危機に見舞われていたということが窺える。以 わりに何が信じられるようになったかというと、消費文化である。 下では、全共闘運動の社会的背景はどのようなものだったのか詳しつまり、自己を表現する場が政治から、個人的なものへと変化して くみていこう。そのなかで、当時の学生が直面した「現代的不幸」いるのだ。 とは何だったのかについて言及していく。 「不安の構造」について。これは、 8 年代が経済成長という「安定」 の時代であったこと、学校教育や就職 ( 活動 ) にも変化が起こった 全共闘時代と現代とでは、学生をとりまく状況の何が違うのだ ことが関係している。当時は、経済成長による産業構造の変化、労 ろうか答えを先に述べておくと、彼らと今の学生とでは「信じ 働の場に必要な人材の変化が起こった。つまり、大量の会社員が必

4. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

まず近代以前の伝統的な社会では、「イニシェーション」を受け る。親に経済的余裕があるため実家を出る必要がないという場合、 それから非正規雇用など低収入の仕事に就き経済的自立ができていていることが大人の条件だった。イニシェーション ( 通過儀礼、加 ない場合、その両方が重なっている状況などである。つまり若者問入儀礼 ) とは、当事者の社会的ないし宗教的地位の変更をともなう 一連の行為をさす。現代でいうと、七五三、入学式、成人式、入社式、 題は構造的なものから生じている。 結婚式、葬式などが挙げられる。。近代以前の未開社会では、割礼 加えて、若者の心理に関しても注目したい。「正社員に就きたい のに就けない」というよりも「あえて正社員として働きたくない」や抜歯、刺青などの肉体的試練を成人の儀として子供に課していた。 という意志を持っ若者が、たとえばフリーターのなかに一定数存在当時において、「大人」とは、イニシェーションを経験した者のこ している、のである。なぜ彼らは、「正社員Ⅱ従来の大人」にならとだった。すべての子供はいずれ必ず「大人」になるのであり、儀 式に耐えられなかった者は共同体から放逐されるだけだった。子供 ないことを積極的に肯定するのか 「自分探し」とはしばしば、「自分」像と「大人」像を一致させと大人の中間に位置する者など存在しえず、属する共同体において ようとするがさせられないという葛藤とともにある。そしてその葛決められた手続きを経さえすれば、人は無条件に「大人」になるこ 藤は、若者の働き方・家族関係などの社会構造の変化と連関していとができたのだ。 しかし近代社会になると、思想と社会的構造の両面の変化によっ る。 「自分探し」について述べる前に、そもそも「大人」になる条件てイニシェーションは消滅する。 思想的にいうとイニシェーションとは、後から生まれてきたも とは何なのかについて考える必要がある。次節では、「大人」像は 絶対的なものではなく、人が属する共同体、社会によって規定されのがその「世界へと入れてもらう」ための儀式だったのだが、近代 ていることを解説する。人が「大人」になる仕組みがどのように変では、「社会は常に進歩する」という考え方が生まれ、この「出来 あがった世界」という概念が失われる。近代では、かってイニシェー わったかについてみてみよう。 ションによってもたらされていた「大人になる」体験は、それぞれ が個人的に体験し、各々の内容や時期が一様ではない、そして多く 一「大人」の条件 本節では、近代以前 ( プレモダン ) から近代 ( モダン ) へ、そしの人にとっては一回では終わらないものになった。 また社会的構造という面では、主要な産業が第一次産業から第一一 てポストモダンへと至る各時代の大人の条件をみてみたい。それは、 まず「子供」と「大人」の区別が曖昧になり ( 近代以前から近代へ ) 、次産業へと移り、資本主義社会になった。そこで、農家の子供もエ さらに「大人」になるための目標が失われていく ( 近代からポスト場へ勤めるために学校に通い職業訓練を受けることになる。そして 学校に通う期間は、子供でも大人でもない、青年期を過ごすことに モダンへ ) 過程である。

5. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

ン屋になったが、依然として彼は彼のままである」と。ここで言わ者にも明け渡せない牙城である。 れた「彼は彼のままである」の「である」は、彼がパン屋になろう この存在論的牙城は、無自覚的にではあるにせよ、現代の、何者 とも、政治家になろうとも、どんな職業に就こうと、どんな国籍ににもなろうとしない若者たちの間で囁かれている秘密の合一一一口葉であ なろうとも、たとえ性が変わろうとも、決して変わることのない本る。現代の若者は、決して怠惰ではない。何者かになろうとする努 質的規定に即した「である」である。すなわち、「彼は人間である」カを怠っているのではない。そうではなく、現代の状況に、病理に、 の「である」なのである。 選択を終えた大人たちにこう問いかけているのだ。 : 何者かにな つまり、第一の誤りとは、換一言すれば「我々はそもそも人間であるとはどういうことなのか ? 何者かにならなければ自分たちの価 る」という根本的・本質的規定の忘却のことである。 値は生じえないのか ? 自分たちの存在の根本価値はどこにあるの ここで第一一の点に話を移そう。我々には選択の自由が与えられてか ? 人工的社会から一方的に突きつけられた選択にどれほどの価 いる。にもかかわらず、何も選ばなかった時、世界は我々に非難の値があるのか ? 我々は何者なのか ? : 大人たちはこの問いに 目を向ける。 ・ : せつかく選ぶ自由を与えてやったのに、何故選ば答えられない。彼らは選択の奴隷であるから。選択を拒絶する問い ないのだ。選ぶことが大人になるということなのに。社会で生きるカ 、けには、そもそも理解が及ばないのだ。 ということなのに。何も選ばなかったお前には、社会に居場所など この問いを発することができるのが若者だけであるとするなら 存在しないー お前はこの社会において何者でもないー : そのば、答えなければならないのはやはり、若者である。私は、現代に ような目が、どこからか、神の視線の如く降り注いでくる。視線は生きる若者の一人として、一つの答えを、存在論的牙城の自覚を呼 訴える。人間失格と。 びかけたい。「我々は人間である」と。 だが、選択の自由によって与えられたところの自由とは、結局我々は人間である、だけでは曖昧過ぎる。と言われるならば、 のところ「装いの自由」であり、附帯的・偶有的自由である。このそこに言葉を付け加える。我々は神ではない、と。神についての大 自由を、「なる」自由を拒絶したところで、我々は依然としてある仰な定義は要らない。我々の目にはまだ見えぬ旗が、この世界のあ 一つの普遍的な存在、「人間である」ことに変わりはない。人間失らゆる時を費やしても到達できない場所で蒼穹に向かい屹立する旗 格と宣言する資格は、人間に人間たる根拠を与える存在にしか持ちが映っていると、そう信じるだけで十分なのだ。中世の人々はそれ えない。人間の存在は人間自身には帰せられないからして、人間にを神と呼んでいた。だが、彼らと信仰を共有する必要はない。ただ よる人間失格という批判は虚言でしかない。我々は、どのような選単に、生涯を費やしてもなお到達できぬ旗を人間の土地以外のどこ 択をしようとも、あるいはしなくとも、この世に存在する限り、人かに突き刺すだけで良いのだ。旗は我々に宣言する。人間であれ、と。 間という者なのである。これが、我々の存在論の、どのような侵略遥か彼方の標識は、時として、その遠さ故に絶望を抱かせるだろ

6. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

や 弟は酒によって体を壊し入院し、退院後 1 カ月の飲酒・食事制始めて止むることの善たるを覚り こんちょう や 限を言い渡されたにもかかわらず、 1 カ月後は飲める、以前よりも今朝真に止めたり これ や 量を減らせばいいのだろうと解釈し、根本的な反省には至っていな此より一たび止め去って まさふそ - つほとりとど 将に扶桑の挨に止まらんとす せいがんしゆくよ - っとど 私も弟が入院している間、自らの生活態度を反省し、こうな淸顏宿容を止むること なんただせんまんし れば弟の禁酒につきあい、酒を飲むことはこれから控えようと奚ぞ止千万祀のみならんや 思ったこともあった。私の誓いは弟が退院して三日目にあっさり うんさんむしよう 雲散霧消した。 以下、ざっくり現代語訳。 とうえんめいさけをやむ 東晋の詩人陶淵明には止酒と題する詩がある。 ボク街で働くの嫌だからさ、ひきニートやってんだよね。ごち そうは家で作る野菜だけ、楽しみは子供と遊んでやるだけなんだけ じようゆうやど や 居は城邑に次るを止め ど最高に楽しいわ。 しようようおのずかかんし 逍遥して自ら閑止す ただ酒だけはやつばやめらんないんだよね。夜は飲まないと寝 ざ とど 坐するは高蔭の下のみに止め れないし、朝も飲まないと布団出れないし。いや、やめようとは思っ とど ひつもんうち 歩むは篳門の裏のみに止む てんだけど体調悪くなるんだよね。て言うかさ、酒やめたら楽しく よ たえんき 好き味は止だ園葵のみ ないでしょ ? やめたら良い事あるって言われても、ホントかどう よろこ たちし 大いなる歡びは止だ稚子のみ か分かんないし。 や 平生酒を止めず だけど、今朝思いきってスパッと酒やめることにした。これで こころ や 酒を止めなば情に喜び無し 仙人の世界行けて、超イケメンになって、千万年以上長生き確定だ や 暮れに止むれば安らかに寝ねられず わ。 あしたや たあた とうえんめし 晨に止むれば起っ能わず 陶淵明、やめる気ゼロである。この陶淵明という人は、「帰りな じ これや ききよらい と - っげん去よ - っ 日々之を止めんと欲するも ん、いざ」から始まる「帰去来の辞」や、理想郷を指す「桃源郷」 えいえいや おさ とうかげんき 営衛は止むれば理まらず の語源となった「桃花源記」などで有名な中国を代表する詩人であ や 徒だ知る止むことの楽しからざるを る。朝廷からの招きを断り隠遁し続け、田園の生活を描写した詩文 や おのれ 未だ知らず止むることの己に利あるを を数多く残した、世界最強クラスのひきこもりニートである。 さと

7. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

ない、と一一一口えるんじゃないだろうかふとんから一歩も出ないまま、がギリリと締め付けられる繊細なリ 5 ア充 ? 」知るか ジンでトリップ三千世界。自分は万里を駆ける。お前はどうだ、 ひとりでぼんやりと考え事をしているみたいだなと思った。 駆けてるか ? ) でを隠 側茶「 よ縁おは 〔ー」に益歹 ち か節 は和の さ関 べ 夢平頃 体 ろ 力のらの 球 よ表 団頃が年 代 ンち 集のな学 術人 ろ芸芸 現年し高 低っ後 カち。瑯気 ヴ 冾校ぼ 団べ集、お 総学向る ョ集か編踏元 小日啜遁 現団・舞 シ表集画里ア 現企暗ニ 、花は流れてどこどこ行くの。オレと 六根清浄チムチムチェリー 合 表」は。マ 総合ま味形画 お前と大五郎イン情欲の宴大感謝祭。 田 総し趣人映 「おまんた囃子でわっしよいわっしよい ! 」 「イエス、マム ! 」 保育園のお遊戯会だか何だかで、私はオズの魔法使いの意地悪な 北面の武士、甕棺ぶち込み大気圏外へシュート ! 肺胞、肺胞、魔女役を演じた。大人たちは褒めそやし、その時の快感が忘れられ 養老霊費。見える。世界の理が見える : : : 。金づちオリンピックはず小学校では演劇部に入った。 倒産しました。はじける潮の香り、そうここはテキサス。モンゴル 自分で一一一口うのも何だが、演劇部では人気者であったと思う。即興 人がびびるびー。平和台球場からこんにちは、三波春夫がサーチ & でおどけた芝居をしてみせ滑稽を演じながらも、誰よりも才能があ デストロイ。黙って人の話を聞け ! 爆発資産ポドカルプス・ナギ。ると思っていた。 ーへ時速 4 で 小学校 6 年生、最後の公演での私の役はマフィアのポスであった。 「間題です。太郎くんは自宅から 2 離れたスー 向かい、買い物かごにリンゴとバナナと大豆の水煮を同時に放りこ主人公を脅し、部下を引き連れ暴虐の限りを尽くす。一一百人規模の / 学生ながらマフィア映画を観て研究し、 みながらこの国の未来に思いを馳せつつ家族の健康と幸せを祈って会場に私は心躍っていた。ト いると、突然昔の彼女との楽しかった記憶がフラッシュバックし胸凄味のある声の出し方、風格ある立ち振る舞いを練習した。 問瀬一樹 僕たちが夢見ることを止めた時

8. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

それまで毛糸は素直だったのに、いやだいやだと言っているみたいに絡まってしまった。 ひつばったらなんとかなるでしよと思って、もっと強く引っ張ってみた。毛糸は、もうこ んな奴に付き合ってられるか ! とプチキレた。 私は占い師である。福岡のとある占い処に生息している。ある日、仕事も一段落つい てぼけっとしてたら、手編みのセーターの毛糸をほどく任務を任された。 私は編み物は苦手だ。あのフワフワ柔らかな世界の裏に、強敵が潜んでいるからである。 ー大切なあの人に贈りたい ! 手編みのマフラー。真冬でもほっこり ! ニットの帽子にセー ターーこんなすてきな世界の裏には、超機械的な「編み図」と言う裏ボスが存在する。数 学や定規が苦手な私はあいつを見ただけで、ああ、もうよくわからん ! と、思考ストップ してしま , つ。 話を戻そう。そうそう。毛糸ほどき係。 私のお隣の席の占い師さんは、編み物が趣味た。その方は一度編んだセーターをほどい てまた編みなおすという、編み図を裏ポスなんて言っている様な私には、何とももったい ないと思うことをしている。あ、でも、再利用するんだから、もったいなくないか・ まあいいや。 私はほどき係を二つ返事で「やります ! 」と答えた。ほどくくらいなら目を瞑ってもで きるだろう。単純作業は好き。気分転換に良い ! と思った。やる気があった私は、その時「よ ろしくね、大変だけど : ・。」と言っていたのも気にしていなかった。 さあ、テキトーに楽しもう ! と、片手で毛糸の端をカまかせにひつばった。なんにも考 えないで子どもがするみたいにひつばった。しゆるしゆるしゆるっと、セーターが溶けて いくのが心地よい。下り坂を駆け抜けていくようなしゆるしゆるしゆる・ : 満喫していると、 思いがけなく鈍い感覚が。 「あれ ? 」 嗚呼、毛糸人生 あーあ、どうしよう : こういう時は手を止めて状況把握に限る。一応、私も人間のはしくれで あるから、理性ってもんがある。とりあえずは切れた部分はどうしようもないので、過去のことは 水に流すことにした。次いこ , つ。 一本の毛糸は、繰り返される昨日で今日で明日。一週間、一ヶ月、一年。生まれてから、この世 からいなくなるであろう日までの一本道のようだ。 毛糸人生再出発 ! ・ : しゆるしゆる : ・そうだ、毛糸は一筆書きと同じなんだから、絶対何とかなる。それに、解決で きないことは目の前に廻ってこない。と誰かが言ってた。 : しゆるしゆる : ・毛糸の気持ちがわかるように、よく観察してみよう。すると、繊維が絡まる法 則性があることがわかった。 妻「なによっ ! 家庭と仕事どっちが大事なのよっ ! 」 夫「何でお前は癇癪を起こす ( 絡まる ) んた ! 俺が仕事してるからお前たちは生活できるんだろ ! 」 みたいな、よくある ? 夫婦喧嘩にも似た気持ちが湧きつつあったが、法則が見えてくると、「ああ、 お前にも言い分はあるんだよな、うん。」と冷静になってきた。 : しゆるしゆる・ : そうそう、道具を使おう。はさみ。性格は断面に現れるもの。無理やり引っ張 ると、毛糸は後ろ髪を惹かれるように、なんとも気持ち悪く裂ける。だけれど、はさみで切った繊 維の断面はしやきっとしていて潔い。はさみは決意の象徴かもと思った。 毛糸がプチキレたように、妻の逆鱗に触れないように、さっきの法則性を踏まえて、周りの細か く絡まった繊維の部分だけをちょこちょこ切っていった。 これが、繊維を切らずにスーツとやると、どんどん詰まる。つまりがどんどん後回しにされて 大きくなって、トラウマ化したり、どかんと爆発してしまったりするのだろうな。おお怖。 そうやってすったもんだしているうち、やっとできた毛糸玉。ひとつの私の作品のように思えて 何ともいえない愛おしさを感じた。お隣の占い師さんは、この私の作品でどんな作品を作るのかな。 さてさて、暇つぶしでした毛糸ほどき。思いがけなくこんな文章に変身してしまった。なんにし ようと思ったつもりもないのに、何かになってしまうなんて。こんなんだから、おもしろい 4

