0 9 5 2 2 超自然頼み、そもそも無条件降伏要求のせいでは ? いる ( 第 8 問で見た地中海戦域優先戦略の誤りを加えると、戦争は計 2 年延 びたことになる ! ) 。連合国の無条件降伏要求を意識して、すぐ後のナチス 党大会で宣伝相ゲッペルスはヒステリックな徹底抗戦の演説をしているし、 いまいち戦果の乏しかったイタリア軍ですら俄然必死に戦いだしたという。 とくに、 ドイツ国内には反ヒトラー派が少なからす存在していたのに、無 条件降伏要求によって、反ナチも戦争に協力する気運ができてしまった。反 ナチ・親ナチ問わすドイツ人すべてを一蓮托生に追い込んでしまったのだ。 実のところ、 1943 年春という早い段階から、後にヒトラー暗殺未遂に携わ ることになるドイツ国防軍一派により、西部戦線での和平が打診されていた。 条件は、非ナチス化したドイツ軍と米英軍が合同で、ソ連軍の西進を食い止 めること。ナチス打倒のこの絶好の機会を、無条件降伏にこだわるルーズベ ルトは蹴ってしまう。つまり、政治、経済、心理、軍事という四つの要素の うち、特に重要な「政治的手段」によって敵国の内部分裂を謀る理想的な戦 略があったというのに、それは顧みられす、もつばら軍事によって枢軸国を 撃破する方針を連合国は明言してしまったのである。これは、いたすらに選 択肢を狭めた姿勢であり、無駄な出血を双方に強いることになった。 無条件降伏の要求は、はとんど必然性も必要性もなく発せられた。もとも とドイツも日本も、アメリカやイギリスを占領する意思などなく、全面勝利 を目指す意図もなく、戦況有利な段階で適当な講和を結ぶつもりだった。東 部戦線と日中戦争に関しては事情は異なっていた ( とくに独ソ戦では民族絶 滅戦が唱えられていた ) が、いかにルーズベルトが親ソ派かっ親蒋介石派と はいえ、ソ連や中国のために枢軸国と無用な流血を続けることを望んだとは 思われない。無条件降伏という、枢軸国側としては要求することもされるこ とも考えていなかった厳しい声明があの段階で突如ルーズベルトの口から発 せられた理由は、まことに謎なのである ( ーっの仮説は第 41 問で示す ) 。 日本においては、太平洋戦争末期にこの無条件降伏要求の悪影響が表われ てきた。アメリカは日本国内の和平派と継戦派の対立を利用して、和平派を 激励するような外交攻勢をかける手があったのに、それをせすに無条件降伏 の要求をひたすら繰り返した。こうして天皇制保持に言質が与えられなかっ たために、日本国内では継戦派が「国体が護持されない」との理由を掲げて 継戦論に説得力を持たせることができたのである。和平派の巻き返しのため
の軍需産業を叩くことはできす、戦略爆撃が結果的に無差別爆撃になるのは やむをえなかった一一そういう反論である。 戦争遂行能力破壊 ( 軍事機能破壊 ) のような主目的と、市民殺傷のような 副次的効果とがともに重大である行為は「ニ重効果」を持つ行為と呼ばれる。 意図されない副次的効果で生じた惨害は、主目的に伴う誤差であり、意図的 な殺人とは倫理的に区別されるべし、というわけだ。 この「二重効果」による戦略爆撃擁護論は、日本自身が長らく主張してき た議論だった。 1937 年 9 月 28 日、国際連盟総会が 23 国諮問委員会の対 日非難決議案を全会一致で可決した前日、日本政府は、外国人記者団に対し て次のように説明している ( 外務省情報部長談話 ) 。 「・・・・・・南京広東両市においては軍事施設および軍事関係建造物、換言すれ ば適性を有する建造物および施設が一般市民や営業者と截然分離された地域 になく、それらと混在している。 これがため市中の爆撃は故意に非戦闘 員を目標とする爆撃であると誤信し、日本軍を非難しているのは失当の非難 といわねばならぬ」。 さらには、日本では、女も子どももみな、国民すべてが戦争協力するのだ という「総力戦」の思想が国民に叩き込まれていた。国家総動員法によって、 兵士と市民の区別は建前上なくなったのであり、だからこそ、本土決戦 ( 日 本側の暗号名は「決号作戦」 ) では女は竹槍で戦えと指導され、実際に沖縄 では多くの民間人が戦って死んだのである。