境地を進めるための細やかな指導というのは、あまりタイの森林派僧院ではやらないというか、 そもそもそういう経験には、あまり興味を持っていないのではないでしようかフラユキ先生 も、瞑想経験それ自体を重視した指導というのは、実はやっていないでしよう ? プラユキ瞑想はもちろん教えますけれど、たしかに生活を瞑想に奉仕させるような仕方で、 それを主としたトレーニングをしてもらうことはないですね。 魚川実際、スカトー寺では朝の読経とタ方の読経があって、その後にプラユキ先生との面談 の時間がありますけど、それ以外の時間にタイムスケジュールに従ってきっちり瞑想をさせる、 といったことはないですよね。私が行った時に同時滞在していた女性なんか、毎日外に出て村 の子供と遊んでいましたし。 プラユキあれは、当時の彼女にそういうワークが必要だったのですね。でも、彼女はしばら くそれを続けて、そこからの学びをたくさん得た後に、ちゃんと自分で判断して、村の子供に 「今日からは遊べない」と断りを入れて、真面目に瞑想するようになりましたよね。 魚川そうでしたね。そのような、コミュニティにおける生活の中で成長していくフロセスが 生じやすいのも、タイムスケジュールを守ってきっちり瞑想だけに専念させるセンターとは異 なった、スカトー寺での修行の魅力だと思います。 プラユキそうですね。そうしたプロセスを経ながら自主性が身につくと同時に、現実生活で
172 世間的な意味での「自由ーとは ? 魚川本章のテーマは「自由」です。この対談の文脈においては、これまで話してきた智慧と 慈悲という仏教の二つの側面が融通無礙に統合され、自らの身をもって、それを現実に表現で きる境地のことですね。プラユキ・チャートにおいても、「仏・法・僧」の中では「仏」、ま =. w に対してはま一・・などと、仏教の叡知が人格的に体現されたあり方が、「自由」の項に配当 されています。 また、プラユキ先生は『自由に生きる』や『自由になるトレーニング』 (Evolving) といった 書籍も出版されていて、これは先生にとっても基本的なテーマの一つです。そこで、まずはプ ラユキ先生の定義される「自由」の内容について、お聞かせ願えればと思います。 プラユキそうですね。まず一般的 ( 世間的 ) な「自由」の理解を確認しておきたいので、 くつか辞書での定義を挙げてみますと、こんな感じです。 心のままであること、あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。 ( 『プリタニカ国際大百 科事典小項目事典』一部略 )
ということですね こは注意していただきたい、 魚川なるほど。プラユキ先生の言われる「定」の性質がたいへんよくわかりました。 人格の解体・超越までも視野に入れたカウンセリング 魚川次に慈悲の間題に関連して気になるのは、これまで述べてきたような瞑想の性質と、プ ラユキ先生がやっておられる相談者へのカウンセリング的な行為との関係ですね。瞑想によっ て得られる智慧の風光は、いま話に出た「私ー対象」関係のような主観と客観の物語を離れた、 「べクトルのない」現象の世界です。他方、先生のところに相談に来る人が悩んでいるのは、 「べクトルのある」物語の世界における、「私ー対象」関係が前提となった悩みですね。 この二つの世界の接続、即ち、「べクトルのない」智慧の風光を「べクトルのある」慈悲の 実践へと繋ぐための一種の TIPS として、プラユキ先生はカウンセリングや夢分析といった、 心理療法的な技法を採用されているのだと、私としては理解しているのですがいかがでしよう カワ・ プラユキそんなふうに言ってもいいでしようね。ただ、私としては智慧と慈悲の場合と同じで、 自分のやっていることを、「ここまではべクトルのない智慧の世界を知るための瞑想」「ここか らはべクトルのある慈悲の世界で実践するための心理療法」といった形で、明確に切り分けて
たし、この件についても、ちょっと議論しておきましようかフラユキ先生は、アメリカで流 行し、 いま日本でも静かなプームを巻き起こしつつある「マインドフルネス」の運動について、 どのようにご覧になっていますか ? プラユキそうですね。 mindfulness というのは、本来パーリ語の sa ニ ( 念、気づき ) の訳語 だけれども、アメリカなどで流行している「マインドフルネス」の運動は、「気づきの瞑想」 であるウイバッサナーに由来しつつも、それをもっと心理療法寄りに解釈して、まさに「日常 生活を上手くやる」ことに特化した実践を提唱していますね。だから、先ほど指摘してくれた 「マインドフルネス」の実践においては、仏教の「宗教的」な要素とされるものは、 ほとんど排除されてしまっている。 それはそれで、人々の抜苦与楽の役に立つのであれば、もちろん悪いものではありません。 ただ、私としては、そのように仏教の要素の一部だけを取り出して、それを人々が「利用」す 章ることに対する懸念というか、そのことの危険性も考えないわけではない。仏教というのは、 戒・定・慧や仏・法・僧といった、全ての要素が一つになって機能する、有機的なシステムで すから。 第 、こど , フいったこし」でしょ , フワ・ 魚川その「危険性」というのは、具体的 ( 本 ( 、哲学者の永井均先生と精 プラユキ例えば、『マインドフルネス最前線』 ( サンガ ) というこ
はじめに 3 序章「実践する仏教」のパースペ名プ塚 「ナラテポー」は「エンジェル・マン」 智慧と慈悲のプラクティカルな総合 仏教を捉えるバースペクティブの混乱蚪 「正しい / 本当の仏教」にこだわるのは不毛 food fo 「 = fe ( 人生の糧 ) としての仏教 プラユキ仏教のポイント、手動瞑想とカウンセリング 「仏教とは『悟り』を目指すもの」というイメージをめぐる問題 「智慧」と「慈悲」と「自由」の関係ララユキ・チャート ) 町 第一章智慧の章” 「実相」の智慧と「実践」の慈悲 コーンフィールド氏のタイ・ミャンマー修行体験 ち・ん 43 40
