ユダヤ人は、実に三千年近く差別され続けてきた。そして、彼らは苦闘の果てに、イ スラエルを建設した。そこで、差別はなくなったのか。たしかに、ユダヤ人に対する差 別はなくなりはしたが、今度は、ユダヤ人のパレスチナ人に対する信じがたいほどの差 別が発生して現在に至っている。イスラエルは、明らかに封建主義とは無縁である。人 民の人民による人民のための国家である。差別への訣別を目指して建設されたのである。 イスラエルの問題が、許容されるべき民族主義的″行き過ぎ〃だと言うのなら、黒人 については耳 : つか。 アメリカでは、アフリカから大量の黒人を拉致してきて奴隷としていた。黒人奴隷制 が民主主義に反するということは、 リンカーンによる奴隷解放宣言以前にも、当然論議 されていた。そこで、一部の民主主義者・人道主義者たちは、自主的に黒人奴隷を解放 一八二二年、民主主義的アメリカ人と解放された黒人奴隷たちは、アフリカの穀物海 岸の一帯を買い取り、ここに解放黒人のための新国家を建設することになった。この新 国家は、人民が黒人であることを除けば、風俗や諸制度はアメリカそのものであるよう につくられた。いわば、自由と平等の国アメリカが、黒人・白人問題がないだけ、タテ
せざるをえないのである。ところが、もっと不愉快なのが、「押しつけ憲法論」なので ある。 ーの黒船軍 現行憲法がアメリカの押しつけだというのなら、開国はどうなのか。ペリ 団は、現代で言えば、核装備の空母・戦艦の大艦隊である。これで軍事的圧力をかけ、 開国をせまり、それに続いて明治維新までもたらしたのだ。 、もっと巨大な 開国・倒幕・明治維新は、たかが現行憲法の押しつけどころではない 押しつけである。何故、これに反対しないのか。アメリカの押しつけによる開国・倒で 限 無 幕・維新反対。明治以後の政体打倒 ! 江戸幕府再興 ! と、何故言わないのか。 性 と、ロ 尸いつめることができる。 能 可 ハンチである。それができないのは、鎖国 の そして、これは、きわて有効なカウンター は悪いこと、封建主義は悪い思想だという、民主主義的・西欧近代的な発想に縛られて主 いるからであることは、言うまでもない。 章 封建主義のほうが、民主主義よりも、はるかに広く、潤沢な思想なのである。 第 ー 9 引・
にも発達した。これは・ウェ ・ハーがカルヴァニズムを分析して述べていることでも ある。 ところが、こういう勤勉によって発達した民主主義の現代は、クエーカー教徒にとっ てはおぞましい享楽ミダラの世界になってしまっている。古型を残すクエーカー教徒と 現代アメリカのギャップこそ、西洋近代の民主主義の自己崩壊といえるのである。 もっと具体的なところにも、それは現われている。 初期のアメリカの主要産業は、牧畜であった。プロテスタントたちは、勤勉に働いた。 おうし しかし、″神の摂理〃として、牛は二頭に一頭は雄牛であり、乳牛の用をなさない。そ こで、勤勉なる彼らは、日夜、無用の雄牛の有効利用を考えた。ある時、一人の男が、 ふとしたことから雄の仔牛たちの奇妙な行動に気がついた。それは、現代の動物学から 見れば「インプリンティング ( 刷り込み ) 」といわれるもので、動物は生まれた時は白 紙であり、環境という文法が刷り込まれて行動様式が決まる、という現象であった。 仔牛たちは十頭生まれたのだが、たまたま全部雄であり、仔牛たちは雄ばかりで十頭 まとめて育てられた。 そのうち、仔牛たちは成長し、発情期をむかえた。すると、雌牛を知らない環境で育 った雄牛たちは、仲間同士で、疑似交尾行動をとりだしたのである。しかも、交尾の受 めうし ・リ 4
け手のほうの雄牛の乳腺が発達しだしたのだ。 このことを発見した男 ( 名前は伝わっていない ) は狂喜した。彼は、仲間たちと研究 わす し合い努力し合って、はじめは僅かの搾乳量だったが、しだいに量を増加させていった。 それは、まさしく勤勉のたまものであった。こうして、無用だった雄牛の半分を乳牛に する現在の方法が確立されたのだが、これこそ、プロテスタンティズムの自己展開と自 己崩壊なのである。 あ で キリスト教では、男色はいまわしいものとして禁止されているし、牛が雌雄半々にな 大 限 るのは、神の摂理なのだ。一方で勤勉という倫理がある。この勤勉を貫くことの中で、 無 産乳量がふえ、同時に、摂理に反せざるをえなくなった。すなわち、厳格主義の自己展 可 開が自己崩壊をもたらしたのである。 の こうした搾乳法によるミルクは、アメリカでは無表示で普通のミルクに混ぜて売られ主 ているが、日本では、ほれ、ホモ牛乳というのがあるだろう、あれである。 ( 9 ュ封 澱。守るー ) 。一朝コイコ諮宗 ) 第 リナ・
