信号 - みる会図書館


検索対象: ラプラタ沖海戦
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1. ラプラタ沖海戦

九月三日。この日曜日の朝は、イギリスのほとんど全家庭で、ドイツと交戦状態が生じたこと を告げる首相の声が、ラジオのスビーカーから流れ出るのがきかれた。時をうっさず空襲警報の サイレンが鳴りひびき、奇妙なまでにしずまりかえって陽光のふりそそぐロンドンの空には、巨 大な銀色の阻塞気球があちこちに上がり始めた。 軍令部からはあらゆる司令部と艦艇にあてた完全な平文での、「午前一一時ヲモッテ、ドイツ ニ対シ敵対行動ヲ開始セョ」の信号が発せられたが、また全く同じ電文が強力なラグビー無線局 から、全イギリス商船に向けても送信されたのである。それを傍受した一隻に、他ならぬグラフ ・シュペーがいた。これがラングスドルフ大佐に戦争が勃発したことを知らしめる第一報となっ たのであるが、洋上にある自国海軍全艦艇に向けてイギリス軍令部が発したのは、あらかじめ定 められていた暗号令〈〉であった。 ほとんど同時にドイツ潜水艦が第一撃を放った。大西洋上で定期客船アセニアを魚雷攻撃した ( 註 1 ) のがこれである。同船の発した信号は四隻の他船によって傍受されたが、このおかげで同 船が沈没するまでの間に、なんとか幼児多数をふくむ一三〇〇人の非戦闘員を救助することがで

2. ラプラタ沖海戦

182 では各方面からの航路がこのあたりに最も濃密に集中してきており、したがってここならわが海 上通商に最大の損害を与え得るたろうと、敵なら必ず考えるにちがいないと判断したためであ る」 ェクセターのくわわった日の正午、ハーウッド代将はアキリーズのペアリーと、エクセターの ベルと、二人の艦長に対してほんの数語の通信でもって自分の作戦計画を伝えた。それは簡潔で はあったが履きちがえようのないものであった。 もしこれがネルソンの時代たったなら、さしずめ二人の艦長はエージャックスの司令官のもと に呼ばれ、そこでウッドハウス艦長もくわわって、四人で上等のワインをかたむけつつ食事をと ( 註 3 ) もにしながら打合わせが行なわれたことであろう。そして談論風発の後に各艦長はどのような旗 旒信号一下のもとどのような行動をとるべきかということを知悉して帰艦していったにちがいな 。実戦に際しては司令官の発する信号は最少限にとどめなければならないのは今も昔もかわり はない。そして万が一の場合、各艦長に臨機応変の独断専行が許されていることも同じである。 ネルソンがどのように考えているかを的確に把握し、ネルソンならどのように命ずるたろうかを 自から察して行動するというのが、麾下の艦長というものである。しかしながらこのときは一九 三九年であった。ネルソンからは一世紀以上をへだてている。そのようなことは全然必要とはし なかったのである。 しかしまたこの当時は、、 ℃ろんな新兵器とはいっても、それらがネルソン時代からの伝統の戦 術戦技というものを根底からくつがえしてしまうというようなことにはまだなっていない時代な のであった。新兵器はただ軍艦に乗組んでいるスペシャリストの士官や兵の、種類と数を増やし ただけにとどまっていたのである。

3. ラプラタ沖海戦

肥な気持にならされた。もちろん八一九六トンもの大物を仕止めることにわるい気はしない。しか し八四人もの捕虜を背負いこむとなると問題は別である。これだけの多人数をグラフ・シ = ペー に収容しきれるものではないことは明らかだった。ポケット戦艦の戦力発揮をさまたげることお ーフェン びただしい。たたでさえ居住区がないということで四七人の乗組員をヴィルヘルムス ( に降ろしてきているのにである。それなのに今はニ、ートン・ビーチとアシュリ ーの船員たちま で艦内にかかえこんでいる始末だった。 無線室からは ( ンツマンが救難信号を発してしまったと報じてきたが、また定時送受信の時間 帯外だったから、誰も応答するものはなかったとも報告してきた。そこでラングスドルフは ( ン ツマンを沈めないことにし、船員たちもそのまま船にとどまらせて、拿捕隊員たちに監視させる ことにした。これらの捕虜たちはいずれアルトマルクに移すしかてがないと考えたのである。 そろそろいつばいにあふれかえってしまうようになった捕虜のことなどよりも、今の彼にとっ てはずっと心して対処せねばならぬ事態となってきていた。南大西洋にこの艦がいることも今と なってはひろく知れわたっているものと見なければならない。 クレメントの救命艇ももう見つか っていることだろうし 、。 ( 。 ( レモスも ( リス船長と機関長を今ごろはどこかに上陸させてもいよ う。それに = = ートン・ビーチやアシ、リーや ( ンツマンの入港しないことが問題となるのも、 今はもはや時間の問題と考えねばならなかった。 敵の追手の眼をくらます方法のひとっとして、その船がドイツ潜水艦に沈められたものと敵に 思い込ませるてがあると彼は考えた。そこでラングスドルフはにせの救難信号を送信させること にした。明らかに = 、ートン・ビーチからのものであると思い込ませ、かっ潜水艦から攻撃を受 けたときの合図である三文字の連送に、まちがった位置をつけくわえた無電を、 ( ンツマ

