依存 - みる会図書館


検索対象: フリーターズフリー 03号
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1. フリーターズフリー 03号

上間ええと、いろいろ皆さんの話を イシズムと言ってました。 考えざるを得ない側面もある。暴力へ の依存がなぜ生まれるか : : : 暴力への栗田依存を取り上げるとき、情念み聞いて色んな事をこう、かき立てられ たっていうのが。既存の枠組みを解体 こいなものを、たぶん取り上げないと 依存は、結局人に対する支配を生むか するところに情念みたいなもののお話 いけないんたろうなと。国家、企業、 ら、やつばり自立を妨げるわけじゃな しがあったんたけれど、私もやつばり、 いですか 家族を求める気持ちも、さらにオルタ ナテイプを求める気持ちもすごい情念既存の家族っていう形がかなり暴力性 生田ネット右翼の人も旧来の右翼の に富んでいて、だからこそ結婚なんか にまみれているから。そうしないと、 人もそうだけど、国家に対する依存っ ていう面があるのかもしれない。自分家族を作りたいという憧れだとか、愛しないで子どもも産んで、オルタナテ イプなあり方でみんなで協力して子ど 国心たとかを、それこそカルト的なも の存在を国家の尊厳に賭けるという。 しくことを情念をもっ もちろん、国家主義は一つの思想とし のがその情念を持っている人を吸い寄もを生み育てて、 て目指したら、すごい自分が依存的に て認める・ヘきだと思うけど、もしかし せてしま , っところかあるだろ , つから。 なったんですよね、今回。なんか、 たら、自分の存在の空虚さを国家で埋山下やつばり排除されたっていう思 ロドロっとした依存しなければやって いか情念に繋がっているところもある めちゃうという悪いパターンにいる可 いけない自分っていうのだけが残って。 と思うんですよね。でも、依存的に求 能性もある。それは、さっきの会社の そうすると周りがめんどくさがってど ためたけに生きている会社人間とまっ めても、それに応えてくれるものはど つか行っちゃうんですよね ( 笑 ) その たく同じになってしま , つ。 こにもないよっていうところに立たな いと、不幸なたたき合いになっちゃう依存たけが残ってしまった。その枠組 山下ワーカーホリックですよね。依 存したらホリックが付くんですね。 気がします。国とか企業とか家族に対みを解体すると、みんな依存というの だけが見 - んてくるとドロドロしていて 馬野国家ホリック。 して依存しちゃう人がいるのは当然な 気持ち悪いからっていうので、なんか 栗田また名言が ( 笑 ) お金依存の場んだけど、それとはちがう方向をつく ることができるのか。さらに、それをすごい避けて通ったりとか、触れない 合は、マネーホリックとは言わないで ようにするみたいな形になってしまう しょ - つけれど。 ある程度制度にしていかないといけな んだけれども。でもその枠組みに落と とい - っことなんでしようね。 生田マルクスは貨幣に対するフェテ 8 3

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し込めていたからドロドロとしていた ちょっと認めて欲しいし、そこを考・ん 別の社会を構想する 議 ものが見えなかったたけであって、実 ていかないことには自立っていうもの、 際そういう自立という名の依存を無意本当の私の自立っていうか、自由な裁高橋最近なんかニュースタートでは、 同 識にやっていたものだとすると、自立量を含んだ自立っていうの無いなあっ 結婚の民営化ってのをつくってますね共 は依存にまみれていたわけで。そうい ていうのを思いますよね。だって今の う依存のドロドロした気持ち悪さをや自立っていうものと暴力もかなり密接山下結婚の民営化 ? つばり目を向けないといけないし、そ なものたなという風に思っていて。な 高橋いやたからもう、国家化じゃな このドロドロとした依存のめんどくさ んていうかこの、暴力によってやつば いですか、結婚って。 さっていうのを引き受けないと、誰か りこう依存する主体というものを作り 生田事実婚みたいな話 ? カ引当」又けない A 」い。け . たよい、わ 2 り「し。み、 出して、その依存する主体に世の中は 高橋自分たちで結婚というのを認め の誰かがっていうのをじゃあどこに 依存というものを押し付けて、それで たら良いじゃないのか、と。自立って 押し付けるのかっていうのではなく 今の怠惰な型が出てきた。それが、邪 いうのはキラキラしたもんでは全然無 て、その依存のドロドロとしたものを悪なでつかいシステムだったんじゃな くって、しんどい、押し付けられてい 引き受けるよ - つな、こ , つ、なんだろう・ いかなって私は思ったりして。そ , つい るような、脅迫的なものとしてかなり な、受け皿みたいな、器のでかさとい う暴力と今の自立っていうのがかなり あって。もう今は自立っていう言葉を うか。 1 人 1 人の。めんどくさいから密接なところにあるっていうものを考聞かされると、要するに「働け」って 「自立しろよ」ではなくって、そのめ えると、その自立がす・ヘてをぶつ壊す言われる、「仕事しろーとかって言わ んどくさいものを引き受けるような度危険性を含んでいるなっていうも思い れているような気がするんです。 量の深さみたいなものがあってほしい ますよね。そこをこう念頭に置かずし 例えば石油なんかを戦争で奪い取り し。私なんか依存する自由っていうの て自立を語ることはちょっと怖いなと。 その利権を戦争で奪い取って、あと、 はあって欲しいとすごく思ったりして暴力の問題を考えられたらな、って思 非常に効率的な、これ皮肉ですけどね、 いましたね いて。そういうケアする人の自由も含 原子力を使い。食材はただ同然で海外 めて依存する自由っていうのをなんか から持ち込み、あとはもうショッ。ヒン

