ウルグアイ政府 - みる会図書館


検索対象: ラプラタ沖海戦
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1. ラプラタ沖海戦

かかる御決定をもってしては、小官は航海の安全を万全には保証されあらざる艦をもって、 モンテビデオを出港するの余儀なきにたちいたること明白であります。 かかる状態の艦をもって航海を行なうことは、小官の怠慢をもって一〇〇〇名を越ゆる乗 組員を生命の危険にさらす事態にたちいたるを避けえざるところであります。ここに小官の いう危険とは、敵艦との戦闘によりて生ずる危険にはあらずして、かかる状態の艦が海上に て当然直面することあるべき脅威によりて生ずる危険を指すのであります。 ④事情右の如くでありますから、ウルグアイ共和国政府の閣議決定は、戦争の人道化を標 榜して締結されたハーグ国際条約に対する重大な干犯であります。 小官が③にあげましたる事実を唯一の例外といたしまして、一方で我々に対するウルグア イ国民の態度とウルグアイ政府の態度との間にかくも差が存すること。他方においてウルグ アイ政府のこの決定。この両者を通観しますれば、そこに為にする第三者の策謀と圧力の存 すること、余りにも明白であります。 これに対しまする小官は、作業上に便宜を供与されましたなれども、いかなる対象にいか なる強制をくわえることをも、断乎避けたのであります。 また小官は一二月一三日早朝、英国巡洋艦ェクセターと戦闘をまじえ、英巡洋艦エージャ ックスならびに同アキリーズこの戦闘に加入して参ったのでありますが、エクセターが戦列 を脱落してより後、本艦の損傷修復の目的にて小官はモンテビデオ入港を決意したのであり ました。その際イギリスの公式に認めある領海は三マイルのみにて、ラブラタの如き水域に てもなおかっこの主張を動かさざることは、小官の熟知するところでありました。しかし平 和を愛好する隣接二国が共同領有を宣しあるこのラ。フラタ水域なるにつき、またそれに対す

2. ラプラタ沖海戦

にグラフ・シュペーの艦上にあった。 不眠不休だったことと心労のためラングスドルフも今はすっかり疲れ果てていたけれども、大 使と武官の二人に対しては概略の状況を語ってきかせていた。まずグラフ・シュペーは戦闘で損 傷していて、このままでは航海に出るには適していなかった。また烹炊所がこわされているので、 水兵たちにまともな食事をさせてやれないでいた。さらに彼は艦に六一名のイギリス商船幹部船 員をかかえ込んでいたが、これらの者たちは今すぐにも釈放してやろうと思っていたのである。 しかしながら今の彼にとって最大の関心事は、イギリスの増援部隊の動静を早く知らねばという ことなのであった。 だがずんぐりむつくりの矮嘔に鼻眼鏡の、見るからに性の強そうなラングマン博士がいった ことは、ドイツに対する人心がここよりすっと好意的なプエ / ス・アイレスを選ばずに、このウ ルグアイの港に入ったことでラングスドルフがまちがいをおかしたとなじることであった。大使 のいうところによると、英仏両国政府はすぐにも政治的には弱小のウルグアイにあらん限りの圧 力をかけてきて、国際法で認められている七二時間以上には在泊できないようにし、それをこえ れば艦を抑留させるようし向けてくることは必至だというのである。 これだけいうとラングマン大使は武官と連れだって、ウルグアイ外相グアニ博士に交渉するた め艦を去っていった。 機関長のクレツ。フ少佐は・フェノス・アイレスからやってきたドイツ人技術者たちといっしょに、 艦内をすみずみまで仔細に調べて芝わ「ていた。グラフ・シ = ペーを再び外洋を航海できるまで に修理するためには、当地で得られる工作能力の程度も考えに入れた上で、 いったいどれほどの 日数を要するものなのかをはじき出すためである。彼らのリストに載った主な要修理項目はおよ

