私達 - みる会図書館


検索対象: フリーターズフリー 02号
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1. フリーターズフリー 02号

て体の「痛み」って別に意味がないじゃない ? そのこと ハンを食べる、本を読む、歩く、そのひとつひとつもろ〇 4 に私は耐えられなかったのかもね。 くろく私達は理解していないのだ。 ふふふ。私、優等生ではないはずなのに、どこまでも意 このパンはどこの産地 ? どんな流通で手元にくるの ? 味を求めている。痛みにもしかしたら「意味」はあるかもこの足元の靴はどこから来ている ? 愛用のナイキのス しれないけれど、変に意味をつけようとするあたりが、ほ ニーカーを作っているのはどんな工場 ? 本はどこからど んとうは何にも考えていないくせに目先の「意味づけ」ばんなふうに私達の手元に来ているの ? そんなことの一つ かりしようと、孤軍奮闘している「優等生」みたいだね。 一つを「分かった」かのように過ごす私達は、実に「くだらな うん、私は苦しい。だけど、なにせ「痛み」を感じ始めい」ことで悩んでいるのかもしれない。もしほんとうにくだ たばっかりだから、それがとっても辛くて、辛くて仕方が らないならば、そのことが真に晒されたときこそ、そのと ない。分かってなんかいない、ただ苦しいだけ。 きこそ、ほんとうに社会が変わっているということなのだ。 ああ、どうかどうか私達が、私達の悩みが仮に「くだら 本当は、別に何一つ進んでいないのかもしれない、何一 ない」ことが明らかになっても、どうかそれがちっぽけで っ彼女達も、社会も、私も変わっていないのかもしれない。あっても大きなものであったとしてもきちんと「分かる」 だけど、いまこうやっていることが、この苦しみの立体的日が来るように。 な図式が、きっと「分かる」日が来るはずだと思う。私達 こうやっていることが、どんなことなのか、きっと「分 はその頃死に絶えているかもしれないし、そうやって「分かる」日が来ると、私達が信じられるように。 かった」瞬間は、もう違う問題が注目されていて、そんな おそらく「分かった」瞬間には既に「変化」していて、し ことが「分かった」ところで、世間の耳目を集めることは かも「変化」した瞬間にはもう脱ぎ捨てられていく「悩み」 できやしないだろうし、実に実に「くだらない」悩みであなのだ。 るということが判明するのかもしれない。 もうそのときには悩みそのものが理解されないだろう、

2. フリーターズフリー 02号

がなくなったとしても、デ「プ」と「プ」スへの差別は性別 なかを漂っているのかもしれない。 を超えてますます、今の世に浸透している。 私はいつも彼女達を見ると、とんでもなく自信過剰に見 試しにインターネットでコアプ」「風俗」と打つ。一〇〇キえるときと、逆に、ほとんど卑屈と思えるような態度の両 ロ以上の女性たちの画像。満たしたいだけ世界を満たして極端に見える。イチかゼロか、どうにも中間がなく過剰な 見える堂々とした体躯。自分はデブの世界でも中途半端だ。 行動と価値観。しかしその過剰さこそが私が彼女達に惹か 一〇〇キロの肉を自分のからだでは「支えられない」。自分れたところかもしれない。 の脂肪であってさえも、私は持ちこたえられない、多分。 私自身が優秀な人間であれば、騎士のように彼女達を救 おうとするのかもしれない、そうしてふたりのうちのどち らかとほとんど恋愛に近いような友情関係を結ぶか、共依 私は、あるニ人の友達について話したいと思う : : : 。但存と一言う一言葉も真っ青な蜜月状態が生じるのかもしれない。 し相手が私を「友達」として認識してくれているかどうか だが、私も実にヘポく、ヘタレで、男子力も女子力も低 はわからない。私も彼女達を「友達」と呼ぶにはあまりにめなフリーターで、仕事の責任も与えられなければ、将来 下品な興味で話を聞いているような気もする。ただ彼女達もまったく展望が見えないというていたらく。一人暮らし のことが他人事ではない。それだけは確かだ。そして彼女のヒマジンで、どうやら時間だけは結構あることが、ほん 達の「生活」や「考え方」を私が知らずにはおれないところとうに唯一の特権かと思う。 がある。これは、あくまで私が関心を持ったニ人の姿であ あのニ人はいったいなんなんだろう、なんであんな行動 り、これから話すことが果たしてほんとうのニ人の姿かど ができるんだろう、なんであんな突飛なんだろう、なんで すが 彼女たちは私が思うよりもっと自信に満ちていあんなに人の情みたいなものに縋れて、だけど、自分にと るのかもしれないし、もしかしたらもっともっと生きてい ことん自信がない行動をしたり、自分で自分を貶めるよう くうえでの底が抜けまくっていて、私など知らない絶望のなことをしちゃうんだろう。こんなこと言ってたって仕方 1 ) 〇

