景に大量の外国人労働者を受け入れている。これらの国ウェートでは合計特殊出生率の上昇によって、人口の過 はすべて王制あるいは首長制をとり、イスラム教に基づ半数が加歳以下である。各国では若年層の失業問題が深 く政治を行ってきた。議会の立法権、普通選挙、女性参刻化し、労働力の自国民化に取り組んでいる。しかし自 政権などの民主的制度は十分に確立していない。例えば国民は公的部門に集中し、企業もコストの高い自国民の サウジアラビアの憲法はイスラムの聖典と定めている。雇用は敬遠するという。 しかし、石油収入に潤う湾岸産油国民のは高い。 この「多子若年化」と徐々に進展する女性の社会進出 クウェートを例にとれば国民一人当たりの Q は 4 万が、外国人ハウスメイドの需要を高めている。で ドルを超え、日本をはるかに凌ぐ 年の間に、 男性労働者は 6 ・ 5 倍に対し 湾岸産油国経済を支えるのは外国人労働者である。外て女性は四倍に急増した。家事専業のハウスメイドのほ 国人労働者の比率は、 クウェート間以上かに子守、料理人、運転手、庭師など 4S5 人の外国人 と極めて高い。インド、。ハキスタンなどの南アジアからを雇う家庭も珍しくない。 の労働者が最も多く、次にフィリビンやインドネシアな 以下は、 2 0 0 55 % 年にかけて、とクウェ どの東南アジア、エジプトなど他のアラブ諸国がこれに トで行なったインドネシア人とスリランカ人ハウスメイ 続く。女性労働者はフィリピン、スリランカ、インドネドを対象とした調査をまとめたものである。 シアからのハウスメイドが中心である。彼女たちの賃金 ハウスメイドの労働環境は苛酷である。家庭という密 は英語ができるフィリビン人が最高で、イスラム教徒の室で働くハウスメイドには、労働契約も労働法も効力を インドネシア人が次に高く、スリランカがこれに続き、 もたない。家事専業のビザで来たのに、子守り、介護、 インド、パキスタン、、イノ 、。、 1 ーレ斗 0 」、らレ ~ 低し 工場労働、店番、親兄弟の世帯の家事までも強要される。 同諸国の人口は自然増に加え外国人労働者の流入も逃亡防止を口実に賃金の遅滞や不払いが横行し、出発前 あって、半世紀で 7 倍に激増した。サウジアラビアやクに借りた渡航費の利子が膨れ上がったり、 故国の家族が
は国語やってるという ( 笑 ) 。これで ような生活力はありました。 教育委員会はいいって言ってたんだか 小柳それは親を見てて、働けば大丈お金貸してくださいって学校に来る人 もいた。そのへんの対応は教頭や校長 らね。これが屋上ですよ。これが近隣夫というのがあったでしようね。 がやってたと思う。 から文句あって金網を高くしたけど、 生田生活力といえば、お父さんお母 それでもダメだった さんがいなくても、弟や妹の面倒をみ生田結局、経済的に貧しい家庭が多 かったんですね。 てる子も結構いたんですね。 生田こどもは結構元気ですね。 小柳徹底的にそうですよね。父子家 り柳そう、こどもはみんな元気すぎ 小柳弟や妹を背負って教室に来てま て大変だった した。お父ちゃんが違う子で、そして庭で典型的たったのは、こどもの小さ い時、学校入る前はお父ちゃんが仕事 生田「山王こどもセンター」 ( 釜ヶ崎お父ちゃんが目が見えないんですよ。 キリスト教協友会の施設の一つ ) のこ お母ちゃんは生活保護をもらうと、そ場に連れていかないといけなかっ ' どもたちもパイタリティはあります。 のお金を持っていなくなるんです。そ保育所が預かってくれないから。で も、仕事に行ったら、子ども連れの日 知ってる中 3 の子はしよっちゅう家出 うすると、お父ちゃんは面倒みられな していて、あるとき家に帰って来なく いでしよ。だから、保育所に行ってる雇労働者は賃金が安いと言われた。仕 事が充分できひんからって。現場で仕 なったんです。一ヶ月以上帰ってこな ような子を中学生が背負ってきてた くて、どこ行ってたかというと、とも い子だったけどね。あんなひどい状事があったら雇うことは雇ったけど、 そう言われたと言ってました。 