3. ラプラタ沖海戦

310 男によるとそのとき水平線上にはアークローヤルとお・ほしい艦影が望見され、他に駆逐艦も二、 三隻いるようだったというのである。 他に陸地の住人でドイツ側によかれかしと立ちまわってくれている人士の一人からも、数隻の ーランドであることは、「明瞭 イギリス軍艦を見かけたと報らせがあり、そのうち一隻がカイ ( ~ 確認できた」とのことだった。 このでんでいかがわしい導や報告がラングスドルフにおし寄せてくるようになってしまったが、 これらの中にはイギリス海軍が故意に流したものもあれば、正真正銘ドイツのためによかれかし と思ってくれている人たちの、善意からの報らせもまたふくまれていた。しかしながらなかでラ ングスドルフを最も深刻に憂慮させたものは、例の罪つくりな砲術科分隊士の「目撃した」報告 だったのである。 時期を同じくしてドイツ大使がウルグアイ政府から、グラフ・シ、ペーの在泊期間に関する決 定事項の通告を受けた。それによると同艦は七二時間の在泊が許されるとあり、ただしそれ以上 はいかなる時間延長も認容しがたいとなっていた。政府のこの決定は例の二人の調査委員の報告 したところにもとづいてなされたものであったが、この報告は七二時間の在泊期間で損傷の修復 には十分だとしていたのである。 この決定に関しドイツでは後刻次のように論評している。 「ウルグアイ政府も国民もドイツに対してけっして非友好的ではなかった。同国外相はこの時間 をウルグアイの技術的調査委員が退艦して上陸した時刻をもって起算することに同意した。した がってグラフ・シ = ペーが入港したときからするならば、同艦はほとんど九六時間近く在泊でき ることになる。なお外務省に入ったドイツ大使からの電報によれば、大使はこのウルグアイ政府

4. ラプラタ沖海戦

321 ちょうな言葉をもって謝しているが、ここでは省略する ) かかる心豊かなる人間性の流露を前にしある際に、つぎのごときそぐわざる文言をあえて 口にせざるをえぬ儀に立ちいたりましたことは、小官の深く遺憾とするところであります。 ①ウルグアイ共和国外務大臣閣下との御会見にかんがみ、閣下の小官にお告げたまわりま した条理をもちまして、小官に与えられたる最終的かっ干犯を許されざる制限時刻として、 一九三九年一二月一七日午後八時を強制されたるものと解せざるの余儀なきにいたりました。 該時刻をもちましてアドミラル・グラフ・シュペーは、外洋を航行するにつきて必要欠くべ からざる諸修理いまだ完了しあらざるべきにかかわらず、出港せざるをえぬ儀と相成るので あります。 ここに小官はウルグアイ政府の決定に対し、公式に異議を表明するものであります。 2 ーグ条約第一三条第一七項によれば、交戦国軍艦の中立国港湾在泊は、該艦が航海の 安全を期する上に必要なる修理を完了するにたる期間が認容されるのであります。とおく一 九一四年にさかのぼれば、南アメリカにおいては巡洋艦グラスゴーが一港に数週間在泊する ことにより、修理を完了したる事実をもって前例といたします。 専門家をもってする損傷調査の結果、小官は本艦耐海性を復元すべき該損傷の修理所要期 間として、一四日間を申請したのであります。 ウルグアイ政府の派遣せられたる調査委員は、速カおよび兵装よりなる本艦の戦闘能力の こうむりたる損傷きわめて軽微にして、したがって本艦戦闘能力を増強せしめんがために申 請せし在泊期間を活用するごときは、小官にとりて毛頭必要なきことを確認しえられたるは 明白であります。

5. ラプラタ沖海戦

315 は、史実としての関心を呼びそうないろんな物件をグラフ・シュペーから移すこととなってあら われた。これらはベルリンに急送するのであゑ物件には戦闘の弾痕もなまなましい戦闘旗とか、 亡き提督フォン・シペー伯爵の肖像 ( 弾片で傷がついていた ) 、それに艦の鐘などもふくまれ ていた。 ベルリンでラングスドルフからの通信を受けとったレーダー大将は、ポケット戦艦について進 言したきことあり、かっ今後の同艦の処置について裁可をあおぎたいからとして、ヒトラーに一 三〇〇の引見を申し出た。この引見に同席したのは総統大本営参謀長のヨードル陸軍准将と、レ ーダーの幕僚の一人フォン・ブットカマー中佐であった。 このときの総統引見記録によると、レーダー大将はグラフ・シュペーを外洋航海に適するまで に修理するには少なくとも二週間を必要とすること。それに対してウルグアイ政府はわずか七二 時間の在泊しか認めていないこと。期間をもっと延長するよう外務省に要請してはたらいてもら っているが、イギリスとフランスがウルグアイに強い圧力をかけているので、これは実現の見込 みがないこと。ウルグアイは英仏に迎合させられているので、同国の中立性は不安定で、公正な 中立など期待し得べくもないこと。したがってモンテビデオで抑留されてしまうことは眼に見え ていること。といった諸点をヒトラーに説明した。そしてつづけた。 「ウルグアイより強大なアルゼンチンへの、強行脱出という手段もございます。この方がわが方 としてもずっといろいろ手が打ちやすくなりますわけで、グラフ・シュペーの艦長も・フェノス・ アイレスめがけての強行突破を提案してきております。それにこのまま見込みがなくなってしま った場合に、モンテビデオで抑留されるか、それともラブラタ水域の浅海面で自沈させるか、い ずれかをお決めねがいたいと申し出てまいりました」

