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検索対象: ラプラタ沖海戦
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1. ラプラタ沖海戦

の艦を個艦でもってよく追いつめてとらえ、撃沈できるような艦などは、英仏両海軍あわせても 五隻か六隻しかこの世に存在していないという事実にもまた、彼は安んじてよかったのである。 いや、そんなことよりもレーダーがより安んじてよいのは、これら二艦の用法であった。洋上 ドイツ で英仏の通商破壊に任するこれらポケット戦艦には、ドイツ海軍兵力の甚しい劣勢とか、 が海外にいかなる基地ももっていないという不利を、おぎなって余りある利が現実に存在してい たのである。 海洋は実にひろい。それは理解を絶する広大さなのだ。大西洋は面積三四〇〇万平方マイル。 インド洋もなお二八〇〇万平方マイルに達する。これらに比すればヨーロッパ大陸は三九四万七 〇〇〇平方マイルにすぎず、南アメリカ六九七万、アフリカ一一六八万八〇〇〇、アジア大陸で すらなお一七二七万六〇〇〇平方マイルである。そしてその広大な海洋に一隻のポケット戦艦を 探し求めるいかなるイギリス軍艦も、最も視程のよい場合ですら、最大一二マイルの距離でその 敵艦を視認できるのを期待し得るに過ぎない。いいかえればアジア大陸とその沿岸島嶼のすべて をひっくるめた面積の、さらに二倍にもおよぶ広大な海洋上で、ただ一隻の敵艦を探し求めるに あたって、イギリスの個艦に許される視界は、最もよくて自艦を中心に直径二四マイルの、眇た る範囲にしかすぎないのである。 捜索がこのように至難なことにくわえて、ドイツ通商破壊艦にはたくまずして作戦の主導権を つねににぎってしまえる無手勝流の利というものがあった。敵国の海上通商を衰亡せしめるとい う目的の達成のためには、むきになって敵商船の撃沈に努めるなどよりもはるかに有効な手段が ある。それはひとつの水域でます自艦の存在を敵に知らしめ、しかる後すみやかに他の水域に移 動するーーーただこれたけのことでよいのである。ある地点で一船を撃沈したグラフ・シュペ】は、

2. ラプラタ沖海戦

囲に合同しようとして三〇ノットで航行しているカン・ハ ーランドただ一隻をのそいては、ラ。フラタ 水域から三〇〇〇マイル以内には、英国軍艦はたたの・一隻も存在してはいなかったのである。 ハンにあ ます巡洋艦コーンウォールとグロスター、および空母ィーグルからなる—部隊はダー った。ラ。フラタからは実に四〇〇〇マイル余の距離である。しかもこの部隊はライアン大将の指 揮下に属していたので、同大将はこの部隊がケープに到着してから別命するつもりで、「全力フ アゲ」ケープタウンに進出せよと命じてしまっていたのたった。皮肉なことにこのころから状況 が少しすっ判明し出したのである。 サセックスとシュラツ。フシャ ーから成る部隊にしても、ケー。フタウンめざして航行中であっ たが、ライアン大将はこの部隊に「可能なかぎりの高速」でケー。フに行き、そこで燃料補給後フ リータウンに来るよう命じていたのである。しかも指揮から :•-«部隊を引き抜かれてしまうと、ラ ィアン大将はこの二艦にケー。フにとどまっているよう命じてしまったのだった。 海戦のあった日にケープこ 冫いたドーセットシャーは、ラブラタに向かうよう命ぜられた。しか しこれは三六〇〇マイルも西方への航海となるのである。シ、ラツ。フシャーにしても二日おくれ セットシャーを追い、モンテビテオに向かうことになったものの、同艦の目的地到着予定 は一二月二三日にしかならないのであった。 ーウッドがグラフ・シュペーに相見えたその日、南米沿岸はるか三〇〇〇マイルの北に、ペ ルナイフコからも六〇〇マイルはなれて、空母アークローヤルと巡戦レナウンの部隊がいた。 南から旧巡ネ。フチューンが駆逐艦をひきいて北上してくるのをただ待っていたのである。しかも レナウンは燃料が乏しくなっていた。したがって増援を命・せられても同艦はラ。フラタ水域にたど り着くのがやっと、長途の追撃戦など思いもよらぬ状況であった。そこでやむを得ずライアン大 ( 註 3 )

