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検索対象: ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号
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1. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 第二号

不良詩人でもあったのである。まさにロックー この時代にまだエレキギターが生まれていないことが心底悔や 高瀬樹 ( 無職 ) まれる。非常識・アンチモラル上等な、千年ほど時代を先取りした ライフスタイルであっても後世に名が残るのだから、さすがと言う 酒を飲め、それこそ永遠の生命だ、 べきか。羨ましい限りである。 しるし また青春の唯一の効果だ。 そんなレオナルド・ダ・ヴィンチや平賀源内と同じジャンルに 花と酒、君も浮かれる春の季節に、 属する彼が、終生愛してやまなかった酒。何を隠そう、私も酒は大 ひととき たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だー 好きである。さらに言えば私の家族はみな酒が好きである。そして 酒で身を持ち崩しかけている。主に健康面で。 まか . な 人生の儚さを快楽主義的にうたったこの詩は、十一世紀セル 父は家に帰れば必ず晩酌に芋焼酎を飲み、母も週末にハイボー ジューク朝ベルシャの数学・天文学者であり詩人、オマル・ハイヤールやワインを飲むことを楽しみとしている。私が知る限り、そう酷 ムの詩集ルバイヤートの一篇である。 い飲み方をしているわけではないのだが、一一人とも病院に数年来お 彼は科学者として二項定理の発見や暦の改正など様々な功績を世話になっていて高血圧の薬が欠かせないし、口癖は「痩せなきや」 こんにち である。 残し、今日では特に詩人としてその名が知られている。 彼の作品には、幾度となく酒が登場する。イスラム法では一般きっと酒や食事のとり方をはじめとした生活習慣の改善が必要 によく知られているように、その成立当初から現代にいたるまで飲なのだろう。酒は私の両親に新たな出会いと交流の場を、さらに生 酒は厳禁とされてきた。そのため当時の神学者達から彼は飲酒や宗きる目標までも与えてくれているのだ。 教観に関して多くの批判を受けた。 弟も酒が好きだった。鹿児島で大学生をしていた弟は、今年の 彼は表向きには神学者たちの主張を容れながらも、神学者たち春にめでたく卒業となっている。しかし残念ながら卒業式には参加 の説く教えへの懐疑や批判をその詩の中に残している。彼の唯物論できなかった。 的な考え方は、正当なイスラム教の見解とは相反するものだった。 卒業式の数日前に救急車で運ばれ、緊急入院したのである。と セルジューク朝のスルタンに仕え、イスラム世界では高名な天書くと、なにやら不穏な感じがでて、この後弟は死んだ、とでも書 才学者として知らぬ者は無いこの知識人は、その実、真面目なイスきたくなってしまうが決してそうではない。私の気分で弟を殺して ラム神学者を何度プチギレさせても、全く反省の色もなく自作の詩はいけない。 すい でポロッカスにこきおろし、酒が無いと生きていけないとのたまう弟は急性膵炎で 3 週間の入院となった。この病気の原因は、ど だからは私は酒を飲むのだ

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(Endnotes) 46 頁。 一フリーターは 2 一 3 万人 ( 2004 年時点 ) 、ニートは 84.7 万人 ( 2002 年時一 0 久木元真吾「「やりたいこと」という論理」、『ソシオロジ』、第 48 巻第 点 ) 、親と同居する成人した未婚者 ( 全てがパラサイト・シングルではない ) は 2 号 ( 2003 年 ) 参照。 1200 万人 ( 2000 年時点 ) 、引きこもりは 50 万人以上 ( 287 年時点 ) 。 