れた。 運命の一日—俺達の卒 海を間近で見たい。できる事ならあの直線の向こうに何があるか 川原寝太郎 知りたい、というのが昔から俺の夢だったが無理な相談だった。幼 、貞好奇心に駆られて何度か柵を越えたが、いつも数分で先生達に ひとつだけ誤解してほしくないのは、俺は今でもお前達に心からしヒ 捕まった。外は危ない。悪い病気が沢山ある。それが先生達の決ま 感謝している、という事実だ 後頭部を撃たれ、ナイフで喉を切り裂かれて冷たい床に転がってり文句だった。いっかは君達も外に出て行く。むしろ君達の生きる いるこの瞬間さえも、俺はお前達に感謝する。その理由はこれから意味は外にこそある。だが今はまだ出て行くときではない。丈夫な 体を作り、学び、大きくなりなさい。連れ戻されてふてくされる俺 話す。分かってもらえる自信はないが を先生は辛抱強く諭した。 学校の宿舎と運動場が俺達の世界の全てだった。そこで俺達は先 俺はお前達が良く知っているあの施設で育った。 その施設は皆から「学校」と呼ばれていた。俺達にとってそこは生達から生きる術を学び、同じ境遇の仲間から共に生きる喜びと苦 寝起きする場所だったが確かに学び舎でもあった。そこで俺は百よ労を教えられた。全てはここから出て行く日のためにある。繰り返 し俺達はそう聞かされた。単純な俺はいつも外の世界を夢見ていた。 り少し多い位の仲間達と共に生きる術を学んだ。 恵まれていたかどうか俺には分からない。少なくとも皆優しかつひとたび外へ出さえすれば自分の足でどこへでも行けると思ってい たから、良くして貰っていたのは間違いない。だが施設以外がどんた。 な場所なのか俺達は知らなかった。俺達は外に出られなかったから無論俺は今、かって憧れた外の世界が幻想だと知っている。籠の だ。まれに外から人が来ることはあったが、その人達と俺達の間に外にあるのはより広い籠に過ぎず、しかも俺達はそこでついに長く は何の交流もなかった。ただ時々遠くから視線を感じた。それで外は生きられなかった。騙されたと一言うつもりはない。むしろ俺の短 い生の中で一番幸福な時期をあの幻想がもたらしてくれたことに満 の人が来ていると分かる程度だった。 施設で俺はテンキアメと呼ばれていた。俺が運動場に出ていると足している。 何故か天気雨が多いというだけの由来だが俺は気に入っていた。風 の強い日に運動場の柵の縁で雲が流れていくのを見るのが好きだつ「お前、外へ出たら自由になれると本気で思ってるのか ? 」 た。白や灰色の雲が学校の上空を越え学校のある丘の斜面を過ぎ遠オザキが俺を呼び止めたのは去年の春の終わりだった。 いつもどおり運動場から外を眺めに行く途中だった俺は深く考え くに見える町の上へと流れていく。ずっと向こう、空と町の境界付 近に微かに見え隠れする不思議な直線を海というのだと前に教えらず「違うのか ? 」と問い返した。 4
社会に出て 5 年目となる。労働に楽しみを感じる事は全く無い やりがいも無ければ職場での人間関係に悩み続ける日々だ。だがそ れでも辞める事は無い。就職活動で苦戦した日々と無能な自分が、 次の可能性を否定する。 そう、この生き辛さの全ての原因は自らのコミュニケーション能 力の低さにある。虐められていた事も、友人が少ない事も、人生を 楽しく過ごせない事も全て自分に責任があるのだ。 努力すれば良かった。虐められない為に、人並みに勉強が出来て 運動が出来て意見が一一一一口えるように。友達を作る為に、多くの事に興 味を持ち話していて楽しい人間となれるように。人生を楽しく過ご す為に、様々な可能性を広げ選択肢を増やすように。 全ての努力を放棄した。耐えていればいっかこの苦しみが終わる だろうと、現実から逃避していた。悔やみ続ける日々の中で、絶え ず付きまとう希死念慮。死んでしまえば楽になるという考えが、十 数年頭にこびり付き離れない。 運命とは日々の積み重ねだ。どこでどの様に過ごしてきたか、ど のような選択をしてきたか、その積み重ねの上に現れる結果を人は 運命と呼ぶ。逃避と言い訳を繰り返し、虚栄心に塗れた私の人生に 運命の 1 日は未だ訪れない 田中ジョヴァンニ