3. ラプラタ沖海戦

347 で、自分たちが呼びとめられたのは、ウルグアイ領海内で艦を爆破したことをとがめられている が故たと思いこんでいたらしく、早ロでせきこんで自分はウルグアイ当局の曳舟に先導されて、 あらかじめ当局から指示された地点、つまり陸岸から三マイル離れたところまでいった上に、さ らに後日いざこざの論議がおこるのを避けるために、自分独自の判断でさらにそこから一マイル も外に出たのだとまくしたてたのである。そしてつづけた。 「イギリスは三マイル以上の領海というものを全然認めておりません。だから私はそれからさら に一マイル進めて艦を沈めました。ですからアルゼンチン籍の曳舟やはしけに乗っている私たち の行動は自由で、おとがめを受けるお・ほえはいっさいありません」 大佐が思いちがいしていることのわかった港湾係官は、自分が問題にしているのはグラフ・シ ュペーを沈めたことなのではなくて、アルゼンチン籍の舟のこの行動のことなのだと説明した。 だが大佐はいまのところ公式に認可されているのかどうか不明のこの人や荷物の輸送について、 しいはる 自分はウルグアイ当局からこの傭船もアルゼンチン行きも全面的な許可を受けていると、 のである。 係官の方も自分はこのことについて何もきいていないので、大佐のいい分をききいれていいも のかどうかわからないとしし。 、よる。押し問答のすえに、ちょうど現場に来合わせたウルグアイ海 軍の砲艦を呼ぶことになった。ところがその砲艦の艦長もそんなことは何もきいてないという。 結局その砲艦から当局に無線で問い合わすことになった。だがかえってきた返事は、ドイツ人た ちはいっさい阻止されることなく航行をつづけていいというものだったのである」 ーウッドや三隻の巡洋艦ができごとを知ったのは、全場面を見ていたルーインとカーニイか

4. ラプラタ沖海戦

だけは確実だというのである。たぶんレカラダか、あるいはほかのどこかにいたアルゼンチンの 海防砲艦が射ったのではないかということだった」 その射たれたルーインはこのころひどく疲れていて、実に悪い癖を示すようになってカーニイ を悩ませていたのである。彼が命しられていたのはときどきエージャックスを視界の中に保つよ うにしつつ、河口一帯をより広く偵察せよということであった。ところがそのときどきに彼は本 当に眠り込んでしまうようになったのである。だが同乗のカーニイは全然そのことに気がついて いなかった。それでも機体が奇妙な運動をするようになってから、やっとカーニイは気がついた。 そして機体があわや操縦不能におちいろうとするたびごとに、その寸前にあらん限りの大声をは りあげてどなりつけることにしたのたった。 この間巡洋艦隊はモンテビデオに接近していったが、途中で軍令部長から指令が入った。 ハ、イカナル地点ニテグラフ・シュペート交戦スルト 緊急。貴官ハ三マイル境界線外ナ ? これは領海を一二マイルとする主張に対するイギリスの基本姿勢を端的に示したものであった。 だがこのことに関してはハ ーウッドは後日つぎのように記している。「私は戦隊をイングリッシ ュ堆の北東あたりまでは遊弋させることにした。私の考えでは、モンテビデオ沖でも三マイル線 をこえたばかりのすぐのあたりでは、とても戦闘ができるようなものではなかった。動ける海面 がとても狭い上に、遠弾での外れ弾がウルグアイの陸地におちる恐れがあったからである。そん なことがあろうものなら、それこそ国際上での大ごとになってしまう」

