男性の未払い賃金の請求に道筋が付き、行政からも会 しかし、「」「」の二人は「自分たちの言い分た : 社に圧力がかかることで、結果私自身の未払い賃金の請を、無条件に受け入れて欲しい。それ以外の意見を聞き 求にも有利に進むことにもつなかりました 人れるつもりはない」という態度を私に繰り返しました 事務所の鍵を返せー すると「」は「お前はずるい ! 」と突然言い放ちま すぐに日付は加日になりました。会社側と炻日の話ししこ。 合いの続きが持たれました。まず私が「先週炻日の話の 私も売り言葉に買い言葉で思わずカッとなりました。 続きがしたい」と告げると、早速「」が「で、今後ど「あなたに 「お前」と言われる筋合いはない」と。 うするの ? 」と話を逸らせてきます。まったく 「今後ど これに「 <_ は激高し、「それたったら事務所の鍵を うするの ? 」と問いかけているのは、私のほうです。 返してから一一一一口え ! と怒鳴り返してきました。私が静か 会社側がきちんと対処出来ていないし、これまでも投に事務所の鍵と私が座っていた机の引き出しの鍵を引き げかけた質問に回答をしよ、 ) オしカらことこじれてきている渡すと、「 < 」は黙って受け取りました わけです。 そして私は「今日の話し合いはこれで終わりのような 私が「お願いしたものは準備出来ていないんですので : : : 。失礼しますーとい告げて事務所を後にしまし ね ? 」と念を押すと、「 < 」は、「自分の話ばかり言いっ ばなしで、俺たちの話をなせ聞かないの ? 」 とまたもや居直ります。 今日の結果をすぐ事務所に連絡すると、弁護士から 「会社側が「解雇」を伝えたのか」を確認するよう指示 私は彼らの話をきいてきたからこそ、 6 ヶ月も会社側が出ました。これは明らかに私の初歩的なミスでした。 の対応を待ち、二人の意向を尊重してきたわけです。 会社にはメールしました。すると「」から「会社は解
村行政代執行の記録』 ) 。力 / 「家族と分かり合ったことはない」一方で、テント村 「私は、自分もテント村の一員のような感情を抱き始 という共通点から。当時、私では「生臭いぐらいの人間同士の関わりがあった」。そ めた。社会で生きにく、 こでは、野宿者やそこに集まる若者たちが「気持ちを吐 は大学院人試を控えていたのたが、その勉強が思うよう き出すことができる」。その若者たちにとって、息をつ にいかず、何度となく長居に行き、励ましてもらっ ' く場所のないような社会の中で、テント村は貴重な居場 「お前は、学問の面で、俺たちはここで、一緒にやって い、がんばろうと思った。こ所となってい いこ , っ』とい , っ言葉をもら いま「テント村」は、大阪では ( 釜ヶ崎の他には ) 西 の当時から私は鬱病にかかっており ( 通院はしていなかっ 2012 年に西成公園に たが、明らかに鬱の症状が出ていた ) 長居は私にとって、成公園ぐらいしか存在しない。 来た学生がこう書いている。「釜ヶ崎での経験を振り返っ 数少ない心のなごむ場所だった。大学院入試が終わった その足で長居に行き、自分のできとしては、落ちたと思っていますと、野宿者の方々に惹かれるものがあることに ていた。何も書けない問題があったから。 z さんとさ気づきました。初対面で部外者である私たちに優しくし てくたさったこと、とても明るくて楽しいところ、私 つもいつもなぐ んがいて、私はまたなぐさめられた。い しい』と感じた雰囲気などが が「人目を気にしなくても、 この日もそうだった。私を妹のよ さめてもらってい うに、娘のように思ってくれ、私も兄のように、父のよ大変心に残っています。私が会場に一人ぼつんと立って いた時は気を遣って話しかけてくださいました。積極的 うに思っていた。こんな関係性ができるものだろうか に話してくださる方もいらっしゃれば、不器用そうな感 これもテント村という場所があったからだ。あそこに行 けば誰かがいて、話し相手になってくれる、私の気持ちじで無言でも優しさが伝わってくるような方もおられま を吐き出すことができる、そういう場所になっていた。」した。釜ヶ崎で出会ったみなさんの温かさを感じ、本当 に嬉しかったです。 / 私は人と会話や何かの活動をして ( 大学院生 ) ( 『それでもつながりはつづくー長居公園テント 200
