ーキンスの例にならい、医療産業 て殺到した。主要なべンチャー・キャピタルはすべてクライナ 1 をターゲットとするファンドを立ち上げた。ハンプレクト・アンド・クイストやロバートソン・スティ ープンスなどテクノロジー専門のプティック投資銀行も、遺伝子工学、製薬、医療機器に詳しい調査チ ーム、コーポレート・ファイナンスチームを構築して追随した。 こうして、猛烈な勢いで資金面での支援が得られたことで、バイオテクノロジー分野の新興企業が何 千社も生まれ、そのうち数百社が株式を公開した。だが、資金過剰のプームの常で、バイオテクノロジ ー産業の内部でも自然淘汰のプロセスが生じている。 本章では、今日のインターネット・バブルの前触れとして、一九八〇年代後半から九〇年代初頭にか ・バブル」に注目する。公開市場における投資家は、利益も けて生じた、大きな「バイオテクノロジー レ 売上高もなく、それを実現するには長期にわたる研究を必要とするコンセプトだけのバイオテクノロジプ ー企業になぜ投資したのか。まず、バイオテクノロジー産業の誕生と、少数の企業の成功が業界全体に 対する希望を高めていった様子を見ていこう。その過程で、著名な教育機関であるポストン大学が、ガ 6 ノ ク ンの治療法候補に多額の資産を賭け、そのツケを払わされた経緯を紹介する。 バブルという金融市場での前例が、その後、ゲーム・テオ ノイオテクノロジー・ 何よりも大切なのは、ヾ クノロジ 1 企業のなどの情報テクノロジー企業 ( のエピソードも後に紹介する ) や、今日 のインターネット・バブル企業にも受け継がれているという点である。 0 2
プ。。ーグーアマゾンとヤフーの物語 序章 ネットパプルのマネーゲーム , インター、不ット・ブーム 流れ込む膨大な資本 テクノロジーの〃金ピカ〃時代 では、ヾプルが弾けるのはいっか インターネット熱狂時代 新たな狂乱プーム インターネット企業による— O ヾプルの価値
「インターネット・バブル」の世界にようこそ。この世界をリードするのは、何千社ものインターネッ ト関連新興企業を経営する、がむしやらな新世代の起業家たちだ。その多くには、べンチャー・キャピ タルの資金が注ぎ込まれているか、最近の新規株式公開 (—P-O) によって得られた資金が怒濤のよう に流れ込んでいる。この世界の評価すべきことといえば、インターネット・プームがまさに現実のもの だという点だ。電子ハイウェイにうまく乗り入れた企業は、テクノロジー産業を変革し、その過程で質 の高い雇用と現実的な富を生み出している。評価できないところは、インターネット企業をめぐる熱狂 によって、べンチャー・キャピタル、インターネット関連の新興企業、そしてネット関連の— O があ まりにも増えすぎ、非公開・公開企業とも、市場での評価額が常軌を逸したレベルにまで跳ね上がって いるという点だ。筆者たちの試算によれば、一九九五年のネットスケープ以降に株式を公開したインタ乃 序亠早ーーーネットバ。フルのマネーゲーム これは、おめでたいカモどものゲームだ ビル・サールマン ( ハ ード・ビジネススクール )
投資プームが続いている間、一般の投資家は、現在投資している企業が足場を固め成熟に至るまでに どれくらいの時間が必要か、つい忘れてしまいがちだ。「公開市場で熱狂的になる投資家は、結局のとこ ろ、業界全体のために彼ら自身が得べかりし正味資産を犠牲にしてしまう。もっとよく事態を把握して いれば、そんなことは明らかに避けられた」と、マクナミーは一一一一口う。「投資プーム全体の調整がなされ、 貪欲な一般投資家が結局、犠牲になって、インサイダーのために資金を失う羽目になる」 もう一つ危険なのは、バブルの最中の生活において、プームに浮かれた投機家がつい使いすぎや借り すぎの状態になってしまい、クレジットカードその他の債務が蓄積し、バブルが弾けると、あっという まに泥沼の状態に陥ることだ。現在、株価が上昇するにつれて、消費支出ならびに債務とも増大してい る。個人所得に対する債務の比率は、一九七三年の五八 % から、八九年には七六 % 、九七年には八五 % に上昇した。クレジットカード債務残高の合計も、一九九〇年の二四三〇億ドルから、九七年には五六 〇〇億ドルに増加した。米国の家庭は、平均七〇〇〇ドル以上のクレジットカード債務を抱えている。 一九九八年には六八世帯に一世帯の割合で個人破産を申請、これは八〇年の七倍の数字だ。 その一方で、インサイダーは、非常に投機性の高い昨今の環境を巧みに利用しつづけている。投資ブッ ームがインサイダー優位に拍車をかけている場合もある。投資銀行口ヾ ートソン・スティープンスの社一 長兼 0 O マイケル・マカフェリーは、一九九六年、「レッド・ ヘリング」誌のインタビューに応えて、不 こうした公開市場でべンチャー・キャピタルが演じるゲームの本質について、無遠慮に語っている。「自章 前の資金だったら、こんな価格で企業に出資しようなどと思うべンチャー・キャピタリストはシリコン っ 0 ハレーにはいないだろう。プロは、そんな馬鹿はやらない」と、マカフェリーは言い切っている。