シーの中により強く見ることができる。 フランス革命を冷静に分析した政治思想家トックヴィルが、フランスにおける民主主 義実現の可能性をアメリカ民主主義の中に見いだしたという例に、そのことはよく現わ れているが、このあたりも、くわしいいきさつは専門の学者にまかせておいて、民主主 義の政治はリンカーンの先の言葉に集約されるのだという、学者たちの結論だけ掲けて おくことにしよう。 あ 拠 根 国家はな借家″で十分である おさらい さて、世界史の勉強はこれぐらいにして、民主主義の公理を、以上述べたことから整 対 絶 理してみると、次のようになる。 義 主 自由と平等を目標とする、人民の人民による人民のための政治。 と、まあ、これは、以上述べたことから誰がどう整理したってこれ以外には整理でき民 章 ないのではあるが、こうなのだからしかたがない。私がとりたてて粗雑な記述をしたか 第 とんな政治学者の本を見ても、 ら、こんな整理しか生まれなかったというわけではない。・ こうなのである。つまり、民主主義の一番根本的な原理は、実に、たったこれだけなの である。
この話は、日本の学者は誰も気づいていないが、文化人類学でいう「ポトラッチ」な のた。ポトラッチというのは、アメリカインディアンの風習として観察された、効率に 換算されない贈り物、無意味とも思える浪費くらべ、というものである。ポトラッチを 観察した学者は、一方では、近代西欧的な経済思想で計測できぬ蛮行と笑いつつ、もう 一方では、その浪費が一種の無償の行為のうるわしさをも表わしているとほほ笑んだ。 日本のこの話も、初め、ほほえましい話としてあり、やがて江戸時代、商品経済が発 達し、経済効率に換算できない愚行として、愚か者話になったのであろう。そして、現 に、商品経済の中に取り込まれた前商品経済的行為は、たいてい愚劣な因襲となったの である。 ポトラッチも、商品経済に接触すると、形式だけが肥大化して自滅していった。この かわらけ売りのような思考の在り方も、見ることはできなくなった。 分をわきまえる ところで、今、我々は、近代的な生産観・労働観にどれだけ満足しているのだろうか。 学校教師は「聖職」であるか否か、という愚劣な設問。公務員は「役人天国」じゃな いかという感情的な指弾。こういった論議が毎日のようにくりかえされている。どうし
にかぎられているのか。それは、儒教がほかの二教にくらべて体系が整いすぎていたた めである。体系が整っていたために政治に密着しやすく、同時に、東洋の政治的・軍事 的敗北と運命をともにすることになったのだ。 また、体系的でありすぎるために、仏・道のようには、異文化地域である欧米にコマ ギレの輸入がされにくいのだ。忘却や無関心は、むしろ儒教の長所のゆえであり、受け そしやく 入れなければならない側の咀嚼力の不足のせいなのである。 封建主義の核は儒教である けれども、儒教の長所である体系性・政治性を認識し、もう一度、新たな思想の核と なる可能性に期待した人がまったくいなかったかといえば、決してそうではない。 皮肉なことに、フランス革命を準備した政治思想家であり百科全書派の代表者である ヴォルテールが、儒教を非常に高く評価しているのである。もちろん、本場の中国では、 たんしどう 今世紀初頭の激動期に、儒教の再生による変革を目指した譚嗣同のような人がいつばい いる。中でも、大物は孫文である。 中国の″近代化〃を目指し、アメリカのプラグマティズムを学び、中華民国政権樹立 いまじようじゅ の指導者であり、「革命未だ成就せず」という悲痛な叫びを残し、中華人民共和国にお