いた、この会社に対する小さな炎というか光のような希 望がロウソクのようにふっと消えてしまったのです。 所 これで私も、 小さい会社であっても役員か、などとい 2012 年の 3 月日は、これまでの私の職業人生の業 事 う甘ったるい余韻が残りました。でもこれもまた、後々中で忘れられない日の一つになりました。 尾を引くだろうとは、世間知らずな私は露にも思いませ んでした。一 役員の件は誰にも言えませんでした。これは「では辞めてもらいます せ 「名ばかり」で、会社の経営が安定すべく立ち直ったら 私は事務所へ出勤するや否や、「僕の給料はこれから戻 役員は辞めて会社そのものからも離れよう、そう思ってどうなるのですか ? 」と、率直にかっ真摯に「」へ 取 を たのです。 したたしました。 金 すると「」は「神奈川県内で取引している土地が売 そして、あの 3 月日。 れたら出せる」と言い出し、給料の支払いは何と不動産 払 朝「念のためにー銀行の通帳をカ・ハンに忍ばせて職場の売却益に期待を持たされることになったのです。 に向かいました。気がせくせいか、思わず出勤前に銀行 そう、それは私の給料の支払いが「予定は未定」とい のに寄りました。 う事態に突人していったことも意味していました。同様 「やつばり : 。給料が無かった」どうせ給料なんての話は「 < 」も私に繰り返しました。「今俺の取引して 無いたろうな、と予め思いながらの前に立ちまし いる不動産が売れたら、時期は 2 か月くらい遅れるかも た。とはいえ、改めて給料が振り込まれず記人が進まなしれないけど、ドーンと資金は入ってくるから」などと かった通帳を戻されると、私は下唇を噛みしめるしか出根拠のない期待だけの話を私に聞かせてきました。 来ません。 それと同時に 小さいながらも私の心の内側で灯って 「いつになったら給料が支払われるのか : : : 」
失業保険の給付を受けるまでに、気が付くと 1 か月以な保険証が使える訳無いじゃないですか ! 」と私は市役 編 上が経ちました。 所のカウンターで激高しました。私は市役所の対応と意 識の低さに思わずうな垂れ、かつあきれました。 業 事 社会保険の離脱については、雇用保険以上に私を悩ま せました。 事業所の所轄である年金事務所に出向いて、社会保険介 8 月万日で退職した私は、当然会社の社会保険は使えの離脱証明を受けられれば国民健康保険は発行するとい せ ません。 うので、立川の年金事務所にも出向きました。 まず、地元の調布市役所の国民健康保険課に出向き国 ここも動きが緩慢で私をいら立たせました。会社側に 取 を 民健康保険の加入を申請しようとすると、自治体は会社「手続きを進めるよう依頼した」と話しても、私を邪魔 に私の離職の確認をします。すると、会社側は「 < 」がしたい会社側が円滑に手続きを進めるわけがありません。賃 応対し、「私はまだ退職していない」と言い張り、「国保年金事務所は私が「社会保険離脱の確認請求 . を出す 払 へは加人させないでくれ」と担当の職員に言ってみせま と、「年金事務所としても動いて会社を調査しなければ未 ならないのですーと言い 「だから面倒くさい」という 言葉を飲み込むかのように渋い顔を見せ、対応を嫌がっ たのです。 驚いたのは自治体の労働法に関する知識の少なさでし 何と、この担当職員は「離職しても引き続き社会保 険を使ったらどうですか」などと無責任に言い放ったの 「年金事務所は会社側の怠慢と法律違反なのを見過ご です。 すのか ? 」と私がけしかけると、ようやく了承したので 辞めた職場の保険を使うのは当たり前ですが違反です。す。最終的に国民健康保険の切り替えは最初に年金事務 「法律を知らないで想像で説明しているんですか。そん所に出向いてから、やはり 3 週間の時間があっと言う間
