問題を、他人事として分析するのではなく、主観的に語 して非学会員のゲスト ( 栗田隆子・水月昭道 ) によって ることが大事たと思ったのである。 担われていたのはよくなかったように思う。努力が足り ないから就職できないのではなく、ポストが足りないか ら就職できないという構造的問題がどのように主観的経 3 非正規の経験 わたしが社会学を専攻して大学院に入ったのは、一九 験として生きられているのかを、若手の社会学者がもっ と語ってもよかったのではない ) 。 九〇年代の大学改革で大学院重点化として大幅に大学院 オた ( たから大学院には人りやす と思っていたら定員が増員された時期ごっ そこは他人任せにしないほ - つがよい われているのはつねに自分自 かった ) 。それまで一学年数人だったところに、新入院 翌年の企画に招かれた。問 身なのた。二〇一一年九月、関西大学で開かれた日本社生が十数名人ってくるという混乱の時期であり、博士号 会学会第八四回大会で、前年度のロスジェネ部会を引きを早期に取得させなければならないということで、とに かく早くに博士論文を書いて修了することが期待され 継ぐ若手企画テーマ部会「次世代研究者問題を語る】 sociology in L ま」が開かれた。司会は、長松奈美江 ( 関る大学院生活だった。博士論文の規準もよく知らぬまま 西学院大学 ) で、話題提供者は小内透 ( 北海道大学 ) 、入どさくさまぎれに博士論文を書き上げて博士課程を修了 江公康 ( 非常勤講師 ) 、渡邊太 ( 非常勤講師 ) 、齊藤誠 ( 一しても大学の専任職のポストにすぐに就けるわけではな 二〇〇三年から非常勤講師の仕事をかけもちしなが 橋大学 ) の四名である ( 所属は当時 ) 。わたしは二〇一一 年三月に大阪大学の助教職を雇い止めになっていたので、ら細々と研究をつづける生活に入った いくつかの大学で非常勤講師として勤 ゼニカネの話をすると、非常勤講師の給与は週一コマ このときは失業中 ( 務 ) だった。話題提供者のなかでは、入江公康とわたしあたりおおよそ月額二万四〇〇〇円—二万八〇〇〇円程 が非正規当事者としての役割を期待されていたので、主度が相場で、まれに高給な私立大学では三万円を超える ド正規、不安定労働の場合もある。一回の講義につき六〇〇〇円程度にはなる 観的に経験を語ることに努めた。ョ 非正規の自立 9
すなわち各国では、『福祉依存』の脱却をめざし、職業 、わ . ( な・け・ . れ一はわな、らわない。 訓練機会の提供や職業紹介、個人や企業を対象とする報 そこで前提になっているのは、いわば「社会復帰」 「企業就職」、言い換えれば「社会Ⅱ会社 ( 資本 ) 」とい奨金といったインセンテイプの強化とともに、本人が求 う等式である。そして、この「社会復帰、あるいは「社職活動や社会的活動、職業訓練に参加しない場合には給 会参加」という発想は、日本たけのものではない。それ付を停止するなどのペナルティを導人した。」 ( 水島治郎 は、先進諸国で進められてきた「福祉から就労へ」と『反転する福祉国家オランダモデルの光と影』 ) 。 この流れに沿って「 welfare ( 0 work 」を 日、本•-•03 ( 4 へ いう流れと一致していた。 「特にイギリスープレア政権 目指す「自立支援ーを行なっている。「自立の意思のあ 下の「就労のための福祉 (welfa 「 ( 。 wo 「 k) 』を代表とし るホームレス , に対して行なわれる職業訓練、健康診断、 つつ、西洋各国の福祉改革に強い影響をあたえてきた 『ワークフェア』の原理は、『参加』の促進を前面に押し生活相談もその一つと言える。 しかし、「ホームレス自立支援法 , にあるこの「自立 出すものだった。周知のように一九九〇年代以降の先進 諸国は、高齢化や構造的失業の存在による福祉給付受給の意思のあるホームレス」という箇所、それは実は、野 ・ハル化や経済通貨統合を背景とす宿当事者、支援者の間で最も激しい議論が交わされたト 者の増加、グロ ] こ。よせなら、現実の野宿者はほぼす る財政支出抑制の必要性、さらには就労者・福祉給付受ビックの一つだっオオ 給者の分断の固定化による社会的分離といった、福祉国べて、「家族」にも「施設」にも「生活保護」にも頼ら 家の基礎を掘り崩す問題に直面した。そしてここで採用ず、文字通り「自立生活ーをしているからだ 野宿者の多くは、アルミ缶集めやダンポール集め、古 された対応策が、さまざまな便益・制裁を用いて福祉給 付受給者らの就労を促進することで、社会保障財政を再雑誌販売などで生計を立てている。それは多くの場合、 建するとともに、周縁化されていた人々を再び社会的プ「時給 100 円」程度の「究極のワ ] キングプア。状態 ( 一方、いわゆる「労働。をほとんどせず、廃棄食品など ロセスに復帰させていくことⅡ社会的排除の克服である。 190