「お前がどんな実力だろうと、あいつらは気にも留めないと思うけ 散漫な目つきだった。 そのうちオキャクサマの数名が笑い出した。まだ子供に近い顔のどな」 「そんなこと無い ! 」 彼らは下卑た口調で何かを言い合っていた。 見ろよあいつ、なんてでかい乳だ気色悪い。あれじや化け物だ。特子の大声が夜の通路に響いた。 彼らが指差す先に特子がいた 「お母さんがいつも言っていた。私には特別な力があるって。胸を 気がついたとき俺は奴らに大股で歩き出していた。笑い声がびた張って生きなさいって」 りとやんだ。間近に迫った奴らの顔に怯えの色が浮かんだ。 「お母さん・ : ? 」 数人の先生達が何か叫びながらこっちに駆け寄ってきた。 「あなた、覚えてないの ? 」 その単語の意味は知っていた。だが自分には無関係だと思ってい 俺は先生達から散々に叱られた。オキャクサマに対して、間違った。それほどまで当時の俺は心底、学校が自分の家だと信じさせら てもあんな態度をとってはならない。あんなことをする奴はシュウれていたのだ。 カーも出来ない。外の世界に居場所をなくした者が卒・後にどんな「かわいそうね」 そう言って特子は夜の闇に消えた。 惨めな末路を辿るか云々 : 存分に油を絞られた俺がようやく解放されて校舎から出ると特子 が立っていた。 翌日も俺は運動場の端から外を、一見いつも通りに見ていた。 これまでの俺はどちらかというと空をぼんやり見ることが多かっ 「一応一言っとく。ありがとう」 特子はさっきまで泣いていたらしく目の周りが腫れていた。以外たが、この日は眼下の地形を目を皿のようにして見つめた。学校の に繊細な女だ。 ある丘から伸びる坂道とその先のいくつかの丘の連なり、丘の麓に 「私決めたわ」 沿って分岐する道、町までの距離、それらを必死で頭に収めようと した。 「何を」 「ご一緒していいかしら」 「特別選抜試験を受ける」 >- 先生が隣に立っていた。 「何だそれ」 「校長先生が教えてくれたの。私にはその資格があるって。ただの「昨日は災難だったわね」 シュウカ■ではこの屈辱は晴らせないわ。馬鹿にされた分は、実力運動場の柵にひじをついた >- 先生は、少しやつれたように見えた。 で見返してやるのよ」 「あなたのしたことを責める気にはなれないわ。でも覚えておいて
『私達の運命の一日』 鳩羽ネヲン 2012 年 1 1 月 24 日。 あの日からもう 4 年と半年も経つ・・ 4 年と半年・ そう思うと長く感じる。でも、まだ 1 年くらいしか経ってない、そのようにも感じる。 この日を迎えるまで、長かった。 本当に長かった。 未だに忘れられない日。 そして、感覚。 今は、ヴォーカル & ピアノとコントラバスのデュオで活動しているが、それ以前は 6 人編成のバンドとして活動して いた。 活動を続ければ続けるほどに、メンバー間での意思の疎通や目指す方向性の統一という問題が大きくなっていった。 溝は深まるばかリだった。これ以上は、このバンドを続けていけないと次第に思うようになリ、思い切って一度活動 を停止させた。そして、元々鳩羽ネヲン結成のきっかけとなった余田尚美と中田茂のニ人で一から作リ直そうという 流れになった。 目指していきたい方向性などは元々一致していたニ人が、これからはニ人で始めるのだからきっと上手くいく、いか ないはずはないと、そう思っていたし、高を括っていた。 ワクワク感しかなかった初のスタジオ練習だった。しかし、蓋を開けてみれば・・ ー曲も・・ 形にならなかった。 曲を最後まで通せなかった。 なかった。焦リやイライラから、本当にこの時は良く話し合いをした。この時は、方向性や世界観などを考える余裕 楽しみでしかなかった再始動が、一気にどん底となった瞬間だった。毎週スタジオ練習をするものの一向に良くなら 79 動する』、それだけしか・・ に戻れるのか、もうそれすら考えなくなっていた。もう、この頃は意地しかなかったのかもしれない。『デュオで再始 そうこうしてるうちに、一年が過ぎようとしていた。この間、人前に出て演奏は全くしていない。いつまたあの舞台 何度も、何度もデュオで再始動する事は無謀だったのかと考えた。そして、諦め始めてもいた。 服を着て、一生懸命力ッコつけようとしていた。ーケ月、ニケ月、半年と、時は無情に流れていった。 は全くなかった。ただただ、今の自分達に出来る事を、狭い範囲の中で取リ繕うしかなかった。ツギハギだらけの洋