6. ラプラタ沖海戦

324 るイギリスの解釈の何たるやを知悉しいたる小官ではありましたが、イギリス側の態度を顧 慮することなく、該水域に到達すると同時に戦闘行為を停止したのであります。 さらに同じ配慮をもって、イギリス巡洋艦ロポス沖にありし際にも、小官の戦術的優位と 視認状態の良好なることまことに顕著なるものありしにもかかわらず、小官は砲撃をさしひ かえ、敵が射撃し来たった場合にかぎり応射したものであることを、ここに強調するもので あります。 ⑤ウルグアイ共和国政府の決定に及びし論拠の奈辺にありやは、小官の理解し得ざるとこ ろであります。されど小官は認められたる制限時間を遵守するものであります。しかれども ウルグアイ政府 ( ーグ条約に規定しある本艦耐海性復元のための時間認容を小官に対し拒否 したる以上は、交戦したるもその戦闘能力にみじんの低下も来たしあらざる本艦を、ウルグ アイ政府にゆたねる如きは断じて小官の採らざるところであります。 四囲の状況かくの如くなる上は、本艦を自沈せしめる以外には小官に方途はないのであり ます。陸岸至近に自沈せしめ、能うならば乗組員を退去せしめんとするものであります。 艦長ラングスドルフ ( 署名 ) ドイツ大使にあてたこの書簡は、思うに宣伝に利用する目的で、後日ラングスドルフ以外の人 物の手で書かれたものであることは、ほ・ほまちがいないようである。そうででもなければ、この つじつまの合わない論旨には説明がっかない。 まず第一に、モンテビデオに着いて負傷者を揚陸した時点においては、ラングスドルフにも・ヘ ルリンの大本営海軍部にも、 ーウッド代将には来るにしてもごくわすかの増援しか、それもず

7. ラプラタ沖海戦

351 になって、「状況かくなる上は総統はラングスドルフ大佐に艦を爆砕するよう命じられた。なお この命令はウルグアイ領海外で実行するときにのみ有効なものであった」と書きあらためられた のである。 だがほとんどこれと時を同じくして、モンテビデオのドイツ大使にはベルリンから至急電で次 の主旨の訓令が送られたのだった。 グラフ・シュペーの沈没に関し、爾今今までになしたる以上の公表を報道関係に対しては なさざること。ラングスドルフ書簡につきても同様つつしむこと。今後公表はいっさい当方 ッペントロツ。フ。 において行なう。署名 このナチ外相はウルグアイ政府が国際法の厳密な解釈ということによって彼にくわせたしたた かな肘鉄の痛みがまだずきずきうずいていたようで、これ以上出先の外交機関や、それにラング スドルフまでもが、思慮の浅さからへまなことをしでかさないか心配でならなかったのである。 一方でタコマはウルグアイ軍艦によってモンテビデオに帰港を命じられたが、同船の船長は港 湾規則に違反したかどで逮捕された。タコマにはグラフ・シュ。ヘーの乗組員も四人残っていたこ とがわかり、この四名も自沈の罪に問われて逮捕されたのである ( この四名は後日釈放された ) 。 さて、自沈の翌日の月曜日の朝、一夜を陸上ですごしたラングスドルフ大佐は、地方紙が自分 のことを艦と運命をともにしなかった腰ぬけで、海軍の伝統を破った軍人の風上にもおけぬ卑怯 者と非難していることを知った。これは彼にとって深刻なショックだった。アルゼンチンでは国 をあげて温く迎え入れられるものと思い込んでいたからである。

