0 ー注張 道徳哲学は誤り。「真の世 界」を仮定して善の価値 を証明しようとしている 超越的な価値など存在しない ことは、いまや確信である すべてに意味はない。 しかし人が生きるた めには新しい理想が 必要だ 永遠回帰の世界 ! ! / : を克服する超人 の甲本目ヘー し、以、 「神は死んだ , ・ : おれたちが神を殺したの 0 だ ! ・ : 世界がこれまでに所有していた最も 神聖なもの最も強力なもの、それがおれたち e の刃で血まみれになって死んだのだ」 『悦ばしき知識』 ( 125 ) 「神は死んだ」が意味するもの で強調しているのである。 世界にも人生にも なんの意味もないとしたら すべてに意味はない。逆に一一口えば、すべ ては許されている。そんな手がかりのない 世界で、どうすれば自分の生の価値を見つ けることができるのか。ニーチェは無意味 な世界のありようと、そこで意味なく生き る虚無感を「永遠回帰」「大いなる正午」と いう詩的イメージで表現している ( 3 章 ) 。 人は、現実の苦悩にも「意味がある」と 思えるから耐えられる。しかし、それに「何 の意味もない」と断一言されたら : ・・ : 。人は 「終わり」を欲する、とニーチェはいう。 だがその「終わり」にも意味はない。生に も死にも、なんの意味もないのだ。 これでは人は生きられない この虚無感を乗り越えて人はどう生きて いくべきなのか。人間には生きる力となる 新しい「理想」が必要だ。そのためにニー チェが出した答えが超人思想だ。
ーチェが指摘した「背後世界」 背後世界 ( キリスト教、哲学 ) 真理の世界 ( 、 0 「 5 なければならない」という制約 現象の世界 「人間は、より真理を目指 さなければならない」 0 絶対に到達 できない 必ず「現実」を否定する ことにつながってしまう 0 ことに問題がある点だ。 まず、キリスト教では、神がいる天国 が理想的な世界であり、そこに住むことを 許された人間こそが、理想的な人生を歩ん できた人である。しかし、理想的な世界や 人生など現実には存在しない。人間にはそ れらは、想像することしかできない。 したがって、「理想的な世界」「理想的な 生き方」を「この世」で実現することは不 可能である。それらは「あの世」 ( 彼岸 ) に おいてだけ、あり得るものなのだ。 どんなにキリスト教的に正しい人生を歩 んだ人でも、「あの世」の理想に比べれば、 はあり得ても の一すべてを肯定することは、きない , になるのど 真理 ( イデア ) と比べると すべてのものは不十分 ! イデアについても同じようなことがい える。イデア論に沿うと、現実では知覚で ひがん 7
プラトンのイデア論 自 井女 美美 西欧社会の遠近法的思考ー 2 実際 彫刻 現実世界の 事物に宿る 美のイデア 絵画 建 き刃識には 理性的な 思考が必要 感覚的に 認識できる いるのに、なぜ人は美しいものに対して「美 しい」という感想を持つのか それは、それらのものごとが「美しさ」 を成立させる本質的な何かを有しているか らだ。 このように考えたのが、古代ギリシアの 哲人プラトンだ。このような美しさを成立 させる超越的な根拠をプラトンは「イデア」 と呼んだ。つまり、理想の世界に「美のイ デア」というものがあり、それがある形を 通して実世界に現れた事物が、花や美男美 女と言われたり、芸術作品などになる、と いうわけだ。 ただし、完全な美のイデアは真理とし て存在するだけであって、実際に見たり触 ったりすることはできないあくまでも現 実世界に形を持った仮の姿 ( 仮象 ) として しか、人間は美に接することはできない したがって、プラトンの考え方では、イデ アの存在は、思考を通してしか認めること はできないとされる。 9