いよいよ戦闘開始ー 況で、私は新しい年俸契約の話など出来ないと思いまし た。その契約にしても口頭だけで、具体的な話をぼかそ ところで私は、「の意向で 8 月 1 日からケアマ うとしてとても信用など出来ないものでした、結局「 8 ネージャ】に就任していました ( Ⅱ居宅介護支援事業所の 月のお盆前、給料日を迎えるときにもう一度話し合いを新設 ) 。 しよう」ということだけを決めました。 ケアプランの作成を通じ、利用者の介護サービスの管理 そしてこの日で私は役員の辞任はしたいと思っていま と営業を一手に行うケアマネージャーが事業所内にい ' 、 ほうが、集客が良いたろうという「」の発想でした。 単純にもう潰れかかってしまった会社で役員をしてい 確かにそうなのですが、もはや会社も末期的でしたの るなら、自分の身に何が降りかかってくるか分からない で今更の感も強まっていました。この頃になると、私も し怖いという思いからでした。すると「 < 」「」ともさすかにいっ会社を辞めようか、と思い悩み始めていま 「今は登記を変更するのに必要なお金が無いから無理なした。なので、私がケアマネージャーになったからと んたよ。待って欲しい」と言い返します。 言って、いっ辞めるか分からないのに利用者のケアプラ オし。カン」田 5 い斗 6 私は「何で今は退任できないんですか ? いつになった ン作成を担当するのは、当然無責任じゃよ、 ) ら退任できるんですか」と二人に問うと、「もう少し時した 間が欲しいんだ」と口を揃えました 登記の費用とは別に、何か登記を変更することで不都 8 月川日、 7 月に引き続き「」「と未払い賃金 合になる理由があることに気が付きました。私は「ますの話し合いを進めました。 ます状況はヤ・ハい方向に向かっているな」と。 まず、次回の給料日である日に給料が支払われるか について私が聞くと、「」は私に焦るそぶりを見せな がら「今月も支払える目途が立っていない と一一 = ロい返し
問題に悩まされていた妻の希望もあって引っ越しを余儀寒いまま「春」を迎える 編 なくされていた時期で、何かと物人りたったのです。 話し合いのあった翌日の朝、「 < 」「」は私に「今二 人の本業である不動産取引で、融資を受けられなかった 業 事 「 < 」から出資の話を聞いた時点で、即あり得ないと分の運転資金を引き出すから、少し時間を見て資金繰り 思いました。 を待っていてほしい」と私に告げました。 「 < 」「」とも、もし出資出来ないなら会社を辞めて もうこの会社は完全に先行きはダメなのたろうな、と せ もらっても構わないし、そこは決めて欲しい。などと私経営には疎い私でも思いました。ただ私は、元々人気が戻 に追い打ちをかけるような軽はずみな発言が続きました。 ない、評判が向上しない「夜間対応型訪問介護」のサ】 を 私は、私自身が設立した会社ではないので、資金繰りビスであっても、もう少し打開策はないたろうかと思案 金 は「 < 」「」二人の責務であると思いました。 したのです。 賃 当然でしよう。私はその場で「出資は出来ない」と答 払 えてもよかったのです。ただ、その場で「仕事も辞めま 3 月に入ると、「 < 」「」の二人は介護サービスの営未 す」と言い出す勇気が持てなかったのです。 業時間を増やすという展開に出ました。 高齢者からの在宅介護のニ】ズは四時間常にありま 当時を思い返すと、「あの時に毅然と言い返していれす。一見それは「正論」なのですが、私は直感的に「何 ばどんなによかった事たろうなあ」と思ったりもします。か違う」と思い「それではためだろう」と思ったのです。 たた当時は、ここで今辞めてすぐに納得のいく新しい仕 事と出会えるか。そして、今辞めて、の経緯を妻が納得 一番疑問に思ったのは、「人件費が確保出来ない程財 してくれるか・ それを思うと、とても突っ走るよう政の厳しいこの事業所が、新たに介護事業を増やして業 な態度には出られなかったのです。 績が改善できるだろうか」ということでした。
