天皇 - みる会図書館


検索対象: ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い
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1. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

そして、民主主義の理論そのものを 用意したのも武士であった。 / 明治維新に際してい 明治天皇ガ天地の神々に / 誓うという形で示した 政府の基本方針である「 小楠は文久 2 年 ( 1862 ) 、 「五箇条の御誓文」の第一条に一 ばんきこうろん 万機公に決すべし」、、 こ。、ヘ ~ 「大いに言路をひらき 天下とともに公共の政をなせ」 とあるゞ これこそ々 「」れが日本発祥の ~ ? づうネ・ 日本の民主主義の原点である。 民主主義の萌芽 (-)i 言ってよぐ、 坂本龍馬はこれを参考に せんちゅうはっさく 御誓文の草案を書いたのは 「船中ハ策」を書きの ゆりきみまさ 福井藩士・由利公正であり、 その第一条は草案では 「上下議政局を設鱒。で みとク阜オ , - り 議員を置きて 「万機公論に決し、 万機を参賛せレ、、 私に論するなかれ」 だった。 万機よろしく - →手・ 公議に決すべに事」 ' とした。 洋っ由利は幕末維新の思想に 決定的な影響を与えた しようなん 熊本藩士・横井小楠の 門下生である。 ノ、 三ツを 254

2. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

さらに明治憲法について、 「その根本に、主権は天皇に」 , 存するという考え方があった とする一方「 「新憲法では、主権は国民に ある。国民が最高のは , 政治的糶力を持「ゞの一 「天皇は、単なる象徴であ 9 て なんらの政治的権力も オナ .0 と書いている。 天皇については 「単なる象徴」 「象徴的行為にすぎない」 という表現が繰り返されて いるのだ。 1- わしガ『天皇論』で批判した、 天皇は「単なる象徴」にすきす、 「国民主権」だガら、 天皇より国民の方が偉い という感覚も、 「明治憲法は天皇主権だった」 というテマも、 この教科書に始まるもの だったのだ。 明治法ま 国民な呈こ ヒドーがあり、 それ , ) き , でした / 日本書法戦後の スパラシ法権の 囲年近く戦ってきて、 要するに、わしか 『戦争論』や『天皇論』をようやく国内の「空気」を いくらかは改善できたかと 描いて戦ってきた敵の 思っていたところに、 原点は、この教科書 若い世代々こともあろうに たったと言っていし 占領期の Ora 洗脳教科書に 感銘を受けて復刻版を 出してしまうのだから、 途方に暮れる。 々 9 ー← 267

3. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

天皇は民のガまどを 「治ス ( シラス ) 」存在である。 「治ス」という概念は、日本独特の もので、井上毅はそれを意識して、 憲法草案では、これを使ったのだ々 一般庶民はこの = = 〔葉を知らないん じゃないかということで、 「統治ス」という言葉に変えた。 「天皇之ヲ統治ス」となると 天皇ガ自ら支配するような 誤解を招く々そうではない。 大日本帝国憲法は実は 「天畠主権」ではない / ますこのことから常識に していかねはならないのだが、 いつまで経っても勉強しない 知識人やマスコミ関係者は、 「明治憲法は天皇主権だった」 と言い募る。 今後はこういうデマか 出てきたら直ちにネットで 批判してほしい。 191 っこ 年 ( 大正元年 ) 「天畠機関説」論争ガあった。 主権は天皇にあると主張したのが、 うえすぎしんきち 上杉慎吉らの法学者だった。 主権は天皇にはない、 法人たる国家にある、 天皇は最高機関であると説いたのが、 「法学者の美濃部達吉である。 ? 、心。「美濃部の説に対して、 上杉らガゞ、 「天皇を機関とは何事か / 不敬だ / 」と非難したのだ。 この論争は美濃部の 圧勝だった。 「現実に統治権は 誰にあるか ? 天畠は独裁者か ? 」 という美濃部の問いに、 上杉は答えられなかったのだ。 299

4. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

戀の政府は 戦争を選んだ 国民もマスコミも 載争を選んだ。 国民投票をすれは ) 戦争賛成が圧倒的だった はずだから、これが淞 ~ 民主主義の選択だろう。 立憲君主である天皇は 憲法に従う身だガら、 戦争を阻止する「主権」 など持っていない。 この政治の結果を 天皇が負う資任はない。 無答責なのだ。 天皇は常に平和を祈り、 国民ガ気にガけない 社会の弱者に 心を寄せてあられる。 日本の天皇と 西欧の王権は、 歴史的に全然 違うものだったのである。 0 民主主義も、国民主権】 = = = = 「西洋ガぶれ」の一 = 我々日本人にとっては「 制度として 受け入れておけばいいのだ「 は物ま財物尉製 305

5. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

一ミ一洄 変なことを、 - 天皇は、 「向こう三年、を見ず」 笋仰言いますね。 宮垣が崩れ、 と詔をされた。 , 、・ 屋根が礰れて いるのに、 富んだなどと : ・ それから天皇は、。、を 政事は民を 本としなければ 衣を新調さす、。一 かやき ならない 修理もされす、 その民が 富んでいるの 見える有様となっていた、ド たカら、 朕も富んだ 3 年が経ってー 天皇が高台に出られて、 ことになるのだ。 炊煙が盛んに立つのを′ ご覧になり、 皇后に申された 2 のばりて見耙ば 0 ~ ン ~ ル ちん 朕はすでに富んだ。 喜ばしいことだ。 おっしゃ

6. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

けれども天皇は 子供の 6 人に 政府や官僚が 政府も官僚も、 1 人が飢えている「治す ( シラス ) 」存在として、 利益団体を優先 果たして 国民を見守り、 状況では、 したり、富裕層 「公」のための 「公」の政治ガらは常に「公」のために だけを富ませる 政治を行う 祈ってあられる。 「公務員」か否か政治を行っている・遠 < 離れている だろう。 のなら、それは わからない。 「公」のための 政治とは = = 0 えない。 天皇一 J そは 「公」の体現者なのた。 だガら政治家の考えとは ズレてしまうときガあるド , は明治・大正・昭和の天皇も 今上天皇も、基本的には 戦争に反対の立揚である。 物「四方の海みな同朋と思ふ世に ーなど波風の立ちさわぐらむ」 , 四方の海にある国々は、 みな兄弟姉妹と思う世に、 なせ戦わねばならないのガ・ : 、 00 00 ・恥・トミー第いー亨 こ至日昭明ー れつ米和第 をた開天天 詠と戦皇皇 まやはの 第区ら 304

7. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

この憲法の草案では、 いのうえこわし 井上毅はこう記述している。 大日本帝国ハ万世一系ノ 天皇ノ治ス所ナリ 「治ス」とは「シラス」と読み、 古事記に出てくる古語である。 「治ス」とは「お知りになる」、 政治・経済・社会・国民全般のことに、 公平に目を通している、という意味であり、 天皇の公共性を表す言葉である。 「治ス ( シラス ) 」の反対は 「領ク ( ウシハク ) 」と = = うて、 「支配する」という意味である。 ヨーロッパの絶対王政の頃は、 王が「ウシハク」時代だったのだ。 シラ ノノれノ いじ占一 ら 9 ) を一 ヾ「 0 日本において、 天畠が民衆を「ウシハク」 ( 支配する ) ま 存在だったことはない。 天皇は、ヨーロッパのように、 人民を支配し、搾取して、 私利私欲と贅沢を 貪る絶対君主のような 存在だったことはないのだ。 ある日、仁天皇が なにわたかつのみや 難波高津宮から 遠 < をご覧になられると、 人々の家から 煙が上がっていないことに「。 あ気づきになられた。 0 むさぼ 民のかまどより 煙がたちのばら ないのは、貧しくて 炊くものがないから ではないか ? 都がこうなら、 地方はなおひどい ことたろう。

8. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

日本共産党は 28 ↑ 6 年 ( 平成年 ) 1 月 4 日召集の、 天皇陛下ご臨席の通常国会開会式に、 初めて出席した。「 ) 今まで、高い位置ガら天皇ガ あ言葉を述べるのは「主権在民」 「国民主権」の原則ガらして、ー ' ーーーー」 ' あかしいと主張し、国会開会式をー、 , = 、」し」」 = 、 = 、 , 。。、。、・。一一 ホイコットしてきたのだ。 : 、 ' , / ー - 《ー 1 ・、 , ーレ 天畠がいること自体が 民主主義でないと考える 左翼は今もいる々 それはフランス革命に ガぶれているガらであって、 議会制民主主義の国 イギリスには今も 王室かあるではないか / 独未社帝ロ民廃逆 裁だ会政シ主止に 色に主をア主し革 か民義廃も義た命 強主崩止革は中で く主壊し命な国王 な義後たでいに制 。はを ぞ柴もな 、徹 る 。底 で 日本の国会召集は、 憲法第 7 条で規定された 第、、天皇の国事行為である。 そもそも「主権」なるものガ 一人一人個別の国民にある なんて、ナンセンスだ。 「統合された国民にある」 と解釈されるべきだろう。 その「統合された国民」を 体現し、象徴するのガ 天皇なのだガら、 天皇ガ国会を召集するのは、 国民ガ召集したも同然′・ 今まで共産党は 憲法に違反してきたのであり、 国民を侮辱してきたのだ。 、このような共産党の倒錯も、 「君主をなくしたら民主主義」 , まという幼稚な迷信を 信じ込んだガらである。 日本もイギリスも 立憲君主国家である。 フランス革命ガぶれガらは 卒業した方ガよい′・ 294

9. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

美濃部は「神聖不可侵である 帝国憲法条に、 陛下を危険にさらすつもりガ ? 」 「国政は国務大臣が輔弼し、在総 ~ ~ , と迫って、上杉をノ その責任を負う」とあり、 と完全に論破した。 したガって天皇は政治責任を堺 ( 、・ 問われることはない。′学・一齏 ~ ~ 、。 これガ「神聖不可侵」の は聞論 真意である。 旻め ~ つまり現在の日本国憲法の 〕この「神聖不可侵」という な政犧言葉がまた、今どきの人々には 「象徴」と同じ意味合いなのだ。【 - 一ら・ 秘呉解されているようだ。 美濃部の説は 1935 年 ( 昭和年 ) の ル = 々「え = = 機関説事件」で葬られる々 叭ロ自支 昭和天皇は明確に「天皇機関説」を 大日本帝国憲法第 3 条の 支持していた。 1 「天皇 ( 神聖 = シテ侵ス ~ カラス」 , 一、二 君主主権と国家主権の 明というのは、 争いてあるが、 。「神のごときだから侮辱するな」 ア自分としては国家主権の 第明という意味ではない。 方がよいと田 - つ。 ヒう国 天畠の「神聖不可侵」とは、 またそうてはないとしても 《単に「天畠の無答責」を 日本のような君国一体と 新規定する言葉である。 なった国ならは、 一どちらても大差はない。 完訴 このような小さな争いて 美濃部ほどの男を 葬るのが惜しい。 7 ほひっ ミみ

10. ゴーマニズム宣言SPECIAL民主主義という病い

そもそも戦前までは、 「主権」は国家にあるとする みのべたっきち 美濃部達吉の 「天畠機関説」ガ 憲法学界の主流だった。 「主権」は法人としての 国家にあるとして、 天皇はその最高機関として 統治権を行使するという 美濃部の学説は、 わしにはすごく術に落ちる。 「国民主権」という概念は、 実は戦後、「占領期」に、 oxa ガ日本人を 洗脳教育して、 普及させてしまったものだ。 「民主主義」という ありがたい価値ガある、 これは世界に普遍的な すはらしい価値である、 国民一人一人、個人が 主権者としての中に 民主主義を育てなければ ならないと、宗教的教義を 日本人に植え付けてしまった。 日本国憲法ては、一 ( 受曇」臀 0 、 第 1 条【天皇の地位・国民主権】 天皇は、日本国の象徴であの オレ主権者 日本国民統合の象徴であって、 了っ / この地位は、主権の存する オレ、天畠より 日本国民の総意に基く。。 えらいんじゃね ? : となっている「、を = これで学校の先生は・ などと勘違いする 「国民主権」と教えるのだ。一、 者も出て < る。 大日本帝国憲法では、 第 1 条 大日本帝国ハ万世一系ノ 天皇之ヲ統治ス ・ : となっている。 この「天畠之ヲ統治ス」を読んでら 戦前の憲法は「天畠主権」つた ~ と多 < の者が = = うわけてある : ) 第 だがそれは「統治」の意味を / 、 間違って解釈しているからだ / を 7 295