戦争 - みる会図書館


検索対象: 嘘だらけの日中近現代史
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1. 嘘だらけの日中近現代史

えていました。米国海軍は英国海軍の百分の一ですから、数のうちに入りません。アメリ カ独立戦争は、ジョージ・ワシントンの戦いではなく、ルイ十六世の戦いなのです。 最高指揮官の仕事は、戦機を見極めることです。ルイは、見事でした。イギリスが苦戦 しているのを見て、満を持して介入します。 その間も、準備を怠りません。 表向きは民間の「ホルタレス商会」という会社を創設し、武器支援ルートを確立します。 アメリカ独立戦争は、フランスは新大陸に応援を送れたのに、イギリスは補給路を断たれ たのが敗因だ、と語られます。では、その原因とは何か ? ロイヤルネイピー ルイ十六世のフランス海軍が、かの英国艦隊に勝利したからです。通商戦の勝利です。 イギリスは、中立国だろうがなんだろうが、敵と見れば船を沈め、中立国であれば物資 を奪うのが常套手段です。この海賊そのものの行為はヨーロッパ諸国の反感を買い、武装 中立同盟が成立します。直接戦っている大国はフランスだけですが、露墺普もイギリスに 敵対的中立の立場を採り、ほかの小国も倣います。ルイ十 , ハ世の外交が功を奏し、イギリ スを完全孤立させるのに成功しました。 海戦は大西洋だけではなくインド方面でも一進一退が続き、イギリス海軍は新大陸に専

2. 嘘だらけの日中近現代史

表が中国 ( だから誰 ? ) 、そしてヨーロッパ代表がフランスです。 当時の超大国といえば米ソで、この両国が決めたことに異を唱えることができる国など ないのですが、大国は伝統的に五か国で、毎回一騎打ちするよりも間に誰かいたほうがク ッションになるみたいな感覚です。イギリスだけだと「米英対ソ」の二対一なのでもう一 か国入れたいのですが、偶数だと多数決ができないのでもう二か国、みたいな数合わせで いつのまにか毛沢東になった ) が加わったの フランスと中国 ( 最初は蒋介石だったのに、 ここでも、「ドゴールが大戦中も常にナチスと戦い続けてきた」「パリを自力解放ーした という実績が発一言力になるのです。戦争は外交の道具です。だから、戦場での勝利こそが、 外交交渉での発言力になるのです。 べ ドゴールが、 「ヨーロッパといえば、フランスだろ ! 」と主張したとき、誰も反論でき 学 ず、今に至るのです。そして、米英仏中とソ連の継承国のロシアが、現在でも世界の五大 国です。 ここでも、つ一度噛みしめましよう。 章 第 251

3. 嘘だらけの日中近現代史

また、東洋に関心があったようで、清国で行われていた科挙に倣い、試験官僚制を導入 します。フランスは官僚制による中央集権国家と言われますが、その基をつくりました。 ルイ十四世は内政では評価されているのですが、外政はメタメタです。その点で、リシ ュリューやマザランには、はるかに劣ります。 ルイ十四世は、戦争好きでした。しかも、下手の横好きでした。 一連の戦争は、「ルイ十四世の侵略戦争ーと呼ばれることもあります。「ヒトラーの侵略 : いろいろとほかにも「侵略ーとついてもよさ ンー「毛沢東」・ 戦争」とか「スターリ そうな人がいる気がしますが、名前に「侵略戦争ーがつくのは、ルイ十四世くらいしか知 誕りません。 の 「庶民がやるスポーツはサッカー、貴族がやるスポーツはハンティング、みんなでやるス 国 主ポーツは戦争 , という言葉を聞いたことがあるのですが、ルイ十四世の戦争は完全にゲー 争ム感覚です。ゲーム感覚とは、国王がカネを払った傭兵たちが、場所を決めて決闘のごと く戦うからです。ルールがあり、プレーヤーが決まっている。ついでにプレーヤーと観客 も分かれている。この時代の戦場は、お弁当を持った観客がいるほどです。殺し合いをし 章 第ている軍人たちも戦闘が終われば文字どおりの。ノーサイド。で、昼間は殺し合いをして