4. ラプラタ沖海戦

られる。そして五・九インチ副砲装填である。ニュートン・ビーチの拿捕員たちに警報を伝える ことも彼にぬかりはなかった。 その汽船は四二二二トンのアシュリー クリフサイド汽船の持船であった。七二〇〇トンの砂 糖を積んでダー ・ ( ンからフリータウンに向かって独航していたが、そこで英本国向けの護送船団 に拾ってもらう手はずたったからである。この当時のほとんどの商船と同様に、この船も武装は いっさいほどこしていなかった。乗組員は三五名だった。 以下はアシュリ ーの船長たった O ・ポッティンジャーが、このあと数分間に起こったこととし て、後に手記として記しているものである。「たしか標準時で午前八時ごろたったと思う。東北 東の水平線に軍艦が一隻見えると二等航海士が報らせてきた。このとき本船の針路はおおむね西 北西、速カ八・五ノオ、トであった。 ・フリッジにあがると軍艦が一隻、右舷船首よりにこちらに近づいてくるのが見える。カメルー ンあたりの方角からやってきたもののように私には思えた。前檣楼の形からしてダンケルクかス トラス・フール ( ともにフランス戦艦 ) のどちらかのように私には考えられたので、そのまま航行 をつづけることにした。 ところがその軍艦はみるみる接近してくる。しかも艦首はびたりとこちらに向けたままである。 ずっとこのままでとうとう本船から四分の一マイルにまで迫って来た。どの国の軍艦旗もいっさ いこちらの眼にはつかなかったけれども、私たちはいぜんフランス軍艦だとばかり思い込んでい それが突然「停船セョ。短艇一隻ヲ派遣スという信号旗をあげたものである。しかもそのつ ぎにあげた信号旗は「無電ヲ発スルナカレ。然ラズイ ( 砲撃センだった。もうこのときには向

5. ラプラタ沖海戦

275 のである。 ずっと以前からハーウッドにはエクセターのことが憂慮されて仕方がなかったのは無理もない。 なんといってもエクセターは彼の手持の艦のなかでは重量級なのである。だからまだエージャッ クスの無線空中線が健在だった間には、ベル艦長にあてて、「合同セョ。速カ何ノットガ可能ナ リヤ」と呼びかけさせたものだった。だがエクセターは何もこたえなかった。同艦の切れたアン テナがまだハロルド・ニューマン通信上曹の手で修復されてはいなかったからである。そんなで 同艦に何がおこっているのかわからずにエージャックスは二〇分間以上も呼びつづけたのだった。 けれどもとうとうェクセターの無線機が使用不能になったのだという判断に到達したハ は、上空のシーフォックス機にエクセターを見つけさせることにしたのである。機上のルーイン 大尉に、エクセターに間合いを詰めるようにいえという信号が送られた。 ルーイン機が帰ってきたのは半時間後で、「エクセター損害甚大ナレドモ、追及ニ全力ヲック シッツアリ」と信号した。機上からでもエクセターがひどい状態になっていることには歴然たる ものがあったのである。偵察員のカーニィ大尉が報告したように、エクセターは戦闘のあった場 所から一八マイル南の所へ来ているが、誰の眼にもひどく被弾していて、とてももう一度戦える ような状態ではなかった。機はハ 1 ウッド戦隊の位置と針路と速力をェクセターに告げた上で、 同艦の上を低くまっすぐ旗艦の方めがけて飛んでから、「エージャックスにまで帰って参りまし た」のであった。ル ーイン大尉は後日つぎのように書いている。「まだ浮かんでいる艦で、とに かくこんなにめちゃくちゃなありさまになってるのを見たことがなかった。艦が揺れるたびにメ ーンマストが、気になるほどクネクネまがっていた」 さてハーウッド代将には、いまどういうことが進行中であるかを軍令部や、付近にある商船や、

