考え - みる会図書館


検索対象: 封建主義者かく語りき
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1. 封建主義者かく語りき

そこからは、ガリ勉優等生のみを認めるという考えか、つつばり暴走族こそ″青春の 生きざま〃だという考えか、どちらにしろ、病んだ考えしか出てこないのである。 民主教育から「嘖きこぼれた」少年 私は、一九七九年一月に起きた痛ましい事件を忘れることができない。 大衆を憎悪する少年が、まず祖母を殺し、次に大衆を無差別に射殺する計画だったが、 これは果たさず、投身自殺した事件である。私は、この事件そのものには、ほんのすこ ししか共感しない。 この程度の思考・情念は、青年期の者が時に抱くものだし、しかも、 オトナになった頃には、雲散霧消してしまうものだからである。私が、この事件を決し て忘れまいと心に決めたのは、事件後の、教育者・出版人・評論家たちの卑劣な扱いの ゆえである。 たとえば、後に起きた金属・ハット両親殺人事件は、まったく正当な扱いを受けている。 犯人の青年を弱虫だと非難する者、両親の教育観にこそ責任があったのだとして青年を 弁護する者、教育制度のひずみこそ問われるべきだとする者、そういった立場を異にす るさまざまな人々の誰もが、ことの本質から目をそらそうとはしていない。犯人の青年 ・ : たとえ結果としてではあれ、提起した問題を、まっとうに受けとめようとしている。

2. 封建主義者かく語りき

しかし、民主主義的知識人たちは、ゲーテⅡデュカスの寓意芸術に拍手を送っても、 黄帝だの賢臣・蒼頡だの、帝や臣が出てくる封建主義的な、しかも、古代アジアの神話 なんていうものは、最初から眼中にはない。 彼らは、こう考えている。情報工学は、労働者・農民のために使われればよい。遺伝 子工学は、基礎医学に金をかけて良心的で優秀な学者を育成することにすれば、問題は 生じない。原発は、社会主義国では、利潤追求の必要がないから公害も出ず、有用であ る あ で る。 大 このあたりは、まだ、それなりにいい としよう。しかし、これらの考えは、次の ような最悪の考えと、どこに境界線を引きうるのか。すなわち、社会主義国の原水爆は 可 すばらしい、という考えと。 の 義 主 建 「ひかり号」とシロートの実感 戦争の問題は、項を改めて論じるとしよう。ここでは、あくまでも、知・文化・科学三 といった問題について考えることにする。 この問題については、社会主義になれば、基礎研究に金をかければ、という考え方が 根強い一方で、″民衆の実感〃重視主義がもう一つの主要な考え方になっている。これ

3. 封建主義者かく語りき

ような結論 ~ こ至るのである。 この辺が私とはちがうのだ。 彼らは、民主主義だけは疑ってはいけないと、固く信じているのである。だが、それ は、近代人の、西欧人の、傲慢というものだ。民主主義以外に人類を幸福にする道はな いとしたら、封建主義の中にいた数千年間の数十億人の人々の立場はどうなるのか。彼 おにらくしよう らは、まるで鬼畜生か、アホか、卑怯者だったかのようになってしまうではないか。 前近代が暗黒の時代という思い込みは本当か このへんの反省は、最近、すぐれた学者たちの手によって″中世の復権〃というかた ちでなされ始めた。つまり、「暗黒の中世」という思想が大きな迷信だったのだという 考えである。 こういう考えは、まず、西欧史の見なおしから端を発した。そもそも、中世は暗黒だ という公理は、十七世紀ドイツのケラーという人文主義者が言いだした説冫 こすぎない。 どんな説にも必ず、事実把握の部分と願望の部分とが混じり合っているものだし、その 二つの配合の妙が思想の鋭さの指標となるのだけれど、思想が生まれた状況が忘れられ てひとり歩きしだすと、願望が事実のようになってしまうことがある。これはこれでお ) 」うまん ひきようもの