男女男女男女男女男女 1 1 1 1 1 男 1 ( 口をハクパクさせる ) 舞台上に、テープルと、椅子が 3 っ 女何 ? 上手の椅子に、下手側を向いて、女が座っている 男 1 ( 首を捻り、ロをハクパクさせる ) 女はうつむいており表情が見えず、微動だにしない モノマネのつもり ? ・ 女 真ん中の椅子には、 異様に痩せた男か座っており、かってそこにい 男 1 ( 無言で笑って、真ん中の椅子に移動する。同じような動た男 1 のような、不思議な動作を繰り返している テープルの上には、空のグラスが 2 つある 作を続ける ) 、、 0 , 人 女 男 1 ( 続ける ) 女 ( 笑う ) 男 1 ( 続ける ) 女生きてるマネね 男 1 ( 続ける ) うん あり・かと、フ え : : : あ、うん。 、、 0 すごいね うーん。分かんないけど。 、 0 レてないよ 女 そうね。私たち、死んでるんだもの。でも、死に損なった。 あなたも同じなんでしよう。 あの日、彼い現れて、だから死 ねなかった。なのに、彼は先に、本当に死んでしまった。本当 に悪いことをしたわ。あなたにも : 男 女 男 1 、続ける 女、うつむく 溶暗 シーン 4 ( 続けている ) : ねえ、あなたのこと教えて。歳はいくつなの
「外に出たい ? 」 「サンプルは届けたのか ? 」 「そう思ってました。ちょっと前までは。今はよく分かりません。「発送はしましたが何しろ夜です。返って来るのは明日ですね。まあ、 僕らが外に出る事がどういう事なのか : ・分からなくて」 ただの風邪だと思いますよ」 「そうね。私も : ・あなた達が卒■する事が本当に良いことなのかど「安心は出来ん。検査結果が分かるまでは隔離しておけ。万が一と うか、分からなくなることがある」 いうことがある」 独り言のように >- 先生は呟いた 「分かってます。分かってます。何しろ、シュウカ■前の大事な体 「外の世界には、色々な人がいるわ。良い人もいるけどそうでないですからね」 人もいる。あなた達をただのモノと同じように消費しようとする人「あの子達をまとめて廃棄処分にするような事は万が一にもあって も沢山いるでしようね」 はならん。くれぐれも気をつけてくれ」 「前にオザキが同じような事を言ってました。でも特子や他の先生それは高熱が生んだ幻聴か夢だったのかもしれない。声の主が誰 はあいつの言うことには耳を貸すなって」 かも分からぬまま俺は断続的な眠りに飲み込まれた。 「私がこんな事を言って良い立場ではないことは分かってる。でも 時々考えてしまうの。ここでは誰もがあなた達を大切に思ってるわ。 オキャクサマが学校に来る。 そこからあなた達を外へ送り出すことが、どんな意味を持つのかっそう聞かされたのは蒸し暑い初夏だった。 先生達は総出で学校を隅から隅まで片付け、掃き清め、磨き上げ、 今の俺にはそのとき先生の表情の意味が分かる気がする。だが俺達にもくれぐれも失礼の無いように言い含めた。 その時の俺にはオザキの言葉以上に全く分からなかった。先生の目当日、俺達は運動場に整列してオキャクサマを迎えた。 は俺を見ているようでも、俺のずっと向こうの何かを見ているよう初めて見たオキャクサマは、何だか奇妙だった。 でもあった。 当時の俺の頭では上手く一一一一口えないが、印象として何か骨格や肌の 艶が俺達とは別の生き物のように思えた。 その晩、俺は熱を出した。 これまで学校の外から来た人を遠くから見たときにも、同じ印象 何度も嘔吐し、息を切らす俺を先生はっきっきりで看病してくを持ったことはある。だが間近で見るオキャクサマにはもっと強い れた。 違和感、はっきり一一一口えば嫌な感じを受けた。 高熱と悪寒にうなされる俺の耳に、途切れ途切れに誰かの会話が数十名でぞろぞろと入ってきたオキャクサマは俺達をじろじろと 聞こえてきた。 眺め回した。いつもの外から来た人達の鋭い視線とは違う、胡乱で
