運動 - みる会図書館


検索対象: フリーターズフリー 03号
134件見つかりました。

1. フリーターズフリー 03号

ものとされてきた「貧困」がみがある程度動いたことは間違いない。しかし、「派遣 などでほぼ「存在しない 社会問題として取り上げられ始めた。野宿者、母子家切り、が典型であるように、貧困問題の直接原因と言え支 庭、障害者、こどもなどの貧困問題があらためて問われ、る雇用の「流動化・有期化・低賃金化」をまともな労働立 と ( 「ディーセントワーク」と言われる ) に転換する試みはほ 全国各地で「反貧困ネットワーク」が結成されていっ た。そしてそこでは、それまで共闘関係を持っこと難し とんど進展しなかった。また、それを事後的に解消する かった諸団体が、「反貧困」という言葉がまるでマジツはずの社会保障制度による格差是正もほとんど進まな困 クワードであるかのように連携し一堂に会するという事かった。そして、自公政権に戻った今、労働の流動化、 反 ) ・ーター問題をはじめとす生活保護切り下げなど、問題はむしろ悪化しつつある。 能が起こった。もちろん、フ 1 おそらく数年後、景気が再び悪化したとき、「派遣切り る「非正規労働」と貧困問題は切り離すことができない。 「フリーターズフリー」 もこの反貧困運動の流れに加わ「非正規切り」は 2008 年より更に大規模に再現され るたろ , つ。 りながら活動を展開してきた しかし、今振り返ると、日本の反貧困運動はある程度もちろん、「格差」と「貧困」は日本だけの問題では 1 よ O ・ . 「 / 0- の盛り上がりを見せながら、ある時期を境にデッドロッ 年代半ばから、先進国の大半で所得格差 クに突き当たったように見える。確かに反貧困運動の成と貧困率が拡大・上昇し、 1980 年代にはそれまでと 果として、貧困問題の注目、水際作戦の抑制、公的派遣は異なる「新しい貧困」が社会問題になり始めた。それ 村、行政によるワンストップサービスなどが実現した。 までのような肉体労働者 ( プルーカラー ) や高齢者の貧 また、民間によるネットワーク作りや相談活動も続けら困ではなく、学校を出たばかりの若者の長期失業やホ】 れ ' ただが、貧困問題の根源と言える「雇用」問題につ ムレス化、そしてサービス産業に勤める非正規雇用の若 いては大きな変革は行なわれなかった。麻生政権末期か者や移民などの問題た。 ら民主党政権にかけて、行政による貧困問題への取り組 この「新しい貧困」には、経済、国家、家族の世界 185

2. フリーターズフリー 03号

でも入れる労働組合を立ち上げました。 け働かないで生きていくみたいな感じ しています。でも、まあやってること 議 立ち上げたはいいんですけど、ある で、ニートとしてこれからどうやって は「居場所」で、ゆるゆる、ちょぼち 討 生きていこうか、みたいな感じで考え労働組合の人たちからセクハラとモラ よぼ活動してます。 同 ていままでやってきました。 ハラを受けて、かっての社会運動の知共 それと、去年から「づら研」という り合いの人たちから 2 次加害を受けて、 具体的にどんなことしてかというと、 当事者研究会をやっています。正式名 現在はその人たちとは完全に縁が切れ 称は「生きづらさからの当事者研究 2 0 0 6 年のロ月に「フリーターユニ オン福岡」っていうフリーターの労働てます。わりと孤立した状況に陥って 会」。「不登校その後」を研究している 組合に加人して、そのフリーター労働て、かって一緒に運動してた人たちが、 社会学者の貴戸理恵さんにコーディネ 逆に敵になってしまった形になってい 組合は抜けるんですけど、それは別に ーターに人ってもらっています。 て、ただでさえセクハラやモラハラを ケンカ別れして抜けたわけではなくて。 馬野骨介わたしは大学卒業してから、 受けてつらかったのに、それを告発し 自分が地元の熊本に帰って、しばらく 地元の熊本に帰って、しばらくフリ ても、みんな加害者側についてしまう は熊本から福岡に通って、フリ】ター ターしてたんですけど、仕事が続かな か傍観してしまって : ュニオンの活動に関わっていたんです くて、まあニートになって、できるた フォローしてくれる人たちもいたん けど、それもしんどくなって辞めて、 だけど、本当にごく少数たったので、 地元の熊本で最初は「肥後コミュー ン」っていう、ニートやメンヘラーや活動とか社会運動を通して人間不信に なってしまって、ここ 1 年間はそれで ひきこもりの友たちたちと一緒に相互 扶助的な感じの集まりを持ったんです。何にも運動をしてません。むしろ、心 と体の回復を重点的にやっています。 けど、それを発展的解消して、熊本で で、こうい - っことかあったから、これ よし山目 - にに粗△ロな」作ッっ・つル」い , っ , 」レ」」 ~ な って、「熊本生存組合 < O 」を期に運動辞めようとかと思っていて、 ひょっとしたら、この「フリーターズ っていうのを立ち上げて、ニートでも ひきこもりでもフリーターでも下請け フリー」の 3 号が、馬野骨介名義で活 9 馬野骨介

