ある晴れた昼下がり、一台のトラックが俺を迎えに学校へやって めんね。涙声で繰り返す先生に俺は返す言葉が見つからなかった。 俺達は一人ずつ校長先生に呼ばれた。この日だけはあだ名ではな来た く正式名称で呼ばれる。と言ってもただの番号だが。 特子は三日前、オザキは前の日に別の車に連れられて行った。 「番、旭ケ■動物園」 閑散とした校舎の前で、俺は二、三の仲間と共にトラックに誘導 特子の親友の花子はそう告げられて嬉しそうにはにかんでいた。された。車に乗り込む寸前、 >- 先生の姿が見えた。とっさに俺の胸 それぞれが違った行き先を告げられた。喜ぶ者もいれば落胆するに一縷の希望が湧いた。卒■式の前の晩にしたように、俺を助け出 者もいた。「カル■ス闘牛場」行きを告げられたオザキは証書を引してくれるのではないか。俺は必死で先生に合図を送ろうとした。 き裂き、校長先生に突っかかった。先生達があわてて壇上に駆け上最後にははっきり声を上げた。だが先生の目が俺を見ることは一度 がり引き離した。 も無かった。 考えてみれば当たり前だ。人間に俺達の一一一口葉は分からない。俺達 「行番」 ついに俺の名前が呼ばれた。 が人間の一一一一口葉を分からないように。分かった振りをしていただけな 不思議と期待も不安も感じなかった。冷えている頭の中に心臓ののだ。先生がかけてくれたと思っていた一一一口葉も、本当のことだった 音だけが別の誰かの物の様に激しく鳴っていた。 のか今では確信できなくなった。 「吉・コーポレーション」 俺達を乗せたトラックは校門を出て坂道を下り始めた。途中で何 その言葉を聴いた瞬間、心臓の音が連続した轟音になって頭に襲度か見覚えのある景色が見えた。俺達が何時間もかけて歩いた道を、 い掛かった。校長先生の姿が歪み、戻ったときには天井が見えた。 トラックは十数分で駆けた。 吉■コーポレーション。俺はその名前を知っていた。自分が誰か も、学校がどういう場所かも、自分のこれから辿る運命も、知りなあの日、卒■式の後で俺の所に特子が来た がらただ見ないようにしていたのだ。 「落ち込んでる ? 」 薄れ行く意識の中、特子の名前が呼ばれるのを聴いた。「 90 番、特子は言わずもがなな事を訊いた。彼女は勝者で俺は敗者だった。 ・・ディ」壇上に上がった特子は誇らしげに胸を張っていた。 初めて特子を疎ましいと感じた。 「濃い牛乳を出し続けるんだよ」 「でも、遅いか早いかの違いかもよ」 校長先生が特子に言った。はなむけには奇妙な一一一口葉だ。そう思っ特子は俺の隣に腰を下ろした。 た所で俺の記憶は途切れた 「乳牛の平均寿命は 5 年程度なんだって。その後は乳が出なくなる から、食肉用に回されるらしいわ」
まで使って絡め捕られ興奮していた俺達は、そこが学校であることの前途を暗示するようで忌まわしかった。 に暫く気付かなかった。 脱走のことは黙っておけ。はっきり言われたわけではないが、先 今度は叱られるでは済まなかった。俺達は何日も別々の場所に隔生達はみなそうロ裏を合わせているようだった。外の人達からそう 離された。一部の先生以外誰とも会うことを許されず外に出ること いう質問が出る事も無かった。 も出来なかった。 ある日校長先生が俺に近づいてきて言った。何も心配しなくて良 一一週間経ってようやく学校生活に復帰した俺に、仲間達は皆よそい。検査でも何も出なかった。君は大丈夫だ。きっと良い■材になる。 よそしかった。誰もが奥歯に物が挟まったような態度で俺に接した。 シュウカ■の期間はあっという間に終わり短い冬が過ぎ、俺達の 例外は特子で、顔を合わすなり「見損なったわ」と吐き捨ててそれ卒■も間近となった。ここから出た後どこに行くことになるのかは きり目も合わせなかった。 まだ分からなかった。