野宿現場と大学の間で く大学闘争は終息したが、問題が消え失せたわけではな 。そして貧困問題が泥沼化しつつある現在、学術研究私が大学や研究の在り方について問題意識を明確にす の真価が問われている。学術研究が貧困問題の解決に役ることができた契機は、大学審議会 ( 旧文部省の諮問機関 ) 立たないと認めてしまうことは、貧困問題を個人の責任が 1998 年に出した答申を読んだことである。この答希 の に帰することと同じくらい恐ろしいことである。 申の中で私が最も強い違和感を覚えたのは以下の二点で へ 大学闘争が終息した後数十年を経て、ペーシック・イある。第一点目として、大学当局は学生を授業に拘束す律 自 ンカム論が再び同じ趣旨の問いを発している。べーシッ るべきであるということ。第二点目として、大学におけ ク・インカム論は、特定の営為にのみ賃金が発生してい る研究活動は「社会の要請」に応えるものでなければな 、ら、よい A 」い , フ一」レ」 ることに疑問を投げかける ( 山森 2 0 0 9 ) 。すなわち、 職業研究者が研究しているだけで収入が保障されるので 第一点目が意味しているのは、大学あるいは研究室、 あれば、職業研究者以外の人びとも生きているだけで収研究者共同体の中に学生を閉じこめて、社会の現実から 入が保障されなければならないことになる。しかし現実隔離することに他ならないと思えた。そこで第二点目に はそうではな、。 これは職業的研究に何らかの価値があついて感じた疑問。大学における研究活動が公共財を用 ることが社会的に認められていることの証であり、する いて行われる以上、社会の要請に応えるものでなければ ならないのは当然であるとしても、社会の現実から隔離 と、やはり、その価値は何かという疑問に突き当たるこ とになる。職業研究者が自分自身のメシの食い方を研究された大学が応えうる「社会の要請」とは、一体誰の要 いに答 - んることはできない。 対象にしわない限ら・、この尸 請のことなのだろうか。例えば野宿者の要請に、社会の 客観的な評価が困難であることも後述するとおりである。現実から隔離された研究者が応えることは、明らかに不 可能である。 当時、大学の研究室に出人りし始めたばかりの私には、 135
ものさえ築くことの大変さが運動内部 機能しうる、というかそう機能しても は、結局は「居酒屋談義」的なものに にはあるとおもってます。少なくとも よかったはずなのです。なぜその場を なりがちで、自己満足か愚痴のどちら 私が経験してきた団体ではそうでした。 かで終わるのです。いわばループしが作ることができなかったのか : そしてその問題さえなかなか共有され 少なくとも「語る場」を作るという ち、とい - っ点でどちらも似ていると、 てません。そしてその傷ゆえに、フリ ことは一人では決して出来得ない事で うことです。語っても面白くない、同 ーターズフリーも非常識なレベルで発 じ繰り返しでうんざりされる、だからす。問題の共有ということも必要です 行が遅れるという、自分も決してその し、なにより、ここでは話をしてもい ますます語れなくなる、と。 負のループから逃れてない。ほんとう いという「信頼感」が必要です。 いや、満足感も愚痴もときには必要 にもうどうしたらいいのかわかりません。 私がはじめに書いた手紙でも信頼と なものですが、それだけでこの話の内 Z O がプラック企業に近いという う言葉が出てきましたが、やはり信 容がそもそも終わっていいものなので しようか。それだけで個々がなんとか頼という言葉に触れずにはおれません。指摘はまったく笑えるものではなく、 言葉というものがどうやったら生まれむしろ脆弱な組織の問題が、「悪意」 ストレスを発散させて、それでまた明 「暴力というかたちとして出てくる るか、という根底に信頼というものが ・こナにしていい 4 ものな 日を生きる「ナ : のだとしたら、それもまた〈場〉とは 避けられないと思うからです。 