121 第二章慈悲の章 るのは、先生が「人生否定、来世志向および二元論的」という、アメリカのインサイト・メデ イテーションの人たちが理解する特徴とは、大きく異なるテーラワーダのあり方を説いていら っしやるからですね。 プラユキ私としては、とくに変わったことを言っているつもりはないんだよね。先生や兄弟 子などのスカトー寺の僧侶たちが教えているのと同じことを、私も教えているに過ぎませんか 魚川そのあたりは興味深いところですよね。前章でも言及したような、一枚岩ではないテー ラワーダの多様性を理解する上でも参考になりそうですから、よろしければプラユキ先生が現 在に至るまでの出家と修行、スカトー寺での様々な実践の経緯をお話しいただけますか。その プロセス自体が、一つの「慈悲の物語」でもあると思いますので。 プラユキわかりました。そんな壮大な話になるかはわからないけど 様々な社会運動に携わった、プラユキ学生時代 魚川プラユキ先生は、一九六二年のお生まれで、上智大学文学部哲学科のご卒業です。哲学 科というのは私と同じですけど、どんなことを学生時代は学ばれたんですか ? プラユキそうですね。勉強したのは学部ですから基本的なことですけれども、そこで私が師
「ナラテポー」は「エンジェル・マン」 魚川「プラユキ・ナラテポー」って、不思議な響きの名前ですよね。どういう意味なんです かワ・ プラユキ「プラ」はタイでのお坊さんに対する尊称。「ユキ」は本名から。「ナラテポー」は、 ーリ語の nara , devo をタイ語の発音で読んだものです。 nara は男、 devo は仏教用語で「天 人」のことで、「神」とも訳されるけれども、一神教の創造神ではなくて、天界に住む、人間 よりはちょっとレベルが上の存在たちのこと 。だから、「ナラテポー」というのは、さしすめ 「エンジェル・マン」とでもいった意味になりますかね。 それは素敵な名前ですね。 魚川「エンジェル・マン」 プラユキそうですね。なかなか気に人っています 魚川最初ですから、まずはご紹介をしておきますね。プラユキ先生は、タイのワット・ ・スカトー ( スカトー森林寺 ) という寺院で、一九八八年にテーラワーダ僧侶として出家さ じよ・フざぶ れ、いまの「プラユキ・ナラテポー」という名前を与えられました。テーラワーダ ( 上座部 ) というのは、スリランカ・ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジアといった東南アジアの国々 において主に信仰・実践されている、仏教宗派の一つです。
プラユキそうなんです。そこは仏教者としての私のあり方が問われるところですよね。僧侶 として戒律を守り、ブッダにはなれなくても、可能な限りプッダに近い振る舞いを日々に心が けることで、相談者の方にネガテイプな影響を与えず、ポジテイプな面を薫習できるように、 私自身が常に気を引き締めていないといけないとは思っています。 魚川西洋の心理療法的な、カウンセリングや夢分析のような技法を使ってはいるけれども、 その場を設定するプラユキ先生の「背骨」をつくっているのは、やはり仏道であるということ ですね。 プラユキそうです。私はカウンセラーではなくて仏教者ですからね。心を病んだ方々の手助 けをするのも、あくまで仏道の一環としてやっていることなんですよ。 「あなたの力量次第だよ」 章 魚川それに関連して思い出したのですが、以前に先生が、同じように心に悩みを抱えている の 慈方々の相談を受けている僧侶の方と、話をされているのを聞いたことがあります。その際に、 「自分は専門のカウンセラーではないから、どこまで相手に踏み込んでよいものかと逡巡す 第 る」と悩まれる僧侶の方に対して、プラユキ先生は「そこは、あなたの力量次第だよ」と、は つきり言われていましたね。あの時は、「プラユキ先生も厳しいことを言うんだな」と驚きま
しいなと思いました。 偏ることなくとられているように感じて、とても、 魚川理論が実践化されるところに、プラユキ先生は当初から関心をお持ちだったということ ですね。 プラユキそうです。大学に人学した当初は、私も「真理」のようなことに関心があったんで すけど、アビト先生からの影響もあって、「やはり実践しなければ駄目だ」ということで、 Z やらボランティアやら、そういった色々な活動に携わりました。難民への募金活動とか、 障害者の解放運動とか、様々なことに関わりましたね。 魚川すごくアクテイプな学生だったんですね。 プラユキいまふうに言えば「意識の高い」学生だったかもしれない ( 笑 ) 。私はいわゆる勤 労学生で、大学の学費も自分で払っていたから、アルバイトもたくさんしていたしね。 魚川上智大学の学費を自分で払われていたんですか ? それは大変だったでしよう。 プラユキまあ、何か「やらなくちゃ」という 使命感があって、家庭教師から肉体労働まで、 の 慈二十種類くらいのアルバイトを経験しましたね。 魚川それは立派な学生ですね。 第 プラユキいやいや、それですっかり疲弊してしまったんですよ。つまり、社会間題について 色々と考えて、世界の核問題とか、そういう類の講演会を一生懸命に聴きに行ったりする。で
108 る」物語の世界におけるプラユキ先生の慈悲の実践のあり方について、お話を伺えればと思い ます。 プラユキわかりました。主 ( こどういう話になるの ? 魚川テーラワーダ仏教における「物語の世界」の捉え方、そこにおいてプラユキ先生が出家 されて現在のような活動をされるに至ったプロセス、「瞑想難民」が生じる仕組み、先生のさ れているカウンセリングの具体的な内容、などになるかと思います。 プラユキオーケー、ではさっそく参りましよう。