このような国策をとる相手に対 しては、戦略爆撃は、市民の殺傷を伴うのもやむをえないのではなかろうか。 一般市民自身が兵士と同様の自覚を持たされていたのだから。 ( 「総力戦では 市民の被害もやむをえない」という考えは、広島で被爆したドイツ人神父ジョ ン・ジームスもアメリカ軍からのインタビューで述べている ) 。 以上が、「無差別爆撃は必すしも悪くない」論である。 さて、第二の反論は、原爆投下は無差別爆撃ではない、と論じることだ。 ただし、現実の原爆の広範囲の破壊力に照らすと、無差別ではないと言い切 るのは難しいかもしれない。その場合は、「原爆投下は無差別爆撃だったと しても、悪いとされる通常の無差別爆撃とは違う」と論じる手がある。無差 別爆撃の例外なのだ、と論じるわけだ。この論じ方は、「無差別爆撃は悪い」 という相手の主張を自分が認めるかどうかにかかわらす、反論となりうる論 0 2 0 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
が飛行場爆撃から市街地爆撃へと戦略を切り替えたとき、人命の損失は増え たが抗戦がやりやすくなったと安堵の心情を述べていたのである。 広島・長崎は、事情がまったく異なる。日本国民の戦ムードを煽ること よりも、日本政府の降伏の決意を後押しするのが目的だった。さらに言えば、 天皇が政治に介人する大義名分を与えて、日本国内の抗戦分子を無力化する のが目的だった。この点では、戦争たけなわの頃の通常戦略爆撃よりも、戦 争末期の政治的な原爆投下策のほうが、より合理的だったと言うことができ る。 ☆第ニ戦線・・・ドイツ軍・東欧枢軸車の攻撃を一身に浴びていたソ連が、米英に要求しつ づけた軍事行動。米英軍は地中海方面で独伊軍と戦っていたが、西ョーロッパ平野部でド イツ軍主力と戦わないことにはソ連の負担軽減にならなかった。 1942 年 5 月にルーズベ ルトはソ連に対し年内の第二戦線開設を約束していたが、チャーチルの意向で延期に延期 を重ね、 1944 年 6 月にようやくノルマンティー上陸で実現した。「第二」戦線とは、地中 海作戦の次に米英が作った戦線という意味ではなく、主戦場たる東部戦線 ( 独ソ戦争 ) を 支援する戦線という意味である。 / 62 ・ C ・グレイリング「大空襲と原爆は本当に必要だったのか」河出書房新社 たという事実を指摘するだろう。原爆攻撃の対象が初めて記録に登場 肯定派はこれに対して、原爆計画ははじめから日本を対象にしてい たのだ、と。 ドイツ降伏後は必要なくなった。対日戦にあえて使用する必要はなかっ タン計画はナチス・ドイツの原爆開発に対抗するためのものであって、 である。否定派の好む主張として、こういうのがある。もともとマンハッ いところに落ち着くパターンとなったが、否定派の論拠はきわめて豊富 前問では、否定論の地歩固めを試みながら却って肯定論の確認に近 ポストホックの誤謬 く目標・日本〉は人種差別だから許せない ? 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
4 8 原爆投下の政治経済的影響って結局 ? ルガリア、ハンガリーなどが戦後あっさりとソ連の衛星国になった一因は、 ソ連軍の地上侵攻時に、「ソビエトは米英のように一般市民の殺傷はしない」 とプロバガンダを行なうことができたからだと言われる。市民に多くの犠牲 をもたらした米英軍の空襲が東欧諸国に根強い反米英感情を生み、それがソ 連の戦後戦略にとって有利に働いたのだ。 日本に関して言えば、アメリカ軍の戦略爆撃の効果は正反対だったと言え るかもしれない。戦後日本の親米的風土形成に最も貢献したのが、 B - 29 編 隊の威力と「美しさ」に対する日本国民の畏敬の念であったという多くの証 言があるのだ。在日ドイツ人神父ジョン・ジームス ( 第 1 問 ) も、緒戦で はアメリカを軽蔑していた一般市民が、 B ー 29 の空襲が始まるとアメリカ への尊敬を吐露するようになったと語っている。日本焦土作戦の実行者カー ティス・ルメイ ( 「鬼畜ルメイ」 ) が 1964 年日本政府から勲一等旭日大綬 章を授与されたのも、その傾向と無縁ではあるまい。 