隣人愛 遠人愛 ルサンチマン 「人間は平等であるべきだ」 未来に出現する 遠い理想的存在 ( より強く、高貴 で美しい人間 ) 人間 平等主義、博愛思想、人権、民主主義・ 高貴な人間のモデル として憧れ、愛する 弱者が強者を相対化し、 優れた人間を凡庸にする イデオロギー 真の人類愛 ほどこ 同情から施しを与えることは、人に恩 義よりも復讐心を抱かせる。だからもし自 分が何か恩義を受けそうになったとき、ニ ーチェは「受け取ることに冷淡であれ」と 一一一口う。むしろ、受け取ることこそ、相手の 卑しさを許し、特別扱いしてやることなのだ。 だから、ニーチェの考える友情は、なれ 合いではない。悩み、苦しんでいる友に同 情することは、最大の侮辱となる。悩める 友に対し、人は憩いの場であるべきだ。だ が、その場は、「堅い寝床、野戦の寝床」 でなければならない。戦うのはあくまでも 友自身でなければならない。そうあること こそ、もっとも友を思一つことなのだ。 自己愛に満たされない人が 隣人愛を美徳にする キリスト教社会で特に美徳とされる隣 人愛もニーチェは警戒する。 隣人愛とは、自分自身を十分に愛せない 110
みチ = 注張 畜群本能は、キリス ト教の禁欲主義的 な理想を広めた 科学の発展は「神の 不在」を明らかにし、 ニヒリズムを生んだ しかし科学もまた 「信仰」という禁欲 主義と同じ根を持 っている 厳密にいって、〈無前提の〉科学などというも 0 ・ : われわれの科 のは何ひとつありはしない 学への信仰が地盤としているものは、あいか のわらす形而上学的信仰である。 『道徳の系譜』「第三論文」 ( 幻 ) 科学の発展で起こった三ヒリズム」 ニヒリズムはキ リスト教的な禁て、 欲主義の必然的 な結論である 思想とは正反対の存在なのだろうか ? ニヒリズムの 克服こそがテーマ そうではない、とニーチェは一一一口う。彼ら は彼らで「真理がある」とい一つ「一言印」に 突き動かされて研究を重ねているだけにす ぎない。つまり、科学の発展とキリスト教 の禁欲主義は、根の部分で通じている。科 学の発展が呼んだニヒリズムは、キリスト 教の必然的な行き着く先であった、という わけだ。 え こをび出す そニーチェ哲学の大きなテーマである。 皮には「ニヒリズムの人」というイメー ジがあるが、むしろ、社会に広がるニヒリ ズムはどうしたら克服できるのかを考えた 人といえる。ニーチェはそのために、ニヒ リズムを徹底的に考えた。次節で、その内 容について触れていこう。 5
道徳の根には「畜群本能」がある 自分よりも、他人や共同体のために行動するべき 「畜群」はドイツ語で He 「 de 。英語の he 「 d にあたり、牛や豚など家畜の 群れのこと。ニーチェが畜群という ときは、いわば「群れる弱者」のこと を意味している。突出した実力を 持つ人や成功者を妬むわりに、自 ら勝ち取るための行動を起こす勇 気はない。そんな人たちへの嫌悪 感を、彼は家畜にたとえたのだ。 共同体のほうが個人よりも 価値が高いという前提 畜群本能に由来する ・畜群からはみ出す人 ( 財産や能力のある人 ) を敵視する ・自然に背く人 ( 欲望を抑えて人に奉仕する ) を高級とする ・平均的な者 ( 畜群にとっての自分たち ) を高級とする 科学の発展で起こったコ一ヒリズム」 禁欲主義が理想とされる 畜群本能に支配された人たちは、個人が 突出することを嫌い、欲望のまま行動して 他人の利益を侵害することを嫌う。その結 果、畜群本能を共有する人々の間では ( す なわち、キリスト教徒の間では ) 、禁欲主 義が生き方の理想とされた。 だが禁欲主義は、人間の自然な感情・欲 望を真っ向から否定する。そこで必要とさ れたのが「信仰」だ。禁欲主義的な生き方 を「理想」と見なすには、「禁欲的な生活 は神への信仰の厚さの表れである」と考え る必要があったというわけだ。同時に、人々 に苦痛を愛することを教える禁欲主義は、 「神の試練」といった言い方で、不遇な現 実に意味を与える役にも立った。 科学が進歩するほど 広がった無神論 このような禁欲主義を理想とする考え方 は、科学が進歩すると、徐々に後退して いったかのように見える。天動説が否定さ 7