3. フリーターズフリー 02号

きっかけで、そこで考え始めた頃に教会らえなかった。 金払いたくないからだろう」とか言われ 7 の信者さんを通して、メルセス会を知り木ロでもあるときからは給与体制が決たんですって。ある額以下だと控除にな〇 まり、動続年数に見合ったお給料が払わると言われたらしいのよね。それでびつ れるようになって、そのとき保険も払わ くりして、お給料を税金払わなければい れるようになったんですね。 けない額まで貰いましようと。でももち 「奉仕」活動から労働 そして事業体運営へ 栗田いっから給与体制が変わったんでろん、みんな同じ額ね。それは最近の話 すか。 よね。 真神戦争が終わって、日本が経済的栗田最近 というとどれくらい前のこと 栗田今は現役を引退されている方もい ると思いますが、生業としてはどのよう に落ち着いて労働基準法が制定されたですか。 頃 ( 一九四七年四月 ) から私達の生活が変松田二—三〇年前ね。 な仕事をされてきたのでしようか ? 松田「この給料じゃ好きな女性が出来わった。それまでは全くの「奉仕」で授真神ある時期は生徒達の制服を私達で てもプロポーズできない」とか、「結婚業を受け持っていない人達も、お掃除の縫ってたの。だから昼は学校で教えて、 ためにも学校に行っていたんだけれど。 できない」ということがあるじゃない。 帰ってきたら、毎日ボタン付けから、縁 だって学校は建てたばかりで、国から何の飾りから、穴かがりまで全部手で縫っ でも私達は自分の通帳や財産はないけれ 、病気になったら病院に行けるし、ちゃの援助もなかったから。戦後は本部 ( スた。今でこそどこかの制服屋さんに頼ん んと帰ってくれば美味しくご飯がある。ヘイン ) から援助を募って。 で、担当のシスターが注文を出すと思う 木ロあの頃はアメリカの進駐軍がいた けど、昔は私達がそういうこと全部やっ し、寝る部屋もあるし。 てた。 木ロ三人とも教師という職業だったんから、アメリカからの物資援助とかね。 松田全員同じ額の給料をもらっていた 木ロだから毎日夜なべよね。うまいと ですけれど、初めの頃はシスターである ということで、お給料の差別があったみのよね。低くても生活していける給料をか、下手だとかいいながらね。 貰って凄い良い事をしていると思ってい 栗田労働基準法が制定されて変わった たんだけど、 税務署からそのことで「税んですね。 真神給料は悪かったと思う。最初はも ーベリス・メルセス宣教修道女会第四修道院インタビューー