ただし、それらの事例をもって無差別爆撃や原爆投下の「善悪」を推し量 ることはできないだろう。ある短期的戦略が戦後にどのような長期的結果を もたらすかを予見することは不可能に近く、ともかく現下の戦争への効果を 考えることが優先課題だったに違いないからである。大戦後の偶然の環境的 要因にも左右される議論は措いておくべきだろう。 さて、当時の行為主体に対して未来を予見させる義務を負わせるのはむす かしいとしても、その義務を私たち自身が今、背負い込んでみる試みは重 要であるに違いない。すなわち、現在の私たちの議論そのものが将来にいか なる影響を及ばしうるかを考えることは重要だろう。それはもちろん、「 45 年 8 月の原爆投下の正当性を肯定する、あるいは否定することの影響」につ いて考察することだ。この考察は「 45 年 8 月の原爆投下の正当性」そのも のを直接肯定したり否定したりする論拠を与えはしないが、肯定派、否定派 の立論がもたらす効用や悪影響にそれぞれ自覚的になるためには不可欠の仕 事であると言える。 理論的認識にとって実践的配慮は不可欠である。あるいは少なくとも、理 諭的認識にとって実践的配慮が不可欠かどうかを考えることは不可欠であ る。次にそれを試みよう。 山本武利「ブラック・プロバガンダ」岩波書店 二一口
限定してしまったのである。 アメリカの犯したコンコルドの誤謬は、原爆投下とならぶものとしては、 硫黄島攻略が挙げられるだろう。硫黄島が堅固に要塞化されていることはア メリカにもわかっており、 こをわざわざ占領するにはそれなりの理由が必 要だった。太平洋ではおおむね、ヨーロッパでの「タコを殺すのに足を 1 本 1 本ちぎってゆく」 ( 第 8 問 ) ような戦いに比べて連合軍はかなり能率的 な戦いをしていた。北アフリカ戦に相当することをアジアでやるとすれば、 ます中国やマレー・インドネシアの日本軍を全部追い出してから日本本土 を攻略するという順になるが、アメリカ軍はそんな非能率に耽りはしなかっ た ( それをやれば中国の共産化を防いで戦後戦略に寄与したではあろうが、 勝利は大幅に遅れただろう・・・・・ ) 。日米の主戦場が海であることを利用して、 アメリカ軍はかなり賢い勝ち方をした。ヨーロッパ戦域のように敵部隊を虱 潰しにしてゆくようなことはせす、とくに強力な日本軍基地のある島へは空 襲と海上封鎖だけで孤立させ、素通りするという「飛び石戦術」で日本本土 に迫ったのである。おかげで、ラノヾウルやトラック島で待ち受ける十何万も の日本軍部隊は前線の背後にとり残されて自給自足の生活を強いられ、「武 装農民集団」と化して、終戦まで無為に過こすこととなった。太平洋には「日 本軍自身が作った捕虜収容所」が点々と残ったのである。 同じように素通りしようと思えば素通りできた硫黄島だが、なぜここをあ えて占領せねばならなかったのだろうか。東西 8km 、南北 4km という狭 い島のために、防衛軍 2 万人以上がはば玉砕、アメリカ軍は 7 千人近い死者 と 2 万 1 千を越える負傷者を出すという、単位面積あたりでは大戦中最も悲 惨な結末になった硫黄島戦。戦闘の間に死傷者数が報じられるたびに、アメ リカ国内では一般市民から非難と作戦中止請願が寄せられたという。 硫黄島の攻略にはそれなりの理由はあった。硫黄島は、 B - 29 基地のある マリアナ諸島と東京のちょうど中間に位置する要地だった。硫黄島占領で見 込める利益は主に四つ。①日本本土を空襲した B - 29 が被弾や故障のため マリアナまで戻れなくなった場合の着陸場となる、② B ー 29 に随伴する護 衛戦闘機の基地となる、③ B - 29 出撃に対し早期警報を日本本土へ送って いた硫黄島レーダー監視所を消去できる、④マリアナ B - 29 基地を日本軍 爆撃機が硫黄島経由で空襲していたのを封じる、など。つまるところ、ひた 1 4 0 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問