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オしカら解消する。普通の人からすれば、リス 「若者は野宿者のことを知らよ、 ) ないで安定して依存できている人って 襲撃するんたー「野宿の人がどういう トカットをする人の行為は想像を絶す うのは、そんなに激しく他のものに 生活してどういう人か、ということが るけど、でもそうしないと生きていけ 依存しなくて済むってことがあると思 しるわけじゃよい。 分かったら襲撃なんかしないはずた」 ない人かいつばい、 うんですよ。そういう依存が持ててい って言われることがある。けど、そん それと同じように、人を傷つけないと ない場合、なんか他のものに強く依存 なことはなくて、やつばり襲 - っと思 - っ やっていけないっていう人が世の中に しないと気が済まなくなるというとこ んですよ。たとえばイジメの場合、イ は多いと思うんですよ。で、そういう ろがあって、それがいろんな現れ方を ジメの相手が自分と同じ人間、同じ同 人は差別に行っちゃう可能性が当然あ すると思うんです。例えばアルコール 級生と完璧に分かって、なおかっ、時るよね。それについては、当然「啓発」 や薬物依存だったり、自傷行為や他へ には死に至るよ , つなイジメをするじゃ しないといけないんたけど、啓発する の暴力への依存だったり、あるいは性 ないですか。 だけでなくて、その人たちの生きづら的な依存だったり。自分の中のそうい 僕は自傷行為をときどき例にあける さを解消しないと解決できない面があ うむかっきみたいなものが解消されな んだけど、男の子たちが野宿者襲撃や ると思うんです。そして問題は、その ければ、それは啓発という形で上から ってるとすると女の子は何やってるの 生きづらさ、居場所の無さに、プラッ押さえ込んでもたぶん解消しないとの か。男の子たちが人を傷つけることに ク企業とか、会社の息苦しさとか、軍ではないかって気がします。 よって自分の生き場所を作ろうとして 隊みたいな学校とかが相変わらず続い 栗田男女で自傷と襲撃で男女で分か いるのとすれば、女の子たちは自分を ているという背景がある。そういう制れて、まあだいたいは男性襲撃、女性 傷つけることによって自分の生き場所度的な問題全体を変えないといけない が自傷という傾向はあるにしても、で と思うんです。 を作ろ , っとしているんじゃない ) 。 もイジメなんかに関しては、男女どち ストカットや摂食障害がそうだけど、 山下さっきから出ている依存の問題らもやっているわけで、むしろ攻撃性 心の傷を身体の傷に置き換えることに で言えば、自分が安定して依存できて がどう出るかと考えた方がよいのでは。 よって一瞬安心する、心の痛みを身体 いる、周りの人間関係の中に自分が受 でも攻撃性というとき、男は攻撃性っ の痛みに置き換えることによって一瞬 け止められているという形で、意識し ていう言い方よりも、暴力への依存と 共同討議