それは卒・の直前に外の人から先生達に伝え 後から聞いた事だが、当時特子は特別選抜試験に合格の見込みがられ、卒■式のその日に俺達一人一人に言い渡されることになって 薄いと言われて、酷くナーバスになりながら必死に前を向こうと足いる。式の日が近づくにつれ、俺達は目に見えない焦燥に駆られた。 掻いている時期だった。だから余計に俺達の行為が許し難く思えた殊に特子は昂ぶり過ぎて憔悴して見える程だった。夏頃の B 判定 のだろう。俺個人としてはあの脱走を後悔はしていないが、あの時を覆そうと、彼女はこの数ヶ月狂おしいほどの努力を重ねてきた。 の特子の辛そうな顔は苦い思いと共に俺の脳裏に刻まれている。 一日も欠かさず走りこみ、特別に用意した食事を摂り、悲痛なまで 落ち込む暇も無くシュウカ・が始まった。何人もの人が外から学の自己管理を己に課し続けた。特別選抜試験の結果も、卒■式で言 校へやってきた。俺達は連日観察され、隅々まで調べられた。四六い渡されることになっている。運命はおそらく既に決しながら、そ 時中質問が飛び交った。いつどこで生まれたのか。何が長所で何がの判定が下される日まで俺達はただ焦らされる日々を送った。 短所か。何か印象的なエピソードはあるか。それが今の自分にどう 結びついているか。あなたは何を持ってオキャクサマを喜ばせるこ卒■の日、俺達は一人残らず整列して校長先生の言葉を待ってい とが出来るか た。全員が一人ずつ、卒・後の行き先を告げられる。脱走の日以来、 俺はと一一一〔えば脱走と謹慎の余韻から頭を切り替えることが出来俺が戻った後も隔離され続けていたオザキの姿も見えた。 ず、何ら方針も覚悟も無いままでなし崩し的にシュウカ■に突入し俺は自分の行き先の事を何故か考えることが出来ず、昨日の夜突 た。こうなったからには腹を括ってオキャクサマに奉仕しようと思然寝床に現れた先生の事を考えていた。先生は俺を校舎裏へ連れ わないわけではなかったがどこか身が入らない自分がいた。脱走先出すと、目の前で門を開けて見せた。俺が微動だにせず突っ立って で見た行列の無気力な目が毎晩のように夢の中に現れ、まるで自分いると、突然先生は俺の肩にしがみつき泣き出した。ごめんね。ご
「お前がどんな実力だろうと、あいつらは気にも留めないと思うけ 散漫な目つきだった。 そのうちオキャクサマの数名が笑い出した。まだ子供に近い顔のどな」 「そんなこと無い ! 」 彼らは下卑た口調で何かを言い合っていた。 見ろよあいつ、なんてでかい乳だ気色悪い。あれじや化け物だ。特子の大声が夜の通路に響いた。 彼らが指差す先に特子がいた 「お母さんがいつも言っていた。私には特別な力があるって。胸を 気がついたとき俺は奴らに大股で歩き出していた。笑い声がびた張って生きなさいって」 りとやんだ。間近に迫った奴らの顔に怯えの色が浮かんだ。 「お母さん・ : ? 」 数人の先生達が何か叫びながらこっちに駆け寄ってきた。 「あなた、覚えてないの ? 」 その単語の意味は知っていた。だが自分には無関係だと思ってい 俺は先生達から散々に叱られた。オキャクサマに対して、間違った。それほどまで当時の俺は心底、学校が自分の家だと信じさせら てもあんな態度をとってはならない。あんなことをする奴はシュウれていたのだ。 カーも出来ない。外の世界に居場所をなくした者が卒・後にどんな「かわいそうね」 そう言って特子は夜の闇に消えた。 惨めな末路を辿るか云々 : 存分に油を絞られた俺がようやく解放されて校舎から出ると特子 が立っていた。 翌日も俺は運動場の端から外を、一見いつも通りに見ていた。 これまでの俺はどちらかというと空をぼんやり見ることが多かっ 「一応一言っとく。ありがとう」 特子はさっきまで泣いていたらしく目の周りが腫れていた。以外たが、この日は眼下の地形を目を皿のようにして見つめた。学校の に繊細な女だ。 