3. フリーターズフリー 03号

フリータ ] ズフ リ】 3 号のテーマは「反貧困運動と自立支援」です。 フリーターズフリーカ創刊号を刊行した 2007 年は、反貧困ネットワークが結成され、 2 号を 刊行した 2008 年の年末には「年越し派遣村が作られ、特に「派遣村」については大きく報道 されました。こうして、フリ】ターズフリーは「反貧困」運動の展開とちょうど同時に活動してき たのです。 ! 」という問題を突きつけ、社 確かに、反貧困運動は「この豊かな ( ? ) 日本にも貧困があった 会に様々なインパクトを与えました。けれども、 2014 年のいまあらためてまわりを見てみると、 事態はむしろ大きく悪化してしまいました。ます、フリーターをはじめとする非正規雇用の労働者 一部の、もともとお金持ちたった は増え、生活保護利用者も増え、プラック企業まで激増し・ 個人的に能力がある人たちはなんとかなってますが、それ以外の人には「普通に生きていく」 フリーターズフリ】 3 号へようこそ わたしたちの現在地

4. フリーターズフリー 03号

「困窮者本人に渡した方がいい」の たか、ここ数年、野宿者支援、ひきこ つも加害者、あいつも二次加害者って は当然です。 た一方、就労や生活に もり支援、母子家庭支援運動を行な うのばっかり」という話なんですね。簡 関わる問題について「支援」が必要な ってきた運動体が、様々な形で事業 これはもちろん、ぼくのいる現場でも 復 場面があることは否定できません。ぼ体を運営するようになりました ( その 常に大きな問題です。 、仼 くたちも、ボランティアとしてその活 一部は、行政からの資金を「自立支援事 よく「人種・階級・ジェンダー」との オオホランテ 動をやってますから。こ・こ、・、 業」として行なっています ) 。その一部言われてて、これは日本で言えば「国し し U ィアである限り、「フルタイムで対応 で、労働者に対して過重労働を強い 境問題「野宿・生活保護問題」「ジェ き できない」「組織的な対応ができない りパワハラなどが発生するなどの問題 ンダー問題」ですが、常に「差別・襲書 とい - っ限界に凶まされます。そこで、 後 が続発しました。運動体に従来からあ撃」を伴う社会問題としてあり続けて ( 行政の資金による ) 「事業」として支 った「権力集中」「上意下達」「性差 います。「人種」「階級」問題について 援を行なうことの有効性は否定できま 別」などの問題が解決されないままに は、運動圏内の人には「ある程度、の せん ( 例えば、「子どもの家事業」はその 「活動は無償で当然」という活動での 常識があるはずなんですが、ジェンダ 運営費の一部を行政の補助金によって行 常識を事業 ( 賃労働 ) の場に当てはめ ー問題、性差別問題については遅々と なっていましたが、それはとても素晴ら た結果、「プラック企業」顔負けのパ して解決しない、あるいは悪化してい しいお金の使い方でした ) 。問われるべ ワハラ、モラハラ、セクハラなどを生 る、という感じなんだと思います。 きことは、「自立支援事業」が当事者み出したわけです。 栗田さんが言ってた「運動にそこま の意に反した「産業」に化けやすいこ 事業体になったものも含め、運動体で期待されても困る、人間なんだから」 これが「フリーターズフ は、馬野さんが言っていたように「ひ は、ぼくも似たことを一一一口ったことかあ ります。 ー」 3 号のテーマでしたが、「社会きこもり界隈でも福祉界隈でも、労働 ただそれは「人間の性 ( ! ) を問わず」に「弱い個人を助けて社会運動でもその他の社会運動でも、野宿なんだから仕方ない という話では別 復帰させる」という発想に基づいてい の問題でも、もうセクハラだらけモラ になくて、「こうした問題がおそらく ることだと思います。 ハラだらけ」「だから、関わりたくて 自分が死ぬまで、つまり数十年単位で また、原稿や共同討議もで触れまし も関われない。あいつも加害者、あい は解決できないことを想定し、なおか 271