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ってんのかなあっていうような。 いうえに、手も育児にかかるわけで生 える家族というかたちで女性がそこに 議 山下私も「支援」という言葉には違 組み込まれてきた。ところが、それが 活相談なんてものにはもう関わること 討 和感があって、自分のことを「支援者」流動化している。そういうなかで、ど すら出来ないっていう状況にあるわけ 同 で。支援の現場の人たちが依存先がすというふうに紹介されると「そんなこ う自分が上手く依存していけるか、支共 とありません」って言いますね。ある えあっていける関係を作っていけるか ごく分散されていて、依存について無 自覚でいられる特権の中で支援ができ フリースペースの子どもの名言で「支 が求められているということたと思い るということに、私はすごい疑問に思援臭という言い回しがあるんですが、 ます。 1 カ所に全面的に依存するので ボランティアに来た人なんかで、いか ったりするんですね。支援されている はなくて、複数、依存先があることで、 にも支援してあげたいというオーラを どこに対しても隷属するのではなくて 人の苦しさが、支援者の人たちは分か 自立できる、というような。なのに、 放っている人は「支援臭がする」って , つ。そうい・つ人には、子どもは寄り 古いモデルたけがずっとオ・ハケみた つかない。 自分のことを棚にあげて、 に残っている。そこに向かって、若者 人を支援することで自分のアイデンテ が自立支援塾たとか、下手すると戸塚 イティを持とうとするのは傲慢なこと ョットスクールみたいなところに入れ なんだと思うんです。 られてしまう。そこまではいかなくて ↓ま一じ↓ノ、 いつだか、「自立」という言葉を和英も、似たような悲喜劇が、い り返されているというのが現状でしょ 辞典で調べてみたら、「 independence 」 うね とありました。インデイベンドだから デイベンド日依存の否定形です。でも、 就労支援に私が批判的なのは、その 自立していると思われてきた人という あたりです。一家の大黒柱モデルは破 のは、会社に依存していたり、アンペ綻していて、そこにすがろうとすると、 イドワークに依存してきたわけですよ プラック企業に使いつぶされてしまっ ね。会社が男性を吸収して、それを支 たりする。 C の今野さんが 山下耕平 5

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うだと思うんですけど。そういうシャ ってる。これがどうなんだってことだ って「依存先を増やすことだ」という ドウワークが前提になっているがため 論考があったの皆さん読みましたかね。 と思うんです」と言っててビックリし に私たちがやっていることが凄く見え ましたよ。でもそう思ってる人は結構すごい、「あ、分かるな」っていう風 ない形になって評価もされないという 多い。 2 チャンネルを見てると「知り に思ったんですね。自立してるって思 合いが生活に困っていたので心配して いこんでる人は実は「無意識的に色ん のが、私は考えたいところですよね。 お金を貸してあげた。そしたら、そい なところに依存できている人たちだ」自立を考えるにあたって、あとひきこ っていうことを書いてあって。たから つが酒を飲んだりギャンプルした。そ もりよりも支援の現場での自立ってい うのを考えたいたいっていうのがひと うしたら誰でも怒るたろう、それと同 自立しているって思いこんでいる人は でも、 実は自分が依存していることに気が付つあって。 じだ」と言っている人かいた 私はガッツリ半年か 1 年以内、生活 生活保護って、社会が生み出した貧困 ) よいだけで。それってすごい特権だ を社会として解決しようという制度と と私は思いました。その自分達が依存相談の現場に居たわけですけど、ガッ ツリそこに ( 相談現場に ) 入れる人は、 しているものを意識的にならざるを得 してあるもので、個人のお情けでやっ ある程度の安定した状態の人でないと ているものじゃない。それを混同して、 ない人たちが、結局社会的に「自立し 駄目なわけですよね。ボランティアで 俺が頑張って稼いだ金であいつは酒や ていない」って認定されるような人た やるとしたら、やつばりその人は他で タ ' ハコをやっている、許せないって感 ちなんだろうと思っています。 お金を持っているか資産を持っている じになっているのかな、と思います。 意識的に依存先を見つけなきゃいけ しよいと入っていけよ、。コミット 個人の問題と社会の問題を混同してい ない人たちがなぜか・ハッシングにあっ ますよね。 ているという変な構図があって、それすればするほど、生活相談のスキルも 上間。ハンツの ( 場所も分からない ) こそすごく不当だって私は思うんです上がっていくわけですから。支援の現 場において、支援する側の人にも自立 人は、シャドウワークに依存している けど。やつばりケアをする先の相手を というのが、まとわりつくような問題 という話で思い出したのが、最近熊谷抱えている身としては、やつばり私も たと思っています。 晋一郎さん、脳性麻痺で小児科医の方依存せざるを得なくなるし。人手が要 が書いてた論考を読んだんです。自立 るわけで、育児には。たぶん介護もそ 私なんか出産したとたんにお金もな 4