ある丘から伸びる坂道とその先のいくつかの丘の連なり、丘の麓に 「私決めたわ」 沿って分岐する道、町までの距離、それらを必死で頭に収めようと した。 「何を」 「ご一緒していいかしら」 「特別選抜試験を受ける」 >- 先生が隣に立っていた。 「何だそれ」 「校長先生が教えてくれたの。私にはその資格があるって。ただの「昨日は災難だったわね」 シュウカ■ではこの屈辱は晴らせないわ。馬鹿にされた分は、実力運動場の柵にひじをついた >- 先生は、少しやつれたように見えた。 で見返してやるのよ」 「あなたのしたことを責める気にはなれないわ。でも覚えておいて
た骨と一緒に、俺の魂は学校に帰るだろう。同じ土に眠る仲間達や解体され、その大部分はお前達オキャクサマの体内に納まった。一 先輩達、その土の上の草を食む後輩達が俺を迎えてくれる。いっか部はお前達の糞となって下水に落とされ、いずれは海に流れ着くだ ろう。俺自身が今やあれほど憧れた海の一部であり、同時に学校の は特子やオザキの魂も戻ってくるかもしれない やがて俺達の魂は学校の草を通じて後輩達の体の一部となるだろ土でもあり、お前達の体の一部でもある。 う。後輩達もシュウカ■され、あるものはここで殺されるが、その最初にも言った通り、俺はお前達に心から感謝している。 この地球上で多くの生物種が生まれ、死に、子孫を残し、絶滅す 魂は再び骨と共に学校に戻ってくる。こうして俺達は学校の土の一 部になり、後輩達の一部になり、仲間達と混ざり合いながら永遠にるその時まで生命の輪をつなぎ続ける。俺達の輪を繋がせてくれて いたのは、紛れも無くお前達だ。 生き続けるだろう。 俺の魂が学校の畑に撒かれてからもうすぐ 5 年になる。特子の魂 「意味の無い命なんて無い」 特子は正しかった。彼女が特別な存在なんじゃない。俺達は皆特もそろそろ帰ってくる頃だろう。俺にそれが分かればいいのだが。 別な存在だったのだ。オキャクサマにも、他のどんな人間にも、俺 達の存在を奪うことは出来ない 行列の切れ目が間近に迫っていた。俺にはもう動揺は無かった。 むしろその瞬間を待ち望んですらいた。早く解体されて、早く学校 の土に帰りたい。そう願っているうち、突然体が軽くなった。 この作品は、 20 一 4 年に AFG が web 上で公開した CM 『 Blendy そこからは妙な感覚だった。目の前に体が見えた。一目で俺の体特濃ムービーシアター「旅立ち」篇』の二次創作として作られてい だと直感した。自分の模様を自分で見たことは無いのにおかしな話ます。卒牛式の場面、卒牛生、校長先生のキャラクターは元の CM だ。俺の体は鉤に吊るされ、皮を剥がれ、頭部が切り取られた。そを参考にしていますが、それ以外の場面やキャラクターの仇名等細 こからは沢山の部位に分かれる俺の体の全てを俺は同時に眺め続けかい設定は筆者が付け加えた物です。また >- 先生なる人物は筆者の た。内臓をくり貫かれた胴体を吊るした鉤が移動していく先に、建創作です。 ( 尚、元の CM は現在では閲覧不能になっております ) 物の出口が見えた。大型トラックが待っている。あれに乗って、早最後に、現行の法律では牛の肉骨粉は BSE 予防の観点から牛の く学校へ帰ろう。いや、その前に役目は果たさねばならない。実態飼料及び牧草用肥料に用いることは禁止されていることを付け加え ておきます。 がどうあれ、俺達の体はオキャクサマのためにあるのだから。 こうして俺は「シュウカク」され、「卒牛」し、出荷され、殺され、