5. フリーターズフリー 03号

のですか」みたいな痛い空気の中をく に復学して、 2009 年 3 月に大学を 震災の 3 年ぐらいあとから、ガイドへ ぐり抜けて人学できたんですけど、自 卒業し、そのまま大学院に進学しまし ことえば高齢者の方だ ルプですとか、オ 分の言葉を獲得して書くってあまりに 復学した時に出会ったのがジェン ったら訪問ですとか、そういうものを も辛くて、ずっと論文から逃げて、 ダー学、女性学、フェミニズムです。 ぼく自身は事務局でコーディネ】トし 大学時代の私の指導教官は上野千鶴ろんな場面に足を運んでみました。栗 たりとか、そういう活動を知らせるた めに通信作っていたりとか、そういう子さんで、彼女のもとでいろいろ研究田さんと、栗田さん似の方といちむら みさこさんとの「過剰姉妹」というュ したりしたんですが、そこでは私の言 活動に興味をもってくれる人がいつば ニットに出会ったりとか、公園という 葉はなかなか獲得できないなあと思っ い増やすようにボランティアセミナー 公共空間が市場原理の中に回収されて てきました。そのうち大学院に進学 を開いたりとか、そ・フい・つふ , つに関わ そこに反対する運動 ( 宮下公園 して、そこで何がしたかったという っていました。 のナイキ化反対運動 ) に関わったりとか と、自分の言葉で自分の体験ーーシン ぼく自身はそういうような興味があ いろんな活動、運動の場面に身を置い グルマザ】になった経緯ですねーー・が こ・こ、まく・目・身はも - っちょっと って、オナ ている女性の方々と会って、活動して , 、、よとい , つよ - フ何だったのかとい , っこと、を考 - んオ 学術的に深めていきオしオ いる中で違和感や嫌な思いをしたとい て。非婚のシングルマザーはシングル な希望があったので、こういう活動を う共通体験をきっかけに、栗田さんや マザーの中であまりフォーカスされて こ、よと思いっ ちゃんと知らせていきオしオ いちむらさんたちと「穴あきの会」と ないという風に感じていて、声になら つ、研究者の道を選んだという経緯が : オり、宮下公園の運 いうのを立ち上ナこ ない声というのをフェミニズムの分野 あります。 で書き直すことはできないだろうかと動の中で暴力防止を考える集まり「ポ 上間愛私が大学に入ったのは 2003 ーポー」を友達と作って、ワークショ 年なんですけど、人った年に・ハイト先思って、当事者研究っていう形で、社 ップをしたりしていました。 会学でできないかしらと思って、研究 の方とっきあってる中で妊娠しまし そのうちひょんなことから ( とい 計画を書いたんです。けど、それもな て、その人とは別れたので、出産した うより、穴あきの会を作る中で出会った、 んだろうな、すごい嘲笑をあびるとい ときにはシングルマザーになってまし うてつあきこさんの紹介で ) 、「 Z=-C 法 うか、「自分探しのために社会学する た。そこから 2 年間体学して、 2 年生 共同討議