「本当の〇〇」を考えるから苦しくなる 「自分を探 したい」 真理の世界 本当の自分 ( イデア ? ) " 「本当の自 分を見つけ たい」 「自分の本当 の力はこんな ものじゃない はずだ」 ・まず「今の自分」を否定することから始まっている ・どれだけ成長しても本当の自分よりは劣っている 「こんなものは ただの虚構に すきない」 ()y ニーチェ ) ・いつまでも自分の人生を肯定できない ・満たされた生を送ることができない 世界のとらえ方を変えることが必要 ! きない真理の存在を設定した状態で、もの の美しさや正しさを評価することになる。 理想に比べれば、何事も完璧ではありえな まして「美のイデア」「善のイデア」な どは、内容を満足に記述することすら、不 可能となる。 「 1 ごロ月 か小に 1 」と、も あ - る」、としか ことができなくなってしまう ニーチェは、同時代人がいつのまにか設 定しているこのような別次元の世界 ( あの 世 ) を「背後世界」と呼んだ。背後世界 が前提する価値観を理想とし、人間はそこ を目指して生きるべきである、という考え 方に間題があることを指摘したのだ。 「本当の自分」も 遠近法的思考の一つ 背後世界の存在が間題なのは、それが必 ず「現実を否定する」という結論を導くこ とにある。絶対に到達できない世界に理想 イ 8
& 行主張 ヨーロッパでは、清貧、 純潔、博愛などが善い 行いとされている 首尾よく生きてゆくのに、どれほど多くの信 仰を必要としているか : ・これこそはその人間 の力量 ( あるいは、もっとはっきり言えば、 哂彼の弱さ ) の、尺度である。 『ばしき知識』 ( 347 ) 西欧社会の遠近法的思考ー龜 これらを「理想」 とする立場は、キ リスト教に由来 している 「理想的な生き方」 6 とは、キリスト教的 な遠近法的思考に すぎない キリスト教的な善悪が 浸透したヨーロッパ社会 キリスト教では「歴史はゴールに向かっ て進んでいる」という考え方がある。それ を象徴する一「ロ葉が「最後の審判」だ。っ まり・、 とは、神の計画、遂行さるは あり止のには 1 刀 ー、と考えられてきた。 善行を重ね、善人として生きた人は天国 に行ける。悪行を重ねた者は地獄に落ちる。 どちらともっかない人は煉獄で罪を償って から天国へ行く、という具合だ。 だか、ら、は るきをしなければオらないとさ 日その典型が清貧、純潔、博愛などだ。 一つの遠近法的思考にすぎないのに、キ リスト教的な生き方は、ヨーロッパ全体で 当たり前のように理想とされている。ニー チェはこの事実に強い反発を感じ、批判を くり返した ( 詳しくは 2 章 ) 。 れんごく 7 3
11 C) 『道徳の系譜」〈どうとくのけいふ〉↓ the GeneaIogy of MO 「 als 、、 Zu 「 Genealogie de 「 MO 「 al 1887 年発行。副題「論争の書」。『善悪の彼岸』 、背後世界〈はいごせかい〉・ backwo ュ d 、、エ inte 「 welt の補遺として発行された。道徳批判を中心テーマ として、「善悪」の価値観の起源、人の「やましさ」 0 「 / 、、 \ ー。 ~ キリスト教や哲学が前提する「真の世界」を指した ニーチェの言葉。背後世界の存在を前提すると、両 の由来、キリスト教の禁欲主義がもたらしたもの 者とも必ず「現実は理想よりも劣っている」という について語られている 認識から、「人間は理想を目指さなければならない」 という価値観が生まれる。ニーチェはこれを批判し、 奴隸一揆〈どれいい。き〉↓ 背後世界 ( 真の世界 ) は虚構である、とした。背面 the revolt of the slaves 、、、 Sklavenaufstand 世界とも訳される。 ニーチェ哲学で、弱者がルサンチマンから君主道徳 における善悪を逆転し、強者を悪、弱者 ( 自分たち ) を善と位置づけた価値観、道徳観を打ちたてること。 ニヒリ、スム〈にひりずむ〉↓ 9 、 4 、 6 、 6 、 反ユダヤ主義〈はんゆだやしゅぎー P120 1 つ」 11 ( 0 anti-Semitism 、、、 Antisemitismus 特に、キリスト教徒がローマ帝国に対して行った善 nihilism 、、、 Nihilismus ナチズムに代表されるユダヤ人を迫害する思想。 