「おめでたい奴だな」 家畜、或いは生贄だ」 オザキは細い草を咥えたロの端を歪めて冷笑を浮かべた。 「生贄って、何の生贄だよ」 彼がオザキと呼ばれているのは 3 年前のある夜中に学校の窓ガ「オキャクサマさ」 ラスを割ったからだとある先生が言っていた。 また耳慣れない一一 = ロ葉が登場して俺は混乱した。 その意味は俺には良く分からなかったが、少なくともこのエピ「オキャクサマって何だ ? 」 ソードが示すとおりの反抗心の塊がオザキというキャラクターだつ「俺達の造物主。専制君主。スポンサー。絶対神。そして敵」 た。先生達もオザキにだけは当たりがきっかった。 「さつばり分からない」 「俺達がここから出るには卒・するしかない」 「それなら別にいい。まあ、もうすぐシュウカーが始まる。そうす オザキは咥えていた草を道端に吐き出した。 れば嫌でも分かるさ」 「卒・するにはシュウカ■に受からなきゃならん。シュウカ■で一オザキはまたどこからか草を咥え直すと、来た道を戻って行った。 度採用されたら、あとは一生ずっと奴らの言いなりだ」 柵の向こうの海は、その日は霞んで見えなかった。 卒■、シュウカー、耳慣れない一一一口葉に俺は戸惑ったが、リ 男の一一一口葉 がより気になった。 当時の俺には学校に気になる女の子がいた 「奴らって誰のことだ ? 」 彼女はいささか皮肉を込めて特子、と呼ばれていたが、別にいじ 「ここの連中と、ここを使ってうまい汁を吸っている連中の事だよ」められていたわけではない。むしろ誰からも一目置かれていた。運 オザキが先生達を明白な軽蔑を込めて「ここの連中」と呼んだ事動神経抜群で頭も良く、先生にも気に入られていた。自分の優秀さ に純真な当時の俺は衝撃を受けた。 を鼻にかけることも謙遜することも無く、ただただひたむきだった。 「何でそんな言い方をする」 「私は特別な存在になる」それが彼女の口癖だった。もう十分特別 オザキはどこから取り出したのか新しい草を口に咥えた。 な存在だ。周りがそういうと彼女はまだまだ違うと言った。その暑 「お前、あの連中が俺達の家族だなんて信じてるのか ? 」 苦しさへの皮肉と優等生へのやっかみが形をとったのが特子、とい 「ずっとそう一一一一口われてたじゃないか」 う呼び名だった。 「そりゃあそう言っておけばお前のような奴が何でも言うことをき容姿にも優れている彼女とお近づきになりたい沢山の男の一人が いてくれるからな」 俺で、そんな俺にある日彼女から声をかけてきた時は正直ラッキー オザキは咥えたばかりの草を吐いた。 と思った。用件が何であれ。 「分からなきやはっきり言ってやる。奴らにとって俺達はせいぜい「最近、オザキ君と喋っているでしよ」
「私は特別な存在になる。そのためには外に出なきや始まらない。 第一声と特子の表情に対する俺の落胆を彼女は気づかない 「あの子と仲良くするの、やめた方が良いよ。先生にも良く思われシュウカ・でも、私は誰よりも頑張るわ。そして誰よりもオキャク てないし」 サマの役に立つの」 「仲良くなんかしてない。一方的に話しかけられただけだ」 俺は特子から目を逸らした。ひとつには彼女の明快さが眩しかっ 「何を言われたの ? 」 たからで、もうひとつは単に目のやり場に困ったからだ。特子の胸 「何か、外の世界がどうの生贄がどうのって : ・」 は人一倍大きかった。彼女がそれをコンプレックスにしている事を 「何それ」 俺は知っていたが、同時にそれは男子の間での彼女の人気に拍車を 「俺が知りたいよ」 かけていた。俺は適当な用事を思い出した振りをして、彼女から離 「とにかく、あの子の話は聞いたらだめ。ただでさえシュウカ■前れた。 の大事な時期なんだから」 シュウカ・、オザキからはじめて聞かされて一月で、その一一一口葉は 数日後の夕方、外を見ようといつもの場所へ歩く俺の後ろから小 当たり前のように周囲を飛び交うようになっていた。先生の話も型トラックが走ってきた。 シュウカ■の事が徐々に中心となった。それは俺達が外の世界へ出「お散歩 ? テンキアメ君」 て行くために必須の手続きであり、シュウカ・を経てはじめて俺達運転席に >- 先生が乗っていた。 は一人前になるのだと繰り返し教えられた。