8 省に対しても兵力を醵出してくれるよう要請が出されたが、これにも先方の同意が得られた。 ハンティング・グルー・フ 軍令部がこのようにして、狩猟部隊と後に呼ばれるようになった部隊群の編成作業を行な っていたとき、フリータウンにあるライアン提督とエクセター坐乗のハーウッド代将とは、その 現下に持てる手勢でもって最善をつくしつつあったのである。 実をいうと、一〇月一日に第一報が入ったときにも、その敵艦がポケット戦艦であると断定す るにはこの時点ではまだ程遠い段階たったので、 ーウッドはどちらかといえば多寡をくくって いて、ラ。フラタ河口水域を空けて留守にすることにもさして不安を感じてはいなかったのである。 これはこの水域での船舶の航行量が圧倒的に多いためで、その量はリオ・デ・ジャネイロ近傍水 域「つまりは敵艦の最後の所在位置が確認されているべルナンプコ沖に最も近い第二のかなめの 水域ということになるが、そのリオ水域の比ではないことが彼のこの考えのもとになっていた。 ーウッドの考えでは、ベルナンプコ沖あたりでことさらに通商破壊艦一隻の所在を明らかにし たドイツ側の作戦の裏にひそんでいるものは、彼の部隊をこれでおびき出して北上させ、ラブラ タ河口一帯をがらあきにさせることで手ぐすねひいて待っているだろう第二陣の敵艦に、存分に この水域を荒らしまわらせることにあるだろうと彼は読んでいた。ハ ーウッドのこの考えも無理 はないので、南米水域一帯にかくもおびたたしい隻数のドイツ商船の脱出を許してしまった今と なっては、それら商船があらかじめかくし持っていた大砲を、開戦と同時にとり出して武装し、 通商破壊艦に早がわりしているだろうことは、明瞭に察しのつくことだったといえよう。 そこで彼はライアンにあてて、この際ェクセターとエージャックスはリオ沖で合同させ、駆逐 艦ホットス。、 ーにはリオ日サントス間水域をカバーせしめ、ハヴォックをラブラタ河口一帯でつ づけて哨戒にあたらせることに決めた旨を申し送った。またリオとサントスの両監督官には、エ
ラブラタ冲 ~ 冊戦
北上せしめ得るかということであった。 この推算によってアドミラル・シ = ーアがリオ・デ・ジャネイロ沖にあらわれるのが一二月一 二日早朝、ラブラタ沖にならその翌日のこれも早朝、そしてフォークランドに来るなら一四日の ウッドは判した。・ - ; たカこのどちらへ来るかが問題であった。フォークランドからラ 。フラタまでは一〇〇〇マイル、リオはラブラタからまた一〇〇〇マイルもある。だから右の三水 域のうちのどれに来るかという判断を誤ると、またしてもとり逃がしてしまうことになってしま う。そのかわり彼のにらんたことが当たるなら、今度こそ敵撃減の機会がっかめることになるの である。 ライアン大将などはアドミラル・シェーアが北上するものと断定していた。だがこのときの自 分の判断について、 ーウッドは後日つぎのように述べている。「本官は敵がラブラタに来るも のと断定した。ここが最も航行量大である上に、穀物をはじめとする食糧の輸送で、最重点的に 防備すべき水域たったからである。この判断にもとづいて本官の採った処置は、敵がこの水域で 作戦行動を開始するのに先んじて、本官の動員しうる全兵力を同水域に前もって集結せしめるこ とであった」 これにもとづいての処置として、 ーウッドは司令官名で一九三九年一二月三日、一三一五、 つぎの命令を南米分遣隊全艦にあてて発している。 敵ポケット戦艦ニ関スル情報ニモトヅキ前命ッギノ如ク訂正ス。イハ ーランドハ予定通 リフォークランドニテ修理ヲ続行セョ。タダシ二軸ノ手入レノミニトドムペシ。アキリーズ ハリオ・デ・ジャネイロヲ発シ、一二月八日〇六〇〇 ( 地方時二二時間加算 ) ニモンテビデ
/ 、ヤカワ文庫く NF31 > ラブラタ沖海戦 ダドリー・ポープ 内藤一郎訳 早川書房
