を = ーな主張 力への意志は自然 界のいたる所で作 用している 神は権力への意志の発展における一点であ 0 り、この一点から、それ以前の発展、そこま での発展と同じく、それ以後の発展も説明さ のれるであろう。 『権力への意志』 ( 639 ) 私たちが見聞き し、経験し、不思 議に思うことは 力への意志をも って説明できる よおく 小し そのなかには 「神の存在」も 含まれる る伝統、結束し助け合う血族、ひいては民 族や国家といった共同体もまた、カへの意 志によって成立していると考えた。そして、 私たちが人生のなかで見聞きすること、経 験すること、不思議に思うことのすべてを、 「カへの意志」でとらえることができると 主張した。 さらにニーチェは、神の存在をも力へ の意志をもって説明づけようとした。彼に よれば、神とはさまざまな力が極限まで大 きくなった状態だという。しかし力への意 志は生成し終えることはない。極大にまで 膨れ上がったように見えても、それは一瞬 のことであり、限界はない。したがって固 定した神は存在しえないという結論に至っ ている。 力への意志で貫かれた世界にいることに 思いをはせるとき、私たちは世界が密接に 絡み合っていることを深く実感できる。そ して自分がそこに参加する一員であること も理解できるのだ。 力への意志はどこで働いているのか ? 737
◆神◆の概念と「カへの意志」 力への意志 極大化した状態 ◆神◆の概念 ただし、「カ」は他の「カ」との衝突に よって常に揺らいでいる 0 「カ」の性質を考えれば、「神」 ( = ある一つの「カ」が極大化した状態を 神が存在し続けるこ 維持すること ) は、持続しえない とはできない。ただし、 「神がいる」と説くこと は、宗教的指導者に内 神は存在しない 在する「カへの意志」の 表れである ( p. 135 図 ) 芸ロもかおもしろいとほめそやす。ところか 不思議なことに、あるとき急に彼の存在は 色あせてゝ しく。だんだんと姿を見かけなく なり、やがては「あの人はいま」の状態に なる。そのときは、すでに新しく台頭した 言かか時の人として活躍しているのだ。こ うして芸能界全体は、新陳代謝をくり返し ながら、変化し続けていく これは、多種類のホルモンの分泌が一日 で増減をくり返し、その組み合わせで体内 時計が正常に作用するのに似ている。どち らも、異なる力がロもするごとでい。。生イ てのヾランスが保たれているのみで 日ぶつかり合っている状態において、 自分より強い者には防御し、弱い者には攻 撃する状態こそが、正しい姿だというのだ。 固定した状態の 神は存在しえない ニーチェは、私たちが自らの決断におい て実行する結婚、古くから受け継がれてい 13 石
な = ーチ、・主張 ーチェの「生」は、あらゆる 事物の発展、生起、衰退など 広い範囲を意味する 生を動かすものこそ、カへ の意志である 力への意志は、ひた すらに増大すること を目指す。そこに主 体性や目的はない 世界は、自らを 増大させようと するカへの意志 が拮抗して成り 立っている のロⅲ t れ 意志の不自由か自由か ? 「意志」というも のはない。 これは、「物質ーと同じく、悟性が 単純化するために構想したものにすぎない 『権力への意志』 ( 671 ) 力は単独で存在せず 互いに拮抗し合っている 力への意志によって成り立っ世界では、 それぞれが自らを最大化しようとして力を 拮抗させている。複雑に絡み合いながらバ ランスをとる世界。この思想をもって、ニ ーチェは世界にある、あらゆる事象を解き 明かそ一つとした 力への意志は生成し終えることはない ゴールはなく、無限大に大きくなろうとす る。窓から見える風景、日々もたらされる ニュース、自分の肉体、なにもかもが生き ている。それこそが生の本質であり、そこ にはカへの意志があるというのがニーチェ の考えである。そしてカへの意志を体現で きる人間を「超人」と呼んだのだ。 古今東西、誰もが生きる意味や目的を考 えてきた。だがニーチェは生に意味を求め ない。なぜなら、生を動かす力への意志は、 目的やゴールを持つものではないからだ。 ニーチェが見た生の真実 733
1 力への意志 せめき合い、間的にある形・現象をとる ( 世界は「カへの意志」のせめぎ合いの連続 ) 教 宙 学 科 然 自 思想 ムロ 政 伝統 争 族 民 国家 道 婚 い口 「意志」に 主体や帰属性はない そもそも「意志」とい一つ言葉のイメージ に惑わされて、私たちは本質を理解しづら くなっている。 日常生活において、意志という言葉は「私 の意志で離婚を決めました」「強い意志を持 って、上司に僕の意見を言ってやる」とい うように使うのが普通だからだ。そのため、 「生を動かすのはカへの意志」と聞くと、 考える力を持った「誰か」や「何か」が 私たちを乗っ取り、操っているかのように 錯宀見してしま一つ。 しかし、カへの意志は、何らかの主体が 持つ意志ではないし、帰属性もない。目的 ) て、それぞれの力を常に大きくしよう るもの ある。 132