4. 封建主義者かく語りき

旧版執筆時と現在とを較べると、主にジャーナリスティックな場所でではあるが、儒 教に対する考えにすこし変化が見られるようになった。一部では″儒教ルネッサンス〃 などという大仰な形容もされている。しかし、その内容についてはかなり疑問がある。 そこで、本文六三ページ以下を補正する意味も込めて、この″儒教再評価〃について私 見を述べておきたい。 ″儒教再評価〃の声は、一九八〇年代半ば頃から聞かれるようになったが、それには次 の三つのものが複合していると思われる。 ① Z — ( 新興工業地域 ) 諸国のうち、韓国・台湾・香港・シンガポールの四箇国 ( 四地域 ) が儒教文化圏に入ることから、その経済成長の秘密を儒教に求める考えが 欧米の評論家などの間に出てきた。これが日本にも紹介されている。 ②人生読本風の「論語』入門書が何冊も出版された。一九八九年に刊行された井上靖 「孔子』がベストセラーになり、この風潮はビークに達した。 ③宗教学・歴史学・文化人類学の成果を踏まえた欧米の学者が、従来とはちがった視 点で儒教に注目するようになった。日本にも、彼らの著作が紹介されている。 この三つのうち、初めの①と②は主にビジネスマン向けジャーナリズムに反映されて

5. 封建主義者かく語りき

しかし、これは、専門用語をちりばめてみたから、逆にすんなりのみ込めるのであっ て、ちょっと平易に書いてみると、先の①のようになってしまうから不思議ではあ りませんか。 思想はウイスキーではない ところで、この高級論文ふうファシズム論は、左翼系の考えである。それが、普通の マスコミや教育に慣れた人々にもすんなりのみ込みやすいというのは、どういうわけな 拠 根 のか。それは、現代日本では、思想をウイスキーのように考えることが常識になってい るからなのだ。それは、次の図のようなものである。 対 絶 義 論外。人外魔境である。 封建主義 主 主 民 章 ファシズム 毒水である。 熟成されていないド・フロク。 資本主義

6. 封建主義者かく語りき

いうものは過去のものだと信じ込んでいるから、せい・せい思いつくものといえば、″未 来社会の高級パン〃なのである。 そして、しよせん。 ( ンでは " 天。の代用にならないと気がついた時、そこに流れ込む のは通俗道徳である。 の だから、ゲリラたちを律している哲学は " 天の義。なのに対し、ソ連国民の哲学は、 感動的とはほど遠い″通俗禁欲道徳〃だということになる。 て もちろん " 天〃も、その下にいる人間が生んだ幻像である。だが、幻像でいっこうに かまわない。実体であるとされる " 未来の高級。 ( ン。に支配されるより、自分の幻像を知 何 体 自分の決断によって選び取ることができれば、そのほうがどれだけすばらしいかしれな て っ 義 主 建 序 くわしい話は、それそれのテーマの箇所で述べるとして、とりあえずのところ、エリ トリアのゲリラたちとソ連国民との似て非なる立場というものが、以上のような考えで 説明できるのだ。 しかしながら、現代社会の解説者である学者・評論家・ジャーナリストたちは、この ような見解は採らないのである。

7. 封建主義者かく語りき

出る、カナで書いて三字、マ〇コ、これは何ですかという問いに、たいていの子は「マ ナコ」と答えた。むろん、これは正しい。ところが一人だけ「マンコーと答えた子がい た。みな一斉に同じ方向に考えを向けていた時、その子だけは別の方向に頭を働かせて いたのだ。 なんていう調子で教育論議がされることになる。 その上、もっとあきれたことに、この天声人語には、次のような部分がある。 答えが一つ〔だけ〕あって先生がそれを隠している。生徒は先生の考えている正解を 探りあてようとする。そういうクイズ番組のような教室では、みんなが考えもっかない ことを思いつく能力、自分自身の発想を大切にする能力は育ちにくい ( ほ・ほ原文のまま ) したい、クイズは、どちらのほうなのだ。「氷が解けたら何になるか」との問い冫 「春になる」と答えるのがクイズでなければ何なのだろう。それに、まあ創造性讃美の 紋切型なこと。私なら、こう言いたいね。 みんなが考えもっかないことを思いつく能力、自分自身の発想を大切にする能力、と