4. 嘘だらけの日中近現代史

戦国のままなんだ ! 反感を買う人も多いと思いますし、ドン引きする読者も多いと思います。 「え ? 倉山満ってそんな人だったの ? ーと思う方もいるかもしれません。 それでも私は、これをやらなかったから、敗戦後の日本は駄目な国なのだと思います。 もちろん、これが女性にとって、どれほど傷つくかなど百も承知です。丸刈りにされて 市中引き回しの刑にされた女性をルポした、藤森晶子『丸刈りにされた女たち「ドイツ 兵の恋人、の戦後を辿る旅』 ( 岩波書店、二〇一 , ハ年 ) 一二八頁によると、このことをメ ディアで証言しているのは一人だけだそうです。 もちろん、占領期、アメリカ兵に体を売らねば生きていけなかった女性の事情はわかり 学ます。 別に、講和条約がとっくに結ばれて何十年もたった今からやれと言っているのではあり ゴ ません。サンフランシスコ講和条約が結ばれて、大戦が終結した際にやるべきだったと一言 っているのです。 章 多くの男たちが、戦争で命を懸けて戦い、散らしました。なんのためか。自分の命を捨 第 249

5. 嘘だらけの日中近現代史

ために、私の仲間たちとともに戦います ! 」との内容が感動を呼び、赦免されました。 最初は中部フランスのシャテルロー兵器工場の副長でしたが、ちょうど普仏戦争が勃発 したので現役復帰して、本職の砲兵として戦います。セダンの戦いでは、ナポレオン三世 が捕虜になり、フランスの敗戦が確定します。プリュネも捕虜になりました。若いころの プリュネは、三回連続負け戦に参戦しています。 リコミューンという暴動を鎮圧する側で戦いました。そのあとは陸軍で順 解放後は、パ 調に出世を重ねています。陸軍大臣副官、駐墺大使館附武官補佐官、一時本国に戻ったあ とで駐伊大使館附武官、さらに本国で師団長、大臣官房長を務めています。 日本からの留学生の世話もしてくれたようで、日清戦争に際しては、勲章をもらってい ます。榎本武揚の推挙があったとか。 やたらと日本に縁がある人でした。 さて、頭を抱えるようなダメ人間のナポレオン三世は去りました。では、そのあとはど 、つなったでしよ、つか 176

6. 嘘だらけの日中近現代史

にな、り・ました。 ルーズベルト政権は、ソ連のスパイにホワイトハウスかいいようにやられていたとの証 拠も、多々出始めています。今後の研究が待たれるところです。 こうした経緯で大戦に至りましたから、アメリカやそのお仲間に「日本は悪い国だ」と 言われると、「関係ないのに喧嘩を売ってきたのはそっちだろ ? ーと言い返してあげなけ ればいけません。しかし、愚かな戦争ではあったと思います。我が国は、「ソ連の片手間 の、中国の片手間の、イギリスの片手間に、アメリカと戦争を始めてしまった」のですか ら。 そして今の惨状です。 とポャくだけなら、わざわざフランスの話など取り上げません。なぜ、私はフランスを 学取り上げたのか。 第二次大戦前、日本もフランスも大国でした。ほかの大国、米ソ英独中が大戦中は、民 ゴ 主国の英米を含めて独裁的な指導者が出てきたというのに、両国だけは政変を繰り返し、 まともな戦争指導ができませんでした。ついでに言うと、婦人参政権を大戦終了後まで認 章 ルめなかったのも共通です。女性の戦時動員が重要なのだから参政権を付与しなければいけ 245

7. 嘘だらけの日中近現代史

うが、よほど人の役に立ったのはまちがいありません。某地政学者は年賀状に「猫は人類 の味方ですーと一言だけしたためるそうですが、テーゼとしか言いようがありません。ち なみに地政学におけるテーゼとは、「証明する必要がない前提となる事実ーの意味です。 文化史的に厳密に言っておくと、猫がネズミを退治してもベスト菌が移るだけなので蔓 延は防げないのですが、不潔極まりないネズミが我がもの顔で動き回ってまき散らすより マシではあります。気分的に。 いよいよ本題。百年戦争といえば、彼女です。 ジャンヌ・ダルクです。 さて、そろそろ始めましようか 通説 敗色濃厚のフランスに、救世主が現れた。百年戦争末期、神の声を聞いた少女ジャン ヌ・ダルクは王太子シャルルの陣に参上する。ジャンヌは家臣に紛れていたシャルルを見 つけたことから皆に信じられ、先陣を切って戦場に飛び出し、イングランド軍を次々と撃 破する。しかし、戦いのなかで捕虜になり、イングランドで魔女裁判にかけられて火あ