悪の価値観の逆転を指す。 「すべてのものは無価値である」とする考え方。既ニーチェはユダヤ教・キリスト教のルサンチマンを 批判したが、反ユダヤ主義には懐疑的であった。 存の価値体系や権威の意味や根拠をすべて否定し、 奴隸道徳〈どれいどうとくー品、 6 、とする立場。 絶対的に正しいものなど存在しない slave mo 「 ality 、、 SkIavenmo 「 al 強者への怨恨感情 ( ルサンチマン ) によって成立す 『悲劇の誕生』〈ひげきのたんじようー 8 the Bi 「 th of T 「 agedy 、、 die Gebu 「 t de 「 T 「 agÖdie る弱者の道徳。自分たちを打ち負かした強者を「悪」『人間的、あまりに人間的』 〈にんげんてき、あまりににんげんてき〉↓ - 1872 年発行。論壇に対するニーチェの実質的な と見なし、自分たち ( 敗者 ) を善としたうえで、「よ 工 uman, AII T00 工 uman 、、 MenschIiches, AIlzumenschliches 処女作。おけるアポロ的要素をディオニュソス的要 い行い」「悪い行い」についての基準が決められる。 1878 年、 1879 年に、Ⅱと相次いで出版さ素を対置させ、ギリシア悲劇の新しい読み方を提示 ニーチェは、キリスト教道徳がその典型であると主 した。 れたニーチェの著作。形而上学、宗教、芸術、道徳 張した。 などをテーマにした批判的な短い文章 ( アフォリズ 対〕君主道徳 ム ) の連続で展開する。Ⅱは、『さまざまな意見とプ一フトン〈ぶらとん〉・ 8 Plato 、 箴 = 一戸と『漂泊者とその影』の合本。 前 427 年頃 5 前 347 年頃。古代ギリシアの哲学 ・ 0 、 2 者。ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師。現 象界とイデア界、感性と理性、肉体と霊魂とを区別 knowledge 、 E 「 kennen し、相反するニつの原理であらゆるものを説明する 「これは何か ? 」を知る意識の働き。また、そうし ナチズム〈なちずむー P120 Nazism 、、 Nazismus て知られた内容のこと。認識のメカニズムを追求す立場 ( ニ元論 ) をとった。物事の本質にはイデアが あるとし、西洋哲学の大きな流れの源となった。 ることは哲学にとって重要なテーマ。ニーチェは 1920 年に誕生したナチス ( ナチ党 ) の政治思想 や支配体制のこと。ヒトラー総統の下、ファシズム個々の認識は遠近法的思考に基づく解釈に過ぎず、 認識の内容はカへの意志に基づく欲望に由来する、 ( 全体主義 ) にもとづく独裁政治を押し進め、アー とした。 リア人種の優越性をうたいユダヤ人を迫害した。 0 な行 は行 158
なニーな主張 すべての事物や価値 には「イデア」 ( 本質 がある 「本質」、「本質性」は、何か遠近法的なもので 皿あり、多数性をすでに前提している。つねに 根底にあるのは「これは私にとっては何か ? 」 0 の・ : である。 『権力への意志』 ( 556 ) 西欧社会の遠近法的思考ー 2 よりイデアに近い 事物や行動がより よいとされる しかしこれも一つ の遠近法的思考ー にすぎず、絶対で はない 自然科学の目標には 「イデア到達」がある このよ一つに 、てには真なる姿 ( 、刀 洋哲学の前提として、ヨーロッパの人々の 思考回路を形成した。そうしてヨーロッパ の人々は、あらゆる物事に潜む「イデア」 を見出そうとして、知的活動を重ねたのだ。 例えば、数学や自然科学。これらの発展 には、数のしくみや自然現象に隠れている イデアを見つけ出そうとする意味があった。 イデアがある、という考え方は、道徳 などの生き方に関する価値観にも影響を与 えている。「善」にもイデアが存在し、善 のイデアにより近い生き方が、より価値の 高い人生である、というわけだ。 「理想と現実」という一一口葉があるように、 私たちも物事には「理想的な姿がある」と つい考えてしまっている。これらの見方も 絶対ではないことをニーチェは指摘した。