況でもあんなに明るいかなというぐら だちと二人で家出して、飯場に入って ずっと土方やってた。飯場では朝から 。学校の中でも明るかったしね。訪生田父子家庭が多かったわけです が、離婚した原因はいろいろでしよう 晩まで働いて、夜は飲めや歌えってい ねていったら、生活保護費もらったら ね。 必ずお母ちゃんが持って家出するとお う生活で、「宵越しの金は残さず」ま 小柳そう、いろいろ。それは岡さん た働きに行くという。最後は自転車盗 父ちゃんが話していました。 も詳しいと思 - つけど、やつばりお母ち んで捕まった。自信をつけて、「俺は生田で、また帰ってくるんですか ゃんの方が出て行ったというのが多い 自分で食っていけるんや」とか言って ね。一番典型なのは、お父ちゃんもお ましたね。他の地域では考えられない 小柳お金がなくなったころ帰ってく 168
に住んでるけど、あまり他の世界と接働いて子育てしてっていう。まあ、今 礼賛」は起こりがちだと思います。 触せずに子どもが親に育てられる環境 でもそ , ったと言・んばそ・つたけど、その 中野そうですね、やつばり一回り大み が頂点に達した。その意味で、子ども 当時の母親ってのは本当にずっとそう きな家族の中に取り込んでいくという が家族の中で育てられてる空気が強ま たし、それから子どもの死亡率は高か 感じだものね。 っていと思うんです。 ったと思うんです。池に落ちたりね 栗田萩原朔太郎の娘である萩原葉子育 中野本当にそうです。家庭基盤充実 ( 笑 ) 。馬に蹴られこ オり。たから、厳し の書いた『蕁麻の家」という本を読む保 同 政策とかね、女性が家庭に帰れってい いものだったやろうなという気はする と、それこそ女でも戸主となった際に 共 う形のさまざまなキャンペ】ンがめち んですよね。かっての農村の共同体つ姑というのが絶大な権力を握って孫娘 やくちゃ張られた時期だったんですよ。 ていうのが、大家族状態の共同体だか すら支配するという強烈な世界観が描 栗田 、ートはどんどん増えていくの ら、そこの個々人がどうたったのかと かれてて、絶対大家族制度に戻っては と同時に、家庭基盤充実政策を打っと いうのは、正直よくわからない。 いけないと思いましたね。さっきのあ うのが絶妙ですね。 ートは結局、 栗田何年か前、福井の子育て状況が の子さん事件のことを聞くと、叩年 家庭の基盤を崩さない程度に働いてく とりあげられたんですよ。福井は出生 前と今は変わったところもあると思い ださいねってことですよね。 率が高いっていうんです。それはどう ますけど、でも変わっていないところ 中野そうそう、家計補助的に働くん いうことかとフタを開けてみたら、親もいつばいあるよ・つな気がしてて。 だったら。でも家事育児はちゃん が面倒を見てあげる率が高かったとい 中野やつばり、家族でまとまるとい としてからねっていう。 うある種、大家族回帰的な内容でした うあり方がどんどん強化されている感 いまちょっと言ってた、昔の農村だ 出生率高くて親が面倒見るから、母じがするよね。 ったらそんなふうに育っていった、そ の人が働きに行く率も高いと。女性の 栗田それこそ西区の、子どもを遺棄 れは私はあまり牧歌的には感じられな労働力も使えて少子化も改善できてお した事件でも、最初はすごく自分は良 いのね。やつばりすごく女にとっては ばあちゃん頑張るみたいなそういう話 いお母さんでありオし こ、といった感じで、 しんどかったろ・つと思 , フし。まったく ですけど ( 笑 ) 、女性の問題を打開し 子どもを可愛がってるといった写真を 自由な時間がなく、働いて子育てして ようとするときに、いわば「ネオ農村 プログにばんばん載せていたと言われ 157