8. 嘘だらけの日中近現代史

勃発時は、駐仏大使、そして内閣改造で外務大臣に迎えられます。 / 学生でも知っています。日本外交の 日清戦争の陸奥宗光、日露戦争の小村寿太郎は、ト 金字塔です。しかし、世に外交史家は多けれど、なぜ石井菊次郎を語らないのか。誰も一言 わないなら何度でも言いますが、陸奥や小村に優るとも劣らない名外交官です。石井の知 名度が陸奥や小村並みに上がるまで、私は何度でも取り上げます。 以下、前著『嘘だらけの日英近現代史』のコピべです。 そして、石井外相の最大の功績は、ロンドン宣言への加入です。ロンドン宣言は、一九 一五年四月一一十六日に英仏露の三国が単独不講和を宣言し、これに密約でイタリアが独墺 本 日 を裏切って加わっていました。石井は早くから日本も加わるよう、主張していました。 見 十月十九日、日本は石井外相の主導でロンドン宣言に加入します。それまで日本は、 ら ス 「アジアや太平洋で戦っているだけで、助けにならない」などと勝手なことを言われてい ン ましたが、 石井は戦勝後を見据え、日本の国際的地位を上げることを考えていました。 フ 「最後まで一緒に戦った」という実績は、あとでモノを言います。現にヴェルサイユ講和 章 第会議で日本は五大国の一つとして招かれましたが、これは戦闘での陸海軍の勝利はもちろ

9. 嘘だらけの日中近現代史

したが、 必死の奮闘で追い返します。 こうした戦いぶりに、カトリック陣営には厭戦気分が漂い始めました。勝利は間近です。 ただ、一六四二年十二月四日、リシュリューの寿命は尽きました。フランス絶対王権に捧 げた五十七年の生涯でした。 第四節「マサラン枢機卿」ーー最後の宗教戦争とウエストファリア条約 丿シュリューが三十年戦争に介入したころは、ちょうど日本が「鎖国 - と呼ばれる貿易 統制令を発し始めているころの話です。 ハ三六年、フランス・ドミニコ会の宣教師ギョーム・クルテが日本に上陸します。ク ルテは江戸幕府が発した切支丹禁教令に反し、秘密裏に布教活動を行っていました。拘束 され、拷問を受けて翌年に長崎で死亡しました。迷惑な話です。 さて、晩年のリシュリューは、ちゃんと後継者を育てていました。教皇庁の外交官とし てフランスに来ていたイタリア人のジュール・マザランをスカウトしたのです。外国人参 政権どころか外国人宰相ですが、この時代の人は気にしません。リシュリューとすれば、 「有能で、国王に対する忠誠心さえあれば、外国人でも構わないーです。内外に戦乱を抱

10. 嘘だらけの日中近現代史

いた指揮官どうしが、夜はパーティでお互いをたたえ合う、という戦争です。ふざけてい るのかと思うかもしれませんが、宗教戦争よりはるかにマシです。 ルイ十四世が最初に介入したのは、南ネーデルラント継承戦争 ( 一」ハ六七年 5 一六六八 年 ) です。オランダ、スウェーデン、イングランドを敵に戦いました。 次いで、一六七二年から七八年のオランダ侵略戦争では、スウェーデンとイングランド を味方につけ、オランダ、デンマーク、プロシアと戦いました。このとき、オランダは国 土を水に沈めて抵抗します。名将デ・ロイテル提督も、大活躍しました。 一六八三年から、大トルコ戦争が起こります。オスマン・トルコによるウィーン包囲作 戦が行われ、「神聖ローマ帝国を助けよ ! 」とヨーロッパ中の国が参戦しました。これに ルイ十四世はどうしたかというと、どさくさに紛れてスペインに攻め込みました。トルコ は友好国だが、 スペイン・ハプスプルク家は宿敵だという理屈からです。確かにそのとお りですが、状況を見誤りました。この戦争では、、 ノンガリーが神聖ローマ帝国に割譲され ました。歴史上はじめて、ヨーロッパがオスマン帝国に大勝したのです。フランスは見事 なまでに勝ち馬に乗り遅れ、みんなの嫌われ者です。 一六八八年、ファルツ継承戦争 ( 九年戦争 ) では、オーストリア、スペインの両ハプス