ニ日本労働研究所編『調査研究報告書 No. 一 36 フリーターの意識と実態 2 城繁幸『若者はなぜ 3 年で辞めるのか ? 年功序列が奪う日本の未来』、 ー 97 人へのヒアリング結果よりー』、日本労働研究機構、 2000 年参照。 光文社新書、 2006 年、 28 頁参照。 一 2 速水健朗『自分探しが止まらない』、ソフトバンク新書、 2008 年、 3 頁。 3 城繁幸『若者はなぜ 3 年で辞めるのか ? 』、光文社新書、 2006 年、 2P32 一 3 正式名称を全学共闘会議という。日本の各大学で学生運動が実力闘争と 頁参照。 して行われた際に、学部やセクト ( 党派 ) を超えた運動組織として結成された 4 久木元真吾「「やりたいこと」という論理ーーフリーターの語りとその意大学内の連合体のこと。 図せざる帰結ーー」、『ソシオロジ』、第 48 巻第 2 号 ( 2003 年 ) 参照。 一 4 学生側が大学側と、学内問題から社会問題に至るさまざまな問題につい 5 『岩波哲学・思想事典』、岩波書店、 1998 年、 92 頁参照。 て交渉すること。 6 自分自身が時間的に連続しているという自覚 ( 連続性 ) と、自分がほかの一 5 佐藤信『 60 年代のリアル』、ミネルヴァ書房、 20 ニ年、 3 頁。 だれかではない自分自身であるという自覚 ( 斉一性 ) とが、他者からもそのよ一 6 小阪修平『思想としての全共闘世代』、ちくま新書、 2006 年、 204 頁。 うなものとみなされているという感覚とに統合されたもの ( エリク・ホーンプ一 7 小熊英志『一 968 〈下〉叛乱の終焉とその遺産』、新曜社、 2009 年、 ルガー・エリクソン、ジョアン・モワット・エリクソン『ライフサイクル、そ 793 頁。 の完結〈増補版〉』 ( 村瀬孝雄・近藤邦夫訳 ) 、みすず書房、 28 一年参照 ) 。 一 8 学生運動が沈静化した理由のひとっとして、 7L72 年の連合赤軍事件の 影響がある。内ゲバによる殺人を含むこの事件は社会にショックを与え、活動 7 ポストモダンの始まりを定義することは難しいが、一 954 ニ 973 年の高度経家は反社会的存在として認知されるようになった。しかし本論ではそのような 済成長期の前後に、段々と近代からポストモダンへの変化が起きたといえる。学生運動史には深く触れず、当時の大学生全体がどのような社会状況に置かれ 消費社会が浸透した一 980 年代以降は完全にポストモダン社会になったとみなていたかに注目する。 してよい。 ( 東浩紀『動物化するポストモダン』、講談社現代新書、 200 一年、一 9 小熊英志『一 968 〈下〉叛乱の終焉とその遺産』、新曜社、 2009 年、 一 04 ニ 05 頁参照 ) 。 784 , 789 頁参昭。 8 山田昌弘『希望格差社会』、ちくま文庫、 287 年、 248 49 頁参照。 20 「意識の高い学生」を Google で検索すると約 2 一 20 万件ヒットする。同 9 菅野仁「大人になることの苦みと希望〈半歩先を行く自分〉を見出す」 ( 苅様に、独立した形容詞句である「意識の高い」は約 8600 万件該当する ( 20 一 4 谷剛彦編 ) 、『いまこの国で大人になるということ』、紀伊國屋書店、 2006 年、年 4 月 6 日現在 ) 。このヒット数は、筆者が最初にこの論文を執筆した当時 ( 20 一 3

