なる。また身分制が崩壊して職業や結婚相手の選択が自由になり、 なったり、結婚したり ) を持っていることが多いきしかし彼らは 人生の選択肢が広がった。 実際には、とりあえずフリ 1 ターを続けているのである。その心理 たとえ法律的に成人したとしても、相応の心理的な成熟と社会は以下に分かりやすく表現されている。 的立場を持ち合わせていないと「大人」とはみなせなくなった。す ると、特定の時期に「君は大人になった」と認めてくれるような特 定職につかずアルバイト生活を続けるということは、自分 定の権威はいなくなる。代わりに人々は、各々自身でアイデンティ の活動の可能性をまだ完全には具体的な形で限定しないま ティ。を発見し「私は大人になったのだ」と認めるようになるのだ。 まの状態で保持できる。〔 : : 〕「今こうやってバイトに明 ところが社会が成熟したポストモダンでは、近代のような誰に け暮れている自分は本当の僕じゃない。いっか時期が来れ でもあてはまる人生のモデルが崩壊し、「私は大人になったのだ」 ば本当の僕の力を発揮できる場所と時間がやってくるはず という自覚すら持ちにくくなった。近代では、職を持ち、結婚し父 だ」といった形で。。 や母になることが「大人」であると信じられていた。だが、それが 現在は容易ではないことは第一節で述べた。国際化、消費社会化、 彼らは「可能性」や「本当の僕」、「夢」、「やりたいこと」を追 情報社会化がすすみ、流動的かつ物質的に豊かな時代には、旧来のい求めているのだ。しかしそこには、久木元真吾が分析したように 価値観は通用しない。青年期も長期化する。 一 0 、理想を追えば追うほど、その行為が自己目的化するという構造 このように時代がすすむにつれて、「大人」になることよ夏雑ヒ。、 ( ネ木イカはたらいている。以下では、彼の論考「「やりたいこと」という していった。次節では、現代日本というポストモダン社会「で生き論理」 ( 2003 ) を詳しくみていくことにしたい。 る若者の問題へ再び立ち返る。そして、過去の規範で考えられてい 久木元はこの論考で、一 999 年に実施された日本労働研究機構に たような「大人」になれない若者が増える現状を分析してみよう。よるフリーターのヒアリング調査 = を分析した。そこでは、全体 の名のうちの貶名 ( 43.3 こが何らかの形で「やりたいこと」と 一「本当の自分」探し いう表現に言及しており、フリーターが自らを語る上で重要なキー 職を得ること、結婚すること、実家を出て生活することをしないワードとして「やりたいこと」が捉えられている。久木元は、彼ら ( できない ) 若者が増大していることは第 1 節で述べた。では、そ が「やりたいこと」に関して特徴的な想定を立てていることを指摘 の時若者は何を考え、感じているのだろうか。 している。その特徴は以下の 3 つに整理できる。 実際のところ、フリーターの若者は、生涯にわたってアルバイト ・「やりたいこと」を仕事にすれば、途中でやめてしまうこと を続けるつもりではなく、将来的には別の理想 ( たとえば正社員にもなく続けることができる、 cxi 「やりたいこと」は今わからなくて っ 0
もいい ( 「やりたいこと」を探すこと自体にも、就職すること以上のとき「やりたいこと」を探すこと・めざすことは、個人の内部だ の重要な意味がある ) 、「やりたいこと」はどこかに実在するはけで完結するものとなってしまい、他者との交流の契機はむしろ希 薄になる。 ずだ。 これらの「意図せざる帰結」を踏まえて、久木元はさらにこう 「この 3 つが前提となって、論理的な結論として導かれているの 述べている。 が、本人が自分の「やりたいこと」をやるのが最も良い選択だとい うこと」であり、「それを優先した結果、正社員としてではなくフリー 〔一見すると「やりたいこと」をやるというのは享楽的 ターとして働くことになっても、むしろ望ましい選択であるとされ な印象を与えるものだが〕「やりたいこと」をやろうと る」のである。 することが、到達しにくく、妥協しにくく、にもかかわ つまり彼らなりの選択をした結果が、フリーターである訳だ。 らず放任されるとなると、実はそれほど楽な道とはいえ そこでは、「「やりたいこと」に懸命に取り組む自分」というのが成 ガし 熟したイメージとして存在する。この成熟モデルこそが彼らにとっ てのアイデンティティであり、「大人」像なのだ。