2 2 5 5 6 被爆者のことをさらによーく考えると ? 長崎の悲惨なビジュアル資料が人々を震撼させ続けているおかげかもしれな い。核時代の黎明、核兵器の破壊力がまだしも最小だった時期において早々 に都市へ使用されその残虐さが公示されたことにより、核兵器の威力が増し てからの実戦使用が防がれている。これはよいことだったと言えないだろう か ? 前段落の議論は、肯定派の本心ではない。前段落の議諭は、「誤った前提 への依存」 ( 第 35 、 50 問 ) である。「リアルなビジュアルが与えられて 初めて人々は開眼する」という誤った前提 ( 望ましくない不合理な前提 ) に もとづいているからだ。よって、前段落の議論で原爆投下を正当化すること はできない。前段落の議論の眼目は、扇情的なビジュアル資料が重要である という「誤った前提」に固執する否定派こそが原爆投下の存在意義を肯定せ ざるをえなくなる、と指摘することだった。リアルなビジュアル資料をもた らして後代の巨大核戦争を防止してくれていることに対して、広島・長崎の 惨害は積極的な効用を持つ。リアルなビジュアル資料で思い知らないかぎり 心底怖れることのできない生き物が人間なのだとすれば、核戦争はいつか一 度は起こらざるをえなかったことになるからだ。何千万人や何億人ではなく、 何十万人の死でその「通過儀礼」を済ませることができたという点で、広島・ 長崎の予防ワクチン効果は肯定すべきものになってしまうのである。 繰り返すと、肯定派の本当の主張は「核戦争の恐ろしさを実感するのに実 体験やビジュアル資料など要らない、統計数字と想像力さえあればよい」と いうものである。「そうではない、リアルなビジュアルが重要だ、倫理的認 識の質を変えるほど重要だ」と言い張る否定派は、予防ワクチンとしての広 島・長崎の惨害をむしろ肯定せざるをえなくなり、自爆する運命にあるので ある * 。 マ予防ワクチン論ブーメラン効果 * 論敵の論拠をそのまま逆用して論敵を不利に陥れるこの予防ワク チン論は、しばしば「ブーメラン効果」とも呼ばれる。重慶空襲の無 差別爆撃で日本がさかんに用いた正当化の議論 ( 第 1 問 ) がそのまま、 アメリカ軍による日本空襲の正当化に使われることを日本自身が甘ん
め、相模湾においては凄惨な毒ガス戦・原爆戦が展開されたおそれがある。 一般国民 ( 国民義勇隊 ) の大規模な狂信的・自殺的な抵抗に遭った場合には なおさらだろう。 また、いすれ必然的だったソ連参戦がなされれば、「ソ連参戦でただちに 日本降伏」という政治的に由々しき事態を避けるため、アメリカはオリンピッ ク作戦準備完了前であっても毒ガス使用を急いだだろう。 このように、広島・長崎の原爆投下を思いとどまった場合は、アメリカ軍 はさらに嫌悪すべき戦術をとりとめなく用いることを余儀なくされ、アメリ 力の倫理的イメージはいっそう悪くなったはすだ。広島・長崎へのワンツー パンチ・ノックアウトのイメージよりかなり悪い。ローマ法王庁その他国際 世論による非難も、原爆投下のときの比ではなかったのではないか。戦後国 際世界の再建にも相当マイナスに働いただろう。 大西比呂志、栗田尚弥、 / 」颯秀雄「相模湾上陸作戦ーーー第ニ次大戦終結への道」有鱗新書 「ジャパニーズ・エア・パワーーー米国戦略爆撃調査団報告日本空軍の興亡」光人社 吉見義明「毒ガス戦と日本軍」岩波書店 中国新聞社「ヒロシマ平和メディアセンター」 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/ 3 / 62 かん 「君側の奸」が聖断を歪めている ? 意図の再定義アドホックな仮説論点先取の誤謬 日本本土上陸作戦はたしかに悲惨な選択肢だったかもしれない。し かし、原爆投下が正当化されやすいのは、その日本本土上陸作戦とい うきわめて大きな犠牲の予想される選択肢と比べすぎるからではない だろうか。ダウンフォール作戦は可能な選択肢のうちで最も悪い選択 肢である。あえて最悪の選択肢と対置して原爆投下を評価するのはフェ アではない。「わら人形論法」 ( 第 9 問 ) にあたる。 そもそも、ダウンフォール作戦など本当に実行されただろうか。は たして「本土決戦」はありえたのだろうか。原爆投下がなかったとして、 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