8. ラプラタ沖海戦

322 戦闘能力増強のための期間の必要の有無調査のごときにはあらずして、該委員は本艦船体 の損傷状況を明瞭に確認せられ、本艦耐海性復元には修理の欠くべからざることを確認され たるは明白であります。さらに本艦給食施設の損傷状況明瞭にして、本艦乗組員多数なるに かんがみるも、本艦外洋にて長期間行動するには、該施設良き稼動状態に復元するの肝要な ることを確認されたるは明白であります。 1 グ条約第一三条第一七項に規定する損傷に、右に述べたる本艦の損傷が該当するは明 瞭であります。 しかるを閣下に対してウルグアイ共和国外務大臣閣下より寄せられたる通告によりますれ ば、同国国防大臣閣下の任命せられたる調査委員は、本艦損傷を修復するに七二時間をもっ てせば可なりと言明せられたる由であります。ウルグアイ共和国閣議の決定せるところも、 また該言明にもとづいているのであります。 しいかなる努力を かかる充当時間にては、ウルグアイ共和国より供与せられし便宜を用、 傾倒すとも、本艦損傷の修復は不可能なること明白であります。かりに同共和国にてさらに 広汎なる調査を直接本艦につきて進められしならば、このこと明白となりしならんこと確実 であります。 ③本艦修復作業に従事しある業者、港湾当局により妨碍を受けたる事実に関し、小官は公 式に異議を表明するものであります。一二月一六日午後六時以降若干時間の間、作業従事者 にて来艦を許可されたる者一人もなく、ドイツ大使館係官の仲介斡旋をまちてようやく来艦 可能となりたる事実これであります。 ウルグアイ共和国政府の御決定に関しても、小官は公式に異議を表明するものであります。

9. ラプラタ沖海戦

ラングスドルフと部下たちは・フェノス・アイレス海軍工廠内の一棟に収容された。そしてグラ フ・シュペーがなお紅蓮の炎をあげて、この事実に直面して考えようとしている者たちに対する 、ベルリンでは早くもこの不面目なできご 厳粛ないましめのように燃えさかっているというのに とを転じて宣伝戦の勝利にすりかえてしまおうとする動きがはじまっていたのである。しかしな がらさすがにいつものナチお定まりのやり方をもってしても、このことでばかりはあまりはかば かしい効果があがらないようだった。 自沈後一時間たってモンテビデオのドイツ大使からウルグアイ外相に対して、中立が適正に守 られなかったという抗議がなされ、同時に大使によって国際法違反を申し立てているラングスド ルフの書簡が公開されたのである。 自沈に関してベルリンでなされた最初の公式声明は、「グラフ・シュペーを外洋航行可能とす るため必要な時間的猶予をウルグアイ政府は拒否した。このような状況下にあったのでラングス ドルフ大佐は自爆を決意したのである」と、むしろあっさりしたものであった。だがレーダー大 将にかかるとこの二番めの文章に「総統御自身の命により」という文句が挿入され、さらにあと ラングスドルフ自決す

10. ラプラタ沖海戦

このときイギリスの出した二四時間をこえる在泊をさせないことという要求は、もちろん一九 〇七年の ( ーグ条約にもとづいたものであった。同条約第一一条は、その中立国にこのことに関 しての独自の法規定がない限りは、交戦国の軍艦に中立国領海内で二四時間以上とどまることを 禁止している。また同条約第一三条では中立国に対して、交戦国軍艦に自国領海内から二四時間 以内に、立ち退くように通告することを義務づけてある。さらに第一四条では、損傷の程度や悪 天候など、それ相当の理由がなければ、交戦国の軍艦は在泊期間を二四時間をこえて引きのばす ことはできないとしているのである。 ところで前記ハ・ハナ条約加盟国であるが、右の第三のハーグ条約第一四条でいう″損傷〃は、 このハバナ条約では戦闘によって生じた損傷はこれに該当しないという解釈がくだされていたの であった。 それにイギリス公使はさらにハーグ条約第一七条をも引用して、ウルグアイ政府の関心を喚起 するよう努めてもいた。この第一七条というのは、交戦国軍艦の行なってよい損傷の補修は、厳 密に航海に耐えるものの程度にとどめ、戦闘能力を増すようなものであってはならないという規 定である。 右のような事情たから、グラフ・シュ。ヘーが入港してからすでに二四時間が経過してしまって いた時点から起算して、それからさらに七二時間の在泊を許可したウルグアイ政府の態度は、公 正などころか、 ドイツに対してあまりにも好意的でありすぎると称していいほどのものだったの である。 ところがこれをリッペントロツ。フはいっこう知らなかった。それどころか折返しラングマンに 引訓令を出して彼は、「シュ。ヘーの状態がかくの如き」うえに、「法的見地より」しても、ウルグ