・スカトー ) の副住職であ ナラテポー師。プラユキ師はタイのスカトー森林寺 ( ワット・ り、そこにこれまで多くの「普通の人」を受け人れて、彼らが仏教の実践によって苦しみから 抜け出すことを手助けされてきた方である。また、師は先述の「瞑想難民」対策のスペシャリ には、まさにふさわしい人物だ ストでもあり、今回のようなテーマについて語っていただく 本書の内容は、導人としての序章に続いて、第一章の「智慧」、第二章の「慈悲」、そして第 三章の「自由」と、三つの章に分けられる。これは、現象のありのままの真実相を見抜く「智 、つさいしゅじよう 慧」と、それに基づいて他者と関わり、一切衆生を益する「慈悲」が、名実ともに仏教の二本 の柱であり、この両者の性質を深く把握しておくことが、「実践する仏教」について理解する ためにも不可欠であると、私たちは判断したからである。その上で、この「智慧」と「慈悲」 にはどうすれ を統合した境地を「普通の人」が何ほどか体現しながら、「自由」に生きてい はよいのかそれについて語り合うことが、本書の最終的なテーマとなる 「普通の人」を対象とした書籍であるから、話の内容はあまり専門的にならないように心がけ たが、たからといって、本書の内容は単に表面的な知識の解説に終始するような、「真み深 い」ものとは程遠い。私はプラユキ師に「危険球」をどんどん投げているし、それに応じて師 も率直な現状の認識を語られている。私の相当にあけすけな間いかけに、全て誠実に答えてく ださったプラユキ師には、全く感謝の一一一口葉もない。読者の方には、このスリリングな対話を通
企ロ 新 プラユキ・ ナラテポー 。フラユキ・ナラテポー 魚川祐司 2 ] 冬 ISBN978 ー 4 ー 544 ー 98456 ー 3 C0295 \ 800E 定価 ( 本体 800 円十税 ) 魚川祐司 ツダは、人生の「苦」から抜け 出すには、出家して修行、す なわち瞑想を実践することで、煩 悩を解脱した「悟り」に至らなくて はならないと説いた。では出家した くないのはもちろん、欲望を捨てた くない、悟りも目指したくない「普 通の人」は、「苦」から逃れられない のか ? 「普通の人」の生活にブッダ の教えはどう役立つのか ? 瞑想 6 0 をすると何が変わるのか ? タイ 8 圓で三十年近く出家生活を送る日 4 本人僧侶と気鋭の仏教研究者が、 0 スリリングな対話を通して「実践す 8 9 る仏教」の本質に迫る うおかわゆうし 人生のとしての仏教 アッフ。デートする仏教 藤田一照十山下良道 教養としての仏教入門 中村圭志 密教的生活のすすめ 正木晃 十牛図入門 横山紘一 阿頼耶識の発見 横山紘一 悟らなくたって、いいじゃないか 暦らなくたって、 しいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 プラユキ・ナラ云ボー 魚川祐司 一九六ニ年、崎玉県生まれ。タイ・スカトー寺副住職。上智大学卒業後、タ イのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役 割を研究。八八年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキエン師の下 で出家。以後、開発僧、瞑想指導者として活動。著書に「「気つきの瞑想」を 生きる」 ( 佼成出版社 ) 、「苦しまなくて、いいんだよ」 ( 電子書籍版 E く 0 一 三 ng / オンデマンド版 a-xa- 研究所 ) 、「脳と瞑想」〈篠浦伸禎氏との共 著 ) 、「自由に生きる」 ( ともにサンガ ) 、「仕事に効く ! 仏教マネジメント ( 電子書籍 E く olvi コ g ) 等がある 一九七九年、千葉県生まれ。著述・翻訳家。東京大学文学部思想文化学科卒 業 ( 西洋哲学専攻 ) 、同大学院人文社会系研究科博士課程満期退学 ( インド 哲学・仏教学専攻 )0 ニ 00 九年末よりミャンマーに渡航し、テーラワーダ仏 教の教理と実践を学びつつ、仏教・価値・自由等をテーマとした研究を進め著者写真ー植一浩 ている。著書に「仏教思想のゼロポイント ( 新潮社 ) 、「講義ライプだから仏 教は面白い ! 一 ( 講談社十。文庫 ) 、翻訳書に「ゆるす」「自由への旅」 ( ともに ウ・ジョーティカ著新潮社 ) がある 幻冬舎新日 著者写真ー植一浩 435 Y800
