じ論理を用いているのであれば、権力も取っていないのに、どうして新しい地平を切り 開くことができるのか。たった五枚で福沢が「脱却ーし「離脱ーできたつもりの、アジ アに、前近代に、儒教に、封建主義に、あまりにも巨大な忘れものがあるのた。 否、我々が、学校で、出版物で、「脱却」・「離脱。だと教えられてきた明治維新が、 決してそんなアカルイものではなく、福沢一門が猛々しく銃殺し去った以上の″封建主 義の圧殺〃だったのではないのか。 教科書に描かれた明治維新は本当か これまで学校教育や出版物の中で語られてきた明治維新観の主流は、羽仁五郎の『明 治維新』 ( 岩波新書 ) に描かれたような、暗くて未開な封建主義から、明るい政治の文 明の世界へというものだった。羽仁のこの本は、戦時中に執筆されたものだが、それだ けにむしろ、明治維新に希望を託し、より楽天的に描こうとしている。 しかし、こういう思想文脈ではまったく理解できない歴史が次々と発掘されている。 前にも触れた石光真人『ある明治人の記録』は、明治近代主義の下に完全に抹殺され ていた会津藩の悲劇を明らかにしたものである。その父石光真清には『城下の人』以下 の四部作 ( 龍星閣、中公文庫 ) という手記もあり、これも維新の虚構・裏面史を描いた 220
封建主義のダイナミックな人間規定 侵略戦争と孟子 鎖国も検討に値する 6 封建主義と差別 ストリップ劇場の割引きと″したたかな大衆 ~ 片足は長いのか短いのか 礼が盲人を救っていた 前近代にあった「浪費の思想」 分をわきまえる 「大工さん」と「弁護士」のちがい 終章明治維新から疑え = 十九世紀最後の日、封建主義は銃殺された 最も偉大な明治人福沢諭吉 福沢のたった五枚の論文ーーー「脱亜論」 教科書に描かれた明治維新は本当か 教科書問題のもっ空虚さ 戦後民主主義ではなく、明治維新から疑え
をのせた一冊本ということでは、次のものが便 ⅱ・ 0 〇身障者と差別については、とりあえず、前述「福沢論吉集」 ( 筑摩書房・近代日本思想大系 2 ) 福沢と無政府主義の話もこの本の解説の の「中世民衆の生活文化」だけを挙げておこう。 中にある。 〇儒教と科学的思考に関しては、 「中国の科学文明」藪内清 ( 岩波書店・新書 ) 〇明治維新の逆説に関しては本文中にも述べた 読みやすい本である。 次の三つと、ほかにすこし挙げる。 「ある明治人の記録』石光真人 ( 中央公論社・ 「朱子の自然学』山田慶児 ( 岩波書店 ) かな り高度で一般にはとつつきにくいかもしれない。 新書 ) 「城下の人』以下四部作石光真清 ( 中央公論 「文明の滴定」・ニーダム ( 法政大出版局・ 叢書 ) 古い論文もまじっているが、随所で、 社・文庫 ) 支那の科学的思考に論及している。ニーダムに 「出雲の迷信』速水保孝 ( 学生社 ) は、思索社で刊行された膨大な研究もある。 「魔の系譜」谷川健一 ( 紀伊國屋書店 ) キッ 内 ネスジの話や新しい天皇陵造営の話など、明治案 の近代化が、現代人の先入観と大きく異なって蚊 終章 いることが論じられている。 〇福沢論吉については、さまざまな種類の選「幻景の明治』前田愛 ( 朝日新聞社・選書 ) 集・全集が出ているが、重要論文と適切な解説この本も、明治の持っ複雑な性格を世俗的な話
せざるをえないのである。ところが、もっと不愉快なのが、「押しつけ憲法論」なので ある。 ーの黒船軍 現行憲法がアメリカの押しつけだというのなら、開国はどうなのか。ペリ 団は、現代で言えば、核装備の空母・戦艦の大艦隊である。これで軍事的圧力をかけ、 開国をせまり、それに続いて明治維新までもたらしたのだ。 、もっと巨大な 開国・倒幕・明治維新は、たかが現行憲法の押しつけどころではない 押しつけである。何故、これに反対しないのか。アメリカの押しつけによる開国・倒で 限 無 幕・維新反対。明治以後の政体打倒 ! 江戸幕府再興 ! と、何故言わないのか。 性 と、ロ 尸いつめることができる。 能 可 ハンチである。それができないのは、鎖国 の そして、これは、きわて有効なカウンター は悪いこと、封建主義は悪い思想だという、民主主義的・西欧近代的な発想に縛られて主 いるからであることは、言うまでもない。 章 封建主義のほうが、民主主義よりも、はるかに広く、潤沢な思想なのである。 第 ー 9 引・
戦略戦術は一様ではない。 これは「とりあえずのー私の戦法である。だが、私が絶対に 採らない戦法、それを大多数の進歩的を称する人々が一様に採っている。 戦後民主主義ではなく、明治維新から疑え それは、デモの図版や一揆の記述を守れ、できればふやせ、という論調である。 国会の委員会での愚劣な・ハカ芝居が報道されたあと、見聞できた意見のほとんどがそ のような種類のものであった。 そこに、私は、民主主義者・近代主義者・西欧主義者たちの、アカルイ明治維新観の 虚妄を見るのだ。そこに、頑張っても頑張っても、否、頑張れば頑張るほど、ますます 政府・保守勢力の攻撃を結果的に応援しているような″進歩人〃のダメさがあるのだ。 一揆の記述を守る。けっこうである。ふやす。なお、けっこうである。 一揆は、抑圧された民衆が抑圧している支配者に向けた闘いである。そういう面も、 もちろんある。それでは、明治四年に、政府の発令した平等令に反対し、全国各地で発 生した「差別要求一揆」は、どうなのか。百姓や町人という庶民が″心の底からの怒 り〃を結集し、″身の危険をもかえりみず〃、断固として果敢に、政府に、賤民の差別を 要求して″立ち上がった〃一揆はどうなのか。 224