「カへの意志」はあらゆるものに宿る 力への意志 より貪欲に 00 より深く より徹底的に より満ちて より遅剽に より豊かに より高く より激しく より自由に より強く 」より多く より広く より「死」から遠ざかろうと する内在的な生の働き の始まりや終わり、歴史の発展、文化の移 り変わり、思想の発展などを含むものであ り、その範囲は非常に広い その「生」を動かしているのが「カへの 意志」である。ニーチェの著作では「権力 への意志」と訳されている場合もあるが、 野心家の上昇志向をイメージさせる「権力」 という一言葉は似つかわしくない が誤解を受ける要因にもなっている。 力への意志とは、カの拡張と増大に向か う意志を指す。無限に増大することをめざ す絶え間ない動きなのだ。もっと強く、も : と、さらなる っと多く、もっと豊かに 高みを目指し続け、立ち止まることはない。 「生」を「人間」とあてはめて考えてみよう。 私たちの内部にある、理性や感情が私たち を突き動かすのではない。人間を支配する のはカへの意志。そこには何かに向かって 突き進むべクトルのような強い能動性があ るのみ。動きに善悪の基準はなく、ただ高 みに登ろうとするだけなのだ。 ニーチェが見た生の真実
人は「遠近法」で ものを見て、感じて、 行動している 私たちがニーチェから何かを学ぶとき、もっとも基本としてル 押さえておきたい考え方が、「人は遠近法で考えている」と いうとらえ方だ。その要点をさっそく見ていこう。 これ ( 遠近法的思考 ) によれば、近いものが大 皿きく、また重要に見えるし、その反対に、遠く なるにつれてすべての事物の大きさと重さと のが減っていく。 『悦ばしき知識』 ( 162 ) 人間の認識のあり方とは ? 絵画の遠近法と 考え方の遠近法 遠近法とは、絵画やイラストなどの分野 では、距離感を表現する方法として、おな じみの一一一口葉だ。遠近法を用いた絵画では、 遠くの事物は小さく、近くの事物は大きく 描かれる。 遠近法的思考 perspectivism knowledge 価値観 value S
なんとなく この意味、 かえでちゃん わかるー ? ーいこと = = ロうじゃない その人 私、またイマイチ ヒンとこなくてさ、 そこのキミ , ずいぶん 暇そ一つに してますが あっ・ : ャパ 代理講師だっ : 0 レホートは 進んでるんですか ? 〇 0
・ : みんな そうたね それぞれの 見方でしか 物事を見られない ってこと ? 0 だから彼に言わせれば 「客観的に見て」 なんていうことも あり得ないんだ 誰の見方が より「正しい」とか 「優れている」って こともない 7 7 へえー 「客観」という 立場自体が 存在しないんたから 「事実」だと 私は思うけど : 自然科学も 人間が「解釈」した 時点で同じことだよ 「あの世」とか を「幽霊」を バカにする 人もいれば 信じる人も 、るたろう ? でも、 「地球が丸い」 とかは ? ・ それと同じ なんだ 7 2
しゃあ さっきの TQ にしても 同じことだよ 私の考えが 間違ってた ってこと ? ハイトと 哲学に対する 価値観の違いで 随分と 責められて いただろう ? そーですね : ・ 正解でも 間違いでもない この世界に 客観的な「事実 . などない ただ各人の 「解釈」があるだけ ニーチェは そう言い切った んだよ どんなメディアも 学問も、それぞれの 立場が設定した 視点から、モノを 見ているにすぎない な : ・なんか ランボーな気も : 0 また 「よい人」↑ 「無私な人」民 「悪い人」 「我欲の強い人」も それは変わらない だって、 テレビや新聞の ニュースとか 学問とか 客観的なものも あるんじゃ ? 2
なんでって : ・ なんで そ - っ田っ ? ・ キ、、、は この絵が どんな状況に 見える ? : 」いている 大人と 女の子の 絵ですね 0 - ルーと 0 う、ん・ 離婚して娘と 別れる父親とか ? ーい年した 大人が泣くク っていったら そんな状況 かな、と 男性の失恋の 痛手を女の子が 慰めている、とか 仕事をミスした 男性を女の子が 励ましている、とか いろいろあるだろう、い「 , そんなの 普通じゃ ないよーっ ええつ そ一つ田つか ? ・ 思いつくワケ ないじゃん , 0 ( まキミは、 「キミの価値観」で 判断して、この絵は 「離婚して娘と別れる父親」 だと判断した : だけど違う視点で見れば 「失恋の痛手を癒してもらっている」 「仕事の失敗を励まされている」 そういう男性と見ることもできる ありふれた言い方 をすれば結局、 「人は自分の価値観で 物事を見ている」 ということなんだ , 0 同じものを 見ていても 視点か違えば 見え方は 異なるだろう ? 0 5