のでしようか 何かを考えるときのひとつの大きなて とはいえ、信頼しているからといっ 考えてみれば私としては、フリータ かかり ( 怒りを覚えるてがかりではある 暴言をいきな て、何を話してもいし 】ズフリーは、語る内容も大事ではあ が ) として存在しているはずです。 ということでは当然 り吐いてもいし りますが、語る「場」としても大事な さて、前便で「どうしても人に期待 わたしは運動に ないはずです。 機能を有していた、あるいは有しうる してしまう気持ちーということを書い 関わって、ある日突然 ( というふうに はずだった、そんなことにこれを書い たのは、このあ したたまたまシモーヌ 感じる仕方で ) いきなり暴言を吐かれ ていて気がっきました。 るとか、切られるとか、セクハラを受ヴェイユの最晩年に書かれた「人格と 社会構造を問う場としても、またそ 聖なるものーを読んだためです。 の問いを自分たちに対するものとして、 そのなかで、「人が自分を傷つけな 信頼感どころか最低限の常識という 内部の問題を取り上げる場としても、
の流行とリンクしていて、いわば「国と企業は侵すべからざるもの」たけど、個々人や Z= 〇とか による「社会的弱者の自立支援ーについては多少の補助は出さなくもないよ、という発想ではない かと思います。 わたしたちは、こうした「・ハックラッシュ」というか、不吉な事態が進行している中で、あらた めて、この「息苦しいⅡ生き苦しい」社会をどう変えていくべきか、そしてどう闘っていくべきか を問おうとしました。これが、巻頭の「共同討議」の内容であり、この 3 号のコンセプトとなって こ、」田 5 い 3 亠 9 。一」 , 」レ ~ は、・目 います。読者のみなさんには、せひともこの討議を読んでいただきオし らの身から絞り出すような痛切な言葉がいくつも語られています。 そして、現在の労働問題の一つの焦点として介護労働があります。この問題を遙矢当さんが「未 払い賃金を取り戻せ介護事業所編」で自らの体験を通して語っています。また、大学の非正規 問題も、ここ数年、大きくクローズアップされました。この問題について、渡邊太さんの「非正規 の自立ー大学労働の経験から考えるー」が語っていただいています。 そして、貧困や非正規の問題を語るとき、日本だけを考えて海外の貧困問題を無視することはで きません。この問題を、嶋田ミカさんの「労働破壊という「津波」にのまれてージャワから日本へ の襲来ー」、綱島洋之さんの「自律への希望後編」 ( 前編は 2 号に掲載 ) が扱っています。 ) ・ーターズフリ】 か問おうとしたの 「国と企業は侵すべからざる」と言いましたが、もう一つフ 1 年代から R 年代にかけて行なわれ は「家族ーです。この点について、保育と学校について 19 6 0 6
「困窮者本人に渡した方がいい」の たか、ここ数年、野宿者支援、ひきこ つも加害者、あいつも二次加害者って は当然です。 た一方、就労や生活に もり支援、母子家庭支援運動を行な うのばっかり」という話なんですね。簡 関わる問題について「支援」が必要な ってきた運動体が、様々な形で事業 これはもちろん、ぼくのいる現場でも 復 場面があることは否定できません。ぼ体を運営するようになりました ( その 常に大きな問題です。 、仼 くたちも、ボランティアとしてその活 一部は、行政からの資金を「自立支援事 よく「人種・階級・ジェンダー」との オオホランテ 動をやってますから。こ・こ、・、 業」として行なっています ) 。その一部言われてて、これは日本で言えば「国し し U ィアである限り、「フルタイムで対応 で、労働者に対して過重労働を強い 境問題「野宿・生活保護問題」「ジェ き できない」「組織的な対応ができない りパワハラなどが発生するなどの問題 ンダー問題」ですが、常に「差別・襲書 とい - っ限界に凶まされます。そこで、 後 が続発しました。運動体に従来からあ撃」を伴う社会問題としてあり続けて ( 行政の資金による ) 「事業」として支 った「権力集中」「上意下達」「性差 います。