1939 年 12 月 17 日、ドイツのポケット戦艦、アドミラル・グラフ・ シュペーは南米ウルグアイのモンテビデオ港外で自沈した。その 翌日、艦長ラングスドルフ大佐はドイツ軍艦旗の上で壮烈な自決 を遂け、た。この日に先立つ 12 月 13 日、シュペーがラブラタ河口中 で英国巡洋艦工クセターを大破し、同級のエージャックス、アキ リーズにも損傷を与えたものの、自艦も傷つき、 72 時間の猶予を とって中立港モンテビデオに避退した後の事件である。開戦直後 の 9 月末から 2 カ月余の通商破壊作戦で 9 隻、 5 万トン余の英貨 物船を撃沈、しかも攻撃にあたっては敵・味方ともに人命を失う ことがなかった。第一次大戦の名将の名を冠したシュペーは、 28 ノットの高速と 1 万浬に及ぶ長大な航続力、 11 インチ主砲 6 門と 5 , 9 インチ副砲 8 門を装備する最新鋭艦だった。広大な海上で必 死にシュペーを追う英海軍の苦悩。第二次大戦の初頭、苛烈な海 戦と劇的な最期で知られるラブラタ沖海戦を鮮烈に再現する ! 定価 440 円
を、大使館付武官にすることに同意した。これはこの者たちがあわよくば後日ドイツ本国に帰還 することができて、グラフ・シュペーの遠征行や最後の模様を報告してくれるであろうと期待し てのことだった。 午前中にかってリオ・デ・ジャネイロに入港すると伝えられていたレナウンが、入港をとりや めたという噂が入ってきた。これでラングスドルフも大手をふってラブラタ河口に出て行けるこ とになったといえたが、しかしアークローヤルとアキリーズに関しては、その後のリオ入港につ いては消息不明のままであった。ところが一三〇〇になってリオ・デ・ジャネイロのドイツ大使 から、レナウンとアークローヤルがリオに入港してきたと至急電で報らせてきたのである。 ラングスドルフはこの報らせをむしろ別の気持で受け取った。彼が気づかったのは、この撃沈 されたものと信じられていた空母がまた健在であることをベルリンに向かって証明するための写 真を、ドイツ大使館の連中がはたして撮ったろうかということだったのである。彼にとってこの ニ = ースは、かって一四日にこの両艦がラ。フラタ沖にあるのをグラフ・シ、。〈ーの艦上から見か けたということが、虚報ではなくて事実たったのだと合点させるに十分だったことだろう。両艦 の速力をもってすればラブラタからリオまでの一〇〇〇マイルの距離は、まさしく二日間の航程 だからである。そのことよりもこの報らせからラングスドルフが読んたことは、モンテビデオ港 外にいるのは巡洋艦を主とする部隊であろうということだった ( その通りで、すでにカイハ ンドもくわわっていた ) 。そしてグラフ・シュペーがモンテビデオから出て行くようなことにな ると、これに触接し、レナウンやアークローヤルか、あるいはもっと強力な味方部隊にぶつかる よう仕向けてくるつもりだろうと判断したのである。 だがそれにしてもこの報らせからは、ラングスドルフはすでに定めた自沈の決意を、ひるがえ
ーウッド 発しつづけているにもかかわらず、なおも同艦が針路を変えようとしないのを見て、 は敵がラ。フラタ水域に入るつもりなのだということに今は確信が持てるようになってきた。だ・、 そうなると彼にはいろんな厄介な問題が提起されることになってきたのである。 東にウルグアイ、西にアルゼンチンを分けているラブラタ河の河口は、河口とはいっても実質 的にはきわめて広大な半円をえがく大きな湾なのであり、その中央に大河が流れ入っている。そ のあまりの広大さというものは、ウルグアイ側のロポス島から、アルゼンチン側のサン・アント ニア岬までの間が直距離で一二〇マイルもあるという一事でもうかがい知ることができる。しか しそのラブラタ河に入るには、この広大な河口には間を遠くへだてた三本の水道が存在している ーランド・ショールの間のもの、中のがイン のである。北のがイングリッシュ堆灯台船とカン・ハ グリッシュ堆とルアン堆間、そして南のが三〇マイルも幅のあるルアン堆とアルゼンチン岸の間 のものである。モンテビデオ港は河口湾が大西洋につながる河の東端岸にあるのに対して、・フェ ノス・アイレスの方は河口から一一五マイルもさかの・ほったアルゼンチン側にあり、ここに通じ ているのがインディオ水道なのである。 さてグラフ・シュペーはいま河口湾にななめに接近していっている。もし真実河に入ってしま うつもりなら、東岸に着くことになる。しかしまたイングリッシュ堆を大きく迂回して、夜陰に 乗じて再び大西洋へ出てしまうこともできるわけである。このまま進めば同艦が河口に達するま でに夜になってしまうことは必定であった。ラングスドルフはいくらでも好きにするようにでき る。そこでハーウッドとしては、海のシャーロック・ホームズもどきに、自身をドイツ人の立場 においてみて、自分ならどのようにするだろうかと考えてみねばならなくなったのであった。 この問いを解く鍵はふたつある。ひとつはグラフ・シュペーがどの程度甚大な損傷をこうむつ