4. フリーターズフリー 02号

栗田でも税金だって共有の発想という昼間でも確かに感情がクローズアップ 4 されるというところはあるよね。普通の〇 栗田フリーターの問題で言えばそれこのが根底にある。全ての財産の共有とい そ稼ぎが少ない、自分で自分を支えられうわけではないとしても。年金などは企業だったらそこがクローズアップされ よい、そういう肩身の狭さというのはま元来は弱い者に分配されるという理念はることはあんまりないというか。 松田一三歳くらいの時にメルセス会に ずあるんですよね。自己責任が流布してあったはずでしよう。 松田健康保険みたいなものも全然使わ入ったのだけれど、「私は育てている側 いるといわれているけど、お金が稼げな です」とか「あなたは育てられている側 自立できないというのは自分を責めなければ、収めたお金のほうはいつばい てしまう大きな理由の一つでしよう。まお金が必要な人にいくという考えがあつです」とか何も感じなかった。第四修道 院のなかではそれはなかった。思い出そ たじゃないですか た、男性はお金を稼がなければいけない という社会的な価値観が働くとなお、自木ロ共有的な感覚は社会の中にも存在うとしてもそれはない。それが素晴らし しているし。 い価値観ということすら思わなかった。 分を責めるということがある。修道院は 木ロ私達、ぜんぜんそういう意識な 共有が大きな前提だから、仮に一杯稼い栗田シスターたちの生き方はやはり かったもの。今だったらあたりまえだっ で「威張っている」人が現れても「ああ威「共有」のところにウェイトを置いてい るのは確かだと思います。もちろんシスたかどうか : ・ : ・給料がいくらかという 張っているなあ」で済むというか ( 笑 ) 。 荒川「私の稼ぎで食べているんでしよ」ターたちの生き方全てが「共有」なんてのも知らなかったし。この手で貰ったわ という雰囲気は、今の話と通じるものことではないし、私達の生活も税金や社けではないですからね。 松田学校からここに入ってくるわけだ があると思うんですよ。「あなたは私の会保険等で共有的な部分を生きてはいる から、一切お給料を手に持たなかったか 稼ぎで食べている」と思っている人が同んですけれど。 性かそうじゃないかという違いがあって木ロそういった人間の大事なものを先らね。 も。だから、突き詰めていけばそういう 駆けて生きている、などといったらおこ木ロ最近になって・目分がいくらもらっ がましいんですけれど、暗示してはいるているかと言う給料明細書を見るように 意識を持っている人もいるわけですよ なってショックを受けたこともあります のかもしれませんね。 ね。

5. フリーターズフリー 02号

私は戻ろうとする。しかし、階段も何も降りた覚えはまっ 7 けば風景は、小さな頃育った海の広がるという名の町に なる。 I-L を上から眺め、私はマルノーチセンという名前のたくないのになんとここは地下深い、低い場所だったのか。 上へ、上へ、上へ。 モノレールに乗る。 黒いフォーマルドレスを絡げながら、転びながら、這い 「さあ、ミチコサンのお葬式だよ。」 声帯を痛めた、皺枯れた声。ミチコサン、その名前に吸っくばって、上へ、上へ、上へ。斎場は普通の部屋であっ い寄せられながら私は斎場に入る。ミチコサンの画像が次たはずなのに、気がつけば周りは土の壁で、まるで地下壕 から次へと立体的に壁に映し出される。若かりし頃の輝くからあがっていくようだ。 ようなロープ・デコルテ。デコルテから出ている鎖骨とニ 「さあ、戻ったよ。」 なび の腕、子どもを抱いた楚々とした姿、細く靡く髪の毛、憂地上に戻ってきた私に、あの皺枯れ声がまた話しかけて くる。 いを帯びた潤んだ黒い瞳、次から次へと映し出されるホロ グラフ。祭壇に飾られた写真はミチコサンのはずなのにキ「ああ、よかったね。もうこれで地上に戻って来れる者は いないね。」 コサンにも瓜ニつで、少々面食らう。 誰かのっぷやきが聞こえる。皺枯れ声が再び。 「いやあ、あの系統の顔はみんな似てくるのさ。」 男達が雛壇のようなところに座りながらその葬式を上か「後はもう、みんな土の中で終わりさ。」と言う。 ら眺めている。 「ほら、入り口はこれだけしかないのさ。この入り口をこ 「それにしても綺麗な女だったね。」 うやって埋めちまえば、ほら、あとの奴らは出て来れない。」 あぐら その入り口は、ほんの小さな蟻の巣穴のような、わずか 梅の香りがきつくきつく香る。だらしなく胡坐をかいた な土の隙間だ。そんな巣穴から入った覚えはないというの 男達はにやにやと楽しげに笑う。 「さあさあ、お焼香が終わったんだからもうお戻りなさ 「ほら、これでおしまい。」 から