失業保険の給付を受けるまでに、気が付くと 1 か月以な保険証が使える訳無いじゃないですか ! 」と私は市役 編 上が経ちました。 所のカウンターで激高しました。私は市役所の対応と意 識の低さに思わずうな垂れ、かつあきれました。 業 事 社会保険の離脱については、雇用保険以上に私を悩ま せました。 事業所の所轄である年金事務所に出向いて、社会保険介 8 月万日で退職した私は、当然会社の社会保険は使えの離脱証明を受けられれば国民健康保険は発行するとい せ ません。 うので、立川の年金事務所にも出向きました。 まず、地元の調布市役所の国民健康保険課に出向き国 ここも動きが緩慢で私をいら立たせました。会社側に 取 を 民健康保険の加入を申請しようとすると、自治体は会社「手続きを進めるよう依頼した」と話しても、私を邪魔 に私の離職の確認をします。すると、会社側は「 < 」がしたい会社側が円滑に手続きを進めるわけがありません。賃 応対し、「私はまだ退職していない」と言い張り、「国保年金事務所は私が「社会保険離脱の確認請求 . を出す 払 へは加人させないでくれ」と担当の職員に言ってみせま と、「年金事務所としても動いて会社を調査しなければ未 ならないのですーと言い 「だから面倒くさい」という 言葉を飲み込むかのように渋い顔を見せ、対応を嫌がっ たのです。 驚いたのは自治体の労働法に関する知識の少なさでし 何と、この担当職員は「離職しても引き続き社会保 険を使ったらどうですか」などと無責任に言い放ったの 「年金事務所は会社側の怠慢と法律違反なのを見過ご です。 すのか ? 」と私がけしかけると、ようやく了承したので 辞めた職場の保険を使うのは当たり前ですが違反です。す。最終的に国民健康保険の切り替えは最初に年金事務 「法律を知らないで想像で説明しているんですか。そん所に出向いてから、やはり 3 週間の時間があっと言う間
災地のボランティア仲間だった会社経営者から声をかけられと国家 ( 社会保障制度 ) によって作り出される「人災 就職した ) 、元の自室へ帰って行った である。一方、資本や国家、家族によって作り出される支 ある意味では、「復興」は、災害ュ ートビアから日常日常の「生き苦しさ」Ⅱ「息苦しさ」もまた二種の災立 生活という「一種の災害」 ~ の復帰である。その日常と害」である。われわれはこの「二つの災害」を解決しな は、たとえば「社会規範が温存されたまま自分だけ飢えければならない。言い換えれば、「復興。と「脱貧困 るー貧困問題が頻発する場所である。貧困問題に関する は、社会の「腐朽した柵、を打ち破る、ユ ートビアの可困 「自立支援」「社会復帰」は、いわば「社会規範が温存さ能性の「解放、と同時でなければならない。 反 れたまま」その個人が飢えない、具体的には「会社に就 職する」状態を目指す。しかしその時、被災地や野宿の 8 現場に現われていたユ ートピアの可能性も消える。「社 上山和樹の言う「自分の肺で呼吸している実感」は、 会規範」を相対化する視点がない限り、上山和樹の言う阪神淡路大震災の中、国家と資本による「規範に締め付 「自分の肺で呼吸している実感」を得られない、つまり けられた無感覚」Ⅱ「日常」の崩壊の中で現われた。彼 「息苦しい」Ⅱ「生き苦しい」と感じる人々が多数残さは、その状況で「社会」を発見する。彼の言う「社会活 れるのかもしれない。 動」っまり「社会参加」である。しかし、一方で疑問も もちろん、復興は進めなければならない。貧困問題が起こる。上山和樹は国家と資本による社会規範からの解 解決されなければならないように。しかし、貧困問題の放について吾っ , 言たが、「家族」という社会規範の「息苦 解決を「社会規範が温存されたまま、目指すなら、それしさ、についてはほとんど語っていないということだ。 は日常生活という「一種の災害」の激化と同時進行とな被災地で活動したひきこもりの若者たちの多くも、や がて元の自室に帰って行った。それは、その若者たちが よく言われように、貧困は社会、特に資本 ( 労働制度 ) 「家族」 ~ の経済的依存 ~ 戻っていったことを意味する。 213