0 2 0 2 3 「罪のない一般市民」とは誰だろう ? この二つのうち、第一の反論は、当時の日本の工場分布や法律など、事実 を調べれば決着がつく。それに比べて、価値判断が人り込む第二の反諭は扱 いが難しい。 ます、「一般市民に罪はない」という命題が難物だ。「罪のない一般市民」 というフレーズは、都市爆撃への断罪としてよく持ち出される。しかし、「罪」 を持ち出すのは見当違いだろう。なせなら、国の命令によって戦場で戦って いる兵士にも「罪」はなく、罪ゆえに殺されるべき理由がないという点では 一般市民も兵士も違いがないからである。前線で撃ち合っている兵士の大多 数は、召集令状で集められた工員や販売員や学生など、もともとは都市や農 村の住民にすぎない。「罪」あるもの以外を殺傷してはならないとなったら、 侵略戦争を指令した独裁者をピンポイントで狙撃する以外の攻撃は悪とな る。戦場での発砲も爆撃もすべて犯罪行為となってしまうだろう。 戦争で、ある人が殺傷行為の対象にされても仕方ないかどうかは、「罪」 の有無によって決まるのではない。むしろ「危険性」の有無によって決まる のである。敵の兵士のうち誰一人罪ある者はいないとしても、こちらにとっ ては危険な存在であるがゆえに、戦争遂行上、敵兵は排除せねばならない。 よって、敵部隊の集結場所や司令部を爆撃しても「悪い」とは言われない。 一般市民も同様である。もしも危険な敵兵士の手にわたる銃や爆弾、また はその必須部品が敵国一般市民の住宅内で生産されているとしたらどうだろ う。その一般市民も「危険」であり、戦争遂行上、排除せねばならないこと になろう。 攻撃して排除するべき理由が、攻撃対象の「罪」なのか「危険性」なのか の区別はきわめて重要である。罪ある者も危険な者もともに排除の対象にな るからといって、その二つの性格付けを混同するのは「アナロジーの誤謬 ( 類 比の誤謬 ) 」である。「排除の対象」という共通性質 ( メタ性質 ) を根拠に、「罪」 と「危険性」という別個の性質を混同する誤りだ。アナロジーの誤謬は、美 と快を混同したり、善と利を混同したり、愛と欲を混同したり等々、価値概 念について犯されやすい。 戦争の場合は、よほど極端な侵略戦争の指導者を除いて、「罪」ではなく「危 険性」ゆえに相互に攻撃し攻撃されあう。東京裁判で 25 人の被告に有罪判
1 0 優れた将軍たちが反対したではないか ? パットンの機甲軍団が加われば日本本土上陸作戦も心強かったろうし、マッ カーサーの部下の犠牲も軽減されたことは必定だが、マッカーサーは効率よ りも自分の縄張りでの名誉を重んじたのである。マッカーサーは、比較的近 い戦域である中国戦線を司っていたジョセフ・スティルウェルが太平洋戦域 に加わることにすら難色を示したのだ。 ( 名誉を重んじたといえば、パット ンは「太平洋で戦えるなら降格になってもかまわない」と言ったという。 流の軍人は、母国が勝つだけでは満足できす、他ならぬ自分が戦い続けたい のである ! ) 。 週間前だった。陸軍司令官マッカーサーは、何としても自分が指揮するダウ もそもマッカーサーが原爆なるものの存在を知らされたのは、原爆投下の一 で見たように、原爆および B ー 29 が自分の権限下になかったからである。そ マッカーサーが原爆に否定的だったのはなせかというと、第 4 問・第 7 問 成功させたノルマンディー上陸作戦を上回る大上陸作戦を敢行して英雄にな かっての部下で今やライノヾルであるアイゼンハワーがヨーロッパで華々しく 着をつけたがっていた。それだけのことなのである。とくにマッカーサーは、 つまるところ、陸軍、海軍、航空軍の司令官がそれぞれ、自分の領分で決 点で原爆投下は最悪だった、と戦後に述べた。 カーティス・ルメイは、通常爆撃の成果をアメリカ国民の目から覆い隠した 績作りのためである。日本への無差別爆撃を推進した第 21 爆撃集団司令官 けることで日本は降伏すると主張した。陸軍から独立した空軍を創設する実 ヘンリー・アーノルド陸軍航空隊総司令官は、 B - 29 による通常爆撃を続 すると。 と主張した。