しかし問題なの ここでみられるのは、成熟できない ( 「大人」になれない ) 若者 は、現在の「自分」と理想としての「大人」をいつ一致させること ができるのか、ということである。彼らにとっては、「「やりたいこが苦しんでいる現実である。彼らは「自分探し」をしているのだが、 それがいっ・どこで決着がつくものなのかは誰にも分からない。し と」を探している自分」は「本当の自分」ではない また続けて久木元は、「やりたいこと」という論理がもたらすフかし、止めることもできない。諦めることも、自分の理想とする大 リーター自身が意図していない帰結について言及する。それは以下人になることもできず、終わらない現実にとどまり続けている。彼 らは、「本当の自分」Ⅱ成熟した大人になる道を見つける手立てを の 3 点である。 ・「やりたいこと」に対する要求水準の厳しさゆえに、かえっ失っている。 こうした「自分探し」は、フリーターに限らず現代社会のなか て「やりたいこと」が見つかりにくくなる。仮に「やりたいこと」 が具体的にあるとしても、現実にそれを続けていくことが難しくでひろくみられる現象である。速水健朗は「自分探し」の定義につ なった場合に発生する困難。「やりたいこと」をめざすことを自らいて、「若者を中心とした人々が、現在の自分ではなく、本当の自 やめざるをえない場合、自分自身に対して否定的な評価を下すこと分を知ろうとしたり、あるべき自分の姿を求めたりする行為を指し になりかねない。 3. 「やりたいこと」を、最初からできあがったもている」一 ~ としている。「自分探し」は、インド旅行から自己啓発 本まで、私たちの身近に溢れている行為である。 のとして自分の内部に存在しているはずと設定したことの帰結。こ
(Endnotes) 46 頁。 一フリーターは 2 一 3 万人 ( 2004 年時点 ) 、ニートは 84.7 万人 ( 2002 年時一 0 久木元真吾「「やりたいこと」という論理」、『ソシオロジ』、第 48 巻第 点 ) 、親と同居する成人した未婚者 ( 全てがパラサイト・シングルではない ) は 2 号 ( 2003 年 ) 参照。 1200 万人 ( 2000 年時点 ) 、引きこもりは 50 万人以上 ( 287 年時点 ) 。 ニ日本労働研究所編『調査研究報告書 No. 一 36 フリーターの意識と実態 2 城繁幸『若者はなぜ 3 年で辞めるのか ? 年功序列が奪う日本の未来』、 ー 97 人へのヒアリング結果よりー』、日本労働研究機構、 2000 年参照。 光文社新書、 2006 年、 28 頁参照。 一 2 速水健朗『自分探しが止まらない』、ソフトバンク新書、 2008 年、 3 頁。 3 城繁幸『若者はなぜ 3 年で辞めるのか ? 』、光文社新書、 2006 年、 2P32 一 3 正式名称を全学共闘会議という。日本の各大学で学生運動が実力闘争と 頁参照。 して行われた際に、学部やセクト ( 党派 ) を超えた運動組織として結成された 4 久木元真吾「「やりたいこと」という論理ーーフリーターの語りとその意大学内の連合体のこと。 図せざる帰結ーー」、『ソシオロジ』、第 48 巻第 2 号 ( 2003 年 ) 参照。 一 4 学生側が大学側と、学内問題から社会問題に至るさまざまな問題につい 5 『岩波哲学・思想事典』、岩波書店、 1998 年、 92 頁参照。 て交渉すること。 6 自分自身が時間的に連続しているという自覚 ( 連続性 ) と、自分がほかの一 5 佐藤信『 60 年代のリアル』、ミネルヴァ書房、 20 ニ年、 3 頁。 だれかではない自分自身であるという自覚 ( 斉一性 ) とが、他者からもそのよ一 6 小阪修平『思想としての全共闘世代』、ちくま新書、 2006 年、 204 頁。 うなものとみなされているという感覚とに統合されたもの ( エリク・ホーンプ一 7 小熊英志『一 968 〈下〉叛乱の終焉とその遺産』、新曜社、 2009 年、 ルガー・エリクソン、ジョアン・モワット・エリクソン『ライフサイクル、そ 793 頁。 の完結〈増補版〉』 ( 村瀬孝雄・近藤邦夫訳 ) 、みすず書房、 28 一年参照 ) 。 一 8 学生運動が沈静化した理由のひとっとして、 7L72 年の連合赤軍事件の 影響がある。