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一般の人々が自己のアイデンティティのありようについて悩む姿が 次節では、学生の「自分探し」の事例を分析しよう。 みられる。 まず学生運動について簡単に述べておこう。「学生運動」とは、 2 学生の「自分探し」 本章では、大学に所属する学生の「自分探し」現象について分活動家と呼ばれる学生が中心となって反戦運動、学費値上げ反対運 析する。一般に大学生は、人生のなかでもとくに時間に余裕がある動、学生会館の自治要求、反差別への取り組みなどを行うものであ 時期だと認識されている。また彼らは、社会に出る一歩手前の段階る。日常的に彼ら活動家は、自治会やサークルを拠点にして討論や であり、卒業後の進路を意識せざるを得ない。そのため、大学生は学習をしていた。また自前のビラやポスター、立て看板を制作し、 とくに「本当の自分」を探す行為にふけりやすい。昔から若者論・授業前のクラスや昼休みの広場などで演説をし、自らの主張のア 大学生論として、ステューデント・アパシーや五月病、大量の留年ピールを行った。このように運動は、日常的には地道で地味なもの 者がとりあげられてきた。そのような問題も、「自分探し」や、そであった。しかし、 ( 年の安保闘争や . 間年の大学闘争のように ) 何かをきっかけとして全学的に運動が高揚した場合、普段は大学問 れに伴って起こった現象であるといえる 本章では「自分探し」現象のなかでも特に、年代に社会問題題や政治問題には関心のない一般の学生も運動に加わっていった。 にもなった全共闘運動、そして近年目立っている「意識の高い学そうなればデモや授業ポイコット、大衆団交一、、果てはバリケード 生」について比較検討する。第一節では全共闘時代の特徴を分析し、による建物占拠など、過激な行為が行われるようになる。 それらと比較することで現代の特徴を浮き彫りにする。第 2 節におこのようなかたちで一世を風靡した「学生運動」は、いまや過 いては、現代特有の現象である「意識の高い学生」の分析を通じて、去の出来事となっている。現在の大学で、学生が政治的な主張をす 先端的な「自分探し」のかたちを描き出す。そのうえで第 3 節では、る風景、ビラを配り演説する光景などを見ることはまれである。ほ とんど無いと言ってよい。一 988 年生まれである佐藤信も、次のよ 「自分探し」現象を俯瞰的にみて、その危険性について論じよう。 うな感想を述べている。「一人一人の人間が臆することなく国家権 カ ( と当時の人なら言っただろう ) と対決し、その人間が何万も集 —全共闘運動 日本にはかって、「学生運動」が盛んに行われていた時期が存在まるなんてこと、今の世にありえるだろうか」一。と。現代からみる 6 7 年の全共闘こ運動にと奇異に思える点は、「学生が革命を起こそうとしていたこと」、ま した。そのピークは年の安保闘争と、 8 あったが、本節では後者について取り扱う。なぜなら全共闘運動とた「必ずしも政治には興味のない学生たちまで広範囲に結集して、 は、近代とポストモダンとの瀬戸際で起こった「自分探し」現象だ暴力を含む過激な活動をしていたということ」という一言に集約さ からである。そこでは、人々が従来の「大人」観に疑問を抱き始め、れる。

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しかし、この学生運動を行っていた一人一人の心情に思いをめぐ ている物語」と「不安の構造」が異なっている。 らせてみると、現代人にも共感できる点があることに気づく。当時 まず「信じている物語」の違いとは、政治への期待と信頼度の違 運動に参加した小阪修平は、自らの経験を振り返り、「ぼくにとっ いである。当時は世界的にベトナム戦争反対の空気があった。また て全共闘運動とはなによりも、相手と向かい合った時の態度、自分若者の身近には、戦争の記憶を色濃く残していた年長者たちが存在 自身と向かい合う態度を意味していたのだ」一。と述べている。世界 した。さらに、敗戦直後から始まった平和教育も浸透していた。こ ( 「相手」 ) や自分自身に対して自己をどのように位置づけるのか、 うした環境のなか、戦争というもののイメージが持ちやすく、頑と その関係を模索していくあり方の表現として、学生運動というもの して避けるべきだという意識も今に増して高かった。また、大学全 があったのだ。 入時代の今と違い、年代当時は未だ大学生というだけで高学歴の また、トヒ / 貢英志は、運動について次のようにまとめている。 エリートだった。