これまでの延長で、海上封鎖を続ければ日本は干からびて降伏 令長官チェスター ーミツツ元帥は、ダウンフォール作戦も原爆も必要ない 他方、これまで太平洋の戦いの主流を担ってきたアメリカ太平洋艦隊の司 牲を極小に抑える自信があると主張した。 陸軍と共有していた。マッカーサーは、ダウンフォール作戦での連合軍の犠 いだったので、戦争はこれからが本番だという認識を、マッカーサーは日本 たかったのだ。戦争の決着はやはり陸戦である。今までは基本的に海軍の戦 コロネット作戦 [ 46 年 3 月 1 日予定の関東平野上陸作戦 ] ) で決着をつけ ンフォール作戦 ( オリンピック作戦 [ 11 月 1 日予定の南九州上陸作戦 ] 十
0 3 9 0 7 原爆投下は戦後戦略の一部だったのか ? 本に対して使っただろう。ただし人種差別ゆえではない」と推論すべ しかも二つ。どういう理由だろうか。 「ドイツ優先戦略」というのはあくまで戦略的・ ます確認しておくべきは、 答え き理由があるからである。 も、トラック島が目標とされたのは、不発の場合には海中に沈むから敵の手 なり恐れていたという記録がいくつかあるからだ。対日戦での使用について 不発警戒説は、かなり信憑性がある。アメリカが、原爆の不慮の不発をか あり、東条英機は細菌兵器の対米使用を禁じていた ) 。 されたが、報復として空襲時に稲に対する枯葉剤を散布されるという恐怖が 機によるものだ ( アメリカ攻撃用の風船爆弾に細菌兵器を積み込む案も検討 細菌兵器や毒ガスを使っていながら、対米戦では使わなかったのと同様の動 報復される怖れがあったというものである。これは、日本軍が中国に対して ことで、ドイツへの原爆使用は、万が一不発だった場合、不発弾を研究され いた。対象国としてドイツが不適当とされたーっの理由はよく言われている 同様に、原爆の使用対象国の選定についても、特別な考慮がさまざまに働 ルの誰一人、 B ー 29 を 1 機たりとも使うことは許されなかった。 た。対日戦の指揮権を 3 分割していたマッカーサーーミツツ、スティルウェ 直属となった。つまり、通常の航空軍のように戦域司令官に属すことはなかっ に展開していたアメリカ航空軍のうち唯一 B ー 29 の航空軍だけは陸軍航空隊 を集中使用してその実績を作ること。とくに集中使用の必要性から、世界中 がかかること、陸軍から独立した空軍を創設するための切り札である B ー 29 する。主な理由は、ヨーロッパ戦域の滑走路を B ー 29 用に拡張するには経費 陸軍航空隊総司令官アーノルドは、 B - 29 の対象国から正式にドイツを除外 撃が開始された。ヨーロッパ戦域で一度も B - 29 を使わないまま、 12 月に 九州の八幡製鉄所、スマトラのパレンノヾン油田、漢ロの港湾地帯などへの爆 を混乱させるフェイントで、インドから中国へと集結し、満州の鞍山製鉄所、 あんざん 第 1 号機が 1944 年 4 月にヨーロッパ経由で初飛行したが、それは枢軸側 操縦の防御砲火を備え、原価が B ー 17 の 3 倍もする最強の爆撃機 B - 29 は、 味ではないということである。たとえば B - 29 。最新の与圧システムと遠隔 政治的な立場であって、「最強力の兵器は対独戦に優先使用する」という意
0 5 0 3 3 軍事目標としての広島・長崎の妥当性は ? 1945 年 8 月の日本は、軍事的には壊滅しており、アメリカもそれは認識 していた。したがって、原爆の客観的意義は、軍事的な狙いというよりは、 政治的な目的のはうにあった。そのための投下目標は、軍事的に重要な場所 である必要はなかった。要は、日本が戦争をやめる理由をアメリカが提供す る、ということだった。その意味では、そもそも「広島と長崎が軍事的に重 要だったとアメリカが認識していたかどうか」自体がとるにたらない問題と なる。すなわち、戦略爆撃として最も大がかりな意図ーーー「敵国政府そのも のに直接アピールする」戦略上の意図ーー - を持った爆撃が原爆投下だったこ とを考えると、単に無差別爆撃の是非という問題を超えた議論が必要となる のだ。議論の焦点は、軍事でなくもつばら政治に絞られねばならない。 概して、軍事より政治の比重が大きくなるのは、決着がついたも同然の戦 争末期である。