6. ラプラタ沖海戦

220 ーインにはこれで十分だった。偵察員のカー = イをせかせて後部のカタ。 ( ルトデッキに行く と、そこではペニファーザーと整備兵曹長アーサー ・モンクの手で射出の準備作業が進められて いたが、さて射出機上の機体によじ登って二人が座席についたその飛行機は、と両砲塔の発 砲の爆風によってぶちのめされそうにゆさぶられつづけた。それでもどうにかカタ。 ( ルトは旋回 され、発射筒が鈍い音をたてると、 = ンジンをフルスロットルに全開していた吹けばとぶような シーフォックス機は空中に放り出された。 ところがこうして射出される前に、偵察員のカー = イは、シーフォックス機の無線機が弾着観 測のときに使う三八〇〇キロサイクルの波長にではなくて、偵察時用の二三〇キロサイクルの波 長に合わせて調整されたままになっていることに気づいていたのだった。たが早く出たくてたま らず、無線機の波長数調整のための時間まではしよることにしてしまった彼は、かわりの手はず として通信には回光信号を用いることにし、それを機上から信号艦橋に送ると、そこから無線室 を通じて発令所に伝達してもらうよう打ち合わせておいて発艦したのである。しかし彼のこの出 発前の伝言はしかるべき先にとどけられはしなかった。そしてこの手ちがいは、結果的にはこの 海戦の初期のある期間にイギリス側にとって実に深刻な事態を招くことになってしまったものな のである。 ルーインが高度三〇〇〇フィートに上昇するまでの間にも、アキリーズはージャックスと組 んで嚮導射法を実施しつづけていた。だがそうして一三斉射を放ち終ったとたん、グラフ・シ = べーの放った一一インチ砲の一斉射全弾は、ついにアキリーズの左舷至近に弾着してしまったの である。数百の弾片が舞い上が「たが、そのうち何片かは艦橋周辺にめぐらしてある薄い装甲な

7. ラプラタ沖海戦

202 あると、確信をも「て断定した。すぐさま黄色地に青の舌を入れた三角旗〈 z 〉についで、数字 二、二の信号旗がつづられてかかげられた。「敵艦見 = 。方位三二二度」の意である。 もうこうなってはいっ何時グラフ・シ = ペーが発砲してくるかわからない。警急電鈴と共に 「総員戦闘配置」が下令され、 = クセターの無線室に急が告げられた。また投射器にすでに装着 されていた爆雷がみな片端から海中に投棄される。いまにも敵弾が降「てこようというときに、 甲板上にこんな爆発力の強い危険物をならべていたのでは、それこそ大惨事になりかねないから であっこ。 そして、 = クセターにも戦闘旗がかかげられた ! 前橋頭には信号旗プームから、そして後檣 頭にはガフから、それそれカまかせにかかげられたこれら二枚のイギリス軍艦旗は、もしそれが 檣頭から消え去ることがあるとしたら、それはつぎの場合しかない。すなわち敵弾にふ「とばさ れるか、それとも戦闘が済んでたぐり降ろされるかである。戦闘が済んでもいないのに降ろされ るとしたら、それは = クセターが降伏した場合に他ならない。い ま総員は戦闘配置についた。砲 には砲弾が装填された。汽罐には艦に全速力を出さしめるため、いま死にものぐるいで汽醸され ている。そして戦闘旗をひるがえした = クセターはいま、勝負にならぬ戦いをいども : として合 戦準備をととのえたのであった。 ージャックスではペ = ファーザーが息はすませて「ストによし登り始めていた。ウッド ( ウ ス艦長も艦橋直上後寄りにある方位盤タワーにむか「て、そこにいあわせた者のうちで何かを見 かけたものがいないかをたずねたが、やはり煙以外に何か格別なものが見えると報する者はいな か 0 た。ところが「ストの上で格好な位置にたどりついたペ = ファーザーの方から、艦橋に向「

8. ラプラタ沖海戦

とを知っとりましたので。 : それに、「・フラジルの巡洋艦かもしれんな」ともいいました。一 日おいて前の日にベルナンプコを出てった船ですー 「ところが軍艦旗というものをどこにもかかげとらんじゃないですか ( ( リスの供述はつづく ) とにかく軍艦だということがわかっただけのことでして : : : 四マイルか五マイルぐらい距離があ りましたが、艦首に蹴たてる手荒い波の高さときたら、それこそ三〇ノットでまっしぐらにこっ ちへつっ込んでくるような気がしましたわい」 一三三〇、停船ヲ命ジルタメ、艦載機ヲ一機発進セシム。該機 ( 同船 = 対シ、「停船セョ。 無電ヲ発信スルナカレ」トノ信号ヲ送レリ。 ( グラフ・シ、ペーの航海日誌より ) ジルの供述のつづき。「三分か四分たってからでした。飛行機が一機現われました。左舷船尾 からぐっと近づいてくると、クレメントのまわりをまわりながら、戦艦に回光信号を送ってまし た。たぶんこっちが武装してるかどうかをその戦艦が知りたがってたもんで、報らせてたんだろ うと思います。ですがもう一回本船のまわりをぐるりとまわったところで、今度はこっちめがけ て射ってきやがったんです。飛行機は黒っぽい灰色に塗られてまして、尾翼のほんの少し前の左 胴腹に、黒で鉄十字が画かれてました。もちろんこっちは = ンジンをとめたんですが、奴ときた らこっちの船足が完全にとまってしまうまで、ずっと射ちつづけてやがったです。ことに・フリッ ジをね。操舵室なんざもう惨憺たるもんで : : : 」 ギルとならんで船橋に立つようになっていた ( リス船長は、飛行機の爆音を耳にすると船の上 を飛び過ぎるのを見たという。以下彼の供述はつづく。「だけどちっとも心配しやしませんでし