これからの日本を引っ張っていくのは自分たちな のだという意識も持ちやすかったのである。 いわば全共闘運動は、高度成長にたいする集団摩擦現象そのような政治への期待があったため、自己を表現する時に、 でもあったが、日本史上初めて「現代的不幸」に集団的政治や思想の言葉を使ったのだ。全共闘に参加した全ての学生が、 に直面した世代がくりひろげた大規模な〈自分探し〉運ト難しい哲学書や政治理論を理解したり、熱心に勉強していたりし 動であった、ともいえるだろう一「。 たわけではなかった。むしろそのような人間は指導層の一部に過ぎ なかった。しかしそれでも、自分たちの生活が権力によって左右さ 小阪や小熊の言うように全共闘運動とは、若者がアイデンティれるのだという「物語」を信じることができる空気があったのだ。 ティを模索する「自分探し」の軌跡でもあったのだ。加えて小熊のそれに対し現代では、政治への信頼が失墜している。このこと 研究からは、高度成長の社会変動期におかれた当時の若者が、なんは政治という「物語」が信じられなくなったと表現できる。では代 らかの新しい心理的危機に見舞われていたということが窺える。以 わりに何が信じられるようになったかというと、消費文化である。 下では、全共闘運動の社会的背景はどのようなものだったのか詳しつまり、自己を表現する場が政治から、個人的なものへと変化して くみていこう。そのなかで、当時の学生が直面した「現代的不幸」いるのだ。 とは何だったのかについて言及していく。 「不安の構造」について。これは、 8 年代が経済成長という「安定」 の時代であったこと、学校教育や就職 ( 活動 ) にも変化が起こった 全共闘時代と現代とでは、学生をとりまく状況の何が違うのだ ことが関係している。当時は、経済成長による産業構造の変化、労 ろうか答えを先に述べておくと、彼らと今の学生とでは「信じ 働の場に必要な人材の変化が起こった。つまり、大量の会社員が必

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要とされるようになった。会社員とは ( いまではあまりそうした認とが闘うのではなく、敵が見えない闘いのなかでいかにサヴァイヴ 識はされていないが ) 専門職だった。専門職に就くには、相応の教するかが大きな問題となっている。 育を受ける必要がある。その社会の要請にしたがって、高学歴化が 以上のことをまとめると次のようなことが言える。年代の学 すすんだ。それ以前。。 こよ、そもそも経済的な貧しさから、高校に進生は政治や思想などについて深刻に考えていたようにも見えるが、 学しない者も多かったのだが、進学率が増加した。このことは、若人生自体の見通しは立っていた。現代の学生なら先述のような「人 者の人生設計に、多大な影響を与えた。成長という「希望」が存在生のレール」など望むべくもない。学生運動の時代は、管理社会の する社会で、「良い大学に入り、良い会社に入り、気立てのよい嫁なかで、一定の「大人」モデルに沿うことが基本的に誰にでも可能 をもらい、子供を 2 人もうけて : : : 」という目標が生まれたのであであった点がいまだ近代的だった。 る。 対して完全にポストモダン化した今の日本では、第 1 章・第 3 しかし、この社会にも負の側面があった。それが、国民皆受験節でみたように、各々のなかに「やりたいこと」というモデルがあ 制度から生まれた苛酷な受験戦争である。全共闘世代は、高校受験り、どこかにあるはずのアイデンティティを探している状態だ。フ を全員が経験したはじめての世代だった。それは、彼らが自己の リーターの道を選んだ彼らは、「正規雇用に就くこと」という従来 ( 日 アイデンティティを問うきっかけとなった。前述の「幸福な人生の本では少なくとも一 990 年代まで ) の世間 ( 社会 ) 的な「大人」の レール」にのることが当たり前とされるなかで、社会の歯車として基準から外れる存在としてみられている。 の画一的な人生に疑問を抱き始めたのだ。