スタッフ 料理岸田周三 ( カンテサンス ) 写真野口博 ブックデザイン鈴木成一デザイン室 構成岸端みな ( よしりん企画 ) 作画広井英雄・岡田征司・宇都聡一・時浦兼 ( よしりん企画 ) 編集志儀保博 ( 幻冬舎 ) 著者紹介小林よしのり 漫画家。昭和一一十八 ( 一九五三 ) 年、福岡県生まれ。 昭和五十一 ( 一九七六 ) 年、大学在学中に描いたデビュー作『東大一直線』が大ヒット。 昭和六十一 ( 一九八六 ) 年に始まった「お・ほっあやまくん」が大ブームに。同作品て小学館漫画賞受賞。 平成四 ( 一九九一 l) 年、「ゴーマニズム宣言」の連載スタート。 以後、「ゴー宣」本編のみならず『戦争論』『沖縄論』『靖國論』『いわゆる級戦犯』 『天皇論』『昭和天皇論』『新天皇論』『国防論』『大東亜論巨傑誕生篇』『論』『新戦争論—』といった スペシャル版も大ベストセラーとなり、つれに言論界の中必てあり続ける。 戦後七十年の平成一一十七 ( 二〇一五 ) 年、戦場の戦慄的リアリティを現代人に突きつけた フィクション『卑怯者の島』を発表。 平成一一十四 ( 二〇一一 l) 年よりニコニコチャンネルてプログマガジン示林よしのりライジング」配信を開始
? ーこれに対する不満から、 1905 日、 / っ 0 戦死者の遺族や、戦費出の計 、 " ための増税に苦しんできた 日雇い・人足・職人ら ~ , ↓ 暴動を起こ長・ - 「日比谷焼き討ち事牛」 である。、 」イ 一 ' 、「・ , 「」れが横浜・神戸・大阪などのい 広大都市に連鎖していド。」」・・ド、。ー・ 「議会制」は幕末ガら 理解されていた々 「政党制」を受容し、 成熟させていく過程々 大正テモ 2 フシーの 時期だったということが いえる。 日本人が完全に 「国民」になり、 政治参加の意欲を 出したのは 「日露戦争」が 原因だった。 政府が戦費調達のため 大増税をして、 国民を軍事的に 関与させたために、 「ナショナリスム」ガ 生まれ、これガ 「大正テモ 2 フシー」の 土壌になった。 だが、日露戦争興 ホーツマスで締結されたへ 講和条約で 0 日本は戦勝国である にも拘わらす、賠償金をー 受け取ることがを できなかった。 政府は腰 じゃーっ′ . 講和反対′・ 戦争を継続 レろーっ′ . 一三ロ 0
さらに明治憲法について、 「その根本に、主権は天皇に」 , 存するという考え方があった とする一方「 「新憲法では、主権は国民に ある。国民が最高のは , 政治的糶力を持「ゞの一 「天皇は、単なる象徴であ 9 て なんらの政治的権力も オナ .0 と書いている。 天皇については 「単なる象徴」 「象徴的行為にすぎない」 という表現が繰り返されて いるのだ。 1- わしガ『天皇論』で批判した、 天皇は「単なる象徴」にすきす、 「国民主権」だガら、 天皇より国民の方が偉い という感覚も、 「明治憲法は天皇主権だった」 というテマも、 この教科書に始まるもの だったのだ。 明治法ま 国民な呈こ ヒドーがあり、 それ , ) き , でした / 日本書法戦後の スパラシ法権の 囲年近く戦ってきて、 要するに、わしか 『戦争論』や『天皇論』をようやく国内の「空気」を いくらかは改善できたかと 描いて戦ってきた敵の 思っていたところに、 原点は、この教科書 若い世代々こともあろうに たったと言っていし 占領期の Ora 洗脳教科書に 感銘を受けて復刻版を 出してしまうのだから、 途方に暮れる。 々 9 ー← 267
敗米 れ国 戦ト 物 WAR NC WA 日清・日露戦争に勝って、 やっと一等国と認められ、 米国との不平等条約を 解消したのだな : その後の戦を誤り・ : のショックガ あまりに強すきて ( Ⅲ〕 ( 〔 ~ 戦後の日本はー・ - 「ドレイの平和」をⅡ匚 平和がずっと 続いてきたのは 憲法 9 条の おかげだー / 憲法 9 条に 丿ーベル平和賞を 戦争反対 / 專疉住 、き家に帰ったら ご飯を作って 待っている お毋さんがいる 幸せが 平和よーっ / この奴隷たちは、 第米軍が日本を 守っているという 事実から 目を背ける。 PEACE 。 NO WAR 戦争法 絶対反、 の 0