まず、事業所のある地域を所管する立川労働基準局へかをしてくれるわけじゃないなあと、私は分かっていた 足を運びました。 6 月に女性社員の賃金未払いで呼び出つもりでも労基の頼りなさに失望してしまいました。 されてから 2 か月、今度は自分自身の賃金未払いの申し 立てで足を運ぶことになるとは、思ってもみませんでし次にすぐ近くにある年金事務所に出向きました。会社 は社会保険の未払いが続いていたので、私の社会保険料 私は当時の監督官を窓口で呼び出しました。「実は私を会社が支払っているか、督促状を日々目の前にしてい 自身も賃金が未払いで困っています」と伝えました。 ると、やはり不安になったからでした。会社名と年金手 監督官は「やはりそんなことだろうと思っていました帳の番号などを伝え、支払の履歴を打ち出してもらいま : 」とそうだったか、という表情でした す。 結果は・ 、無事に社会保険料は完納していました。 「でも遙矢当さん、あなたは役員に就任していますか とらあえず退職して以降社会保険料でトラブルが生じ ら、労基の管轄にはならないのですよね。名目上の役員ることはないな、と安心しました。 であったかもしれないけれど、会社法の問題であるとか は労基の管轄外なので、弁護士さんに相談にいくなりし さて、次は事業所の所轄のハローワークです。 て進めてもらうしかないでしよう。ただ : 、今回の場合、 ここが最大の関門でした。私は雇用保険の加入状況に 会社から未払い分が取れますかね ) ・私は ( 裁判などで ) ついて確認してくるよう、東京都労働情報相談センター 争っても難しいと思いますよ」と言いながら、私に押しから指示が出ていました。会社都合で退職することにな 返すように関わりたくないという露骨な態度でした。 るものの、こちらもまた保険料の支払い督促を受けてい たこともあり、未払いではすぐに失業保険が受給できな 話には聞いていたけれど、労基はいざとなった時に何 くなるからでした。恐る恐る担当職員に聞くと、こちら
を教え、任期制の研究員と助教の職に就き、雇い止め後学術振興会 ) と柳原良江 ( 東京大学 ) で、登壇者は、石川 の失業生活も経て、二〇一二年四月から専任講師として良子 ( 日本学術振興会 ) 、牛渡亮 ( 東北大学 ) 、大理奈穂子 関西の中小規模の私立大学に就職することができた。大 ( お茶の水女子大学 ) 、栗田隆子 ( 有限責任事業組合フリー 学院を修了後は、任期制の職に就いている間も含めて毎ターズフリー ) 、水月昭道 ( 立命館大学 ) 、阪ロ祐介 ( 大阪 年のように履歴書を各地の大学に送り続けた。現職に就大学 ) の六名である ( 所属は当時 ) 。 くまでの就活歴は十年になるから、就活に関してはペテ 日本社会学会の若手企画テーマ部会は、研究活動の活 ラン級である。いまの職は専任職とはいえ五年の任期が性化のために二〇一〇年に開始された企画で、公募に つくが、審査の上で更新の可能性もある ( 冗談でよく「任よって採用された四〇歳未満の会員一〇名程度からなる 期者ⅡにんきものⅡ人気者」と言われるが笑えない ) 。一年若手フォーラムによって部会が運営される。名古屋大学 契約で毎年雇い止めの不安に怯える非常勤講師時代と比ではじめての若手企画テーマ部会のひとっとして、「ロ しふ生活の基盤が安定したように感じられる。 ーター世代をあらわす用語「ロスト・ジェ スジェネー ( フリ それでも五年後は雇い止めかもしれない。いまは自立でネレーション」の略 ) という言葉が使われたのは、若手 きことい - んるのだろ , っカ 研究者の就職問題を積極的に取りあげる意図からである。 若手研究者の就職問題については、登壇者のひとりで 2 ロスジェネ部会 ある水月昭道の著書「高学歴ワーキングプア 二〇一〇年一一月、名古屋大学で開催された日本社会 ) ーター生産工場」としての大学院』 ( 光文社 ) が二〇 学会第八三回大会で、若手企画テーマ部会として「ロ〇七年に出版されたことをきっかけとしてひろく知られ スジェネに『日はまた昇る』か ) ・ 格差社会で希望るようになった。博士号を取得して大学院を出ても専任 を探す」と題したセッション ( 以下、ロスジェネ部会と略教員のポストに就けず、複数の大学で非常勤講師をかけ す ) が開かれた。ファシリテーターは、安達智史 ( 日本もちして勤めながら年収二〇〇万円前後で生活する若手