5. ラプラタ沖海戦

間ロ水域にあるハーウッド代将の分遣隊を増強する目的で、本国艦隊第二巡洋艦戦隊から引きぬか れ、。フリマスを出港して派遣されてきたのであった。同艦のシェラ・レオネ、フリータウン到着 は七日のことで、燃料補給後その翌日、南西一一〇〇〇マイルにあるリオめざしての航海の途につ ランド いたのである。この三日前にラングスドルフが例の待機水域を選定していたが、カン・ハー のこの航路は幸か不幸かこの水域の北縁に近いところを貫き通っていたのだった。 プリマスをあとにして航程四〇〇〇余マイル。南大西洋海域で予想される敵通商破壊艦狩りに くわわるべく、勇躍めざすリオに急いでいたカン・ハ ーランドではあったが、このとき起こったで きごとは、実戦でしばしば見られるあの不思議な、そして危険に満ちた暗合のひとっとしかいい ようがない。同艦の午前六時三七分の針路は一七〇度であった。もしこのまま維持していたとす るならば、なんとグラフ・シュペーに対して距離一〇マイル以内に接近してしまうところたった のである。たがカンパ ーランドはその一分後の午前六時三八分に右に三〇度回頭を行なっていた。 これはジグザク航行の右行きコースとして針路を二〇〇度に変針したためである。 そして、もしもカン・ハ ーランドがもう一〇マイル南東に偏した航路をとっていたとしたら : この場合にはアラド機のシュ。ヒーリングから発見されはしなかったであろう。そのかわりグラフ ・シュペーとアルトマルクにまさに鉢合わせすることになっていたのはまちがいない。 この場合 いったいどうなっていたろうか ? 生じたにちがいない戦闘の場面は想像に難くない、まず第一 にカン・ ーランドの八インチ主砲は、グラフ・シュペーの一一インチ主砲に完全にアウトレンジ されてしまっていた。ラングスドルフとしては、この場合ふたつの途のどちらかを選ぶ自由があ ったといえる。つまり自艦も被弾でかなりの痛傷をこうむることを覚悟の上で、同航体勢で決戦 を挑むか、それとも反航で逃げの体勢に入り、・アウトレンジできる火力の優勢をもって、速度に

6. ラプラタ沖海戦

184 強敵には撃沈はおろか、行動能力を殺いでやることすらお・ほっかない。しかもネルソンがナイル いま全然 で使ったような敵がまったく思いもかけていなかったような奇手の見つかる見込みは、 ないといってよ い。たとえ見つかったとしても、それは功を奏するどころか、逆にことごとく自 減の途につながってしまうのがおちであろうというものである。こうしてこの日の正午、彼自身 の腹案になる指示を二艦に与えている最中のハーウッドは、三六年間の海軍生活でっちかわれた もののすべてを賭さねばならぬ人生最大の山場、いやはっきりいって最大の危機に達していたの ーウッド 0 一九〇三年兵学校を出て候補生として海軍の軍人生活を 英国海軍代将ヘンリー 踏み出す。軍艦ロンドンならびにプルワークでガンルーム士官生活。大西洋艦隊巡洋艦サトルジ エー水雷長。グランドフリート の戦艦ローヤル・ソヴリン水雷長として第一次大戦を経験。巡洋 ーランド艦長。国防大学校 艦サザンプトン乗組。軍令部企画局勤務。第三戦艦戦隊参謀。カン・ハ で研修。ロンドン艦長として第一巡洋艦戦隊先任艦長と戦隊参謀長を兼務。一九三四年から三六 年までを海軍大学校教官として過ごす。そして南米分遣隊司令官として旗艦ェクセターに長い代 将旗をひるがえす栄光の日を迎えた。 その ( ーウッドの前途に待ち受けている連命は何か ? ポケット戦艦を撃ちもらしての落胆か または戦死か ? 英海軍高級士官にとってこれは恩給をもらいそこねること以外の何ものでもな 。それとも勝利か ? それは進級をうながし、あとはすべて万事よくなってゆくことになる。 だが彼の推定がことごとくまちがっているのではなかろうか。つまりこうしている間にもポケッ ト戦艦は数百マイルの彼方にあって、あさっての方めざしてつつ走っているのではなかろうか ? それに敵艦がリオ・デ・ジャネイロをめざしてひた走っているものと推定したればこそ、彼はこ