内ゲバによる殺人を含むこの事件は社会にショックを与え、活動 7 ポストモダンの始まりを定義することは難しいが、一 954 ニ 973 年の高度経家は反社会的存在として認知されるようになった。しかし本論ではそのような 済成長期の前後に、段々と近代からポストモダンへの変化が起きたといえる。学生運動史には深く触れず、当時の大学生全体がどのような社会状況に置かれ 消費社会が浸透した一 980 年代以降は完全にポストモダン社会になったとみなていたかに注目する。 してよい。 ( 東浩紀『動物化するポストモダン』、講談社現代新書、 200 一年、一 9 小熊英志『一 968 〈下〉叛乱の終焉とその遺産』、新曜社、 2009 年、 一 04 ニ 05 頁参照 ) 。 784 , 789 頁参昭。 8 山田昌弘『希望格差社会』、ちくま文庫、 287 年、 248 49 頁参照。 20 「意識の高い学生」を Google で検索すると約 2 一 20 万件ヒットする。同 9 菅野仁「大人になることの苦みと希望〈半歩先を行く自分〉を見出す」 ( 苅様に、独立した形容詞句である「意識の高い」は約 8600 万件該当する ( 20 一 4 谷剛彦編 ) 、『いまこの国で大人になるということ』、紀伊國屋書店、 2006 年、年 4 月 6 日現在 ) 。このヒット数は、筆者が最初にこの論文を執筆した当時 ( 20 一 3
V あとがき 「死神少女サキちゃん」を読んで頂きありがとうございます。 この作品の構想は今から約 2 年ほど前からぼんやりと始まりました。 きっかけは、そのまた 3 年前に描いた絵です。 これまた、ぼんやりと描きはじめた絵だったのですが、 久々にキャンバスに描いたこの少女とガイコツくんの組み合わせに愛着が湧き、 いつの日か二人の物語が出来てきた次第なのです。 今回は「生みの苦しみ」を味わいましたが、 これこそ「創作」の醍醐味なのかもしれません。 いいこともよくないと思いがちなことも 創作の「エネルギー」へと変換させる。 このことが、スマートな表現者の方法なのかもしれませんね。 ( わたくしにはこのレベルまでは遠いですが・・・ ) 今回も、作品制作にあたって、さまざまな方々のご協力をいただきました。 感謝申し上げます。 2014 年春 中原街子 58
ない、と一一一口えるんじゃないだろうかふとんから一歩も出ないまま、がギリリと締め付けられる繊細なリ 5 ア充 ? 」知るか ジンでトリップ三千世界。自分は万里を駆ける。お前はどうだ、 ひとりでぼんやりと考え事をしているみたいだなと思った。 駆けてるか ? ) でを隠 側茶「 よ縁おは 〔ー」に益歹 ち か節 は和の さ関 べ 夢平頃 体 ろ 力のらの 球 よ表 団頃が年 代 ンち 集のな学 術人 ろ芸芸 現年し高 低っ後 カち。瑯気 ヴ 冾校ぼ 団べ集、お 総学向る ョ集か編踏元 小日啜遁 現団・舞 シ表集画里ア 現企暗ニ 、花は流れてどこどこ行くの。オレと 六根清浄チムチムチェリー 合 表」は。マ 総合ま味形画 お前と大五郎イン情欲の宴大感謝祭。 田 総し趣人映 「おまんた囃子でわっしよいわっしよい ! 」 「イエス、マム ! 」 保育園のお遊戯会だか何だかで、私はオズの魔法使いの意地悪な 北面の武士、甕棺ぶち込み大気圏外へシュート ! 肺胞、肺胞、魔女役を演じた。大人たちは褒めそやし、その時の快感が忘れられ 養老霊費。見える。世界の理が見える : : : 。金づちオリンピックはず小学校では演劇部に入った。 倒産しました。はじける潮の香り、そうここはテキサス。モンゴル 自分で一一一口うのも何だが、演劇部では人気者であったと思う。即興 人がびびるびー。平和台球場からこんにちは、三波春夫がサーチ & でおどけた芝居をしてみせ滑稽を演じながらも、誰よりも才能があ デストロイ。黙って人の話を聞け ! 爆発資産ポドカルプス・ナギ。ると思っていた。 ーへ時速 4 で 小学校 6 年生、最後の公演での私の役はマフィアのポスであった。 「間題です。太郎くんは自宅から 2 離れたスー 向かい、買い物かごにリンゴとバナナと大豆の水煮を同時に放りこ主人公を脅し、部下を引き連れ暴虐の限りを尽くす。一一百人規模の / 学生ながらマフィア映画を観て研究し、 みながらこの国の未来に思いを馳せつつ家族の健康と幸せを祈って会場に私は心躍っていた。ト いると、突然昔の彼女との楽しかった記憶がフラッシュバックし胸凄味のある声の出し方、風格ある立ち振る舞いを練習した。 問瀬一樹 僕たちが夢見ることを止めた時