なのだろう。 を手に入れて生活している人もいる。たが、自分の才覚を使っ て生きているという点では変わりないだろう ) 。しかし、こ 人間が社会的に生活するためには、「土地の購人」あ支 うしたアルミ缶集めなどの「自営業ーで労働している るいは「物件の賃貸」が必要だ。それができない者は立 自 レ」 野宿者は「ホームレス自立支援ーの対象となる。なせな「社会」に属しておらず、しこゞ オカって「自立ーしていな ら、その理由はただ一つ、その人たちが「野宿ーしてい 。この論理の結果、「野宿者」Ⅱ「自立していない人 るからだ。われわれの社会では、道路や公園や河沿いで 「社会から排除された人間」という定義が行なわ困 生活していると、こ・こ オオそれだけの理由で「自立していなれる。その人々に対しては、「施設」と「就職支援」が反 と見なされる。 」ッ帳ーに ~ 、よっこ オ「自立支援ー「社会的包摂」が官民を挙 一方、自分の土地に住んでいる人の場合、その土地でげて取り組まれる。一方、それに対して、野宿者が施設 テントやダンポールハウスで暮らし、アルミ缶集めなどを拒否し、公園や路上で生活している場合、その人がど で生活していたとしても、それたけでは「自立支援」のれほど労働していても「自立の意思」あるいは「社会復 対象にならない ( 本人が申請すれば、生活保護の対象にな帰の意思」がないと見なされる。 る可能性はある ) 。ここから考えると、われわれの社会で これが、われわれの社会が自明視している野宿者の は「土地の私有、あるいは「物件の賃貸契約」の有無が「自立支援、あるいは「社会復帰」である。それは、「当 「自立」の決定的なポイントの一つとされていることが 前」に見えるかもしれよ、。・こゞ、 オしナカこ , っした「・目立 わかる。そこでは、いわば「社会参加」Ⅱ「土地 ( 資本 ) は、必ずしも普遍的なものではなかっオオ・ ' 、。よせなら、立早 の所有 ( 賃貸 ) 」という等式が前提なのた。われわれの害者運動の中では、かって「脱施設」そして「職業的な 社会は、「社会Ⅱ会社 ( 資本 ) 、と同時に、「土地 ( 資本 ) 、自立の相対化、としての「自立、生活が語られていたか の私有を「社会参加」の絶対的要件としていることにな る。その意味で、われわれが生きる社会は「資本」主義 191
否し、「脱家族」「脱施設」としての自立を訴えた。い ートを借りて家賃を払えるほど稼いではいないけれど ば、「家族。からの、「施設」からの自立である。 も、公園の片隅で野宿しながらであれば、何とか生活で支 「一人前の人間としての扱い」を受けない状態を拒否きています。野宿生活を始めてから、いろいろと苦労し立 自 レ」 し、むしろ「経済的自立のできる者だけを人間として扱て試行錯誤しつつ、地域の人たちと関わりあいながら、 、それのできぬ障害者はごくつぶしのや「かい者とし今の生活を築いてきました。どこかの銀行や空港会社や運 て隔離し、殺していく現在の社会常識を根底から変革娯楽施設などとは違い、行政の手助けは一切なしで生活困 していこうとする」こと。障害者運動は、この「 ( 社会 ) してきました。」 ( 「さんの弁明書」 2007 年 1 月川日 ) 反 関係の自立」によって介助者をはじめとする「新たな他 フ」 0 0- 0- 者との関係性」、新たな社会関係を作り出そラとしてい 年、日本の行政は野宿者の「就業の機会」を た。しかし、障害者運動が発したこの「否定、と「変革」作り「自立させる」ための切り札として「自立支援セン は、「障害者自立支援法」ではほぼ無視されてい ター」を創設した ( 現在も稼働中 ) 。入所者は、「自立支 それでは、障害者運動が問いカこた 「否定」と「変革」援センター」で原則三ヶ月生活しながらハローワークに は、野宿者やひきこもりこ し対する自立支援策ではどのよ通い、就職を目指す。そこでは、宿泊場所と食事などが うに捉えられるたろうか。野宿者についての自立支援に提供される他、生活指導や就労指導を行い、就職に伴う ついては、例えば、文字通りその名を冠した「自立支援情報提供も行なわれる。 センター」を通してその実態を理解することができるか また、「自立支援センターーに 人所する前の約 4 週間、 、もしれない。 人所予定者は一時施設で「適性を判断する、という趣旨 での集団生活を強いられる ( この待機期間が、人所予定者 にとって大きな心理的ストレスになっている ) 。さらに、自 「今、私は自立しています。自力で稼いでいます。ア立支援センターに入所してからも、その多くは「二段 195