6. フリーターズフリー 02号

ういう瞬間なわけだ。 いてみた。 彼女はなおも話しかけてくる。私の心を知らないのか、 「まだ独身なのよお。さん、一緒にならない ? 」 それとも知っていてもそれでもいいとおもって話しかけて 「いや、さすがに、それは : : : 。」 くるのか。こんな私からの愛情をー・ー愛情 ? ーーーを求めて 「あとね、私、いまメル友募集しているの。さん、メー いるのか。 ル教えてよ。メール交換しよう。」 「メル友より、じかに会ってこうやって近況を交換するの 「メル友 ? 」 「メル友」の「友」という一言葉が私を中学校の頃へとつれてが一番いいよ。絶対また会えるはずだもの。」 行く。彼女のこと、そして卑怯な自分を思い出す。彼女を絶対に会えるなんて嘘をついてしまった。正確に言えば いつも彼女とは「会わされて」いるのだ、何かの大きなカ 友人として受け入れていなかった。病気を抱え、貧しく、 によって。 そしていじめられていた彼女に対し、私は冷淡だった。い 彼女は、フリーターやニート、ネットカフェ難民という や「だった」などではない。お弁当を食べるトモダチをい つも目で追いながら探す彼女、私も教室内ヒエラルキーで = = ロ葉が巷を騒がせていることや、プレカリアートなんて言 しかし、私はこの = = 「葉を聞く はほぼ同等でありながら、それを自覚することが嫌で、「し葉は知らないかもしれない。 ぶしぶ」といっしょにお弁当を食べていた私、それでもおといつも自分と同時にもうひとつの記憶が痛んでくる。そ 弁当を一緒に食べる誰かがいるという面目が保てたことにれは学校の記憶。あの教室内ヒエラルキー、そこからはみ ほっとしている私、彼女を利用している私っていまもかわ出した群れ群れ。それは私の記憶というよりも、群れとし らないじゃん。つまりは、冷淡。いまだってどうだ、隙あての記憶。つまり、私が自分の意思でどうこうできないこ との記憶が蘇ってくる。それはつまり私が「弱者」を受け らば逃げ出そうとしている。私はいつも自分のことをしょ うもないやっ、とおもっている。そのしようもなさが一番入れるなんてことをしたことは一度もないのに、受け入れ 露呈していて、なおそれを取り繕うこともできないのがこるのは彼女達だったということだ。それこそお弁当を一緒 13 )

7. フリーターズフリー 02号

りかけて料理の味が不意に変わってしまうように、ほんと〇 ()y Je 「 emy Bentham) うに社会が変わったときというのは、それは「社会」が変 これが仮に正しいとしても、この逆は真、ではない。「最わったことにすら気がっかない瞬間だろう。スー がスー ーマンでなくなった瞬間、キテレツなものが凡庸 大多数」のなかに生まれ「最大幸福」のただなかで生きてい る私が正しい行為を行うわけではない、そして正しい政治なものとうつる瞬間、ないしは凡庸とみえていたものがと んでもない非常識となる瞬間、それこそが社会の変容だ。 を目指すことも。 そしてその瞬間は感覚の変容も生み出す。私達は過去の感 何か犯罪があったときに「社会が悪い」という言い方が覚を記憶として思い出せても、キテレッと思っていた自分、 ある。私はこの言い方に対してどうしても抵抗感がある。凡庸と感じていた自分の感覚をリアルに取り返すことは出 自分に執着がある私は、自分を手放したくないからだ。苦来ない。 しさと自分を捨てることのどちらかを迫られるとしたら、 私はそのような徹底した変化が怖い。そこで変わってい 苦しさをとる人間だ。いや、それは苦しさではない、結局く人々が怖い。人を平気でいじめていた人間がしたり顔で 快楽に過ぎないのだけれど。 「いじめはいけない」と言えることのほうが、いじめその しかし、「社会」というものは、凄まじいばかりに「匿名」ものよりも恐ろしい。そしてそれが「社会」のカであると したら、どうして社会を怖いと思わずにいられるだろう ? で「複数」の力が働いている。 社会を変えたいと思ったとして、自分の動向が注目を浴 ーヒーローになったとしても、それ 3 ・ 1 ・ 2 びるその時代のスー 私はあんなに離れたかったこの街に、親と共にまだ住み は社会を変えたことではなく、むしろその社会の価値観を 続けている。滅多に学校の同級生に会うことはないのだけ 体現した人間であるに過ぎない。 社会を変える力は絶対に徹底して無名なものだ。塩を振れど、かならず出会う人間がいた。