「自分とは何か」という また、「やりたいこと」が見つからない揺らぎを抱えた彼らは、 アイデンティティ・クライシスにはじめて集団的に見舞われたのが心理的にも「大人」であるという確証が得られないでいる。このよ 一 960 年代末の若者達だったのである一。。 うな「大人」モデルと「自分」との重ね合わせにくさという点で、 年代では、大学当局Ⅱ体制Ⅱ管理社会に反抗した闘いが行わ年代と現代とでは大きく異なる。この「大人」モデルの曖昧さは れた。それに対し現代では、若者は大きな敵のいない社会に生きて学生にも浸透しており、だからこそ、「管理社会」への反発という いる。全共闘の特徴は、若者が広範囲に結集し、学生が集団的に全共闘世代の心情は理解できないものとなっている ( むしろ、安定 かつ自主的に一致団結して行動していたことだという点は先に述べした「人生のレール」を羨ましくも感じるだろう ) 。 た。「大学当局」と全面的に対決し、時には暴力行為も辞さない、 全共闘運動の時代との比較をまとめると、現代とは「政治とい などということも今では想像を絶する。現代の若者は、「集団的に」う物語が信じられず、市場主義が浸透している」、「管理社会におけ 何かに向かって対抗しようとはしない。むしろ同じ若者であっても、る不安から、自由主義における不安へ移行した」時代だといえる。 さまざまな文化圏に分裂している。ひとつの大きな「社会」と個人このような時代に、多くの学生がアイデンティティを問われる

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まず近代以前の伝統的な社会では、「イニシェーション」を受け る。親に経済的余裕があるため実家を出る必要がないという場合、 それから非正規雇用など低収入の仕事に就き経済的自立ができていていることが大人の条件だった。イニシェーション ( 通過儀礼、加 ない場合、その両方が重なっている状況などである。つまり若者問入儀礼 ) とは、当事者の社会的ないし宗教的地位の変更をともなう 一連の行為をさす。現代でいうと、七五三、入学式、成人式、入社式、 題は構造的なものから生じている。 結婚式、葬式などが挙げられる。。近代以前の未開社会では、割礼 加えて、若者の心理に関しても注目したい。「正社員に就きたい のに就けない」というよりも「あえて正社員として働きたくない」や抜歯、刺青などの肉体的試練を成人の儀として子供に課していた。 という意志を持っ若者が、たとえばフリーターのなかに一定数存在当時において、「大人」とは、イニシェーションを経験した者のこ している、のである。なぜ彼らは、「正社員Ⅱ従来の大人」にならとだった。すべての子供はいずれ必ず「大人」になるのであり、儀 式に耐えられなかった者は共同体から放逐されるだけだった。子供 ないことを積極的に肯定するのか 「自分探し」とはしばしば、「自分」像と「大人」像を一致させと大人の中間に位置する者など存在しえず、属する共同体において ようとするがさせられないという葛藤とともにある。そしてその葛決められた手続きを経さえすれば、人は無条件に「大人」になるこ 藤は、若者の働き方・家族関係などの社会構造の変化と連関していとができたのだ。 しかし近代社会になると、思想と社会的構造の両面の変化によっ る。 「自分探し」について述べる前に、そもそも「大人」になる条件てイニシェーションは消滅する。 思想的にいうとイニシェーションとは、後から生まれてきたも とは何なのかについて考える必要がある。次節では、「大人」像は 絶対的なものではなく、人が属する共同体、社会によって規定されのがその「世界へと入れてもらう」ための儀式だったのだが、近代 ていることを解説する。人が「大人」になる仕組みがどのように変では、「社会は常に進歩する」という考え方が生まれ、この「出来 あがった世界」という概念が失われる。近代では、かってイニシェー わったかについてみてみよう。 