軍事の比重の大きな段階においては、政治的な戦略爆撃は、 勝利をもたらす策としてさほど有効ではない。重慶爆撃では、空襲後の市民 救護に国民党兵士が「助民隊」として活躍したことで、国民党への民衆の信 頼を増して抗日で団結させ、蒋介石の権力を絶頂に押し上げた。 ドイツによ るロンドン空襲にしても、ロンドン市民の戦意が喪失させられたという事実 はまったくなかったし、戦争中期までのドイツ諸都市への爆撃でも同様であ る。 枢軸国軍の攻撃の大半をソ連が単独で被っていた 1942 年 8 月、初めて チャーチルがモスクワへ飛んでスターリンと会談したときの話。第二戦線☆ 開設は本年度中は無理だと聞いてスターリンは怒り、きわめて険悪なムード になったが、チャーチルが「上陸作戦は無理であるかわりに、イギリス空軍 が空爆でいかに多くのドイツ人を殺せるか」を語り始めたところ、スター リンは急に機嫌がよくなり、それから和やかなムードで会談は進行したとい う。しかし、無差別爆撃での都市破壊は、敵国を壊滅させるイメージが強い わりには、戦争遂行能力を奪う能率が低い。英空軍によるドイツ都市空爆は、 むしろナチと反ナチを結束させる役に立ち、国内の反ヒトラー派の運動を抑 える結果になってしまったと言われる。空襲後の市民救済措置においてナチ スがきわめて能率よく働いたため、もともとナチスを快く思っていなかった 人々も含めドイツ市民の信頼をますます勝ち取る結果となったのは重慶爆撃 バトル・オブ・ブリテン とまったく同様だ。チャーチル自身、 2 年前の英本上航空戦で、ドイツ空軍
交戦国だからといって、アメリカの国益と日本の国益とが必すしも矛盾し ない、ということに気づけば、ソ連牽制というアメリカの利己的動機が、付 随的に日本の利益をも保証したと悟ることができよう。その限りでは、日本 としては原爆投下に必すしも異を唱えることはできない。 日本とアメリカが敵同士だからといって、両者の利害が常に対立している とはかぎらない。つまり、一方の利益が必す他方の損失を意味するわけでは ない。ともに利益を得ることがありうる。対戦者の一方が勝てば ( 得をすれば ) 他方が負ける ( 損をする ) という形で、両者の利得の総和がセロになるケー ムを「ゼロサムゲーム」という。囲碁や将棋、多くのスポーツはゼロサムケー ムである。対戦者の両方ともが得したり損したりしうるケームは、ノンゼロ サムゲームである。株式は経済状態によって参加者が全員得したり損したり しうるという意味で利得の総和がゼロでないため、ノンセロサムゲームであ る。戦争も、勝者と敗者がはっきり損得に分かれるわけでなく、両者が得し たり損したりすることがある ( 多くの場合、勝者も敗者も損するが ) という 意味で、ノンセロサムゲームである。 ' の訒識は、和平を決意するさいに重要である。敵に勝たせれば自分は損 する、という偏狭なゼロサム的な錯覚から脱して、真に有利な妥協の道を探 るためには、ノンゼロサムゲームとしての戦争の本質を知らねばならない。 日本が、スイスやスウェーデンではなくソ連を通じて和平交渉をしようと目 論んだのは、米英と利害対立のある国を立てたはうが自分の得になる、とい うセロサム的錯覚に囚われていたからだった。かりに米英の利得を減じるこ とができたとしても、日本の利得が増えるわけではない。とくに戦争で敗勢 に陥っている側は、自分が一刻も早く戦争に負ける ( 降伏する ) ことが自分 と敵の両者にとって最大の利得になることを悟らねばならないのである。ノ ンゼロサムケームの意識は、世界平和の鍵なのだ。敵対国アメリカの戦略的 利得は、同時に、日本自身にとっても将来的利得を意味しうるということを 意識するやいなや、よく言われる「原爆投下はソ連への威嚇だった」が原爆 投下批判として成り立たないことがわかるだろう。 ちなみに、旧ソ連とその勢力圏では、原爆投下に否定的な見方が大勢だっ た。単にアメリカへの敵視の一端ということもあろうが、それよりも、原爆 投下が西側の結束を強め、ソ連の戦後戦略を妨げたことが理解されているか 戦争論理学 あの原爆投下を考える 62 問