畳働くことができない家庭もあります。『電気を止められ で子どもたちが暮らしていたケ】スもある。また、 6 る』と相談に来られるお母さんもありました。家賃滞納 の部屋に親子 4 人 ( こどもがいる再婚どうし ) が生活し、 毎日のように夫婦げんかしている、という家もある。当をした結果、家をロックアウトされて、子どもが家に入 然、そういう環境では、こどもは勉強したくてもできなれないと訴えにきたケ】スもあります。父親が日雇い労 そこで、「山王こどもセンターでは加数年前から働者で小さい頃から自炊していた子どもは夕食がご飯と 毎週一日、夜に「ペんきよう会、というプログラムを漬物だけでした。」 ( 山王こどもセンター施設長・前島麻美 さんの話。『断ち切らないで小さき者を守り抜く「子ども 作ってこどもたちが勉強できる場を作ってきた 不登校のこどもや、アル・ハイトなどで働く高校生たちの家」の挑戦』 ) 「こどもの里施設長の荘保共子さんはこう言ってい 生活や家族の も来ているが、その子たちが過ごしたり、 問題の相談をする場としての役割も果たしている。かつる。「子どもと付き合うということは、子どもの生活そ のものと付き合うことですね。ここでは家庭のない子が て通っていたこどもの中には犯罪で逮捕された若者もい る。そういうことがあると、山王こどもセンタ】の施設多いけど、家族があるんです。ほかでは逆になっている 長が裁判の傍聴に行き、身元引受人になるなどしてかかでしよう。家庭はあるけど、家族がない」。 ここでの「家族 . と「家庭。という言葉を、逆に置い わりを続けてきた 「山王こどもセンターが西成で四年続いたのは、このてみよう。つまり、多くのこどもや若者にとって「家 オたか族 ( 血族 )- (family) は存在するが、人と人とがつなが 地で「子どもの家事業』のような考え方が必要・こっ らです。 ( : ・ ) 幼児さんから利用してこどもセンターをる場所である「 home 」いわば「家庭」が存在しない。 卒業するまでに保護者が再婚、離婚を繰り返す家庭や、その時、「こどもの里。や「山王こどもセンターは、 「家族。 (family) の絆のないこどもにとっての「家庭 内縁の夫が代わる家庭など家庭事情が複雑な子どももい ます。お母さんに精神疾患がある家庭や依存症になって (home) として働いた 256
会化しにく い面がある。 絶対帰れません」とか。要するに、実マザ】としての自立のプレッシャーの 馬野可視化されてない分、親が死ん家を頼ることのできない若者が、いま かけられ方があったら話してもらえま でしまったとき、どうやってサ・ハイプ続々と野宿になってるんです。日本は すか ) していくかはすごい不安というか、こ若者の長期失業と家庭環境の崩壊とい 上間私がシングルマザーになったの れから問題になってくるたろうなと思 う現象が進んでて、それは欧米と同じ は 2 0 0 4 年だったんですけど、その う。さらに就労がきびしくなり、結婚 ですよね。欧米の場合、ホームレス問 少し前ぐらいから母子家庭について母 も厳しくなり、どうなっていくのか 題の主流って 0 — 0 ・ ) 2 3 代カ多くて、基本親の「就労自立ーということが言われ 的に若者です。でも、日本は増えたと るようになっているんですね。今は父 生田・まく , 、 : オちのところに加代、代言っても若者の野宿はそんなに多くな 子家庭を含めたひとり親家庭に支給さ で野宿になっちゃう人の相談が結構来 。それは、貧困でも若者が実家に住れる児童扶養手当っていうのがあるん るんたけど、家庭環境を聞くとだい んでる、あるいは親から仕送らがある ですが、母子家庭の就労自立というの たい 2 つあって、まず「一人親家庭」、 からたと思うんですよ。その副作用と が言われるようになって、支給開始か 現実には母子家庭の人が多いんです。 して、若者の長期失業や親子密着が社 ら一定期間すぎたら半額に減額される たとえば「私の家は母子家庭で生活保会問題化しにくいということになる。 っていうのか 2 0 0 6 年ぐらいからシ 護を受けていて、私の他に 4 人きよう 日本の場合、それでずっとやってきて、 ングルマザー当事者の間で問題にされ たいかいます」とか。帰っても住む部 いわば高度経済成長時代の遺産で若者るようになったんですね。