「人種」「階級」問題について 援を行なうことの有効性は否定できま 別」などの問題が解決されないままに は、運動圏内の人には「ある程度、の せん ( 例えば、「子どもの家事業」はその 「活動は無償で当然」という活動での 常識があるはずなんですが、ジェンダ 運営費の一部を行政の補助金によって行 常識を事業 ( 賃労働 ) の場に当てはめ ー問題、性差別問題については遅々と なっていましたが、それはとても素晴ら た結果、「プラック企業」顔負けのパ して解決しない、あるいは悪化してい しいお金の使い方でした ) 。問われるべ ワハラ、モラハラ、セクハラなどを生 る、という感じなんだと思います。 きことは、「自立支援事業」が当事者み出したわけです。 栗田さんが言ってた「運動にそこま の意に反した「産業」に化けやすいこ 事業体になったものも含め、運動体で期待されても困る、人間なんだから」 これが「フリーターズフ は、馬野さんが言っていたように「ひ は、ぼくも似たことを一一一口ったことかあ ります。 ー」 3 号のテーマでしたが、「社会きこもり界隈でも福祉界隈でも、労働 ただそれは「人間の性 ( ! ) を問わず」に「弱い個人を助けて社会運動でもその他の社会運動でも、野宿なんだから仕方ない という話では別 復帰させる」という発想に基づいてい の問題でも、もうセクハラだらけモラ になくて、「こうした問題がおそらく ることだと思います。 ハラだらけ」「だから、関わりたくて 自分が死ぬまで、つまり数十年単位で また、原稿や共同討議もで触れまし も関われない。あいつも加害者、あい は解決できないことを想定し、なおか 271
くるわけです。 っ現在どうするかを考えるしかない」運動内差別の方が少年たちの野宿者襲 また、「人種・階級・ジェンダー」 撃よりその偽善性において悪質かもし とい - っことたと思います。 問題も、日本と外国では全然様相がち いまぼくは、大阪駅での野宿者殺人れませんが、これについても、今後も 当分ゼロになりそうにないことを前提がったりしますよね。去年、ロンドン 襲撃事件の公判の傍聴に連日行ってい に行ってシェルターやビッグイシュー 個々人が絶望することはあっても、 ます。「差別」襲撃としての野宿者襲 を訪ねてとても興味深かったんですが、 撃に対し、われわれが手を変え品を変やってきたことが世代も場所も違うと 海外に出て自分の問題を検討し直すの ころで意味を持つかもしれないと思っ え、阻止・解消のために努力してきま も方法かなあと最近よく思います。 ′、カオもカよーレ、れ、〈ないン」 て耐 - んていし ) よ、 ) した。そして、『〈野宿者襲撃〉論』を 「フリーターズフリー」は、「社会的 思います。 はじめ、文章でも繰り返し論じてきま 弱者」を「自立」へ向かわせるという 「次に来る人たちも、やつばり同じ した。しかし、襲撃は多分、今後も当 ような問題を抱えるのでしよう」と書事業ではなく、「当事者が自ら社会の 分 ( 数世紀 ? ) ゼロになりそうにあり 問題を問う事業」として活動してきま ません。一つは、それを生む「貧困」きましたが、前世代の人たちとぼくた ーターズフリー」も した。その「フリ と「襲撃する若者たちの生き苦しさ」ちとで ( ぼくと栗田さんでも年代がちが いますが ) 問題の質が微妙に、しかし結果としては「捨て石」の一つとなる が解決するどころか、ますます悪化し かもしれません ( われわれ 2 人にとって ある点では決定的に違うように、時期 ているからです。 は、経済的にも結構高くつく「石」です ) 。 が過ぎれば、問題も微妙に移り変わっ ぼくとしては、自分が絶望するのは 一見、無益に見えるとしても、自分 ていきます。そして、これはある意味 仕方ないとしても、自分のやってい がいなくなったあとの社会に向け、「水 チャンスでもあって、行き詰まったと ることが数十年後の「捨て石ー ( 堤防 の勢いを弱めるために」ポチャポチャ き、そこでひたすら頑張るのも一つの や橋脚の工事で、水の勢いを弱めるため に水中に投入する石 ) になればそれで方法ですが、しばらく耐えていると人と遠投する活動はやはり必要たったの たと信じたいです 脈も問題も入れ替わって、「一から」 しいや、と思います ( それでも、次に 生田武志 来る人たちも、やつばり同じような問題 問題を問い直すことができることもあ を抱えるのでしようが ) 。ある意味では、 ります。「やり直し」の可能性が出て 02 5Z20 一 4 272