7. ラプラタ沖海戦

187 撃諸元の送達方法について、いろんな手段を試してみて検討したのであった。 ーウッドの指示した片舷斉射のための陣形というのは、甲隊 ( エージャックス、アキリ ーズ ) と乙隊 ( ェクセター ) との間で、両隊の射線が直角をなすような間合いをとって占位する ことなのであった。こうすると隊相互間で、それそれ他隊の弾着がどの程度に遠弾か近弾かとい うことを、明瞭に観測し合えることになる。このようにしないで三艦がめいめいに射撃を実施す るだけだと、各艦砲術長は自艦と敵艦を連ねる線上での弾着観測しか行なえず、これでは遠弾近 弾はわかってもそれがどの程度外れているかを観測するのは容易なことではなくなってしまうの である。この夜の訓練では両隊の間で模擬の弾着観測データを交換し合い、それを方位盤に入れ る練習を行なった。 このようにしてハーウッド隊三艦が″その前夜″をすごしていたとき、他の狩猟群各隊はそれ ぞれどこにいたろうか。それは左の通りであった。 部隊サセックス、シュラップシャー アフリカ西岸を捜索中で、現場から四〇 0 〇マイル余も離れた遠くにあった。 部隊・イーグル、コーンウォ , ール、グロスター ダー・ハンに入港中。これまた四一〇〇マイル離れた所にあり、虚報にもとづくインド洋 での捜索にすっかり燃料を使い果たしていた。 部隊アークローヤル、レナウン 南大西洋では最も強力な部隊ながら、ベルナン・フコ沖にあって、つまり二〇〇〇マイル も北で行動中だった。

8. ラプラタ沖海戦

124 始末となった。フランス軍艦旗があげられ、五・九インチ副砲が装填される。トレヴァニオンを やったときの経験から、イギリス船の通信士に発信を断念させるには機銃は役に立たな、 と、ラングスドルフは考えるようになっていたのである。 しかしグラフ・シュペーの艦橋から見ていると、大分近くなってもその船はずいぶんとちつ。ほ けなようであった。しかもそやつは突然転舵すると、反転してもと来た道をかえり始めるではな いか。ラングスドルフは増速を命じるとともに、停船を命ずる旗信号をかかげさせた。たがそ の小船は停まるどころか、なおも逃げようとするのである。そこで彼は左舷の副砲の一門に命し て、その船の行手に一発警告の弾を頭ごしにぶち込んでやることにした。 この船はアフリカ・シェルであった。七〇六トンの汽船で、ジェリ・メールを出てロレンソ・ マルケスに向かう途中だったのである。二九人が乗り組んでいたが、以後の運命については同船 の船長・・ ()5 ・ダヴが後日陳述したところによろう。 「はじめその艦を見かけたとき、私はフランス軍艦たとばかり思っていました。だけどそのうち 何たかようすが変だと思い、反転して引返すことにしました。そのまま一生懸命逃げたんですが、 その艦をはじめて見かけたところから四マイルばかりきたとき、だしぬけに閃光が見えまして、 船から四分の一マイルばかりの後方に大きな褐色の水柱が立ちました。私はきっとあの軍艦がこ ちらに何かとり調べたいことがあるのだろうと思い、わからないけど何かした方が無難だと思い ました。そこで半速に落としたんですが、そのときにはもう戦艦はこちらへ二マイルばかりに迫 っていました」 このときになって彼も他の船員たちもそれがドイツ軍艦だとわかったので、すぐさま機密書類 をとり出して海中に投棄した。また二等航海士はケッシコとザヴォラの両岬の方位を測定して、