54 被爆者のことを考えても原爆投下を肯定できるのか ? 危険である。その態度が蔓延すると、戦争が見くびられることで勃発しやす くなり、大規模戦争も起こりやすくなり、いったん大規模戦争か始まれば、 平和時の核兵器製造・使用の禁止協定などどの国も守らなくなるだろう。守っ ていたら戦争に勝てないからだ。 したがって、原爆投下否定論が信じられると、結果として原爆が使用され やすくなるという逆説が生する。第 49 ~ 53 問で想定した因果関係とはまっ たく逆である。肯定論のはうが、戦争の理不尽さを訴えるには有効なのであ り、結果として核戦争の防止にも役立つのである。ビキニ水爆実験で第五福 竜丸が被爆した翌年の 1955 年に公表された「ラッセル・アインシュタイ ン宣言」が決して反核声明ではなく、反戦声明になっているのはそのためだ。 実際、ラッセルは宣言の中で、「戦争になったら核兵器使用をするのは合理的 である」と認めるような書き方をし、逆に戦争の恐ろしさを強調しているの である。 第二次大戦の原爆投下に戻って確認しよう。 「広島・長崎への原爆投下は間違っていた」という主張は、第二次大戦の 生起そのものの正当化に結びつきやすい。 ( あの戦争は原爆抜きでもっとう まくやれたのに 「広島・長崎への原爆投下は正しかった」という主張は、第二次大戦の生 起そのものへの批判、否定、非難を導きやすい。 ( あんな蛮行を正当化して しまったあの戦争そのものがどだい間違っていたのだ・ 被爆者の体験談、悲惨な写真、映像によってたじろぎ、沈黙し、原爆肯定 論の可能性すらタブー視して封印し、議論を控えてしまうと、「このような 悲惨な被爆をもたらした核兵器さえ禁止されれば、戦争それ自体は仕方ない のでは」という危険な戦争肯定論が忍び込むことへのセンサーを鈍らせ、警 戒態勢をとりづらくしてしまうのである。 背理法による以上の認識は、序章以下何度か批判してきた「完璧主義の誤 謬」ではないことにくれぐれも注意しよう。すなわち、「原爆投下は正しかっ た、なせなら絶対悪の戦争そのものが起きてしまったのだから、あとはもう 何でもありの無秩序プチ切れ状態が是認されるからだ」という極論 * * * で はない。戦争が始まっても、戦争努力とは無縁なホロコーストのようなもの は依然として容認されまい。戦争努力の合理的な帰結として原爆投下のよう
しれないのだ。 たとえば、時計の表示が午後 5 時をすぎると空が暗くなるという相関関係 があるからといって、時計を 5 時で止めれば夜が来ないようにできるかとい うと、そんなことはない。時計が太陽の原因なのではなく、むしろ地球の自 転という共通原因が時計の設計と太陽の動きを生み出しているにすぎない。 同様に、心理的性質を司る特定の遺伝子群が、肯定論と将来の核兵器使用容 認とをともに抱く性格を生み出しているだけで、肯定論と将来の核兵器使用 容認との間に直接の因果関係はないかもしれない。だとすると、否定論を信 じていた人が肯定論へ説得されても、遺伝子そのものは変わらないのだから、 将来の核兵器使用否認から容認へ変わるとはかぎるまい。この場合、肯定論 は核兵器使用容認の原因ではないので、実践的には免罪されるだろう ( ただ しもともと肯定論に立っていた人は生まれつき「危険思想の持ち主」である 確率が高いと思われても仕方ないことにはなるかもしれない ) 。 さて次に、肯定論の支持と、将来の核兵器使用容認との間に、因果関係が あることがわかったとしよう。しかもその因果関係が広く認識されたとしよ う。つまり世界中の人々は、とくに被爆国である日本国民の大多数は、「広島・ 長崎への原爆投下を正当だったと容認する」ような議論が広まると、それだ け「将来の核兵器使用」を受け容れるような気にさせられるのであり、かっ、 そのことを人々は心配するものだとしよう ( それゆえに肯定論の評判が悪い のは当然というわけである ) 。 実際、久間章生元防衛大臣の「原爆投下はしようがなかった」発言 (2007 年 6 月 30 日の講演会 ) に対して日本国内で起きた囂々たる非難は、久間の 肯定論が「危険な影響」をもたらすという危惧感にもとづいていたようだ。 正確には、被爆者の苦しみに対する配慮のなさを咎める倫理的非難、被爆国 の立場を忘れてアメリカの戦略に不当に媚びているという政治的非難、現職 の防衛大臣が核使用を認めるとは何事かという実践的危惧感の三つが混合し た反響だったのだろうが、そのうち最も深刻なマイナス面と見られた実践的 危惧感が、今考えている「肯定論の危険な影響」である。 久間発言への日本世論の反応から見ても、「広島・長崎への原爆投下の容認」 が「将来の核兵器使用の容認」をもたらすものと思われやすい、ということ は否定しがたいようである。そこで今度は、「そのような影響や理解は間違 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