それが「し 屋もないし、代の人が家に帰ったら、 の貧困をカ・ハーしてきたんだけど、野 んぐるまざあずふおーらむーの方たち 下手したら生活保護を切られちゃうし宿の現場ではそれがもうそろそろ破綻などの当事者の方たちがすごくがんば ね。 している。 って、ロビー活動とかをして、一応一 それは「実家が貧困」ということで 栗田上間さんが、シングルマザー 定条件 ( 就労をしている証明や、就職に すが、もう一つは「虐待」なんです。 なったのは 2 0 0 4 年という話なので、 向けての訓練や勉強をしているという証 たとえば、「私の家はお母さんが覚醒もしよかったら今の話の感想も交えっ 明や書類の提出 ) で、その案は事実上 剤依存で、お兄ちゃんの暴力が激しく、 つ、その頃にあった出来事、シングル凍結されることになった。そういう流 共同討議 0 )
遊んでいる子どもを見つけると、子どもに事情を聞いて家に行く。そして、親と話して子どもが学校に行けるように 手続きを取る。 「あいりん小中学校」に来ていた子どもには、例えば、母が産後に死亡した子ども 4 人の父子家庭もあった。その 家の一番下の子どもは出生届が出ておらず、 4 年生の子は、その年まで一度も学校に行ったことがなかった。「父子 家庭は全く法律外の存在である。あいりん小中学校の場合、その児童・生徒の三分の一が父子家庭なので、なにか 法的救済制度ができないかとケースにぶつかるごとに思った」 ( 小柳伸顕『教育以前あいりん小中学校物語』田畑書店 1976 ) 。あいりん小中学校の「子どもの貧困」の根本にあったものは、「ひとり親家庭」と「不安定な雇用」の問 題だった。 こどもの貧困に対して社会が何ができるのか。その一つの答えとして「あいりん小中学校」があった。しかし、こ の学校の存在はあまり知られていない。この「あいりん小中学校」でケースワーカーを勤められた小柳伸顕さん、岡 繁樹さんにお話しをうかがった。 小柳伸顕 岡繁樹
長居公園のテント村で「四年間の人生で、感じたこと うべきことは、家族Ⅱ血族 (family) 以外の、人と人と のない温かさがあそこにあった」「私を妹のように、娘がつながる場としての「 home 」Ⅱ「家庭」を支援する支 のように思ってくれ、私も兄のように、父のように思っ いわば、「テント村」や釜ヶ崎のような「ホ】 自 ていた。こんな関係性ができるものだろうか。これもテムレス・ユ ートビアーの成立条件を行政によって保証すと ント村という場所があったからた」と言う若者たちがい ること。その具体的な例として、釜ヶ崎の「こどもの里。 「家族ーの絆が存在しない彼女たちには、生きるた 「山王こどもセンタ】」などがそうだった大阪市の「子困 めに必要な「場」は、公園に住む、「家」 (house) のな どもの家事業」が挙げられる。 反 い人たちのテント村にしかなかった。彼女たちにとって、 0 才から才、障害のある子、不登校のこどもと日常 「家族」 (family) の絆は存在しよ、ゞ、 オし力「家、 (house) の的に関わることのできる「子どもの家事業」は、大阪市 外で人と人とがつながる「 home 」Ⅱ「家庭」は存在しが「学童保育」に代わる事業として力を入れたもので、 1989 年度に始まり、 2012 年度には市内にカ所 自民党の改憲案第二十四条は「家族は、社会の自然かあり、登録していたこどもの人数は約 19 0 0 人たっオ っ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助ぼ くか 19 8 8 年から関わっている「山王こどもセン け合わなければならない」としている。そして、自公ター」に来るこどもたちの多くは、様々な家庭の事情を 政権は「家族 ( 血族 ) の助け合い」を強める生活保護の抱えて いた。以前いた子どもの例では、母子家庭のお母 「扶養義務ーを強化させた。それは、よく指摘されるよ さんが覚醒剤の売人で、小学生の子どもが顧客リストを うに貧困の「自己責任、から「血族責任への先祖帰り持たされていたケースがあった。また、お母さんが飛田 であり、貧困家庭が増加する中、「貧困の再生産」と「貧遊郭でセックスワークをしていて、お母さんが働いてい 富の二極分化」を強め、家族の信頼関係を更に破壊する る間、こどもが預けられるという家庭もあった。母子家 ことにしかならないだろう。むしろ、そこで行政が行な庭でお母さんが時々家に帰ってこなくて、お金がない家 255
