日本の西隣に、歴史の古い大きな国がある。この国のことを、本書のここまで、私は、 「中国」と書いてきた。しかし、私は、いつもは「支那」と言っているのである。文章 でも「支那ーと書いているのたが、これは、たいてい編集者が気をきかせたつもりで 「中国」と変えてしまうので、最近では妥協して、初めから「中国」と書くこともある。 だが、私の原則は、あくまでも「支那」である。 現在、「支那ーという語は、ほとんど使われない。それは、差別用語だということに されているからである。だが、 はたして、本当にそうなのだろうか。実は、敗戦直後の 「何でも総清算」という風潮の中で、本質的論議がないまま、「支那」という言葉は、侵 略的・民族差別的だとされて抹殺をはかられたのではないだろうか。 めいせき 非常に残念なことに、竹内好のような明晰な頭脳と節操のある思想家ですら、「支那」 はいけない、「中国」と言え、とあまり論理的でないまま主張していたのである。まし てや、竹内にはるかにおよばぬポンクラどもが、何もわからぬまま「支那」は差別用語 だ、と信じている現状からは、侵略や民族問題、戦争・平和・外交といった問題につい て、何一つ筋道立った回答が出てくるはずはない。 そこで、「支那ーという言葉について考えてみたいのだ。 もちろん、明らかな民族差別用語もある。たとえば、「チャンコロ」という言葉だ。 ー 72
でも政党のことなのである。 さて、問題の「支那」である。 この言葉は、太平洋戦争までは、差別する場合も差別しない場合も使われていた。た だ、大多数の日本人が軍事的侵略という状況の中で差別の側にあったという、数の問題 にすぎないのである。もうすこし時代をさかの・ほれば、日清戦争以前は、支那は日本に とって軍事的にも文化的にも大国であり、日本は支那に対して下位に立っていたのであ る。 つまり、「支那」という言葉には、差別の意味も侵略の意味もまったくないのだ。 歴史的にも、それは、はっきりしている。「支那」は、最初の統一王朝「秦」 ()o 三 世紀 ) に由来している。岡倉天心の説では「新」 (< 一世紀 ) に由来しているという ことだが、いずれにしても二千年の歴史のある言葉だ。以後、政権・王朝が代わっても、 その基底にある自然・民族・文化を意味する名称として「支那ーは使われてきたのだ。 だから、西洋でも、古くは、プトレマイオスの地理書に Sina として出てくるし、 現在でも、語源の同じ China, Chine などが通用している。そして、それがサべッ問題 になったことなど、ただの一度もなかったのだ。 ロシャ語に至っては、支那を「キタイ [ という。これは「契丹ーのことである。世界 きったん 4
那」廃止論の声が起きたことを言わんとしているのか。もちろん、私は、日本政府が 「支那」廃止論に応じつつ支那侵略に乗り出した歴史を知っているので、それをもって 彼に反論しようとしたのだが、ワカイシ = の言うことは、全然ちがったことであった。 彼は、「シナ」というのは歴史的名称だとしても「支那」という字が侵略的・差別的 だと言うのだ。 私は、予想もしていなかったことなので、ちょっと虚を突かれてたじろいだ。 彼は、それを見て、「革命の原点は怒りだ」というほうの性格をあらわに見せながら、 「支」は、「支配する」の「支」、「那」は「くに」だから、日本帝国主義のアジア支配の 野望を表わす名称だ、と私につめよる。 私は、ほとんど感動に近いものを覚えた。方広寺の鐘の銘に「国家安康、君臣豊楽ー とあったのを「家康を切れば国が安らぎ、天下がひっくり返れば豊臣の君が楽しむ」と いう意味だと無理読みして、徳川が豊臣を減・ほした時、きっと人々は、怒りゃあきれよ りも、かえって感動を覚えたのではなかったろうか。「支」は「支配」の「支」かもし れないが、「支持ー「支援」の「支、でもあるのだ。その上、「那」を「くに」と読むュ ニークさ。それなら「邦」は何と読んだらいいのか。 私は、ワカイシ = に、もはや何の言うべき言葉もなく、彼のもう一つの性格である