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災地のボランティア仲間だった会社経営者から声をかけられと国家 ( 社会保障制度 ) によって作り出される「人災 就職した ) 、元の自室へ帰って行った である。一方、資本や国家、家族によって作り出される支 ある意味では、「復興」は、災害ュ ートビアから日常日常の「生き苦しさ」Ⅱ「息苦しさ」もまた二種の災立 生活という「一種の災害」 ~ の復帰である。その日常と害」である。われわれはこの「二つの災害」を解決しな は、たとえば「社会規範が温存されたまま自分だけ飢えければならない。言い換えれば、「復興。と「脱貧困 るー貧困問題が頻発する場所である。貧困問題に関する は、社会の「腐朽した柵、を打ち破る、ユ ートビアの可困 「自立支援」「社会復帰」は、いわば「社会規範が温存さ能性の「解放、と同時でなければならない。 反 れたまま」その個人が飢えない、具体的には「会社に就 職する」状態を目指す。しかしその時、被災地や野宿の 8 現場に現われていたユ ートピアの可能性も消える。「社 上山和樹の言う「自分の肺で呼吸している実感」は、 会規範」を相対化する視点がない限り、上山和樹の言う阪神淡路大震災の中、国家と資本による「規範に締め付 「自分の肺で呼吸している実感」を得られない、つまり けられた無感覚」Ⅱ「日常」の崩壊の中で現われた。彼 「息苦しい」Ⅱ「生き苦しい」と感じる人々が多数残さは、その状況で「社会」を発見する。彼の言う「社会活 れるのかもしれない。 動」っまり「社会参加」である。しかし、一方で疑問も もちろん、復興は進めなければならない。貧困問題が起こる。上山和樹は国家と資本による社会規範からの解 解決されなければならないように。しかし、貧困問題の放について吾っ , 言たが、「家族」という社会規範の「息苦 解決を「社会規範が温存されたまま、目指すなら、それしさ、についてはほとんど語っていないということだ。 は日常生活という「一種の災害」の激化と同時進行とな被災地で活動したひきこもりの若者たちの多くも、や がて元の自室に帰って行った。それは、その若者たちが よく言われように、貧困は社会、特に資本 ( 労働制度 ) 「家族」 ~ の経済的依存 ~ 戻っていったことを意味する。 213

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グモールにそれを陳列するだけ。造る ている人はいます。「原発に替わるエ質的には誰かの犠牲を伴うものだと思 うんですよ。だから、やつばり、前に 道路も無くて、僕たちにいったい何を ネルギーを」って言っている人はいま す。 しろと ? なんの仕事をしろと ( 笑 ) 僕が思うのは、「じゃあ原戻るわけにもいかないですから、もう 私たちは新しい考え方をイメージする もう昼間つから酒飲んでても全然良発止めて、なぜ低エネルギー社会にし しかなくて。というのは、誰もが犠牲 いんじゃないかっていう風に思います。 ないのか」って思うわけです。代替な を強制されないし、あるいはその犠牲 ごから、そこにおいて自立っていった んて考えること自体が原発依存じゃな を前提にして語らないっていうことか いですけども、大きなエネルギーって 「何なんだ」という風なことをやっ 前提なんじゃないかなと思うわけです。 ばり考えますね。親の介護と次来る子 うシステムそのものに依存している んじゃよ、 ) その中で上間さんが仰ったような「面 オし力と思うわけです。だから どもの世話ぐらいの仕事はあるんじゃ よい ) なあとは思 , つんですけど。 そう考えていった時に私たちはある種倒さを引き受ける」ことを、というの はすごい象徴的たと僕は思っていて。 野崎今まで語られてきた自立ってい 未来の世代に対しても依存しているわ けですよね。 その中で新たな自立した主体みたいな うのは、こう、私、結構でかい話する ものが浮かび上がってくるのかなあと のが好きなんですけども。どう考えて だ ) ら、そ , つい - っことを考えていっ た時に、自立っていうのはやつばり、 う風に今は思っています。 も右肩上がりの成長を前提にしている としか思えなくって。で、先ほどから僕の考えでは命を犠牲にしないあり方生田現在大きなテーマになっている 出ている流動化っていう話ですけども、 っていうのが思い浮かんで。それは個生活保護の・ハッシングの中で、生活保 護が制度疲労しているとよく言われて それに対して右肩上がりの成長を前提人の自立より前に語られるべきなのは しオし力、ら作 - ・り・ います。現状に合って、よ、 ) にした自立ではやっていけないのは明 社会の責任というか、どうやって食い つないでいったら良いのかが、最低ラ直さないといけないんだって言われて らかたと思うんですよ。だからそうい いるけど、でも、生活保護は理念から インたと思うんですよね。その最低ラ う大きい話で言うと、その成長をどう 捉えるかとか、文明とかシステムをど インをいかに保障していくかで。それ何から言って、まったく制度疲労して いないと思うんですよ。制度疲労して う変えていくかっていう話になって。 いま右肩上がりの成長と言いまし いるのは、むしろ国家と企業と家族だ 例えば選挙でも、原発反対って言っ たけれども、僕は進むというのは、本 4

