制のシステム、日仏学院のように外国においてフランス語および文化の紹介のための 学校を運営していることなども高く評価されるべきだろう。 だが、情緒や人種差別に基づく理不尽な批判には日本人として事実を示し、断固反 論することが相互理解のためであると思っている。それゆえこのように具体的な例を ここで反証として挙げてみたのである。 アニメに対する批判は理性的なものもあるが、このようにろくにリサーチも行なわ 陸 ュぬ、情緒的なものも少なくない。それが学者やジャーナリストなど「専門家」による スものだからなおのこと始末が悪い アニメだけではなく、戦記も日本批判のひとっとして海外のメディアで話題に 」なった。戦記というのは第二次世界大戦などをテーマに、事実と異なる要素を人 れた一種のシミュレーション小説である。アニメと同様、オタク系の読者が多いジャ ンルの小説である。これら戦記が軍国主義的というのである。 メ これもまた、外国のジャーナリストが多数記事を書いているのだが ( 日本人も多か 本ったが ) 、彼らの多くは戦記の主要な作品も読んだことがなく、「進歩的」な日本 日 のジャーナリストや学者の言うことをよりどころにして見当違いの非難をしていた ぼくも戦記の書き手の端くれとして、また当時徳間書店の戦記専門誌「奇
た。結果として現代の日本人とその考え方や、文化、人生哲学がより広く、より深く 外国に伝わっている。そのお陰でかってのような無知や偏見に基づく日本叩きは激減 しているといっていいだろう また一神教的に白黒っけたりするのではなく、お互い様、どこかで手を打ちましょ う、和をもって尊しとする、といった日本的なトラブルの解決法や、メンタリテイも 伝わっている。これはぜひとも世界に広げるべきである。 かって日本人の多くは欧米や白人にコンプレックスを持っており、思想も文化も舶 来物を有りがたがってきた。だが現在はそのような考え方は減ってきている。これは オタク文化が尖兵となって、日本文化や日本文明が世界的に受け人れられている現実 がその背景にあると思う。また日本人はもっと日本人として自信を持つべきだ。 ではだからといって、日本人だけが優等で他者が劣等というわけでもない。事実を そ事実として認識し、過剰でもなく、過小でもなく評価し、客観的に認識し、自国に誇 タりと自信をもって生きることが、これからの日本人には必要ではないだろうか 265
パリやニューヨークで活躍しているファッション・デザイナーのなかには「わかり やすい日本の伝統美」をセールスポイントにしているデザイナーも多いが、それは伝 統の継承というより、日本文化に接点のない外国人が感じるエキゾチズムに近いので はないだろうか。むしろ「コムデギャルソン」のほうがスピリチュアルな面では日本 的であろう 大切なのは、表面的に顕在化する出ズラではなく、内面に存在する潜在的なエトス とか精神的なものではないか、とぼくは思う。 る ド ) 日本理解に貢献するオタク文化 通 紲オタク文化の海外への浸透は、海外における日本人の考え方や日常の理解にもずい 幻ぶん役立っている。先述のようにアニメを見たいがために、マンガを読みたいがため オに日本語を勉強する若いフランス人が増えているが、彼らは「タタミゼ」と異なり、 本今の文化に興味がある。また、「ゼニが儲かるから日本語を勉強する」ビジネスエリ ート志向の人間より、日本というものを幅広く理解しているだろう。まあ、先述のセ ハスチャンみたいなのもいるが
「キン肉マン」が放送差し止めに 日本人は好戦的 文化のギャップによるアニメ・バッシング 文化侵略に過剰に反応するフランス 火がついたマス・メディアによるアニメ批判 「安さ」ゆえに世界に広がる日本アニメ フランス・オタク界の殿堂「トンカム」 8 「トンカム」とドミニク 「日本のマンガは必ず売れる ! 」 まだまだ閉鎖的な日本の出版社 日本マンガのフランス語版刊行へ 右開きか左開きか永遠の大問題 フランスのアニメ・ビデオの市場の混乱 日本より閉鎖的なフランス・ビジネス界 81 74 69 62 56 52 126 1 1 7 1 1 3 105 98 94 88
繰り返すが、日本的な「謙譲の美徳」などといった一言葉は通用しない。黙っている 奴は馬鹿を見る。黙って殴られる奴は徹底的に袋叩きにされる、そういう社会なの 日本の出版社やプロダクションも、アニメやマンガに関する誤解を積極的に解く努 力をもっとすべきだろう。たとえば海外に向けてもっと情報を発信する、国内の世論 を盛り上げるなど活動を積極的に行ない、外国から言い掛かりをつけられたら、反証 カ材料を提示して徹底的に戦うべきなのだ。 ン 闘争を恐れる輩には国際的なビジネスには向かない。本来ならば日本の外務省も事 堂実関係を調査し、抗議すべきことだが、腰抜け外交官には無理だろう。 の湾岸戦争時、 130 億ドルも「戦費」として我々の税金を出したのに、クウェート うそぶ クからは何の貢献もしていないと嘯かれても愛想笑いをしているのが我が国の外交であ オる。我が国の資金は「後方支援」に使用された ( ことになっている ) 。「後方支援」は へいたん ス軍事活動にあたらないと政府は言うが、後方支援とは即ち兵站である。軍隊は「後方 。「後方支援」は軍事活動そのもの ラ支援」がなければいかなる軍事作戦も行なえない だ。日本のカネは湾岸戦争で大きな役割を果たしたのだ。この「後方支援」を軽視し たから前の戦争で負けたのだ。日本政府はクウェートからは今後一切石油は買わな
