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検索対象: ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号
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1. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

れとは異なる宗教論がある。それは神学の立場から語られる宗教論運転手はかたくなに往復切符を買えと言った。運転手の言い分は、 である。この立場において神と人間の立場は逆転する。人間が神をランズエンドから街に戻る交通手段はこのバスしかない、というも 造ったのではなく、神が人間を創造した。神は万物を秩序づけておのだった。私は元より街に戻るつもりなどなかったので、片道で良 いと言い張った。運転手はさぞ理解に苦しんだことだろう。とにか り、万物は神の摂理の下に生きている。人間の生きる意味は神にこ そある。それがこちらの立場における真実なのである。そして、私く、私は片道切符で、ランズエンドに到着した。そこは、小さなホ の心を捉えていた疑問はまさに、キリスト教において、この二つのテルが一軒と、期間限定の野外劇場とーーー私が訪れた時期、その劇 、その他には大西洋を臨む断崖が続くだ 立場のどちらに組するかという問いであった。つまり、私にとって場はやっていなかった 本物の宗教とは、人々の救済を求める心性に実在する神が応えてくけの、まさに陸の終点であった。私は唯一のホテルに、一週間の宿 れる宗教であり、偽物の宗教とは、神は人間の想像の産物であり救を取った。 にもかかわらず、神の実在を語る 六日目の夜、十時くらいだったと思う、私は宿を出て断崖の前に 済は永遠にやってこない 宗教であったが、私の意志はキリスト教が前者であると主張し、私立った。暗闇の中で、踏み出せる限りのぎりぎりの場所に立って、 の理性は後者を主張していたのである。分裂状態であった私は、結海原をじっと見つめていた。一歩踏み出せば死ぬ。そんな場所で、 局、キリスト教の真偽についてはキリスト教の神に委ねることにし暗い海原をじっと見つめながら、私は自問していた。私はこの一歩 を踏み出せるだろうか、と。踏み出せばそれで終わりであり、元よ キリスト教が本物の宗教であるならば、神は実在する。神が実在りそのために決行した旅である。しかし、その一歩は、たまらなく するならば、神は私を救済してくれる。私の自殺を留めてくれるは怖ろしい一歩で、私はその一歩が踏み出せなかった。何時間も、独 ずである。一人の人間の自殺も止められないような神は、神ではなりで、私は崖の前に立ち続けていた。暗闇に目が慣れてくると、断 故に神は実在しない。それが私の「神の存在証明」であった。崖と海原はより怖ろしいものとなり、私の躊躇いはますます強く 三月になって、当初訪れたいと思っていた場所をあらかた訪れてなっていった。私は切に神の実在を求めた。「お前はそんなことを しまった私は、冒険熱の収まりを感じ始め、いよいよ、最後の計画する必要はないんだよ」と言ってくれる存在があれば。私を救って を実行に移そうと考えた。私のイメージに適う場所は既に見つけてくれる存在がいたならば。死の瀬戸際で、自らの臆病を恥じながら、 私は神のことを考え続けた。ィー 反こ、これが中世の素朴な説話であっ いた。それはランズエンドという場所で、イギリスの靴型の地形、 そのつま先にあたる場所である。陸地の終点という響きは、私にとったならば、私はきっと、この時神に出会っていただろう。そして、 て、いかにもであった。今でも、終点に向かうバスでの運転手との後に教会で洗礼を受けて、キリスト教徒の道を歩んでいたに違いな 。しかし、私に訪れた運命は違っていた。死を考えていながら死 やり取りは覚えている。私は運転手に片道切符を買いたいと言い 一」 0

2. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

た骨と一緒に、俺の魂は学校に帰るだろう。同じ土に眠る仲間達や解体され、その大部分はお前達オキャクサマの体内に納まった。一 先輩達、その土の上の草を食む後輩達が俺を迎えてくれる。いっか部はお前達の糞となって下水に落とされ、いずれは海に流れ着くだ ろう。俺自身が今やあれほど憧れた海の一部であり、同時に学校の は特子やオザキの魂も戻ってくるかもしれない やがて俺達の魂は学校の草を通じて後輩達の体の一部となるだろ土でもあり、お前達の体の一部でもある。 う。後輩達もシュウカ■され、あるものはここで殺されるが、その最初にも言った通り、俺はお前達に心から感謝している。 この地球上で多くの生物種が生まれ、死に、子孫を残し、絶滅す 魂は再び骨と共に学校に戻ってくる。こうして俺達は学校の土の一 部になり、後輩達の一部になり、仲間達と混ざり合いながら永遠にるその時まで生命の輪をつなぎ続ける。俺達の輪を繋がせてくれて いたのは、紛れも無くお前達だ。 生き続けるだろう。 俺の魂が学校の畑に撒かれてからもうすぐ 5 年になる。特子の魂 「意味の無い命なんて無い」 特子は正しかった。彼女が特別な存在なんじゃない。俺達は皆特もそろそろ帰ってくる頃だろう。俺にそれが分かればいいのだが。 別な存在だったのだ。オキャクサマにも、他のどんな人間にも、俺 達の存在を奪うことは出来ない 行列の切れ目が間近に迫っていた。俺にはもう動揺は無かった。 むしろその瞬間を待ち望んですらいた。早く解体されて、早く学校 の土に帰りたい。そう願っているうち、突然体が軽くなった。 この作品は、 20 一 4 年に AFG が web 上で公開した CM 『 Blendy そこからは妙な感覚だった。目の前に体が見えた。一目で俺の体特濃ムービーシアター「旅立ち」篇』の二次創作として作られてい だと直感した。自分の模様を自分で見たことは無いのにおかしな話ます。卒牛式の場面、卒牛生、校長先生のキャラクターは元の CM だ。俺の体は鉤に吊るされ、皮を剥がれ、頭部が切り取られた。そを参考にしていますが、それ以外の場面やキャラクターの仇名等細 こからは沢山の部位に分かれる俺の体の全てを俺は同時に眺め続けかい設定は筆者が付け加えた物です。また >- 先生なる人物は筆者の た。内臓をくり貫かれた胴体を吊るした鉤が移動していく先に、建創作です。 ( 尚、元の CM は現在では閲覧不能になっております ) 物の出口が見えた。大型トラックが待っている。あれに乗って、早最後に、現行の法律では牛の肉骨粉は BSE 予防の観点から牛の く学校へ帰ろう。いや、その前に役目は果たさねばならない。実態飼料及び牧草用肥料に用いることは禁止されていることを付け加え ておきます。 がどうあれ、俺達の体はオキャクサマのためにあるのだから。 こうして俺は「シュウカク」され、「卒牛」し、出荷され、殺され、

3. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

というものがあるのは多くの方がご存知だと思うけど、僕たちは そのくらいのことを記念日にできちゃう感性を持っているのだか ら、「運命の 1 日」なんてものはそこかしこに存在している。何気 ない日常が大事、なんて一一一口うつもりは全くないけれど、すべての 1 日が現在と未来に作用していることを考えれば、たった 1 日だけ運 命の日を選べなんて無理な話である これが「私たち」になったとき、とある「運命の日」を誰かと共 有することになる。そしてそれは、「私」と「君」の物語になる 地球最後の日 あとーす ( 無間書房 ) テーマが「私たちの運命の 1 日」だと聞いて、すぐさまそれが「地 球最後の日」というテーマに僕の中ですり替わってしまった。それ は何故だろうとずっと考えていた。確かに、「地球最後の日」が「運 命の 1 日」であることに間違いはない。ところが、別に「運命の 1 日」 が「地球最後の日」である必要はない。どうしてすぐにテーマのす り替えが起こってしまったのだろうと考えていた。おそらく、問題 は「私たちの」という部分にある 「私」にとっての「運命の 1 日」であれば、人生のいたるところ に点在している。生まれた日も死ぬ日も、「私」にとっては「運命 の一日」になるだろうし、入学、卒業、就職、結婚、出産、など と人生のイベントには事欠かない俵万智の有名な短歌に 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 「君」と出会った日かもしれないし、「君」と結婚した日かもしれな い。あるいは「君」と別れた日かもしれない。解説するのも無粋な んだけど、「君」という甘い響きは当然「恋人」という言葉を導く 「地球最後の日」が「私たちの運命の 1 日」であるならば、「私たち」 というのは人類全員みたいな気がしてしまうのだけど、大抵そうで はない。 これはなんのエビデンスにもならないけど、僕はこれまで に「地球最後の日」をモチーフにした同人小説をいくつか読んでき た。そしてそのどれもが、「君」と「私」の話を書いていた。みん な利己主義的だ。でもそれが当然だ。地球最後の日というのは、み んな死んじゃうからエモいのではなくて、「君」と「私」が同時に 死んじゃうからエモいのだ。しかも、いっ死ぬかわからないという 状況ではなくて、その日にきっかり死ぬとわかっているところが特 徴だ 僕らは基本的に、明日も生きているという想定の上で生活をして いる。これは暗黙の了解だ。「明日死ぬと思って生きろ」なんて比 喩があるけれど、もし本当に明日死ぬとわかっていたら、僕は今こ うして文章を書くなんてことはせずに、おいしいものを食べ尽くし てしまうことだろう。できれば、べろべろに酔っ払って前後不覚の ままで死にたい。なんてことを思うのはきっと僕だけではない。だ から、安直に思考するならば、地球最後の日には 8 億人の利己的な 気持ちが働いて、ひどいパニックに陥ることになる。というのが多 くのアマチュア作家が考えることだ。もしくは、逆張りして意外と 穏やかな終末が描かれる。 という風に書くと、僕と同年代かあるいは少し上の人たちは、「セ カイ系」という一言葉を思い出すかもしれないゼロ年代のサプカル

4. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

運命の日がるならば、そ一、 の新と」その、日常が存在ー 継続すを時間の中て記憶 は断片的だが白々ナられ ~. 、一 ガし まけた物必〈粤」 よ想だにし、 我々日常を変えでいく こ、たのか、その 前夜と 日常はどのよ 」っな物だ「たの、本同人誌 、 ~ 一蠱〔参加者達に書いて貰った。 そこにあるのは果てなき社 →会の不条理か、光り輝く生の ー美しさか闇を越え至る夜 けと、沈んだ陽光の淡き黄昏 冫との狭間に、私たちの運命の 、一日がある

5. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

仕様のまま帰っても春 水本まや 靴下か片方になり手袋が片方になり人るおみやげ 吉野家で始めた旅の終結とねぎたま牛丼散らかっている 東京という大きな夢の中へきて君の小さな声を探した 菓子ハンを齧る袋をばりばりと ~ = 0 わせて存在感がうるさい 雷門か雷門らしくない顔をしていて通りすぎてた通り ツナサンドのほっときすぎのハサつきのこれい新宿ですか、東へ 花びらを刺すアスファルトのその隙間 春を春だと知らない隙間 悲しいことは告げない電話ボックスに受話器を置いて逃げてきました さよならを伝、んるために会、つよりもスカイツリーをひとりで下る 親切なひとのおかげで手袋はどうしても帰ってくる、片方で それぞれの散った理由や花びらが夜へと静かに受け止められる 春なんてバグだよ君んちの靴下だってみんな片方だろう ? そうだろ ? 4

6. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

「私は特別な存在になる。そのためには外に出なきや始まらない。 第一声と特子の表情に対する俺の落胆を彼女は気づかない 「あの子と仲良くするの、やめた方が良いよ。先生にも良く思われシュウカ・でも、私は誰よりも頑張るわ。そして誰よりもオキャク てないし」 サマの役に立つの」 「仲良くなんかしてない。一方的に話しかけられただけだ」 俺は特子から目を逸らした。ひとつには彼女の明快さが眩しかっ 「何を言われたの ? 」 たからで、もうひとつは単に目のやり場に困ったからだ。特子の胸 「何か、外の世界がどうの生贄がどうのって : ・」 は人一倍大きかった。彼女がそれをコンプレックスにしている事を 「何それ」 俺は知っていたが、同時にそれは男子の間での彼女の人気に拍車を 「俺が知りたいよ」 かけていた。俺は適当な用事を思い出した振りをして、彼女から離 「とにかく、あの子の話は聞いたらだめ。ただでさえシュウカ■前れた。 の大事な時期なんだから」 シュウカ・、オザキからはじめて聞かされて一月で、その一一一口葉は 数日後の夕方、外を見ようといつもの場所へ歩く俺の後ろから小 当たり前のように周囲を飛び交うようになっていた。先生の話も型トラックが走ってきた。 シュウカ■の事が徐々に中心となった。それは俺達が外の世界へ出「お散歩 ? テンキアメ君」 て行くために必須の手続きであり、シュウカ・を経てはじめて俺達運転席に >- 先生が乗っていた。 は一人前になるのだと繰り返し教えられた。シュウカ■で鍛えられ「何を運んでいるんですか」 て俺達は真にオキャクサマを喜ばせる存在になる。ここで間題のオ低速で走るトラックの荷台に俺は顔を近づけた。 キャクサマも当たり前のように登場した。俺達がここで学んできた「こんな物に興味があるの ? 」 ことは全て、俺達がオキャクサマにとって価値の持っためであるら >- 先生は笑った。先生達の中では比較的若い女性だった。 しい。それぞれ得意不得意にあわせて役割は変わるにせよ、全てオ「肥料よ。今朝吉・コーポレーションから届いたの。撒くのは明日 キャクサマのため、自分が何でオキャクサマの役に立てるかを常に以降になるけど、とりあえず畑まで運んでおこうと思って」 考えなさい。それが外の世界で一番大切なことだよ。先生達はそう学校では校舎裏の畑で色々な物を栽培していた。先生はそれら の世話を任されていた。 言い聞かせた。 「特子は外の世界に出たい ? 」 「当然よ」 >- 先生に言われて俺は日が傾いている方を見た。いくつかの丘の 向こうに町の町の建物のシルエットと銀色に光る海が見えた。 特子は何故か体を反らし胸を張って答えた。 「良い天気。綺麗なタ日が見られそうね」

7. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

「おめでたい奴だな」 家畜、或いは生贄だ」 オザキは細い草を咥えたロの端を歪めて冷笑を浮かべた。 「生贄って、何の生贄だよ」 彼がオザキと呼ばれているのは 3 年前のある夜中に学校の窓ガ「オキャクサマさ」 ラスを割ったからだとある先生が言っていた。 また耳慣れない一一 = ロ葉が登場して俺は混乱した。 その意味は俺には良く分からなかったが、少なくともこのエピ「オキャクサマって何だ ? 」 ソードが示すとおりの反抗心の塊がオザキというキャラクターだつ「俺達の造物主。専制君主。スポンサー。絶対神。そして敵」 た。先生達もオザキにだけは当たりがきっかった。 「さつばり分からない」 「俺達がここから出るには卒・するしかない」 「それなら別にいい。まあ、もうすぐシュウカーが始まる。そうす オザキは咥えていた草を道端に吐き出した。 れば嫌でも分かるさ」 「卒・するにはシュウカ■に受からなきゃならん。シュウカ■で一オザキはまたどこからか草を咥え直すと、来た道を戻って行った。 度採用されたら、あとは一生ずっと奴らの言いなりだ」 柵の向こうの海は、その日は霞んで見えなかった。 卒■、シュウカー、耳慣れない一一一口葉に俺は戸惑ったが、リ 男の一一一口葉 がより気になった。 当時の俺には学校に気になる女の子がいた 「奴らって誰のことだ ? 」 彼女はいささか皮肉を込めて特子、と呼ばれていたが、別にいじ 「ここの連中と、ここを使ってうまい汁を吸っている連中の事だよ」められていたわけではない。むしろ誰からも一目置かれていた。運 オザキが先生達を明白な軽蔑を込めて「ここの連中」と呼んだ事動神経抜群で頭も良く、先生にも気に入られていた。自分の優秀さ に純真な当時の俺は衝撃を受けた。 を鼻にかけることも謙遜することも無く、ただただひたむきだった。 「何でそんな言い方をする」 「私は特別な存在になる」それが彼女の口癖だった。もう十分特別 オザキはどこから取り出したのか新しい草を口に咥えた。 な存在だ。周りがそういうと彼女はまだまだ違うと言った。その暑 「お前、あの連中が俺達の家族だなんて信じてるのか ? 」 苦しさへの皮肉と優等生へのやっかみが形をとったのが特子、とい 「ずっとそう一一一一口われてたじゃないか」 う呼び名だった。 「そりゃあそう言っておけばお前のような奴が何でも言うことをき容姿にも優れている彼女とお近づきになりたい沢山の男の一人が いてくれるからな」 俺で、そんな俺にある日彼女から声をかけてきた時は正直ラッキー オザキは咥えたばかりの草を吐いた。 と思った。用件が何であれ。 「分からなきやはっきり言ってやる。奴らにとって俺達はせいぜい「最近、オザキ君と喋っているでしよ」

8. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

彼女は事も無げに言い放った。 吹っ切れた、そんな顔で彼は言った。 「お前、それを知った上で・ : あんなに苦労して、選抜試験を受けた「式では怒って暴れてたじゃないか」 のか ? 」 「予行練習だ。喧嘩を売るのが俺の仕事になるからな。死ぬ前にひ 「一生の価値は長さで決まる訳じゃないって、私は思うの。私は特とっ派手にやってやるさ」 別な存在になる。それが叶えば、例え 5 年でも一日でも悔いはなオザキは清々しい声で笑った。 いわ」 「考えてみたら、人間は妙な生き物だな。飼っている動物と勝負す 強がりを言っている素振りは全く無かった。 るなんて、自分の体の一部と勝負するようなものだ。何が楽しいん 「どうして、そんなに強くなれるんだ ? 」 だろうな」 「あなたは、ここで生きてきた自分をどう思う ? 狭い所に閉じ込め「怖くないのか ? 」 られた不自由な自分 ? 消費されて消えてなくなるだけの惨めな自「あん ? 」 分 ? 」 「人間に切り刻まれて殺されるんだろう ? 何でそんなに前向きにな 俺は無言で俯いた。 れるんだ。俺には無理だ : ・」 「私、ここに勤めている人達も、同じだなって時々思ってた。ここ「そうだな : こ の人達が自分の生活より私達の世話を優先しているの、知ってる ? オザキは暫く考えたあと、妙なことを言い出した。 私達があの人達に縛られているんじゃなくて、あの人達が私達に束「前に、お前に生贄の話をしたこと覚えてるか ? 」 縛されているのかも知れないわ」 「あったような無かったような」 「 : ・何が言いたいんだ ? 」 「あれ、実は人間の話なんだ」 「あの人達も、私達も、ここで飼われている他の動物達も、この山「何だって ? 」 にいる野生動物も、きっと意味の無い命なんて無いよ。少なくとも、「メキシコという国で昔、毎年若い男の心臓をくり貫いて神に奉げ 私は私の命に意味がある事を知ってる。だから平気。何があっても」た。生贄にされる男は儀式までの間、皆に大切に世話されたそうだ」 彼女は立ち上がった。 「俺達と同じだって言いたいのか ? 」 「じゃあね。いっか : ・また会えるかもしれない」 「この国でも同じような話があった。センソウという災害が昔起こっ て、沢山の人間が死んだ。人間達はこれ以上犠牲者が出ないように その夜、今度はオザキが俺の寝床に来た。 トクベッコウゲキタイというのを作って生贄に奉げたそうだ」 「お前には言になったからな。一応挨拶をしとく」 「何だそれは」

9. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

を覚悟していなかった私は、夜が明けるまで、ただただ崖の前に立つ一一一一〔えば、私には最初から死ぬつもりなどなかったからだと言える。 ているだけだった。神は現れず、奇蹟も起こらなかった。この断崖だから、私が自殺できなかったという事実と、神の存在を結びつけ で起きた最後の出来事はこうであった。夜が明け始めて、ふと、自るのは、理に適った結論だとは言いがたい。しかし、それでも、思 分の立っている場所から東の方を見ると、崖の上に人影が立っていわずにはいられないのだ。あの人影はキリストだったのではないか、 た。遠くて顔は見えない。しかしその人影は、確かに私の方を向いと。 ていて、微動だにせず、じっと佇んでいた。私は、視られている、 運命の日というものがあるとしたら、私にとってそれは、イギリ と感じた。たった一歩を踏み出せないでいる臆病な自分を視られてスの断崖で海原を見つめていたあの日に他ならない。しかし、あの いる、と感じた。羞恥の感情と、言い訳めいた思考が私の中を駆け日の出来事を他人にどのように伝えるべきかは、迷うところが多い 巡り、まもなく私は、崖に背を向けて、ホテルに戻った。そうして、だから、他人にはあまり話したことがない。この原稿を書いている 昼になる前。 ( 」こまもう、ホテルを後にしていた。逃げ帰るようにして。今も、果たしてこのようなかたちで記すべきだったかと、迷いなが それから先、イギリスでの私の足跡について、語るべきことはほら書いている。読者が思い思いに解釈してよい類の話であれば、私 とんどない。一事が万事、何処に行っても私は自殺を決行できず、の迷いは杞憂だろうけれども。しかし私は、やはり、この話の解釈 最後に、自殺の名所と言われるセプンシスターズの崖で、自分にはには一つの方向性を持たせたいと願う。 無理だ、と悟った。そうして日本に戻ってきた。私の旅は、それでこの小話の題は、そんな作者の我儘によって付けられたものである。 終わった。 そのような話として、私の運命についての小話を受け取ってもらえ あれから十年が経った。あの旅から、私は一一つのものを持ち帰っれば、幸いである。 た。一つは、自分は到底自殺などできる人間ではないという実感。 もう一つは、キリスト教への関心。自ら死ぬことはできないのだか ら、とりあえず積極的に生きるしかないだろうと思い、自らの関心 の赴くまま、地元のキリスト教系大学の神学部に入った。キリスト 教徒と対話しながら、学問に専心し、神学の学位を取った。それか ら大学院に進み、今も、神学の研究を続けている。 今になって私は思う。あの時、私は神に出会っていたのではない か、と。人生で最も死に近づいていた時期、結局、私は死ななかっ たのだから。それはもちろん自身の臆病の故であるし、つきつめて