ものとされてきた「貧困」がみがある程度動いたことは間違いない。しかし、「派遣 などでほぼ「存在しない 社会問題として取り上げられ始めた。野宿者、母子家切り、が典型であるように、貧困問題の直接原因と言え支 庭、障害者、こどもなどの貧困問題があらためて問われ、る雇用の「流動化・有期化・低賃金化」をまともな労働立 と ( 「ディーセントワーク」と言われる ) に転換する試みはほ 全国各地で「反貧困ネットワーク」が結成されていっ た。そしてそこでは、それまで共闘関係を持っこと難し とんど進展しなかった。また、それを事後的に解消する かった諸団体が、「反貧困」という言葉がまるでマジツはずの社会保障制度による格差是正もほとんど進まな困 クワードであるかのように連携し一堂に会するという事かった。そして、自公政権に戻った今、労働の流動化、 反 ) ・ーター問題をはじめとす生活保護切り下げなど、問題はむしろ悪化しつつある。 能が起こった。もちろん、フ 1 おそらく数年後、景気が再び悪化したとき、「派遣切り る「非正規労働」と貧困問題は切り離すことができない。 「フリーターズフリー」 もこの反貧困運動の流れに加わ「非正規切り」は 2008 年より更に大規模に再現され るたろ , つ。 りながら活動を展開してきた しかし、今振り返ると、日本の反貧困運動はある程度もちろん、「格差」と「貧困」は日本だけの問題では 1 よ O ・ . 「 / 0- の盛り上がりを見せながら、ある時期を境にデッドロッ 年代半ばから、先進国の大半で所得格差 クに突き当たったように見える。確かに反貧困運動の成と貧困率が拡大・上昇し、 1980 年代にはそれまでと 果として、貧困問題の注目、水際作戦の抑制、公的派遣は異なる「新しい貧困」が社会問題になり始めた。それ 村、行政によるワンストップサービスなどが実現した。 までのような肉体労働者 ( プルーカラー ) や高齢者の貧 また、民間によるネットワーク作りや相談活動も続けら困ではなく、学校を出たばかりの若者の長期失業やホ】 れ ' ただが、貧困問題の根源と言える「雇用」問題につ ムレス化、そしてサービス産業に勤める非正規雇用の若 いては大きな変革は行なわれなかった。麻生政権末期か者や移民などの問題た。 ら民主党政権にかけて、行政による貧困問題への取り組 この「新しい貧困」には、経済、国家、家族の世界 185
の農業の現場に飛び込む機会が得られずこ の地域で研究する意味がないと判断されてしまう。むし 日本国内では貧困問題は現在ほどには認知されておらず、ろ、その地域でなければ得られないような新発見を得る とりわけ大学などの研究機関において、日本国内の農業ことが期待されている。その証拠に、なぜその地域で調 と貧困を結び付けて考えようとする発想は理解されなさ査したのかと質問されることが多い。ところが、新発見希 の そうに思えた。そこで、ある脳性マヒの重度障害者の介と称されるものは、現地の人びとの生活そのものであり へ 護で以前訪問したことがあるインドの少数民族の農村で、 かれらから見れば当たり前のことばかりである。 律 自 何ができるか試してみようと考えた。その結果は前編で前編で述べたとおり、私はチャランパーレム村で目の 述べたとおりである。 当たりにした農薬問題に焦点を絞り、研究を継続しよう としたゞ、 カ結果的に中断を余儀なくされた。その代わり 学ぶとい - っこと に室内実験を行い、周辺地域の農民たちが歴史的に虫除 調査結果を取りまとめる過程で、私の″誰のために〃 けとして利用していた数種類の植物の抽出液が、チャラ という目的意識は二転三転した。ある地域における人びンパーレム村における商品作物の主要害虫の成長を抑制 との生活を対象とした研究を行うとき、その現地の人びするという結果を得た。