6. フリーターズフリー 03号

ことが困難な生き苦しい社会になってしまいました。 貧困は「経済、的なものであると同時に社会「関係」的なものでもあります。震災後は特に、 「絆」という言葉が「 2 011 年の漢字」に選ばれたりして、プ】ムのように使われました。しかし、 最近の動きを見ていると、貧困や震災などの問題を「 ( 社会を変えるとかじゃなく ) 個人どうしの助 け合いで何とかしろ ! 」という意図で「もやい、の稲葉剛さんが「絆原理主義」と批判してました が、この言葉が伝われているのでまよ、 ) ーオし力とさえ感じます。現実にはわたしたちがこの数年見てき たのは、経済的な「格差ーの激化とともに、さまざまな「つながり」の崩壊でした。 反貧困運動では「反貧困でつながろうー と言われました。確かに、それまでつながりのなかっ た様々な団体、個人が運動の中でつながったことには大きな意味がありました。しかしその後、わ りしたちは活動の中でのさまざまな分裂を否応なしに見ることになりました。フリーターズフリー も例外でなく、意見の相違などの結果、有限責任事業組合としては解散し、任意団体 ( 法人でない 団体、いわばたたのグループ ) としてこの 3 号を発行しています。「活動ってなんだろう ? 」「なせこ うした不幸な軋轢が避けられないんだろう ? 」ということを、わたしたち自身、問い続けることに なっています。 そしてそれと同時に、貧困者、障害者、母子家庭など様々な現場で「自立支援」という言葉が大 流行しました。「自立」支援、言い換えれば「自立できよ、弓、 / し号し人たちを周囲が支援して助けてあ げる」という「上から目線」な話ですが、それがすっかり定着してしまっています。それは「絆」 フリーターズフリー 3 号へようこそ

7. フリーターズフリー 03号

そして、それに対抗するべき運動は、その思想性でも退性は見失われてしまう。 行し続けているかもしれない。 「天災は忘れた頃にやってくる . と言う。その意味で、支 いま、「反貧困運動」は特に生活保護の問題を中心に 「災害ュ ートビア」は日常では常に忘れられていくのか 自 行なわれている。多くの人が「派遣切り」など失業ののもしれない。ュ し J ートビアは「稲妻の閃光のように平凡な ちに生活保護になると同時に、野宿者が生活保護を受け 日常生活を輝かせ時には雷のように古い体制をこつばみ 困 やすくなったことで、貧困問題の焦点がある意味で「野じんに打ち砕く」。それは、ほとんど神や天使の出現に 宿」から「生活保護」に移動したからだ。 ついて語られているように聞こえないだろうか。その意 反 そして、生活保護を中心とした運動では、野宿者運動味で、ユ ートビアを待ち続けることは、神や天使の出現 で現われた「ホームレス・ユ ートビア」の可能性はほとを待ち続けるのと同じように非現実的な事なのではない んど語られなくなった。野宿者の「テント村」とちかい 4 ッっ - つ、か 個々人に「ハウスーのある状態の生活保護では、人々は だが、「ユ ートビア」Ⅱ「天の国」を作ら出そうとす 「社会規範が温存されたまま自分たけ飢える、状態に近る試みは、途絶えることなく各地で試みられてきた。た 】トビア」は被災地や野宿の現場でたびたび だ、その多くは「神の国」の実現において自分の存在意 現われたが、「ハウスがあってもホ】ムがない , という義を発見しようとするテロリズムや過激なレイシズムの 社会的孤立を作りやすい生活保護は、ユ ートビアの存在形を取ることにもなっこ。 ナこの文章で行なおうとしたの を見 - んに くくさせている。 は、それとは別の「ホームレス・ユ ートビア」の可能性 そのとき、反貧困運動は「社会規範が温存されたまま」を見い出そうとすることだった 生活の改善を求める漸進主義を強めるだろう。だが、そ われわれは、被災地や野宿の現場に一瞬現われた「神 こでは「ホームレス・ユ 】トビア」で現われた可能性、 ( の国Ⅱュー トビア ) を待ちのぞむ」。約 R 年前、第二次 ソルニットが言った「相容れない喜びと悲しみ」の可能世界大戦でドイツが侵攻を続ける絶望の中で、シモー 261