「明るくにこにこ」を真似して、ひたすら、にこにこするのみであった。 それから何日かして、このワカイシとは別人の過激派のワカイシ = と会った時、私 は、この話をした。 すると、別人のワカイシュは、「えつ、じゃ、『支那』には「くにを支配する』という 侵略的意味はなかったんですか」と、驚いたように言った。私は、ここで、もっとも っと、明るくにこにこした。 る あ で この頃から、私は、性格が明るくなったと言われるようになった。 大 限 無 南シナ海は南中華人民共和国海か 性 能 可 の 「支那」という言葉を追放せよと叫んでいるのは、″革新〃のみではない。「支那」追放 を国会で主張し、国家権力の正義の名においてその実現をはかろうとしているのが、誰主 あろう野末陳平である。 章 野末陳平。無所属だったり、二院クラ・フだったり、最近では新自由クラプだったり、 第 見識がないのみならず節操もないこの男が、「支那」追放の音頭取りをしているのだ。 一九七八年九月の参議院決算委で、野末議員は「『支那』という言葉に由来する『東 シナ海』『南シナ海』は好ましくないーとして、学校の教科書・地図帳の訂正をせまっ
中で、支那を「契丹」と呼ぶのは、ソ連圏のほかは稀であるし、その上、中ソ紛争は険 悪化の一途をたどっている。それにもかかわらず、「キタイ」がサべツ用語だとされた り、糾弾運動が起こったことなど、これも、ただの一度もなかったのだ。 一方、「中国」「中華」という呼称も古くからあるにはあった。これは、どの民族でも 自分たちが世界の中心だと考えがちなことの反映であり、このほうがよほどサべツなの だが、この程度のサべツには、封建主義者は寛容を重んじるので目くじらは立てないの る あ で である。お国自慢にいちいち腹を立てていたらきりがない。 大 だから、「中国ーと言っても「支那ーと言ってもどちらでもいいのである。ただ、日限 性 本語の文章・日本語の会話の中で、どちらがより適切かということになると、「支那」 能 可 のほうが「中国」より適切なのだ。なぜならば、日本語では、本州の西部地方を「中 の 義 主 国ーと呼ぶからである。 建 「中国新聞」「中国放送ー「中国銀行」「中国電力」、これらは、日本のものであろうか、 それとも支那のものであろうか。明らかに、日本のものである。それにもかかわらず、三 昨今では、注釈をつけなければ、時に誤解が生ずるようになっているのだ。また、「今 かんばっ 年は異常気象で、中国・東北地方は旱魃が予想される [ という文で、旱魃になるのは、 支那の旧満洲なのか、日本の中国と東北なのか、区別がっかないのである。
それにもかかわらず、何の主体的な見識もなく、相手に迎合することが、戦争の責任 をとることであり、友好を深めることだと思われているのだ。日支の交流が盛んになり つつある今、支那を「支那」と言うことの適切さが、よりはっきりしてきている。とこ ろが、事態は、まったく逆の方向に進みつつある。 ある過激派のワカイシュの話 すこし前のことであるが、私の友人である過激派のワカイシュと、この問題について 話をしたことがあった。 このワカイシュは、明るくにこにこしているか、「革命の原点は怒りだ」と頬を紅潮 させて語っているか、二つに一つの性格表現しかないすばらしい若者で、私は、かねが ね、彼は革命家より「若い根っ子の会」のほうが向いているんじゃないかと思っている。 ついでに言うと、この「革命の原点は怒りだ」というのが、彼の革命理論の一切であり ます。 ワカイシュは、学生時代に知り合った在日支那人女性宋慶英さん ( 仮名です ) に好か れようと思って ( 宋さんは美女 ) 、支那革命について書かれた本を二冊半ばかり ( 一冊 は途中で止めた。漢字が多かったから ) 読んだ。また、これもやはり宋さんに好かれよ
チンクオレン これは、日本人が支那人を差別した言葉である。語源は「清国人」や「中国人」や チンクオラオ 「清国老」などが考えられる。支那人に多い「チャン ( 張 ) 」という姓からっくられた言 こういう差別用語は、日本人が支那人を差別した場合にかぎらない。 葉かもしれない。 英米人は支那人を差別して「チンクーと言うし、日本人を「ジャップ」という。こうい うことは、どんな民族間にもあることである。 だからといって、むろん、使ってよい言葉というわけではない。初めから相手を侮辱 る しようという場合ならともかく、民主主義者であろうと、封建主義者であろうと、対等で 限 の民族関係を望むかぎり、使うべきではない。 無 次に、「中共」という言葉。これは、「中国共産党」の略である。「日本共産党」を物 可 「日共」と言うのと同じである。これは、言葉として熟しているから、私も「中共」と の いう。「中ソ論争」という語も同じである。この「中共」という言葉が、かって政治主 的・意図的に使われたことがあった。それは、現在の中華人民共和国が国際的に未承認封 章 であった時に、あれは中国共産党 ( 中共 ) が勝手に臨時に一国を名のっているのだ、と 第 いう含みで使われたのである。 現在、日本は、自民党政権が支配しているが、親自民であろうと反自民であろうと、 「自民国ーという呼称が正当だとは思わない。同じように、「中共」という語は、あくま チュンクオレン