シュウカ■で鍛えられ「何を運んでいるんですか」 て俺達は真にオキャクサマを喜ばせる存在になる。ここで間題のオ低速で走るトラックの荷台に俺は顔を近づけた。 キャクサマも当たり前のように登場した。俺達がここで学んできた「こんな物に興味があるの ? 」 ことは全て、俺達がオキャクサマにとって価値の持っためであるら >- 先生は笑った。先生達の中では比較的若い女性だった。 しい。それぞれ得意不得意にあわせて役割は変わるにせよ、全てオ「肥料よ。今朝吉・コーポレーションから届いたの。撒くのは明日 キャクサマのため、自分が何でオキャクサマの役に立てるかを常に以降になるけど、とりあえず畑まで運んでおこうと思って」 考えなさい。それが外の世界で一番大切なことだよ。先生達はそう学校では校舎裏の畑で色々な物を栽培していた。先生はそれら の世話を任されていた。 言い聞かせた。 「特子は外の世界に出たい ? 」 「当然よ」 >- 先生に言われて俺は日が傾いている方を見た。いくつかの丘の 向こうに町の町の建物のシルエットと銀色に光る海が見えた。 特子は何故か体を反らし胸を張って答えた。 「良い天気。綺麗なタ日が見られそうね」
「外に出たい ? 」 「サンプルは届けたのか ? 」 「そう思ってました。ちょっと前までは。今はよく分かりません。「発送はしましたが何しろ夜です。返って来るのは明日ですね。まあ、 僕らが外に出る事がどういう事なのか : ・分からなくて」 ただの風邪だと思いますよ」 「そうね。私も : ・あなた達が卒■する事が本当に良いことなのかど「安心は出来ん。検査結果が分かるまでは隔離しておけ。万が一と うか、分からなくなることがある」 いうことがある」 独り言のように >- 先生は呟いた 「分かってます。分かってます。何しろ、シュウカ■前の大事な体 「外の世界には、色々な人がいるわ。良い人もいるけどそうでないですからね」 人もいる。あなた達をただのモノと同じように消費しようとする人「あの子達をまとめて廃棄処分にするような事は万が一にもあって も沢山いるでしようね」 はならん。くれぐれも気をつけてくれ」 「前にオザキが同じような事を言ってました。でも特子や他の先生それは高熱が生んだ幻聴か夢だったのかもしれない。声の主が誰 はあいつの言うことには耳を貸すなって」 かも分からぬまま俺は断続的な眠りに飲み込まれた。 「私がこんな事を言って良い立場ではないことは分かってる。でも 時々考えてしまうの。ここでは誰もがあなた達を大切に思ってるわ。 オキャクサマが学校に来る。 そこからあなた達を外へ送り出すことが、どんな意味を持つのかっそう聞かされたのは蒸し暑い初夏だった。 先生達は総出で学校を隅から隅まで片付け、掃き清め、磨き上げ、 今の俺にはそのとき先生の表情の意味が分かる気がする。だが俺達にもくれぐれも失礼の無いように言い含めた。 その時の俺にはオザキの言葉以上に全く分からなかった。先生の目当日、俺達は運動場に整列してオキャクサマを迎えた。 は俺を見ているようでも、俺のずっと向こうの何かを見ているよう初めて見たオキャクサマは、何だか奇妙だった。 でもあった。 当時の俺の頭では上手く一一一一口えないが、印象として何か骨格や肌の 艶が俺達とは別の生き物のように思えた。 その晩、俺は熱を出した。 これまで学校の外から来た人を遠くから見たときにも、同じ印象 何度も嘔吐し、息を切らす俺を先生はっきっきりで看病してくを持ったことはある。だが間近で見るオキャクサマにはもっと強い れた。 違和感、はっきり一一一口えば嫌な感じを受けた。 高熱と悪寒にうなされる俺の耳に、途切れ途切れに誰かの会話が数十名でぞろぞろと入ってきたオキャクサマは俺達をじろじろと 聞こえてきた。 眺め回した。いつもの外から来た人達の鋭い視線とは違う、胡乱で