9. ラプラタ沖海戦

来たコースへ復した。ときに午前六時三八分であった。 見つかったか ? シュ。ヒーリングにはどちらとも断じかねた。だが視界のほとんどぎりぎり限 界のところにいたからには、たぶん見つかってはいないだろうと考えてもよさそうだった。それ しかしそのシュ。ヒーリングにも にいざとなれば艦には距離装置という武器もあるわけだし : はっきりしていることがふたつあった。ひとつは見かけたときその船は針路を一七〇度にとって いたものが、その後二〇〇度に変針した上、増速したことである。そしてもうひとつは、シュビ 1 リングにはその船がイギリス巡洋艦にまぎれもないと見てとれたことなのであった。 ーに、わずか二〇マイルをへだてた所に敵巡一隻がおり、 ここで無電をうってグラフ・シュペ いっ南東へ、つまりグラフ・シュペーのいる方角へ向けて変針するかわからないなどと報らせる ことは、それこそ危険きわまりないことである。・ホンガルトがスロットルをひらいて増速し、南 へ一〇マイルばかり機をつつ走らせたところで、シュ。ヒーリングは東に変針を命じた。これで身 に迫る危険も知らずに洋上に停止しているグラフ・シュペーとアルトマルクの上にまっすぐ行き つけるはずなのであった。 二隻が視界に入ってくるなりシ、ビーリングは信号灯をもって身がまえ、ポンガルトはまっす ぐポケット戦艦めがけて機を浅い角度で緩降下に入れた。あわただしくシュビーリングが発信符 号を送れば艦からはすぐさま応答があった。警報が達し終えられたのはまたたくまのことである。 さっそくラングスドルフは全舟艇にそれそれの所属艦へのたちどころの復帰を命じ、アルトマ ルクに対しては本艦はこれより東南東めがけて移動を開始する旨の信号を送らせた。距離装置は およその方位を与えられてすぐさま捜索を開始したが、また任務班員にも待機命令がくだった のである。敵波長に合わせたグラフ・シュ。へ , ー無線室の受信機には、通信兵がかじりついて聴き

10. ラプラタ沖海戦

艦めがけて指向されていた。それがグラフ・シュペーか、それともイギリス巡洋艦かは、ダウ船 長にもまだわからない。しかしあれがもしもイギリス軍艦だったとしても、彼にははったりをか ましていなしてしまう術がちゃんとあった。なにせこのあたりには商船がうようよいるのである。 げんにここ数日間でも、そのうちの幾隻かをかわしてやりすごしているのであった。外見からい って、アルトマルクは重要任務をおびた補給艦らしい点はどこにもないようにちゃんとしてある。 ( 註 1 ) 船尾にひるがえるのはノルウェー船旗だし、船首に記された船名は〈ソグネ〉、しかも船尾には この船名を記した下に、″オスロ〃とことさらに在籍港名までしるされているのである。これだ けのてがうってあるのだから、ダウは安心していられた。たとえイギリス巡洋艦が至近にやって きたとしても、ノルウェー船としか見ないだろうし、してみれば中立国船である。せいぜい行先 をたずねるくらいのことで済まして、なんら手をつけずに立ち去ってしまうことであろう。ダウ は一等航海士の。 ( ウルゼンといっしょに、送られてくる回光信号を読みつづけることにした。 それはまさにグラフ・シュペーであった。ダウはただちに応答を命じたが、数秒とおかず信号 灯を手にした水夫がチカチカと応えを送り始めた。報らせはすぐさまアルトマルクの全船内に伝 わり、甲板におどり出てきた船員たちは一列横隊になって舷側の手すりにつかまり、ポケット戦 艦が近づいてくるのを見守った。 二隻は相対的に三五ノットの速度で接近していたので、グラフ・シュペーの艦容の細部にいた るまでが肉眼にもはっきりするようになるのも、単に時間の問題であった。ダウはテレグラフを まわして機関室にエンジン停止を命じた。アルいマルクはしだいに船足を低め、やがて波のうね りにまかせてゆるやかにただようになったが、一方のグラフ・シュペーもまた、接近運動をつづ けて一〇〇尋ばかりの距離にくると停止した。