呼び出し 自転車操業で突っ走ることを余儀なくされた瞬間でした そして、今回準備不足のまま立ち上がったこの介護事介護サービスの利用者も相変わらず増えず、正月気分 業は、すぐさま負けてしまった瞬間でもありました。 の薄れてきた 2 月のある日。 介護事業は誰もが容易に立ち上げられるものです。 私は出資者「」が住むマンションに「 < 」と共に車で けれど、その最初の芽はか細くてもろく、ふとした拍連れて行かれました。私が「事務所で話し合いが出来な 子にはすぐに折れてしまいます。 しのか ? と尋ねると、二人とも黙るたけでした。 「」のマンションに着くなり、私は「」から事業 その頃、とても不穏なニュ】スが私に届いていました。 所の試算表を突き出されました。すると横から「 < 」が 私をこの介護事業所に紹介した女性が、事業所の責任者口を挟み、「もうこの会社の資金が底を尽きるのよ : : : 」 として経営の責任を半ば強引に「」「」から取らさ と、半ば開き直ったような態度で私に説明をしてきまし れて退職に追い込まれていたという話でした。やはり彼 女が中心となっていた千葉県の夜間対応型訪問介護事業 すかさず「 < 」は、「なあ遙矢当君、現金にして オしカその見 10 0 万円、出資してもらうことはできよ、 ) 。 所も、なかなか売り上げが伸びず苦戦していて、その状 況は彼女から私の携帯に時々連絡が人っていました。 返りとしては会社の株を渡すから」というような、今思 あげく、彼女は会社の諸費用を最終の給与から清算さ い返しても虫のよい、人を見下した所すらある発言だっ たと思います。 せられたとの話しも聞かされ、「 < 」「」の普段は見せ ない冷徹な一面を見せられた思いがしていました。 そして、この思い以上に冷徹な思いを私がさせられる もちろん 100 万円などという金額は、庶民があっさ ようになるとは、つゆにも思っていませんでした。彼女りと耳をそろえて用意できるような金額ではありません。 から発せられたのは「警告」だったのです。 ましてその当時の私は、プライベートで自宅近隣の騒音
いと思う、人が自分に対して善である のカで出来る事ではなく、その向かい になるのかもしれませんし。 事を望む気持ち」「どうして私を傷つ 合う事を支えるやり方をこそ、どうし なせヴェイユがその幼い信頼感を簡 けるのか」と思ってしま , っ子どもっぽ たらいいのか考える必要があるともお 「悪いもの、ではなく「聖なるもの」 、多くは沈黙の中でしか間われない もいます。文字通り、私が「書けなく と表現したのかわかりませんが、たた、 、仼 気持ち、というものこそが「聖なるも なったのもそのあたりと深く関わり 私自身はこれほどの暴力として表れるの のた」とヴェイユは書いていたのを読 があります。 中で、むしろこの自分の幼い期待そのし み、とてもそれが頭にひっかかってい あと、ヘンな話、その子どもっぽ ものを「なかったことにし」「押しっと たからです。 い信頼感について考えないと、結局ぶす」ことで違う暴力を噴出する事に ちなみにそれをある私の友人にいっ 後 は「最低限の良識」さえ守られないよ怯えます。 たら「聖なるものというのは意味が分 うな事態があるのかも、とおもうから 生田さんが外国について話をされま からない。でもこれを人に向かってい です。特に運動団体は金や制度による したが、外国ではどんな〈場〉があ ったら、それは期待が重くて、何か脅保護が乏しいです。結果として金が適るのでしよう ? 私が今、語ったよう 迫みたしし 聞こえる」と返事が返って切に配分されることを考えるためにも、 な、社会構造の問題と、運動内部の問 きた事もまた私の頭をよぎっています。 この信頼について考える必要があるの題を語りうる場所というものはあるの でも私はこの「子どもっぽく」「人でまよ、 ) 、 しオし力と思うのです。 でしようか ~ せひ知りたいと思いま にどうしても期待して」 ( たけど子ど ああ、すみません。話が私の感覚ばす。そして信頼というものがどういう もっぽいと思うから、あるいはそれを裏かりであまり論理的ではありません。 ふうにあらわれているのかを知りたい 切られたら、それこそ死ぬほどっらいか でもとりあえずこのまま続けます。 とここまで語ったところで、私 らたいていはなにもいえず ) 「沈黙する」。 それに、自分の幼い信頼感への対処 の語りはやつばりどこか「宗教」的 その信頼感みたいなものに向き合わな の仕方がわかれば、それこそ私の友人 だ、とハッと気かっきました。それこ ・け・ . れ一は転な、ら . 〈ないの「」洋よ、 ) しカ ) ・ A 」田じ が語ったような人にいきなり期待を重そ外国であれば ( 韓国も ) 教会と社会 ます。 く傾けるような、それこそ「暴力」で 運動はかなり密接です。それがいいカ でもその向かい合うことこそ、自分はなく、違う形での表現ができるよう 悪いか別として、そういう在り方が何 275