小林よしのり「民主主義という病い」愛読者カード ◎本書をどうやってお知りになりましたか ? ( 例 : 書店店頭で見て、〇 0 新聞広告で、プログで、雑誌「 SA 円 0 」で、 ◎小林よしのり氏へのメッセージをお寄せになってください。 インターネットで etc. ) ◎ご購入日はいつですか ? ( 平成 年 月 日 ) ◎お読みになったスペシャルシリーズは ? 〇でお囲みになってくださ 戦争論戦争論 2 戦争論 3 昭和天皇論台湾論沖縄論 国防論反 TPP 論脱原発論 卑怯者の島 し、 「個と公」論天皇論新天皇論 靖國論いわゆる A 級戦犯パール真論 A K B48 論大東亜論新戦争論 1
~ こイト 、」のときアテナイは、 = 葮櫂船 ( トリエレス ) に 200 名の漕ぎ手を乗せ、 》第 ; 合図に合わせて一斉に , 櫂を漕ぐ戦法を取って 、勝利した「 アテナイが ギリシア世界の 覇者となったのは、 「あ「海軍」が軍事の 主流になったからだ。 軍事の革新が 民主主義を 当 , 徹底させたのだ / ・、それまで責族が陸軍でー・ 「重装騎兵」として戦争を 担っていたのだ々 海軍で「櫂船」によって測い。言一 最下層の市民でも 漕き手として戦争に 参加できるように なったことで、 下層市民の発言力が 高まったのである。 ー 76
わしは「平和」を 維持するために、 自国の領空・領海を 完全に「平定」する 自主防衛体制を とるべしと 言っているのだが。 逆に左派の人たちは、 「小林よしのりの『戦争論』が 今の日本を右傾化させ、 ネトウョを生み、 安倍政権を生んだ」と一一ちて 批判してるけどね。 確かにわしは『戦争論』で ナショナリズムを復活させた。 祖国のために戦って 命を捧げた祖父たちを一一 たた 尓 - んこ。 歴史ある国は 死者も民主主義に参加 させねはならぬからだ / るト ) ・も . なは一一するとも でも右派の人たちは、 どうしても米軍に 「平定」してほしいと 言うのよね。 アメリカなしで 日本は守れないと 言っている 、 3 イ の 0 まったく 底なしの バカだ′ . ー 42
、「分~@A 0 連絡を受けた マリー・アントワネットの 祖国オーストリアと、 革命が怖い プロイセン ( のちのドイツ ) ガ 「ルイ世の地位を 保証しないと、戦争を しかける」と脅迫。 1792 年 4 月囲日、 こうして外国の千渉を 断ち切るべく、 フランス革命戦争ガ′ 勃発した。 フランス革命政府は 反対にオーストリアに 宣戦市告をする。 これを受けて プロイセンが フランスに 宣戦布告。 ところガ軍隊の主官は 貴族たちなので、 ) 平民のために戦う ◆気にもならす、 負け戦さが続く。 そこで革命政府ガ 「祖国の危機である′・」 と各地に呼びガけるとヾを ( 全国ガら義勇兵ガま そくそくと集まってきた。、 このとき、 義勇兵が歌った - ラ・マルセイエーズガ 国歌になったのだ。 000 - をに洋物 - 第い第 , 。ー三そみい一 96
この時の恐怖政治を 「「 Q)3 「」と言い、 現在の「テロ」の語源である。 人′ン一 、、第ーを住そして口ベスピエールと ~ ー第第、卸腹サン " ジュストらを 逮捕。 冫 , このワーテターを 戦乱は収まったものの、 いつ自分ガ殺されるガ わガらない議員たちはス たくらみ・ : ロベスピエールは 対外戦争と内乱を いったんは終結させた。 本来、権力が暴力 少数派を圧するイ 0 0 0 1794 年 7 月日、 クーテターを起こした。な 暴君を倒せ /
「私的領域」は 女・奴のものだ「た。 橋場弦氏の『丘のうえの民主政』に こんな的確な記述がある 「ポリス市民にとっては、 公の仕事に従事すること こそ男の花道であり、 そこで名を上げることは 無上の名誉であったのに対し、 自分の家のこと、すなわち 日常的な私の領域だけに 沈潜することはむしろ 恥すべきこととされた。」 古代のポリス ( 都市国家 ) では、 「公的領域」は 市民が担うものであり、 「奴隷」は ' ノ戦場で捕虜になった者、 海賊に誘拐された者、 教養のある者もいて、 市場で売買され、 奴隷の子は奴隷になった。 市民は奴隷に 労働をさせて、 余暇を作り、 政治を語り、 , 「民会」に参加し、 0 そもそもボリス市民 ? 〔ー ~ 、。一 民主政を支えていたものは 「奴隷制」だった。 戦争という「公的領域」に 参加していたのだ。 ー 98