私たちの運命の一日に その運命の日は、高校の男子トイレの中にあった。当時お笑いコと共に話し合った。私と相方以外の誰もが怒っていた。しかし、そ ンビを組んでいた相方の母親からメ 1 ルが届いたのだ。息子が不祥の割にあっさりと終わった気もする。個人で続けるという話も出た 事を起こした為、芸能事務所を辞めさせるつもりだと。当時は歯列が断った。そして、正式に事務所を辞めたのである 矯正の為に食事後の歯磨きが必須であった。思春期の自意識により、 後日、テレビ局に謝罪に行った。何を話したかはもう覚えてい 自分のクラスがある校舎からわざわざ誰も来ない体育館のトイレに ない。ただひたすら俯き謝罪の言葉を述べていた。それは本心であっ 籠り歯を磨くという馬鹿げた行為を毎日行っていたのだ。 私と相方はプロのお笑い芸人であった。オーディション番組に出た。迷惑を掛けたという自覚はあったし、大人達が怒るのも当然だ 場し、優勝し賞金を獲得して大手芸能事務所へ所属した。主催の芸と理解していた。同期の芸人やオーディションの参加者達から恨ま 能事務所が地方支部を立ち上げるにあたり、一期生となる所属タレれるだろうなとも思っていた。だが、謝罪を終えたその帰り道、相 方と一一人並んでママチャリを漕ぎながら見た海に沈む真っ赤なタ日 ントを集めるべく行った大会であった。嘘か本当かは分からないが 日は、何よりも美しかった。太陽と、海面と、木々の葉が輝いていた。 応募者は百組を超えていたらしく、地元では名の売れた芸人も参カ していた。そんな彼らを蹴落とし、プロの芸人となり、ローカル番その煌めく世界の中で私たちは笑っていた。私はその美しさに感動 組のレギュラーを持ち、東京での番組出演に向け事務所の方々が動していた。かってない解放感の中に後悔の念は微塵も無く、相方に 「よくやった」と言い握手をしてそれぞれ帰路についた。 いてくれていた中での事件であった。 個室トイレでメールを受け取った時、私は驚いた。だが、落胆は しなかったし怒りに打ち震える事も無かった。携帯を片手に歯プラその運命の日から数年後、現在。私は途轍もなく後悔している シを咥えた私は、拳を強く握りしめ頭の上に掲げたのである。歓喜あの時、相方の母親を説得していたら、事務所やテレビ局に許して くれと頼んでいたら、一人で続けていくと言っていれば、私の人生 の呻き声で歯磨き粉を飛び散らせながら。 不謹慎を承知の上で正直に書くが、私は事務所を辞めたかったのは大きく変わっていただろう。 抑鬱に沈む休日の夜に、悲嘆に暮れずにはいられない。何故全 くもって好きでもないし向いてもいない仕事をし、毎日疲れ切って その当日か、翌日か、週末かもう忘れてしまったが、事務所へ行いるのか。社会の歯車として滅私を極め、感性と個性を封じ込めて き今後の活動について相方と先輩の芸人の方々、事務所のスタッフいる日常の中で、やがてそれらは干乾びるだろう。今更戻れる筈も
私たちの運命の一日は 不登校気味の友人に、お前はこの学校最底辺の人間だと言われた無かった。奴隷の日々は終わったのだ。そのあまりの呆気無さに、 時、まさにその通りだと思わざるを得なかった。スクールカースト途方に暮れていた。真に歪んだ思考で有ったと思うが、青春無き学 という一言葉は当時無かったと思うが、確かにその最下層に所属して生生活を過ごしていた私にとって、せめて解放の日はドラマチック いた。荒れていた中学の中で勉強も運動も出来ず、誰よりも殴られに迎えたかったのだ。 ており、端的に言ってしまえば虐めを受けていたのだ。 暴力は日常茶飯事で様々な嫌がらせや恐喝を受けるに留まらず、虐めを受けていた事を誰かに直接話した事は一度も無い。それは 両親は共働きで夜遅くまで帰らなかった為、我が家は溜り場と化し自らが虐めを受ける程能力の低い人間であると思われたく無いとい 喫煙所となっていた。所謂不良である彼らが帰った後、吸殻を掃除う見栄と、相談する事や愚痴を溢す事に意味を感じ無かったからで し必死で消臭剤を撒く毎日であった。 ある。だが人は人とのコミュニケーションの中に存在し生きている 人の脳は強いストレスを受けるとそれに抗うのではなく、耐える中学卒業後高校に進学したが、人間関係の全てを断絶し過ごしてい 方向に向かうと聞く。給食を全て分ければもう殴らないと一一一〔うのでたおかげで友人は一人も出来なかった。教師とも会話をせず、大学 その通りにすると喉を蹴られ、毎日金を持って来れば虐めの対象か受験についても相談せず進言も受けなかった。 ら外すと一『〕うので、親の財布から金を抜き彼等に渡すと石灰と水を大学に進学し自らの過ちと愚かさを自覚すると、途轍もない孤独 浴びせられた。