10. ゆとり世代の総合表現マガジン さかしま 2017年度号

ひょろ長も変わり種で、情熱が怒られない為に全振りされていて、 下衆の寄り道 上住断靱その為ならなんだってやるイカレたおじさんである。 宵越しの金がない しかし、彼でも 持たないのは江戸っ子だが、持てないのは文士ではないだろうか。「そりゃないやろ」 一一十代半ばは宗右衛門町に出入りして、親から貰った金を使い果た というほどの事だから、即座に注意へと赴いた し、物書きが過ぎて、酒を飲む以外の金は本とお金に消えていった。返すお局、号泣して「わたしは何も聞かされてない」と汚い顔で 会社で定年を迎えたおっちゃんからは「滅茶苦茶な男」と呼ばれ訴えた。 ている。 私は、そんなに嫌なら仕事を辞めればいいのにと眺めていた。が、 友人からは「不良銀行員」と呼ばれている。 驚いたことに、周辺の上司達はうろたえたのである。一銭の価値も なんにせよ、私は悪い事はしていない。遣り果せる事や失敗が、ないプスの涙にー 常の男と違うだけである。それは特別ではなく、ただ我が人生を遊結局、私はひょろ長に呼ばれ び尽くしたいという一貫した理念の元に自分勝手に過ごしているだ「もう少し人の気持ちを考えてや。相手の仕事がやりやすいように けだ。勿論、他者は顧みる。ある程度のところまで。 とか」 私は書類を確認すると、お局のところへと持って行った。 と説教される羽目にあった。 これがまた嫌な奴で不機嫌だと無言で書類をひったくり、機嫌が客にも頭を下げ、能力スライム以下のプスの機嫌まで取らなきや 良ければぶりつ子する、顔も悪けりや正確も悪いプスの中のプスでいかん事になったわけだ。 ある。因みに私が「プス」と呼ぶ唯一の存在だ。 それならば、何も案件を取らなければいいわけである。 「わたし、忙しいから自分でやれば ? 」 私はバイクを走らせ、大阪城公園の花見を見物し、トレジャラー 今日はどう出てくるのかと思ったら、「なら、あんたいらんやろ」という英国の煙草を吸いながら、愚痴をこぼした。 と返したくなる返答できた。 その裏でお局も愚痴をこぼしている。 金融機関はその性質からして、営業が持って帰ってきた案件は事エステがどう、結婚がどう、男がどう、などだ。 務方が処理をする。そうしなければ、客と組んでお金を勝手に増や女性陣は白い目で見る。 し、そのおこぼれを貰うなど不正がやりやすくなってしまう。 ほとんどが結婚しており、お局の話に目を輝かせているのは今年 ひょ 流石にこれではまずいので、私はひょろ長の上司に「こんな事言っ入った高学歴新人ぐらいだ。この新人、あだ名が土偶といい、 てまっせ」と報告した。 ろ長が面接の司会を務めたのだが、「絶対に落ちる。いや、落とせ」 4