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要とされるようになった。会社員とは ( いまではあまりそうした認とが闘うのではなく、敵が見えない闘いのなかでいかにサヴァイヴ 識はされていないが ) 専門職だった。専門職に就くには、相応の教するかが大きな問題となっている。 育を受ける必要がある。その社会の要請にしたがって、高学歴化が 以上のことをまとめると次のようなことが言える。年代の学 すすんだ。それ以前。。 こよ、そもそも経済的な貧しさから、高校に進生は政治や思想などについて深刻に考えていたようにも見えるが、 学しない者も多かったのだが、進学率が増加した。このことは、若人生自体の見通しは立っていた。現代の学生なら先述のような「人 者の人生設計に、多大な影響を与えた。成長という「希望」が存在生のレール」など望むべくもない。学生運動の時代は、管理社会の する社会で、「良い大学に入り、良い会社に入り、気立てのよい嫁なかで、一定の「大人」モデルに沿うことが基本的に誰にでも可能 をもらい、子供を 2 人もうけて : : : 」という目標が生まれたのであであった点がいまだ近代的だった。 る。 対して完全にポストモダン化した今の日本では、第 1 章・第 3 しかし、この社会にも負の側面があった。それが、国民皆受験節でみたように、各々のなかに「やりたいこと」というモデルがあ 制度から生まれた苛酷な受験戦争である。全共闘世代は、高校受験り、どこかにあるはずのアイデンティティを探している状態だ。フ を全員が経験したはじめての世代だった。それは、彼らが自己の リーターの道を選んだ彼らは、「正規雇用に就くこと」という従来 ( 日 アイデンティティを問うきっかけとなった。前述の「幸福な人生の本では少なくとも一 990 年代まで ) の世間 ( 社会 ) 的な「大人」の レール」にのることが当たり前とされるなかで、社会の歯車として基準から外れる存在としてみられている。 の画一的な人生に疑問を抱き始めたのだ。「自分とは何か」という また、「やりたいこと」が見つからない揺らぎを抱えた彼らは、 アイデンティティ・クライシスにはじめて集団的に見舞われたのが心理的にも「大人」であるという確証が得られないでいる。このよ 一 960 年代末の若者達だったのである一。。 うな「大人」モデルと「自分」との重ね合わせにくさという点で、 年代では、大学当局Ⅱ体制Ⅱ管理社会に反抗した闘いが行わ年代と現代とでは大きく異なる。この「大人」モデルの曖昧さは れた。それに対し現代では、若者は大きな敵のいない社会に生きて学生にも浸透しており、だからこそ、「管理社会」への反発という いる。全共闘の特徴は、若者が広範囲に結集し、学生が集団的に全共闘世代の心情は理解できないものとなっている ( むしろ、安定 かつ自主的に一致団結して行動していたことだという点は先に述べした「人生のレール」を羨ましくも感じるだろう ) 。 た。「大学当局」と全面的に対決し、時には暴力行為も辞さない、 全共闘運動の時代との比較をまとめると、現代とは「政治とい などということも今では想像を絶する。現代の若者は、「集団的に」う物語が信じられず、市場主義が浸透している」、「管理社会におけ 何かに向かって対抗しようとはしない。むしろ同じ若者であっても、る不安から、自由主義における不安へ移行した」時代だといえる。 さまざまな文化圏に分裂している。ひとつの大きな「社会」と個人このような時代に、多くの学生がアイデンティティを問われる

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乙最 思えばそういった意味での大きな「夢」は昔から見ることが少な 占座 かった気がする。幼少期から憧れている職業なんてものはなかった の星、 岡月し し、自身の自己実現を果たす欲求もなければ、あの人みたいになり 福・ら 。座細 たい、だとかいったものもなかった。なので、非常にこの企画の文 す羊繊 章を生み出すのに苦しんでいる。 ま牡っ み座かで ただ、程度が落ちるかも知れないが、華の男子高校生であった 読星胆足 ころに夢見ていたことは色々あった気がする。友達たくさん作りた と陽大不 一太、動 いだとか、夜遊びしてみたいだとか、女の子とお近づきになってあ 力。座運 ル師女近 ・とかそんな他の寄稿者に申し訳ないぐらいの俗な わよくば・ 願望が夢らしい夢だった。 数年前、松坂大輔投手が「夢」という言葉は好きではない、と言っ ある作品からの引用なのだが、夢は呪いと同じである、という 定義がある。呪いを解くには夢を叶えるしかない、夢をあきらめてたのを耳にしたことがある。 この言葉は 2006 年のボストンの入団会見での一言らしい。記 しまった者は一生呪われたままなのだ、と。僕は、こざこざとした 夢が叶ったことでそれまでの漫然とした憂鬱さと決別できたようなに「夢が実現した感想は」と聞かれ、 「僕は夢という一言葉は好きではないです。かなわないのが夢。僕は 素敵な気分になることが出来たのだが、僕よりも大きな夢を抱えて、 それを失ってしまったであろう他の寄稿者は本当に呪われてしまつずっと、ここで投げられることを信じて、目標にしてやってきた。」 ているのだろうか。そんなことを思いながらつい最近に歳を重ねたと返した。野球選手。ハタから見れば夢のような職業。しかし、松 め 24 歳という自身の年齢と、最近願い始めた夢のことに思いを馳せ投手は夢という一一一一口葉を目標に置き換え、自分に近づけたのだろう。 を そういえば、私は「途方に暮れる」瞬間が大好きだ。何か実際に ている。 と こ めた時、なりたい自分に行き着くまでにスタート地点にさえ立ってい る なかったことを知る。誰しも一度は経験するだろう。がっかりする。 自分の無力さを知る。でも、その瞬間、ぼやけた世界がくつきりと魚夢 カ 明になる。生きている実感が湧いてきて、快感を感じるのだ。 ち 「途方に暮れた」瞬間から、夢は私に近づく。 夢は見るものではなく、叶えるものである。 1