ハンプレクト・アンド・クイスト (=zc) が提供しているテクノロジ 1 株価指数 ( 新ページのグラフ ) の二〇年間の動向を見て、一九八〇年代の市場の変動を観察するのが一番分かりやすいだろう。一九九 〇年代後半に指数が劇的に上昇しているのは、一一一一口うまでもなく、本書の冒頭で説明しているように、イ ンターネット・バブルによるものである。 ネットワーク企業ーーー破綻しなかったプーム バブルの最中には「他の羊の後についていく羊」型の行動が見られたが、これときわめて対照的 なのが、シスコシステムズなどネットワーク関連の新興企業へのべンチャー投資で、こちらははるかに 計算ずくで理にかなったものだった。当然ながら、これらの投資は、べンチャー・キャピタル、一般投 資家とも、あまり熱狂的ではなかった時期に行なわれたものだった。 「最初のうち、ビジネスは何も問題を解決してくれなかった。単に、新たな成長市場を垣間見せて くれただけだ。だが、が何らかの形で使えるようになれば、次はコンピューター同士を結びつける のが自然な流れだ。シスコが登場したときは、ネットワーク化のためのソリューションが切実に求めら れていた」。こう語るのは、シスコに早くから投資していたドナルド・ヴァレンタイン。「ソリューショ ンになる製品を持っている企業、それがシスコだったんだ」 一九九〇年二月にシスコの株式公開を担当したモルガン・スタンレーのチームに参加していた、ビル・ プレイデイも同じ意見だ。「 ( 株式公開の ) 目論見書を読めば明らかだった。まったく新しい製品だった。
インターネット・バブル時代の需要と供給の連鎖では、べンチャー・キャピタリストは供給側にいる。 一九九五年八月のネットスケープによる— o 以来、べンチャー・キャピタリストは何百社ものインタ ーネット関連の新興企業に何十億ドルもの資金を注ぎ込んできた。筆者たちがインターネット・バブル 試算の対象とした一三三社のうち、すべての企業が何らかの形でべンチャー・キャピタルからの資本を 受け入れている ( リストは、付録 o もしくは http://www.redherring.com/internetbubble を参照のこと ) 。 べンチャー・キャビタル業界でのインターネット投資に火がついた原因の一部は、そのゲームに参加 する投資家が増加したことである。一九九〇年代のごく初期から、巨大な公的年金基金が巨額の資金を べンチャー・キャピタル投資に回しはじめた。といっても、現実にはそれを責めることは誰にもできな 。平均的なべンチャー・キャピタルでは、投資収益率が三〇年間で実に二三 % という驚くべき割合に 達している。過去五年間、最も業績の優秀なファンドは五〇—一五〇 % の利益率を達成しているのだ。 これだけの途方もない数字を見せつけられれば、最も穏健な機関投資家といえども食指を動かさざるを べンチャー・キャピタルは、過去に類を見ないほど活発に活動し、かってな い高い価格に膨大な資金を注ぎ込んでいる。インターネット・プームの今、 彼らの活動の対象はいくらでもある。 ロジャー・マクナミー ( インテグラル・キャピタル・パ ートナーズ ) 2 6
区別する。「大規模なプームによって資金を獲得し、大きな革新をもたらした産業の例は過去にたくさん 見られる」と彼は言う。「私たちは、何か新しく、これまでとは違うものに対する投機が好きだ。それは、 私たちの遺伝子に刻み込まれた性向である。運河であれ鉄道であれ、あるいは自動車やコンピューター あるいはインターネットなど、素晴らしい新テクノロジーが生まれると、誰もがその動きに一枚噛みた くなる。起業家の活躍には、投機的な行動が付きものなのだ」 だが、その一方でマクナミーは慎重な解説も加える。こうした投資プームは、新たな産業プームの最 初の三 5 五年にわたって生じるのが普通だが、この時期には資本がかなり無差別にその産業に流入する。 