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いということなのたとおもう。 ナ障害者とかスタッフとか すい。貧困問題は、まずは労働の問題 として語られる。関係の貧困にあたる が、「ここでこそ障害者の強みを発揮上間私なんか稼ぎにいけない状況で するべきだ」というようなことで、マすし。シングルマザーになると頼れる部分も最近、焦点が当たってきてはい ますが、それは・ハックラッシュを呼び ンションの大きなロータリーみたいな人も無いっていう。赤ん坊の世話なん やすい面もあると思います。「古き良 ところで、自主的に炊きだしとかをや てこんな面倒くさいことをたたでやり ったわけですよ。そうしたらマンショ ますよなんて、奇特な人はそうそう居き〇〇」とか「家族の絆」とか、そう いうかたちで語られてしまいかちな怖 ないはずで。それこそ、栗田さんが言 ンの人は助かるじゃないですか。それ さがある。そういうお化けみたいなも うように自立が孤立に繋がりかねない でたんたんコミュニティが一時出来上 っていう部分もあったりして。経済的のを呼び込むんではなくて、どう関係 がって。それってすごい新鮮たし、関 をつくっていけるのか わってきたネットワークの強みだっ ' 依存か孤立かみたいな部分があるのは 日本では、たとえば学校も、たんに とても思います。 し。そういうのを広げていけたらいい 学習の場だったわけではなくて、コミ 山下いまの社会では、お金でまかな なあと僕なんか思いました。 ュニティを全部丸呑みにするかたちで、 えば、とりあえず生活はできる。けれ 栗田私はいま本当にフリーランス、 ども、それたけでは生きていけよい、 子どもの人間関係の場が全部学校に集 1 人暮らしなので、いや自立が限りな く孤立に近い状況になりつつあるお金ということがありますよね。たとえば約されてしまってきたから、不登校が もあまりないからそんなに交流とかも家族がアンペイドワーク、シャドウワすごくしんどかったわけです。学校に 行かなくなったら本当に孤立してしま できない。逆にお金が無ければ頼れな ークで担ってきた領域の問題。お金を う。しかも周りから白い目で見られて い関係の脆弱さみたいなのを感じるよ稼ぐことも雇用の流動化でしんどくな しまう。会社の場合も同じで、男性を , フになってきている。 っていると同時に、関係の貧困という かたちで、自分の生きる場、足場をつ終身雇用で丸呑みにしてきてしまった 馬野移動にすらお金が掛かる。 いられな から、そ , 」ではじかれたり、 くることが非常に難しくなってきてい 栗田金に依存してるって話はみんな くなったときに自殺してしまったりす る。それが両方、同じ構造の中で出て ないからね。金を払えばサービスを る。逆に言えば、過剰適応して過労死 きている。お金の問題は可視化されや 受けるというのは究極は依存しても良