らずだ。当時如何にメディアですら、このテーマに関心が無かったかという証左であ る。 日本のメディアの悪癖で、何か話題になると熱病に浮かされたように過剰な取材や 取り上げ方をする。そしてすぐ冷める。だから底の浅い報道しかできない。しかも自 分たちの了見の狭い「常識」やこうあって欲しいという「願望」、あるいは偏見に基 づいた報道をしがちである。 更には話を面白くするために意図的に情報操作を行なって読者や視聴者を誘導する ような報道すらある。例えば宮崎勤事件当時オタクが皆、犯罪者予備軍であるかのよ うな意図的に加工された報道が相次ぎ、幕張メッセが「コミケ」に会場を貸すのを拒 否したこともあった。 だから海外のオタク事情の報道に関してもお粗末だ。「アニメ」は今や世界のどこ に行っても「アニメ」で通用するのに、侮蔑的ともとられる「ジャパニメーション」 などという一言葉を使っているのは日本のメディアぐらいだろう。無論現地のオタクも 国内の業界でも「ジャパニメーション」などという一一「ロ葉は使わない 外務省や経産省がオタク文化は「世界に冠たる日本のコンテンツ」であるとして、
126 員で評判もよかった。 個人的な意見だが、日本のソフトビジネスはむしろすでに日本との関係が強固で地 理的にも近いアジアのマーケットを基盤として、さらに影響力が行使しやすいヨーロ でビジネスの経験を積んでからアメリカ進出をするのが順当ではないだろうかと 田 5 , っ 日本より閉鎖的なフランス・ビジネス界 さて話を戻そう。年現在、トンカムが取り扱うマンガ・アニメの卸売販売網は、 約 200 店以上にのぼる。たった一つの小さな店が、ここまで卸を拡大できたのは、 単なる運ではなく、ドミニクの綿密な戦略にあった。 ぼくがトンカムを設立した当初の戦略は、フランスで日本のマンガに対する興味を 爆発させ、そして、いずれは日本のマンガの出版も手掛けることでした。それには、 出版を流通させるための卸売販売網を拡大することが必要だったんですよ」 そのためにはまず、フランスで根付いている日本に対する情報の欠如から来る偏 見、非難や恐れを打破しなければならない。また日本のマンガに対する啓蒙もしなけ
家の話を、まるでその国の多数派であるような報道もこれまた多数見受けられた。そ れらの多くは、表層的であり、あるいは扇情的であった。ある意味オリンピックで日 本選手が金メダルを取ったときの報道のような、過剰な思い入れが目立った。 また文化的な背景の違いなどの説明がなされずに、日本人の視点でのみ報道するた めに情報が正確に伝わっていないものも、これまた多かった。 当時、欧州はアニメやマンガは「文化侵略である」と当局や世論から弾圧を受けて いたが、そのような事情はあまり報道されなかった。 本書を書いた理由は等身大の事実を伝えたかったからだ。 ぼくは囲年に広告関係の会社を辞めて—年間ロンドンに語学遊学したときに、語学 学校に通いながら軍事関係の取材などを始めた。その当時から既にロンドンには少数 めながらオタクが発生しており、彼らとの交流を通じて、オタク文化は世界に伝播し、 受け入れられるだろうと考えていた。またオタク文化を通じて現代の我々日本人の、 版等身大の文化や考え方が理解されるだろう、それは日本にとって大きなアセットにな 文るだろうとも確信していた。現在では実感できないかも知れないが、当時そのような 主張をすると奇異な目でみられていた。
208 このようなことを書くと「右翼」とか「国粋主義者」とか呼ばれるかもしれない が、そう思われる方はもう一度冷静に歴史を見つめ直してほしい。 文化を冷静に分析 しようとするなら、理性的な歴史的認識を持たなければならない。 これがぼくの持論 である。また文化は政治や経済、軍事力を含む国力と結び付いている。それは好むと 好まざるとにかかわらず、この世に存在する厳然とした事実なのだ。もっとも軍備な ど持たなくとも「平和憲法」というお経を唱えさえしていれば平和になると信じてい るような輩に何を言っても無駄だろうが。ミッキーマウスが世界で人気があるのも、 和食が外国のインテリにもて囃されるのも、米国や日本が軍事や経済で強い大国であ るからだ。 よくも悪くも我々は過去の延長上の現代に生きている。その過程においてなんらか の形で他国からの影響を受けることは避けられない。我々はその過去の積み上げの上 に育った自分たちの文化に囲まれて生活している。それは受け人れざるをえない事実 である。いたずらに過去を振り返り、今の文化は本物ではない、昔はよかったと嘆く ことは建設的ではない。 はや
材く今の日本の顔 ( 文化・生活 ) を紹介する場にしたい」と述べている。是非がんばっ てほしいものだ。 アニメ批判に関してはフランスの放映側にも間題がある。自国の文化特性を考慮し た上で放映を考えればよいのに、近視眼的に視聴率を稼げればよいと、無作為に刺激 が強いものを放映してきた。それゆえアニメはセックスと暴力に満ちているというイ メージを形成してしまった。 アニメがフランスで大量に放映された最大の理由というのは言うまでもなく、 かった」からである。それが結果として当たったのだ。これがアメリカの作品並みに 権利料を要求していたらフランスでこれほどアニメは放映されてはいないだろう。 アニメの劣悪な製作現場が存在する反面、生み出された作品が現場に経済的な還元 がされずに、「安い」がゆえに作品が世界に伝播していくというのは、何とも皮肉な 話である。 だが、これほどまでにアニメがフランスで放映されたのは、無論安かっただけでは ない。感情移人ができる魅力的なキャラクター、比較的年齢が高い子供が見ても楽し めるストーリー ロポットなどかっこいいメカ、派手なアクションなど様々な要素が 子供たちに支持されたからである。また、キャラクターたちが比較的無国籍風である