それが最終的に、世評から見ても「よい」結果に繋がることもまた、あり得ます。 プラユキそれは、しばしば言われるように 、「結果に囚われないことが、最終的によい結果 に米がる」し」い , フ一」し」か宀なワ・ 魚川「そうなることもあり得る」ということですね。「よい結果を得るために、結果に囚われ ないようにしよう」というマインドなら、結局のところ「結果に囚われている」わけですから。 プラユキたしかに ( 笑 ) 。 「瞑想すると上手くいく」のではない くのではなくて、 魚川これに関連して、私がもう一つ常々言うのは、「瞑想すると上手く 瞑想すると上手くいかなくても気にならなくなるのだ」ということですね。いまは日本でもア メリカ由来の「マインドフルネス」運動の影響もあって、瞑想がちょっとしたプームになって いますが、それで関心を持たれた方は、やはり瞑想することによって「日常で上手くやり フ動機が強くあることか多いと思います。 もちろん、そういう瞑想の仕方もあるだろうと思いますし、とくに「マインドフルネス」の 実践は仏教の宗教性や世俗からの超越性を極力排除しようとしていますから、それで「上手く いく」こともあるでしようし、それが一義的に「悪い」と一言うつもりもありません。
「ナラテポー」は「エンジェル・マン」 魚川「プラユキ・ナラテポー」って、不思議な響きの名前ですよね。どういう意味なんです かワ・ プラユキ「プラ」はタイでのお坊さんに対する尊称。「ユキ」は本名から。「ナラテポー」は、 ーリ語の nara , devo をタイ語の発音で読んだものです。 nara は男、 devo は仏教用語で「天 人」のことで、「神」とも訳されるけれども、一神教の創造神ではなくて、天界に住む、人間 よりはちょっとレベルが上の存在たちのこと 。だから、「ナラテポー」というのは、さしすめ 「エンジェル・マン」とでもいった意味になりますかね。 それは素敵な名前ですね。 魚川「エンジェル・マン」 プラユキそうですね。なかなか気に人っています 魚川最初ですから、まずはご紹介をしておきますね。プラユキ先生は、タイのワット・ ・スカトー ( スカトー森林寺 ) という寺院で、一九八八年にテーラワーダ僧侶として出家さ じよ・フざぶ れ、いまの「プラユキ・ナラテポー」という名前を与えられました。テーラワーダ ( 上座部 ) というのは、スリランカ・ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジアといった東南アジアの国々 において主に信仰・実践されている、仏教宗派の一つです。
れるものを与える、典型例になると思います。「現実をありのままに」観察しながら、同時に 恋愛の物語に集中し没人するということは、やはり難しいでしよう。先ほどの芸術制作の場合 にしても、作家が「フュージョン」した状態であることが作品の質に直結する事例は多いと思 いますし、そういう「フュージョンがもたらすもの」からは、やはり瞑想者は一定の距離をと るという選択を、せざるを得ないのではないかと思います。 ただし、再び幾重にも強調しておかなくてはなりませんが、私は「だから瞑想は悪い」とか 「仏教は私たちにとってよくない」とか、そういうことを一言いたいわけではありません。そう ではなくて、瞑想をするからには、やはり実践者は仏教の示す価値判断に多かれ少なかれ影響 を受けざるを得ないし、そこは自覚的な選択が必要になる、ということ。その選択の是非善悪 については、個人が判断されるべきことです。 様々な状態に心をチューニングする訓練 プラユキうーん、私としては、先ほども言ったように、そこはもうちょっと自由に、融通無 礙にやれると思うんだよね。フュージョンということで言えば、気づきを伴わせながら、それ 第 9 をすることは可能だと思う。言わば、「目覚めた意識でフュージョンする」わけ。 私が思うには現象のレベルで「『フュージョン』をしない心的態度」をとれるようになれば、
リ 4 んだね」というような受容する態度ができてくる。すぐに反応しないモード、落ち着いた受容 力が鍛えられたわけです。 あと、蚊に刺されて痒いことが集中の邪魔になるかというと、あんがいそういうわけでもな くて、「痒い」と感じた時に、それから目を背けようとせずに、否が応でも感じる激しい痒み という刺激に自分を明け渡してグッと心を集中することで、逆に集中力が強まるという面もあ 足が痛くな 魚川それはわかります。瞑想で長く座っていると足が痛くなったりしますけど、 いほうが瞑想が進むかというと必すしもそういうわけではなくて、痛みの感覚を伴うことが むしろ集中を助けてくれる面があるということは、しばしば瞑想者のあいだでも言われますよ ね。 プラユキそうですね。だから、蚊に助けられて集中力を鍛えさせてもらった、という面もあ りました ( 笑 ) 。 魚川なるほど ( 笑 ) 。 プラユキそのように、「集中系」の瞑想にはよい面もあったのだけど、ただ同時に先ほど述 べたような問題を感じたところもあって、それで徐々に気づきの価値ということを理解しまし て、現在のチャルーン・サティの実践のほうにシフトした、という流れですね。