一方、この年齢層の完全失業率は 2003 年以降 3 ・ 3 として「家族ーは生活する。それに対して、夫は「会社 54 ・ 8 % 。この年齢の人たちと、そのうち親と同居しのためになることがすべてに優先する」会社人間として支 ている未婚者の完全失業率の間には、 2 倍以上の大差が働く。その夫を支えるため、妻は家事や育児や介護に専立 ある。つまり、仕事のない囲歳から歳の人たちが、経念し、それによって結果として「国家」の福祉の負担をと 済的理由によ「て親と同居し続けていると考えられる。軽くする。「国家」は、「会社」と「家族、の一体化を支運 この—歳の未婚者の親の多くはおそらく 間代援するため、専業主婦を保護する配偶者手当制度などの困 たろう。つまり、日本では若者—壮年の失業・貧困問題さまざまな税制、社会保障や政策を実施する。これに 反 は、「野宿。ではなく「高齢の親との同居」という形でよって、「国家・資本・家族」の日本的な「内的因果関 社会的に隠されている。若者—壮年の貧困を、「家」な係に立っ三極構造」 ( エスビンⅡアンデルセン ) が作られ る。 どある程度の資産を持っ親が支え続けているということ しかし、近い将来、この親はいなくなるたろう。そ 日本の社会保障が、今でも「個人」単位ではなく、特 のとき、この層のかなりが一気に野宿あるいは生活保護 ) 「専業主婦ーを前提としたジェンダー価値観に基づく になる可能性は高い。 「家族」単位であるのはこのためだ。たとえば、日本の これは、資本、国家、家族の在り方が個人の生活の在生活保護は「世帯、単位で、かっ世帯が別でも 3 親等内 り方を決定する一つの例である。この人々に継続した仕の親族 ( 曾祖父母など ) にまで扶養が求められる ( 一方、 事があれば ( 資本 ) 、あるいは仕事が途切れても一人でイギリス、フランスなどでは、扶養義務は同一世帯の配偶者 の生活が保障されていれば ( 国家 ) 、その多くは「家族」と親子のみ ) 。日本では、個人が生活に困窮した場合、ま と同居していないかもしれない。 ず「家族」「親族」で解決するように求められる。貧困 日本の「会社ーは、高度経済成長期を頂点に労働者の に関して「自己責任」以上に「家族 ( 血族 ) 責任ーが求 生活保障を担ってきた。「会社 , による終身雇用を前提められるのた。 215
自立、「公的援助」からの自立などがあるたろう。 「公的援助ーの一つとして、生活保護がある。生活保 たとえば「ホームレス自立支援法ーの第三条は「ホー 支 護法の第一条は「この法律は、日本国憲法第二十五条に ムレスの自立のためには就業の機会が確保されることが 規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民最も重要である」とし、「自立の意思があるホームレスと に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、そ に対し、安定した雇用の場の確保、職業能力の開発等に の最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長よる就業の機会の確保、住宅への人居の支援等による安困 することを目的とする」とある。自力では「最低限度の定した居住の場所の確保並びに健康診断、医療の提供等反 生活」を維持することができない人に対して、国として による保健及び医療の確保に関する施策並びに生活に関 それを「保障」するということた。 する相談及び指導を実施することにより、これらの者を では、生活保護の利用者にとっての「自立」とは何だ自立させること」としている。つまり、ホ】ムレスは ろうか。一部の高齢者や障害者など労働が困難な人たち「自立」できていない人たちなので、「職業能力の開発」 は別として、特に「稼働年齢」の利用者については、そ「人居の支援」「生活に関する相談及び指導」などのさま れは「就労自立」、とりわけ民間企業での就労である。 ざまな社会的支援によって「就業の機会」を得て「自立 つまり、生活保護利用者が民間企業などに就職して生活させる」必要がある、ということだ。 保護を必要としなくなった時、「自立」したと言われる。 ここでは、特に野宿者やひきこもり、時には生活保護 というより、それ以外の場合で、ケースワーカーや福祉利用者について言われる「社会復帰」という言葉も思い 事務所が「受給者が自立した」と言うことはほぼ皆無で出される。野宿者やひきこもり、生活保護利用者は「社 はないだろうか。そして、「就労」を最終的な目的とす会参加」できていない。したがって、施設などに入り、 る点で、多くの場合、野宿者、若年無業者、ひきこもり、 場合によっては様々な生活・職業訓練を受け、最終的に あるいは一人親家族に対する「自立支援」は共通してい 「企業に就職」することによって「社会復帰」してもら る。 189