代の財務・民生・警備・防災・軍事という具体的作業がある ) の地点と生活点は切り離 されていたのだ。 しかし、武士の妻は、隔離された生活点こ 冫いたにもかかわらず、初期主婦のようにセ ンチメンタルにすることもなく、全盛期主婦のように醜悪であることもなく、生産点 と生活点が一致していた農・エ・商の妻が生き生きとしていた以上に、張りつめ、気品 にあふれ、凜然としていたのである。それは、何故か。彼女らは、日常的な生Ⅱ生活点 を越え、非日常的な死をも夫と共有する封建主義的倫理を持っていたからだ。 もちろん、実際には、武士にとっての日常的な生活の崩壊期である幕末から明治にか めかけ けて、生活のためということで、武士の妻は、妾にもなったし「武士の妻売春」もした。 その当時の現認資料である篠田鉱造著『幕末明治女百話』には、そんな話はごろごろし いしみつまひと ている。しかし、同時に、石光真人著『ある明治人の記録』には、サツマ者の天下にな じじん ることを諾えず、夫や兄とともに節に殉じ、猛火の中で自刃した女性たちが現存したこ とが描かれている。 武士がサラリ ーマン化したドン尻の時代でも、こうであった。まして、武士自身が給 与生活者であることを否認している時代は、妻も、さらに倫理的であった。 , 彼女らは、 生産点から離れながら、生産から発する以上の緊張感を封建主義的倫理として自分の中 うべな ん もの ー 20
終章明治維新から疑え
文明開化からマクにこだわりだした 封建主義というと、男女問題がウルサイという感じがする。マクの問題なんかに、封 建主義者は偏執狂的にこだわっているように思われている。これまた、民主主義者たち が勝手に思い込んでいる迷信である。 明治時代、民権運動・平和運動・新文学運動に足跡を残した北村透谷に、そのタイト ルもずばり「処女の純潔を論ず」という論文がある。この論文で、透谷は、明治維新ま では封建主義という人間の尊厳を抑圧する因襲的な思想が社会を支配しており、女性の 値打ちはマクの有無で決められていた、しかし、これからは文明開化なのだから、マク とい、つ の有無ではなく、一個の人間としての純潔性こそが尊重されなければならない、 ような主張をしているのかというと、ちがうのだ、それが。おおかたの予期に反して、 民主主義は性を堕落させる セックス ー 02
もので、戦後最大の発掘と評価された。 それでも、これらについては、旧勢力だったものはどんな圧殺を受けても当然だ、と 言いうるかもしれない。しかし、部落差別と同列の差別だとされている″憑きもの差 別〃の一種である「キツネ持ち差別は、松江藩では、むしろ明治維新後に、なんと、 平民が士族に向けて行なっていた ( 速水保孝『出雲の迷信』学生社 ) となると、一体、 明治維新という″変革〃の正義は、理念は、何だったのか、と疑ってかかったほうがい いということになるたろう。 それでもなお、自由民権運動があったではないかと言うならば、それは「自由民権」 という言葉のヒビキに、近代的な市民運動を想像しているからだと言わねばならない。 え 長谷川昇「博徒と自由民権』 ( 中公新書、平凡社ライ・フラリ ー ) に明らかにされている ように、自由民権運動とヤクザは切っても切れない切ったはったの関係にあるのであり、和 民主主義的知識人が自由を訴えて署名運動やデモをくりかえしたというものとは、まっ 明 章 たくちがうものなのである。 終 かんけん 以上のように、私の管見の範囲でも、近代的な歴史観が、かなりいいかげんなもので あることがわかるはずだ。 ばくと
れる、と解釈している。むろん、これは学問への込み上げてくるような情熱 ( 「発憤、 の語原 ) で食事も忘れる、とするのが正しい 小説としても通俗的な人生論小説の域を全く出ず、『論語』に題材を採った先人の作 品、例えば中島敦『弟子』や谷崎潤一郎『麒麟』といった傑作の足元にも及んでいない。 このような通俗作であるにもかかわらず、現在の日本の繁栄を実際に担う人たちに歓 迎されたのである。その理由については先程述べた。同時に、渋沢栄一の″先見の明〃 についても知っておかなければなるまい 渋沢栄一は近代日本資本主義の祖とも呼べる実業家である。第一銀行を初めとする五 百もの企業の創設に関わった。勃興期資本主義の担い手らしく、柔軟で強靱な精神を持 ち、単なる金儲けに走るようなことはなかった。特に民度を高めるための民間教育を重 視し、『論語』をその教科書とした。自らも『論語』解説書を著したり、講義講演を行 なったりしている。渋沢にとって、儒教は明治維新以後の「道徳なき時代の道徳」なの であり、つまりは、資本主義を支える倫理であった。いわばアメリカの資本主義におけ るプロテスタンティズムのようなものである。倫理と資本主義を結び付けた渋沢の直感 は鋭い。・ウェー ーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、一九 〇五年 ( 明治三十八年 ) に原著が出ているが、渋沢はそれ以前に『論語』に着目していた。 きりん はつぶん 2 0