教師や親には一度も相談する事は無かった。一言でを感じた。人々は何故こんなにも朗らかで楽しそうに日々を過ごし も漏らせばさらに状況が悪化すると思っていたのだ。そのようなているのだと、私も彼ら彼女らの様に過ごしたいと常々思っていた。 日々の中、私は表情の無い中学生となっていた。その事が彼らの加だが、心の奥底ではこんな能天気な奴らと自分は違うと思っていた。 虐心を煽ったのだろう。 殻に籠る日々の中で、溜め込んだ芸術に対する知識こそが自分の感 中学卒業の日、私は据置型ゲーム機の本体と持って居る全てのソ性に違いなく、それは誰にも負ける事は無いと、自分には何かの才 フトをカバンに詰め込み登校した。卒業後も嫌がらせを受けたくな能がある筈だと思っていたのだ。誰もそんな事は気にしていないと ければそれらを献上しろとの指示に従ったのだが、卒業式に浮かれも知らずに。 る彼らは私の事など完全に忘れているようだった。念の為、日が暮 れるまで一人学校に残っていたのだが、結局誰も取りに来ることは
鳩羽ネヲン 2009 年 10 月、思い描く世界観や音楽を創造する為に、 Ba の中田茂を中心に大阪で結成。 6 人編成にて活動開始。関西にて幾多のライプを行うも 2011 年 11 月活動を休止。 その後、 2012 年 11 月より、現在の編成にて活動を再開する。 見た事のある風景であったり、日常の何気ないーコマ、ちょっとした物を題材にした歌詞は独特な世 界観があり それをより具体的な絵 ' へと昇華するような旋律、伴奏により独自の鳩羽ネヲンという世界を表現 している。 Hatoba Neon 運命の前夜。 前夜は何も変わらない日常が流れている。 そんな気がする そして、運命の日。 その瞬間に少し、少しだけ : 軌道が 1 ミリズレる。 前夜に予兆とかそのようなものは、あまり感じない。いくら、 前夜に楽しすぎたって。普通にご飯食べて夜べッドで寝たって。 死ぬ時には死ぬんだし。 あ、でも、虫の知らせっていうやつ。 4 次元的な思考であったり : 実は、神経を研ぎ澄ませば、もしかすると、運命の前夜にも、 なにか、極々小さな変化が起こっていることがわかるのかもし れない なにか、変化が起きるときその予兆。 穴という穴を全開にして、変化が起きる瞬間を逃さずに・ : しつ かり吸い込んで、 運命の前夜に起こる変化をいち早く捉え、次の日の日常を非日 ・と思っている。 常に変化させることができたら・
Kawahara Netarou 1 ` 、 C9 生 学 大 現 の 身 出 岡 福 私は、現役大学生です。市内の大学に通いながら、芸能活動 をしています。作詞作曲や歌、ギターもしています。今回、偶 然募集を見かけ、興味を持ちました。私は、気持ちを声にする のが苦手な分、いかに文字にして気持ちを伝えていけるかを考 えました。「私たちの運命の 1 日」がテーマということで、運命っ てなんだろう。皆さんは、運命って信じますか ? こうして生活 ができていること、毎日生きてることって運命なのかな。人は 支え合いながら生きています。苦しい時、悲しい時、誰かがそ ばにいてくれるだけで人って変われるんです。 / い物る、 齋藤優生 S ait 0 u Yuu 走いも 疾てか カつだ 全な何 き事ル 向」ン ろるヤ ジ てる 人書て をいい 歳辯墻な 寝 6 3 は人て 住段本っ 在普 阪。が分 大中るう 運命の一日がテーマ、という事でこれは困りました。 というのも私には人生において運命の一日と呼ぶべき日がそ もそも思いっかないからです。どれ程いい加減な人生を送って きたのかという声が聞こえてきそうですが、実にその通りです ( 赤面 ) 。 運命といえばやはり定番は進学・就職・結婚、子供がいるな らその子の節目に関わるようなものを挙げるのが無難なやり方 でしようが、あいにく私は高校受験は実に投げやり、大学は 5 回受けたのでどれが運命だか分からず就職活動はまともにしな かったので合格通知や入社式とも無縁、とどめに未婚なのでそ の方面は全滅です。いっそ大病や大怪我でもしていればその切 り口から運命を覗き見ることも出来たかもしれませんが傷病歴 も特になし。 このままでは本題に入れぬまま文字数制限を越えそうで焦る 0