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検索対象: 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問
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1. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

3 8 不公平な裁きのもとで「正義」とは何様なのか ? ば戦争努力とは勝ー得 / 敗ー損の対応にもとづいている。始めから、損をす るために戦う者はいない。「勝てば官軍」は戦争の前提条件だったのであり、 戦犯裁判などで法的体裁をとる必要すらないほどなのである ( ヒトラーが自 殺するまでは、チャーチルは裁判抜きでナチス高官を全員即時射殺すべしと 主張していた ) 。 それでは東京裁判はまったく政治的な演出であって裁判としての意味が全 然なかったかというと、そうではない。ここに第三の誤解がある。不備きわ まりない国際法の範囲において、それなりに司法的体裁に合致した判決理由 などが提示されたことは確かである。そして、ニュルンベルク裁判と東京裁 判の政治的目的の中には、「国際刑法の再建と先例作り」という重要な理念 が含まれていた。司法の観点からみて無意味な試みとは言えない。 さらには、法的か政治的かを問わす、戦前・戦争中の諸々の真実を解明す るためには、不偏不党の立場からなされねばならないということは決してな い。もちろん、中立国の判事によって判決が下されていたら ( 行政上はとも かく司法上は ) 理想的だったろう。しかし、たとえ偏った立場からの構図で あっても、客観的な全体像を復元することは容易にできるものである。たと えば、部屋の東の隅から室内を見回して、机や椅子や壁掛けの様子を写真に 何枚か撮る。東の隅だけから見たという偏りはあるにせよ、その写真をもと に、部屋を西から眺めたらどう見えるか、北からならどう見えるか、天井か ら見下ろすと、床から見上げるとどうか、等々を復元することが相当程度可 能たろう。そればかりか、どの方向から見たという指定なしに、全方位の座 標系に部屋の中の家具や装飾の場所を指定し、どの方向から見ても通用する ような部屋の記述を完成することすらできる。偏った視点からの写真であっ ても、「東の隅から撮った」というバイアスが明示されているかぎり、その 偏った視界は偏らない客観的描像を復元するためのデータを提供できるので ある。 同じことが、勝者の視点から裁かれた裁判についても言える。「連合国は こう判断した」という条件さえ明記してあれば、東京裁判で示された諸証拠 と判決文は、客観的な倫理的評価の提示に等しい効用を持つのである。 「認識が偏っている」ことは、必すしも「偏った認識しかもたらさない」 という意味ではない。「条件付きの判断」は、必すしも「無条件の判断を妨

2. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

ポッダム宣言とハルノートはそっくりだが・・ 答え 3 0 すると、やはりアメリカは道義的に非難されてしかるべきではないの 行することのはうにアメリカの主目的があったことを意味する。だと 的に誤報を流したとも言われ、ルーズベルト自身が騙されていた面もあった いたと言われるが、これは、アメリカ国内の開戦を望む勢力が大統領に意図 という誤報がルーズベルトに伝えられ、それがルーズベルトの態度硬化を招 騙されたという図式は成り立たない。日本艦隊がインドシナに向かっている 開戦時に関しては、細かく見るならば、一方的にアメリカが騙し、日本が ンで、アメリカの罠にまんまと引っかかったのである。 成り立っている。外交音痴の日本は、開戦時も終戦時もまったく同じパター がここではソ連の脅威だった。パラレルな対応、つまり「構造的同型性」が 原爆投下であり、チャーチルからの参戦要請にあたるく外部のプレッシャー〉 は「黙殺」であり、アメリカの欧州戦参戦にあたるく真の目的〉がここでは ム宣言だった。開戦時の奇襲攻撃に相当するく名目上のきっかけ〉がここで 開戦時のハルノートと同じような役割を果たしたのが、終戦間際のポッダ 底驚いている ) 。 りである。攻撃場所までは察知されておらす、ルーズベルトは奇襲当日に心 ルトは真珠湾攻撃を知っていながら現地に通告しなかったという陰謀説は誤 ( ただしよく言われるような、ルーズベ 目的だったことはます間違いない。 アメリカがヨーロッパ戦争に参加するきっかけを掴むことがルーズベルトの ズベルトは十分予期していた。というより、むしろ日本に先制攻撃をさせて、 を突きつけることにより、日本が武力攻撃を仕掛けてくるだろうことはルー それまで日米の間で重ねてきた交渉を一気に決裂させる内容の「ハルノート」 この経緯は、真珠湾奇襲攻撃の時のルーズベルトの状況とよく似ている。 りの進行であることを物語っている。 は、トルーマンが「黙殺」に全然驚かなかったことの証拠であり、予定どお 声明についての記述がない。そればかりか、鈴木の名すら出てこない。これ た証拠はたくさんある。何よりもトルーマンの日記に、鈴木貫太郎の「黙殺」 トルーマン大統領が、「日本はポッダム宣言を受諾しない」と確信してい

3. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

1 6 る余裕を与えなかったのか ? 少なくとも長崎への原爆投下は正当化できまい ? 広島に続いて、日本に降伏する隙を与えぬまま長崎に原爆投下したことに よって、アメリカはさまざまな批判に晒されることになった。日本を降伏さ せるためというよりソ連に対する示威行動だったことがこれで明自だとか、 ウラン型原爆 ( 広島 ) とプルトニウム型原爆 ( 長崎 ) の両方を実験して人体 資料を得たかったのだとか、ルーズベルトの急死によって大統領に急遽昇格 してしまった無名の小物トルーマンが「男らしさ」を見せようとして強硬策 に走ったのだとか。どれも、数万人の命を一瞬にして奪うだけの価値のない 目的である。功利主義的によい結果をもたらしてなどいない ! アルチュール・コント「ヤルタ会談 = 世界の分割」サイマル出版会 /62 果は、広島効果のほんのトッピング程度にすぎなかったのに、人命の その人的犠牲の多さに見合った効果をもたらしたのだろうか。長崎効 倍になるというものではなかろう」と当然推測される。長崎の原爆は、 を挫く効果があるとしても、爆撃を 2 倍にすれは戦意剥奪の効果が 2 こうした経済学と心理学の知見により、「一定の爆撃で敵国の戦意 るわけではない。少し増える程度だろう。 知れぬショックを受けるが、もう一発殴られてもショックは 2 倍にな - フェヒナーの法則」 ) 。一発殴られれば何もなかったときに比べて計り の大きさにこれをあてはめることもできる ( 心理学で言う「ウェーバー 定の投資増加分が生み出す効果は少なくなってゆくのだ。主観的感覚 らない。投資が増えれば増えるはど、効果の増加率は鈍ってゆく。 を生むからといって、投資を 2 倍にすれば効果も 2 倍になるとはかぎ 経済学で言う「限界効用逓減の法則」によれば、一定の投資が効果 ていげん 限界効用逓減の法則相乗効果マスキング効果 少なくとも長崎への原爆投下は正当化できまい ?

4. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

0 1 無差別爆撃は悪だろうか ? なりようがないので、必然的に無差別爆撃用であり、一般市民を殺傷 する「目的」を持ったものと理解される。したがって当然、悪いとい うことになる。 この否定派の原爆批判に対して、肯定派はどう応じることができる だろうか。二種類の反論を考えてください。 答え A は C である、 B は A の一種である、したがって B は C である、という三 段論法が否定派の論証である。「無差別爆撃」が A 、「原爆投下」が B 、「悪い」 が C に相当する。この形の三段論法は「定言三段論法」と呼ばれ、形式的に は正しい論証だ。「形式的に正しい」とは、 A 、 B 、 C に具体的にどんな概 念が代人されても、前提を認めれば、自動的に結論も認めざるをえなくさせ るような論証という意味である。 この定言三段論法を使った議論に対抗するには、三つの方法がある。 目下の議論が実は定言三段論法で書き表わせないことを示す。 B は A の一種であることを否定する。 1 . A は C であることを否定する。 3 . 2 . でも軍需生産がかなりまかなわれていた。住宅地への爆撃を除外しては日本 かりでなく住宅地内にも重要な中小工場が点在しており、一般市民の家屋内 まっているドイツに比べて、日本の軍需工場の分布は、住宅地に隣接するば 爆撃に対して当てはまるとされてきた。重工業地帯がルール地方などにまと 無差別爆撃は悪いとはかぎらない、という説は、とくに日本への無差別 討してみよう。 ますはじめに、無差別爆撃は悪いとはかぎらない、と反論するほうから検 するかだ。 定するか、 B は A の一種である ( 原爆投下は無差別爆撃である ) ことを否定 のとる戦術となる。すなわち、 A は C である ( 無差別爆撃は悪い ) ことを否 で、「したがって」の前にある二つの前提のいすれかを反駁するのが肯定派 否定派の原爆否定の論証の場合、定言三段論法であることに疑いはないの

5. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

兵隊員の映像がある。こういうものを見ても、遺族に対して「平和をもたら すという大きな目的のためには、数千人の兵士の死は仕方がなかった」と言 えるのか ! 邪悪な日本軍国主義を滅ばすためとはいえ、罪なき若者を戦地 へ送ったアメリカ政府は非難されるべきではないのか ! これは、大義のために人命を犠牲にするという戦争そのものの是非を論す る問題となる。つまり、原爆投下に特有の議論ではなくなってしまう。そし て結局は、「より大きな目的のために、この犠牲は仕方がなかった」という 場合の「より大きな目的」が正しかったか、そしてその犠牲は必要だったの か、という議論に移行することになる。そこまで広げないと原爆投下の是非 は論じられないと主張するのは、「完璧主義の誤謬」であろう。 私たちはどうしても、可能性より現実性を重視しがちである ( 現実バイア ス * ) 。つまり、現実に生じた個々の死傷者のほうを重要に考え、可能的な ( 未 然に防がれた ) 個々の死傷者のことを忘れがちだ。具体的な生身の人間とい う点では、現実に死傷した人間であれ、現実には死傷を免れた人間であれ、 同等の価値を持っているのである。 現実に採られた戦略はどれも、より多くの可能的損害を防ぐために、現実 的損害を受け容れることで成り立っている。世界を枢軸国が支配し、多くの 人間が苦しむという大きな損失を防ぐために、連合国は多大な人命を賭けた。 B - 29 搭乗員の損失を防ぐために硫黄島での海兵隊の流血は許容された。フ ランスやオランダの解放のためには、オマハビーチで散った 3 , 000 人の若 者の犠牲は仕方がないとされた。 原爆投下も、ダウンフォール作戦実施のさい生する多大な将来的損失を防 ぐための二義的損失だったという意味では、他の無数の戦いと違いはない。 人命の損失を当然視することの悪を非難すべきだとしたら、本当に非難され るべきは戦争そのものであって、個々の戦略ではないのである。 現実の被爆者の惨状を談話やビジュアルで生々しくアピールされたからと いって、原爆投下がなかった場合に代わりに死傷しただろうさらに多くの 人々の惨状を軽視してよいことにはならない。もちろん一方は現実の惨状で あり、他方は仮定上の惨状ではあるが、現実に原爆投下の惨禍を被った人々 の大多数が、本土決戦となればやはり同様の惨禍を被った可能性が高い 被害者は本人の場合もあれば家族親戚友人知人のこともあろう ことを 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

6. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

シー政権がドイツに協力していたからだ。大東亜共栄圏のスローガンとは 裏腹に、日本に利益がある場合はヨーロッパ帝国主義のアジア支配を認めた のである。日本によるフランス植民地統治の容認は、 1944 年 6 月以降のフ ランス解放後ドゴール派の圧力が植民地政権におよぶにつれて揺らぎだし、 1945 年 3 月 9 日「明号作戦」 ( 第 13 問 ) でフランス軍を武装解除・抑 留したときまで続いた。日本都合によって帝国主義植民地政策を認めたり認 めなかったりするニ重基準 ( ダブルスタンダード ) の欺瞞があからさまに見 てとれるだろう。 それだけに、日本は大東亜共栄圏思想の誠実性を表面上繕うのに躍起だっ た。日本のラジオがヒトラーの死を報じた 5 月 2 日、鈴木貫太郎首相がラジ オで語った言葉が、それを物語っている。「わが戦争目的が大東亜、ひいて 世界において道義に基づく共存共栄の真の秩序を建設せんとする人類正義の 大本に立脚するものであるので、欧州の戦局の急変によって、わが国民の信 念はいささかも動揺するものではない」。かりに「動揺」が生するとしたら あくまで東亜で起こる劇的事件によってのみ。仏領インドシナ進駐や明号作 戦に見られるように実際にはヨーロッパの戦局によって日本の東亜戦略は大 いに左右されたのだが、「大東亜共栄圏」の名目にとっては、ヨーロッパの 戦争は無縁でなければならなかった。ドイツ降伏を、原爆投下に匹敵するロ 実として戦争終結の好機とする理屈は成り立ちょうがなかったし、事実どの 政治家の頭にもそれは思い浮かばなかった。のみならす第 13 、 24 問で見 ドイツ降伏は連合国の戦気運のきっかけとして日本の休戦工作 たように ( 降伏ではなく ) にとって好機と考えられさえしたのだ。 前問と本問の考察を合わせるとこうなる。 1945 年 5 月 8 日以前には、日 本は道義上、継戦せざるをえなかった。そこまで継戦した以上、 5 月 8 日以 後も、ただちに大東亜共栄宣伝を放棄する名目は立たなかった。となると結 局、原爆投下への道は、 1941 年 12 月 1 1 日の単独不講和協定調印のとき に決定してしまったことになる。日本政府とアメリカ政府の自由意思が効か ないところで、不可抗力として原爆投下という劇的終結が決定されてしまっ こから、あの戦争の推移からして原爆投下は必然であり誰が たのである。 悪いのでもない、という一種の「天災論 ( 宿命論 ) 」が帰結する * 。 日本政府にも原爆投下を阻む政策が残されていなかったとなると、アメリ 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

7. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

付録 2 カイロ宣言 1943 年 12 月 1 日発表 ルーズベルト大統領、蒋介石大元帥およびチャーチル総理大臣は、各々の軍事顧問・外交顧問 とともに北アフリカで会議を終了し、次の一般声明を発した。 各軍事使節は、日本に対する将来の軍事行動を協定した。三大連合国は、海、陸、空から、そ 協調し、日本の無条件降伏をもたらすに必要な真剣かっ持続的な作戦を断固として続けるであろ これらの諸目的を視野に、三大連合国は、ワシントン宣言署名国のうち日本と交戦中の諸国と 期に朝鮮を解放し独立させることを決意している。 ら日本は駆逐されるであろう。前記三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意しており、適当な時 これが連合国の目的である。さらに、日本が暴力または貪欲によって奪取した他の一切の地域か 台湾、澎湖島のような日本が清国人から奪い取ったすべての地域が中華民国に返還されること。 大戦開始以後に日本が奪取または占領した太平洋の島々すべてを日本は剥奪されること、満洲、 のために利得を欲することはなく、領土拡張の意図があるわけでもない。 1914 年の第一次世界 三大連合国は日本の侵略を阻止し罰するためにこの戦争を戦いつつある。三大連合国は、自国 の野蛮なる敵国に対し容赦ない圧力を加える決意を表明した。この圧力はすでに増大しつつある。 つ。 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

8. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

/ 62 原爆投下は真珠湾攻撃の報復か ? 自然主義の誤謬逆ポストホックの誤謬わら人形論法 アメリカが原爆の投下目標を日本にしたのは、真珠湾の復讐という 動機があったのではないか ? 国内世論向けのパフォーマンスだった のではないか ? 現にトルーマン大統領は、広島壊滅の直後のラジオ声 明で、「われわれは真珠湾の報復を果たした」と宣言し、続くいくつか の機会にも、真珠湾への報復を強調している。しかし、報復などとい う理由が、重大な政策決定に反映されてよいのだろうか。同盟国もなく、 空襲と海上封鎖によって追い込まれた日本を降伏させるのに、原爆が はたして「必要」だったのだろうか。国内世論の高揚を狙うという目 的は「必要」のうちに人るまい。戦争より政治を優先しすぎた大統領 および国務省の誤りだったのではないか。 復讐のような悪しき目的、政権の人気取りのような重要でない目的 のために、不必要な大量殺戮を行なったのだとしたら、まぎれもなく 邪悪以外の何物でもないだろう。この原爆投下批判に対して、肯定派 はどう反論できるだろうか。 答え アメリカは世論を大切にする国である。民主主義国は国民の支持がないと 戦争は遂行できない。ドイツ、ソ連、日本のような全体主義国家にはない余 計な苦労をアメリカの戦争指導者は背負い込まねばならなかったのだ ( もと もと、工業生産力で 10 倍以上の差があり物理的には勝ち目のない対米戦争 を日本が決意できたのも、世論に左右される民主主義国の弱点をあてにした ところが大きい ) 。 しかし世論が重要であるだけに、国民向けの「理由づけ」が真の理由を表 現しているとはかぎらないだろう。「真珠湾の報復」というのは、政治感覚 も情報も十分に持ち合わせない庶民に対して、わかりやすい説明を提示した 0 4 6 あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学

9. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

問で見た「復讐」「カの誇示」という褒められざるべき動機がそれこそメイ ンだったことになる。無用の殺戮を目的とした原爆投下は断罪されるべきだ しかし肯定派もそれなりの反論を持っている。第一に、デモンストレーショ ンだけで日本を降伏させられただろうかという問題。第二に、不発だった場 合取り返しがつかなくなるという問題。第三に、機密保持の問題。第四に 原爆が戦後世界で平和維持のために担う役割をめぐって。 第一の論点。戦争に直接使わすデモンストレーションにとどめるというの は、弱腰であると見られはしないか、という懸念があった。天皇制の容認を ポッダム宣言に明言しなかったことも同じ動機による。話し合いでの和平を アメリカが求めているかのようなポーズをとることは、これまでの勝利の意 義を無にしてしまうことになる。ただでさえアメリカ世諭の朏戦気運を期待 している日本に対し、アメリカ政府の断固戦う決意を疑わせる余地を与え、 日本国内の継戦分子を勇気づけるような「弱い態度」を見せることは、アメ リカにとって厳禁だったのだ。 第二に、実験失敗の可能性も深刻である。万一デモンストレーションがう まくいかす、不発だったり印象の薄い爆発にとどまったりしたら、逆に敵に 侮られ、終戦を難しくしてしまう。現に、 1946 年 7 月 1 日、事前広報のさ れた初の原爆実験、つまり長崎後の初の核爆発であるクロスロード作戦 ( ビ キニ環礁 ) では、 1 発目の原爆が風のために標的を大きく外れ、「この程度 の威力か」と失望させるビジュアルしか提示できなかった。 さらに、原爆が実力どおりの威力をもたらしたとしても、それが心理的効 果に繋がっただろうか。たとえば原爆を予告とともに富士山に落としてみせ たとしたらどうだろう。たしかに富士山は形が変わるはど破壊されるかもし れないが、だからどうだというのか。日本政府も軍も、「これがもし都市に 落とされていたら・・・・・・」と慄然として降伏するだろうか ? むしろ「敵は都 市に落とす度胸がない証拠だ。国際世論というものがあるからな」と高をく くるのが関の山ではないだろうか。かりに破壊力を正確に認識したとしても、 日本政府は少なくとも国民の手前、たかが山一つ壊されたくらいで降伏する とは言えなかったはすである。終戦の詔勅が「残虐ナル爆弾」「頻ニ無辜ヲ 殺傷」と敵に人道的責任を負わせて「萬世ノ為ニ大平ヲ開カムト欲ス」と面 0 6 6 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問

10. 戦争論理学 : あの原爆投下を考える62問

が飛行場爆撃から市街地爆撃へと戦略を切り替えたとき、人命の損失は増え たが抗戦がやりやすくなったと安堵の心情を述べていたのである。 広島・長崎は、事情がまったく異なる。日本国民の戦ムードを煽ること よりも、日本政府の降伏の決意を後押しするのが目的だった。さらに言えば、 天皇が政治に介人する大義名分を与えて、日本国内の抗戦分子を無力化する のが目的だった。この点では、戦争たけなわの頃の通常戦略爆撃よりも、戦 争末期の政治的な原爆投下策のほうが、より合理的だったと言うことができ る。 ☆第ニ戦線・・・ドイツ軍・東欧枢軸車の攻撃を一身に浴びていたソ連が、米英に要求しつ づけた軍事行動。米英軍は地中海方面で独伊軍と戦っていたが、西ョーロッパ平野部でド イツ軍主力と戦わないことにはソ連の負担軽減にならなかった。 1942 年 5 月にルーズベ ルトはソ連に対し年内の第二戦線開設を約束していたが、チャーチルの意向で延期に延期 を重ね、 1944 年 6 月にようやくノルマンティー上陸で実現した。「第二」戦線とは、地中 海作戦の次に米英が作った戦線という意味ではなく、主戦場たる東部戦線 ( 独ソ戦争 ) を 支援する戦線という意味である。 / 62 ・ C ・グレイリング「大空襲と原爆は本当に必要だったのか」河出書房新社 たという事実を指摘するだろう。原爆攻撃の対象が初めて記録に登場 肯定派はこれに対して、原爆計画ははじめから日本を対象にしてい たのだ、と。 ドイツ降伏後は必要なくなった。対日戦にあえて使用する必要はなかっ タン計画はナチス・ドイツの原爆開発に対抗するためのものであって、 である。否定派の好む主張として、こういうのがある。もともとマンハッ いところに落ち着くパターンとなったが、否定派の論拠はきわめて豊富 前問では、否定論の地歩固めを試みながら却って肯定論の確認に近 ポストホックの誤謬 く目標・日本〉は人種差別だから許せない ? 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問