ゆとり世代の総合表現マガジンさかしま 第二号何者にも成れない或いは成ろうとしない若者達 発行日 2014 年 6 月 1 日 発行総合表現集団かべちょろ 編集田中ジョヴァンニ 写真高瀬一樹 ご意見・ご感想をお寄せ下さい。 Twitter : 総合表現集団かべちょろ (Kabe-Tyoro) Mail: tanaka.di.giovanni@gmail.com 総合表現集団かべちょろとは 完璧かつべストで丁度いい老若男女に愛される総合的表現の研究と実践を 行うパフォーマンス集団。 映画製作・同人誌発刊・ダンスイベントへの参加を行う。 団員随時募集中。 さかしまとは ゆとり世代の総合表現マガジンと銘打ちながら、ゆとり世代以外も参加す るインディーズマガジン。 堅苦しくないゲンロン系の雰囲気を目指したい。 販売委託先・参加者募集中。 60
, 一一 , ( ) ( 一一や馥雑なものは好まれをいものだ。きちんと参加者全員の意思通 日ごろ作品を作・つていると、ふと、ごの作品はい っ愛いどんな一が図れ工いれば話は酬なのだろうが、今回あえてテョマに関て参 人に、之んなタイミングで見てもらうことになる 9 だろう ? 「など」加者への説明はなされず、それぞれの裁量に任されていた。 と考えことがある。 そのため各作品を読んでみればい一トマに忠実なものもあれば、 ) ら 男性か。女性か若い人だろうか、それもお年を召しただいったいどこにテーマ万 ? といった作品もあることだろう「しか 、ろうか。床にぶちまけたうどんをふき取を直前かあるいは休日のしながら全体をフカンしでみれは、おおらかせゆるやか一なまとま 犬の散歩のお供たろうか。 感がわ旭ちまず耄。・参加者の個性を尊重し 0 っン全体の、ガラョを整 もちろん見、もら = れば幸だが、 - 残念ながら、見、もら一ず・える = と」亠ル」ている」ュ・ に捨てられるこどもあるだろうは・ヂ 加えて同从全体小デザインにもこだわってありテーマをよ 作る人からしてみれば「いろんな人に見てもらいたいし知ってり理解しやすくしている。この「何者にもれないな匂達、或いは ほしいもの。ちょっ・と鍋敷きにする前に一自分の作を - 一度でいし 成ろうとしない若者達」 , というテーマの設定は、作り手にも受け手 から見てみてほしいな、と思うものだ 3 をの思いの強さときたら、にも想像力が試されるユニ } クな試みだったのではないだろ一つか 地に下っては大河や高山となり、天に上っては太陽や星となる、と 創作動には楽しい面もあれば辛い面もある。今まで無かったも いうほどの人も世の中にはいらっしやる。今回この同人誌「さかし ま」を企画した人たち、あるいは参加された皆さんもまた、・きっとの、新しいものを生み出す時には、・不安や苦しみがついてまわる。 そういうところのある人たちいだろう それでも前進しようとする同人誌「さかしま」に加ぎれた皆さん 創作活動という手段で、過去を見つめ、 . 今を描き、未来を世に・に、惜しみない称賛送りたきづ 問う。そんな自己表現の方法を、彼らあるいは彼女たちは選んだの だ。もし時間が許すのであれば、またこの本を手に取り、そんな人 たちの思いをちょっぴり酌んであげて一ほしいと思う。 さて今回、「何者にもなれない若者達一或いは成ろうとしない若 者達」というのがこの同人誌のテーマだった。 わかるようでわからない言葉だ。一ふつテ 1 マとかコンセプトと いうものは明快かっ簡潔なものでなくてな ~ 、あいまいなもの 又・高瀬一樹
それは多分 お、おい 悔いのないように生きるって なんだよ ! 魂からやりたいと魂からやりたいことって 思ってることを やり遂げるって ことかな ほんじゃあ また会いましょ D しし イ 7 た、たし 0 よかっこ なんだろう オのかよお END
悪いけど遠慮しとくわ あんたの魂は 未練がある そんな魂欲しくないの ラフ あんたが 悔いのないように生きて それでも 死にたくなったときは 魂奪っちゃうから D 容赦なく
しゃあ 死神さんとやら お前は死神、俺は死にたい チャンスじゃん ? 試してみるか ( ま、 5 俺の魂くれてやるよ えっ どうせこいっ 嘘ついてるんだろ サキー やっちゃえよ 所詮俺の人生は デタラメだらけ マハ 見てない 馬鹿にしやがって : こいつもデタラメ 0 ■新 4 ー