9. ラプラタ沖海戦

ーディ、ホスタイル、およびヒーロー ) がもし足手まといになって部隊進出 軍令部は駟逐隊 ( ( を遅らすようであれば、あとに残していってよいと指示した。そこでライアン大将も同部隊にリ オ・デ・ジャネイロで燃料補給をするように命じた。リオはラ。フラタの戦場から直距離で一〇〇 〇マイルの北にある。ウエルズはさっそく速カ二五ノットを下令した。 しかし、しかしである。アークローヤルとレナウンは一二月一七日にならないとリオに到着で きなかった。そこで燃料補給にはどうしても一二時間を要する。その上でラブラタまで一〇〇〇 マイルを行かねばならない。一〇〇〇マイルはまるまる四〇時間の行程なのであった。ネプチュ ーンのごときはリオ到着が部隊よりさらに一二時間後になる。ド ットシャーにしても南ア フリカからなのでは、モンテビデオへは一二月二一日にならないと着けない。さらにあとになっ て出港を命ぜられたシュラツ。フシャーこ 冫いたっては、一二月二三日より前に目的地に着くことな ど不可能なのだった。 ざっとこれが実情なのであった。そこで一二月一四日が明けて、 ーウッドの二隻の巡洋艦が ラ。フラタ河口で昼間の監視配置についたそのときには、この日夕方に到着してくれるカン・ハー ンドただ一隻以外には、援軍などいっさい期待できないことがわかりすぎるほどわかっていたの である。アークローヤルにレナウン、それに助けにもならぬネプチューンなどは、五日後でない ットンヤ と来てはくれない。ド ーが到着するのは七日も待たねばならなかった。 註 1 交戦中の国の商船が中立国の港から出航すると、交戦相手国の軍艦はそれ以後二四時間内に は出港できないことに国際法ではなっている。 註 2 カン・ハ ーランドはハ 1 ウッド代将の発信したものを断片的にしか受信しえていなかったが、

10. ラプラタ沖海戦

ーウッド 発しつづけているにもかかわらず、なおも同艦が針路を変えようとしないのを見て、 は敵がラ。フラタ水域に入るつもりなのだということに今は確信が持てるようになってきた。だ・、 そうなると彼にはいろんな厄介な問題が提起されることになってきたのである。 東にウルグアイ、西にアルゼンチンを分けているラブラタ河の河口は、河口とはいっても実質 的にはきわめて広大な半円をえがく大きな湾なのであり、その中央に大河が流れ入っている。そ のあまりの広大さというものは、ウルグアイ側のロポス島から、アルゼンチン側のサン・アント ニア岬までの間が直距離で一二〇マイルもあるという一事でもうかがい知ることができる。しか しそのラブラタ河に入るには、この広大な河口には間を遠くへだてた三本の水道が存在している ーランド・ショールの間のもの、中のがイン のである。北のがイングリッシュ堆灯台船とカン・ハ グリッシュ堆とルアン堆間、そして南のが三〇マイルも幅のあるルアン堆とアルゼンチン岸の間 のものである。モンテビデオ港は河口湾が大西洋につながる河の東端岸にあるのに対して、・フェ ノス・アイレスの方は河口から一一五マイルもさかの・ほったアルゼンチン側にあり、ここに通じ ているのがインディオ水道なのである。 さてグラフ・シュペーはいま河口湾にななめに接近していっている。もし真実河に入ってしま うつもりなら、東岸に着くことになる。しかしまたイングリッシュ堆を大きく迂回して、夜陰に 乗じて再び大西洋へ出てしまうこともできるわけである。このまま進めば同艦が河口に達するま でに夜になってしまうことは必定であった。ラングスドルフはいくらでも好きにするようにでき る。そこでハーウッドとしては、海のシャーロック・ホームズもどきに、自身をドイツ人の立場 においてみて、自分ならどのようにするだろうかと考えてみねばならなくなったのであった。 この問いを解く鍵はふたつある。ひとつはグラフ・シュペーがどの程度甚大な損傷をこうむつ