0 5 0 3 3 軍事目標としての広島・長崎の妥当性は ? 1945 年 8 月の日本は、軍事的には壊滅しており、アメリカもそれは認識 していた。したがって、原爆の客観的意義は、軍事的な狙いというよりは、 政治的な目的のはうにあった。そのための投下目標は、軍事的に重要な場所 である必要はなかった。要は、日本が戦争をやめる理由をアメリカが提供す る、ということだった。その意味では、そもそも「広島と長崎が軍事的に重 要だったとアメリカが認識していたかどうか」自体がとるにたらない問題と なる。すなわち、戦略爆撃として最も大がかりな意図ーーー「敵国政府そのも のに直接アピールする」戦略上の意図ーー - を持った爆撃が原爆投下だったこ とを考えると、単に無差別爆撃の是非という問題を超えた議論が必要となる のだ。議論の焦点は、軍事でなくもつばら政治に絞られねばならない。 概して、軍事より政治の比重が大きくなるのは、決着がついたも同然の戦 争末期である。軍事の比重の大きな段階においては、政治的な戦略爆撃は、 勝利をもたらす策としてさほど有効ではない。重慶爆撃では、空襲後の市民 救護に国民党兵士が「助民隊」として活躍したことで、国民党への民衆の信 頼を増して抗日で団結させ、蒋介石の権力を絶頂に押し上げた。 ドイツによ るロンドン空襲にしても、ロンドン市民の戦意が喪失させられたという事実 はまったくなかったし、戦争中期までのドイツ諸都市への爆撃でも同様であ る。 枢軸国軍の攻撃の大半をソ連が単独で被っていた 1942 年 8 月、初めて チャーチルがモスクワへ飛んでスターリンと会談したときの話。第二戦線☆ 開設は本年度中は無理だと聞いてスターリンは怒り、きわめて険悪なムード になったが、チャーチルが「上陸作戦は無理であるかわりに、イギリス空軍 が空爆でいかに多くのドイツ人を殺せるか」を語り始めたところ、スター リンは急に機嫌がよくなり、それから和やかなムードで会談は進行したとい う。しかし、無差別爆撃での都市破壊は、敵国を壊滅させるイメージが強い わりには、戦争遂行能力を奪う能率が低い。英空軍によるドイツ都市空爆は、 むしろナチと反ナチを結束させる役に立ち、国内の反ヒトラー派の運動を抑 える結果になってしまったと言われる。空襲後の市民救済措置においてナチ スがきわめて能率よく働いたため、もともとナチスを快く思っていなかった 人々も含めドイツ市民の信頼をますます勝ち取る結果となったのは重慶爆撃 バトル・オブ・ブリテン とまったく同様だ。チャーチル自身、 2 年前の英本上航空戦で、ドイツ空軍
側でなく検察側 ( 民事では被告ではなく原告 ) ということになってい る ( 「疑わしきは罰せす」 ) 。したがって、もしも被爆者がアメリカ政府 を相手取って賠償請求の訴訟を起こせば、本書での議論とは正反対に、 原爆投下否定論のほうに立証責任が負わされることになる。ちなみに、 日本政府が被爆者援護法を施行して補償していることは、倫理的とい うより政治的な措置なので、アメリカでなく日本が罪を負うべきだと いうく原爆投下肯定論の是認〉には必すしもつながらない。 「凄戦ガダルカナルドキュメント第 2 次世界大戦 1 」コスミック出版 [DVD] 蚣前田哲男「戦略爆撃の思想ーーゲルニカ・重慶・広島」凱風社 2 2 ,/62 「罪のない一般市民」とは誰だろう ? 答え じればよいだろうか。それぞれに対して、二つのやり方を考えてくだ 前問で見た肯定派の二つの反論に対して、否定派としては、どう応 事実と価値アナロジーの誤謬 二つの方針が考えられる。 第一の反論「無差別爆撃は必すしも悪くない」への再反論としては、次の 撃は悪いと論する。 直接戦闘に参加していない一般市民に罪はないので、やはり都市爆 いう事実は否定できないにしても、生活のために働いているだけで、 「軍需生産が住宅地で行なわれていた」「一般市民が兵士同然だった」 兵士同然だった」という事実を否定する。 1 . その理由である「軍需生産が住宅地で行なわれていた」「一般市民が 2 . 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