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仲間内で流行した。致死的なイス取りゲームから完全に にしがみつくのは悲惨である。もっとまともな生活を、 逃れることはできないとしても、イスを奪い合うことが いまの体制とは異なる仕方で見つけることもできるので 唯一の解ではないことが実感をともなった生活の手応えはないか。半人前でもかまわない。非 正規としての自立 として感じることかできるよ - フになったのである。 をどのように想像できるかが問われているのだ 新卒で正社員として就職し、結婚して家族を養いっ 6 自立の非正規化のために っ定年退職まで勤めあげる ( なせか男性労働者イメージ 大学アカデミズムの世界では、「若手」はもはや年齢 ・ : ) 。そのようなかたちでしか「自立ーをイメージで 概念ではない。中年の若手研究者もいれば初老の若手研きない想像力の貧困。国家の規制のもとで正規労働者を 究者もいる。要するに、ド ョ正規の研究者が「若手」と呼保護する労使体制が成立したのは、経済成長を背景とし ばれるのである。「若手」とは半人前の意味である。大て先進国でたまたま完全雇用が ( ほぼ ) 実現した二〇世 学で専任のポストを獲得してはじめて一人前とみなされ紀の一時期に限られる。労働の非物質化と細分化によ る。 、資本が人間そのものを調達する必然性を失い、個々 だが、そのような一人前の概念にしがみついているたの人格から抽出されたバケット労働の購人を可能とする めにしんどくなることもある。大学の専任職に就くこと社会的技術的条件が整った現在では、自立の概念も異 たけが、研究者としての自立を意味するのか。特権階級なったものであるはずだろう。 への欲望を棄て去ることはできない。その根底にあるの 自立の概念を非正規 (irregula 「 ) 的なものへと変えな はもっとマシな生活をしたいという素朴な願望であって、ければならない。ド ョ正規労働者として生きていくことは、 それを否定するとおかしなことになる。たた ごし、特権階制度に守られていない分、企業に保護された正規労働者 級への憧れが現在の構造を維持するのに役立ってしまう に比べると様々な生存の技能が要求される。正社員が企 ことには注意を向けておきたい。 自分を痛めつけるもの業に依存しているとするならば、自立しているのは非正 9

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う言葉はほとんど見られない。「収入源をキーワ 1 ド とは築き上げてきた ( 拙著 2012 ) この事実が日本の農地荒廃と貧困の問題に与える示唆 にインターネットを検索すると、「発展途上国 , の開発 は大きい。日本では、儲からない農業は土地を非効率的援助のサイトばかりがヒットする。ュヌスは、従来の経 に利用しているとして目の敵にされている。しかし、私済学が貧困問題の解決策として雇用創出しか想定してい 希 ないことを指摘し、「売れる製品やサ ] ビスを作り出すの たちがコヤの人びとの事例に学ぶのであれば、儲からな い農業でも持続可能であるような社会を構想してもいし 方法を見つけ、それらを必要とする人に直接売ること 律 自 のではないだろうか。以下で検討してみよう。 で、人々が自己雇用で生計を立てる」ための原資として グラミン銀行を創設したことは周知の事実である ( ュヌ 農の重要性を再考する ス 2007 ⅱ 2008 ) 。「発展途上国」のみならず「先進 先程、日本の貧困問題を本質的に解決するためには、国」においても同様に、雇用創出が現実的に困難である 日本の農を立て直すしかないと述べたが、ここでその理ならば、雇用に依らない収人源を創出するという解決策 こ直するはずである。 由を説明しよう。ます、労働福祉制度を完璧に整備しよも検討こイ うと思えば、累進課税を強化したり税金の無駄遣いをな紛れもなく農は、雇用に依存せずに自力で収入源を創 くしたらしなければならよ「・ ) 、 オしカ現状の政治では富裕層出する営みである。椅子取りゲームの喩になぞらえれば、 から強い反発を受けるため非常に困難であろう。すると、就職は資本や行政が用意した「椅子、を奪取する行為で 貧困問題を解決するためには、人間の生活に必要な物質あるのに対して、農は自然界にあるものを利用して自力 的資源を自然環境から引き出すという生産活動が、どうで小さな「椅子」を作る営為である。農業には、他人を 蹴落とさずに生活必需品を産み出すという、誰にも否定 しても根幹に据えられなければならない。 日本の貧困問題の解決策をめぐる議論の中で、「雇用できない〃正しさ〃がある。 創出ーという言葉はよく見られるが「収人源創出」とい 昨今の農業プームの中で、「食の安全安心」や「自給 139