百匹の蚊にたかられても平気な「集中ーを経験して気づいたこと 魚川それで瞑想を本格的にはじめられて、とにかくチャルーン・サティをずっと実践された んですか ? プラユキいやあ、それがですね : チャルーン・サティの手動瞑想は、カムキアン師の師 匠である、ティアン師の考案された瞑想法で、だからカムキアン師には当然それを教わったん だけど、最初はその価値がわからなくてね。 魚川ああ、それはよくわかります。若くて、やる気満々で、「さあこれから仏教の修行をや るぞ。悟るためなら、どんなにつらいことでも耐えてみせるぞ」というつもりでいる時に、手 をパタバタ動かして、「これが瞑想です」と言われても、「ちょっと何これ ? 」と思ってしまい ますよね。 章 プラユキそういうところはありましたね。手を動かす意味もわからなかったし、気づきと集 の 慈中の違いもわからなかったからね。 魚川前章で言及した、プラユキ先生のやることにいちいち文句をつけていた男の子はそうい 第 う感じだったと思いますし、あるいはチャー師が瞑想技法を丁寧に教えてくれないことに不足 を感じて、ミャンマーに渡ったコーンフィールドさんにも同様の感覚はあったでしようね。そ
プラユキうーん、それはやつばり私の流儀とは異なるなあ ( 笑 ) 。 魚川そうですね、夢の話なんて間違っても聴きません ( 笑 ) 。 ただ、私としてはこの相違も 優劣や是非の間題ではなくて、「目指していること」が異なるから、「やっていること」も異な るのだと考えたい。 つまり、例に出しているようなミャンマーの瞑想センターとフラユキ先生 とでは、おそらく「智慧」というものに対する理解も、重なる部分はありつつも相違する部分 もあって、それが実践や指導の差異にも表れているのではないかということです。 「現実ーの理解の違いが、瞑想の違いに表れる プラユキ「智慧」の理解が異なると、現実に対する対応も変わってくるということかな ? というよりも、おそらく「現実」というものに対する理解自体に、少なからず差異があ ると思います。先ほどミャンマーのセンターにおける「現実対応能力」の扱いについて述べま したが、実際のところミャンマーの先生方だって、ありのままの「現実 ( 「 eality) 」を如実知 見するためにこそ瞑想を教えているわけだし、彼らからしたら、瞑想がきちんとできるように なることこそが、本当の意味で「現実に対応できること」に他ならないでしよう。 第 ただ、そこで言われている「現実」は、私たちが世俗的な意味で考えるそれとは異なってい るわけです。例えば、ミャンマーで私が教わった先生は、「生成消滅する現象の要素をクリア
にミ uch 一 ng なものではあり続ける、ということです 魚川「気づきも一つの現象である」というのは、『自由への旅』でウ・ジョーティカ師も強調 されていましたね。「この気づきさえも無常・苦・無我であることがわかったら、そこに瞑想 する『私』は存在しない。 これを理解した時はじめて、瞑想者は無我に関する本当の洞察を得 るのです」と、ウ・ジョーティカ師は一一一口っています あるいは、瞑想によって得られる認知は、「頭だけを出した状態て , に流されていく」よ うなものだとも言われています。つまり、川の外に出て流れを眺めている状態 ( Ⅱプロセスか ら完全に detach した状態 ) ではないけれども、瞑想をしない状態だと頭まで水に浸かってい るのが、瞑想をすると頭だけは出して周囲を見渡せるので、障害物を避けたりなど、ある程度 のコントロールは利かせられる、ということです プラユキわかりやすい、よい喩えだね。気づきでさえも、生成消滅する現象のプロセスとい 章 う「川」と切り離されたものではなくて、あくまで「流れの中」にあるものだということだよ の 章 魚Ⅱよ、。 ( したた、これも「言うは易く、行うは難し」の典型例で、先ほども申し上げたとお 第 り、仏教の瞑想を実践する際に、「我を強化しよう」と思ってやる人は滅多にいないわけです。 にもかかわらず、結果としては「私ー対象」構造に巻き込まれて、むしろ瞑想によってそれを
121 第二章慈悲の章 るのは、先生が「人生否定、来世志向および二元論的」という、アメリカのインサイト・メデ イテーションの人たちが理解する特徴とは、大きく異なるテーラワーダのあり方を説いていら っしやるからですね。 プラユキ私としては、とくに変わったことを言っているつもりはないんだよね。先生や兄弟 子などのスカトー寺の僧侶たちが教えているのと同じことを、私も教えているに過ぎませんか 魚川そのあたりは興味深いところですよね。前章でも言及したような、一枚岩ではないテー ラワーダの多様性を理解する上でも参考になりそうですから、よろしければプラユキ先生が現 在に至るまでの出家と修行、スカトー寺での様々な実践の経緯をお話しいただけますか。その プロセス自体が、一つの「慈悲の物語」でもあると思いますので。 プラユキわかりました。そんな壮大な話になるかはわからないけど 様々な社会運動に携わった、プラユキ学生時代 魚川プラユキ先生は、一九六二年のお生まれで、上智大学文学部哲学科のご卒業です。哲学 科というのは私と同じですけど、どんなことを学生時代は学ばれたんですか ? プラユキそうですね。勉強したのは学部ですから基本的なことですけれども、そこで私が師