れる、と解釈している。むろん、これは学問への込み上げてくるような情熱 ( 「発憤、 の語原 ) で食事も忘れる、とするのが正しい 小説としても通俗的な人生論小説の域を全く出ず、『論語』に題材を採った先人の作 品、例えば中島敦『弟子』や谷崎潤一郎『麒麟』といった傑作の足元にも及んでいない。 このような通俗作であるにもかかわらず、現在の日本の繁栄を実際に担う人たちに歓 迎されたのである。その理由については先程述べた。同時に、渋沢栄一の″先見の明〃 についても知っておかなければなるまい 渋沢栄一は近代日本資本主義の祖とも呼べる実業家である。第一銀行を初めとする五 百もの企業の創設に関わった。勃興期資本主義の担い手らしく、柔軟で強靱な精神を持 ち、単なる金儲けに走るようなことはなかった。特に民度を高めるための民間教育を重 視し、『論語』をその教科書とした。自らも『論語』解説書を著したり、講義講演を行 なったりしている。渋沢にとって、儒教は明治維新以後の「道徳なき時代の道徳」なの であり、つまりは、資本主義を支える倫理であった。いわばアメリカの資本主義におけ るプロテスタンティズムのようなものである。倫理と資本主義を結び付けた渋沢の直感 は鋭い。・ウェー ーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、一九 〇五年 ( 明治三十八年 ) に原著が出ているが、渋沢はそれ以前に『論語』に着目していた。 きりん はつぶん 2 0
性の問題が民主主義者の大きな自己矛盾点になっているのは、それが民主主義原理成 立のあとに外在的に発生してきたものではなく、自らの原理の自己展開から生み出され たものだからである。私が、かねてから、敵ながらアッパレと思っている近代主義政治 学者丸山真男は「日本政治思想史研究』で、江戸から明治へという過程を、封建主義の 自己展開・自己崩壊として描いた ( 封建主義者である私には、当然、異論はある ) 。だ が、まったく同じように、民主主義についても自己展開・自己崩壊論は成り立つのだ。 る 民主主義の成立に大きく寄与したのは、プロテスタントのキリスト教徒である。そので アルケタイプ 古型をよく残しているのがクエーカー教徒だ。 無 こきざ 彼らは、正式にはフレンド教会というのだが、熱心な祈りで身体が小刻みに震える出 可 ( クエーク ) からクエーカーと呼ばれるようになったぐらい信心が固い。彼らは、一人 の 一人が神と直接に対していると信じ、そういう信仰心ゆえに英国では受け入れられず、主 新世界アメリカの民主主義の気風の中で大きく成長した。 このクエーカー教徒が、おそろしく反享楽主義なのだ。現在でも、身なりや生活が質三 素なのはもちろん、大学の寮に入って仲間にさそわれるまで映画を見たことがなかった という青年がいるほどである。華美な服装、映画や演劇、こういったものはミダラだと いうのだ。そういった彼らが勤勉に働き、産業を興し、資本主義・民主主義はいやが上
からの引用を中心にして比較している。 の街角に人がうじゃうじや出歩いている写真が 「一九八四年』・オーウエル ( 早川書房・世ある。写真などなくとも、「大衆ーぐらい理解 界全集川 ) 逆ュ ート。ヒアを描いた傑作小 できるだろうに、わざわざ大衆の写真を図版と 説として有名。 して載せた意味がわからなくて楽しい 「罪と罰」「悪霊」・ドストエフスキー ( 各 種全集・文庫 ) 著名な文学作品であるから解 0 フロムに関しては、 トストエフスキーをこうした思 説は要しない。・ 「自由からの逃走」・フロム ( 東京創元社 ) 想文脈上から読むのに、「ギリシャ正教」高橋戦後ほどなく翻訳され、現在にまで至るロング セラー 保行 ( 講談社・学術文庫 ) 、「科学の果ての宗 フロムと同旨の主張を述べている学者 教』内村剛介 ( 講談社・学術文庫 ) は有用。 もあるが、一応フロムの評価が定まっている。 ナチスの勝利は、民衆に対する奸策と強圧の結 果ではないという見解が随所に述べられている。 第一章 〇マンハイムとオルテガに関しては、 〇ファシズム論に関しては、 もうら 「世界の名著」 ( 中央公論社 ) は・マンハ 「ファシズム」山口定 ( 有斐閣 ) 網羅的で、 イム「イデオロギーとユ ト。ヒア』、・オル ファシズムの全体像を把握するのによい テガ「大衆の反逆』を一冊にまとめていて、都 合がいい。余談ながら、この「大衆の反逆」の 〇大衆社会論は、アメリカ系の学者の著作が多 三九一ページには、図版として、外国のどこか かんさく ・・・文献案内 229 ・・