事項名・人名索引 ※頻出語である「原爆投下」「広島」「長崎」「日本」「肯定論」「否定論」は索引から除外し、「アメリカ」「イギリス」 あ アイゼンハワードワイト・ディヴィド アインシュタインアルバート アウシュピッツ 朝日新聞 アジア太平洋戦争→大東亜戦争太平洋戦争 「新しい対ソ作戦要領」 厚木飛行場 ( 厚木基地 ) アツツ アトミック・ソルジャー 阿南惟幾 アーノルドへンリー アメリカ在郷軍人会 アメリカ戦略爆撃調査団 ( 報告 ) アンスコムエリサベス 鞍山製鉄所 イタリア 井田正孝 伊勢崎 イスラエル イズベスティヤ 石原莞爾 ィーサリークロード 伊号第 58 潜水艦 威興 威嚇 硫黄島 慰安婦 慰安所 インドシナ→仏印、ベトナム インド インディアナポリス ( 巡洋艦 ) イラク戦争 夷をもって夷を制す 慰問袋 伊藤整一 一撃論 ( 最後の一撃 ) 一号作戦→大陸打通作戦 一億玉砕 イタリアの休戦協定 ェイズ ウラン型 梅津美治郎 ウェデマイヤーアルバート C ウェップウィリアム ヴィシー政権 インパール作戦 インドネシア A 級戦犯→平和に対する罪 英本土航空戦 ( パトル・オプ・プリテン ) 江戸幕府 択捉島 工ノラ・ゲイ AP 通信 援蒋ルート 厭戦 汪兆銘 オウム真理教 大江健三郎 大阪空襲 戦争論理学 29 , 35 , 51 , 52 , 243 , 248 , 249 36 , 215 , 231 9 63 , 135 , 253 187 172 , 252 174 30 169 , 170 39 1 , 52 , 56 227 57 , 166 39 209 197 195 , 196 , 197 , 219 58 , 140 , 141 コ 42 , 174 , 211 , 212 , 229 , 237 67 , 75 , 76 , 78 , 82 , 126 , 236 , 245 , 246 , 247 187 58 30 45 , 186 83 9 , 231 92 142 35 , 42 , 43 , 44 , 60 , 63 , 80 , 94 , 95 , 112 , 1 1 3 , 127 , 243 , 244 , 247 243 , 244 83 , 85 , 93 , 159 63 , 158 88 , 115 , 158 , 171 139 195 175 55 , 58 , 59 , 152 , 230 39 0 , 43 , 48 , 63 , 148 43 , 63 , 119 , 120 , 123 48 , 58 , 63 , 140 63 119 , 163 109 , 131 44 , 127 249 71 , 230 231 33 9 , 10 , 24 45 124 30 , 232 231 42 , 43 18 , 34 , 61 , 62 , 66 , 99 , 1 20 , 133 , 158 48 , 114 29 92 あの原爆投下を考える 62 問
1 8 アメリカの国益追求って敵国日本にとっては・・ 伸張に日本が感じた恐怖」を挙げたが、アメリカにも中国にもまったく相手 にされなかった。もし戦争末期に米英の主敵がソ連に変化していたとするな らば、ましてや戦後においてはこの「日本の動機」をめぐる同情や意見対立 がわすかなりとも見られたはすだろう。それが一切なかったということは、 冷戦を経た私たちが思い込みがちなほどには、連合国対枢軸国の構図が東西 冷戦の構図へと急速に移り変わったわけでない、ということが見てとれよう。 ハリー・ s. トルーマン「トルーマン回顧録」恒文社 亠 8 アメリカの国益追求って敵国日本にとっては・・・ ノンゼロサムゲーム 原爆攻撃がソ連参戦に代わる効果をもたらすとトルーマンが考えた としても、ソ連参戦が「望ましくない」ことにはなるまい。安価な対 日戦勝利が主目的だったならば、ソ連参戦は原爆と相乗効果をもたら すがゆえに、依然歓迎さるべき出来事だったはすだ。