8. フリーターズフリー 02号

に食べてくれたのは彼女達だ。私の冷淡さを知っていても、 と生えて、まるで雑草が敷地を覆い尽くしているかのよう 3 だ。男女の差のひとつは体毛の量のようだけれど、どう考 なお受け入れるひとたち。だけど私自身は決して愛してい るなどとはいえないなかで、言葉を交わし別れていく。 えてもこの毛の量は異常だ。ぽんやりとたたずむことの許 私は彼女を滅多に思い出すことなどない。私の「不」燃される場所を求めていたら、私自身がいかなる場所でもぼ ゴミのような暮らしぶりの中で、「友達なんていない」とんやりと佇むなにものか、となっていた。 思い続けてきたけれど、もしかしたらこれだけは言っては いけないことなのかもしれない。言ってはいけない、とい : 悪い柱の、悪い家。私は今悪い柱になっている。シ うよりも真実じゃないから。 ロアリが食い破り、食い破られる瞬間にやぶれかぶれの恍 その友人に出会って他者からの愛を受け、生きる勇気が惚を感じる一本の柱。そうして悪い家を支えている。自分 湧いてきた : : といったら美しい物語になるだろうけれはどこにも居場所がないという思いが、結局世界の欲望を ど、相変わらず私は「ふ」とんで寝ている。朝は、起きら支えている。 れない。 包丁をゆっくり持つ。そういえば高校時代も包丁を手に そうだ、あの空き地を思い出す。草がぼうぼうに生え、握ったことがあったつけ。結局あの頃から全く変わってい おそらく土地主も夏は駐車場に使えるからという理由でそないってことか。私の異常な容貌の幼さも結局こういうこ とか。やめてくれよ。もうやめにするんだよな。でも手首 れほど金をもうけようとはその頃思ってもいなかったのだ ろう。バブルがやってくる前、夏は適当に駐車場として使の静脈切っても駄目で、ここは頚動脈を切るしかないのか。 われるその空き地は、町内会でも地域でも利用価値大なのここか、とあてようとしたそのとき だけれど、あっさりとバブルの津波とともにライオンマー クのついた会社のセカンドハウスと化した。さて、いま、 私が空き地になっている。私のすねや腕には毛がモウモウ彼らは語らない。ほんとに語らない。ただ生きるだけだ。 4