この作戦プロットに隣接して設けられているのが、通商。フロットであった。これは全世界の航 路上のイギリス船舶の動きを、通商局でプロットしているものなのである。時々刻々に監督官や 領事館、海軍武官に諜報員、飛行機の偵察から、はては海運会社やその代理店等にいたるまで、 あらゆる情報源から通商局に入ってくる情報が、もれなくここにプロットされる。 ーウッド代将などがえている情報も、そのほとんどはこうした複雑に網目のいりくんだ情報 組織がもたらしてくれるものなのであった。この網目のはたらきのいい実例のひとつをつぎにあ げておこう。 ーランドを見かけることになった 九月一〇日といえば、グラフ・シュペーのアラド機がカン・ハ 前日であるが、この日軍令部にはモンテビデオというドイツ船一隻が、リオ・グランデ・ド・ス ルからプラジルのフロリアノボリスに向かっているという報らせが人った。この情報はすぐさま ラブラタ沖を哨戒中だったエクセターのハーウッド代将に無電で送られた。 だが軍令部はつねにこうして単に情報を送ってさえいれば済むのである。ところが ( ーウッド このときも彼がエクセターをそのドイ はそれにもとづいて何をすべきかを決定せねばならない。 ッ船の迎撃に使うとすれば、それはこの巡洋艦をラブラタ沖のかなめの水域から、なんと六〇〇 マイルも遠ざからせてしまうことになるのであった。もしもエクセターがラ。フラタ沖を留守にし ている間に、ドイツの通商破壊艦がラ。フラタ沖にあらわれたとして、そこでありうべき連合国船 の数隻の喪失と、そして捕えられるかどうかまだわからないドイツ船一隻の獲物とを、ここでハ 1 ウッドはとくと天秤にかけて考えてみねばならなかったのである。考えた末、みすみす彼はモ ンテ・ヒデオを見のがしてやることにしたのであった。 ーウッドよま この種の「何を失うのたろうかわりに、何を得られるだろうか ? 」の決断を、
0 7 3 0 全速カ ェージャックス 魚電 4 発射 工ージャックス X Y 両砲塔機能喪失 魚電互避 了キリーズ 工ージャックス マスト破損 0700 0730 ク・ラフ・シュペー 0300 06 ー 4 グラフ・ンユベー、 ジャックスとアキリーズ に対し発砲開始 N ニカ 3 4 南西風にて浪らり 視界良好 5 2 4 3 0 マイル Y 砲塔動力絶たる 工クセター 0730 0740 ト 第一段階 ラブラタ沖海戦
Ⅷたたえて、グラフ・シペーの航海日誌にはつぎのように記入された。「本艦三・七サンチ砲ノ 初回射撃 ( 該船 / 海図室ナラビ = 無線室ヲ直撃ス。ナレドモ同船ノ通信手甲板 = 伏セ、努メテ送 信 / 継続ヲ試ミ、ツィ = 弾片ノタメ通信機送信不能 = オチイル = 及ンデ断念ス」 グラフ・シペーは二二ノットで現場を離れると艦首を南アメリカに向けた。西方二〇〇〇マ イルの彼方めざして大西洋を横切るのである。ラングスドルフの計画では一二月の六日にまたア ルトマルクから給油を受けて後、一路リオ・デ・ジャネイロからラ。フラタ一帯に向かうつもりで あった。そこで見つかり次第の英船を沈めてからは、 いったんラブラタ河口まで南下し、そこで 中立国船一隻に停船を命じる予定をたてていた。これはイギリス側に彼がさらに南下をつづけ、 ケープ・ホーンをまわって太平洋へ入り込もうと思いこませんがための工作で、実は全くその反 対に彼はさしもの長旅もここで切り上げ、反転してドイツ本国めざして長途の帰航につくつもり だったのである。 だが一二月四日に大本営海軍部から彼が受けと 0 た通信は、およそ愉快な内容とはほど遠いも のであった。それは推測される最近の敵兵力の所在を報じたもので、それによるとエージャック ス、アキリーズ、エクセター、およびカン・、 ーランドがリオからラブラタにかけて行動中であり、 アフリカ西岸には空母までをもふくむ強力な英仏連合兵力が所在している上に、さらにケー。フ水 域にも巡洋艦二隻がいるというのである。 グラフ・シペーは予定どおり一二月六日にアルトマルクと会合し、燃料補給を受けた。イギ リス船員たちは数名の高級幹部だけを残して全員アルトマルクに移乗せしめられ、ダウ船長には グラフ・シ = ペーがラ。フラタ水域での通商破壊作戦を終了して帰国の航海についた場合の、予定