田中ジョヴァンニ ( 総合表現集団かべちょろ代表 ) 「さかしま」企画・編集 一人芝居・映像制作等を行う。 過去にはお笑い芸人として活動。 映画マニア。 Tanaka Giovanni 校長か教頭か忘れたが、とにかく学校職員が頭を下げる横で、 学校 4 年生の私は爪と指の間から血を流し俯いていた。何故出血し たのかは分からない、ただその止まらない血もこの状況も面倒だな とそれだけを思っていた。繰り返していた万引きが遂に見つかった 日であった。 罪悪感も反省も無かった、あったのはむしろ被害者意識。何故私 だけが悪者に仕立て上げられなければなら無いのかという、相応し くない怒りであった。当時友人の中に手癖の悪い者が居た。明るい 性格で皆から好かれていたものの、家に遊びに来るととにかく何も かもを盗んでいたのである。私が気付いたのは無くしたと思ってい たカードとゲームソフトが、その友人宅にあったのを見付けた時で、 問い詰めたものの彼は決して認めなかった。結局取り返すことは出 来ず、理不尽に憤りながら帰路についたが、こんな事がまかり通る のかという驚きの方が強かった。 以来、私はあらゆる店であらゆる物を万引きする子どもとなった。 私も物を盗まれているのだから、私が物を盗んで何が悪いのかと本 気で思っていたのである。ただ、人から物を盗む事だけはしなかっ た、それだけは悪い事だと線引きしていた。 今になって考えれば、人の感情が苦手だったのだろう。それ故、 窃盗に屈し、顔の見えない店舗からの万引きに罪悪感を覚え無かっ たのではないか その後、その友人と遊ぶ事は無くなった。爪と指の間からの出血 も一度も無い。しかし、それを機に人間に対する不信感と、要領よ く物をこなす事が出来ない自分へのコンプレックスを強める事に なったのだ。そしてそれは未だに続いている。
ゆっくりと行列は進んで行った。その先頭は建物に開いた大きな入「殺されながら勝利する方法がある」 り口に吸い込まれていた。ひときわ強い血の匂いが漂ってきた。 救いを求めて俺は特子とオザキの言葉を思い返したが、そこには 入り口が近づいてくるにつれ、行列の先頭で何が起きているかが何の共感も生まれなかった。孤立無援になった気がして、俺は一層 分かった。建物に入って少し進んだところで、作業着を着た人間達打ちのめされた。俺は誰の助けも得られずここで一人ぼっちで死ん 数人が立っていた。建物に入った者の頭に、人間の一人が何かを当でいくのだ。 てていた。学校で一度だけ見たことがある。あれは銃だ。持った人生きているうちから遠のいていく意識の中で、誰かが話す声が聞 間が指を動かすと手の先にある物に穴が開く。あれで行列に並んだこえてきた。 者の頭に一人ずつ穴を開けているのだ。 「まず皮を綺麗に剥ぐ。全身をくまなく洗浄する。頭部は切除し、 頭に穴の開いた者が倒れると、待ち構えていたもう一人の人間が BSE 検査に回す。消化器を摘出、循環器と肝臓を摘出、一一つに割っ ナイフで首を喉をかき切る。事切れた者の体を、更に数人が逆さにて一段落だ。あとは工場に運ばれて精肉される」 して天井から下がる鉤に吊るしていた。 俺の全身が残らず分解され、使い切られる ! おぞましさに総毛立 ここは俺達を殺して解体する場所なのだ。俺ももうすぐああやつつ。 て殺され、バラバラの肉にされてしまう。 「肉は食用に、皮は革製品に、残った骨や屑肉は加工されて肥料に 嫌だ。嫌だ。嫌だ。こんな暗くて冷たくて湿った場所で俺の一生なる」 を終わりにされたくない ! 逃げるんだ。逃げれば後ろから撃たれる 肥料 ? 俺の意識が何かを捕らえた気がした。 だろうが、少なくとも太陽を見ながら死ねる。なぜみんな逃げない 「ほら、去年も発注が来てただろう。〇〇ファームが買い取ってく んだ ? なぜみんなおとなしく並んでるんだ。なぜ俺の足は動かないれる。