うと思って、彼女をですこへさそう資金を私に借りに来たこともある ( 五千円貸してや った ) 。どうも話が脇道にそれ気味なので、もとに戻す。 ワカイシュとこの問題について話をするきっかけとなったのは、日支間で領土問題に せんかく なっている尖閣列島の一つ「釣魚台 ( 日本名は「魚釣島」 ) 」を、彼が若者らしい自信に 満ちた明るい口調で「ツリギョ台」と言ったことであった。ツリギョ台。現代支那音で おんよ 何と読むか知らないが、現代日本語の音読みでは「チョウギョダイーである。言うまで もなく、「つり」は訓読みであり、「ツリギョ台」なら、世にも珍しい外国地名の湯桶読で みになる。もっとも、ワカイシ、は、以前「テンツ甘栗」とロ走っていたから、ま、無 無 理もないか。 能 あら 可 さて、私は、地名の問題をきっかけに、ここに述べたような、「支那」はサべツに非 の 義 主 ずの論をワカイシュに講義してやったのであった。 建 と一言った。 ところが、彼は納得しない ( 彼は、はっきりと「僕はナットクできない えらい。私は内心、「ノウトク」と言うんじゃないかと期待していたのだが ) 。私の主張三 は、一応論理は通っているのだが、日本帝国主義の侵略を隠蔽することになると、ワカ イシュは言うのだ。 私は、すこしびつくりした。彼は、ひょっとして、すでに一九三〇年に支那で「支 うおつり いんべい ゆとう
理論の質が問われるのだ。 だが、「敗戦」派は、そこまで考えて発言しているのだろうか。 毎年八月十五日が近くなると、新聞や雑誌を次のような意見がにぎわす。無謀な本土 決戦を叫んだために、こんな戦災がひどくなったのだ、たいがいのところで降伏すれば よかったのだ、と。こういう意見は、特に、現実の決戦のあった沖縄に関して強い。沖 縄では、日本軍が民衆を防衛しえなかったのみならず、民衆に非常な被害をもたらし、 さつりく さらには、日本軍自らが民衆を殺戮している。こういう状況を考えれば、何でもいいか ら早く降伏したほうがいし 、と民衆が思うのは当然のことである。 ところで、支那では、民衆はどのように戦火にまきこまれていたのか。やはり、民衆 は非常な犠牲を強いられ、殺戮されていた。この時、何でもいいから早く日本軍に降伏 おうちょうめい したほうがしし 、無謀な抗日戦争なんか早くやめて、妥協的な汪兆銘政権の下でいいか らラクして暮らした、、 と、一人の民衆も思わなかったであろうか。おそらく、かなり 多数の民衆がそう思ったであろうし、これも当然のことである。 さて、沖縄の民衆の声と支那の民衆の声とどこがちがっているであろうか。ちがって 、どこも。沖縄の民衆を是とするなら、支那の民衆も是である。 ここで、日米戦の日本軍は不正、日支戦の抗日軍は正義、と言う人があるとすれば、
り上げられるようになった論文である。 この論文の主張は、題名どおり、亜細亜からの離脱である。開化されたすぐれた文明 きゅうとうころう の西洋と、旧套固陋の儒教封建のアジア、特に支那・朝鮮。この支那・朝鮮は、日本の 隣人・友人ではある。しかし、友人であっても、それは蒙味な悪友である。「悪友を親 まぬ しむ者は共に悪名を免がる可らず。アジア東方の悪友を謝絶するものなり」。こういう ものだ。 公平のために言っておくと、もちろん、福沢は、朝鮮人や支那人を蔑視していたわけ ではない。それどころか、朝鮮の政治運動家金玉均 ( きん・ぎよくきんⅡキム・オッキ = ン、日本の明治維新のような改革を目指した ) を助け、そのために関係者として日本 え の警察に勾引までされている。そして、そういった福沢の、その脱亜主義だからこそ強 新 いのだ。 明 こういうふうに切り捨てられたアジアは、儒教は、封建主義は、本当にカス同然のも 章 のとして、進歩的近代主義者にも保守的近代主義者にも忘れられてきたのである。 だが、今や、福沢に始まった近代主義・民主主義は、私がこれまでメンメンと書いて はたん きたように、明白に破綻し、行きづまりを見せている。保守派はそれでも権力当事者の リアリズムで、それを糊塗し乗りきるかもしれない。だが、進歩派までもが保守派と同 ・一ういん