この方向性で研究を継続すると とに何らかの形で貢献したいと思うことは、人間としてしたら、それら抽出液の実用化と普及を図ることになる。 自然な欲求であろう。現地の人びとに貢献するためには、昔ながらの技術に可能性があるわけだから、問題解決の その地域の人たちが抱えている課題を理解し、その解決早道は農民どうしの地域間交流であろう。農民たち自身 策を提案し、その解決策が妥当かどうかを検証するとい や地域の ZUO が既に取り組んでいることである。現地 う手順で研究を進めていくことが要求される。 の人びとに貢献したいという発想は、私の思い上がりの しかし、この研究分野において、農薬問題のような一産物であるかも知れないと気が付き、反省した。 般的な課題を扱うことに対する評価は低い。わざわざそ ここで発想の転換である。現地の人びとの生き方に、 137
ること』が最も重要な目標である。 / その中、領土問題 安全保障 (human secu 「 ity) 委員会」創設した ( 2000 年 ) 。それは、テロリズム、紛争、環境など、国家の能は、どのような意味を持つか。 / 『当然ではないか。領 力を超え始めた諸問題に対する、新たな「安全保障」土を確保することは国家目的の最も重要な課題である』 という考え方がある。しかし、歴史を検証すると、『領 (secu 「 ity) の概念を提出しようとするものだった 国家が「自国民の安全を脅かす根源となっている」。土を確保することは国家目的の最も重要な課題である』 それは、世界各地での紛争や難民問題をただちに思い出ということは、それほど自明ではない。『国民が平和で させるが、これは現在の日本の安全保障についても当て繁栄する環境を整えること』と相反する時がある」 ( 孫 は斗 6 る。 崎享『日本の国境問題尖閣・竹島・北方領土」 2011 ) 1969 年の中ソ国境紛争では、国境のウス 例えば日本はここ数年、韓国、中国、ロシアという隣例えば、 ) ー川にある珍宝島をめぐって中ソが軍事衝突を行なっ 国各国と領土の保有をめぐって激しい非難の応酬を続け 珍宝島は長さ 1700 メートルの小さな島で、特に ている。それは、事実上「係争」状況と呼ぶべき状態だ。 ナカ何十万という中ソ双方 竹島、尖閣諸島、北方 4 島について、日本は「固有の領資源があるわけでもない。・こ・ ) 、 の軍が臨戦態勢に入り、衝突当時、「ソ連の核ミサイル 土」という言葉で日本に属することを言明し続ける一 方、韓国、中国、ロシアもそれぞれの領土であることを部隊が警戒態勢に入った」と報じられ、中国の北京放送 しオしカその「最は「核戦争も辞さず、と報じた 主張し続けている。戦争には至って、よ、ゞ、 1 0 ノ 8 0- ( ) 圏年のイランーイラク戦争では、イ 悪の事態」を意識せざるをえない緊張が常態化した。そ 」・ 6 —四万人の犠牲者を出 れは、もしかしたら国家が「人々に安全を提供する」のラン側で約万人、イラク伹て 1 ではなく「自国民の安全を脅かす根源となっている」事したが、それはシャトルアラブ川の国境線が川の中央か 川岸かをめぐって戦われた結果たった 態になっていないたろうか。 「今日、中国人でもロシア人でも『珍宝島が中ソ間の戦 「国家目標のうち、「国民が平和で繁栄する環境を整え 238
足下の問題を片付けようとしないで、「自立とは」「自由とは」と語ってもまるで説得力がない。 支配されたくもないてす。支配されたくないし、だけども強者にもなりたくないっていう。 自立って逆に言えば、見殺しにする暴力じゃないですか。 いまだに「いい学校→いい会社」ストーリーしかみんな思い浮かはない。 自立っていうのはやつばり、僕の考えでは命を犠牲にしないあり方っていうのが思い浮かふ。 まず自分が経済的に立っところからやるのてはなく、とりあえず一緒に協力して生活する。 「結局辞めなかったお前に一番問題があるんだろう ? 」と。 その問いに対して唯一私が答えるなら、「そこに介護を必要とする人がいたから」 不平等や格差社会に対する問題意識をもちながらも、 自分だけはイチ抜けして特権階級をめざすことの罪悪感 「豊かな日本、貧しいアジア」と言われていた。