8. フリーターズフリー 03号

「自立」そして「支援」とは何か 属性が複数重なったりしている場合も題で考えてきたんですが、不登校の子 どもたちが経験してきたことか、いま 反貧困運動と自立支援 ありますが、自分の立場から「自立」 について語ってしナナ : オ 、こごサこら幸いです。や若者全般に広がっている。そして、 栗田隆子今回の 3 号はこの 2 年を振山下耕平私は「フォロ」という不登校に対する支援が学校復帰のみで あったように、若者が社会的に排除さ り返るような、ないし自分の活動を振法人で事務局長をしています。Ⅱ年前 れているなかで、若者への支援は就労 から大阪市内でフリースクールを開い り返る中で自立とは何だったのか語っ ていたたけたらと思います。 ているんですが、その後、 6 年前から支援一辺倒です。そもそも、そのあた ここに来ていらっしやる方はフリー りから問い直したい。支援ー被支援と 若者の居場所として「コムニタス・フ いう関係ではなく、若者が集まってく ターの立場、ニートと呼ばれる立場、 オロ」という名前の場を開いています。 る中で、いっしょに考え合っていける ( ※ 2 014 年 4 月より「なるにわ」と名 障害を抱える立場であったり、母親て あったり、 ような場ができないかなと思って活動 支援者であったり : : : その 称変更 ) 私は、もともとは不登校の問 共同討議「自立」そして「支援」とは何かーー反貧困運動と自立支援をかえりみる 山下耕平、馬野骨介、高橋淳敏、野崎泰伸 上間愛、生田武志、栗田隆子

9. フリーターズフリー 03号

当に基地もそうだけど邪悪なでつかい われも野宿や生活保護の問題でずっと 生田独立が現実問題となっているの システムの一つですよね、やつばり。 やっている。でも、その枠を変えるこ とが見 - んに は日本では沖縄ぐらいですよね。沖縄 くくなっちゃってる。民主 戦以来の基地問題でさんざん酷い目に シングルイシューと社会システム 党でなにか変わるかという期待は一瞬 あってるんで、もう独立しようという あったけど、沖縄問題含めて、どうも 話が再三出てきた 栗田自立について考えた時に、上手 くいかなかった。活動の中で、大 栗田沖縄では独立という言葉は、い しし・カ見 - く社会の中で泳いだら ~ となっていき、 きな目標をどこにおいたら、 わゆる本土と呼ばれる場所より耳にし 社会のシステムに反発とか反抗すると えなくなってる時期ですよね。 ますか ) いう文脈が、運動の中ですら薄くなっ 栗田そうなんです。原発の問題を取 上間結構、運動が浸透しているから、 ているような気がします。そして結局、 り上げる際に、「シングルイシュー」 とい , っ言葉が出てきました。たた 独立党というものがあるのをみんな知労働問題が解決しているわけでもなく、 原発 っているし。政党自体、沖縄独自の政家族問題も結局、結婚制度が無くなり の間題以前に、運動のスタイルが個別 党ってあるんですよね。 ましたなんて話も聞いたこともなく。 に問題を取り上げて、解決しようとい 栗田沖縄大衆党ですね。 うスタイルが川年以上前から出来てき 馬野なんか女性問題も解決しないま 上間でも、生活の問題が出てきて、 ていたからこそ、この言葉が生まれや 八重山あたりの人たちで右傾化してい すくなったのでまよ、 ) 。 しオしカイデオロギ 栗田解決しないまま。今に至ると。 る人たちも居たりして、分裂はしてる生田現場はそれぞれ頑張っているん ー的な、 R 年代のアジ演説みたいなの んだけれども。「沖縄が独立してやっ だけども、個別の答え方しかできなく びら・・ 2 目【体的な , 」」レ取・り . 組」し・つ」、 ていけるはずがない」みたいなところ う動きだったのたと思います。 なっちゃってるという状態なんです。 がある。でもやつばりそんな基地に依例えば悪質企業がいたら労働争議で個それがまた煮詰まりを見せつつあると 存される、依存させられている状況の う気がします。 別の案件で闘うとか、女性の問題であ 中で、独立っていうのが目指されてい れば個別の Q> に対して闘うとか、そ 特に女性の問題となったら、労働の るんだよなっていう風には思うし。本 ういう地道な活動はあるんです。われ ことも家族のことも、セクシャリティ