て、より所得が低い農外労働に押し出された。特に零細が半数をこえる。設備投資が必要な屋台やテントなどの な小売業には、最も参人が容易な職種として、学歴・専軽食販売も男性が占め、女性商人の 25m 倍の収人があれ ま る。 門性・資金を持たない多くの既婚女性が流入した。 の 中部ジャワでは以前からごく零細な農民や小作農が多 かった。市場向けの野菜や生花が中心で、水利が悪いた 2 進行する女性労働の破壊 波 め自給用の穀物の割合は低く、家族の主食を賄うには至①「主婦」と「稼ぎ手」の一一重役割 らない。「緑の革命ーは増産をもたらすが、種子・肥料・ 農作業や市場で男性以上に働き、家計を切り盛りして 農薬などの栽培コストがかかる。そのため、ますます小 いるジャワの女性たちの家庭における地位は、比較的高と 商業など女性の現金収人が家計を支える上で重要性を高 いと言われている。しかし女性商人を間近に観察して、破 めてきた。 本当に地位が高いと言えるのか、疑問に田」った。その真働 労 伝統的にジャワの小商業は女の仕事とされてきた。市偽を確かめるために、 年、人の市場商人の事 場でも 8 割以上は女性で、小額の資金でも始められるが業と家庭の両面から密着調査を試みた 儲けの薄い青果や調理品に集中している。市場内に売り まず、所得を伴う労働時間は、商人である妻は平均 2 場を持たず通路や人り口で売る者のほとんどを高齢女性時間だが、夫は 7 時間余りだった。夫が農民の場合、経 が占めている。竹籠ひとつで売り歩く行商人は、キロ 営規模が小さいために作業時間が短い。また建築等の日 グラム以上の荷を背負って市場や家々を何時間も歩くと雇労働者であれば女性より報酬は高いが、就業機会が少 いう重労働にもかかわらず、女性の仕事だった ない。家事労働時間は妻が平均 3 時間、夫は 1 時間に過 これに対して元手・規模・利益が大きい事業ほど男性のきない。総労働時間は妻が時間と過重労働であるのに 比率が高い。男性商人の 6 割以上が、衣類や雑貨類を対して、男性は不完全就業の傾向があるといえよう。 扱っている。卸売り中心の大規模商人では、男性の割合次に妻と夫の家計 ~ の貢献を比べると、妻の所得の方 101
から継続支給が始まるんですね。 れがあったんですが、就労自立ってい るをえない。就労が厳しい状況で、働 きたいかと言われたらと、そんな大変 それを毎年提出しなくてはいけない うのがその後も言われるようになりま な働き方なんかしたくないよっていう ということがあって。私はまだ学生な のが本音だと思うんですね。本当はも もう一つ、母子家庭に対する就労支んですけど、学生であると就労してな っと楽した正社員の職があって 9 時 5 いわけです。就労の意思があるかって 援として職業訓練の助成があるんです いうことは、口頭で言うだけではダメ時に帰れるような余裕のもった働き方 けど、職業訓練の対象となる資格って をしたい、でもそういうのはかなわな なんですね。就労を前提とした学校に しうものが限定されていて、それが私 で、ダブルワークしたりして体を はすごく気になっているんです。対象行ってればまたしも、私なんかそうで はなくて論文書けなくてすごく悶々と壊したりして、フルタイムで働くのが となる資格がすべてと言っていいほど ますます無理になる。そうい - っことが 介護士とか看護師とか。ケア労働の資しているような中途半端な立場で、担 母当の方の配慮で「大学院出たら職に就あったりするわけで、就労自立がひと 格が職業訓練の対象になってい り親の家庭の足かせになってるという くわけですからね。