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検索対象: ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号
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1. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

"Annani as and 「はい、その金額です。」 信じた人々の群れは 心も思いも一つにし 一人も貧しい人がいなかった 一人として持ち物を 自分のものだと言う者はなく 全てを共有していた 上地や家を持っている人が皆 それを売っては 代金を持ち寄り 使徒たちの足元に置き 「わたしはしりません。」 「わたしはしりません。」 Sapphira" つなとしき 使徒たちの足元に置きその金は 必要に応じておのおのに 「あげたでしよう。」 おのおのに分配されたからである 「しりません。」 「あげていたでしよ。」 「しりません。」 「その金額です。」 「食べますか。」 「私たちを神のもとに導くのは食物ではありません。」 それから母親は神殿の境内に入り そこで貧しい人を皆追い出し 「私の家は、祈りの家と呼ばれるべきです。」 「ところが、あなたはそれを強盗の巣にしています。」 41

2. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

Tsuna and shiki ト遊はな ンてし当 コしり正 劇だり が演んよ すは読 でと 、制す 甲こり議ま 名だた合し なんし。を 学んより き たでぶびく み学くよづ し ト大さび品 ッ 作 と ニんすたて ュせでし経 な トまとまを ンしこめ続 っ コはぶじ手 「親のセックス」 この日からすべての間違いが始まった。場所は、たぶん、神 奈川か東京あたりの℃のラプホテル。「ちょっと休憩していこう か」 無論、ホテル業界に限らず、日本語で〈休憩〉とは〈休 憩しないこと〉を意味するーー・季節は秋深まる月。バブル崩 壊後の鬱屈した世相をパトスに変えて、いまだ二人の性欲は高 度成長期だった。もうすでに二人娘がいるので「やつばり男の 子がほしいな」なんて。ニンニクの香り残すべーゼを交わす。 ドライプ後のラーメンは二人の常識で、だから歯を磨く気遣い も二人には不要だった。ニンニクセックス。ラーメン大好き、セッ クス大好き、餃子セットで ooo 円。ヘイお待ち ! 助産師が取 り上げたのは、女の子。 3 人目の、女の子。男の子じゃなくて ごめんね。でもね、 2 ヶ月も早くうまれたから、わたし、お父 さんの大好きなバリカタだよ。あなたたちの娘はラーメンが大 好きです。 0 0 一 J 落居 の芝 で昔 ン ペす やさた ンじし ペおま 筆たて てめし 堂 っ覚り な目た 天 レ』 2 出 近きも ア . 最書に 私は子供の頃一 999 年 7 月にすべてが終わると思っていた。 ご存じノストラダムスの予言のアンゴルモアの大王が来る日 もちろん本気で信じていたわけではない、が、未来に絶望も していて、と言って滅亡後も生き延びる努力 ( Ⅱ新興宗教に帰 依したり ) はするつもりはないが、どうせ平和な中年を迎える ことはないと多寡を括っていた。 結果はこの通りで、私はその頃すべき努力をしなかったこと に応じた世界で、良くも悪くも無事中年を迎えている。 世界は終わらなかったのだろうか ? 1989 年頃私は芝居に出会い 2000 年台初頭に芝居から離れた。 私に青春と呼ぶ時代があるとしたらこの約川年であり、それが 過ぎ去った時、確かに何かが終わった様に感じたものだ。 ( それ は同時に新しい世界の新生でもあったわけだが ) とすればあの 2 年が私個人にとって世紀末であり、あの予言 Suitendo

3. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

私が他人の運命に触れていたはずの日のこと 真夜中にスライスチーズ。もしくは雪印チーズを食べて いるそこのあなた、正直に挙手。今から昔語りをしますから、 ラジオとでも思って聞いてなさい あれは三年前の横断歩道でのことだった。事故ばかり起きる 見通しの悪い交差点で、時差式の信号機は延々と変わらず、シ ステムの支配を恐れない人から順に行きたいところへ向かって 信号を渡りだしたとき、ポッコボコのトラックがスピンして突っ 込んできた。燃え尽きていく彗星みたいに白い光に包まれて、 何一つ音を立てることもなく。信号を待っていた人もそうでな 0 0 のっちえこ 三前職巫女のおみくじ歌人。 言われるがままに書きます。運命は信じますが、そ の取り巻きたちのことは信じていない 1 ()O% ノン フィクション ( 濃縮還元 ) のリアリスト。パンばか り食べているグルテン不耐症。 @tuchinoc0622 Notuchieco い人も、恐怖と驚異の声をあげ、あるいは声を失いながら、散 り散りに逃げていった。私は一人取り残された。なのに明朝の 5 分間ニュースにも取り上げられなかった訳。 それから、こんなこともあったよね。帰宅途中にある、大勢 の報道陣に囲まれた建物の中から警察官に連行されるサラリー マン風の男が出てきて、カメラのおびただしいフラッシュで辺 りは何一つ見えなくなった。天気のいい真っ昼間に。私は滅多 に見ることのない光景を目に焼き付けて、その横を素知らぬふ りで通りすぎた。翌日からしばらくその場所はキープアウトの テープでぐるぐる巻きにされ、数年後マンションになった。い まだにあの時のことをググってみるけれど、何一つ引っかかる ことがないんだよ、「信じられる ? 」

4. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

事しきりですが、強いてあげるなら自分の人生観というか、自己認 識が度変わった瞬間が人生のどこかであった筈なのです。幼少時 私は自分を善良な人間だと信じていました。今、私は自分が善良と は真逆の人間だと認識しており、また ( 驚くべきことに ) そのこと に問題意識を持っていません。この根本的な転換 ( というか堕落 ) を遂げた日こそ、私の運命の一日であり、未だに「その後の日常」 を生きていると言って良いでしよう。ではその日が何年何月何日 だったのか : 。これが、思い出せません。 2 年以上前ではない気が しますが、ここ年の事でもない、その程度しか絞り込めません。 運命を気にする資格があるほど真っ当に生きてない、との結論 に帰着し、結局テーマを未消化なまま筆を置きます ( 汗 ) 。 べてめと 食育眺こ らをる かッめ 味種一眺 趣たルを のしフ靴 近取ンの 最採ゴ関 にラ玄す 住でド。で 在いるとき 岡っ こ好 福たてるも 二週間前に購入したペンギン型抱き枕によって、私の睡眠の 質は大幅に改善された。しっとりすべすべの肌触り、つきたて のモチのような柔らかさ、優しげな顔立ち : ・なんと愛おしい 抱いて寝るだけでは飽き足らず、一緒にテレビを見たり、音楽 2 坂本系 を聴いたりもしている。抱き枕のおかげで人肌恋しい独りの日々 とおさらば出来た。 ペンギンは基本的に暑さに弱い生き物だ。私が抱いて 寝ることに苦痛を感じていないか心配である。南アフリカ等に 生息する、暑さに強い種のペンギンであれば良いのだが、残念 ながら素人の私には判別がっかない・ : なんだか話が脱線しそう になってきた。 私が言おうとしていたのは、このマイフェイバリット・抱き 枕を楽天でポチった日は運命前夜と言えるかもしれないという ことだ。否、運命というにはあまりにもショポい。もう少し頑張っ て考えよう これまでの人生を思い返してみる。色々な出来事があったが、 人生に劇的な影響を与えるような、運命と言えるほどのものは 無い気がする。一番ショッキングだった出来事といえば、恋人 の五股交際が発覚した事だが、それで何かが変わったという感 じもない 自分の人生を大きく変えるような、なにか運命的な出来事に、 いっか、出会えるのだろうか。出会いたい。そのうち。人事を 適度に尽くして、その日を楽しみに待とう。 果報は寝て待てという先人のありがたい言葉がある。それに 倣い、とりあえず私は、今宵も抱き枕を抱き、安らかな眠りに つき、運命の日を寝て待っこととしよう。グウ。

5. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

での旅。そして冬になり、一一月になって、私はこの旅を決行した。 救済論 下園知弥イギリスという国に対してさして思い入れがあったわけではな い。放浪の旅への憧れ、英語に限定される外国語力、アメリカへの 今から十年前になる。その当時、私は、死のうと考えていた。「死 のうと考えていた」というのは、「死のうと思っていた」よりも近嫌悪、そういったさまざまな要因から半ば必然的に出てきた結論で しく、「死を決意していた」よりも遠い、そんな死に対する距離感あった。ただ一つ、イメージはあった。それは、遠い遠い異国の地 である。ただ思いを募らせながら日々を過ごしていたわけではなく、で、崖から飛び降りるイメージだ。そのイメージに適う場所を持っ 計画があって、それを実行する用意があった。しかし、それを実際ていて、私の要望にも適う国が、イギリスだった。そうして、私は に行えるほどの覚悟があるわけでもなかった。当時の心境を正確にイギリスに渡った。 言い表すのは難しい。しかし、一つだけはっきりと一一一〔えるのは、死最初の三週間は、ただ、イギリスという国を放浪することを愉し に対する強烈な意識である。私は、確かに、自殺という出来事が自んだ。北はサーソー、南はペンザンス。バスをひたすら乗り継いで、 分にも起こり得ると考えていた。そう信じていた。 日が昇ってから沈むまで歩き続け、旅の感覚を味わうことに没頭し 当時私の心を支配していたのは二つのものであった。一つは、芥た。その日々で、私の心を強烈に捉えたのは、郊外の自然の美しさ、 川龍之介の最期。「将来に対するぼんやりとした不安」という、あそして「キリスト教」であった。イギリスがキリスト教プロテスタ の印象的な言葉だ。芥川が何を思いこのような一言葉を残したのか、ントの国であることは、もちろん教養として知っていた。教会建築 私は知らない。しかし私は、この言葉に、自分の精神的貧窮から来も映画などで何度も観ていた。しかし、街と教会の気負いのない一 る不安と同種のものを感じていた。私は物質的に貧窮した経験がな体感や、教会内部のえもいわれぬ静けさ、あそこで私が直に感じ取っ しかし精神的には、大学に入った時から、あるいはそれ以前かたあの空気は、私の知らないキリスト教の姿であった。いっ頃から ら、ずっと貧窮に悩まされていた。その貧窮が私を不安にさせ、そだっただろうか、旅の最中に、私は、キリスト教とは本物の宗教な の不安が私を殺すのだ、という奇妙な想いに囚われていた。いま一のだろうか、と考えるようになった。 つは、クリス・マッカンドレスという青年の生涯だった。自分とさキリスト教に限らず、あまねく宗教というものは「救済」を語る。 ほど変わらぬ歳で、途方もない決断をし、その決断に「殉教」した人類学の立場から言えば、「救済」を求める人々の普遍的な心性が、 青年がいる。クリスの情熱の根源は資本主義・物質主義の文明社会土着の文化と結びついて固有的に儀礼化され、形式化され、一つの に対する絶望であり、その点では私も彼と同じであった。この二つ共同体として結実したものが、宗教だ。この立場において、宗教は のものが私の中で混ざり合った結果、私は一一十歳の秋、旅に出る計人間が造ったものであり、神は人間の想像の産物ということになる。 画を立てた。イギリスへの旅。一一度と日本に戻らぬという心積もり人間がより善く生きるための道具に過ぎないのである。しかし、こ

6. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

カ て き 好 x り一 ま 目 見 関 1 刀 催 色 大 色回 数 すュ年 まジ、プ え一りイ こアよラ 聞リ月グ 。かロ 8 ン い声コ年イ たな うん味 0 一 し色趣 明日何か起こるのだろう、という予感がする。信じたくない ような、信じて、心の準備をしておこうか、と迷う。迷って考 えている間、夜が明ける。 朝になる。運命はたいてい昼下がり。目の前がぐるぐると回っ て止まらないけれど、自転車で転んではいけない。ちゃんと、呼 待子あかね , ばれた場所に辿り着けるように、ペダルを踏みこむ。どんな運 命がやってくるその瞬間でも、お腹は空く。こんな日は省略し ようと、思ってみても、このまま眠りにつこうよと思ってみても、 そうはいかない。お腹が鳴る。 日常が運命を覆い、日々は進む。悲しんでいるだけでは、い られない。目覚まし時計に頭の奥をかき乱され、ホットミルク で喉を癒す。分の自転車通勤では、同じ場所で同じ自転車の おばちゃんとすれ違う。ぐるぐる目を回して一日の半分が過ぎ た頃、帰路に着き、また、同じ場所で同じ自転車のおばちゃん とすれ違う。 日常が運命を覆い、日々は進む。 2 年前、編んでくれたセーター はなぜかしら、ずっと押し入れにしまい込んだままだった。押 し入れから、引っ張り出す。引っ張り出して、ひとしきり、泣 いた。声が聞こえる、このセーターを編んでいる姿を見ていた わけではない。このセーターをくれたその時のことを、曖昧な がら、靄がかかっていながら、思い出していた。 引っ張られる運命、運命を引っ張る。どちらも正しくて、ど ちらも正しくない。流れに逆らって、強い意思を守っていたい と思う。そうはいっても、日常を捨てることなんてできないから、 運命の声を今日も聞いている。

7. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

崩れてい 崩れてい 突然崩れてい それか当たり前に続くと 誰か亠 = ロった ? ・ 信じてきたのは何故 ? ・ きの 医、よよ、フ あ・あ・あ・あ・し・ 昨日 今日 明日 昨日 今日 明日 「闇を貫いて」 ューカラ 振り向けば昨日のわたし 知らなかったー あそこが陽射しの中だったなんて 無邪気に笑ってる 何も知らすに ほんの何時間前かのわたし ねえ、気づいてる ? 明日あなたはあなたではいられなくなるんだよ 知っている筈だった 平穏な日々とは 実は奇跡なのだと 昨日 今日 明日 ここは何処 ? ・ 明日はどっち ? ・ なのに 空が堕ちてきた時 受け止められない現実 突然通り道に 石を投げ人れられた蟻のよう 逃げ惑うわたしたちー ちっぽけなわたしたちー 笑って 笑って 天から笑って でも見てて 医、つと立ち上がるか、ら 昨日より・・ネも強′、 昨日よりも憂しく そして 昨・日より・もしつかり・と 目を凝らして 新しい道を探せ 心の中で声いするから いざ進まん 闇を貫いて 4 4

8. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

ないという恐怖と諦念が、悔恨の念を禁じ得ない国私はも , ロ者「 もなれないのだ。 芸人として過ごす日々、それは私にとって青春だった。つまり 子どもだったのである。好きな事をやりながら、責任は負いたくな いと思っていた。この環境は偶然が生んだもので困窮する事があ れば周りの大人達が助けてくれるだろうと思っ・文た。そう、思っ ていただけで、考えてはいなかったのだ。頭の悪い子ども達は、大 切なものを失ってからやっと自らの浅はかさに気付いた。 ネタ見せでの指摘を説教と思い違いし、それ 0 もライに第′ 出来る事は当然だと思っていた。そんな恵まれた恥境こ居ながらも (. 、 ~ たった 2 年弱続けただけで、面倒になっていた。〉思うていた程構わ れず、誰からも注目されない事に拗ねていた。我儘で自己中心酌み 子ども、それが私だ「たのだ。相方の不祥事に対し軽薄に拳を ~ 、 逃避のきっかけを思考停止で享受する、矮小な没個性の勘違を # た学生に過ぎなかったのだ。 オーディション番組に出たのも自らの意思であれば、事務所 辞めたのも自らの意志である。才能を信じきることが出来ず、努力 も出来なか「た。相方との出会いも、優しこその町し (. 祥事を 知ったその日も、全て運命だったのかもしれガ、。人生の岐路に立 たされた日。そして自らが下した決断私 われ続ける物となった。 文田中ジョヴァンニ 絵中原街子

9. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

こ、こなり・たカった あんた達みオしこ 田中ジョヴァンニ 地獄の様な毎日の中で、過去を振り返ることが無くなった。 美しいモノか美しいままで亠る為に、も、つ何も思い出さないようにしている 輝かしい思い出か、この汚らわしい日々に浸食される様な気がするんだ。 音楽を聴いたり本を読んだり映画を観たりしても泣けなくなってしまったん だから。何も感じない。何にも感動出来なくなったんだよ 祖父と従兄弟と伯父が死んだ時、何故自分じゃないのかと言った自分が、やっ と真っ当な人間に成れたと思った。 大人なので、とかそういう 事・にしておくカュ = 。 隹も口にはしないでも散々経 験してきた身として分かるんだよ。日々の中に居る大半の人々は、自分に消え だけど、この毎日が全てを変容させそうだ。生きる意味が重責に成ろうとして欲しいんだと。 ている 責任は負うべきなのだろう。それは分かっている。だが重荷に感じてはいけ 共に、なんてのはもう良いんだ。もう正論じみた説教は聞きたくない。偽善 だとか独善だとかに思われて、追い詰められているようにしか感じない だってそうだろ、楽しかったじゃないかその普遍の楽しさを仮初にでも得 られたんだから、所謂普通の人間に成れたと思ったろ ? ・ 出会いの偶然が運命なのかは分からないが、救われたのは確かだ。 だから、い出さない、考えない、感じない様にしているんだ。 最初からそうだった。生きるべきでは無かった。死ねと言われたあの日々に 命・を絶っておくべきだったんだ 生医ながらえてしまったか、らこそ、関係性の中に亠仔在してしまったからこそ、 古しんでいる。分かっているよ、伝えるべ医ではないと 世界を変える為には自分の変わるべきだとかそんな事は分かっていて、それ の出来ないからこんな事になっているんだよ 支えが重責に成ろうとしている。お互いにでは無い。お互いにでは無いから こそ 軽薄になりたかった。異常者ならばそういう 期待しないでくれ。本質は変わらなかった。この地獄で気付いたんだ 生きていても良い事は無いと。 普通になれたと思っていたでも違ったんだ 最早、誰とも会話すら出なくなりつつある。 これが散文か日記か詩かなんてことはどうでも良い 欠如が良かった。

10. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

れとは異なる宗教論がある。それは神学の立場から語られる宗教論運転手はかたくなに往復切符を買えと言った。運転手の言い分は、 である。この立場において神と人間の立場は逆転する。人間が神をランズエンドから街に戻る交通手段はこのバスしかない、というも 造ったのではなく、神が人間を創造した。神は万物を秩序づけておのだった。私は元より街に戻るつもりなどなかったので、片道で良 いと言い張った。運転手はさぞ理解に苦しんだことだろう。とにか り、万物は神の摂理の下に生きている。人間の生きる意味は神にこ そある。それがこちらの立場における真実なのである。そして、私く、私は片道切符で、ランズエンドに到着した。そこは、小さなホ の心を捉えていた疑問はまさに、キリスト教において、この二つのテルが一軒と、期間限定の野外劇場とーーー私が訪れた時期、その劇 、その他には大西洋を臨む断崖が続くだ 立場のどちらに組するかという問いであった。つまり、私にとって場はやっていなかった 本物の宗教とは、人々の救済を求める心性に実在する神が応えてくけの、まさに陸の終点であった。私は唯一のホテルに、一週間の宿 れる宗教であり、偽物の宗教とは、神は人間の想像の産物であり救を取った。 にもかかわらず、神の実在を語る 六日目の夜、十時くらいだったと思う、私は宿を出て断崖の前に 済は永遠にやってこない 宗教であったが、私の意志はキリスト教が前者であると主張し、私立った。暗闇の中で、踏み出せる限りのぎりぎりの場所に立って、 の理性は後者を主張していたのである。分裂状態であった私は、結海原をじっと見つめていた。一歩踏み出せば死ぬ。そんな場所で、 局、キリスト教の真偽についてはキリスト教の神に委ねることにし暗い海原をじっと見つめながら、私は自問していた。私はこの一歩 を踏み出せるだろうか、と。踏み出せばそれで終わりであり、元よ キリスト教が本物の宗教であるならば、神は実在する。神が実在りそのために決行した旅である。しかし、その一歩は、たまらなく するならば、神は私を救済してくれる。私の自殺を留めてくれるは怖ろしい一歩で、私はその一歩が踏み出せなかった。何時間も、独 ずである。一人の人間の自殺も止められないような神は、神ではなりで、私は崖の前に立ち続けていた。暗闇に目が慣れてくると、断 故に神は実在しない。それが私の「神の存在証明」であった。崖と海原はより怖ろしいものとなり、私の躊躇いはますます強く 三月になって、当初訪れたいと思っていた場所をあらかた訪れてなっていった。私は切に神の実在を求めた。「お前はそんなことを しまった私は、冒険熱の収まりを感じ始め、いよいよ、最後の計画する必要はないんだよ」と言ってくれる存在があれば。私を救って を実行に移そうと考えた。私のイメージに適う場所は既に見つけてくれる存在がいたならば。死の瀬戸際で、自らの臆病を恥じながら、 私は神のことを考え続けた。ィー 反こ、これが中世の素朴な説話であっ いた。それはランズエンドという場所で、イギリスの靴型の地形、 そのつま先にあたる場所である。陸地の終点という響きは、私にとったならば、私はきっと、この時神に出会っていただろう。そして、 て、いかにもであった。今でも、終点に向かうバスでの運転手との後に教会で洗礼を受けて、キリスト教徒の道を歩んでいたに違いな 。しかし、私に訪れた運命は違っていた。死を考えていながら死 やり取りは覚えている。私は運転手に片道切符を買いたいと言い 一」 0