8. 封建主義者かく語りき

そして、真の封建主義者は、純平からも、魚に関する衆知を集め、異見を聞くであろ だが、一主婦の立場から、一漁師の立場から、日本人論だの伝統だの美風だの、「み んなの意見」など聞いたところで、何の役にも立ちはしないのである。 以上のように考えた時、「土佐の一本釣り』が何故いやなのか、すっかり説明がつく ことに、私は気がついたのだ。 もちろん、私は、このマンガを弾圧しようという気も起きなかったのであるが、これ も、寛容ということで説明がつくのである。私のほうが理論水準が高いので、おのずとり 見 寛容の美徳もにじみ出ちゃったわけである。 発 を 義 主 東洋プームは、儒教を忘れている 建 封 こうして、私は、民主主義者によって陰画としてしか扱われなかった封建主義が、ポ據 章 ジティ・フな主張のある主義として、有効な現状批評をなしうる可能性を発見したのだ。 第 そこで、ポジティ・フな封建主義の核となるものは何だろうと考えていたのだが、やが て、またもや大発見をしてしまったのである。 この二、三十年ほど、欧米でも、西洋的・近代的な考えが限界に来ているという思潮

9. 封建主義者かく語りき

本紙〔朝日新聞〕家庭欄にこんな話が載っていた。氷が解けたら何になりますかとい うしに、たいていの子は「水になりますーと答えた。むろん、これは正しい。ところ がひとりだけ「春になる」と答えた子がいた。みなが一斉に同じ方向に考えを向けてい た時、その子だけは別の方向へ頭を働かせていたのだ。 ( ほ・ほ原文のまま ) あ で 大 限 という書き出しに始まる文章は、教育の画一化を″批判し〃、「画一的な解答だけを求 無 性 め、ほかの答えを異端視する教育は、類型的な考え方を押しつけるーと主張し、こうい 能 可 とい一つ。 の った教育では、アインシュタインのような人物は生まれない、 私は、この″名コラム〃を読んであきれかえった。救いがたいかな、民主主義者。度主 スノップ しがたいかな、俗物教養人。 教育の硬直化・画一化に対する批判とは、このようなアホらしいことなのか。さして三 おもしろくもないナゾナゾにいちいち真剣に感心してみせることが、豊かな教育なのか。 この天声人語の論法でいけば 身体の一部で、楕円形で、まわりに毛が生えていて、指をつつこんでこねるとシルが

10. 封建主義者かく語りき

ファシズムは大衆がつくる そのあたりに気がついたのが、前にもすこし述べたドイツの学者たちで、彼らは、粛 清が続く口シア革命の実状と崩壊し始めたドイツ・ワイマール体制の現実の前に、すこ し別の思考方法を採るようになった。 それは、おおざっぱにいうと、大衆社会論とか全体主義論とかいうもので、マルクス あ が予期しなかった、たとえば、心理学の発展 ( フロイトの深層心理を重視する学説を、 拠 根 当然ながらマルクスは知らない ) などを援用したものだ。 彼らの考えによると、次のようになる。 対 絶 フランス革命などの市民革命の時代まで、人々は、農村共同体、キリスト教会、 ギルド アイデンティティ 義 職人組合といった集団の一員として、自分が何者であるかを確認して生きてきた。 主 主 民 ところが、産業革命などの経済構造の大変革と相互に影響しあいながら、こういった 章 集団が崩れだす。その時、人々は、あらゆる集団から規定されない、自立した自由な個 人になった : : : であろうか。ならなかった。出現したのは、集団からも規定されず、と いって自立したわけでもない″大衆〃であった。 ここで″大衆〃というのは″マッス〃の訳語であって″。ヒープル〃とはちがう。この