ところが、トルー マンはソ連参戦の日、緊急記者会見の席で憮然と「ソ連が日本に宣戦 布告した。以上」とたけ述べて退席した ( 歴代大統領の記者会見の最 短記録 ) 。トルーマンが掌を返したようにソ連参戦を快く思わなくなっ た理由は、やはり、一貫してソ連を敵視していたことが最大の理由だ。 広島に原爆を投下した政治的効果を確かめる暇もなく間髪人れすに長 崎にも原爆を投下したのは、もはや対日戦勝利の節約というより、ア メリカの力を見せつけてソ連を牽制すること以外の意図は考えられな いのではないか。そんな利己的な国威発揚が、長崎の何万の人命に値 したというのだろうか。 答え 前問の答えで予告したうちの第二の前提を考える番である。「ソ連への威 /62
/ 62 原爆投下は真珠湾攻撃の報復か ? 自然主義の誤謬逆ポストホックの誤謬わら人形論法 アメリカが原爆の投下目標を日本にしたのは、真珠湾の復讐という 動機があったのではないか ? 国内世論向けのパフォーマンスだった のではないか ? 現にトルーマン大統領は、広島壊滅の直後のラジオ声 明で、「われわれは真珠湾の報復を果たした」と宣言し、続くいくつか の機会にも、真珠湾への報復を強調している。しかし、報復などとい う理由が、重大な政策決定に反映されてよいのだろうか。同盟国もなく、 空襲と海上封鎖によって追い込まれた日本を降伏させるのに、原爆が はたして「必要」だったのだろうか。国内世論の高揚を狙うという目 的は「必要」のうちに人るまい。戦争より政治を優先しすぎた大統領 および国務省の誤りだったのではないか。 復讐のような悪しき目的、政権の人気取りのような重要でない目的 のために、不必要な大量殺戮を行なったのだとしたら、まぎれもなく 邪悪以外の何物でもないだろう。この原爆投下批判に対して、肯定派 はどう反論できるだろうか。 答え アメリカは世論を大切にする国である。民主主義国は国民の支持がないと 戦争は遂行できない。ドイツ、ソ連、日本のような全体主義国家にはない余 計な苦労をアメリカの戦争指導者は背負い込まねばならなかったのだ ( もと もと、工業生産力で 10 倍以上の差があり物理的には勝ち目のない対米戦争 を日本が決意できたのも、世論に左右される民主主義国の弱点をあてにした ところが大きい ) 。 しかし世論が重要であるだけに、国民向けの「理由づけ」が真の理由を表 現しているとはかぎらないだろう。「真珠湾の報復」というのは、政治感覚 も情報も十分に持ち合わせない庶民に対して、わかりやすい説明を提示した 0 4 6 あの原爆投下を考える 62 問 戦争論理学
5 8 2 2 9 原爆開発は確かに科学的快挙だったが・・ 情に訴える議論」だからである。被爆者を代弁する人々は、広島や長崎の多 くの遺体や苦悶をひたすら拠り所にし、アメリカ退役軍人を代弁する人々は タラワ、ペリリュー、硫黄島などで戦死を遂げた戦友たちの無念と誇りを背 負っている。論理構造を持たない主張どうしは、和解にも相互理解にも達す ることができない。無矛盾な歩み寄りには、知的な認識構造の修正が必要と されるからである。 マーティン・ハーウィット「拒絶された原爆展」みすず書房 朗「戦記映画復刻版シリーズ」全 20 巻、日本映画新社、コニービテオ [DVD] 佐藤壮広「「巫者の平和学」試論 - ー一死者の感受と沖縄からの平和祈念」「平和研究』第 32 号 早稲田大学出版部 S 8 /62 原爆開発は確かに科学的快挙だったが・ 努力の美徳性規則功利主義 たとして、イメを殺す気になる人がどれだけいるだろうか。アフリカのよう アフリカの 10 万人の子どもが飢えから救われる、という保証がかりにあっ き起こす気になる人はたしかに稀である。あなたが飼っているイ . ヌを殺せば いかに大きな利点と引き換えであっても、眼前のリアルな無残をあえて引 答え 人間としてそんな心理が可能になった理由を知りたい」 したらやすやすと実行できたのだろうか ? 戦略的な是非は別にして、 もの人々に致死的障害を負わせるような兵器の使用を、いったいどう 「いかなる利点が見込まれたにせよ、何万人もを即死させその何倍 純粋に心理学的要因に照らして、次の疑問を考えよう。 こでは、感情に訴える議論とは異なる方向から、 まで理屈の上である。 て正当化される、というのが本書の結論になりそうだ。しかし、あく 原爆投下は、より大きな惨害を防ぐための「緊急避難」の措置とし