更に「これが 7 月日支給分の全額ですか ? 」と念をされる見込みはなく、彼らの取り組む不動産取引など長 編 押して、何度も聞き返しました。すると「」が「いやく続く不景気では期待が出来ません。 違う。これが給料の全額ではない。申し訳ない。残りは 業 事 必ず払うから」と答え、私のほうが一部支給であること こういう金銭に関する話し合いになると「 <_ は強気 に出ます。 を確認しました。もちろん「領収書」と称する給与明細 介 ( もどき ) には署名捺印はせずに、持ち帰りました。 「秋になれば不動産の取引も「」が進めている事業 せ も金が人るようになるから、資金繰りは問題ない 居直る会社 さも何も心配ないかのような口ぶりで私に説明します。取 を 久しぶりに会社から支給があったものの、もう未払い それよりも「俺らもこんな状況だし。もう再就職活動を 金 の給料は 5 ヶ月になり、総額も百万円単位と膨大な金額しているの ? 」などと言ってきます。心配するそぶりで賃 です。今後この未払いの賃金をどうするのか ? 私も貯金自分たちの都合だけを伝え、私を言いなりにしたいと、 を切り崩し、ギリギリの生活を続けてきたので、今後のう態度なのです。であれば、私も会社公認で再就職活動未 資金繰りのメドが必要でした。 を始めたいのですが、今度は「」のほうが「事業所の 売り上げはどうするの ) ・責任は感じているの ) 、などと 給料を一旦受け取った後は、今後の話し合いになりま ハラ・ハラに意見を伝えてきて私を当惑させました。 事業所に関しては相変わらず売り上げはごくわずかし話は私の年俸制契約の話にもなりました。 か伸びず、「 <_ 「」とも資金繰りのために続けてきた 私が人社して間もなく 1 年になろうとしていました。 不動産取引は不調で、会社の収入源はごくわずかな介護「 < 」が「今の業績もあるし給料の額面は見直したい 保険による報酬だけでした。今後劇的に売り上げが改善とのことでした。いずれにしても、未払い賃金がある状
私はまっとうに働く普通の生活を送る人であれば、あだと思っていました。しかし、会社の判断は「教育を実 こ退職を迫る」というものでした。 り得ないような不安を抱えていました。今後の仕事での施する以前し、 正直、私は彼女ら 2 名の退職について、会社が業務と 期待は、遅れた給料の支払いの受け取らを期待すること、 して進めようとするのを拒否しました。出来るのは「 < 」 というみじめな日々になったのです。 「」の二人の考えに対する抗議の気持ちもありました。 そして、 3 月朽日から 1 週間ほどたったある日のこと。 「が私に当時 5 名いた介護スタッフのうち、女性会社の不利益を思うなら、彼女ら 2 名の退職は検討す 社員 2 名を退職させたいと相談してきました。うち 1 名べきものでした。 は本人から退職希望が出ていたからだと言い、もう 1 名提供する介護サービスへの信頼度が下がるなら、やは は試用期間内 ( 3 か月 ) での勤務終了でということでしりやむを得ないという状況でした。けれど、彼女ら 2 名 が事業を残して更に指導を続けるというのも、従業員の 雇用を守るべき所長である私の義務であるとも思いまし 私が「に「なぜ社員を辞めさせるのか」と問うと、 たた、「」「」の二人が出した退職に対する結論 「」は「もうこれ以上支払える人件費がないから」と 私に述べました。たった 6 人しか社員のいない介護事業は、一方的な言い分に過ぎないのでやはら認められるべ 所で、早々に 2 名の会社都合の退職者を出す。何か尋常きものではないと思いました。今でも正解はわかりませ ん。 な話ではありません。 彼女ら 2 人の最後の勤務の日。 確かに社員 2 名ともそれぞれに勤務態度や発言に問題 があり、私も何らかの形で彼女 2 名に対する指導が必要夜勤明けの疲れた身体と表情の中で、私に何か言い出 ( 8 )