ションによってもたらされていた「大人になる」体験は、それぞれ が個人的に体験し、各々の内容や時期が一様ではない、そして多く 一「大人」の条件 本節では、近代以前 ( プレモダン ) から近代 ( モダン ) へ、そしの人にとっては一回では終わらないものになった。 また社会的構造という面では、主要な産業が第一次産業から第一一 てポストモダンへと至る各時代の大人の条件をみてみたい。それは、 まず「子供」と「大人」の区別が曖昧になり ( 近代以前から近代へ ) 、次産業へと移り、資本主義社会になった。そこで、農家の子供もエ さらに「大人」になるための目標が失われていく ( 近代からポスト場へ勤めるために学校に通い職業訓練を受けることになる。そして 学校に通う期間は、子供でも大人でもない、青年期を過ごすことに モダンへ ) 過程である。

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けた。」 そして、ぼくは、ウルフの言葉を聞いてなんだか、 自分が変わってきたような気がした。それから、ぼく はウルフに礼を一言い、レバートといっしょに家に帰っ そして、翌日学校にいく時間になって 「レバート、行ってくるね . と言って学校に、むかった。 そして、学校についたら、いじめっ子が前に立ってい た。そしたらいじめっ子が、 「おっとここはとおさなえ。なぜならお前は、ちこく だからた。 と言った。でも、ぼくは、ウルフの一一 = ロ葉をおもいだした。 「自分の心だけには負けるな。」 ぼくは、勇気と心をふりしぼって、いじめっ子に = = ロっ てやった。 「うるさい ! ちこくしたからなんだ ! 学校に行かな きや意味が、ないだろ ! というと、いじめっ子たちの顔が変わった。そしたら、 「ご、ごめん、お前にそんなことが一言えるとが思わな かったぜ と言って手をだした。そして、ぼくも手を出しあくしゅ をして友だちになった。 そして、ぼくは、うれしくなって、もうダッシュで、 家にかえってレバートにお礼を言おうとしたら、レ ートのすがたはなかった。しかし、ぼうしだけが太 陽のひざしでかがやいていた。 堺柊維現在小学亠ハ年生。 学校の授業で書いた物語です。 好きなことはゲーム。嫌いな事は、勉強 4

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術一ス子り し 美チテ女さ 某モロはっ のグ食ば ち ごと主を 家第む リ究 育ん能髪 岡り官だれ 知研よ愛す 福 論句『み る るよ憑 あ こ園使聖義傑 れ いるり 亠な ま ( き 1 お 手匸い取 好トで 岡 、描し魔 福夏をり悪 か絵た近 れ いく来最 夢見ることができる条件。それは、彼の中に「夢へと至る道筋」 ませより。い が存在することだと思います。現実的であれ非現実的であれ、その 生。のでたるし レ 桁属れんつあら ような道筋が在ると信じている限り、彼は夢を見ることができます。 内 一所ま好行でた 成に生をを生っ そして、この道筋が彼の中で消え去ってしまった時、彼は夢見るこ 胎 平部冬フク高切 とを止めたのだ、と言われるのです。 晴れ渡るソラの下、少女は夢を魅ていた。看護婦さんになる夢。 哲学者キルケゴールは、人間と神の間にはそのような消失或い は断絶が本質的に横たわっていることを見出して、「絶望」と呼び獣医師になって癌を治療し、愛犬のタロウを生き返らせる夢。ピア ました。かっての西洋世界は「個人の夢」よりも「神」へと至る道ニストになる夢。美術学校に入り芸術家になる夢。イラストレーター め の方が重要でありましたから、後者を失うことの方が耐え難く、絶になる夢。しかしそれらはただの夢に過ぎなかった。掴もうとすれ止 ば遠のいてゆき、走り出そうとすれば躓いて転ぶ。足枷をつけてい 望という一一一一口葉に値する苦しみだったのでしよう。 と こ そ 現代は、状況が逆転しています。「神」よりも「個人の夢」が大事。るかのように歩みは遅く、鉛をつけているかのように瞼は重い。 る だからこそ夢見ることを止めた時、人生における耐え難い喪失を感の重さに耐えられず、遂に目を閉じてしまった。 見 分厚い雲がソラを覆い、やがて雨が降ってきた。そして女は別の じてしまうのでしよう。 夢 と , っしょ , つも 最後に、自分の話をすると。僕は夢見ることを止めた時、神を夢を視始める。彼女は五体満足で持病もなかったが、。 ち 信じてみようと考えました。夢を失って尚生きていくためには、そなく苛立っていた。何に対して苛立っているのか、どうすればこの 苛立ちを収められるのかも知らず、ただただ歩いた。道端に転がっ うした何らかの転換が必要なのだと思います。 よ」 4