あそこの畑に使われるそうだ」 んだ ? どれだけ自問しようと、俺は走り出すことが出来なかった。学校の名前だ ! 俺の頭の中で 1 年前の先生が言った。 無力感が全身を侵して痺れさせていた。あらゆる感情が絶望に塗り「肥料よ。今朝吉■コーポレーションから届いたの」 込められていった。今の俺は、あの夕暮れに見た奴と同じ目をしてそうだ。ここで作られた肥料が学校で使われているのだ ! 俺の体 いる事だろう。 も肥料になって学校に撒かれるに違いない 結局こうなる運命だった。俺の一生はこの惨めな場所で終わると突然、視界が拓けた。 決まっていたのだ。あの時から俺はそれを知っていたじゃないか。「魂はヤスクニに帰る」オザキの言葉が、今度は福音のように響いた 例えようの無い情けなさが俺を芯から打ちのめした。 俺の肉は人間に食い尽くされ、皮は道具にされ、他の部位も奴ら 「意味の無い命なんて無いよ」 のものになるだろう。だが俺の魂は俺の骨に置いて行く。肥料となっ
れた。 運命の一日—俺達の卒 海を間近で見たい。できる事ならあの直線の向こうに何があるか 川原寝太郎 知りたい、というのが昔から俺の夢だったが無理な相談だった。幼 、貞好奇心に駆られて何度か柵を越えたが、いつも数分で先生達に ひとつだけ誤解してほしくないのは、俺は今でもお前達に心からしヒ 捕まった。外は危ない。悪い病気が沢山ある。それが先生達の決ま 感謝している、という事実だ 後頭部を撃たれ、ナイフで喉を切り裂かれて冷たい床に転がってり文句だった。いっかは君達も外に出て行く。むしろ君達の生きる いるこの瞬間さえも、俺はお前達に感謝する。その理由はこれから意味は外にこそある。だが今はまだ出て行くときではない。丈夫な 体を作り、学び、大きくなりなさい。連れ戻されてふてくされる俺 話す。分かってもらえる自信はないが を先生は辛抱強く諭した。 学校の宿舎と運動場が俺達の世界の全てだった。そこで俺達は先 俺はお前達が良く知っているあの施設で育った。 その施設は皆から「学校」と呼ばれていた。俺達にとってそこは生達から生きる術を学び、同じ境遇の仲間から共に生きる喜びと苦 寝起きする場所だったが確かに学び舎でもあった。そこで俺は百よ労を教えられた。全てはここから出て行く日のためにある。繰り返 し俺達はそう聞かされた。単純な俺はいつも外の世界を夢見ていた。 り少し多い位の仲間達と共に生きる術を学んだ。 恵まれていたかどうか俺には分からない。少なくとも皆優しかつひとたび外へ出さえすれば自分の足でどこへでも行けると思ってい たから、良くして貰っていたのは間違いない。だが施設以外がどんた。 な場所なのか俺達は知らなかった。俺達は外に出られなかったから無論俺は今、かって憧れた外の世界が幻想だと知っている。籠の だ。まれに外から人が来ることはあったが、その人達と俺達の間に外にあるのはより広い籠に過ぎず、しかも俺達はそこでついに長く は何の交流もなかった。ただ時々遠くから視線を感じた。それで外は生きられなかった。騙されたと一言うつもりはない。むしろ俺の短 い生の中で一番幸福な時期をあの幻想がもたらしてくれたことに満 の人が来ていると分かる程度だった。 施設で俺はテンキアメと呼ばれていた。俺が運動場に出ていると足している。 何故か天気雨が多いというだけの由来だが俺は気に入っていた。風 の強い日に運動場の柵の縁で雲が流れていくのを見るのが好きだつ「お前、外へ出たら自由になれると本気で思ってるのか ? 」 た。白や灰色の雲が学校の上空を越え学校のある丘の斜面を過ぎ遠オザキが俺を呼び止めたのは去年の春の終わりだった。 いつもどおり運動場から外を眺めに行く途中だった俺は深く考え くに見える町の上へと流れていく。ずっと向こう、空と町の境界付 近に微かに見え隠れする不思議な直線を海というのだと前に教えらず「違うのか ? 」と問い返した。 4