9. フリーターズフリー 02号

木ロそれが制定されてもなかなか我らきたそうです。私、それは体験しなかつを運んだりするようになってくるんです 8 ね。 のところには浸透されなかったのよね。 栗田今の首都圏のお嬢様が通うミッ木ロ現在は年功序列の給与体制が整っ栗田自分達の事業を抱えつつ違うとこ ションスクールのイメージとだいぶ違いていて、一般の世間の給与体制に乗るよろに足を運ぼうとしたのが、第二バチカ ますね。 うになったし。 ン公会議以降、ということになるんです 真神全く違う。裏側は火の車。お菓子栗田給与体制が整った後に、今度はシね。 も作っていました。プロクラっていうとスターたちの高齢化にともない学校運営木ロ大学に行って教える人もいまし ころで中高生が買いに来るパン菓子類ををシスター達が行うのは難しくなった。 全部作っていたんだから。夜、制服の仕そうすると今後の若手シスターの生き方栗田シスターたちが女性問題にかか 事が一段落したら、今度はお菓子のためや働き方もおのずと変わってきますよね。わり始めたのも第二バチカン公会議後の に卵を一個ずつ割ってボウルに入れた 一九六五年以降で、シスター達が大学で して働いてました。 , 不当一に寝る暇がなく 第ニバチカン公会議ーー 教え出すというのも新しいことなんです て。いつも眠たかった。 ね。 一九六〇年代の変化 木ロだから今、眠いんだ ( 笑 ) 。 真神日本ではメルセス会はもともと 参加者全員 ( 笑 ) 。 木ロ今日参加しているメンバーは学 ・中・高と幼稚園があったので、その 真神その当時も今も眠い ( 笑 ) 。それで校に動めていたけれど、第二バチカン学校で教えることが出来る人、あと台湾 も私達は少し良くなった時代で。もっと公会議 ( ヨハネ一一三世の呼びかけのもとに病院もあったから、病院に勤めている 前の人達は、豚飼ってたって言ってたわ一九六二 5 一九六五年にバチカンで開か人を募集していたところもあったようで れたカトリック教会全体の会議 ) 以降、す。 栗田東京都杉並区高円寺で豚を飼って貧しい人と共にいようという動きが活発荒川事業体に合った人を募集するとい たんですか ? になって、学校や幼稚園に動める他に、 真神給食の残飯を一輪車で取りに来て足立区に住むようになったり、 山谷に足真神自然に接触ができるからね。

10. フリーターズフリー 02号

栗田行政がうまく機能していないとい しようか。株式会社じゃない働き方を目を持ってきてくれたとき場がとても湧い たよね。 うことで、国の規模を小さくしていった 指すというか、そこに協働とか共有と - フ、 , の、かのつ 0 し」い - っカ ら、いわゆるチーブガバメント、公的サー 木ロこれからこの運動はどういう方向 ビスを税金を使わず安く済ませようとい 松田一昔前まで、日本人は「中流」と 性を持って動いていくのかしら。 う原理で動いてしまった部分がある。本 う意識があるけれど「民衆」と う意栗田私達は本を作っているからメディ 来の小さな政府とは福祉の目が届かない識がないというふうに言われていたけ れアについて考える必要があります。権力 というところを地方にゆだねようという ど、民衆の力とか、そういうものが少しに踏み潰されるような事件を取り上げて ことだったはずなんだけど。 ずつでも成長できたらうれしいわね。 いきたい。編集のレベルで政治的な姿勢 木ロそこはすごく根本的なものだと思栗田競争の中で生きていけないと感じを意識しないと、足をすくわれてしまう う。私達は自分がよければい、 しというんる人も多くなってきている、皆が中流のでしよう。また今後は、いろいろな法人 じゃなくて、自分が損をするという感覚意識があったということは、ごいこ、 し年がある中で協同組合という法人格を認め を持っ必要があるでしようね。 る協同組合法という法律も出来るかもし 功序列で働いてきて、お父さんがクビに 栗田フリーターズフリーは協同組合な なるなどということはますなく、年を追れない。これがどう動くかは分からない し、行政の尻拭い的な働き方になってし んですね。有限責任事業組合という名前うごとにお給料が増えて定年を迎えると で協同組合という意識を持って働いてい いうイメージが強固だったからだと思う まうかもしれないけれど、協働・共有と んですよ。 言う発想は私のレベルから公のレベルに 真神組合・ 真神そういう考え方が出てきているこ まで必要とされていると思います。朝 栗田はい。組合に参加する人は一定額とが世の中が変わってきているというこ を出資する合議制。株式会社でいけば働となんだよね。でもその現実が見えてこ ( 一一〇〇八年五月三一日、杉並区高円寺・ いている人と株を持っている人を一緒にないのよね。吸い込まれてきているからべリス・メルセス宣教修道女会第四修道院にて ) したようなものというと伝わりやすいでね。いっかこの本 ( 『フリーターズフリーし ) 0