上昇局面では、こうした資本の流入によって創造性が急激に発揮され、新規市場の発展が加速され、米 国はトップの座にとどまりつづける。だが最終的には、ダーウインの自然淘汰論のようなプロセスが始 まり、持続可能なビジネスモデルを持った企業だけが生き残り、圧倒的多数の新興企業は破綻し、事業 から撤退する。 自動車、鉄鋼、運河など過去の産業プームの際の投資家は、皆、大口の投資家であり、巨額の資金を 無数の企業に注ぎ込んだ。二〇世紀の最初の一〇年間に誕生した自動車メーカーは、フォードも含め五 ハソコン・プームの場合 〇八社を数える。だが、現在でも残っているのはほんの二—三社にすぎない。 も似たようなものだった。インターネット・プームの場合は、富裕な個人出資者や機関投資家、さらに はディ・トレーダー〔訳注【パソコンを操って一日に何度も売買を繰り返す在宅投資家・までが参加し て何十億ドルものリスク・キャピタルを提供しており、過去のプーム以上の資金が出回っている。「資金 量のレベルも企業形成のレベルも、急激に上昇している。実に驚くべき状況だ」と、ビル・ゲイツも話
投機という形で、同じような熱狂が繰り返された。最終的には、一九世紀末に相次ぐ鉄道会社の倒産に よる損失が総額三〇億ドルまで膨れ上がり、鉄道株の多くは購人価格を下回るか完全に無価値になった。 同じ頃、米国ではカムストック鉱脈のシルバ ー・ラッシュが起きている。歴史家のオスカー・ルイスは、 カムストック熱狂について次のように書いている。 カムストックの銀鉱脈は、ある種の全国的な鎮痛薬になった。あらゆる夢がかない、幻想が現実 になる場所に逃げ込む確かな道だったのである。国内の至るところで、何百万人もの人々が信じて いたーーチャンスとわずかな幸運さえあれば、富と権力、名声という幻想が確かに現実になるのだ、 と。かってないほど霊験あらたかな、望みをかなえてくれる井戸が国内に誕生したのである。 銀関連の株式に人々が一斉に群がった後、最終的にこのプームは崩壊し、平均的な投資家は大損を被 った。富を得たのはインサイダーだけである。ルイスは、次のように結んでいる。 何千人もの人々が、株取引による膨大な損失を抱えて貧困に沈んだ。影響の範囲が非常に広く、 また苦痛に満ちたものだったため、世間では次のように結論せざるを得なかったーー・カムストック 投機はほばすべての人にとって敗北が決まっていたゲームであり、例外は、鉱山での生産をコント ロールしていた者と、生産見込みについて最新の情報を持ち、一般の人々に先立っていっ株を売買 すべきかを知っていた少数の者だけだった、と。カードの山がそもそも自分たちに不利なように切
られていたのだという理解は、困惑と希望を抱えた何千人ものギャンプラーたちの間に、ゆっくり と広まっていった。 二〇世紀に入っても、一九二〇年代のフロリダでの不動産プームや株式市場の過熱など、投機的なプ ームが見られた。どちらのケースでも、一夜のうちに一財産築いたというエピソ 1 ドが数多く流布され、 素晴らしい不動産、急成長企業、成功確実な株式投資のコッといった噂が絶えなかった。 だが、一九二七年になるとフロリダの土地プ 1 ムは崩壊した。にもかかわらず、ウォール街での株価 は上がりつづけ、人々は株を買いつづけた。「投資した企業の運命にすがっているにもかかわらず、その 企業について少しの知識もないまま、何千人という投資家が投機を続けた」と、歴史家のフレデリック・ ルイス・アレンは書いている。あらゆる種類の人々が株式市場に手を出した。それは全国的な狂乱プー 弋 ムであり、いつまでも続くものと誰もが考えていた。当時最も高名だったエコノミストの一人である、 エール大学のアービング・フィッシャーまで、その投機熱に完全に囚われていた。暴落直前の一九二九 年秋、彼は、「株価は、恒久的に続くように思われる高水準に達した」と語っている。 ネ タ ン イ 新たな狂乱プーム テクノロジー分野のべテラン投資家ロジャー ・マクナミーは、何かしら持続する産業ならびにテクノ ロジーに関わるプームと、最終的には水泡に帰すチューリップ・プームのような単なる熱狂とを好んで引
2 章 弾み買い投資家 少ない浮動株 記録破りの— O すべてはネットスケープから始まった インターネット企業予備軍の奇妙な実例 「カウポーイ」のような べンチャー・キャビタル べンチャー・キャピタルの先駆者たち シリコンバレーでの初期の成功例 世代交代 一九八七年のプラックマンデーの教訓 シリコンバレーのバカ騒ぎは続く 投資プームとその破綻 ネットワーク企ーー破綻しなかったプーム