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うやら弟の酒の飲み方にあったようである。というのも、日ごろのされかける、ということがあった。 飲酒の習慣に加え、アルバイトをしていた居酒屋で卒業祝いにしこ 見ず知らずの人たちに面倒をかけてしまったことは反省してい たま酒を飲ませてもらい、さらに友人たちとの卒業旅行の旅先でも るが、考えてみれば、きっと彼ら二人はあの後どこかしらで楽しく 大量に酒を飲んだ事を弟が白状したからである。 乳繰り合っていたに違いないのである。今にして思えばもう少し脅 しよせん福岡出身者がネイテイプ・ヘヴィ・ドリンカー鹿児島 かしておいても罰は当たらなかったかもしれない 県民の日常に染まり、その真似をしたところで、いたずらに寿命を誰しも相手が幸せそうなカップルであれば、パッとしない自分 あんたん 縮めるだけということなのか。まさに、本物。鹿児島県である。 自身と比較して暗澹たる気持ちになってしまうものであろう : そして私の場合だが、幸いなことに今のところ健康面において どと傍迷惑な自らを棚に上げ、都合よく自身の認知の歪みを一般化 酒の影響はあまり見られない。せいぜい体重が学生の頃に比べ 5 キし、安心しようとする心根の卑しさが私の持ち味であり芸風である。 かんじよしよくかし ロほど増えただけである。 漢書・食貨志には、酒は百薬の長、という言葉がある。良く知 順調にいけばこのままぶくぶくと肥え太り、オークとかゴプリ られているように酒を讃える一一一口葉であり、実際に酒を飲むことによ ンとかのクリーチャー傾向な容姿となること受け合いであり、将来 るストレスの解消、身体の代謝を高めて疲労を回復させる効果、善 的には村娘をさらったり、美人なエルフに切り捨てられたり、美少玉コレステロールを増やし動脈硬化を予防する効果、脳梗塞のリス 女魔法使いに瞬時に焼きつくされたりしたい人生設計だが、これは ク低下などがあるそうである。 叶わぬ夢であろう。 とはいえ、これらの効果は「適量」飲んだ場合であり、過ぎた なおおよ 健康面ではそう影響は無いものの、私の場合、酒に酔っての失 るは猶及ばざるが如し、飲みすぎれば当然体に良いわけがないし、 敗がこれまで何度かあった。 頭の悪い失敗も増える。そのあたりは昔から指摘されていたようで 例えば、大学のゼミの飲み会に参加した際、私は元々ゼミの雰 あり、兼好法師は徒然草の第百七十五段に、「百藥の長とはいへど、 よろず おこ 囲気になじめていなかったため周囲とあまり会話も弾まず、ひたす 萬の病は酒よりこそ起れ。」と書き残している。 ら酒を飲み続けてしまい、度を過ごして大酔してしまった。 それでは兼好法師は飲酒に対して批判的だったのかと言えば、 その席は何事もなく終えられたが、その後の帰り道の記憶が私どうやらそういうわけでもないらしい。この第百七十五段の最後を にはほとんどなく、ふと気がつけば深夜の住宅街の路上で仰向けに 要約すると、お酒って本当にい、 しよね ! みたいな感じでまとめら ひっくり返って夜空を見上げていた。 れていたりする。兼好法師、酒好きである。 そこへたまたま車で通りかかったカップル、私が車にひき逃げ 今のところ私は禁酒をするつもりはなく、家族にもそのつもり されたものと勘違いし慌てて車を降りてきて、あやうく警察に通報 はないようである。

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