それが今はどうか。 私自身が雇い止めという波に呑み込まれてしまった。 野宿者が「支援」されるのは、非力だからではなくて、魅力的だからである。 共同保育しよう。それも、女も男も、親も親でないものもひっくるめた 24 時間共同保育 = 全日共同保育しよう ! それが 1975 年のことでした。 生活条件を整えることなしに教育が成り立っと思う先生たちを 養成していることが問題だと思うんです。 学校の教師とケースワーカーとはちがいます。教師とは動きがちがう。 栗田隆子 ( 後書きとしての往復書簡 ) 、馬野骨介 ( 共同討議 : 山下耕平 ( 共同討議 ) 野。泰伸イ共同討議 ) 遥矢当て未払い賃金を取り戻せ〕 渡邉太 ( 非正規の自立 ) 鵁田ミカ ( 労働破壊という・一津波 . にのまれて ) 綱島洋之 ( 自律への希望 ) 中野冬美 ( 共同保育という試み ) パ加伸頭 ( 教育と福祉の間で それを指導するところがないから、自分で作り出すしかない。 われわれの求める「自立」は「国家・資本・家族」からの自立だ。 岡繁樹 ( 教育と福祉の間 生田武志 ( 皮困運動と由立支援 ) 定価 ( 本体 1400 円 + 税 )
ただけではなく、そもそもこの足下の は敵方のスパイなのではないか」とか、 して、そもそも運動などというものを 問題を片付けようとしないで、「自立そこまで言われなくとも、「運動の足 やろうという気持ちになるのでしよう簡 とは」「自由とはと語ってもまるで を引っ張るのか」とか、さらには、「運 復 一 = 彳カカないのでは、と思 , フよ・つにな 動にそこまで期待されても困る、人間 信頼する気持ち、期待する気持ち、 、仼 ・ 6 ・・ 361 ) 4 なんだから」といわれます。 希望を持っ気持ち、この気持ちに対しの 派遣村で先頭を立っていたはずの人 私が一番、言い返せず、しかし根深て、どう向き合うべきか ? し 間が、今や、派遣会社の利権と自治体 し問題と感じたのは、この「運動にそ そんなことを考えてますが、そこで き の都合が合致したネオリペラルそのも こまで期待されても困る、人間なんた いつもとまってしまうのです。 のといった「困窮者自立支援法」の成から」といった言葉でした。 というのも、わたしがとりわけ運動後 立に大きく寄与する状況になったり、 分断や分裂、違いが明らかになる事 に疲労したのは、この信頼や期待、希 東京都知事選では、原発に反対する人は悪い事ではないでしよう。しかしそ望がどこか胸のなかにあったからだと たちの間で二分するような状況になっ れが結局そのまま、放置されるばかり おもいます。 たりなど、ほんのわずかな場のなかで でなく、「そこまで期待するな」とい 私の名前で書くと、結局自分だけが はありますが、運動と呼ばれるものの う一言葉で問いそのものが禁じられたま考えているんでまよ、 ) 、 ーオしカフリータ 分断、分裂ということが少しずつは言 まになるのも怖い。しかし怖さはそれ ズフリーで起きた事でもあるのに、自 われるようになってきてもいるのでは ばかりではありません。 分だけが問題提起をするのは、なにか とは思います。ちなみに私は今でもフ 期待する気持ち、どこか希望を持っ 違うのではないか、そんな思いがよぎ エミニストたと自分では思ってますし、気持ち、そこをシャットアウトする言 りもしました。そ , つい , っこともあって それを否定するつもりもまたまったく 葉 : : : もちろん、その希望をそのま生田さんとの往復書簡というやり方は ないですけれど、その運動の分断や断ま「誰かがやってくれるたろう」とい 大事なのでまよ、 ) しオし力と改めて思う次第 絶、差というものにフェミニスムも った依存になっては元も子もない、 です。 また決して無縁ではありません。 いう話はあるかもしれません。しかし、 運動内部の問題を全て表に出せ ! と 運動の分断や差別を主張すると「実 この希望や期待、信頼というものなく うことではありません。ただどんな 269