いい仕事に就くた 子家庭の母親をそこに誘導していく感 のを感じます。 じがします。けれども、川万円の助成めに大学院に通っていると解釈すれば もう一つあるのは、家族の形が決め しい」ということになって、受けられ を受けても生活費としては全く足りな られてしまっているとい・つことがある るようになったんです。就労自立とい , っ , んに学費も出るとい , っことかあっ うのが前提となって、建て前としてすんです。今回は私が第二子を産んだと たらして、結局受けれない。結局いま きは、シングルマザーとして出産した 「私も就労する意思はありますー ある「就労自立」なんてものは、当人 んですけど、出生届の窓口でも、児童 たちが望むものではなくて、外から勝って言わなきゃいけない。でも本当は 扶養手当の窓口でも、二人目のこども 母子家庭をめぐる就労状況ってすごく 手に作られるものなんだと思います。 の父親とはどういう関係性だったんで 大変で、子どもの人のこともしながら 児童扶養手当の受給継続条件があっ て、その条件って何かっていうと、就働きに出るっていったら母子家庭にとすか、ということを問われたんですね。 ートぐらいしかないし、それ二人親たったんですよ。ならなんで ってはパ 労する意思があるかどうかというのを ってかなり賃金が低いところにならざ妊娠したんですか、その父親は誰なん 確認する紙があって、それを提出して
になるという家庭もありました。当時勉強はできなかったけど、みんながい 母ちゃんも違うんですよ。なんで違う でも母子寮に入るとか母子の保護はあ かというと、親が友だちに小さい子ど ろいろ支援してたから生き生きしてた ったけど、父子家庭はなにもなし。い のに、 2 — 3 ヶ月たって行ったら、ほ もを預けたままいなくなっちゃっ ' の んまにしょんぼりしてた。のけものに まは少し脚光を浴びてきたけど、当時 祉 子どもは親だと思ってたけど、就職な 石田 は本当に何もなしです。 されて。場合によっては、せつかく普 んかでいろいろ調べたら違うわけです。 と 本当にかわいがってたんですけど、就岡釜ヶ崎から家族を出す形で、「今通の学校に人ったのにまた「あいりん育 池生活館」というのがあって、 2 年間 小中学校」に帰ってくるということも 職になったら戸籍謄本を出さないとい あった けないでしよ。それで中学卒業のとき は安い部屋代で人れるんたけど、そこ にわかった。 からさらに低所得者向け市営住宅に外生田こどもが帰りたいと言うんです へ出す応援をした記憶があります。親か。 生田母子家庭はどうたったんですか ) 柳親もまわりとなじまないとか 小柳母子家庭は沢山いました。これ子であれば「生活館」に入れる。 ね。いまもそ - ったと思 - つんだけど、当 小柳いまの「今池平和寮」があるで は「教育以前』に書いていたかどうか しよう。あそこが家族持ち対象の寮た 時「あいりんから来た」というのは偏 憶えてないけれど、一人のお母ちゃん お正月、お母ちゃん った。当時、万円ためたら自立して見の目で見られてた は売春していた。 生田就職差別もひどかったみたいで が年末に働いたからお年玉もらったと市営住宅とかに出て行 かね。 は「あいりん小中学校」をそうして出すね。 て行ったこどもたちを転校先に訪問し 母子家庭は即生活保護にはならなか 小柳中学校はそうだった。先生が抗 たら、行った先の学校でやつばりお客議しました。同和地区の中学校で同和 った。働けるとい , っことが則提で、よ 問題と取ら組んでた先生たちがこっち ほどの事、病気になったとかだったら様扱いでしたね。 それから、障害を持ったこどもたち に来てから、大阪市に対する働きかけ 生活保護になるけど、なかなかならな かったですね。結果的には、お父ちゃ も、教育委員会としては難波の養護学も大分よくなりましたよ。交渉の仕方 んもお母ちゃんも病気になって入院し校とかに出したわけです。そしたら本を知ってるから。 当にもう、「あいりん小中学校」では 設立間もないとき、多くの先生たち て、こどもたけで生活してて生活保護 169