10. フリーターズフリー 03号

くの乗っていた車の運転手は、長年、寄せ場で日雇労働た世代の彼らが、実はすごく頑張った。彼らは部隊の中 運動を行ない、「日米安保粉砕 ! を 10 0 0 回ぐらい で『自分の居場所を見つけた』んです。たとえば、演習支 はシュプレヒコールしていたはずの人たが、当然のようでも訓練でも、我々は常に敵を想定してやってますが、 自 に自衛隊車両の運転手と挨拶していた。 し U 活動の目的は同『はねっ返り』のない世界なんですね。やったことが目 動 じなのだから「会ったら挨拶するのが当然」という空気 に見えて確認ができない。 もっといえば、「オレはこの 。先に、被災地では釜ヶ崎でのしがらみや路線問題が 組織、部隊にとって必要なんたろうか』とか、『オレな困 なくなって自由な雰囲気で活動できると言っ たか、自衛んかこの部隊にいなくてもいいじゃん』っていったとこ 反 隊との関係も似たことが言えた。 ろがある。それで彼らは軽率な行動を取ったり、 事故に 震災支援に出動した自衛隊員は川万 6250 人、人っながっていった。ところが、今回、彼らは被災者の人 命救助 19286 人、遺体収容 体、給食支援たちの『はねっ返り』があって、しんどくても待ってい - ) 0 0- 一刀 - ) 4 ・ 8 4- 食、人浴支援 10 8 万 8 9 9 3 人とさ る人たちがいると思うから、手を抜けないし、疲れてい れる。被災地での自衛隊の評判は非常によく、多くの被ても毎日現場に行くわけです。そこであいつらも初めて、 災者から感謝されていた 自分の立ち位置が分かったんじゃないですかね。だから、 ところで、自衛隊員たちにとって、震災支援とはどう『帰りたい』って言わなかった 「もっと、こ、、 最後ま いうものだったのたろうか ) ・ で復興まで見届けた、 し』とみんなが言っていました」 ( 瀧 陸自最先任上級曹長の清水氏がこう言っている。「発野隆浩『ドキ = メント自衛隊と東日本大震災』 2012 ) 。 見というのは、、 しまの若い隊員たちが、すごく頑張った また、遺体搬送を担った第 2 高射特科大隊 ( ミサイル ということです。びつくりするくらい頑張った。個人主システムやレーダーを扱い侵入してくる航空機を迎撃する対 義たとか、協調性がないだとか、ゆとり世代で育っこ ) オカ空戦闘部隊 ) の福田隆志 3 佐がこう言っている。「幸いな ら生意気ばかりと、どっちかというとよくは言われなかっ ことにうちの部隊に精神的に追い込まれた隊員は出な 241